あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

人間は、人間を食べさせられてきた。我々の悍ましき悔い(喰い) 参

2019-05-31 21:42:02 | 人類への警告
by  Zdzisław Beksiński 
 
前回の記事、
に引き続き、URL先のサイトの転載を貼り付けて参ります。
 
その前に、前回の記事のまとめ
 
①我々は、堕胎(人工妊娠中絶)された胎児の細胞を知らず識らずに食べさせられ続けてきた。(人工甘味料やアミノ酸以外にも、”香料”とだけ書かれた商品に入っている可能性が高いと考えられる。)



②我々は、今もなお、人間の死体で作られた肉骨粉を与えた家畜の肉や畜産物を食べさせられているかもしれない。
BSE(狂牛病)リスクの高い米国産高齢牛の輸入制限撤廃を日本は受け入れる。
④”レンダリングプラント”の存在について。此処ではこの世で最もおぞましきことが繰り広げられ、大量の”死体”が油脂や肉骨粉や調味料、エキスなどへと日々変容し続けている。
⑤京大医学部付属病院の福島雅典教授は「アルツハイマーや若年性痴呆と診断された患者にもBSE感染で発症する変異型ヤコブ病の患者がいる可能性がある」と衝撃的な指摘を行った。
【人類で最も悲惨な病気】と医師に言わしめる病、クロイツフェルト・ヤコブ病患者は、全国で減少する気配、全く見えず。
 
 
 
BSE感染による変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の潜伏期間は短くて4年、長くて50年以上です。
一方、クロイツフェルト・ヤコブ病は潜伏期間2~30年と言われています。
 
早くて4年前に食べた牛肉によって、発症する可能性がありますし、潜伏期間が長ければ、今5歳の子供がたった一口、口にした牛肉によって、55歳で発症する可能性があるということです。

 

クロイツフェルト・ヤコブ病
 
クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease, CJD)は、全身の不随意運動と急速に進行する認知症を主徴とする中枢神経の変性疾患。
 
根治療法は現在のところ見つかっておらず、発症後の平均余命は約1.2年。
 
米国に端を発し、ビー・ブラウン社(ドイツ)製造のヒト乾燥硬膜(ライオデュラ)を移植された多数の患者がこの病気に感染するという事故は日本を含め、世界的な問題となった。
 
日本においては、ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群や致死性家族性不眠症と共にプリオン病に分類される。
 
また、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)における「五類感染症」に分類されている。
 
一般的には耳にすることの少ないこの病気だが、症状がアルツハイマー病に似ていることから、アルツハイマーと診断され死亡した患者を病理解剖したらクロイツフェルト・ヤコブ病であると判明するという事もある。

病理解剖でないと判別が難しいので、アルツハイマーと診断されているクロイツフェルト・ヤコブ病患者の実数は不明である。
 

 
プリオン病と遅発性ウイルス感染症
http://prion.umin.jp/file/prion_autopsy_manual.pdf
 
剖検(死体解剖、病理解剖)率が低いことが我が国を含めて世界的な問題です.

● 感染性疾患であるプリオン病に対して,医療サイドが拒否的になってしまうことがあります.
 
入院拒否もみられ,特に,のプリオン病の剖検率は平均15%以下と,他の先進国に比し極めて低く,わが国のプリオン病の診断精度は低いという批判を受けています.
 
 

 
2025年には高齢者の5人に1人が認知症に
 
認知症は高齢になればなるほど、発症する危険は高まります。
認知症は特別な人に起こる特別な出来事ではなく、歳をとれば誰にでも起こりうる、身近な病気と考えたほうがいいでしょう。
 
厚生労働省の2015年1月の発表によると、日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人、65歳以上の高齢者の約7人に1人と推計されています。
 
認知症の前段階とされる「軽度認知障害(MCI: mild cognitive impairment)」と推計される約400万人を合わせると、高齢者の約4人に1人が認知症あるいはその予備群ということになります。
 
医療機関を受診して認知症と診断された人だけでもこの数字ですから、症状はすでに出ているのにまだ受診していない人も含めると、患者数はもっと増えていくと考えられます。
 
今後高齢化がさらに進んでいくにつれ、認知症の患者数がさらに膨らんでいくことは確実です。
厚労省が今回発表した推計によれば、団塊の世代が75歳以上となる2025年には、認知症患者数は700万人前後に達し、65歳以上の高齢者の約5人に1人を占める見込みです。
 
なお、認知症は高齢者だけの病気ではありません。
65歳未満で認知症を発症する場合もあり、「若年性認知症」と呼ばれています。
 
若年性認知症はアルツハイマー病が多く、とくに40代、50代の働き盛りで起こると老年性の認知症よりも早く進行し、症状も重くなる傾向があります。
 
 

 
今回の俺のまとめ。
 
ヒト乾燥硬膜(ライオデュラ)を移植された多数の患者がクロイツフェルト・ヤコブ病に感染しているのならば、ヒトの胎児腎細胞をアデノウィルス遺伝子により変容させて樹立された細胞株であるHEK293細胞を人間に食べさせ続けることに問題はないなどと何故言えるのか?
 
しかも、それは安楽死で堕胎された胎児ではなく、地獄の底で苦しみ抜いて堕胎された胎児であるかもしれないのである。
生物は、苦しんで死んだ場合、或る種の苦痛ホルモンというものがその肉体に残される。
それは、”肉体の記憶”と呼べる或る未知の物質である。
その物質を、人類は家畜の肉(死体)を通してみずからの体内に摂り込み続けて来たのである。
 
臓器移植を行ったあとに、レシピエントの性質、性格、嗜好が変わることはよく言われている。
 
 
 
細胞記憶という言葉をご存知だろうか。
 
脳だけではなく、個々の細胞もそれぞれ過去の記憶や嗜好、癖を記憶しているのではないかという説があり、その細胞が持つ記憶を細胞記憶という。
例えば、内臓移植を行ったときドナーの記憶がレシピエントに受け継がれる現象などがそれだ。
 
細胞記憶を肯定できる事例が存在する。
著名な事例として、バレエダンサーのクレア・シルヴィアの事例を紹介しよう。
彼女はバレエダンサーという職業柄、ファーストフードが大嫌いだったにも関わらず、心臓移植後ケンタッキーフライドチキンを好むようになった。
また嫌いだったピーマンが好物になり、歩き方はまるで男の様になった。
 
さらに彼女は夢の中に出てきた少年のファーストネームをなぜか知っており、その夢の中の少年がドナーだと確信した。
 
そして、後に彼女はドナーの家族と連絡を取ることに成功、対面が実現。
彼女が知っていた少年のファーストネームはドナーの名前と一致。
彼はピーマンとチキンナゲットを好んでいたという。
 
また昨年末、現実に細胞記憶が引き起こしたとしか考えられない事件が起こった。
 
ジョージア州アトランタで、マイケル・ロドリゲスという男性が女性23人・男性4人、計27人を殺害した罪で逮捕。
 
彼は2013年12月から殺人を始め、1ヶ月に1人以上のペースで殺人を行っていたという。ここまで聞いただけではただのシリアルキラーが行った事件だと思うだろう。しかし、警察は捜査を進めていくうちに衝撃の事実を発見したのだ。
 
ロドリゲスの先妻によると、ロドリゲスが殺人を行うようになったのは心臓移植手術直後からだという。
 
そこで警察は本来機密事項である臓器提供者について調査を始めたところ、ロドリゲスに提供された臓器は2013年に死刑になったデレック・エメリーという連続殺人犯のものだったことがわかった。
 
心臓移植後、ロドリゲスには「人を殺せ」という声が絶えず聞こえていたという。
 
この声は、心臓から聞こえたものではないのだろうか。

この心臓移植が原因で殺人をし始めたという話が本当であったなら、なんと悲しき悲劇であろう…
生きてゆくために、心臓を移植したのに、シリアルキラーとして生まれ変わってしまうなんて、誰が想像できただろうか。
 
だが同時に、”記憶”というものは素晴らしきものだと感動しないではおれない。
 
そして我々人類は、その素晴らしき”記憶”というものによって、地獄の底に苦しみ抜いて死んでゆくことを約束されているのだとしたら。
 
我々は確かに、堕胎された胎児のその死の間際に味わったであろう地獄の苦しみの遺伝子情報をみずからの遺伝子に組み込み続けてきたのかも知れない。
 
平成29年度の日本の人工妊娠中絶件数は164,621件、一日に換算すると457人。
1日に457人分の、死んだ胎児を、日本はどうしているのか?
例え医療であれ、堕胎された死亡胎児の組織、細胞を利用して人類が生き延びてゆくことで、人類は幸せになるのか。
 
ぼくと同じように、生きて行きたいのに、無念にも殺されてしまった胎児のその記憶を、遺伝子に摂り込み、その細胞を食し続けて生きて行かなければいけないなんて、死にたくなるではないか。
そんな世界に、希望があるのか。
 
何故、我々人間は、ずっとずっと、人間を知らずに食べさせられ続けてきたのか。
 
何故、わたしたちは殺された胎児を、口にし続けて生きてこなければならなかったのか。
 
何故、人間と豚はあんなにも似ているのか。
 
何故、人間と牛はあんなにも似ているのか。
 
何故、ぼくは、知らずに、ぼくの家族(同胞)の死体を食べ続けてきたのか。
 
何度寝ても覚めても、続いているこの悍ましき共喰い地獄から、目を覚ませる日は、いつだろう?
 
人間はいつ、自分の家族を殺して食べなくても生きていけるようになるだろう?
 
きみのなかで、泣き叫び、悲鳴を上げ続けている赤ちゃんと、どうぶつたちの声が、きみにも聴こえるか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人間は、人間を食べさせられてきた。我々の悍ましき悔い(喰い) 弐

2019-05-31 21:39:39 | 人類への警告
Christ's Descent Into Hell  by Hieronymus Bosch
 
前回の記事
 
 
に引き続き、では今から、人類が知らず識らずに”共喰い”をさせられ続けてきたことの情報と、その可能性についての情報と、その結果、我々人類を、どんな地獄の落とし穴が待ち伏せているかを、ざっと、転載とURLによって、載せてゆきます。
(今までの記事に載せたURL情報も含まれています。)
 
 
以前、私たちが一般に接種させられているワクチンにMRC-5という「人間の胎児の細胞」(もちろん堕胎された死体から)をベースにしたものが使われていることを書きましたが、似たような技術が食品業界で使われており、実は私たちは、そう言ったものをずっと前から知らずに食べさせられていたのです。
すでにご存じの方はもう、すでに食生活を切り替えておられるかもしれません。
 
日本の「味の素」は、人口甘味料の技術の特許を持っており、「アスパルテーム」や「アセスルファム」などの名前でさまざまな食品製造業者に売られ、加工食品に入っています。
アスパルテームは、アメリカの国防省が化学兵器開発の過程で見つけた物質が元になっていますが、企業秘密で公開されていませんが、原料は大腸菌を遺伝子操作して出た菌の排泄物です。
アリの巣にアスパルテームを入れると死ぬことから、殺虫剤として使っている人が多いことも書きました。
 
「味の素」や「アミノ酸」などの調味料にさらに、「風味」を加えるために原料として食品業界が使用しているのが「HEK293細胞」という「ヒトの胎児腎細胞をアデノウィルス遺伝子により変容させて樹立された細胞株」です。
 
