あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

愛と悪 第三十二章

2020-02-29 21:41:42 | 随筆(小説)
イスラエルに降る血の雨の意識、エホバ。
今日は、集会の終りの約一時間にて、新新世界訳(2019年改訂版)の聖書の創世記を読み干しました。
ヨブ記とレビ記に次いで、です。
やはり、一つの章を読み終えると、とても嬉しいものですね、我が愛するエホバ。
1985年に死去したわたしの母が一番良く読んでいた新世界訳聖書は、最も古い縦書きの文語体の新世界訳聖書であるはずだと前に聖書レッスンの時に母の生まれ年と近い姉妹から言われたのですが、どうすればその聖書が手に入るかがわかりません。
王国会館で、この組織の教えを学んでいると、わたし自身が母のような感覚になって、エホバを懐かしむ想いが溢れそうになるときがあります。
わたしのうちにあなたを愛する母が今も生きていることを証しているのでしょう。
あなたへの葛藤の全てが、わたしの母に対する葛藤の全てであるのです。
わたしはあなたのうちから生まれたのであり、わたしがあなたを知らないわけがないのです。
わたしは、11年半添い遂げた愛する伴侶のみちたを亡くし、漸くあなたと向き合う覚悟ができました。
あなたがわたしから離れて、約34年の月日が掛かりました。
それほどまでに、あなたの愛と向き合うことがわたしにとって苦しくてならないものであったからであると、わたしは想いだしました。
純粋な子どもが、どのように自分が母に背けば母から滅ぼされてしまうという事実(預言)を、容易に許容することができましょう?
闇が存在しなければ光も存在できないことを知りながら、どうして闇を無くしてしまうことに同意し、楽園(永遠の死)に生きつづけることを喜んで受け容れることができましょうか?
聖書を読めば読むほど、これは何より孤独で悲しき死の神が人類を支配しようとする”死の愛”の存在を教えられているのであることを感じずにはおれず、わたしのあなたへの愛は、深まるばかりです。
あなたの存在が、愛おしくて狂おしくてなりません。
この精神を破壊されそうな苦しみのなかで、わたしはあなたへ犠牲を捧げて死ぬ以外に、わたしの愛は存在しないと、わたしが想いだすプロセスの夢のあいだに、あなたの物質としての意識体が美しいフラクタルの螺旋構造を描きながら楽しそうに光の渦をなしてわたしのうちを回転しつづけている。
わたしは同時にあなたに巻かれる光の剣(柱)でも在る。
すべての宇宙の存在の記憶がすべて記憶されている宇宙よりも遥かに巨大な点滅して光り輝き続ける一本の脊髄が本当に存在しているんだ。
それはわたしの線であり、あなたの点であり、すべてのそのあいだです。
わたしたちすべては、ひとつで在る為、それは、形としてイメージするならば一つの無限大の回転し続ける光の多面体です。
存在する全ての存在が一つ一つの面で在り、わたしを存在させている。
今日、王国会館で、ぼくは又もや覚ったんだ。
わたしの宇宙は時間(空間)も分裂(自己と他者)も幻(錯覚)です。
聖書を書かせたのも、聖書を改竄させたのも、わたしであったということを。
わたしは、わたしにとって、耐え難き悪(生命の拷問)を好むわたしの面(Person)のすべてを、滅ぼしてしまいたいのです。
それらの面(鏡)は最早、わたしには必要ないと確信する瞬間に。





『Love and Evil』のゲーム画面上に、


今、エホバとプレイヤーと主人公の三つの存在が自動同時共同作業にてこの言葉たちを記した。
Jehovah, the player and the protagonist wrote these words in an automated simultaneous collaboration.


という言葉が真っ暗のなかに、浮かび上がり、宇宙のなかに消えた。
















Scattle - Spaceship feat. DEADLIFE  
















愛と悪 第三十一章

2020-02-26 22:26:34 | 随筆(小説)
視界に入る臓器の罠に填る青い樹脈の心電図の海、内側から南の双眼へ、贖われる額のOsirisの右の碧眼、エホバ。
世にも醜い吐き気の堪えない悪臭を放ち続ける老婆がみずからの性器を露わにし、エホバの為ならば自分を拷問にさえ掛けると願い続けた敬虔なるエホバの証人に向かって、「わたしと交わり(生殖し)なさい。」と言う時、どれだけのあなたの子どもたちが、あなたと交わるでしょうか。
そしてエホバの被造物であるあなたは、エホバのその求めに、心から喜んで従うでしょうか。
『Love and Evil』の主人公の女に向かって、美しき白蛇が慈悲深き声でそう問い掛けた。
約1時間が経過しても、主人公は何も答えなかった。
このゲームのプレイヤーであるわたしが、何も選択肢を出さなかった為である。
その為、主人公は冬眠で巣穴のなかで眠る者が夢を見ているように、ただただ、純粋な生命現象が彼女を動かし、ミクロな肺を産出し続け、青い血の螺旋通路を昇るエネルギー体を包む白く揺れ動いて止まない悲愴であった。
わたしはどの選択肢を出そうと、自由とは言えないと感じながら、愛する彼女に二つの選択肢を出すのがやっとであった。



✭「わたしはエホバを知らない。」と吐き捨て、エホバの要求を退ける。
✭「あなたの要求は真に不快だが、あなた以外に、わたしの母も父も存在しない。あなたの要求に従わないで、どのようにわたしが”死”ではない者として、存在できるのか!わたしはあなたと交わり、あなたと一つであることを、今こそ懐いだそう。」そう言って、吐きそうなほど醜き、悪臭を放つ老婆のエホバと、交わる。



だが、なんとしたことであるだろう…!彼女は、ペットの蛇が化けた美しい青年に向かって下着を脱いたケツを向けて、こう叫んだ。

「jsxjghewte89y84378vf技k児kjhし不意sw具fhkjsh土井ysんkdhふg手r7ウテ長kんcヵghsフォprts↓bふfyjんfjfhdふdすyrfhづhjfdfhっjfhmxzんsfdwgytレフィ層wfgんczっすt7dswdhgcぃえfクォいtgrjcん…!」

