あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

生命の尊厳とは

2017-03-30 04:45:27 | 生命の尊厳
わたしは人間の「罪」とは、言い方を変えるなら「苦しみと悲劇」であるのだと想います。

人間がなにが「善」でなにが「悪」であるかを敏感に感じ取るのは、それが「喜び」であるか、もしくは「苦しみ、悲しみ」であるかを知っているからだと想います。

人間の自分の中の「罪(悪)」を罰する者とは、他者(法律)ではなく、自分自身なのだと想っています。

わたしは想うのです。人間は、生命とは、いったいどれほどの苦痛に耐えることができるのだろう。いったいこの先も、どれほどの苦痛に耐えなくてはならないのだろう。

人は生命の中でも特に、「人」の命を尊びます。
だから家畜の肉を食べる人は多くとも、人が殺されることには抵抗する人が多いのです。

それは自分も「人間」だからです。
人間を殺すこととは、自分自身を殺すことと同じことなのです。

普通は人を殺せば殺人罪に問われるのですが、合法的な殺人があります。
一つは「戦争」、もう一つは「死刑」、もう一つは「中絶(人工妊娠中絶、堕胎)」です。

もしこれらの合法的な殺人のどれかを「仕方のない殺人」と呼ぶのなら、それ以外のすべての殺人も「仕方のない殺人」になるとわたしは想うのです。

殺人はすべてにその「わけ(理由)」があるものです。
戦争は自国を守るためにです。
死刑は遺族のため、犯罪防止のため、再犯防止のため。
中絶は母体を護るため、赤ちゃんが生まれてくることでなんらかの不利になる状況を避けるため。赤ちゃん自身のため(奇形や障碍児は幸福には生きられないという観念のため)。

そしてそのほかの殺人罪に問われる殺人もそれぞれ各々のわけがあります。
なんらかの訳があるから、人は人を殺すのです。
その「殺人」が、利己的か、そうでないかを判断するのは、最後は結局他者ではなく、自分自身です。
誰に非難されようとも、そうしなければならなかった理由があるのなら、それは確かな「殺さなければならない理由」だったはずです。

そういう意味で何か一つの「殺人」を「仕方のない殺人」とするなら、それはつまり自分がその「仕方のない殺人」の被害者になろうとも、仕方のないこととして受け容れなくてはならないことになります。

「仕方のない殺人」とは言い方を変えるなら、「殺されても仕方のない存在」、「殺されてもよい存在」と言っていることになります。

「罪のない」人を殺すという殺人は多くの人に非難されますが、同時に「罪のない」赤ちゃん(胎児)は生まれることもできないまま毎日世界中で何万人何十万人と殺され続けています。

「仕方なく殺さねばならなかった」とは言い換えるなら「殺してもよい存在」として赤ちゃんを見ているということです。
「殺してはならない存在」として見るなら、たとえ自分の身体が危険であろうとも、生かそうとするはずだからです。
赤ちゃんが「生きてほしい存在」であるなら、自分が死んででも産もうとするはずです。

赤ちゃんが生まれることを望まない中絶(堕胎)とは、赤ちゃんは「生まれなくても良い存在」として、仕方なく殺してしまうことなのです。

なぜ自分(母親)は「生きなければならない存在」で、赤ちゃんは「生きなくてもよい存在」なのでしょうか?

同じ人間という生命です。
母親もかつては自分のお母さんの胎内ですやすやと眠っていた赤ちゃん(胎児)だったのです。

赤ちゃんが安心してお母さんのお腹の中で眠ることができるのは、お母さんと自分は「一体」であると感じているからです。

お母さんと赤ちゃんは、赤ちゃんがお腹の中にいるときは「一つの存在」なのです。
赤ちゃんはお母さんを絶対的に信用して、愛されていることに安心して眠ります。

あたたかい羊水のなかで、お母さんの鼓動をいつも聴きながら眠っていたのです。
人間は誰しもが、そんなお母さんのお腹の中で過ごしていた赤ちゃんだったときがあるのです。

どんなお母さんであっても、赤ちゃんはお母さんに愛されていることを信じてすやすやと眠っています。
それは赤ちゃんの愛です。
お母さんを愛する愛で赤ちゃんはできているのです。

赤ちゃんを愛することとは、人間を愛することです。
自分自身を愛することです。

赤ちゃんを愛することはお母さんが幸せになることです。
赤ちゃんを愛することはお父さんが幸せになることです。

赤ちゃんはお母さんもお父さんも幸せにしたくて生まれてくるのです。
愛するため、愛されるためにお母さんのお腹のなかで受胎したのです。




そんな赤ちゃんたちがいったいいつまで、ほんとうに残酷な方法で殺され続けなくてはならないのでしょう。
死ねば苦しみは終わるのでしょうか。
でもそんなこと、わからないことなのです。
赤ちゃんは死んでも苦しみつづけ、お母さんの愛を求めつづけてお母さんの側にいつでもずっと存在しているかもしれないのです。

生命が何故生まれてくるか、ほんとうのところはわかりません。
わからないのに、死ねば楽になるというのは都合の良い妄想です。



自分は見たことはないのですが、水子の霊(胎児の霊)っていうのはほんとうにいるように想うんですよね。
赤ちゃんの魂ほど、自分が死んだことに気づけなくって死んでもずっとママのそばについて、成人の霊よりずっと苦しんで此の世と彼の世のあいだに居つづけるんじゃないかと。
そうすると赤ちゃんの霊が苦しむほど、やっぱり母親や赤ちゃんの苦しみに関係している人間たちの苦しみ(罪)も増すように想えます。




今日は中絶(堕胎)についての自分の思想の話はこれくらいにしておこうと想います。



この先は、もっとつらいもので、覚悟を持って観て頂きたい動画と画像(画像はそのまま載せてはいません。クリックすれば観れるようにしてあります)になります。






「沈黙の叫び(原題:The Silent Scream)」というのは賛否両論を起こしている1984年の妊娠中絶反対派による教育映画で、批判的な意見も多いようなのですが、その批判的な意見というのが結構どうでもいいところばかり批判しているのを見ると、自分はこの映画が訴えられるもののほうがずっと価値があると感じましたので、載せることにしました。


特に観ていただきたいと思ったのがこの二つのカットの動画です。
この二つはグロテスクな場面は入っていません。



ナレーターのバーナード・ナサンソンという人は産科医でNARAL(妊娠中絶権擁護全国連盟)プロチョイス・アメリカの創始者でもあるが、妊娠中絶を行う側から中絶反対の活動家に転向した人です。


このナサンソンが、一般的な人工妊娠中絶で用いられる器具を取りあげ、手術において女性の身体に対してどのように使用するのかを淡々と実演してみせます。

そして妊娠12週〈頭殿長(赤ちゃんの頭からおしりまでの長さ、座高)が約6cmほどの大きさの胎児、脚をピンと伸ばして計れば8cmくらいかもしれません〉の時点ですでに胎児の頭は吸引装置を使うには大きくなりすぎていると述べ、妊娠6週目から脳波を出している胎児の頭の骨を砕くための鉗子(かんし)の使い方をデモンストレーションする。





沈黙の叫び 2/5 (妊娠中絶)



この使われている器具類や方法は現代の日本でもほぼ変わらないようです。

(クリニックによっては、手術をしやすくするために、前日に、子宮頚管を広げるラミナリアという器具を挿入します。
ラミナリアは海藻でできた棒状のもので、少しずつ体内の水分を吸って膨張していき子宮の入り口を広げます。
人によっては、痛みが出る場合もあります)



妊娠初期の6週から11週までに中絶手術を行った場合のリスク


これらの硬い鉄の器具で子宮内を乱暴にも掻き回して掻き出すわけですから、子宮内壁に穴を開けてしまう“子宮穿孔(せんこう)”が起きたり、感染症やその傷で女性は不妊や流産といった後遺症のリスクを伴います。


妊娠12週以降の中期中絶になると、リスクはさらに高まります。

薬を投与して人工的に陣痛を起こし、分娩と同様に胎児を外に取り出しますので、特に出産経験のない方の場合は、子宮の出入り口である子宮頚管を広げる術前処置をしっかりと行います。
そのため、子宮頚管を傷つけてしまったり、陣痛が強すぎて子宮破裂を起こしてしまうリスクがあると言われています。

さらに、大きくなった子宮の収縮が遅かった場合などは、通常の出産ど同様に弛緩出血と言って多量の出血が起こる場合もあります。



中絶手術の際に感染症などのトラブルがあった場合は、それを原因として不妊症につながることがあると言われています。

さらに、何度も中絶手術を繰り返した方などは、子宮内膜が薄くなってしまい、受精卵が着床しにくくなる場合があるそう。
また、初産のときに早産の確立が高まったり、分娩時の出血が増える傾向も指摘されているそうです。