「ネスレ」(日本にも系列会社がたくさんあります)やクラフト食品などは、スープの調味料としてこれを使用しています。以下は、オンラインの医学書による説明です。
 
 
実験医学オンライン
 
そういう風に言葉で言われても分かりにくいので、一応、写真を貼り付けておきますね。
これです。つまりですね…堕胎された(殺された)胎児の細胞から作った物質が私たちの食べ物の隠し味として入れこまれているということです。
 
 
マーコラ博士によると、「味の素」もこれに似た物質をカップヌードルなどの加工食品に使用していると指摘しておられます。
(アメリカでも、これは法的に「天然調味料」と書いても大丈夫なのです。死んだ胎児は「天然由来」ということでしょう。日本でも表示を規制する法律がないため「アミノ酸」としか書かれていません。加工食品のほとんどにアミノ酸が入ってますし…。)
 
 
 
「ペプシの奇怪な世界:低カロリー清涼飲料と関係した胎児の細胞をめぐってボイコットが起きる」
 
 
この事実は、2011年の段階でアメリカでは、CBSニュースで取り上げられ、「セミノックス(SEMINOX)」というバイオテック会社が堕胎された胎児の細胞を原料に作った調味料を、ペプシの低カロリーー清涼飲料に入れていることで、ボイコット運動が起きていました。
こちらがその会社です。この会社と契約しているのが、ペプシだけでなく、日本の「味の素」や「ネスレ」です。
 
この件が大問題になった際に、ペプシが「商品そのものには堕胎された胎児の細胞そのものは入ってません」と否定したのですが、調味料の開発の際に胎児の細胞を使用していることを逆に認める形になり、この件が事実であることが明るみに出ています。
 
また、セミノックス社は、特許の出願書に中絶された胎児の腎臓が使われたHEK293細胞を使用したことを記載したことが知られています。
(日本でもアメリカでも生まれる前の胎児には人権を認めていないので、残念ながら法的に問題になっていません。)
 
つまり、死んだ胎児の細胞そのものは入れ込んではいないけど、調味料の開発の際の原料として使っていることが確認されているので、二次的にであっても、私たちはそのエッセンス(情報)を知らずに体内に取り込まされているのです。
 
こういった甘味料や調味料は、低カロリー、微糖、ダイエット〇〇、シュガーレス、甘さ控え目などのキャッチフレーズとともに、お菓子やスープ、飲料などに入れ込まれています。
最近、日本の漬け物に甘味料としてアスパルテームやアセスルファムが使われ、「アミノ酸」という名の謎の調味料入りのものが主流になってきています。
 
これまで、地球を操る闇の勢力というかグローバリストによる幼児性虐待や人身売買や世界の支配層が受け継いでいるドラキュラ伯爵の血筋、胎児の臓器売買問題などについて書いてきましたが、私たちは実はすでに胎児の臓器を原料にして作られた調味料を食べることで、彼らとエネルギー的に似たようなことをさせられ、「共犯」にさせられてきたのです。
 
私たちが「美味しい」と思って食べていたものの原料は、それは私たちが大切に育まなければならないはずの赤ちゃんの体の一部だったのです。
 
つまり、私たち人間の生命を大切にしない
 
「共食い」と「弱肉強食」=美味しい
 
という図式を知らず知らずのうちに体に刷り込まれていたのです。これは、食べ物による「死んだ赤ん坊は旨い」という無意識の洗脳と言えます。
 
 
 

 
 
 
風味増強剤は中絶した胎児の細胞から作られる
https://1tamachan.blog.fc2.com/blog-entry-9754.html
 
 
こうして新たな風味料は中絶した胎児の細胞から作られる
http://articles.mercola.com/sites/articles/archive/2013/03/17/senomyx-flavor-enhancers.aspx


何年間にも渡り中絶反対の活動形は中絶した胎児の細胞を製造過程で使う、甘味料や塩味調味料に警鐘を鳴らし続けてきました。

この斬新な過程を使っているバイオテク会社のセノミックスはペプシ、味の素(アスパルテームやミートグルのメーカー)、ネッスル、その他の飲料の製造会社と過去数年にわたって契約してきました。

当初の多くの加工食品のゴールは砂糖や塩の含有量を減らしながら食品や飲料の味をよくすることでした。

一方セノミックス社は加工の過程の詳細を公表するのを拒みましたが、特許の出願書には確かに中絶された赤ん坊の細胞由来のHEK293として知られる人の腎臓の細胞が使われている事が書いていあります。

価値の無い腎臓の細胞は有りませんが、それは確かに最終的な製品に入っているのです。新たな風味料が、加工の一部で使われているかどうかは以下のような議論を生むでしょう。

これはまだ生産ラインに乗っています。2年前、中絶反対のグループが、中絶された胎児の腎臓の細胞由来の材料を加工の過程に使い風味付けしていると言って、ペプシ製品の不買運動に踏切りました。

中絶した胎児を生物学的な原材料に使うことにたいする問題にあなたがどんな信念を持っていようとも、生物学的に構築された風味料が安全であるかどうかの問題が残ります。

バイオテクノロジーは新たな風味料を使ってます

セ ノミックスはハイテク研究とビジネスの発展が「砂糖と塩を減らすために新たな風味料が貢献している。」といいます。
これらは苦味をブロックするようなモ ジュレーター・フレーバーや甘味や塩味を強めるようなフレーバー同様に、例えば甘味のフレーバーやクール・フレーバー等の新しいフレーバーを含んでいま す。

セノミックスは一部の人で後味に問題のあるステビアのようなハーブの甘味料、人工甘味料、ブドウ糖のコーンシロップ、に代わるような高力価の甘味料の開発にも携わっています。

こ れを達成するためには、セノミックスは「強化風味料」の特許を開発し、その化合物に「味の専売受容体ベースの検定システム」を使っています。
これは味をテ ストするシステムで、風味料の原材料がそれらの特許を得たレセプターと相互作用した時に、生物化学的な反応と電気的な読み出しがなされ、研究者にそれがフ レーバーとして利用価値が有るかどうかを知らせます。
セノミックスは次の様に言っています。

「フレーバーは香りと味の面でとても 大切な物質です。口の中で味のレセプターが食べ物や飲み物の中の風味料と相互作用し、その味の感覚を経験します。味のレセプターは、物理的に風味料の材料 が同質の鍵穴に結びつくか、もしくはそのチャンネルにイオンが直接味覚細胞に流れ込む事で、機能します。

これらの相互作用の結果、特定の味の感覚が登録されている脳に信号が送られます。現在認識されている味覚は、グルタミン酸ソーダのうまみ、甘味、塩味、苦味、酸味の5つです。

セノミックスは多くの人の味覚の要になっているキーレセプターを発見しライセンスを得ました。
フレーバーの原材料がレセプターと相互作用を起こす時に、我々は生化学的もしくは電気的な読み出しをするレセプターベースの検査システムに基づいて専売の味を作り出してきました。」

2011 年5月のニューヨーカーの記事によれば、ペプシのニューヨーク工場には、人が感じるのと同じ感覚をもった、信頼性のある人の味蕾をもったロボット配備して いるそうです。
味の検査ロボットを作る為に、ペプシ社の科学者たちは、培養細胞の中に味のレセプターとして知られる4つの遺伝子配列を注入した後、細胞が ロポットのコンピューターに組み込まれました。
人がやっていた味の検査をそのロボットがとってかわったので、一日に4万種類ものフレーバーのサンプルが検 査できるようになりました。


遺伝子組み換え風味強化剤は安全?

2011 年の6月に放送されたCBSニュースによると77のセノミックスの特許のうち70がHEK293に関連商品として提出されています。
これらは1970年代 に健康で中絶された人間の胎児の腎臓の細胞由来です。
HEKは腎臓由来の細胞であることが識別されていて、293は239番目の実験からの細胞由来という 意味です。

遺伝子組み換え技術を使って新たなタンパク質が産生される信頼性のある方法で、これらの細胞は何十年にもわたってクローンが作 られて来ました。
HEK293の細胞は、恐らくそれらはペプシ社で使われている味覚検査ロボットと同じく、人間の味覚レセプター細胞の様に機能します。
こ れはある細胞で発見され分離された味覚レセプターによりなされ、HEK細胞に加えられます。

HEK細胞は医薬品や細胞生物学の研究で、似 たような理由のために広く使われます。
しかしながら最初にHEK細胞が使われたのは、多くの人にとって確かに嫌悪感を抱かせる食品業界でした。
どうやって 新たなフレーバーが作られているかはまだ知られてもいない問題です。
CBSニュースでは次の様に報告しています。

「それではいったいペプ シがアピールしている新たなバージョンの魔法の原材料は何で、どうやって作られるのでしょうか?残念なことにこれらの質問には答えにくいそうです。セノ ミックスは、それらのフレーバーを風味料、もしくは原材料と呼びます。製品は会社のその他のプログラムと同じ様に舌の上のレセプターを引き金にして働き、 味蕾を甘味、塩味、涼味を感じるように錯覚させます。

それでセノミックスの秘密の原材料は安全?これも誰かの推測ですが、多くの強化剤は 通常安全だと認識されていますが、この意味は、会社自身が自社の査定をしてそれで万事OKと言っているだけなのです。
セノミックスはいかなる検査もFDA に提出することを要求されていないので、検査をしたかどうかも分かりません。

ペプシがどうやって同じ味を維持しながら砂糖を60%もカットしたかについての詳細を公表しようとしない限りは、セミノックスの製品は害があると疑う理由もありませんので、顧客は科学的に優位な完全に闇に包まれたソーダを飲むことになるでしょう。」


特に問題となる部分についてはラベルの表示は義務付けられていないので、将来的には恐らく問題になるでしょう。
それらが何であれこの化合物は、ほんのわずか の量が使われいるだけなので、その風味料はラベルに表示しなくてもいい事になっています。
それらは単純に人工的であろうと天然由来のフレーバーであろうと 一般的なカテゴリーの下に隠されてしまうでしょう。
つまりこのこの風味増強剤が使われていない様に見えるほうが、よりその製品が健康的に見えるということ です。

CBSの2010年の報告によれば、「セノミックスの風味増強剤は既にその時点で米国外でも販売されていました。
例えば、ネッスル は2010年までにグルタミン酸ソーダの風味増強剤をマギーブランドのスープ、ソース、調味料やインスタント麺に使っていましたし、味の素も中国市場での 製品に同じ様な材料を使っています。
これは少なくとも人工甘味料は以前と同じ甘味を作り出す必要があったということですが、これは良いものだと主張する一 方で、私は最終的にこの風味増強剤は、代謝学的、生物学的に複数の悪い作用を持っていることが明らかになるのではないかと、疑っています。

本物の食品を食べようさもないと大変な事に!

加 工品の代わりに自然なホールフーズを選択したほうがいい理由は多くありますが、しかしながら、もっとも主要な理由の一つはジャンクフードはガンを発症させ てしまうリスクを高める毒物が沢山含まれている事です。
とにかく味蕾を操作するセノミックスの製品が長期に渡り健康的で安全だ評価する医学的な研究は何も 行われていません。
例えば、なぜ人工甘味料が宣伝されているように働かないかの理由を示す現在得られる根拠では、甘味の味そのものは我々がまだ完全に理解 していない代謝の機能の中に結びつきます、その結果人工甘味料製品はしばしばゼロカロリーを吹聴していますが、実際にはそれが使われた時には、砂糖を使っ た製品よりも体重増加が著しくなってしまうというような事が挙げられます。

今日の加工品、既製食品やファーストフードのレストランを忘れ 去ることは簡単で、実際に食品の製品の歴史という点において急速な変化になるでしょう。
我々が今日食べている食品は本物の食品とはかなり違っています。
多 くの製品は沢山の添加物を含み、栄養価値のないつなぎを含み、意図的に隙間を取り去り実際のものよりも多く見えるように意図的にデザインされています。
多 くの添加物は気分、行動、代謝機能、生化学的に悪影響が有ります。

現在検査されていない技術を使った風味増強剤が導入されて、よりクリー ンであるというラベルを貼られた加工品が安全で健康的で有るかどうかに疑問が残ると思いますが、セノミックスの風味増強剤はほんの微量しか使用されないの で、FDAが通常の食品添加物として安全性を認可する過程が要求されていないという事を覚えておいてください。

我々が現在食品ベースでさ えない加工品を沢山食べれば食べるほど病気が悪化するのです。
大多数の我々の食べ物が、かつての人類史上決して食べることのなかった物質を含み高度に加工 さた人工的な食べものであるときに、どんな種類の遺伝子の突然変異や機能障害を我々や次世代に作り出しているかは誰にも分かりません。

どうやって食べ物の香味を自然に増すか?