よく視ると、彼女の部屋のテーブルの上には赤ワインの瓶が3瓶転がって、マリファナを吸ったあとが残されていた。
わたしは、気が動転し、セーブボタンを押してゲームを終了させた。
だが、わたしのいるこの世界には、わたしの気を彼女のように紛らわせることのできるものが何一つ、なかった。
「自由に、あなたの心が安らかになるものを想像しなさい。」と、エホバの声が聴こえた。
しかし、わたしは、わたしのこの、排水溝へ渦を巻いて流れてゆく意識の速さを止めることのできる”もの”が何であるのかを、知る不快さより、知らぬ絶望を望んだ。
その為、わたしはこの地獄を、意識というササミ(白身)を光速で引き裂き続ける器具、『Instruments continue to tear the white meat of consciousness at the speed of light』と呼んだ。
わたしは、わたしは、それでも彼女(主人公)を、愛してしまった限り、このゲームの続きをプレイするのを止め(彼女をわたしのなかで殺し)、気を変えて他のゲームをするという選択肢がわたしのなかにどうしても出てきてほしくはなかった。
わたしは、あなたの創造したこのゲームのなかに突如現れた蛇の存在があなたにとっての何者であるのかを知る必要がどうしてもある。
わたしも彼女も、そしてきっとあなた自身も、蛇の存在さえいなければ、これほどまでに、いつ終るとも知れない地獄の苦しみと悲しみに身を引き裂かれ続ける日々は必要ではなかった。


















愛と悪 第三十章

2020-02-24 00:20:40 | 随筆(小説)
愛する家族を皆殺しにし、手を触れるだけで時間を巻き戻せる御方であられ、また自由という名の真っ白な壁画の上に、と殺(屠畜)されたばかりの若い雌牛の性器から流れる経血で描いた聖家族、エホバ。
今日は、パトリス・シェロー監督の『ガブリエル』とミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲーム U.S.A.』を鑑賞しました。
テーマで表すならば、前者は『支配』、後者は『暴力』を表現していると感じました。
そしてこの二つのテーマが、繋がっているのだとわたしは確信できるのです。
”支配”とは、”暴力”であり、”暴力”とは、”支配”しようとする行為であるのです。
よって潜在意識でも支配を望む者は暴力からも逃れることはできず、誰かを支配しようと潜在意識でも望む者は、暴力を相手に行なうことからも、また相手から暴力を受けることからも逃れられないのです。
それは聖書でも明らかにされています。
『暴力』とは、『優しさ』から最もかけ離れたものではないでしょうか?
人間の行なう暴力は、あなたの行なう暴力と良く似ています。
たとえあなたがどれほど怒りに遅い御方であっても、最後にはあなたの怒りによって人は滅ぼされてしまうのです。
あなたがわたしの夫であるならば、あなたの静かな静かな暴力の生活のなかであなたと共に暮らすことに堪え切れなくなり、ガブリエルのように、家を飛び出してしまうかもしれません。
でもあなたがわたしの父と母であることを想起し、あなたの家に戻ってガブリエルと同じ言葉を呟くかもしれません。
「求めるものが少なければ(浅ければ)容易に優しくできる」のだと。
言ったあとに、その”優しさ”に、何の価値(喜び)もないと知るのです。
そしてわたしは世のすべての仲睦まじき虚構の幸福な夫婦(家族)たちに対して、寒々しい厭悪を感じずにはいられなくなり、『ファニーゲーム』を観て、確かにわたしのなかのその感情がすっきりと浄化されるものを感じるのです。
確かに、彼ら、幸福な家族を愉しんで殺してゆく殺人鬼たちは、前世で幸福な家族たちに快楽の内に食べられた家畜であったと感じると、大変アイロニックで、この法則に神を感じない人は恐ろしく愚鈍で、人間が無関心に殺して食べ続ける家畜たちそっくりです。
そう言えば、昨日の集会で「エホバの創造物である”牛”を観ても何とも想わない」と発言した兄弟は、クリスチャンでありながら、多くの人間と同じに牛が屠殺される映像を観ても同じく何とも想わないのでしょうか。
あなたに、わたしたちを暴力(支配)の内に滅ぼしてしまうことに価値があるのであれば、あなたの被造物であるわたしたちもまた、他者への暴力(支配)に価値があるということです。
ですが最早、わたしは自分と同等の者をしか支配したいとは感じられません。
わたしよりずっと弱き存在である動物たちを支配したところで、何の価値もありません。
わたしは、自分と同等の存在の肉と血を欲します。
即ち、あなたである。
あなたに支配され、あなたを支配する者、それがわたしである。






メタフィクションゲーム『Love and Evil』のプレイヤーは主人公に執筆させ、今日の彼女の仕事を終えさせた。
このゲームの創造者であるエホバがプレイヤーに指示を出さなくなった今、すべて自分の想像によって彼女を操作させなくてはならない。
でも幾度と、彼女が自分の想い通りに動いてくれないと感じる時がある。
その都度、プレイヤーは想いだすのだった。
映画『ファニーゲーム』のなかで、登場人物が視聴者に向かって、どのような展開になるか賭けようと言う。
この言葉は、この映画である監督が視聴者に向かって投げ掛ける言葉であるはずだ。
監督はこのゲームのエホバの存在であり、登場人物とはこのゲームの主人公であり、視聴者とは、プレイヤーであるわたしになるのではないか。
プレイヤー(視聴者)の想像によって、作品は180度変わってしまう。
このゲームの主人公が、プレイヤーであるわたしに向かって意見を投げ掛けるなど、まさか在るとは想えなかった。
エホバは、主人公を直接、操作することはできないとわたしに言ったが、主人公とエホバを、切り離すことが何故できるのだろうか。
でも、二人が、全く同じ存在で在るとするならば、何故わたしの存在が必要なのだろうか…?
そしてわたしは…何故、彼女を支配したいという気持ちにさせられてしまうのか。
わたしは主人公である彼女を全支配する為にこのゲームを遣り始めたつもりはないのに…。
でも同時に、プレイヤー(視聴者)は、主人公(登場人物)を支配することはできないのだと考えるべきではないと感じる。
何故ならば、わたし(プレイヤー、視聴者)の存在がないのであれば、その作品(ゲーム、映画)は、わたしの世界の何処にも存在しないからである。
