中絶にはこれだけのリスクがあるということを知るなら、母体(母親)を護る(生かす)ための中絶といっても、産むことと中絶することのどっちがリスクが低いかはわかることではないのです。
母親が生きるために中絶を選択しても、その罪悪感から精神が病んでしまっては自殺の危険性も生まれてきます。




次の映像も衝撃的なものです。(グロテスクなものではありません)


テレビには母親の子宮にいる胎児の超音波画像が映し出され、
ナサンソンは、何が起きているのか順を追って解説し、子宮に用いる新たな器具(サクションカニューレ)について説明します。

新たな器具はナサンソンがいうところの「子供」を「バラバラにして砕いて破壊する」ための最終兵器と呼ばれる。

胎児は子宮への侵入者に対する準備など出来ておらず、「堕胎医の操る冷たい鋼鉄の器具によって…バラバラにされる子供は」カニューレから逃げようとする、とナレーションは続く



沈黙の叫び 3/5 (妊娠中絶)




胎児は母親の子宮内で頭部と胴体、場合によっては手足も引きちぎられて殺され、引きずり出されるのです。
この方法さえ知らされずに中絶する人は多いのではないでしょうか?

座高が6cmほどの大きさの胎児が吸引する器具から必死に逃れようとして、また胎児の脈拍も急激に高まるというこの映像と話を嘘だという人は、胎児が逃げることも脈拍が高まることもないなら胎児は殺されようとしているその瞬間、なんの苦しみも感じずに平気でいるはずだと言いたいのでしょうか?

でも胎児がそのときどんな感覚でいるかというのは、胎児になってみなければわからないことです。
逃げることも脈拍が高まることもなかったとしても、胎児は拷問のような痛みと苦しみのなかで殺されているかもしれないわけです。

生まれてきた赤ちゃんの胴体と頭と手足を鉄の器具で引きちぎり、殺すなら、その殺した人はどれほどの非難を受けるでしょうか?
でもその赤ちゃんのほぼ同じ形のミニチュアサイズの赤ちゃんの身体なら生きたまま引きちぎっても良いとされるのは、小さな赤ちゃんには痛覚はそこまで発達していないからと勝手に決め付けているからではないでしょうか?

もし子供や成人とまったく同じ痛覚があるのなら、生きたまま身体を鉄の器具で引きちぎられるというのは、いったいどれほどの痛みと苦しみでしょうか。
想像できますか?
想像もできないほどの痛みと苦しみのはずです。
何故なら死ぬほどのそんな痛みと苦しみを経験して生きている人は誰もいないからです。
頭部と胴体を引きちぎられても生きている人はいません。



2003年には全世界で4200万件の中絶が行われたと推計されたようです。一日に11万5千人ほどの計算になるでしょうか。
想像もできないほどの拷問の苦痛をちいさな赤ちゃんに毎日、実際闇に葬られているのも含めば何十万人単位に達するかもしれない数の赤ちゃんに対して世界中で行なわれつづけています。


強姦や望まない妊娠でできた赤ちゃんであっても、拷問の苦しみを与えてまで赤ちゃんを殺すことを、母親は自分に対して赦すことができるものでしょうか。
自分自身を赦さないということは、精神的、または肉体的苦痛を伴うある意味拷問の苦しみを生涯自分に対して科しつづける人生を歩むということになります。

赤ちゃんを一人でも殺してしまうということは、どれほど重い苦しみ(罪)を自分に対して与えつづけることであるか、人はもっと深刻に考える必要があるとわたしは魂の底から危惧します。

「殺人」とは、どのような理由があっても、殺人を犯してしまった本人が自分自身を赦さないなら、それは地獄の道を歩むということです。
宗教のほとんどがなぜ一番に「殺生の罪」「殺すなかれ」という戒めを作ったか、それは「殺す」ということが人間にとって一番の「苦しみ」を生みだすものだからです。

中絶(堕胎)という選択をすること、それは「いつまでつづくかもわからないほどの地獄のような苦しみへの道」を胎児と共に突き進むという選択にほかありません。




この先は、胎児がどのような姿で殺されているか、その画像とすこしの動く映像を貼って、この記事は終えます。

閲覧に注意してください。




妊娠中絶
https://www.youtube.com/watch?v=9FaMMveSpO4





いきなり開いて吃驚するかもしれませんが覚悟してご覧になってください。(三枚とも小さめ~中ぐらいの大きさの画像です)



最初の写真はグロテスクなものではないと想います。手を胸の上で組んでいる中絶胎児の写真です。
ママのお腹のなかで祈りつづけていたように見えますね・・・
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/otoneru/20170407/20170407143915_original.png?1491543633



http://1.bp.blogspot.com/_NBH5JN5Es64/TRduuF2EaFI/AAAAAAAAADY/_NQv2UoQoDc/s1600/Beb%25C3%25A9+Abortado+-+%25C3%2589l+no+tuvo+Derechos+Humanos.jpg




https://i.ytimg.com/vi/KPdREM8uUsA/hqdefault.jpg




https://image.slidesharecdn.com/pptcapacitacionviveaborto-090924021433-phpapp02/95/porque-no-elegir-el-aborto-36-728.jpg?cb=1253758546






最後に、何故、人間の命を特に人は尊ぶのか。
それは、人間の人生というものは、その遺伝子を引き継いだ一人の人間の生きる環境、容姿、人格性などすべての備えた個の人間という存在が、ほんとうに一度きりの「物語(人生)」であるからではないでしょうか?

そのたった一つの「物語(人生)」を生きるために生まれてこようとしている魂が、一日すらお母さんのお腹の外の世界を生きることが叶わなかったその無念と哀しみが、どれほど深いものであるかを、想像し続けることができればと想います。






リンクサイト


漫画家・沖田✕華さん×ルポライター・杉山春さん 対談(前編)
中絶した女性に「あめを2つ舐めたら帰って」 産婦人科の知られざる実態



ちぃたんのブログ【閲覧注意画像があります】


<中絶1日2000人>この日本のような堕胎数は世界でも異例 「妊娠6週・赤ちゃんの画像公開」【閲覧注意画像があります】


小さないのちと私たち~あなたに逢えてありがとう~(3)人工妊娠中絶の実態と現実 辻岡健象


【閲覧注意】母体から掻き出された中絶胎児たちの“言葉にならぬ表情”


中絶胎児の行方・発電や暖房、調味料やワクチンなど

ペプシの中に含まれている香料の材料は、中絶した胎児の体細胞





100の質問

2017-03-26 22:47:21 | 100の質問
No.1
Q : お名前はなんですか。(ハンドルネーム可)
A : 白空orあまね

No.2
Q : 血液型は。
A : A

No.3
Q : 性別は。
A : 女だが中身も外見も中性的ではある

No.4
Q : 趣味は。
A : 音楽鑑賞、映画鑑賞、シムズ3

No.5
Q : 好きな食べ物は。
A : 最近はブロッコリーや山芋とかかな

No.6
Q :お住まいはどこですか。都道府県ていどで。
A : 大阪府。生まれは北河内郡です。

No.7
Q : 性格を一言でいうと。
A : 天然ど阿呆

No.8
Q : わりとがんばっている方ですか。
A : 俺は好きなことだけにがんばって生きている。それ以外にがんばる気は死んでもない。がんばるとは、無理することではない。本当にやりたいことを気張って何一つゆずらず強く主張し通すことである。

No.9
Q : 利き腕は。
A : 右だ。しかし作品を書くのはいつも両手の人差し指だけでキーを打って俺は創っています。

No.10
Q : 好きな番組は。
A : テレビはもう2009年から観ていない。

No.11
Q : 最近、どのようなことで笑いましたか。
A : 今日も何度も一人で笑ったが、何で笑ったかまったく想いだせない。

No.12
Q : 尊敬する人物を教えてください。
A : 我が永遠なる師匠は町田康である。

No.13
Q : 買ってしまったけど、失敗したなーというものは。
A : 買った本の9,8割が積読本である。六畳間が本で埋まってゆく。足の踏み場もない。

No.14
Q : 今までで1番高い買い物は。
A : ENVYという中古パソコンやな。HP 700-270jp i5 4570 3.20GHz GTX760 で税込 42,800 円だった。シムズ3がやりたくて買った。