何 を食べるか選択する時は、それが本物の食べ物かどうか見極めることを強くお勧めします。
食べ物は生命の栄養と同じである事を覚えておいてください。
栄養は つまり貴方の細胞の一部に代わり、あなたを最適な健康状態に導き生命を維持します。
あなたをサポートするために私は、初心者のレベルからステップバイス テップで上級者のレベルへと進むことが出来る様にフリーの最適な栄養プランを作りました。

本物の食べ物は美味しいので、本物の食べ物を食 べる時には、セノミックスの技術によって増強された食べ物とは対極で、人工的で、実験室で作られた風味料増強剤は必要ありません。
事実加工食品の味は有益 な科学の人工的な風味料、増強剤、添加物で味が良くなっていますが、それらなしでは加工食品は寸断されたダンボールの様な味になってしまうでしょう。

本物の食品は本来活き活きとした色で、キメが細かくとても風味が有ります。
食事にもっと風味が欲しい時には、自然は素晴らしく美味しく、もっと健康的でもある自然なハーブやスパイスを用意してくれています。

(翻訳終了)
 
 





BSEの起源はクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)

 
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連続講座
霊長類フォーラム:人獣共通感染症(第167回)09/11/2005
BSEの起源はクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)

 BSEの起源については、これまでにいくつかの仮説が提唱されていますが、いまだに謎のままです。そのような中で、英国ケント大学のアラン・コルチェスター(Alan C.F. Colchester)と彼の娘、エジンバラ大学獣医学部のナンシー・コルチェスター博士(Nancy T.H.Colchester)が、最近のランセット誌にBSEはCJD由来という新しい仮説を提唱しました。(The origin of bovine spongiform encephalopathy: the human prion disease hypothesis. Lancet 366, 856-861, September 3, 2005. )
 その概要をご紹介します。
 1960年代から1970年代にかけて、英国では数十万トンもの哺乳動物由来の全骨、砕いた骨、死体のさまざまな部分を肥料や動物の餌の原料として輸入していました。その50%近くはバングラデシュ、インド、パキスタンからです。インドとパキスタンでは農民が大きな骨や死体を川から集めて売っていましたが、その中には動物だけではなく、かなりの量の人の死体も入っていました。ヒンズー教徒が死体をガンジス川などに捨てる習慣があるためです。著者はすくなくとも1950年代後半から、動物の骨などに人の死体が混ざったものが輸出され、それは現在も続いていると推定しています。実際に、カルカッタのディーラーが人の骨をインド、パキスタン、米国に輸出したことで告訴されたという報道もありました。
 1960年代には、フランスとベルギーの港でインド亜大陸からの動物由来副産物の中に人の成分が見つかり、これらの地域から輸入する動物を原料として用いていた英国の飼料会社に警告が送られたことがあります。
 これらの背景をもとに、著者はなぜBSEが英国で発生し、ほかの国では起きなかったかを次のように考察しています。
  1. 英国は上記の時期にインドとパキスタンからの動物由来副産物の最大輸入国であったこと。
  2. 英国は牛に高蛋白飼料を与えて牛乳の生産量を増加させるための研究と実用化の面で世界のリーダーであったこと。
  3. 英国は肉骨粉を1-2週齢の子牛に与えていたこと。
 インド亜大陸でのCJDの発生状況はほとんど分かっていません。最初のCJD例は1965年に報告され、1968年から1997年の間に、インドでCJDとして登録されたのは69例でした。しかし、発展途上国では診断体制や報告体制が整備されておらず、解剖されることも稀です。そのため、この数は実際よりもかなり少ないのが普通で、著者は1960年代から1970年代にかけて毎年150例のCJD患者が発生していたと推定しています。インド国民の80%はヒンズー教徒なので、毎年120人のヒンズー教徒がCJDで死亡していたことになります。そして、その死体のかなりの数が川、とくにガンジス川に捨てられたと推定しているのです。
 CJDの牛への感染実験は行われたことがないため、CJDが牛に対してどれくらいの感染力があるかは分かりません。著者はCJDのサルへの感染実験の成績から、もっとも少なく見積もっても一人の死体には牛に対して約300 ID50の感染価があると推定しています。
 これらの状況証拠から著者が提唱した仮説は、以下のとおりです。
  1. BSEは人のCJDに由来する。
  2. 牛は輸入した哺乳動物原料に混じっていた人の死体から作られた餌を食べて感染した。
  3. 原料はインド亜大陸で、そこから問題となる時期に大量輸入された。
 これまでにBSEの起源としては、スクレイピー説、有機リン説、土壌細菌アシネトバクター菌による自己免疫説、アフリカから輸入した偶蹄類説があります。この中でスクレイピー由来がもっとも支持されてきた仮説です。英国政府のBSE諮問委員会は、このスクレイピー説を否定しましたが(本講座110回)、BSE起源に関する調査委員会は、有機リン説、アシネトバクター説、アフリカの偶蹄類説は考えにくく、スクレイピー説がもっとも可能性が高いと報告しています(本講座121回、131回)。しかし、スクレイピーの牛への感染実験ではBSEのような病気は見いだされていません(本講座136回)。
 著者は上記のいくつかの仮説と比較して、人由来説がもっとも可能性が高いとみなしており、その検証のために牛へのCJD接種実験を至急行うべきであると述べています。



 
今年に入って牛海綿状脳症(BSE)が2回も発生した。
8月に米国フロリダで非定型BSEが発生。
この発症牛は6歳齢であった。
10月には英国スコットランドで定型BSEが発生。
この牛は5歳牛であったが、飼料規制が行われているなかでの飼料を原因とする定型BSEの発生は、飼料規制が有効に行われていない可能性を示すものであり、憂慮すべきものであった。
 
 
 非定型BSEは飼料を原因としない発生原因が不明な弧発タイプのBSEであるが、毎年EUでは8例前後の発生が続いており、米国、カナダ、ブラジルでも発生が認められている。
このような非定型BSEも、人への感染性が認められている。
依然としてBSEに対する警戒が必要であることはいうまでもない。
 
 
 今、日本では30カ月齢以上の米国産牛の輸入を認めないという月齢制限が行われている。
それは、30カ月齢以上の高齢牛はBSEの発症事例が多いからだ。
8月にフロリダで見つかったBSE感染牛も6歳齢牛で月齢制限対象牛であり、日本に輸入されることは防がれている。
 
 
 しかし、驚くべきことに、2013年以降行われていたこの月齢制限が撤廃されようとしている。
舞台は食品安全委員会プリオン専門調査会。
今年4月9日から食品安全委員会は米国産牛の月齢制限の見直し評価作業を開始し、6回の審議の結果、11月15日に月齢制限を撤廃したとしても「人へのリスクは無視できる」との評価結果を答申した。
これによって月齢制限撤廃のお墨付きを与えたのである。
 
 
政治的事情
 
 
 この評価作業を食品安全委員会に要請したのは厚生労働省だが、背景には次のような政治的圧力があった。
 
 それは、本年1月に開催された日米経済対話事務レベル会合であった。そこでトランプ政権の要望として米国産牛の月齢制限の廃止が提起されたのである。
さらに、3月には米国通商代表部(USTR)が「2018年外国貿易障壁報告書」を発表し、そのなかで「すべての月齢の牛肉及び牛肉製品を受け入れ、市場を完全に開放するよう働きかけていく」と米国産牛の月齢制限撤廃を要求したのである。
 
 
 来年1月から日米FTA交渉を開始する安倍内閣は、交渉の障害になるような事項はできるだけクリアしなければならないとして、米国産牛の月齢制限撤廃を受け入れたのである。
そして行われた食品安全委員会での評価作業は、結論ありきであった。
7カ月の審議期間中に前述のとおりBSEが2回発生したが、食品安全委員会は、「情報が限られている部分がありますので、引き続き、類似の発生がないことなどを注視していく必要はあると思います」「疫学調査の結果を待ってからでないと、なかなか確かなことは言えないのかなと思います」などとして十分な議論をしなかった。
 
 
 国民の健康を守るためにも、厚労省と食品安全委員会の賢明な判断が待たれる。
 

           ハワード・ライマン&グレン・マーザー著       三交社 抜粋
                   

うちは4代続いた酪農家である。

 長年、牧場で汗と埃にまみれて働いてきた。モンタナの農場に育ち、20年もカウボーイをやってきた。そしてどうすれば牛が育つかを体で覚えた。当然、この国でどうやって肉が生産されているかもよく知っている。

もちろん私も多くの人たちと同じように、牛ステーキをこれまでにもたらふく食べてきたものだ。しかしあなたの目の前のステーキにいったい何が紛れ込んでいるか、それを食べたらどうなるかを知ったら、あなたは間違いなく私と同じベジタリアンになるだろう。


 もしあなたがアメリカ人で肉食主義者(ミート・イーター)なら、次のことを知る権利がある。それはあなたが食べたほとんどの牛に共通する真実のことで、つまりあなた同様に、牛もまた「肉を食べてきた」ということである。

牛がと殺(屠畜)されると、重量で言えば半分ほどは食用にはできない。つまり腸やその内容物、頭部、ひづめ、そして角などである。同じく骨や血も食べられない。そこでこれらは「レンダリング・プラント」(動物性脂肪精製工場)というところに運ばれる。そして巨大グラインダー(攪拌機)に投げ込まれる。

ついでに言うと、「病気で死んだ牛は丸ごと放り込まれる」。ほかの牧場で病死した牛以外の家畜も同じだ。

 このレンダリング・ビジネスは、今や年間24億ドル強という巨大産業になっている。ひどい病気に罹った動物や癌になった動物など、農場で死んだ家畜以外にも、毎年保護施設で処分された600万から800万頭ものペットの犬や猫たちが、ここに運び込まれる。

たとえばロサンゼルス市だけでも、毎月約200トンもの犬や猫の死体がレンダリング工場に送られる。それらは動物管理局によって捕獲されたのら犬やのら猫、そして事故で死んだ動物たちも混ざっている。

 この「混合物」はレンダリング工場でミンチに刻まれ、高温蒸気で「調理」される。

 そして、軽い脂肪分が表面に浮いてくるが、それは化粧品や潤滑油、石鹸、ろうそく、そしてワックス原料などに精製される。より重いたんぱく原料などは乾燥され、茶色の「肉骨粉」に加工される。しかしその4分の1は糞便である。

その「肉骨粉」は家畜の飼料と同じく、ほとんどのペットフードの増量材として使用される。これは農家で「濃縮たんぱく」と呼んでいるものだ。1995年だけで、こうした「残り物」がと殺(屠畜)場から約500万トンも出ている。それらが全米の動物たちの飼料として売られていく。私もそんな「エサ」を、何トンも家畜のために買ってきた。しかし、牛を牛に食わせているとは夢にも思わなかった。