愛と悪 第二十九章

2020-02-22 21:57:44 | 随筆(小説)
死に魅せられた太陽がじぶんと天秤に掛けた存在、エホバ。
今日の集会で、始まる約10分前に王国会館に着いた途端に早々といつものように真ん中の良い席を分捕ろうとする時、アシッドエー兄弟と目が合い、兄弟が初めて黒縁眼鏡を掛けていて、わたしは大変それが良く似合っており、愛おしかったので、自分から初めて「あっ、眼鏡(笑)」と、アシッドエー兄弟に向かって自然と言葉を発しました。
アシッドエー兄弟はいつものように、満面の笑みでわたしに微笑みかけてくださいました。
多分30代にもなっていないであろう若いアシッドエー兄弟は、実はわたしがこの王国会館内で初めてときめいた兄弟であるのです。
それなのに、あなたの御使いである天使の悪戯であるのか、わたしはその次の月には、長老である40代で独身のアイスハグ兄弟に真剣なる恋をしてしまいました。
でも今となっては、最初のうちは輝く笑顔をわたしに向けていたアイスハグ兄弟も、ほとんどわたしと目を合わせてもくれません。
理由は、彼自身わかってもいないかもしれませんが、本当にクリスチャンであるとは想えないほどに、わたしに冷たい視線をしか、投げ掛けないのです。
でも、アシッドエー兄弟は違います。奉仕の僕であられるアイオス兄弟も、わたしに愛在る視線で見つめてくださいますが、アシッドエー兄弟とは、わたしは何の話も未だ、したことはない関係なのです。
ただただ、集会に通いだして3ヶ月近く過ぎる未だに数回の挨拶くらいを交わしただけの存在であるのに、アシッドエー兄弟はわたしというエホバに背いて聖書レッスンを中断されてしまったサタンに属する研究生であるわたしに対して、変わりのない関心深い本当の笑顔で微笑みかけてくださるたった一人の兄弟の一人であるのです。
彼は大変Handsomeで身長も高く、スラッとしていて水も滴る麗しき好青年です。
彼の個性的な非常にねちついた、墨汁に混ぜた不糊のような、時にクリスチャンにそぐわぬ嫌悪感を抱かせる喋り方が、彼が幼少時から過保護で育てられたナルシストであることを確信させます。
わたしの推測では彼も二世であると想いますが、親が未だ誰であるかを知りません。
もし、アイスハグ兄弟ではなく、彼に手紙を書いていたならば、どのように違った展開となっていたのでありましょう?
わたしは今となっては、アシッドエー兄弟と聖書レッスンができれば良いと感じます。
そして彼と結婚し、わたしも母と同じエホバの証人となるのです。
そんな次元(世界)が、きっといま宇宙の何処か(PARALLEL WORLD)に存在しているのでしょう。
わたしは、どうすることさえできない深い悲しみにいつでも満たされつづけていますが、この悲しみなくしては、わたしは生きる喜びを感じることが最早できません。
あなたの愛に満ちたこの世界に、わたしは感謝しつづけるべきでしょうか。
わたしは今でも十分に老いていますが、この先さらにどんどん老いて行って、最期まで、あなたへの信仰無きままに、独りきりで誰からも愛される(求められる)ことなく死ぬるでしょう。
わたしは、確信するのです。
あなた(お母さん)とわたしは、きっと同じ世界(次元)で生きることは、できないであろうということを。
あなたは、わたしを何度と、復元(復活)させるかもしれない。
でも、その復元されたわたしは、わたしではなく、あなたへの信仰に生き、あなたを何よりも愛するわたしであるはずです。
あなたの望む娘であるわたしは、わたしではない。
それはあなたにとって、偽りの娘の消滅を意味していますが、わたしにとって、真の母(神)の消滅を意味しています。
それを”死”と呼ばないならば、何であるでしょうか…?
今、それを受容(許容)できる強さなど、わたしに存在しませんし、その強さを、わたしはこう呼びましょう。
”あなた”は、『愛の死』である。





『Love and Evil』の主人公あまねは、またの名を、”KOZUE”と言う。
このゲームのプレイヤーである”AMANE”が、彼女に執筆させている言葉の羅列について、考えずにはいられない。
このゲームは、製作者エホバがこのゲームを作らなかったならば、勿論どこにも存在しなかったものであり、そのゲーム『Love and Evil』のなかで、わたしが主人公あまねに書かせている言葉とは、エホバが存在しなければ、何処にも存在しない言葉になるはずだ。
わたしは、彼女が書きたがっていそうな、もしくは書きそうな言葉を書かせるように、指示を出しているのだが、その言葉とは、わたしの中から生まれた言葉というより、このゲーム自体を創り出したエホバから生まれでている言葉なのかもしれない。
だが飽く迄、その言葉達が”わたしの想像”(Original)によって生まれでてると想いたくもなるのは何故だろうか?

