またも、俺は、昼から胡瓜を宛に酎ハイを飲み腐り、独り脳髄の沼底で思索に耽っていた。
俺が何を神妙な顔で午後12時過ぎから胡瓜を齧りながら考えていたか。
それは、”ヴィーガン(Vegan)”って、あは、何?
ということである。
この「あは」という部分はみずからに対する嘲笑が少しくあることを示している。
何故ならば、俺はヴィーガンなのに、ヴィーガンが、一体なんであるのか。
ちっともわからないと感じてしまっているからである。
俺は確かに、ヴィーガンを目指し、生涯ヴィーガンで生きて死ぬることを、神に誓って、生きてきた。
例え、俺の寿命が、50歳であっても、俺はヴィーガンで生きて死ぬることを、心から喜ぶ。
いや、俺の母親は44歳(44年と2ヶ月余り)で死んだ。俺のあと残された時間、6年としよう。
まあええかな。その間に、一人でも、救えるのなら。
俺は母と同じく、42歳で乳がん末期が発覚し、44歳で脳にまで癌が転移して朦朧とするなかに絶望の底に死んで良い。
短いと、きみは想うかね。
でも全然短くなんてない。
わずか6週目で堕胎されて、母親に殺された胎児に比べれば。
その6週間、胎児は一心に、母親に愛を送り、母親の愛だけを求めていた。
でも最も愛する者の手によって、ぼくは焼却処分された。
俺はその前世が見えて、ちっとも短くなんてないと想い。
みずからの命を懸けて、生命を救えること、それが何より、人間の最も大きな喜びであることを知る。
俺は何事にも、レッテルを貼りたくない。
俺は何事にも、ラベルを貼り付けたくない。
俺は何事にも、決定的判断を、下したくない。
俺は何事にも、名前を付けたくはない。
エホバよ!
俺は何事にも、基準にしたくない。
俺は何事にも、悲しみを基準にしたくない。
悲しみよ!
俺は何事にも、人肉にしたくない。
肉食は人肉食!
俺は何事にも、喜びを、避けている。
喜びよ!
俺は何事にも、悲しみを、塗り手繰り。
俺は何事にも、きみを喪ってゆく。
俺は何事にも、糞を撒き散らす。
俺は何事にも、死体を切り刻む。
俺は何事にも、頭蓋、解散す。
俺は何事にも、白滝が、天から、垂れ下がる。
俺は何事にも、終りが、見える。
俺は何事にも、ゆくえを、追う。
俺は何事にも、悲しみが、終わらない。
俺は何事にも、苦しみが、終わらない。
俺は何事にも、地獄が、終わらない。
俺は何事にも、限界の地獄が、終わらない。