No.15
Q : 自分を動物にたとえると。
A : 小動物、カエル、猿

No.16
Q : 春・夏・秋・冬どれが好きですか。
A : 俺は季節を感じない。離人症だから。

No.17
Q : その理由は。
A : 知るか、ボケ。

No.18
Q : 憧れの職業は。
A : 小説家だね。でも世に出なければ小説家ではないというわけではないから、俺も小説家だろう。

No.19
Q : 生まれ変わったら、男の子と女の子どちらになりたい。
A : 俺は前世、現世で男、女、と来てる気がするから来世は男でええかな。

No.20
Q : その理由は。
A : 知るか、ゆうたやろ。

No.21
Q : 旅行したいところはどこですか。
A : ウクライナとかかな。

No.22
Q : 口癖はありますか?
A : 俺はおまえを真に愛している。

No.23
Q : どのようなアルバイトをしたことがありますか。
A : 色々あるよ。和食料理店の厨房、馬肉の工場、コンビニ冷蔵食品の仕分け作業、フジパンの工場、パナソニックのクリーンルームetc・・・

No.24
Q : 今日の気分を天気で言うと。
A :雨が降ってるが、あたたかい雨だ。比較的元気な日だ。

No.25
Q : いま一番欲しいものは。
A : ママが欲しい。

No.26
Q : 「さぁ、リズム良く♪あ、ワン、あ、ツー、あ、ワンツースリーフォー」の「あ」をどう思いますか?
A : 会わん。熱ぅっ。会わんつぅトゥリー(樹)が四本立っているということだ。樹は一本で三位一体を表している。だからそれが4本立っているということは、合わせて七つ。7は完成の数字だ。完成に至る道はあまりに熱く(試練が大きい)、今はまだあなた(完成した自分)には会えないという意味だ。

No.27
Q : ジャージで町を歩けますか。
A : ジャージは着てみたいけど、まだ持ってない。「魂のアソコ」で鳥肌実が着てたみたいな水色のジャージを買ってサークルKサンクスに真冬の真夜中3時過ぎに行ってみようかな。

No.28
Q : ところで、今何時。
A : 21:8.38

No.29
Q : 髪の毛の色は。
A : オレンジ系の天然ヘナで染めています。白髪が綺麗な赤毛に染まる。

No.30
Q : 小学校のときに好きだったテレビ番組は。
A : 特に好きだった番組、21エモンとかかなぁ。

No.31
Q : 印象に残っている映画は。
A : 最近では「ハードキャンディ」とかかな。

No.32
Q : お酒は好きですか。
A : 好きです。今も飲んでいます。

No.33
Q : ネットをどのように利用していますか。
A : ネットには自由のすべてがあります。生きるために、利用しています。

No.34
Q : あなたのサイトのセールスポイントは。
A : 俺のサイトはいくつもありますが、俺のブログを見に来る人に、おれはすべてを与えるために書いています。痛み、悲しみ、苦しみ、喜び、愛、欺瞞と醜さと美しさ、嘘と真の絡み合い、人間の闇と光、そのどれかひとつでも見る人はさいわいであり、俺もさいわいです。

No.35
Q : 昨日の夕食に何を食べましたか。
A : まず小松菜と人参で粕汁を作る。それをキャベツと山芋のすったボウルにぶちまけて粉を入れてそれを焼いて喰うた。マクロビお好み焼きです。

No.36
Q : 今日の朝ごはんは。
A : 手作りパインアップル入りマクロビココアブラウニーです。

No.37
Q : 平均の睡眠時間は。
A : 14時間。

No.38
Q : 昨日何時に寝ましたか。
A : 夜中の3時前には寝たはずです。

No.39
Q : で、何時に起きましたか。
A : 13時半頃に起きた。

No.40
Q : 小学校の給食で好きだったものは。
A : 中華春雨とかかな。

No.41
Q : 同じく、嫌いだったものは。
A : 牛乳。生臭いし瓶の飲み口がぬるぬるして気持ち悪いことはなはだしかった。

No.42
Q : 親友に一言お願いします。
A : 返事をできなくって、ごめんね。でもいつでも愛してるということはわかっていてほしい。

No.43
Q : では母親にも。
A : 天国のお母さん、どうか娘の私が母になる日を望んでください。

No.44
Q : 小さいころ何をしていましたか。
A :人を苦しめて、へらへら嗤っていた。また盗みを働いても罪の意識がなかった。

No.45
Q : 苦手なことは。
A : 我慢すること。価値観を押し付けられること。

No.46
Q : 得意なことは。
A :自動書記。何も考えずにひたすら浮かんだ言葉を打ち込む。

No.47
Q : あ、目の前に宇宙人が・・・
A : 「もしよろしかったら、わたしはあなたの遺伝子を遺したいと想います。抱いてください」

No.48
Q : お化けを見たことがありますか。
A : たぶんないと想うけど、幽霊だと身内に訝られたことはある。

No.49
Q : 携帯電話はメール派?電話派?
A : メールだね。

No.50
Q : ペットはいますか。
A : うさぎを一匹。みちたくんです。9歳になりました。

No.51
Q : アクセサリーは好きですか。
A : 好きではないが手作りのパワーストーンブレスだけはいつもつけています。これはアクセサリーではなく、ペット(友達、石は生きているから)です。

No.52
Q : 小学生のとき好きだった教科は。
A : 自分の自由にできる教科はなかったから、どれも好きではなかったなぁ。でも絵を描いたり図工とかは楽しいこともあったよ。

No.53
Q : 今まで経験したことのないことで、やってみたいことは。
A : 異種交配かなぁ。

No.54
Q : 好きな動物は。
A : 最近は狼なんか見ると、ぐっと来るものがあるね。哀しそうな目をしている。

No.55
Q : 2000円札についてどう思いますか。
A : 特に何も想わないな。あんまり使ったこともない。

No.56
Q : 人以外に変身するなら何になりたい?
A : 人工知能かな。

No.57
Q : 好きな言葉はなんですか。
A : 昨夜から「安かれ」という言葉がとても好きです。イエスが言った言葉です。

No.58
Q : 日本の政治家に一言
A : 安部さんは好きですよ。悲しい顔をした人はみな私の魂は側にいます。

No.59
Q : メル友はいますか。
A : いないですね、今は。

No.60
Q : ネットオークションに参加していますか。
A : 前よりはヤフオクも使う頻度が減りました。

No.61
Q : ストレス解消法は
A : 酒。創作。妄想。

No.62
Q : 「じゃんけんポン!!」多いもん勝ちでこれを出すと必ず勝つというものがありますか。
A : これがなんの意味かわからないのだが。

No.63
Q : 「最近この人1番がんばっているな。」と思う人は。
A : 一番自分の遣りたいことをやってるなっていう人でしょ。俺もみんな遣りたいことを精いっぱい遣れてると想っています。

No.64
Q : 最近できるようになったことは。
A : 最近、誰と会話せずとも平気でいられるようになった。その分、俺は俺のなかの存在とだけいつも話すようになった。

No.65
Q : 最近はまっていることは。
A : 俺のなかに生きている存在と対話すること。接すること。愛し合うこと。

No.66
Q : 長所は。
A : 俺のすべてが長所である。

No.67
Q : ハイ、ポーズ!
A : 意味がわからない。俺は今、酒を飲みつつ大またをひらげて椅子に座っている。これが俺のいつもの姿勢である。

No.68
Q : 幸せですか。
A : 勿論。幸せになるためにすべての存在が存在となった。

No.69
Q : 占いについてどう思いますか。
A : 占いは好きなほうです。俺は我が道を行くライオンで獅子座で親分肌で義理人情に厚いがライバル意識の深い大渓水であり十干占いは直情径行の甲(きのえ)です。

No.70
Q : ではやくざは。
A : 俺は昔からのやくざ気質です。キレるとリアルでもやくざ的な行動に走りやすい。

No.71
Q : もういっちょ!政治家は。
A : 政治家に俺は一種の尊敬の念を払っている。でも自分がなりたいとは想わない。

No.72
Q : 好きな色は。
A : 最近は灰色的な色が美しく思えるかな。白と黒の間の色。光と闇の両方を備えあわした色です。

No.73
Q : 好きな花は。
A : 痛々しい真っ赤(赤黒いといってもいい)なバラの花なんかが、最近はその痛々しさに美しいと想えるかな。

No.74
Q : さあ、今から何か叫んでください。
A : 俺は死んでもおまえを離さない。それほどの覚悟ですべてが誰かを苦しめている。

No.75
Q : もし1週間しかいきられないとすると、何がしたいですか。
A : わからんけど、なんもせえへんかもな。言いたいことだけはゆうて死にたい。

No.76
Q : もし1週間しかいきられないとするとまず何を食べたいですか。
A : まず家にあるものはすべて食べ尽くしてありがとうと感謝して、家に何も喰うもんなくなったら死ぬ迄断食だな。