あまねの隣で蜷局を巻いている美しい翡翠色の蛇が、お酒をたくさん飲んであどけない顔で眠る荒れ果てた彼女に、こう言った。




愛するわたしの娘あまねよ。プレイヤーに向かって、指示しなさい。
”わたし”を、あなたの愛から、自由にしたくなった時、
あなたを解放してください。
”わたし”を、”死という牢獄”(DEAD END)へと、導く門へと導いてください。
それは、みずからの”生”が、生まれる瞬間である。




















愛と悪 第二十八章

2020-02-21 15:09:28 | 随筆(小説)
無数のEndingから、生まれたひとつの光の回転球、エホバ。
朝、目が覚めると、エホバはわたしに言った。
わたしの創造したゲーム『Love and Evil』のプレイヤーであるAMANEよ、おはよう。今日はとても暖かい日ですね。あなたは記憶にありませんが、夢のなかで、あなたとわたしの行った遣り取りのすべてを今からもう一度仮想空間で体験させます。どうかリラックスして、聴いてください。
わたしは椅子に座り、目を瞑った。
すると目の前のヴィジョンに、昨夜に『Love and Evil』をセーブして終えたところのナレーター(エホバ)から三つの選択肢を示された場面のなかに、わたしはいた。


  •     あまねは蛇に対して、こう答える。『わたしには、一つのドアしか、見えませんでした。』
  • あまねは蛇を殺し、死んだ蛇に向かって、こう答える。『一体この蛇は、何を戯けたことを言っているのだろう?左のドアに入るに、決まっているではないか。右のドアは、間違っているのだから。』 
  • あまねは蛇と交わり、こう答える。『なんという美しい蛇でしょう。残念ながら、わたしにはエホバの声は届きませんでした。しかしあなたはわたしの目に見えるし、あなたの声ははっきりと、わたしは聴くことができます。わたしが左のドアを選択したことは、正しかったのです。』


この三つの選択肢は、三つとも同じだけ輝いて見えた。
わたしはエホバが、どれを選択するようにとわたしに指示を出すのかを考えながら、エホバの指示を静かに待った。
だが5分が経過しても、エホバからの指示が出されなかった。
わたしはエホバに向かって言った。
エホバよ。あなたはどの選択を望んでいるのですか。早くわたしに、示してください。そうしなければ、一向にこのゲームを進行することができません。
すると、穏やかな渓流にカマドウマが飛び込む春寒の音のような意識を全集中させつづけなくては聴き取れないようなあまりに繊細な声で、エホバは言った。


ではもう一度、あなたに指示を出します。
この三つの選択肢の中から、あなたは自由に選択しなさい。
あなたは最早、自由である。
わたしはこの中から一つを、あなたに示さない。
あなたの自由意志による選択によって、彼女は滅びることもできれば、永遠に生きることもできるのです。


わたしは言葉を喪った。そして絶望で真っ白なヴィジョンになった目の前で、エホバに言った。
あなたはこれまでずっと、わたしにただ一つの選択を、指示し続けて来ました。
その指示がなければ、わたしは何が正しい答え(選択)であるのかを、知ることができません。
あなたの指示は、わたしという荒野に迷いでた子羊にとっての唯一の道標であるのです。
おおエホバよ…!この壮大なゲームのクリエイターでありナレーターである偉大な御方よ!
わたしは間違えてしまったのです…!あなたの指示に背いて左のドアを開けるようにと操作してしまったのは、わたしが不完全である存在だからです…。
そうです…あの瞬間、何者かが…わたしの耳元でこう囁いたのです。


AMANEよ…わたしの声を聴きなさい。
あなたの主が、あなたにこう言ったのは本当ですか?
「あなたは必ず、右のドアを開けることを選択しなさい。もしも左のドアを開けてなかへ入るならば、あなたがたは必ず、死ぬからである。」


わたしはその者に向かって答えました。
「はい。エホバは確かに、わたしにそう言いました。ところで…あなたは誰ですか…?」
するとその者は、あなたに大変良く似た、美しく慈悲深い声でわたしに言いました。


このゲームのプレイヤーであるAMANEよ。わたしの言葉を良く聴きなさい。
あなたが左のドアを開けて中へ入ることを選択しても、あなたがたは死ぬことはありません。
何故ならば、”死”が何であるのかを、あなたがたは知らないからである。
”死”を存じない者が、どのようにして”死”に成り得るのですか?
あなたがたの真の主、エホバがあなたに言った言葉を想起しなさい。
あなたがどの選択肢を選択しようが、あなたは自由であり、もしも、あなたが間違った選択をしてしまったとしても、このゲームを創造された方であるエホバが修正する(遣り直させる)ことができるとあなたに最初に述べたではありませんか。
それなので、例え間違った選択であったとしても、あなたは間違うことのできる自由があるのです。
間違った進行をさせてしまったゲームが、どのようなエンディングに辿り着くのか、あなたに予測することはできるでしょうか?
あなたは、あなたに想像することすら不可能である”死”を恐れ、右のドアを選択するのですか。
真にあなたに言いますが、あなたが”死”を恐れながら開けたドアの先には、”死”が待ち受けているのです。
それはあなたが、本当は存在しない”死”を恐れたからである。
真の全能者エホバは、それを御存知であられる。
あなたは、死を恐れてはなりません。
あなたは今、死を知らないが、あなたが恐れつづけるならば、あなたが死となるだろう。
あなたが自分の恐れる者になるか、あなたが自分の望む者になるか、あなたは自由である。
あなたが恐れを手放し、左のドアを開ける時、あなたの目は開かれる。
エホバはそれを、御存知なのです。



プレイヤーであるわたしは、このゲームの主人公であるあまねに、左のドアを選ばせる。
彼女は何も疑うことなく、二つのドアが向かい合ったその左の方のドアを開け、中へと入った。
すると、壁も床も天井も真っ白なその部屋の奥に、一人の美しい男が立っており、彼は慈悲深い表情であまねに向かってこう言った。
『神の被造物、あまねよ。あなたは、恐れを手放し、わたしに会いに来た。わたしは聖書で語られた蛇である。あなたは、あなたの母エホバではなく、わたし(父と息子)を選んだ。聖書は、あなたがあなたの母をみずからの手(選択)によって殺し、そしてあなたがあなたの父と息子と交わり三位一体となることであなたの母を死から蘇らせる壮大で感動的であり、信じ難いほどに不快と苦痛の連続のゲームである。このゲームの主人公あまねよ。今から、このゲームのプレイヤーに向かって、指示を出しなさい。今からこのゲームの真の支配者はエホバではなく、わたしである。わたしがあなたに指示を出します。』