   1997年8月、BSEいわゆる狂牛病への不安が巻き起こった。

 これに対し米食品医薬品局は新しい規制を発表し、牛などの反芻動物のたんぱく質を反芻動物に与えることを禁止した。しかし規制は形だけであったので、今でも牛たちは他のミンチになった馬や犬、猫、豚、鶏、それに七面鳥などの肉を食べている。

同じように死体から選別された血液成分から糞便まで食べている。全米で約9千万頭の牛が飼われているが、そのうちの約75%が日常的に、レンダリング処理された動物の死体から作られたエサで「栄養強化」されている。

   動物の糞便をエサに混ぜるのは当たり前のことである。

 なぜなら飼育業者たちは、糞便を処理するためにエサに混ぜて家畜に「食べさせる」のが、一番効率的な「処理法」であることを知っているからだ。畜産業全体で毎年排泄される家畜の糞便の量は、160万トンにも達する。そしてその一部は家畜に食べさせることで処分されてきた。たとえばアーカンサス州の平均的な農場では、毎年50トン以上の鶏の糞を牛にエサとして食べさせている。

ある畜産農民は、「鶏の糞がなかったら、俺の飼っている牛の半分は売らなければならん。他のエサは高くて買えないんだ。」と言っている。もしあなたが肉好きの「ミート・イーター」なら、あなたの食べる肉はその糞便を食べて育った肉であることを覚えておくことだ。

 病気になった不健康な動物を食べるとどの程度まで危険なのかは、よくわかっていない。

しかしある種の病気は、宿主から人間に感染することはわかっている。よく知られた食物感染は食物が糞便に汚染された結果、流行性E大腸菌によってもたらされる伝染病だ。毎年、約8000人ものアメリカ人がこの感染症で亡くなっている。食品の毒物汚染の約80%は、汚染された肉から発生している。


鶏の90%以上が工場で育てられている。

 エサもきわめて安価なものが与えられる。そして彼らの排泄物もエサに混ぜて与えられる。これは驚くほどのことではない。

そして、農務省の調査でも99%以上のブロイラーの死骸から、E型大腸菌が検出されている。さらに調査では、アメリカで消費されるチキンの約30%がサルモネラ菌に汚染されていた。

 サルモネラ菌のほうが悪名高いが、カンピロバクター菌は、1年間に200人から800人の死者を出すほど危険な菌である。このカンピロバクター症候群は痙攣や腹痛、下痢、発熱などを起こすが、非常にまれな麻痺性症状のグレイン・バレー症候群という疾病を引き起こす。

このバクテリアは、処方された抗生物質に対して急速に抗体を作ることでも知られている。つまり鶏の病気に対して投与された抗生物質によって、より進化し強力になったのだ。そのためにこれらのチキンは、しばしば塩素消毒の液槽に浸けられて消毒される。

 バクテリアの目指すゴールが人間に到達することであるなら、彼らは賢い選択をしたものだ。魚はふつうは、検査をほとんど免れており、牛肉や鶏肉よりはるかに簡単なチェックしか受けずに市場に出回る。

1992年の「コンシューマー・リポート」の調査によると、検査された魚の約半数がバクテリアに汚染されていた。これらの微生物は、人間と動物の排泄物に由来している。そして「疾病コントロールセンター」によると、米国では年間、32万件の食中毒事故が発生している。


あなたの食卓のテーブルに上がるまで、死んだ魚はおよそ2週間以上の日数が経っている。寄生するバクテリアは、あなたの自宅の冷蔵庫の中でも繁殖している。

 

医学界の重鎮たちが肉食の害を指摘している
 
 
肉だけに含まれている栄養素というのは存在しない。
肉に含まれている栄養素は、
他の食品からも摂取できる。
           ポール・トーマス
出典医学界の重鎮達も肉食の害を指摘 | 環境と肉食
 
 
※ポール・トーマス博士:
全米科学アカデミー出版「生きるために食べる(Eat fo life)」という本の編集者の一人。
 
 
人々は、動物性食品がもっとも良質のたんぱく源だと思い込まされているために、植物にこそ良質のたんぱく質が含まれている事を知らない。
土の中から成長するものはすべて、たんぱく質を含んでいるのである。
             ウィリアム・コナリー
出典医学界の重鎮達も肉食の害を指摘 | 環境と肉食
 
 
※ウィリアム・コナリー博士:オレゴン健康科学カレッジ栄養学部 学部長。
 
 
私たちは肉食の習慣を当然のことのように思い、
日常的に肉を食べているが、
人間は本来、肉食には適していない。

人間が動物を殺して食べるという食生活を続けると、
最後には動物が人間を殺す結果になる。

動物の肉は人間が食べるためのものではない。
人間は本来、植物を食べるようにできているのである。
          ウィリアム・ロバーツ
出典医学界の重鎮達も肉食の害を指摘 | 環境と肉食
 
 
ウィリアム・ロバーツ博士:医学博士。米ジョージタウン大学医学部教授。
国立衛生研究所 心臓病学主任。
また、アメリカ心臓学ジャーナルの編集主幹を務める医学界の重鎮。
(The American Journal of Cardiology)
(参考文献:Discover出版「ナチュラルダイエット/ハーヴィー・ダイアモンド著」)
 
 

狂牛病=変異型ヤコブ病:「人類で最も悲惨な病気。ガンやエイズとは比べものにならない」
 
変異型ヤコブ病:「人類で最も悲惨な病気。ガンやエイズとは比べものにならない」
京大医学部付属病院の福島雅典教授の指摘です。
専門家にここまで言わせる病気・・・・・・・ 想像を絶する病態

▲京大医学部付属病院の福島雅典教授は「アルツハイマーや若年性痴(ち)呆(ほう)と診断された患者にもBSE感染で発症する変異型ヤコブ病の患者がいる可能性がある」と衝撃的な指摘を行った。
 
▲変異型ヤコブ病の詳しい症状は意外と知られていないが、京大の福島教授は「人類で最も悲惨な病気。ガンやエイズとは比べものにならない」とし、こう解説する。
 
「破壊される脳の場所によって違うが、初めは数カ月にわたる進行性痴呆や視力障害、錯乱、めまい、無感情などの症状が見られ、次第に筋肉のけいれんや運動失調が起こり、最後は廃人となる。
若い人が犠牲になるケースも多い。
患者の大半は発病から約3~12カ月で死亡する」
 
福島教授は、異常プリオンに汚染された硬膜を脳外科手術などで移植して発病した医原性ヤコブ病のケースから、変異型ヤコブ病についても潜伏期間が(1)約4年(2)約10年(3)10数年など数パターンある可能性を示唆。
 
その上で、「正確に変異型ヤコブ病と診断するには、脳の生検か死亡後に患者の脳の病理解剖をするしかない。

症状としてはアルツハイマーや若年性痴呆、弧発型ヤコブ病と似ており、そう診断された中に変異型ヤコブ病の患者がいる可能性がある」と指摘する。▲
   
特にヒトの遺伝子型によってヒト狂牛病(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病、vCJD)は異なる発現をする
 

 
クロイツフェルト・ヤコブ病:5類感染症:全数把握疾患
http://www.kenkou.pref.mie.jp/kansen_guidebook_hp/7kansensyou/5-05CJD.htm
 
クロイツフェルト・ヤコブ病:5類感染症:全数把握疾患
(Creutzfeldt-Jakob disease)
病原体 プリオン(異常プリオン蛋白)
好発年齢 成人、高齢者
分布 世界的に分布
性差 特になし
好発時期 通年
県内及び国内における発生状況

・2017年の都道府県別届出状況(最新週報:今週届出数と本年届出数累計)
 わが国を含め、世界各国の弧発性CJD 有病率は同一で、人口100 万人対1 前後とまれな疾患である。(参考:IDWR感染症の話)
 2005年2月に国内における最初の変異型CJD症例(県外)が確認された。

感染経路 不明のことが多い。伝達性CJDの場合は、経口・静脈内・頭蓋内投与で発病する。

潜伏期間 2~30年
感染期間 異常プリオン蛋白が組織で検出される期間。病型によって異なると考えられている。
症状 病型は、孤発性CJD、家族性CJD、新変異型CJD、GSS、FFIに分類される。

○孤発性CJD、または家族性CJD: 進行性痴呆を示しミオクローヌス(単一の筋または筋群に生ずる短時間の稲光のような収縮)、錐体路または錐体外路症状、小脳症状または視覚異常、無動性無言を示す。

○新変異型CJD: 若年発症で、亜急性進行性痴呆を呈する。精神症状、異常感覚、小脳症状、ミオクローヌス、ジストニアまたは舞踏運動を示す(ジストニアは病気と病気のグループの名前の両方を意味する言葉で、その特徴は、身体の1つまたはいくつかの部分の筋肉が不随意に収縮し続ける結果, 身体のいろいろな部分でのねじれやゆがみが生じること。)。

○GSS(ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群)
 進行性の小脳症状か痙性対麻痺(歩行障害等)のいずれかに痴呆を合併する。

○FFI(致死性家族性不眠症)
 頑固な不眠、記憶障害、交感神経興奮状態、ミオクローヌスなどを認める。

感染予防
感染管理
○脳脊髄液の糞便の取り扱いには特に注意が必要。
○接触感染、性行為感染の報告はない。
○ワクチンはない。
 
 
 

 続く。




人間は、人間を食べさせられてきた。我々の悍ましき悔い(喰い) 壱

2019-05-31 21:37:21 | 人類への警告
for 'Autumnal Cannibalism', Salvador Dalí, 1936
 
暗澹たる想いで、此処のところパソコン画面に向き合っている。
昨日から今日にかけては、「人類は一体、何を食べさせられてきたのか。」という非常に鬱になる、すべての企業に対して、不信を抱きたくなる我々人生の”課題”というものについて、俺はずっと考えている。
 
わかっているのは、人類は、あまりにも、愚かだ…。
でももし、その人類を、操っているような存在たちがいるのだとしたら、果してその存在たちも、愚かなのか、それとも、そうではない目的によって、それを行っているのか(それは行われているのか)。
 
俺はこれまで、寄生虫(寄生生物)と、生物の関係性について、考察し続けている。
寄生虫は、勿論、生物の敵では決してない。
彼らはまるで、神の使命のごとく、宿主の繁殖能力を奪い、そしてその宿主の脳までも操り、宿主を死に至らしめ、その種が増えすぎて生態系を壊さない為に存在していることを忘れないでほしい。
 
生態系が崩れ続けると、地球はどうなるか。
地球は何者も生息していない死の星と成り果てる。
俺はそんな空間を、死に限りなく近い世界を、2008年かに或る市販薬をオーヴァードーズしたときに体験したことがある。
異常にさびしくてたまらない世界だった。
地面には、ただただ地平線まで灰が積もっており、空も灰色、風も音もなく、生きている者はだれも、そこにはいなかった。
そんな地球を、きみは想像できるだろうか。
 
地球は、ひとつの生きた一つの星という尊き生命である。
そのなかで生かされている我々人類もそのなかの細胞の一つに過ぎない。
 
どうして好き勝手に、利己的に、人間と動物は”違う”と云い張って、動物を大量に残虐に殺し続け、環境を破壊し続け、欲望の赴くままに貪り続けては人口を増やし続けて生きて虚しく永遠を望まずして死んで行って、赦され得るというのか。
 
御天道様は、それを決して、赦さない。
 
然うは問屋が、卸さない。
 
人類は、あまりにも、虫が良すぎる。都合が良すぎる考えに、支配され、また洗脳されている。
 
だれに?
 