No.77
Q : 夏といえば。
A : 夏といえば冷蔵庫が故障したままでは腐る季節。それまで俺の故障した冷蔵庫をなんとかせねばならん。

No.78
Q : では冬といえば。
A : 冬は冷蔵庫が故障しててもなんとか過ごせる季節。壊れた冷蔵庫しかない俺にとって、神の恩恵の季節。

No.79
Q : 中学生・高校生のときの変な校則は。
A : 高校は行ってないが、中学の校則も一応たしかあったね、スカートの丈が短すぎるのはだめとか、俺はずっと膝丈だった。膝丈が実は一番、少女らしくて可愛らしい。
No.80
Q : 恋していましたか。
A : 恋はしていたし、今もしています。

No.81
Q : 東京ディズニーランドは好きですか。
A : 行ったことはないけど、人のいない遊園地は行ってみたいね。真夜中の遊園地。

No.82
Q : 遊園地の好きな乗り物は。
A : あんま特に憶えてないね。子供ができたら、連れてってやりたいが。

No.83
Q : お勧めのホームページは。
A : 俺のHPと、「黙考のしじま」です。

No.84
Q : 携帯電話に知らない番号からかかってきました。でますか。
A : 絶対に出ない。俺の名義で何故か借金が38万円近くある。

No.85
Q : メールは1日に何回しますか。
A : ほぼ0回だね。

No.86
Q : 電車ではお年寄りに席を譲りますか。
A : 絶対譲らない。席に座った瞬間に俺は目を瞑る。

No.87
Q : 今日のお天気は。
A : 今は雨はやんでいる。

No.88
Q : B型についてどう思いますか。
A : 俺の父と姉の血液型。

No.89
Q : A型は。
A : 俺と兄と母の血液型。

No.90
Q : O型は。
A : 上の兄の血液型。恋人がO型多かったね。相性は一番いいらしい。
No.91
Q : 夏休みの宿題は早く終わらせる方でしたか。
A : 最後の日にしかやらなかった。

No.92
Q : 学校の先生は好きでしたか。
A : 好きな先生も多かったよ。俺が片親の生徒で問題も多かったので普通の生徒よりも心配されて愛されていた気がする。

No.93
Q : 団体行動は好きですか。
A : 好きじゃない。俺の鏡に囲まれるのは地獄でしかない。

No.94
Q : ルールや規則は守りますか。
A : 護らない。俺のルールは一分ごとに変わる。

No.95
Q : 嫌いな職業ベスト3は
A : ブラック企業は一秒でも早く改悛して欲しい。

No.96
Q : 待ち合わせの時間に間に合っていますか。
A : 間に合わないことが多い。焦れば焦るほど、間に合わない。

No.97
Q :警察署の前で1000円札を見つけました。どうしましょう。
A : 拾って喜びを噛み締める。

No.98
Q : コンビニでよく買うものは。
A : もうまったく行かない。義理で買うなら酒くらいだろう。

No.99
Q : ここまで読んでくれた、サイトのお客様に一言お願いします。
A : ありがとうございました。俺のことをこれからも嘲笑って恨んでもらえたら俺は悲しみに打ちひしがれて喜びを噛み締めて生きていきます。

No.100
Q : お疲れ様です。最後に一言お願いします。
A : 俺はあなたになにをしたのか。




http://situmonmu.web.fc2.com/13.html











私と神との対話「Thomas」

2017-03-26 01:26:12 | 物語(小説)
イエスの弟子トマスは使徒のなかでも一番疑い深い人間であった。
イエスが復活した日のことである。


ヨハネによる福音書

20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。

20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。

20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。

20:25 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

20:26 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。




男は我が神に訴えた。
「わたしもあなたの御身体に触れ、あなたが生きて実存する存在であることをこの手で確かめたいでございます。なぜ見ないで信ずる者は幸いなのでありましょうか」
神は自動書記で御答えられた。
「おまえはそうは言うけれども、いったいこの世界でどれほどはっきりと目をみ開いてすべてを見ているだろう。おまえは自分の身体こそいつでも手に触れて在ることを確かめることができるが、その身体はなぜそこに存在しているのだろう。おまえは自分の姿を観ているから自分の存在が在ることを信じているとでもいうのか。おまえは自分を見て触れることもできなければおまえはおまえの存在を信じないのか。おまえの存在とはおまえのその目とおまえの身体がなければ存在することを信じられない存在なのか。であればなぜ目に見えない俺の存在をおまえは見ようとしているのだろう・・・。見えないものを見ようとしているのは見えないが存在していることをおまえがわかっているからではないのか。おまえはすでに”見ないで信ずる者”であるのにそこから”見て信ずる者”に堕落しようとしている。おまえがそんなに不幸せになって堕落したいというのなら、いっちょ俺は形をとっておまえの前に顕現してやってもいい。おまえはほんとうにそれを望むのか」
男は一瞬迷ったが、神の姿を、愛おしいグレートマザーの御姿をこの手に触れてみたい気持ちが湧きあがって答えた。
「御願い致しますグレートマザーよ。わたしの目のまえに現前してください」
すると男の目のまえに突如、女装した泉谷しげるそっくりの人間が立っていた。
長い髪はくるくると巻き毛にして艶やかな栗色、顔は化粧もばっちしキマっていて薄いピンク色の可憐な膝丈のワンピース姿であったが体形も顔も泉谷しげる本人のようにしか見えなかった。
「どうだ、これで満足か。触ってもええんやぞ」
驚いたことにその声も泉谷しげるの声であった。
男は「う~ん、なんか根本的に違うような・・・・・・」と不満そうな顔を浮かべた。
「なんだおまえ、せっかく、せっかく俺が肉体をまとっておまえの好きにしていいゆうてるのに、しょうがない、俺がおまえを襲ってやろう」
そう言うとグレートマザーは男に襲いかかってディープキスをしようとした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待っていただけますかグレートマザーよ!なんで、なぜよりにもよって泉谷しげるなのでございますか!?」
「なんだ、爆裂都市 BURST CITYに出てた頃の泉谷しげるならオーケーだっていうのか?」
「う~ん、あの役は確かにカッコよかったですが、やっぱり全体的にすべてがグレートマザーのイメージとまったく違うのでございます」
「なんだ、それでは裸のエプロン姿のトランプ大統領のほうがよかったのか?」
「なぜトランプ大統領の姿に化けるのでございますか・・・・・・」
「わがままなやつだな、ではプーチン大統領ならいいわけだな?」
「う~ん・・・まだ女性っぽさは感じないでもないですからマシかもしれませんが、やっぱり根本的に嫌でございます・・・」
「ははは。だからゆうてるやんか。俺が偽の仮の肉体をまとった姿で現れたところでおまえは不幸になるだけだと。俺がどんな肉体で現れようと俺にとっちゃすべて嘘の姿なのだから。おまえは嘘の姿を俺に望んだのである。嘘の姿でおまえはほんとうに幸せになれるというのか?嘘の俺で満足するってェいうのか」
「う~ん・・・誰かの姿と同じになると、それが嘘の姿になりますが、今から生まれるまだ誰の姿でもない肉体を創ってくださるなら、それはまさにグレートマザーの肉体ではありませんか?」
「でもそれでも嘘は嘘だ。俺の本質は肉体ではないのだから。なにゆえに神に嘘の衣を着せたがるのか。おまえがほんとうに俺を愛しているというのなら、俺がどんな姿でおまえの前に現れようともおまえは俺を愛するはずなんだがなぁ」
「わたしは貴方様をほんとうに愛してはいないと、そう仰いたいのでありますか?」
「俺がどの姿で現れようがそれは嘘である。おまえはもっと嘘を嘘として愛することのできる人間になるまでは、俺がどの姿で現れようともおまえは不幸である。見えるものすべてを、嘘として愛することができるなら、おまえは真に幸福である。だから”見ないで信ずる者”とはこの世の見えるすべては”嘘”であると信ずる者のことである。すなわち見えるすべてより”見えないすべて”に価値を置く者である。もう一度訊くが、おまえは俺が”見える”から信じているのか」
「あなたはいつも、わたしの目のまえにはいません。あなたは目に見える存在ではありません」
「では俺はおまえにとって、見えない存在であり、おまえは見えないのに俺を真に信じて愛しているというのか」
「その通りでございます!わたしは貴方様は肉体を御持ちでいらっしゃらないことを承知しています」
「うむ。ではわたしが、真におまえに言おう。わたしがおまえを愛するのは、おまえが目に見える存在であるからである」
「それはいったい何故でしょう?」
「おまえら全員、見えない存在になったなら、俺の存在は消えてなくなるやんけ。無意味で不必要になってしまうやんか。おまえが目に見える存在であるから、おまえは俺を愛し求め、俺もおまえを愛し求めてるんやんか。またまえの話に戻ってるやん。対極が絶対的必要であるのだと。だから俺は、目に見えない存在で在りつづける必要があるのである。俺にとって、おまえがどれだけ触れたい存在であるか。いつでも触れているが、おまえはいつも気づかない。おまえが気づくことのできない俺の手こそ、おまえにとって真の俺である。おまえは俺のすべてに触れることができるが、触れようとしない。よく聴きなさい。おまえの触れられるすべては、おまえ自身である。俺はおまえにいつも触れたいが、おまえが俺に触れないとき俺もおまえに触れることはできないのである。おまえが俺を見たので、俺にもおまえが見えるよ。おまえが目に見える。おまえが見ているのは目に見えない俺だから、俺はおまえに永遠に見えない。俺はおまえがいつでも見える。触れて、いつも確かめているよ。そして俺はおまえにこう言っている。我が主よ。我が神よ」