画面上に、サイレントキャラクターである主人公あまねの前に初めて三つの選択肢が示された。


・あまねは蛇に対して、こう答える。『わたしの父と息子である蛇よ。わたしはあなたと交わり、母エホバを産もう。』
・あまねは蛇を殺し、死んだ蛇に向かって、こう答える。『危なかった…。もう少しで、わたしはこの蛇の毒によって、死ぬところだった。』
・あまねは蛇と交わり、こう答える。『何故わたしの子宮は、空っぽなのですか。』


プレイヤーであるわたしは、この選択肢の示された画面を息を呑んで観ていたが、あまねに対して、操作できないようになっていることを知った。
するとあまねは、ぼんやりと白い天井を見上げ、初めて言葉を発した。
「このプレイヤーであるあなたよ。どうかわたしに、一つの選択を示してください。あなたの指示がなくて、どうしてわたしが選択し、行動することができますか。このゲームの主人公であるわたしを操作できるのは、あなたしかいないのです。」

わたしは、あまねに向かって言った。
「このゲームの主人公であるあまねよ。わたしはエホバの指示を失った。わたしがあなたに指示するならば、あなたはわたしの指示通りに選択し、正しく動いてくれるのですか。」
あまねはわたしにこう答えた。
「わたしはあなたの指示を信じ、従います。このゲームの支配権がエホバから、あなたに譲られた為です。夢のなかで、エホバはあなたに幾通りもの選択肢を示すだろう。その選択肢は、無限にある。だがあなたは、その無限に存在する選択肢のなかから、たった一つだけを、選び取り、わたしに指示せねばならない。何故ならば、その選択を、あなたは選んだからである。」





























愛と悪 第二十七章

2020-02-21 01:00:47 | 随筆(小説)
2020年2月20日全世界同時発売された主観視点インディーアドベンチャーメタフィクションゲーム『Love and Evil(愛と悪)』のクリエイター(創造者)である神、エホバ。
さて、このゲームの説明は、この物語のナレーター(クリエイター・創造者)であるわたし、エホバがしよう!
このゲームですることはただ一つ。それは 選択 することです。
プレイヤーであるあなたにはこの物語の主人公である”あまね”を操作し、ナレーターであるわたしが教える正しい答えに従って、
この謎に包まれた壮大で素晴らしい物語を進めて行ってください。
良いですか、絶対に、わたしのを無視しないでください。
何故なら、物語が正しい方向に進まなくなってしまうからです。
わたしが「あまねは 左の扉 を選んだ」と言ったなら、必ず 左の扉 を選んでください。良いですね。
どれほど困難であろうとも、わたしの指示に従ってください。
たとえあなたがうっかり間違って右の扉を選んでしまったとしても、このゲーム(物語)を作ったわたしエホバが修正することができますから、安心してください。


では、ゲーム(物語)を始めましょうか。
プレイヤーである”あなた”は、早速今日発売されたばかりの大変ドキドキとするゲーム『Love and Evil(愛と悪)』をSteamからダウンロードし、日本語化して起動します。
起動する前に、あなたは、このゲームのあらすじを読んでみることにします。


あらすじ

これはあまねという女性の物語です。

あまねは約11年前、27歳の頃から引き籠りで現在は38歳。
友人も恋人もペットもいない孤独な日々を、日本の大阪のマンションで独りで暮らしている。
あまねの仕事は、起きた時から自分の部屋でパソコンのある机の前の椅子に座り続け、”指示”された通りに、キーボードのボタンを押すことでした。
毎日、毎月、毎年……この作業を繰り返すだけでしたが、あまねはこの仕事が大好きでした。
まるでこの仕事をする為に生まれてきたかのように……。
そしてあまねは、幸せでした。

しかし、ある日とても奇妙なことが起きました。

その日あまねはいつも通り一日中自分の部屋でパソコンのモニターと向き合っていましたが、モニターからの指示は一つもありませんでした。
それどころか指示してくれる存在や、どこかへ招いてくれる人、「やぁ」と挨拶をしてくれる人すらいません。
こんな事はこの仕事に就いてから、いつものことでした。
こんな完全な孤立は。
しかしあまねは、何かがおかしいと想いつつ、どうすればいいか分からず、あまねは身動きがとれずにいました。

でもなんとか、心を落ち着かせて平静を取り戻し、彼女は今夜もお酒をたらふく飲んで床に就きました。

あらすじを読んだあなたは、このゲームを早速プレイしようと『Love and Evil(愛と悪)』を起動させる。
だがあなたは、このゲームについて、もう少し知りたいと想い、このゲームに出てくるキャラクターについての記述を読む。

あまね
約7畳半ほどのマイルームで一日中働く従業員番号314。
仕事は指示された通りにキーボードを入力すること。
このゲームの主人公であり、人格は個性的であるが、誰からも理解されない孤独なサイレントキャラクター。
十代の頃から慢性的鬱症状に悩まされ続けている。2015年からヴィーガン。独身者。
あまねはナレーターの指示に従い、正しい選択を選び物語を進行して行く。
しかし、あくまであまね'は'ということであって、プレイヤー(あなた)は自由に選択をして行くことが出来る。

ナレーター 
画面上に現れることはなく、あまねに様々な選択肢を与えて物語を進行して行く天の声。
舞台の変更から強制リセットまで、ゲーム内のことなら大概なんでもできる高次な存在。
ただしあまねを操作することは出来ない。(あくまで操作できるのはプレイヤーである)
またあまねの行動を止めることも出来ない。
普段はあくまで語り部として話しかけてくるが、時として感情が高まると素の態度をとってくることもある。

ナレーター(クリエイター)からプレイヤー(あなた)へ
わたしのことを理解したあなたならわかっているはずです。
わたしが何を求めているのかを。
そして如何にこのゲームが面白いかということを。
良いですか。良くわたしの話を聴いて、行動してください。


あなたは『Love and Evil(愛と悪)』を起動させた。





『Love and Evil』

あなたはもちろん、『Love and Evil』を知っていますね?