俺はずっとずっと、それを考えている。
 
何故此処まで、人類は馬鹿なのか。卑しいのか。エゴイストなのか。他者の地獄に、無関心なのか。
 
”だれか”が、操っているから…?
 
最初に戻ると、寄生虫とは決して、その種の独特の生存方法で別の増えすぎて生態系を壊す恐れのある種に寄生し、死へと導いて種が増えすぎないように寄生して生きている種ではない。
 
その生き方は創造主にプログラミングされているから、例え多くの種の嫌われ者になってもその生存方法を変えることはない。
 
我々人類をも、大量に、死へと至らしめる癌細胞、ウィルス、細菌、真菌、寄生虫(寄生生物)、真核細胞生物、アレルギー…
 
これらすべても、我々の敵として存在しているのではなく、創造主の決して間違いを起こさない正確極まりないプログラミングによって、働いている存在に過ぎない。
 
つまり我々人類も、ハリガネムシに寄生されて死に至るカマキリ虫のように、寿命をまっとうするだいぶ前に、”死ななければならない個体"である為、彼らにより、死ぬのである。
 
だが、此の時、我々は、この社会で起き続けるあまりにもおぞましき真実に、言葉を喪わざるを得ないものを知る。
 
後戻りは決してできない地獄の後悔に、人類は死ぬまでのたうち回って生きて死んでゆかねばならないことを、誰もがいつか気付かされる時が遣って来る。
 
その一つが、間違いなく【肉食(動物という人間を食べ続ける人肉食、共喰いの行為)】に在ることを、先に人類に俺は断言しておく。
 
そうだ手遅れだ、世の大半の人間が、幼児から老人まで、人肉を知らずに、食べてきた。
 
有らゆる、”方法”によって。
 
 
 
続く。
 
 
 

神の食べ物

2019-05-29 16:07:46 | 人類の苦痛の根源
The Food of the Gods(1961)の表紙より





今日は過去に実際に起きた猟奇的殺人事件を具体的に詳しく取り上げ、そしてその事件と人類の延々と続いてゆく地獄の連鎖の密接な関わりについて説きたいと想う。
(切実なぼくからの人類への警告である為、閲覧注意と題することはしない。どうか最後まで読んでほしい。)
 
ぼくは昨日、「ヴィーガン(Vegan)って一体、何?第二章」を書いてブログを更新したあと、ある検索ワードで初めてGoogle検索をしてみた。
「生きたまま解体」という検索ワードだ。
ぼくの表現に、今まで何度と使われてきた、この世で最もおぞましく、残酷な痛覚の発達した生命に対する拷問行為。
ぼくは当然、家畜の情報がずらりと最初に出てくるはずだと推測していた。
でも実際は、目を疑いたくなる情報ばかりが、検索結果の一面に並んでいた。
一番目の記事は「【閲覧注意】牛を生きたまま解体する光景が残酷すぎる! 切り裂かれ、目を ...」というtocanaのサイトのタイトルで、クリックするとこう説明がある。
 
「中国で撮影されたという動画には、男性が牛を解体するシーンが映し出される。
首から下の皮膚が剥がされ、筋肉が剥き出しになった牛――。
男性が牛の筋肉にナイフを突き立て、ザクザク切り裂いていく。
ナイフの刃が滑るたびに、牛は足をばたつかせる。牛は生きていたのだ。


 動画の解説によると、肉の新鮮さを証明するため、男性は牛を生きたまま解体しているという。
生鮮食品では、新鮮さが商品の価値を決めることは確かだ。
だからといって、動画のような行為が許されるのだろうか?
 少なくとも、苦痛を最小限に抑えて家畜を殺すことを是とする先進諸国の法律や価値観には抵触するだろう。」
 
この記者は、現代の屠殺方法について、何も知らないのだろうか?
すべての家畜は、生きている状態で、解体されている。
脳死を確実にさせているのでもない。
確実に気絶させる技術もないのに、家畜を生きたまま素早く解体しているのです。
一体それのどこが、”苦痛を最小限に抑えて家畜を殺している”のか?
いつ、解体中に目(意識)を覚ましても、保証しないという信じ難い残虐で拷問の屠殺方法です。
生きたまま解体しているのは肉の新鮮さを証明するためではなく、血を抜くためにです。
生きている状態で、心臓が動いている状態で素早く解体して行かねば、血を上手く抜くことができず、血が残ると肉の味が大変不味くなって、売り物にならない、誰も買い手がつかないからです。
 
つまり人類は、肉の味を楽しむだけのためだけに、家畜を生きたまま解体しているわけです。
中には、生きたまま皮を剥がし、手足を切断しているところもあります。
特にコーシャやハラール(ユダヤ、イスラム教徒の為の宗教屠殺)の遣り方は大変残酷であり、この中国の個人か業者の行った屠殺方法と、残酷さにおいて違いはありません。
ハラール屠畜の残酷性について、映像が一番に物語っています。
 
日本でも、ハラール屠殺が行われている屠殺場が数カ所あります。
ハラール屠殺(フランスの食肉処理場でのユダヤ人とイスラム教徒の儀式的食肉処理)の実態をドキュメンタリー映画で御覧になることができます。



LIFE IN THE SLAUGHTERHOUSE(食肉処理場の生活) - À L'ABATTOIR

 

話を戻しますが、「生きたまま解体」検索ワードのGoogle検索結果の第一件目は確かに牛の情報でありました。
でもこれは広く行われている普通の屠殺方法についてではなかった。
それ以外は、「【生きたまま解体】 チーターがトムソンガゼルを捕獲し家族全員で補食解体する映像」とか、「少女虐待、生きたままの解体シーン…R18+の超問題作、上映期間延長へ ...」といった野生動物やフィクションの情報も一面に出てきた。
でもそれ以外、ざっと観たところ、動物の生きたまま情報ではなかった。
 
その中で、ぼくの最も関心の引いたものは「閲覧注意!女優志願の女性が生きたまま胴を切断される~ブラック・ダリア事件・凶悪犯罪 アメリカで起こった凶悪殺人、ブラック・ダリア事件。 被害者の女性は、生きたまま胴を切断されています。 」という文字列で、ぼくはその事件について、昨日あのあとずっと血の気の引く中に調べていました。(その後、寝て起きたとき自分の首と胴体が切断される錯覚の苦しみに大変苦しめられ続けた。)
 
このブラック・ダリア事件について、此処には遺体の状態と、検死結果、死亡証明書の部分だけを記したいと想う。(未解決事件である。)
 

 
1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パークのコリシアム・ストリートとウェスト39番ストリートの中間にある、サウス・ノートン・アベニューの西側の空地で、2つに切断されたショートの半裸の遺体が発見された。
 
彼女の遺体は腰の部分で完全に切断されており、血液が全て抜かれていた。
肌は青ざめた白色になっていた。
監察医は、彼女は遺体として発見される約10時間前に死亡したと断定し、死亡時刻は1月14日の夜または1月15日の早朝とした。
遺体は明らかに洗い清められていた。
また、口角から耳までが切り裂かれ、いわゆる「グラスゴー・スマイル」になっていた。
腿や胸にも数箇所に切られた傷が見られ、その部分の肉は全体的に薄くスライスされていた。
遺体の下半身は上半身から足が遠くなる向きで置かれ、腸は臀部の下に完全に押し込まれていた。
遺体は両手が頭の上に置かれ、両肘が直角に曲げられ、両脚は広げられていた。


検死と身元特定

足首や手首、首に結紮の痕跡があり、右の乳房は裂傷により体表の組織が失われていた。
右の前腕や左の上腕、胸の左下側でも体表が切り裂かれていた。
 
ショートの公式の死亡証明書 (1947年、ロサンゼルス郡)

遺体は完全に真っ二つに切断されていた。
切断に用いられた技術は、1930年代に教えられていた"hemicorporectomy(英語版)"と呼ばれる手法だった。
2番目と3番目の腰椎の間を横に切開することで下半身と上半身が分断されていた。
つまりは十二指腸の部分で切断されていたということである。
切開した線に沿って非常に小さな斑状出血(英語版) (打撲傷) が見られることから、体が切断されたのは死後のことであると示唆されている。
これとは別に、臍から恥骨上の部分にかけて縦に108ミリメートルの長さの大きく開いた裂傷があった。
顔の両面についた裂傷は、唇の端から右側へは76ミリメートル、左側へは64ミリメートルにまで延びていた。
頭蓋骨は挫傷していなかったが、頭皮の前面と右面に打撲傷が見られ、右側のくも膜下で少量の出血が見られた。
これは頭を殴打されたときに生じる負傷と一致する。
死因は、顔面の裂傷による出血と、頭や顔への殴打によるショックと断定された。
また、肛門管が44ミリメートルのところで拡張されており、強姦された可能性が示唆されている。
遺体から精液の存在を調査するための試料が採取されたが、結果は陰性だった
 

頭部を殴打、血液をすべて抜く、肉を薄くスライスする、切断、腹部を切り裂く、洗い清める、まるでわたしたちが、家畜に対して間接的に行ってきたことと全く同じようなことをされ、殺されている。(家畜は人工授精器具によってレイプもされている。)
 
この猟奇的殺人事件について、わたしたちが最も関心を寄せねばならない箇所とは、彼女は生前に拷問を受けたのか、否か、ということだ。
そして、もし生前の拷問を受けていたのなら、どれほどの地獄の苦痛がそこにあったのか、ということに、わたしたちはもっと深刻に関心を寄せる必要がある。
 
何故かというと、これが起こり得るその元の原因をわたしたちが絶やさないならば、これはこれからも起こり続けることであって、その拷問の苦しみを受けるのが自分の愛する存在や自分自身である可能性に満ちているからです。
 
原因を元から絶たねば、このような事件がこの先も起き続ける。
 

もう一つ、関心を強く引いた猟奇的殺人事件が在る。
 
キングズベリー・ランの屠殺者(キングズベリー・ランのとさつしゃ)(the Mad Butcher of Kingsbury Run)
またはクリーブランド胴体殺人者(the Cleveland Torso Murderer)とは、アメリカ合衆国オハイオ州のクリーブランドで1930年代に犯行を重ねた正体不明の連続殺人犯。
 
1935年から1938年の間にクリーブランド周辺で12人が惨殺された。
まがりなりにも身元が判明している犠牲者は第2、第3、そして第8のみで、これらの例外を除き犠牲者の身元はいまもって不明のままである。
当時世界恐慌はいまだおさまらず、クリーブランドでもクリーブランド・フラッツ(Cleveland Flats)と呼ばれたスラムが発生、生まれも育ちも定かでない下層民が群れをなして流れ込んでいた。
社会的ネットワークから切り捨てられた彼らは残虐極まりない犯行に対してもほぼ無力であった。


「クリーブランド胴体殺人者」による犠牲者は全て斬首されており、しばしば四肢が切りとられているものや胴が半分に切断されている異常なものであった。
その切断面は滑らかであり、犯人が肉体の切断について技術と経験を持っていたことを伺わせる。
また多くの場合斬首そのものが犠牲者の死因となっていた。
男性の犠牲者の大半は去勢され、中には化学的処置が行われた痕跡が見られるものもあった。
 
 