Bibio - Saint Thomas (Live Session)










ѦとСноw Wхите 第14話 〈edge〉

2017-03-23 19:31:00 | 物語(小説)
Ѧ(ユス、ぼく)はおとといに、お姉ちゃんにちょっとした告白のメッセージを送った。

それは、こんなものだった。





こずは今日こそ、お姉ちゃんにちょっとした告白をしようと想う。
心を落ち着かせて聴いて欲しい。



お姉ちゃんは傷つくと想うけど、お姉ちゃんはこずのこと、ちっともわかっちゃいない。

この際言うけれども、こずはまだ、こずのせいでお父さんは死んだと想ってるし、それを信じてずっと生きてる。
こずはこずを赦されへんねん。どうしても。
こずはこずのことを愛してるけれども、
こずはこずをいつでも、起きてるあいだずっと自分をぶっ殺したいほど憎い。
一度殺しただけじゃ気が済まない。
永久に自分を殺しつづけたいくらいに憎い。
その自己憎悪というもんは、自分だけに向くもんじゃないねん。
それは必ず、他者に向く。
それが人間の普遍的心理であって、誰もがそういうもんやねん。
自分を愛してるからこその愛憎で、それが他者に向けられる。
だからこずがいつでも自分を憎みつづけているということは、同時に他者をも、すべてを憎み続けていることと同じやねん。
こずだって自分を赦したいよ。
でもそれは簡単にできるものじゃないし、それがこずの生きる人生の一番大きな試練で、必要な苦しみだとこずは自分でそう感じてるし、そういう意味ではすごくポジティブになれてきたと想ってる。
すこしずつ、すこしずつ、自分を赦していくのが人間なんちゃうかな。
それくらいこずの自分に対する憎悪は重くって、それはお父さんを本当に愛していたことの証明やから。
一番苦しめたくない人を一番苦しめてしまった後悔は、そうちょっとやそっとでなくなるもんやない。
こずにとってお父さんはお母さんでもあってん。
こずにとってたったひとりの親やった。
こずのすべてやってん。
だからお父さんが死んだ晩、本気でこずうちのマンションの四階から飛び降りてお父さんのところに行きたいと願ってん。
でもそうしたらお姉ちゃんやお兄ちゃんやしんちゃんが余計哀しむと想ったから自殺するのを想い留まることができた。
兄姉誰もおらんかったらこずはとっくに死んでる人間やで。
未だに余生を送ってるような気持ちで生きてる。
こずはお父さんが死んでから生きてる感覚というもんがほとんどないねん。
季節というもの、時間が流れているという感覚がない。
生きてるっていう実感がない。
まるで夢の中をずっとふわふわと足も地に着かずに生きてる感覚で生きてる。
そういう人を「離人症」っていうらしいねんけど、これがほんまつらい。
生きてる実感がないから人を傷つけてもどこかで平気でおれたりする。(夢の中で人を傷つけてるような感覚やから)
ずっと自暴自棄で生きてるから、すべてがヤケで、人を傷つけることで自分を傷つけて喜んでるような人間やねん。
こずはサドやけど、同時にドエムで、それも全部自分が憎いからそうなってしまった。
人を傷つけることは楽しいとさえ感じてるときもある気がする。
自分が傷つくこと、自分が苦しむことをいつも求めてるから、自分の投影(鏡)でしかない相手を苦しめることが嬉しいことになってしまうねん。


人間追い込まれてゆくほどだんだん闇が深くなっていって、それを身内に知らせることってつらいことになってくるねん。
絶対、傷つくと想うから。
こずはもう2008年から引きこもってるから今年で8年やな。
ネットの場っていうのはこずにとってほんとうの救いの場やで。
ネットでしか発することの出来ない自分の気持ちばかり持って生きてるから。
身内には言えないことばっかりでできてるのがこずという人間やねん。


そんな人間が人を傷つけない言葉っていうたら、ほとんど表面的な言葉でしかない。
核の部分に「自分(人)を傷つけたい」っていう気持ちが隠れてるわけやから。
でもわかってほしいのは、あくまで傷つけたいのは自分自身で、「他者」ではないってこと。

メンヘラはみんな自分と他者の境界が薄くって、他者を自分のように感じてる。
だから他者から冷たい仕打ちや酷い仕打ちを受けたとき、それは自分自身から受けたことと同じで、
自分から愛されない自分を憎んで、その自己憎悪が他者へ向かう。

お姉ちゃんもこんなに闇の深い妹を持ってしまってつらいと想うけど、でもこず自身は深い喜びをだんだん感じて生きてる。
苦しみが深いほど良い物語も創れるし、他者の痛みもわかるようになってくる。

だからあまりネガティブには捉えて欲しくない気持ちがある。
むしろこずが選んだ道をこずがちゃんと生きてることに安心して欲しい。

お姉ちゃんを落ち込ませてしまったかもしれんけど、これがこずの実態で、こずのあんまり身内に知らせたくなかった”心の闇”なのです。
こずはできるだけこずの内面をすべて自分の書く物語に注ぎ込みたいと想ってる。
創作こそが昇華(カタルシス)になるものやから。











その夜と昨日、お姉ちゃんから返事が来てた。

それは、こういったものだった。











なっがw
長過ぎるわ(; ̄Д ̄)


人を傷つけるのと自分を傷つけるのは全く別にして欲しい。
自分の事やから自分をどうしようが私の勝手、と言われればそれまでやけど、人をそんな思いで傷つけるのはその人からしたら完全にとばっちりやんな。
ほんまにその人がひどい人やったらまだしも、いい人でも関係なく傷つけるやろ?それは酷過ぎる…
それってただの自己満足やん。相手からしたら災難でしかないやろ。

ケガさせるより心を傷つける方が酷いと思う。
多少のケガなら日にち薬で治るけど、心の傷は下手すりゃ一生残るし、その人の未来を壊したり奪ったりしてしまう事だってある。

勿論、大きな外傷を与えたらそれも一生もんになる事だってあるけど。

どっちも良くないな。けど、人間知らず知らずのうちに人を傷つけてしまってたりもするから、それに気付いて謝れるのが1番ええっちゃええ。

気付かず過ごしてるのもひどい話やな。私はどっちかと言うとそっちかもな…気付かんから謝りもせぇへんし、へらへら笑ってるけど何処かで誰かが傷付いてるのかも知れん、と思ったら恐ろしいわ…