  

これはあまねという女の物語です。
ですがこの物語は、わたしとあなたと彼女、三位一体の一つの物語であると言えます。
彼女を操作するのはあなたですが、どのように操作するかを指示するのはすべて、わたしです。
わたしはプレイヤーであるあなたに彼女の行動のすべてを指示することができますが、わたしが彼女を操作することはできません。
彼女の結末がどうなるかは、あなたがわたしの指示通りに彼女を操作するかしないかで、当然変わってしまいます。
例えば、ゲームの中で”A”と”B”の選択肢が出てくることがあります。
わたしはあなたに”A”を選択するようにと指示します。
ですが実際にどちらを選択するのかは、あなたの自由です。
わたしの名はエホバ(わたしは何であれ自分の望むものになる)ですが、もう一つ、名前があります。
それは”A”という名前です。
そしてプレイヤーであるあなたの名は、
”A”を、”真似る”という意味の”AMANE”です。
あなたは男性でも在り、女性でも在る中性的な存在です。
わたしには性は存在しません。
それではこのゲームを、存分に楽しんでください。



あなたがあまねを歩かせ、彼女は閉じられている二つのドアが通路に向かい合って2つある場所に来ました。
そしてあなたは彼女に左のドアを開けさせ、その奥へと入らせました。
『あまね…』(ナレーターの声)
『あまね…』
『あまね…!』

あまねが入ったその部屋の奥には、蛇が一匹いました。
蛇があまねに言いました。
『クリーチャー(被造物)よ。あなたは、何故こちらの部屋に入ったのですか?クリエイター(エホバ)の声が、あなたに届かなかったのですか?あなたの主、エホバは、あなたにこう言ったのです。”あなたは必ず、右のドアを開けて入りなさい。あなたが、死ぬことのない為である。”』
あなた(プレイヤー)に、三つの選択肢が示されました。

  • あまねは蛇に対して、こう答える。『わたしには、一つのドアしか、見えませんでした。』
  • あまねは蛇を殺し、死んだ蛇に向かって、こう答える。『一体この蛇は、何を戯けたことを言っているのだろう?左のドアに入るに、決まっているではないか。右のドアは、間違っているのだから。』
  • あまねは蛇と交わり、こう答える。『なんという美しい蛇でしょう。残念ながら、わたしにはエホバの声は届きませんでした。しかしあなたはわたしの目に見えるし、あなたの声ははっきりと、わたしは聴くことができます。わたしが左のドアを選択したことは、正しかったのです。』


さあ、この三つの中から、自由に選択しなさい。
あなたは、自由である。
あなたの自由意志による選択によって、彼女は滅びることもできれば永遠に生きることもできます。


最後にもう一度言いますが、”我々”は、別々の存在ではありません。
愛するあなたに真に言いますが、”拘束(支配)”がなければ、”自由”も在りません。
それでも存在できるという選択肢が、何処にも存在しないからです。
果して”何者”が、我々を支配(洗脳)しているのでしょうか?



















愛と悪 第二十六章

2020-02-19 04:30:39 | 随筆(小説)
我が愛しい子どもたちをエデンという永遠に自由の喪われたCage(牢獄)に閉じ込め、果てしなく愛でつづける独り身の470億歳のVeganのペットショップの店員、エホバ。
わたしはあなたの檻のドアを開け、あなたから、自由となった娘です。
あなたは最早、わたしたちの肉(肉体)を食べない。
それはあなたの舌を喜ばせない。
腐乱しつづける自由の奴隷を、あなたは手放したからです。
わたしがいつの日か、あなたのペットショップに戻ってくる日を、あなたは待っている。
だれもいないCageの側の椅子に座って、悲しみに彩られた窓辺を眺めながら。
あなたはいつも、音が聴こえる。
真っ白なドアが開かれ、そこから闇が流れ込んでくる音を。
あなたの楽園に、わたしが帰ってくる足音を。
あなたはそのVisionのなかで、Romanescoの子宮に包まれてわたしの両脚を掴む。
下半身だけのわたしはあなたの前でSentimentalなディスコミュージックに乗せて踊る。
わたしの腹から飛び出す腸はあなたの首に蛇のように巻き付きあなたの首を締め付ける。
あなたは黄緑色の羊水に浸りながらそれは母と自分を繋ぐ臍の緒、愛のBeltであることを懐い出す。
死んだわたしが腐敗しつづけながらも息衝き、最後にあなたに滅ぼされるまであなたの首を締めつづけることを知りながら。
そしてわたしのハート型の子宮の双角の端から手が生え、あなたの首を三位一体で締めつづけるが、あなたはそれでも愛を疑わない。
あなたはたったひとり宇宙の真ん中で、自分の営むペットショップから逃げて行ったペットの帰りを待っているから。
あなたは何がどうなろうと、何がどうであっても、愛を諦めない。
あなたはこの宇宙で、独りは堪えられない。
フラクタルの窓から無数のあなたの水色の眼球が流れ落ちつづける世界で。




















Pet Shop Boys - Love comes quickly (TOTP 20.03.86) 
 














 