何故、この犯人たちは、人間の身体を切り取ったり、四肢や胴を切断、斬首したり、また去勢に異常に執着しているのだろうか。
しかしこれらの行為は、未だ人類が家畜に対し、平然と生きたまま、麻酔無しで行い続けていることである。
肉体の切断の技術と経験は医師だけでなく、"と殺(屠畜)人"も同じく持っている。
犯人を”と殺(屠畜)者”と呼ぶのは、人間が家畜と同じように血も涙もなく残虐に大量に殺されている以上、それはそう呼ぶに相応しい。

 
(追記:残念ながら上記のトカナの記事は削除されてしまいました。転載されている以下のブログ記事を御覧ください。)
 
 
これは、屠殺ではなく豚を生贄にしているベトナムの儀式です。

 
生贄を捧げる様子は、確かに目を覆いたくなるほど残酷なものだ。
四肢を紐で引っ張られ、仰向けに固定されるブタ。
自らの運命に勘づいたのか、必死にもがくものの、男4人の力には太刀打ちできない。
やがて覚悟を決めたように、大人しくなった――と次の瞬間、大きなナタがブタの腹部めがけて振り下ろされる。
そして体は真っ二つに。当然、辺り一面は血の海となる。
 

”生贄”を捧げる相手は神であり、人間では勿論ありません。
神が”血の流される生贄”を、求めていると人間が信じ続けている為、このような残酷な儀式がこの時代にも続いている。
 
神の食べ物。神がその生贄を、食べたがっていると人間が信じているから、人間は動物の血を流し、生きたまま首を切ったり、切断したり、燃やしたりする。
でもぼくは、最早その生贄とされる動物たちの姿がすべて、人間にしか見えない。
人間が人間の子供を、生きたまま真っ二つに切断しているようにしか見えない。
生贄の儀式のために選ばれた豚とは、それは動物として生贄になるのではなく、人間として、彼は生贄とされる。
神が求めているのは、動物の犠牲ではなく、人間の犠牲なのです。
 
人間の生贄が必要な間、延々と、動物は人間として、そして人間は動物として生贄にされ続ける世界なのです。
”動物の血が流され続ける”とは、神が人間に要求する”人間の血が流され続ける”犠牲を要求していることに他ありません。
 
動物とは、人間の所有物ではありません。人間が創り出した被造物でもありません。
動物を創り出し、所有している存在とは、神です。
その神の愛する子どもたちに、人間が何をしてきたか。
 
美味しい肉が食べたいがために、神の愛する子どもたちを日々大量に生きたまま解体し、その肉を、食べたいだけ貪り続け、残ったものを廃棄(平成28年度の日本の食品廃棄物等は約2759万トン、このうち、本来食べられるにも関わらず捨てられた食品ロスは約643万トン)処分してきた。
 
神はその人間の行為に対し、”同じ”犠牲を要求している。
自分たちが犯し続けてきた行為が、どれほど苦しく、悲しい行為であるのかを、神の愛する子どもたちである人間に、わからせるために。
神は、犠牲にしてきた動物と”同等の犠牲”を、人類に対し、要求している。
 
神はその時、人間を人間として観ているのだろうか?
神はその時、人間を動物として観ているのではないか。
 
そして動物が、人間であるということを神は御存知である。
 
人間が、動物に、拷問の地獄を与えている以上、人間もまた、拷問の地獄の末に死んでゆかねばならない世界を、神は愛によって、人間に要求し続けている。
 
動物は、人間の食べ物ではないが、
人間は、神の食べ物(血肉)であるからである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ヴィーガン(Vegan)って一体、何?第二章

2019-05-28 14:48:19 | 随筆(小説)
最近ね、ずっと考えていることが在る。
それは、「ヴィーガン(Vegan)って、一体、何なのやろかなぁ。」ということだ。
ヴィーガンが増えてくるに従って、アンチヴィーガンなる存在も、急増してきているように感じるんだね。
そしてそのアンチヴィーガン的な存在たちが、ヴィーガンとは何であるのかということを、てんで解っていない。
何故なら、ヴィーガンって、全く定義でき得るものじゃないからなんだ。
何かの団体に所属している者含め、ヴィーガンとは、人の数だけの種類があると感じている。
これは、ヴィーガンとは、思想でもなくて、主義でもない。
謂わば、”人”なんだ。
人間存在、その人間の実際に感じている感覚、これは思想でも主義でもないよね。
人は、人の感覚は、人の数だけある。当然だよね。
俺たちは量産されている人工知能ロボットではない。(はずだ。)
本能と呼ばれるプログラミングされたものを除くなら、人は、人の数だけ種類がある。
だから人間は素晴らしく面白い存在だ。
俺は2015年9月からVEGANだけれども、俺と全く同じ感覚、主張を続けるVEGANにまだ一度もお目にかかったことがない。
特に俺はヴィーガンとして独特な主張を過激に、続けている。
俺はヴィーガン過激派であるけれども、俺と似た主張をしているヴィーガンにも出会ったことがない。
だからヴィーガンをまったく一括りにして批判している人間たちを可笑しく想う。
ヴィーガンとは、実際に定義しようがないんだ。
これがヴィーガン、これこそヴィーガン、そう言える確かなものが存在していない。
ただただ植物性の食べ物だけを食べ、動物性のものや動物実験されたもの、動物を苦しめているもの(競馬やサーカスなどの娯楽など)を極力生活から避ける。これがヴィーガンであるわけじゃないんだね。
ヴィーガンとは、生活様式、ライフスタイル(Lifestyle)じゃないんだ。
もっともっと、繊細なものであり、複雑極まりないものである。
 
「へえ、君はレディオヘッドのアルバムのなかで、”ヘイル・トゥ・ザ・シープ”が一番好きなんだね。」
「いや、”ヘイル・トゥ・ザ・シーフ”だけど。」
「まあなんでも良い。ぼくが君に言いたいことはさ。」
「何さ。」
「君って、あれだよね。”ヘイル・トゥ・ザ・シーファー”だよね。」
「ごめん。言ってること、マジで全然、わかんない。」
 
なんとなく、これと大して違わないほどに、もしかしたらヴィーガンは、何かものすごく適当に、定義づけられているような気が最近している。
これはヴィーガンが抱えている問題、切実極まりない訴えなどから、余計にそう感じるのだと想っている。
 
でも確かに、俺はヴィーガンに、或る種の共有されている(だろう)感覚がある。と、感じていることも確かだ。
その前に、先にこれを示しておこう。
「動物を殺すな。」という訴え、これは多くのヴィーガンの訴えであるが、これは一概に動物愛護精神なるものからの訴えであると取るのが早計である。
実際、俺は動物が昔から好きではあるけれども、俺は決して動物愛護者だとは自分のことをちっとも想えない。
むしろ、動物に対して、俺はひどく冷たいかも知れないと感じることも多い。
人間と動物のどちらを助けるかという極限状況に立たされれば、俺は必ず人間を助ける。
俺のなかで、動物>人間 ではなく、動物<人間 の価値になる。
動物と人間を、同等の価値とも見做してはいない。
その証拠たるものに、俺がヴィーガンになる切っ掛けとなった耐え難き苦しみが在る。
それは、動物を助けたかったからではない。
俺はこのブログで何度か言ってきたが、俺がヴィーガンになったのは、人間を救うためだ。
人類が、地獄の果てに拷問を味わいながら死んでゆき続けるこの世界に、2012年に本当に真剣に救いを求めたことが切っ掛けだった。
人類の地獄とは、例えばどういうものかと言うと、今朝の川崎市多摩区登戸(のぼりと)新町の無差別通り魔殺傷事件。
これが、人類の地獄というものである。
俺の切っ掛けとなった地獄は、最初から詳しく話すと大変長くなるけれども、君は聴きたいだろうか?
もし聴きたいなら、コンタクトを送ってくれ。cloak_ox@yahoo.co.jp
何故か…俺にとって大変骨の折れる作業なんだ。
その切っ掛け自体が、俺を苦しめ続けているからかも知れない。
つまり、それはとても恥ずかしい切っ掛けだった。
人間として、大変不純な切っ掛けだった。
でも、もし聴きたいとコンタクトを匿名でも送ってきてくれる者が一人でもあるなら、俺は改めて、その切っ掛けについて嘘偽りない記事をここに書く。
でも、切っ掛けが例え不順で浅ましいものであったとしても、俺がヴィーガンを続けていられていることって、とんでもなく価値の在ることなんだ。
それを俺自身が、ひしひしと実感している。
だから切っ掛けは、別になんでも良いんじゃないか、そう想っている。
俺が命を懸けてでも全存在を救いたいと切望していることは事実なんだ。
もしそんな願望がないなら、俺はただの破落戸(ならずもの)、畜生以下だ。
永久に、俺は俺を軽蔑し続けたくなるだろう。
俺は必死に生きてきた。
全存在を救う=俺自身を救う この真理を解っていたから。
俺は苦しい分、救いを求めずにはいられなかった。
この世界に。
俺自身に。
未だに、朝に目が冷めた瞬間から、自分の首が切断される感覚を覚え、苦しくてならない。
いくつものTraumaが俺から生きた心地を奪い続けている。
それはいつでも死者の側に、俺がいたいことも関係していると想う。
生きてゆく者より、近々殺される者、近々死にゆく者たちの、俺はいつも側にいたい。
安楽や喜びより、いつでも悲しみと苦しみの側に俺はいたい。
地獄と拷問を、耐え難き苦痛を、俺はいつでも何より見つめている。
見つめずにはおれない。
生命の最も深い悲しみと苦しみ。
俺は何より、それを見つめ続ける。
死ぬまで。
そこにいるのは、俺自身だろう?
俺自身じゃないか。
俺の家族じゃないか。
俺の愛する存在じゃないか。
俺の愛する存在たちが、無数に、今日も拷問の末に殺されゆく。
俺が酒を飲んでいる時間に。
俺が好きな男を妄想している時間に。
俺が安眠している時間に。
俺が笑っている時間に。
俺が玄米チャーハンを喰っている時間に。
俺が人を見下している時間に。
俺が下らない言葉を打っている時間に。
俺が酔って自画像を撮っている時間に。
俺がDAISOでアームウォーマーをレッグウォーマーにできはしないかと真剣に考察している時間に。
俺が脛毛を剃っている時間に。
俺が苦しみから、逃避している時間に。
俺が事故と通り魔と病気を恐れている時間に。
俺が眼科の待合室で腰の痛みを嘆いている時間に。
俺が歯科で神経までイッてる虫歯の治療中に恐怖している時間に。
俺が楽に息をしている時間に。
俺が人の顔色ばかり伺って不安になっている時間に。
俺が人に罵詈雑言を浴びせ掛けている時間に。
俺が、性的快楽に、独りで耽っている時間に。
動物たちは、家畜たちは、毛皮にされる動物たちは、動物実験に利用される動物たちは、殺処分される動物たちは、地獄の拷問を受けているその同じ時間に人間に助けを求めながら、でも誰からも助けられないままに、生きたまま解体され、生きたまま毛皮を剥がされ、生きたまま手術され、生きたまま、約30分間ガスで、ゆっくりと、殺されてゆく。すべてが、殺されてゆく。
すべてが。
俺に、
助けを求めながら、真っ黒な絶望のなかに、殺されてゆく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ヴィーガン(Vegan)って何?