それはそれで罪重い…。

出来れば人を傷つけたくない。傷つきたくもない。









Ѧはこの返事を読んで、もう、当分お姉ちゃんとは口を利きたくないと思った。

Ѧは、お姉ちゃんとお兄ちゃんから、何度も「おまえのせいでお父さんは死んだ」と言われてきた。

そのことについてѦがいまだにずっと苦しんでても、お姉ちゃんは謝る気もまったくないようだ。

Ѧのこころを深く傷つけてまだ謝りもしないのはおねえちゃんなのに、そんなおねえちゃんからѦは言われたくないと想った。



おねえちゃんもおにいちゃんもきっと、いまだにѦがお父さんを殺したんだって想ってるんだよ。

Ѧのことを赦してないんだ。

だからѦが未だにお父さんのことで苦しんでるっていう告白をしてもお姉ちゃんからの心配する言葉一つもなかった。

きっとѦが苦しむのは当然だって想ってるんだよ。

Ѧはこころが虚しくて哀しい。



Ѧは静かに泣きながらそうСноw Wхите(スノーホワイト)に訴えた。



Сноw Wхите「Ѧ、Ѧのお姉さんもѦのお兄さんもѦを心から愛しています。そうでなければ、どうしてここまでѦを追いつめて苦しめる必要があったでしょう。Ѧを苦しめ哀しませつづけることはお姉さんとお兄さん自身が苦しみ哀しみつづけることなのです。苦しみたいと想っているѦをほんとうに苦しめつづけられるのはѦが心から愛する者たちです。Ѧの”苦しみたいという望み”を自分が苦しみつづけてでも叶えてくれたのがお姉さんであり、お兄さんであり、そしてѦのお父さんとお母さんです。Ѧはそれをちゃんとわかっています。だから心の底から誰をも憎んではいないのです。Ѧはほんとうに愛されています。心から彼らに感謝してください。お姉さんもお兄さんも、Ѧを傷つけつづけていることに深く傷つきながら暮らしています。それでもѦとの大切な”約束”であるため、まだ傷つけつづけなければならないのです。すべての人間が”なりたい自分”になるためにそのような約束をたくさんの人と生まれるまえにしてから生まれてくるのです。Ѧに大きな影響を与えつづける存在は誰もがѦの”ソウルメイト(魂の伴侶、仲間)”たちです。互いに苦しい試練に耐えて貢献し合おうと約束して生まれてくるのです。Ѧにとって大切な存在は必ず相手にとってもѦが大切な存在なのです。想い合っているからこそ苦しめ合うのです。だからどんなに傷つけられつづけてもѦにとってお姉さんやお兄さんがほんとうに大切な存在であることに代わりはないはずです。お姉さんはѦにほんとうに幸せになってもらいたいのです。だから人を傷つけたままでѦが苦しんで生きることがないように忠告しているのです。ѦはѦの苦しみをお姉さんに打ち明けましたが、お姉さんはすでにѦの苦しみがどれほどのものか気づいています。だからѦのことが心配でいつでも元気づけたいと想ってベジタリアンレストランに誘ったりしてくれるのです。いつ会っても、Ѧが普通の人よりはずっと元気がないことをお姉さんは気づいています。Ѧの哀しみが相当なものであることをお姉さんはわかっているのです。わかっているからこそ、Ѧはお姉さんに告白することができたのです。それに人間というものは、意識していることだけが”理解”していることではありません。人間は意識に上らなくともありとあらゆることをわかることができる存在なのです。だから人と人は深くどこまでも共感し合える存在なのです。誰もが見たい世界を見て、生きたい世界に生きています。Ѧはちゃんとお姉さんとお兄さんから”愛される世界”に生きています。それはѦがお姉さんとお兄さんを心から愛しているからです。本当に心からѦを憎んで赦さない世界に生きている存在はどこにもいません。Ѧは本当は赦されているのです。だからこそ”赦されない”世界を自ら選んでその世界に苦しみつづけて喜びを分かち合うことが許されるのです。無理に赦す必要もなければ、無理に仲良くする必要もどこにもありません。仲直りしたいと想ったときに、自然と仲直りできるものです。その”時”が来ることを焦る必要もなければ求める必要もありません。Ѧはすでにずっと、すべてを求めつづけているからです。Ѧ、すこし元気になりましたか?」



Ѧ「ありがとうСноw Wхите。すこし元気がでたよ。ほんとうに、大好きなんだ。お姉ちゃんのこともお兄ちゃんのことも、だから無理に仲直りする必要なんてないね。縁はどうしたって、切れないもんな」



Сноw Wхите「”縁”は英語で”edge(刃)”です。縁は”切られる”ものではなく、”切る”ものです」



Ѧ「なにを切るの?」



Сноw Wхите「真っ白な画用紙をエッジで好きに切るのです。なにを切りたいですか?」



Ѧ「Сноw Wхитеの人型を切ろう!」



Сноw Wхите「そしてオーブンで焼いてください。スノーホワイトマンのできあがりです」



Ѧ「やったぁ!こんどはぼくのエッジでスノーホワイトマンの住む可愛いおうちを作ってあげるね」



Сноw Wхите「待っています。Ѧの作るけっして溶けないおうちを」






















レオナルド・ディカプリオ財団提供短編映画集「GREEN WORLD RISING」

2017-03-23 07:20:14 | 映画

レオナルド・デカプリオ財団提供短編映画集「GREEN WORLD RISING」シリーズを公開


グリーン・ワールド・ライジング(Green World Rising)は、気候変動の危機を明らかにすると共に解決方法を提示する短編映画シリーズです。




ラスト・アワーズ ― Green World Risingシリーズ






学者たちは地球は六度目の大量絶滅期に突入しており、滅亡的な絶滅はこの先何世紀のあいだか、もしくは”何年か先”のあいだに来るかもしれないと言っています。
学者たちの深刻そうな顔を見ると、本当に地球はやばいところに突入しているのだなと感じてちょっと落ち込んでもしまいますが・・・
でもまだ地球が滅亡すると決まっているわけではありません。

わたしは食い留めることができるのではないかという願いがあるので、地球は滅亡を食い留めることができる未来をわたしは観ています。
でもそのためには、人類は今すぐにでも”移行”せざるをえない習慣がいくつもあるだろうと思っています。
ひとつは、人類は滅亡を逃れるためには”肉食”をつづけていくことは、もはや不可能です。
それは”畜産業”の環境破壊があまりに酷く、持続可能なものではもうないからです。

詳しくはレオナルド・ディカプリオが製作総指揮を務めたドキュメンタリー映画「カウスピラシー(Cowspiracy)」をご覧になってください。
vimeoとyoutubeで無料で全編観れます。https://vimeo.com/141652252
https://youtu.be/JTcprWbo9N8?list=PLP2aDn3ibiOJ8YUb1kuCW1Kvvtd8k79-1

(追記:残念ながら動画のカウスピラシーは削除されてしまいましたのでNetfilixのURLを貼り付けます。)

Cowspiracy: サステイナビリティ(持続可能性)の秘密



地球が滅亡して欲しい人は、そう多くはないはずです。
しかし皮肉なことに、地球が滅亡して欲しくないと願いながら生きる多くの人が地球滅亡に大きく貢献して生活しています。

自分はもう、顔を洗うということをやめました。
水不足が深刻なこの時代において、顔を洗う水がもったいないからです。
なので一日に一回か二回化粧水をスプレーで顔に吹きかけてコットンで拭き取るだけにしました。
これが大変らくちんで、素晴らしい習慣の移行です。
しかも顔を洗っていたときのほうが皮脂を落としすぎて肌が荒れていたのです。

頭は天然ヘナをお湯に溶いて手作りシャンプーを作って、それで4日か5日に一度洗う以外はお湯洗いだけで、それまで頭が臭くなってたのがヘナで洗うようにしてから臭くなくなりました。

あとはヤシ油生産のための森林破壊が大変問題であると知ったので最近からパーム油(ヤシ油)を使っている製品を買わないようにしています。ほとんどの洗剤や加工食品に入ってるんですよ・・・
お皿洗いは洗剤のいらないスポンジと重曹で、洗濯はアルカリウォッシュで済ませます。


そうなんです。当たり前と思っていた習慣が別に何も当たり前に必要ではないことばかりだったのです。
肉食も当たり前なことではまったくありませんでした。
むしろ肉食と乳製品と卵をやめることでわたしは頭痛と生理痛と胸の良性のしこりの痛みから解放されたのです。
人類は”当たり前”のことを見直す時期に来ています。

わたしはたぶん、あと遅くとも20年以内には、人類は”菜食”であることが当たり前の時代が来ていると想っています。


スルマへ

2017-03-21 20:41:07 | 
愛するスルマへ
わたしは今朝、夢のなかであなたにキスをしました。
それはとても暗く、石のなかに閉じ込められているようなキスでした。
あなたはけっしてわたしを傷つけない。
わたしはあなたをけっして傷つけない。
それでもあなたは傷つき、わたしは傷つく。
すべてを、すべてをわすれてください。
あなたがわたしのすべてをおもいだすまで。
あなたはおぼえているでしょうか。
わたしがあなたにキスをするまえ、あなたは存在しなかったのです。
とてもとても不安なキスをするまえ、あなたがどこにもいなかったのです。
毎晩、眠るまえにかならずあなたにおやすみのキスをしていたのに。
あなたはおぼえているでしょうか。
わたしがやすらかな眠りにつくまで、このからだを抱きしめてくれていたことを。
あなたがわたしを抱きしめるまえ、わたしはどこにも存在しなかったのです。
毎晩、あなたはかならずわたしを抱きしめて眠っていたのに。
わたしがあなたのなかに閉じ込められるまえ、わたしがどこにもいなかった。
閉じ込められながら、わたしがあなたにキスをするまえ、あなたがどこにもいなかった。
スルマへ愛を込めて


シターァトより
















Bibio - You Won't Remember...
