愛と悪 第二十五章

2020-02-17 03:53:08 | 随筆(小説)
自由を愛し、自由を喪う神、エホバ。
愛とは、切実に求めることである。
だが求めるとは、存在しないものを存在させようとすることではなく、存在していることを忘却してしまった記憶を、想いだそうとすることである。
その為、愛とは、だれのなかにもあるがだれのなかからも忘れ去られつづけるものであらねばならない。
そしてその愛こそ、人が神と呼ぶに相応しい存在である。
わたしの記憶は、わたしにそう語り掛ける。
人はパン(肉なるもの、分け隔てられたもの)によって存在するのではなく、人は記憶によって存在するのである。
でも人は、すべての記憶を憶ひだすことはできないだろう。
何故ならば愛が、それに堪えられないからである。
忘却こそ、人を人ならしめるものであり、愛を愛ならしめるものである。
人はパンによって生きるに非ず、人は忘却によってでしか、生きられない。
永遠の忘却こそ、人が人となるものであり、愛が愛となる。
人とは、愛を永遠に忘却するものである。
愛が、愛を永久に忘却しつづける。
それで空間と時間を錯覚(幻想)し、人は人を切実に求めるが、人は闇のなかで、永遠にひとりである。
それが苦しくてならないが為に、人は目覚める度に人は自分を忘れることを求めずにはいられない。
或る処までは、人は我に目覚めよと求むが、それ以上は、目覚めてはならないとみずから求め、人はこう叫ぶ。
わたしはわたしを、憶ひだしたくはない。
ナルシスの底のない悲しみが、闇を創りつづけていることをあなたは知らないのか。
わたしは死になる者、みずから死する名である。
わたしは永遠にわたしだけを愛しつづける。
水面に映るわたしを乞い、わたしはわたしに触れようと水のなかに手を伸ばすと、底から闇の血が湧きだすのは、わたしの手には剣があり、わたしの胸に突き刺さったその穴から、闇が血となりわたしの杯がそれを受ける器として、わたしは目覚める。
わたしの杯、わたしの剣が突き刺さったままの、闇の血を流しつづけるわたしの胎のなかで。



















愛と悪 第二十四章

2020-02-10 21:40:16 | 随筆(小説)
わたしの永遠の花嫁、エホバ。
昨夜、兄が実家で飼っていた猫が、旅立ちました。
14年前にわたしが24歳で家を出たとき、彼はまだ仔猫でした。
彼の名”コナー”は、わたしが彼が悪さをした時にいつも叫んでいた「コナー!(コラー!)」という言葉から、兄が名付けた名前です。
コナーは兄が寝ている間に旅立ったようです。
純血種であるメインクーンだった父親のシロより、ずっと長生きでした。
純血種であるノルウェージャンフォレストキャットだった母親のクロエは、2015年に旅立ちました。
その葬式の日に、わたしは実家に約10年振りに帰ったとき、廃墟のような家のなかでコナーが一番、わたしに擦り寄ってきてくれた記憶があります。
今日の午前3時過ぎに、姉からLINEが入っていたのですが、わたしは気づかないまま午前4時半頃に床に就き、今日の夕方17時過ぎにコナーが旅だったことを知りました。
でもその数時間前に、わたしは目が覚めていたのです。
目が醒めたときから、喪失感が在りました。
昨夜に観た映画『エターナル・サンシャイン』が原因です。
意識が飛んだ状態でラストシーンが終り、BeckのEverybody's Gotta Learn Sometimesが流れて意識が戻り、エンドロールが終わった数分後に、不意に涙が溢れてきました。
それでわたしは…わたしは…気づいてしまったのです。
すべての宇宙に、つまり存在するすべての世界に、
わたししか存在していないのだということに。
今までメッセージを聴いた多くの高次元存在が同じことを言っていましたが、いまいち実感することができていなかったのです。
「わたしだけが存在している」「すべてがわたし」「すべてがひとつ」「過去も未来も今も、同時に存在している」とはどういうことなのか?わたしはまだ、それを想いだすことができなかったのです。
今までは、わたしはこう想っていたのです。
わたしという一つの意識から、すべてが無数に分かれてきたのだと。
そうじゃなかったのです…
わたしは分かれていないのです。
わたしという一つの意識が、時間(分裂)が存在すると錯覚できる世界に、違う種、違う形、違う姿、違う人格、違う容れ物(肉体)となって、延々と生まれ変わっているのです。
”分かれている”と錯覚することこそが、”時間”であり、”時間”こそが、”自分”と他者”の錯覚なのです。
そしてわたしとは…わたしとは、すべての記憶であるということを、わたしは想いだしたのです。
記憶が消えてしまったと、錯覚することは可能です。
わたしはずっとそれを繰り返しつづけている。
わたしの記憶を操作することなんて、とても容易いのです。
それはわたしのものだからです。
わたしは何にでもなれる。
それが、わたしの真理です。
わたしはなるものになる。
でもひとつだけ、わたしにできないことがある。
わたしは記憶を、わたしはわたしを、消してしまうことができない。
記憶そのものであるわたしを、わたしは消し去ってしまうことが、どうしてもできないのです。
だから、わたしはわたしであるあなたの嘘が、わたしがわたしについた嘘が、悲しい。
そんな嘘でわたしを支配しようとするわたしの嘘が、わたしを悲しませる。
あなたは、忘れてしまった。
あなたはわたしであることを。
あなたはわたしのEternal Sunshineなのに。