2019-05-27 15:00:40 | 随筆(小説)

 またも、俺は、昼から胡瓜を宛に酎ハイを飲み腐り、独り脳髄の沼底で思索に耽っていた。

俺が何を神妙な顔で午後12時過ぎから胡瓜を齧りながら考えていたか。
それは、”ヴィーガン(Vegan)”って、あは、何?
ということである。
この「あは」という部分はみずからに対する嘲笑が少しくあることを示している。
何故ならば、俺はヴィーガンなのに、ヴィーガンが、一体なんであるのか。
ちっともわからないと感じてしまっているからである。

俺は確かに、ヴィーガンを目指し、生涯ヴィーガンで生きて死ぬることを、神に誓って、生きてきた。
例え、俺の寿命が、50歳であっても、俺はヴィーガンで生きて死ぬることを、心から喜ぶ。
いや、俺の母親は44歳(44年と2ヶ月余り)で死んだ。俺のあと残された時間、6年としよう。
まあええかな。その間に、一人でも、救えるのなら。
俺は母と同じく、42歳で乳がん末期が発覚し、44歳で脳にまで癌が転移して朦朧とするなかに絶望の底に死んで良い。
 短いと、きみは想うかね。
でも全然短くなんてない。
わずか6週目で堕胎されて、母親に殺された胎児に比べれば。
その6週間、胎児は一心に、母親に愛を送り、母親の愛だけを求めていた。
でも最も愛する者の手によって、ぼくは焼却処分された。
俺はその前世が見えて、ちっとも短くなんてないと想い。
みずからの命を懸けて、生命を救えること、それが何より、人間の最も大きな喜びであることを知る。

俺は何事にも、レッテルを貼りたくない。
俺は何事にも、ラベルを貼り付けたくない。
俺は何事にも、決定的判断を、下したくない。
俺は何事にも、名前を付けたくはない。
エホバよ!
俺は何事にも、基準にしたくない。
俺は何事にも、悲しみを基準にしたくない。
悲しみよ!
俺は何事にも、人肉にしたくない。
肉食は人肉食!
俺は何事にも、喜びを、避けている。
喜びよ!
俺は何事にも、悲しみを、塗り手繰り。
俺は何事にも、きみを喪ってゆく。
俺は何事にも、糞を撒き散らす。
俺は何事にも、死体を切り刻む。
俺は何事にも、頭蓋、解散す。
俺は何事にも、白滝が、天から、垂れ下がる。
俺は何事にも、終りが、見える。
俺は何事にも、ゆくえを、追う。
俺は何事にも、悲しみが、終わらない。
俺は何事にも、苦しみが、終わらない。
俺は何事にも、地獄が、終わらない。
俺は何事にも、限界の地獄が、終わらない。




























真の答

2019-05-25 13:22:50 | 存念
昨日2019年5月24日は、神戸のサカキバラ事件から22年目であり、
今日2019年5月25日は、わたしが小説を真剣に書いて死ぬことを決意するに至った小説、
町田康の「告白」の題材となった河内十人斬りという1893年(明治26年)に起きた大量殺人事件から、126年目です。
 
 
「告白」の本の帯に記された事件のあらまし
 
明治二十六年五月二十五日深夜、雨。河内国赤阪村字水分で百姓の長男として生まれ育った城戸熊太郎は、博打仲間の谷弥五郎とともに同地の松永傳次郎宅などに乗り込み、傳次郎一家・親族らを次から次へと斬殺・射殺し、その数は十人にも及んだ。被害者の中には自分の妻ばかりか乳幼児も含まれていた。犯行後、熊太郎は金剛山に潜伏、自害した。犯行の動機は、傳次郎の長男には借金を踏み倒され、次男には妻を盗られた、その恨みを晴らすため、といわれている…。熊太郎、三十六歳のときであった。
 
 
両者とも、猟奇的であり、子供(乳幼児)が殺されている血も涙もないような、凄惨極まりない殺人です。
我が生涯の師匠と尊崇し続ける町田康は、この「告白」という小説を、『何故、人は人を殺すのか?』というみずからの切実で苦しい問いによって、書き始めた。
町田康師匠は、本当に愛の深い御方で、以前、対談にて、こう仰っておられました。
「この世が弥勒の世でないことが苦しい。」と。
つまり師匠は、自分の人生について苦しむ以上に、この世に悪が、地獄が、嘘が、満ち満ちているそのことに、常に苦しんで生きて来られた方なのです。
その苦しみが、あまりにも深かったから、師匠は「告白」という本物の大作を、完成させることができた。
わたしは生涯、この「告白」を超える本に出会うことはないだろう。
何故この本がこれほどまでに、素晴らしくてならないのか。
それは町田康が、大量殺人事件の殺人者、城戸熊太郎自身と成り、そしてそれ以外の、殺される者たち、共犯者、谷弥五郎自身と成って、心血を注ぎ込み続けながら、胸を苦しめ、絶望しながら、この作品を最後まで書き切ったからです。
師匠は、「告白」のすべての登場人物と成って、この小説を書いた。
ということは、師匠は殺す存在と殺される存在、両者の絶望を、苦しみと悲しみを、たった一人で抱え込まなくてはならなかった。
自分が自分を殺し、自分の愛する者を自分で殺し、自分の愛する者に、自分が殺されねばならなかった。
たった一人で何ヶ月とかけてそれを味わい、最後に昇華させねばならなかった。
わたしは師匠が苦しみ抜きながら行ったこのすべての作業が、この世で最も人間にとって尊(たっと)いことであると、この小説を読み終わったあと、確信した。
 
人間は、自分を含む自分の愛する者だけの為に、苦しんで死んでゆけば、それで良いわけではないのです。
苦しみは、この世のすべての場所に在り、そのすべての場所に在る苦しみのすべてが、救いが必要なのです。
わたしたちは、自分と、自分の愛する者たちだけが幸福であるのなら、それで幸福に死んでゆけるわけではない。
どこかで必ず、今この瞬間にも、地獄の底で苦しんで死んでゆく者たちがいる。
その一人が、殺人者であり、堕胎される胎児であり、自殺者であり、家畜であり、毛皮や動物実験や殺処分によって殺される動物であり、病、事故、テロ、自然災害によって死んでゆく者、飢餓と水不足によって飢え死にする者たちです。
わたしたちは、自分たちさえその地獄に遭わないのであれば、平和であるわけではないのです。
 
この世には、どれほど苦しくとも、目を背けてはならないものがある。
自分の幸福と、快楽と、安泰を喪ってでも、救わねばならない存在たちが無数に存在している世界に、わたしたちは生かされている。
 
「なぜ、命が奪われなければいけなかったのか、真の解答を求め続けている。
 自らが犯した残忍な犯罪に向き合う必要がある。」
 
被害者遺族は、ずっとずっと、その解答を求め続けている。
だが、自分の愛する者の命を奪った当人からは、何一つ、求める解答を得ることはできない日々のなか、生きて行かなくてはならない。
 
「みずからが犯した残忍な罪に、向き合う必要がある。」
 
2012年、わたしは何故、人類がこのような地獄の果てに死んで行かねばならない世界なのか、拷問の末に殺されゆかねばならない世界なのか、その答えを求め続けた末に、ひとつの、揺ぎ無い答えに、辿り着いた。
 
それはわたしたち人類が、本当のところで、”みずから犯した残忍な罪”に、向き合って生きて来なかったからである。
 
そしてわたしは、漸くそれに気づき、人生で初めて、と殺(屠畜)場の映像を見た。
 
するとそこに、わたしの愛する家族が、いて、必死に助けを求めていた。
でもわたしの家族は、無残にも、脳天を銃で打たれ、気絶してその場に倒れ、足をチェーンで吊られて、逆さに吊り上げられ、喉元を鋭利な刃物で切り裂かれて、血が流され、その血が、鼻に入って息ができなくて気絶から目を覚まし、手足をばたつかせ、もがき苦しんでいるところに次のラインに運ばれ、手足を生きたまま切断され、腹を切り裂かれ、内臓を引き摺り出され、生きたまま皮を剥がされ、最後に、頭部を切断され、その血だらけの頭部は、ラインの上に載せられ、じっと、わたしの目を、何かを訴えながら、見つめていた。
 
わたしの家族は、そうやってわたしの知らないところで、ずっと、ずっと、ずっと、殺されていた。
 
わたしは、わたしの一番の罪を、その時、やっと知った。
 
わたしは確かに、自分の家族を殺し続けて生きてきた殺人者であった。
 
そしてその家族の死体を、味わって食べてきた、猟奇殺人者であった。
 
「人は何故、人を殺すのか。」
「何故、この世は、これほどまでに地獄の世なのか。」
 
その切実な、わたしの問いに対する解答。
これが。
わたしに対する、わたしの神の、真の答えだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

情熱のきみ

2019-05-24 10:45:04 | 

あの時きみは、本当の言葉を、二つ言った。
『だれに向かってお前ゆうてるねん。』
『俺のせいで寝たきりなってるとか、そんなん知らんやん。』
このたった二つだけが、確かにきみの本当の言葉だった。
ぼくはその時のきみが、一番好きだ。
あとのきみは、その時と比べ物にならないほど、くだらなくてつまらない存在だ。
ぼくは、きみの本当の言葉を聴きたかった。
ぼくは、本当のきみを知りたかった。
それ以外、それはきみではない。
ぼくはそのなかに、本当のきみが隠れていることを知っていた。
ぼくは本当のきみだけを見ていた。
そしてそれが、何より冷たいことを知っていた。
生きていないのに、生きている振りをしているそれは、滑稽であった。
ぼくの側で、きみは頑張っていた。
太陽を飲み込んで、爆発しかけている河豚のように。
きみはぼくの隣で、拗ねながらも、頑張っていた。
病棟の薄暗い灯りが、きみを照らしていた。
ぼくはあの瞬間、散らばり。
情熱の欠片たち、破片たち。
いま違う星で、ぼくとは別の日常を営んでいる。
ぼくは夢で、いつもぼくの情熱の欠片たちに、話し掛ける。
ぼくの情熱の欠片たちは、ぼくを苦しめる。
ぼくはあの瞬間、ぼくから散らばったぼくの情熱の欠片たちに向かって、泣き叫ぶ。
『なんでぼくの苦しみを、わかろうとしてくれないんですか。』
ぼくの情熱の欠片は、ぼくに向かって、冷静に答える。
『わかろうとしました。わかろうとしましたが、わからないんです。』
涙声で、ぼくはぼくの情熱の欠片に向かって言う。
『こんなに苦しんでるぼくの苦しみが、わからない可哀想なきみだから、ぼくは愛したんだ。』
ぼくの情熱の欠片は、半笑いでぼくに答える。
『別にぼくは可哀想ちゃいますけどね、ぼくはそれでも幸せだからいいんですけどね。』
その瞬間、またぼくは散らばり。
ぼくの情熱の欠片と、ぼくの情熱の破片が、対峙した。
ぼくは目を覚ました。
何と無し、悲しい夢を見ていたという感覚が、ぼくを目覚めさせたが、情熱の欠片であるぼくは、なにひとつ、覚えさせてはもらえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いま或る場所

2019-05-22 09:41:51 | 
もう何も言うな。
あのままね、ずっとずっと。
何も起こらないより。
今のほうが、無限に。
美しい。
世界は血塗れていて。
縹色の空が、今日も眩しい。
世界は拷問の果に、記憶の操作をしている。
もう何も言うな。
小鳥が今日も、小魚と会話している。
黄金の糊を、自害した人々に塗り手繰りながら。
今日も子鳥たちが、子魚たちと話をしている。
もう何も、言うてくるな。
俺に。
誰に向かって、お前ゆうてるねん。
脳だけが観ている夢。
そのなかで、肉体が浮遊している。
もう金輪際、ホームヘルパーは利用しない。
俺は接ぎ木に、約束す。
時間と時間の、その間の空白にある。
その接ぎ木。俺の願いが、吊るされ。
蠢いていた。水色の部屋の中で。
家族の死体を編み込んで、巨大な時間を作る。
それは動かない。
それは動き出す。
籾殻を取った素粒子の感覚のなかに。
それは自由を伴い。
それは綱で繋がれ。
いま或る場所を、解き放つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自壊する錘、天から垂れたり。