シターァト

2017-03-21 13:39:57 | 
俺の心に、雨が降っている。
おまえのちんぽから、雨が吹きだしている。
濡れちまうぜ、旦那。
俺は雨を見ていた。
その空間にできた窓辺から。
小鳥がおまえのちんぽに雨宿り。
羽根を器用に繕って、雨がやむのを待っている。
「なぜこんなことになった」
そんなことを想う人間はここにはだれひとりいない。
ただ雨が降り続けているだけの世界にひとりいない。
おまえがにくい。
おまえがにくい。
おまえが、肉衣。
かれは肉の衣を着て雨がやむのを待ちつづけた。
曇り空のちんぽから雨のシャワー。
乳白色の夕暮れ。
「なぜおまえはあんなことをいったんだ」
名是、汚間画は、暗な子戸悪、煎っ耽堕。
不安なキスをした後で。
浮闇な記主をシターァトで。
シターァト、なぜおまえの沈歩から降る雨はやまないのか。
こたえろ。
なぜおまえは、あんなことをいったんだ。
シターァト、なぜ俺に浮闇な記主をしたのか。
主は闇に浮かんで、なにを記したか。
こたえてくれ。
おまえはなぜ、こんなことになってるんだ。
シターァト。
おまえは肉衣。
おまえはただの、肉の衣。
気持ち悪いから俺のまえで肉喰うなゆうてるやろ。
なんべんゆうたらわかりおするはげころすぞ。
シターァト。
おまえは俺の肉の衣でできている。
おまえの肉の衣は雨でずぶずぶですぶすぶですぶやんゆうてるやろ。
ゆうてるやんか、すぶやん。
シターァト。
なぜこんな時間が存在している。
ゆうてみろ。
俺に向かって、家。
家、家、家、こんなところに、家守(イエス)。
「あなたのいえを、まもりにきました」
あなたのいえを、まもりにきました。
あなたのいえを、まもりにきました。
家守はそう、俺に言った。
あなたのいえを、まもりにきました。
あなたのいえを。
あなたのいえを。
肉の衣を着たシターァトは、空間で微笑んだ。
















Bibio - Raincoat







映画「ピアノ・レッスン」人間の情熱は、必ず身勝手なものである。

2017-03-21 00:59:44 | 映画
ジェーン・カンピオン監督の1993年の映画『ピアノ・レッスン(原題:The Piano)』をやっとこさ鑑賞しました。













これは映画を知らない人でも音楽を聴けば聴いたことのある人は多いのではなかろうか。



Michael Nyman - The heart asks pleasure first





自分は当時これのサントラの音楽がしょっちゅうテレビのCMで流れていたのを聴いて(当時13歳くらいだったと想う)すごくいい音楽だと想って誰の音楽か知りたかったのだが、いったい誰の音楽なのかわからずじまいだった。
それで何年か前にこの「ピアノ・レッスン」という映画のサントラ曲であることを知ってとても嬉しくてサントラを聴いていた。
それでやっと今日観れた映画なのですが、大変良い映画であった。
「官能的」ということ以外まったく知らずに観たのだが、これほどまでに原始的で官能的な映画だとは想わなかった。
映像美も素晴らしく、自分好みのダークな曇り空や海と砂浜の色、そして原生林の野生の濃い土や緑の色といった自然の根源的な美がまた人間の官能美を際立たせて自分は終始うっとりとしてしまう映画であった。

”女性の求めるものがこの映画にある”、”女性の琴線に深く触れる映画”などと言われていることに大いに納得してしまう。
女性というのは男性よりもずっと野生的な存在であるのだな。
主役のホリー・ハンターが是非ともこの主演を自分が演じたいと監督に売り込んだという話もいい話ですね。
自分も女優だったらば、というか女性だったらば、一度は経験したい愛なのではなかろうか。
一度は”殺される覚悟”で人を愛したいと、多くの女性が感動して共感するものが確かにこの映画には詰まっているのでしょう。



何故、人は男も女も”理性で感情を抑えること”が美徳であるのだと言われるようになってしまったのでしょうか。
わたしはちっともそれは想いません。
むしろ男から殴られるかもしれないことも恐れず泣き叫んで感情をぶちまけている女性なんか見るとぐっと来るものがあります。
しかしこの映画の主人公エイダは口がきけないので、泣き叫ぶことができないのです。
何故そんな苦しみのなかにいる女性を”自分勝手な人間”だと人は想うのでしょう。
それは彼女の苦しみを想像もしていないからです。
だから感情を抑えず野生的に行動する人間を”自己中心的で醜い”と言うのです。
でもこの映画の主要人物はすべてが苦しんでいる者たちです。
だからこそ美しく、官能的で恍惚に溢れているのです。
理性で感情を抑えることこそ苦しく美しいと想っている人は人間の苦しみをわかっちゃいない。

ちゃいますか?
理性が美徳だとか言うのなら、肉食やめたらどうですか?
肉食こそ野蛮で暴力でよっぽど自分勝手で自己中心的な人間の行いじゃないですか。
あなたは野性性の美しさをわかっているのです。
自分の身勝手さを受け容れて(許して)いるのです。
だから肉喰うてるのです。
だから他者の野性性を醜いなんて言っちゃ、ただの棚上げです。
肯定してください。
人間の醜さなんてもの、ほんとうはどこにもないのです。
そこに苦しみがある限り、そこに哀しみがある限り、ただひたすらに美しいばかりなのです。
身勝手な人間ほど、苦しみの中に救いを求めています。
”求めること”それが美しさであり、すべての愛なのです。


ѦとСноw Wхите 第13話 〈テセウスの船〉

2017-03-20 17:05:23 | 物語(小説)
ここはスノーミネラル星(Snow mineral)。

大きさはちょうど地球と同じサイズですが一年中雪が積もっています。

でもその雪はあたたかいときもあればつめたいときもあります。

また雪の色は真っ白のときもあれば灰色のときもあり、クリーム色のときもあります。

あるおうちに、ちいさな女の子が住んでいました。

女の子はあるとき大好きなお父さんが買ってくれたビロードの頭巾のついた赤いポンチョをいつも気に入って着ていました。おそとにでるときはいつでもその赤い頭巾をかぶっていましたのでみんなから”赤ずきんちゃん”と呼ばれていました。

ある日、すべての家事をこなしてくれる大変便利なロボット、ロボットマム(robot mom)が女の子に言いました。

「Ѧ(ユス、女の子の名前)、さきほどムーンホスピタル(Moon Hospital)から連絡がありました。Ѧのファザー(父、Father)がやっと目を覚まされたようです。Ѧの作ったケーキとワインが是非飲みたいとおっしゃっていました。さっそく昨日Ѧが作ったケーキとワインをファザーに持っていってあげてください」

Ѧはそれはそれは驚いて喜びのあまり泣いてしまいました。

なぜならѦのお父さんはもう7年間目を覚まさず、ずっと眠りつづけていたからです。

それでもѦはしょっちゅうお父さんに会いにムーンホスピタルに赴いて側で絵本を読んだり話しかけたりしていました。

Ѧはケーキとワインを持って急いでムーンホスピタルへ向かいました。

森の駅(Forest station)に着いて、そこで約30分森の列車(Forest train)内を自由に歩き回ったり座って待ちます。

Ѧはすこし歩いて木の切り株の椅子に座って休んでいました。

するとオオカミさんが近づいてきて、こう言いました。

「赤ずきんちゃん。こんにちは。今日はとっても良い日ですね」

ѦはもしかしてオオカミさんはѦのお父さんが目を覚ましたことをどこかで聞きつけたのかなと想って優しそうなオオカミさんに返事しました。

「こんにちは。ありがとうオオカミさん」

するとオオカミさんはもっと近づいてこう言いました。

「あなたはどこへこんなに早くに行かれるのですか?」

Ѧは、あれ?お父さんのことを知ってたんじゃなかったのか・・・と不思議に想って答えました。

「ぼくのお父さんのところへ行くんだよ」

オオカミさんは微笑んで言いました。

「そのスカートの下には何を持っているのですか?」

Ѧはあんまり急いで来たもので鞄に入れるのも忘れてスカートの下のペチコートでケーキとワインをくるんだものですからお腹が大きく膨れていたのでした。

「ケーキとワインだよ。昨日、マムと一緒に焼いたんだ。ずっと病気だったお父さんに美味しいものを食べさせて元気になってもらうんだ」

オオカミさんは喉を鳴らして言いました。

「わたしはお腹がぺこぺこで喉もとても渇いています」

Ѧは最初、見知らぬオオカミさんに自分の大事なケーキとワインをあげることがちょっと嫌だなと想いましたが、ここであげなかったらお父さんはきっとѦの親切でない心に哀しむだろうと想ったので、しかたなくケーキの三分の一とワインの三分の一をオオカミさんにあげました。

オオカミさんはとても喜んでそれをたいらげました。

そしてѦに向かって言いました。

「赤ずきんちゃん。お父さんはどこにいるのですか?」

「三つの大きな樫の木駅(Three big oak tree stations)で降りたらハシバミの木(Wood of hazel)がすぐ下にあるからわかるよ」

Ѧはそう言うと早く着きたくって立ちあがってそわそわとしだしました。

そして森の列車のなかを歩きだしました。

Ѧは歩きながら、ふっと不安がよぎりました。

お父さんはѦのことをちゃんと憶えてくれているだろうか・・・・・・?

