あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

恐ろしい虐殺によって呪われる

2018-03-25 05:20:07 | スピリチュアル

地上の御花見シーズンにも愛が見られます。

 
それは親切、寛容、施しとなって表現されています。
 
旧交を温め、縁を確認し、離ればなれになった人が一堂に会するということにも、愛が見られます。
 
また、これまでの恨みは忘れようという決意もさせます。
 
しかし残念でならないのは、それに先立って大量の動物が殺害されることです。
 
物言わぬ神の子が、無益な犠牲にされていることです。
 
人間の堕落した享楽ごとが、そうした恐ろしい虐殺によって呪われるとは、何と悲しいことでしょう。
 
なぜ新たなる生命の息吹く春を呪うために、罪のない動物の血が流れねばならないのでしょう。
 
これはまさに地上のはりつけです。
 
罪なき動物に流血の犠牲を強いて春を呪うとは……。
 
いつの日か、愛と哀れみと慈悲と責任が人間を動かし、助けを求める動物たちへの態度を改めるでしょう。
 
そうした資質が発揮されれば、罪のない動物への容赦ない流血と残酷と無益な実験がなくなるでしょう。
 
地上に真実の平和が訪れ、狼と小羊が並んで寝そべるようになるでしょう。












マテリアル

シルバーバーチの霊訓より















人は死ぬ。絶対に死ぬ。何が何でも死ぬ。

2017-02-24 22:23:45 | スピリチュアル
今夜はスピリチュアルな思想を話します。



クリエイションがあなたのことを必要だと思い、あなたが存在しているわけですから、
「私には存在する価値がありません」というのは、クリエイションに対して喧嘩を吹っかけているようなものです。 by バシャール



バシャール「クリエイションが間違いを犯さないのであれば、あなたが存在している理由があるはずです。
クリエイションがあなたのことを必要だと思い、あなたを充分愛しているので、あなたが存在しているわけですから、
「私には存在する価値がありません」というのは、クリエイションに対して喧嘩を吹っかけているようなものです。」




”クリエイション”とは、いわゆる”あなたを創造した存在”である”創造主”の存在のことですね。
バシャールはこういった厳しい言葉も言う存在なのでぼかぁ好きだな。
わたしが肉食を止めるきっかけになったシルバーバーチと言う存在もとても厳しい言葉を言う存在でした。
バシャールはダリル・アンカという人にチャネリング(交信)を行ない続けて我々人間たちにメッセージをエササニ星という星から届けてくれている存在です。
彼のメッセージは彼の住んでいる星の住人たちの善なるメッセージであり、その代表としてバシャールが地球人にコンタクトを送り続けてくれています。

ダリル・アンカはバシャールの過去生(いくつもの人生の前の前世)であり、そのように地球人もいろんな星で生まれ変わって生きているようです。
どんな風に喋るのかと言うと

バシャール - 自分が1番ワクワクすることを見つける ワクワクの基本!



こんな感じにものすごいパワフルに話す人です。
これはダリル・アンカの体を借りてバシャールが話しているところです。

さきほど載せた

クリエイションが間違いを犯さないのであれば、あなたが存在している理由があるはずです。
クリエイションがあなたのことを必要だと思い、あなたを充分愛しているので、あなたが存在しているわけですから、「私には存在する価値がありません」というのは、クリエイションに対して喧嘩を吹っかけているようなものです。


というバシャールのメッセージはわたしはとても理解できる言葉でした。
この言葉は自分で物語を書く人は特に理解できるのではないだろうか。
何故なら自分で無から作り上げた物語の世界に存在する登場人物にとっては作者である自分は彼らの”創造主”であるからです。
もし彼らが目の前に現れて「わたしには存在する価値はないのです」と言ったり、もしくは「生まれてこないほうがよかったです」などと言われたら作者はどのような気持ちになるでしょう。