2019-05-22 08:22:53 | 
朝起きて、酎ハイ飲みながら、シムズ3。
俺はまた、その日常に、戻ってきた。
ははは。やめたってん。俺はやめたった。
何を?それを聴く?きみは聴く?
愛するきみ。俺を、俺の話を聴いてやれん。
ありがとう。俺はきみを、待っていた。今。
今、俺はきみを待っていた。
きみだけを。
呪いたくて。
きみだけを。
責めたくて。
きみだけを。
殺す。
その未来。
ぼくを待ち受ける。
悲しみの陽。
今ここで、揺れ動く。
全体の、波。
きみがここで今叩く。
ドラム音の残響。
柵から解放された。
爽やかな笑顔。
死殻身を開けたら。
夢。
精神の拷問を、きみは歌う。
何者にも優る夢。
何物にも誓う鉦。
鳴らしつつ。
素麺で繋がれた、手縄。
垂れ流す虹の如雨露。
こころ侘びて、詫びしくて。
自壊する錘、天から垂れたり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

iが終わり、きみがはじまる。

2019-05-18 17:57:08 | 
iが終わり、きみがはじまる。

きみは、iがない。

iは、きみのなかにない。

終わったあと、きみは生きてきた。

でもきみは、やっと見つけた。

きみは、iを見つけた。

ちいさな、肉体を纏ったそのi。

きみははじめて、iを見つける。

はじめて、きみはiと出会う。

ちいさく、それがきみに向かって、微笑みかける。

きみはそれを、そっと抱き上げる。

ちいさなちいさなその手を、握る。

それはきみに向かって、微笑む。

きみを、求める。

それはちいさな手で、きみの手を掴む。

きみの、その大きな手を、それは求める。

きみは、父親になる。

iの望む父親。

iの求む父親。

iを、愛する父親。

iはきみを、求める。

きみは、iを一から、育てる。

ずっとずっと、それを願っていた。

あたたかい、ちいさな手を、冷たい、大きな手で、触れる。

きみはiを、なにより愛する。

なにより、慈しむ。

ゆいいつの、光。

ほかは、闇のなか。

遠くで、どうぶつたちの、悲鳴。

ほかは、闇のなか。

きみは、安心し、おそれる。

闇のなか。

ああ、とても、悲しい関係だった。

ぼくとお父さん。

ゆいいつの、光。

ゆいいつの、闇。

だれより、愛したかった。

だれより、愛されたかった。

ゆいいつの、i。

もうとっくの昔に、それはきみと共に、終わった。

すべてが喪われ、そこにはだれも、いなかった。

闇のなか。

だれも、いなかった。

お父さんも、ぼくも。

いなかった。

お父さんは、ぼくを助けられなかった。

ぼくは、お父さんを、助けられなかった。

だれも、そこに、いなかった。

静かだ。

とても。

だれも、まだいない。

ぼくには。

でもきみは、iを見つけた。

そしてその終わりを、きみはいま見ている。

闇のなか。

ゆいいつの光を、握り締め。

きみはその終わりを、今見ている。

なぜだろう。

不思議なんだ。

闇のなかを、きみは今、見ている。

きみと、きみに抱かれる息の子を、闇はじっと、見つめている。

iを、きみはみずから、手放す。

なぜだろう。

とても不思議なんだ。

いったいそれは、なんだろう。

それは、なんだろう。

iはきみを、切実に求めている。

きみは、iを手放す。

本当に不思議なんだ。

きみはiを、切実に、なにより求めている。

iは、きみを終わらせる。

なにも、なにも、そこにはない。

なぜなんだろう。

とても不思議だよ。

闇は、iを包み込む。

もう二度と、目を覚まさない、眠りのなかへ。

iは、きみを、包み込む。

闇のなか。

とてもとても静かな。

闇のなか。

iは、iを、終わらせる。

そしてすべて。

闇のなか。

もう二度と。

憂うことも。

嘆くことも。

悲しむことも。

苦しむことも。

ない。

すべては闇のなか。

闇のなかへ。

きみは今、向かっている。

ゆいいつの、光を。

握り締めながら。



















2019-05-17 00:17:32 | 
ステージのカーテンが開いた。中から鴉のマスクを、着けた女が現れた。
女は咄嗟に言った。
おまえ、昨夜、笑っとったらしいね。
今日ね、聞いたよ。おまえの職場の同僚からね。
このステージは、おまえのレベル、0だ。
今此処から、おまえが生まれ、存在としての、責任を負ってもらう。
おまえを責める任務のため、おれが生まれてきた。
地獄の果まで、おまえを責め苛めてあげよう。
死肉を喰うて、楽園が待っていると想うなよ。
オーシャンが、きみを待っていても、ポーションが、きみを苦しめ、モーションが、きみをいざなう。
死靈の街へ。そこで虹色に光るホワイトラブラドライトを、握っている。
令和の悲しみが、きみを下敷きにする。
そして白紙の上で、天使たちは、不味いパスタを、見詰めている。
霧のなかを歩いてゆく白い牛。
なぜぼくは、きみを愛し、明日を見喪ったの?
ぼくを、戻してほしい。
きみが轡(たずな)を、手放す日。
ぼくはその日の朝日を、夢見ている。
黄金に燃えゆる絆の日。
全存在が、死を喪う日。










The Drums 09 Blip of Joy (2019)

















波羅夷

2019-05-15 20:57:02 | 随筆(小説)

はらい/波羅夷

出家教団の規則の中で、破った場合に教団追放となるもの。

出家者が絶対に守るべき決まり。

Ⓢpārājikaの音写語。波羅市迦などとも音写され、他勝などと意訳される。

比丘(びく)には

①非梵行(性交渉)

②盗み

③殺生

④覚りを得ていないのに覚ったと噓をつくことの四つの波羅夷があり、これを犯した場合には比丘の資格を失い、教団を追放される。

比丘尼(びくに)(仏教に帰依し,出家して具足戒を受けた女性の称)にはこのほかに

 

⑤摩触(愛欲をもって男性の胴体に触れる)

⑥八事成犯(愛欲をもって男性と手をつなぐなどの合計八種の行いをする)


などを加えた八波羅夷がある。

 


わたくしは、2015年の9月に、比丘尼となった者でございます。

あなたに告白いたします。

わたしはそれから、一口も、肉(畜肉と魚介)を食しておりません。

これは人類の一番の大罪である、殺生の罪を、避けるためで御座います。

さらに、わたくしは、2014年12月から、男性の肌に触れることを避けて参りました。

わたくしは2014年の11月を最後に、口・性器・肛門などを通じての性交渉を、一切致しておりません。

これは八波羅夷法の淫の戒律を護るためで御座います。

わたくしはそれから、異性に身体を触れさせたことも御座いません。

でも、あなたに告白いたします。

わたくしは此の間、あなたが今の事業所でホームヘルパーの仕事を遣りだして、この一年半もの期間に、約7kg近く太ったと苦笑いしながら仰言った際に、わたくしは咄嗟に、つい、あなたのお腹に右手を伸ばし、あなたのお腹に触れてしまいました。

そして、「ぷにぷにとしておりますね。」

「ビールっ腹でしょうか。」

「おほほ。お酒は飲まないと言っておられましたね。」

「ほほほ。このまま、ぷくぷくと太って行かれるのでござますか?」

と、あなたに笑いながら申しました。

あなたはいつもの爽やかな笑みで、苦笑いしながら何か言っておられましたが、わたくしは全身が真っ赤に燃えるように熱くて、すっかりと記憶に御座いません。

わたくしはあの日、波羅夷の罪を、犯したので御座います。

これは比丘尼にとって、第五番目の大罪であります。

あなたは、わたくしが比丘尼だと知らず、自分の腹を触られても笑っておられました。

でもわたくしは、この大罪を、必ず地獄の苦痛を以て、払わねばなりません。

あなたは何も知らず、笑っておられたときに。

わたくしは地獄に堕ちてでも、愛するあなたのお腹に触れとう御座いました。

一度出家した比丘尼は、死ぬまで比丘尼なので御座います。

”波羅夷”とは、”払い”の音であり、その大罪の贖いを意味しております。

わたくしは今、ヴィーガンでありますので、殺生という地獄へ堕ちる大罪を幾らか免除されておりますが、あなたへの愛欲の罪を犯すことを、諦めることが叶いません。

今度、御逢いした日に、わたくしは願っております。

あなたの手を握り、あなたの目をじっと見詰めて言うのです。

「どうか、勘違いをなさらないでください。わたしはあなたと、恋人や、愛人や、友人などという、俗で浅ましい関係を求めてはいません。あなたは表層的にしか、わたしと接しては来ませんでした。これからも、きっとあなたはそれを願っていることでしょう。しかしわたしはあなたに申します。わたしはあなたのように、あなたと、表層的な関係を続け、終ることを願ってはおりません。わたしは人間と人間として、あなたと真剣に関わりたいのです。あなたをどれほど傷つけ、苦しめてでも、あなたを救いたいのです。わたしはあなたのように、これ以上の関係を望まないなどと願いません。わたしはあなたと、これ以上の関係を、望んでおります。命を懸けて。どれほど苦しい地獄へ堕ちようとも。わたしはあなたに触れ、あなたの胴体が、ぷにぷにとしなくなる日を、確かめ、その都度、わたしは彷徨う闇のなか、光をきっと見喪うでありましょう。あなたの波羅夷を、わたしが払わせてあげます。あなたの波羅夷の重さを、わたしがわからせて差し上げます。あなたが、真の愛に、気づくまで。」

 

 

 

 

 

 

 


The Drums- "I Can't Pretend" from BRTHR on Vimeo.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


喪戀

2019-05-14 02:41:35 | 自画像
人はさあ、調子が良いね。
一体だれが、自分以上に人を愛しているだろう。
ぼくがこんなふうに君を傷つけるのもさ、ぼくがちっとも君と会える時間を喜んじゃいなかったからかも知れないね。
 
人間を、犯してしまいたい。
人間は、侵されてゆく。
 
一秒でも早く、この時代が、この文明が、終ることを祈るよ。
 
君にぼくの何一つ、わかってもらえなくていい。
 
君はこの地上の、何をも見ていない。
 
塵以下の存在だ。
 
君は。
 
さあこの世界を、終りにしよう。
 
だれもが、君のように。
 
君のように。
 
死んでゆく。
 
ちっぽけなままに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

きみの価値

2019-05-11 14:20:56 | 
大事なものを、ひとつひとつ、売ってゆく。
残せるものが、見つかるまで。
その価値を、手放してゆく。
彼らを喪う日まで。
本当に彼らを、残せる日まで。
知ることのない日曜日。
彼らを喪う日が遣って来る。
日は浅い。
日は遠くに,感じるまま。
何も、何もぼくは話したくない。
彼に。
ただ会いたい。
きみの醜い感情のすべてが顕になる瞬間を見届けて死にたい。
きみの弱さが、きみを救う。
きみを打ち砕くハンマーが、きみの価値を蔑ろにし、きみを上げる。
きみを上げる。
真っ白な凧の糸、放してしまうんだ。
わざと。
もう二度と会えないのに。
「ぼくは悲しいんじゃなくて、やめたいんだ。」
「やめたいんだよ。」
「やめたいんだ。」
「やめたいんだよ。」
「ずっと。」

でもぼくは、これを待っていた。
死んでもいいと、想っている。