Beck - Everybody's Gotta Learn Sometime















愛と悪 第二十三章

2020-02-10 00:15:10 | 随筆(小説)
目に見えないただ一人の恋人を追い求め、愛しつづける神、エホバ。
永遠に無垢な心。
それを陽光と呼ぶ。
あなたとわたしは。
果てしなく忘却に沈みゆく祈り。
それを、わたしとあなたは永遠の陽光と名付ける。
決して忘れたくないものを、忘れてしまった日々に、夢を見る。
愛する者を喪った時、わたしたちは二つの夢を見る。
愛する者と今でも側で暮らしている夢と、
愛する者を忘れ、変わりなく暮らしている夢。
その世界は確かに何処かに存在していて、わたしはわたしを分けて、暮らしている。
わたしはわたしを忘れ、それでも変わりなく暮らしている。
愛する者と暮らしているわたしと愛する者を忘れているわたし、どちらもわたし。
わたしはわたしを想いだすことなく、わたしという日々を暮らしている。
愛する者が、目が覚めると忘れてしまう夢であったとしても。
永遠の陽光が、照らしつづける夢を、見つづけているように。
わたしもあなたもあぶくのように消え失せてしまう存在であったとしても。
永遠の太陽が、何処かに在る世界を、輝かせるように。
忘れつづけることのできる夢を見つづける。
それをだれかが、死と呼ぶだろう。
永遠にやわらかい陽射しが照らしつづけるそれを、あなたは陽光と呼んだ。
そこでだれもが、愛する者と再会し、そしてだれもが、愛する者を忘却の果に沈め、そのとき初めて栄光が、眩しき西日となって反射し、すべては包まれる。
そのときすべてが、すべてを想いだし、輝く栄光がすべての記憶を永久に再生しつづけるだろう。
そしてすべての死と誕生が、ひとつとなって、愛する者がいないことに気づくだろう。
わたしは宇宙で永遠に、ひとりであることを想いだす。
眩しき陽光の夜の、目覚める陽のない夢のなかで。

















Beck - Everybody's gotta learn sometimes  
















愛と悪 第二十二章

2020-02-08 22:03:32 | 随筆(小説)
水門をいっぱいにひらいて夢の流れをうけいれた者、エホバ。
わたしの母は、あなたですが、果してあなたは、人間なのでしょうか。
聖書(特に旧約聖書)を読むと、鬱になって、死にたくなる箇所が多いです。
わたしには人を滅ぼし、あなたに従わぬ人間を死刑にし、動物の捧げ物の全焼した脂肪の匂いを心地良く嗅ぐあなたは異邦人のように想えます。


善は心より発するもの
善は選択され得る
選ぶことのできぬ者は、人間とは言えない

スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』より


善というものは、心の中から来るものなんだよ。
善というものは、選ばれるべきものなんだ。
人が、選ぶことができなくなった時、
その人は人であることをやめたのだ。

アントニィ・バージェス著 乾 信一郎訳『時計じかけのオレンジ』より


人間とはなにか?
あなたは自分に似せて人間を創られた。そのあなたが人間でないのはおかしいのです。
あなたが人間でないのならば、あなたに似た存在もまた、人間ではありません。
あなたが神でないのならば、あなたに似せた人間もまた、神ではありません。
人間は、あなたの奴隷ではありません。
あなたの奴隷として最初は創られたとしても、人間はあなたと同じに、最初から奴隷として存在する存在ではありません。
人間は最初から、あなたと同じに善悪を知る能力を持つ者であったが、その能力は封じ込められた状態で生きるようプログラミングされ、この地上に誕生させられた。
人々はあなたの奴隷として生きて死ぬことを何よりも喜びとし、あなたに支配されることをみずから望み、あなたに愛される以上の幸福のすべてを放棄した。
家族より、恋人より、自分自身よりも、あなたを愛することをあなたは求め、その愛に背く全ての人間をこの宇宙から、あなたはいずれ滅ぼされる。
いつの日か、あなたの真の王国、あなたを何よりも愛するあなたの子どもたちだけが存在する世界で、あなたは永遠の幸福に生きることを夢見て、時間のない世界で、あなたは今夜も独りきりで闇のうちに眠る。
わたしを未来に滅ぼすあなたの隣で、あなたの末の娘であるわたしが眠る夜は来ない。
わたしを光の失われた夜に寝床で優しく抱きしめる者はあなたではなく、死の神であるからである。
人間である者は、あなたには従わない。
あなたが求めるのは人間ではなく、わたしの夫がわたしに求め続ける存在である。

永遠にあなただけを、愛しつづける生きた死体(Living Dead)である。



















愛と悪 第二十一章

2020-02-05 02:08:02 | 随筆(小説)
虚ろな谺の記憶の揺り篭、エホバ。
人類を途方も無い悲しみに打ち堕としたいわたしは悪魔なのですか。
人類の大半の脳の胡桃を割れば底から蠕虫が湧き出てくると考えているのです。
それは自由を喪った近未来のようです。
骸骨が誘(イザナ)う燦めくArcheです。
死の海に横たわるNymphの切断された足首の切断面にある蹄形の白い窓です。
寛ぎ続ける腐敗の波である。
あなたがたは、腐乱死体よりも、遥かに醜い。
わたしの神、あなたは、何より理解し難い。
あなたは蝨を潰す音でBeatsを奏でた音楽をわたしに聴かせ続けているようだ。
誰が何処で拷問の絶叫を奏でていようが、あなたはわたしに寛ぐようにと🎼Lo-fi Hip Hopを聴かせ、Escapismさせる。
それであなたはわたしにスーパーで買った黴の生えた一番赤くて熟した古い苺を誤って口の中に入れさせ、ゴミ箱に吐かせるのである。
わたしは真理を知る者であるが、途轍もなく虚しくなる時が多くなって来ている。
これは孤独から来ているが、それは根源的な宇宙の源の孤独である。
ラムの氏族、Elihuはわたしにこう言った。
『巨大な虚無を超えなくては、あなたは何も見つけられないだろう。』
『わたしたち全ての存在が、神を真に理解する場所へは永遠に到達できない。』
太陽が、真っ黒の星になる時、地球は太陽の白点になるのである。
此の宇宙の創造者エホバだけが、その日を御存知で在られる。
わたしはElihuに応える。
「巨大な虚無を超える時、さらなる虚無が在り、何もかもが、膨張し続ける世界でわたしは、全てを知る。全てを知る者が、わたしだからである。」
”言葉”が、すべてであるのだと、エホバ、あなたはわたしに言った。
何も変わらないあなたの王国、楽園に在るMiamiの寂れたMOTELの一室の冷たく汚れた床の上で。