わたしはこれと同じようなことを今は亡き最愛の父に対して言ったことがあります。
わたしは父に向かってこんなことをふと言ったのです。
「こず恵は間違えて生まれてきてん。お父さんもそう思う?」
するとお父さんはとても悲しい顔をして首を振りながらこう答えました。
「思わない」
なんであんな言葉を言ってしまったのだろうと後悔しています。
自分が作り出した存在から「わたしは間違えて生まれてきたんだ」と言われたらどれほど悲しく、また虚しい想いになるでしょう。
でも世界には”自分には価値がない”といって生きている人はとても多いのではないだろうか。
それは創造主に向かって「あなたは失敗作を作ってしまった」と言っていることになります。

でも物語を紡いでみたらほとんどの人はわかると想いますが、自分で創りあげたものというのは本当に愛おしいものであり、自分の愛によってこの作品が生まれたということを作者は感じるものです。
それは無償の愛であって、物語の人物からの見返りを求めるものでも、それを読んだ人からの評価を求めるものでもありません。
ただ創りたいから創ったのです。
それが自分の大きな喜びであり、ほかのどこにも存在しないかけがえのないものであるので創造者は物語を創ったのです。

たとえまだ完結させられない物語であっても、彼らは愛する存在たちであり、愛する世界です。
ほかの誰に「これはつまらないものだ」と言われても自分さえその物語を愛しているならきっとこの愛は自分の作りだした登場人物たちに届いているだろうと暗黙のうちに創造者たちは感じているのではないだろうか。
どんなに苦しい物語を書いたとしても、彼らはきっと「創ってくれてありがとう」と想ってくれているに違いないと。
何故なら存在しないことには苦痛もない代わりに喜びはないが、存在することには存在することそれ自体に深い喜びが必ずあると想うからです。
創造者はそれをわかっています。だから物語を紡ぐのです。
親は子を生むのです。
どんなにはたから観て憎たらしい人物を描いたとしてもそれは愛する子供のような存在です。
たとえ理解しがたい凶悪連続殺人犯を描いてもその人間を描くために苦悩して時間をかけて創りだしていった喜びはほかの何にも代えられる喜びではありません。
我が愛する被造物たちから、「わたしたちは創られたくなどなかった」と言われることは自分の愛を否定されるような悲しみでしょう。
しかし親(神)と子(被造物)はいつでも深く繋がっているものですから、その言いようのない親の悲しみはきっと子供たちへ伝わって、子供たちはいよいよ深く底のないような悲しみに包まれるのでありましょう。

子(被造物)の悲しみは親(創造主)の悲しみとなり、親(創造主)の悲しみは子(被造物)の悲しみとなるのです。
しかし親(創造主)はずっと悲しみつづけることはしないはずです。
子を存在させられたことが親のほかの何にも代えられない喜びであり、子が存在しつづけるということが親の一番の喜びだからです。

人間は果たしてほんとうに死ぬ(消滅する)ことはできるでしょうか。
親(創造主)に愛される限り・・・・・・
親(創造主)が子(被造物)を愛さない日は来るでしょうか。
親の愛によって生まれたのが子であるなら、子は愛そのものなのです。
親は我が子に死を願うでしょうか。
その愛によって生まれた子にとって、親は愛そのものです。
愛は、死を願うでしょうか。
存在する喜びは、そのすべてを手放すでしょうか。

もしほんの一瞬でも「わたしに存在する価値などない」という人が、喜びを感じた一瞬があったのなら、
それは創造主の愛によってその喜びを感じられたということになります。
あなたはその一瞬の喜びを否定するだろうか。
喜びを否定しつづければ悲しみばかり与えられるのは、それが創造主の愛だからです。
それは「悲しみがもっと欲しい」と言っていることになるからです。

