刈谷市歴史博物館に行ったときのこと
その刈谷市歴史博物館に初めて行ったときのブログはこちら
お時間あったらどうぞ!!
平成31年オープン…新しくて無料なのに誰もいなかった…刈谷市歴史博物館に行く!
そこにパンフレット「歴史の小径(城下町周辺)」が置いてあって、その中に、刈谷城…ならぬ…「刈谷古城」があると載っていたので、城址マニアの私…気になって行ってみることに…
文明8年(1476年)頃に緒川城主水野貞守が三河へ進出した時に築いたものらしく、別名「水野の御屋敷」と呼ばれた高台にあり、当時は西側が海に面し、南の本刈谷神社との間は入り江になっていたよう…
水野貞守の後、賢正、清忠と続き、1533年、刈谷古城が手狭になったという理由で、現在の亀城公園北側に水野忠政が「刈谷城」を築城して移り、以降廃城となったとのこと…
マップによると、本刈谷神社の近くにあって…
散策しても城址を示す案内板や石碑など一切ないけど、歩いていたら
地蔵堂を発見…
きっと、このあたりなんでしょう…確かにここは高台になってて、築城するには好条件…でも廻りは住宅街…新しい家も建ち並んでいます…
地蔵様に合掌
しっかりと、手入れが行き届いてる感じの地蔵堂でありました…
さてさて、その奥の小径を進んだところがおそらく…おそらく…
刈谷古城址
畑と竹藪と…新しい家と…
畑ってことは私有地…まあ、冬だから放置されてる感じの畑だけど、ウロウロするのは、ちょっと憚れる感じ…
まあ高台にあるから、この辺に城があってもおかしくないかな…って感じかな…遺構は全くないように思われる…
私有地っぽいから入って歩いてないけど…
この高低の差が、唯一、城址っぽいかなと…
道路沿い…
町井製作所の奥の竹やぶで覆われた高台が、刈谷古城址…のよう
さてさて、散策を続けて、その刈谷古城の南400mほど行った場所にあるお寺が
楞厳寺(りょうごんじ)
曹洞宗の寺で、山号は神守山
1403年、遠州普済寺の利山義總禅師が現在の元町に海会寺を開いたそうな…その海会寺には、禅師の徳を慕って修行者や信徒が多く集まるようになり、境内が狭くなったので、1413年に現在の天王町に楞厳寺が建てられたとのこと…
ご本尊は釈迦牟尼さま…
ここ、「どうする家康」での松嶋菜々子さんが(於大の方)が、1544年松平弘忠と離縁の後、
実家の刈谷城主水野家に戻り、1547年に再婚するまでの間、
度々このお寺、楞厳寺を訪れたらしいのよ
水野家はこの寺に帰信し、水野家の菩提寺でもあるこのお寺
訪ねてみれば
禅寺特有の静かな佇まい…
松嶋菜々子さんどころか、誰もいません!
日本庭園風の名残でしょうか
説明案内板
山門
実に歴史を感じる山門
狛犬も見事に彫られています…
山門の屋根には、仁王様の瓦が仁王立ち
山門をくぐると石畳の参道の奥正面に本堂が
実に立派な綺麗な伽藍
庭も綺麗に整えられていて、
京都にこのお寺があったら、拝観料が絶対、必要な気がする、実におごそかで、禅寺らしい、この雰囲気
井戸でしょうか…その前には枯れた手水舎
本堂は宝形造・本瓦葺・向拝付きの立派なお堂で
釈迦牟尼さまに合掌
山門をくぐり左手にある入母屋造妻入の御堂が稲荷堂
鐘楼
梵鐘は新しそうでピッカピカ
その奥、山門向かって左側には、質素な赤い鳥居があって
その奥にも稲荷社の小さな祠が
この歴史を感じる石灯籠(とうろう)の横をとおろう…
すると、そこには「水野家廟所」がありました
於大の兄にあたる刈谷城主・水野信元や3代目・水野忠重の墓があるらしい
ただ施錠されているようで中には入れませんが…隙間からは覗けました…
どれが、水野信元の墓か確認はできませんが、ぐるっと囲われているお墓の廻りを廻って…覗けた墓碑に向かって合掌
織田信長の命を受けた甥の徳川家康に大樹寺にて殺害されるという非業の最期をとげた於大の方の兄でもある水野信元…
そんな非業の最期をとげた水野信元ですが、ここで実に静かに安らかに眠っているように感じました…
だって、お寺の境内では、誰とも すれ違わなかったからね…
大樹寺で彼を「殺害する家康」ですが、ここもNHK大河「どうする家康」ブームにのって、多少なりとも賑わったりするのでしょうかね…??
そうなったら、騒々しくて寝てられないやないか…なんて、お墓の中で、水野信元さんが呟いたりするかも…
あ…この、しょーもない妄想は…水野流して??…もとい、水に流して~
チャンチャン…