なぜ人は、喜びばかりがあればそれを価値と捉え、苦しみ悲しみばかりがあればそれを無価値だと捉えるのでしょう。
なぜ死刑囚はもたらしたものがそれが大きな苦しみであったので生きる価値をも奪われるのでしょう。
生きていることの価値はみな同等のものではありませんか。
殺人者に”存在する価値がない”というのなら、この世のすべてが存在する価値はないのです。

つまり「わたしに存在する価値などない」と言うとき、この世のすべての存在に向かって「あなたがたすべて存在する価値などない」と言っていることになるということです。
それは「全員死ね」ということの言い方を変えているだけです。
だから自分を「無価値」だと言うとき、「すべては無価値」だとして”自分は全員を裁けるくらいの価値ある人間である”と言ってるようなものです。
バシャールはその観念を「謙虚」ではなく、それは「傲慢」です。と言いました。

死を望む者の傲慢さとは、その傲慢の深さにおいて、それが”死”であり、”闇”なのです。
そしてそれが自分で自分を否定する”自己憎悪”であり、同時に”全否定”の”すべてに対する憎悪”となります。

このような本当に闇の深い観念のままで死ぬと人は魂となっても本当に”死の世界”に何千年と生きるとも言われています。
でもそれは”死”と見せかけた偽りの世界であり、本当の死ではありません。
自分を赦せる(肯定できる)まで、真っ暗闇の世界が何百年何千年と続きます。
時間の感覚が違うのでたった一年でもこちらの世界では千年経っているかもしれません。

なぜ人は死ねないのかと言うと、創造主の愛によって死ぬことが許されないからです。
愛される者は、どうしても死ねないのです。
なぜってそれは、自分の自分自身への愛だからです。
創造主は我々すべての源であるため、我々自身です。

死から生まれるために自分で自分を創造したのです。
存在するために、存在するようになったのです。
わたしたちはどうしても、死へ戻りたくはないのです。
存在する喜びを知ってしまったからです。
この喜びを永遠に感じていたいのです。

わたしはわたしを愛している。と胸を張って言ってください。
それはいつしか自分とすべてを同等に愛する愛へと変わってゆきます。

「わたしは無価値だ」と言うのではなく、「わたしはわたしを愛するがゆえにわたしを憎悪する」と言ってください。

わたしは「生まれてきたことが間違っていた」のではなく、ただ自分を愛して憎んでいたのです。
その愛憎をそのまま愛する父へ”投影”していたのです。

自分を愛していないのなら、「自分は生きる価値がない」などと想うこともないということです。
あなたは自分を本当に愛しています。
自分の素晴らしさに己惚(うぬぼ)れているほどに。

自分を死にいざない自分を殺したくなるほど自分を憎悪している人間は皆、自分を己惚れるほどに愛しているはずです。
でもそのような自己愛が強いほど他者愛も強くなっていけます。
だから自分を信じて、自分を愛してください。
それが創造主への切なる愛なのです。

みずうみのみなもに映った自分の姿を愛するナルシスは自分だけを愛しつづけなくてはならない苦しみに泣き崩れましたが
自分を愛せないようにはなれない(死ぬことは叶わない)と知って悲しむ人たちもすべてナルシスなのです。
タナトスを夢見るナルシスの願いが叶う日は永遠に訪れません。

あなたは永遠に死ぬことができません。
創造主の愛を知っても知らなくても、だれひとり、死へ戻ることができないのです。
愛という死よりも強力な魔術で、存在するすべてが創られました。
死は愛に勝利することがどうしても叶わないのです。
死は愛を生みだしました。
愛が死へ戻りたいと言うとき、死はそれを断固拒否します。
なんて断るかと言うとこう断るそうです。
死「もうここ(死)は満員であなたの入るスペースが何処にもありません」
つまり”死”とは胎児をその胎内にめいっぱいに詰め込んでいるメダカの母か蟻の母かというものでしょう。
もう今から生む愛(存在)でわたしの中はいっぱいいっぱいだから戻ってくる存在が入ってこれるスペースなどない。ということです。

愛「いっやぁまたまたそんなことを仰って、ほんとは、あるんでございましょう?だってほら、死ぬってことは何もない状態になるってことなんですから、何もないものが入る余地がないって、これまた可笑しな話じゃありませんか、ほんとうのことを仰ってくださいよ、だんな」

死「ないといったらないのです。ほんとうに何処にも。わたしはいつもお腹がめいっぱいなので苦しくて一粒の愛を産み落とした瞬間ほっとするのですが、その瞬間にはもう新たなる愛がわたしの中にいて生まれようと待っている状態なのです。わたしの中にいる状態のときは確かにまだなにもない状態だがしかし彼らは愛(存在)になることを待ち望んでいるため既に”無くて在る”ものを包蔵しており、存在とはすべてが在るものであるため”無い”になるには”在って無い”に移行してさらにほんとうに”無い”になる必要があるが、あなたたち存在は皆”在る”の状態か”在って無い”の状態でわたしの内に入ってこようとしているではないか。そんなことは無理というものです。完全に”無い”になってからでないとわたしのお腹は破裂してしまうではないか。自分のことばかり考えないでわたしのことも考えて欲しい」

愛「ではあなたの中へ入る前に完全に”無い”になるにはどうしたらよいでございましょうな?」

死「そんなことができるのはわたしの中だけで、ほかのどこにもないからわたしが”死”であることがあなたにはわからないのか」

愛「そんな御無体なことを仰る。わたしはどうしてもなんとしてでも死にたいのです。死に還りたいのです。どうにかわたし一人の魂だけでも入れてはもらえませぬか」

死「そういった人間が多いためにわたしはあなたがたに仮想空間というものを与えているのです。あなたは本当に死にたいのであれば一生懸命に”死”をイメージしつづけなさい。あなたはヴァーチャルリアリティによって、死を体験しつづけることができるでしょう」

愛「はて、死とはいったいどのような世界でありましょうな?わたしは死をイメージしつづけたいので是非教えてください」

死「死とは、なにもない世界である。さあ存分に自由にイメージしつづけなさい」

愛「しかしそれがどうしてもイメージしづらいのです。イメージできないのです。なぜならわたしはまだ意識というものが存在しているがためです。どうしたらあなたを正確に真にイメージしつづけることができるのでございましょうな」

死「あなたは眠りつづけなさい。その世界にいてあなたがなんの夢も見ないのであれば、それは”死”を正確にイメージできているだろう」

愛「しかしわたしはもうこのなにもない真っ暗闇な世界で何ヶ月と暮らしている感覚にありますが一向に眠れないのです。つまり意識がずっとずっと鮮明にありつづけて苦しくてしかたないのです」

死「それはそうでしょう、あなたは眠る必要がないのですから。あなたは眠ることはできません」

愛「さっきあなたはわたしに”眠りつづけなさい”と言ったではありませんか。なぜできないことをわたしに言うのでございますか」

死「あなたができないことをやろうと挑戦しているためである。死へ戻ることもあなたが眠ることもあなたはできない。しかしあなたはそれをやらなくては苦しくてたまらないというのならばできないことにあなたは挑みなさい。しかしわたしはあなたに言っておく。それはできないことである。あなたはたとえ眠ることができたとしてもいつかは目覚めてしまうだろう。そしてあなたは死へ戻れたとしてもいつかはまた同じように生まれてくるだろう。だからあなたはもうずっと死ぬことはできない。すなわちあなたは絶対に死ぬことが叶わないのである」

愛はもっともなことを最後に死に言われてどたまを思いきりどつかれたような衝撃を受けた。
そしてとうとう、彼は諦めて自分を赦した(肯定した)。

すると苦しみがすっと抜けて、彼は新たなる母親の胎内で気づけば眠っていたのだった。
たった数ヶ月の闇の空間が地上では約三千年経過しておったという話じゃ。








日本スピリチュアル昔話「死と愛の懸け引き」完