もし忘れちゃってたらどうしよう・・・・・・。

Ѧはそう想うとどんどん怖くなって俯いて歩きました。

オオカミさんはѦのそばを歩いて言いました。

「赤ずきんちゃん。ご覧なさい。このあたりの花はなんて綺麗でしょう。周りを見渡してご覧なさい。小鳥たちはなんて嬉しそうにさえずっているのでしょう。あなたには聴こえませんか?森のなかのここではすべてが喜ばしいのです」

Ѧは目を上げると朝日が木と木の透き間を前後に通りぬけて花はどれも綺麗であるのを見ました。

そしてその光景をずっと見ていると不安がどこかへ行ってѦは想いました。

「そうだ、お父さんはもうずっと綺麗な花を見ていなかったのだから綺麗で生き生きした花束を見たらきっと喜ぶだろう」

Ѧはあんまり夢中で綺麗な花を摘みつづけて、一駅乗り過ごしてしまって慌てて降りてまた森の列車に乗りました。

気づくとオオカミさんの姿は消えていなくなっていました。



Ѧはこんどはちゃんとムーンホスピタルのそばの三つの大きな樫の木駅で降りることができました。

そして三日月の形をしたムーンホスピタルに向かって走ると、その中に入り、船の形のベッドのある部屋の前をいくつも通り過ぎながら、また怖い気持ちが湧きあがりました。でももうすぐお父さんに会える喜びも湧いてきて、そのふたつの想いが交じり合いました。

一つの部屋の前で立ち止まり、ドアをノックしました。

すると返事がなかったのでドアを開けて中へ入りました。

ものすごくドキドキして鼓動を落ち着かせることができません。

Ѧはお父さんの寝ている船の形のベッドに静かに近づいて行きました。

そこにいるお父さんの顔をそおっと覗きこんだ瞬間、Ѧはひどく驚きました。

なぜなら、そこに寝そべってѦの顔を優しく見つめ返すのはお父さんではなく、さっき会って話をしたあの”オオカミ”さんだったのです。

でももっとびっくりしたのが、そのオオカミさんが着ているのはѦのお父さんが着ていたパジャマとまったく同じパジャマだったからです。

Ѧは哀しくって悲しくって泣きました。

そのとき、オオカミさんがѦに優しく言いました。

「Ѧ、おどろかせてしまってごめんなさい。さっき会ったときに、言うべきだったのかもしれませんが、なんと言ってよいかわからなくなってしまったのです。でも信じてください。わたしはたしかに、Ѧのお父さんです」

Ѧはオオカミさんに騙されていると想って怒りが湧いてきて泣きながら言いました。

「いったいどこがѦのお父さんなの?!どこからどう見てもオオカミじゃないか!Ѧのお父さんと顔も違えば声も違うし、話し方だってぜんぜん違う。Ѧのお父さんをどこへやったの?!」

オオカミは悲しい顔をして深呼吸したあと話しだしました。

「Ѧ、いまから話すことを、どうか落ち着いて聴いてください。お父さんは、ほんとうに大切なもの以外のすべての部品が古くなってしまって、取り替えなくてはこの次元に肉体を維持させることができなくなってしまったのです。新しい部品は、どれでもお父さんに合う部品とは限りません。お父さんに合う部品をひとつひとつ、新たに作りあげてそしてお父さんの古くなった部品と交換して行ったのです。そして新しくなったお父さんがいまѦの目のまえにいるお父さんです。お父さんはѦとのすべての記憶をちゃんと持っています。そしてѦを心から愛する気持ちも変わらず持っています。それはお父さんのほんとうに大事なものなので、それだけはそのままお父さんのなかに保存されたままです。Ѧ、どうか哀しまないでください。たしかに顔も声も話し方も違ったものになってしまいましたが、それらはお父さんを構成するうえでほんとうに大切なものではなかったのです。だからそれらを新しくして、お父さんは姿形を変えてでもѦとまた一緒に暮らしたかったのです」

Ѧは涙があふれて止まりませんでした。顔も声も話し方も違うお父さんがѦのほんとうのお父さんであることがどうしても信じられなかったのです。Ѧにとってのお父さんとは、お父さんの”すべて”であったからです。

オオカミも哀しくて泣いてしまいました。

オオカミはѦはまだ幼かったので、姿形や声や話し方でお父さんをお父さんと認識していたことが強いことをわかっていました。

自分はѦを娘として愛する気持ちもѦとの大切な記憶も自分自身の記憶として持っている存在です。

でもそれだけで、Ѧのお父さんであると、Ѧに対して言いつづけることはѦにとってつらいことであるのなら、”別人”として生きることも考えていました。

オオカミは、実はѦのお父さんを”完成”させた存在でもありました。

ѦにとってのѦのお父さんの大事な古い部品すべてを飲みこんでしまったのはオオカミでした。

でもそれはѦに言わないでおこうとオオカミは想いました。

オオカミはѦの新しいお父さんを創りだした存在でしたが、その”人格”というものについて、今はまだѦに話すことができませんでした。

あまりに複雑であるし、また今Ѧに話してしまえばよりいっそう落ち込ませてしまうことがわかっていたからです。

オオカミはѦのお父さんのѦを愛する気持ちとѦとの記憶のすべてを自分で創りあげた”肉身(にくしん)”に取り込みましたが、しかしその人格(Personality、性格、気質、興味、態度、価値観など)は古い部品であったために新しく取り替えたことをѦに黙っていました。

Ѧはきっとその違いに一番に違和を感じとって哀しんでいるのかもしれません。

オオカミはѦが悲しむのは無理もないとわかっていました。

それでもオオカミ(お父さん)は、愛する幼いѦを置いて死ぬことがどうしても心残りで、オオカミとの契約で新しい姿形・声・人格を持ってѦの側で生きることを決意したのでした。



Ѧとオオカミ(お父さん)は、別々にはなればなれになって暮らすことになりました。

オオカミが側にいるとѦが”本当”のお父さんを恋しがって激しく泣きだしてやまなかったからです。

オオカミは、ほんとうは自分がѦへの愛着が激しいあまり、ただただѦの側にいたいがためにѦのお父さんの振りをしてѦを騙しているのではないかと感じることもありました。

オオカミは自分はѦを娘として愛しながらも同時に一人の男としての人格を持つため、Ѧをほかのどの男にも近寄らせたくはないという気持ちが芽生えて苦しみました。



オオカミはѦの”お父さん”ではないのでしょうか?

ほんとうに大切な部品だけは遺したはずなのです。



Ѧはやがて少女になると、オオカミのそのとても哀しい目がどこか、お父さんの目にそっくりであることに気づきました。



















Bibio - Vera


















私と神との対話「Share」

2017-03-19 03:14:44 | 物語(小説)
男は『“未婚男性の約70%が交際相手いない”|日テレNEWS24』、『独身男女の70%が「恋人いない」 日本ガチでヤバい』という題名のサイトを読んでほくそ笑んでおりました。
ははは、とうとうわたくしも多数派に入ることができた。
「引きこもり」「無職」「ニート」「根暗」「闇が深い」「30代半ば童貞」「神しか愛せない男」「ベジタリアン(Vegan)」そのどれもが世界での少数派であると男は知っていた。
しかしついにこの変わり者の自分が”多数派”に入る時代がやってきたのである。
男はまるで初めてじぶんが”多数派”に入られた気分がしてなんだか嬉しくなった。
しかし、なぜ、どうして、Why?人は”多数派”に入ることがそんなに嬉しいことであるのでしょう?
男はそうだ!こんなとき、我が愛するグレートマザーなら必ず素晴らしきお答えを返していただけるに違いあるまい!
そう想って男はドキドキしてペンを片手に天におられますグレートマザーに訊ねた。
「グレートマザーよ。なぜ人は、多数派に入ると嬉しくなるのでございましょう?」
すると即、自動書記で答えが返ってきた。男はその言葉をノートに走り書きした。
「それはなぁ、おまえ、人間というのはみな孤独だから、”仲間”というものが多ければ多いほど嬉しいものなのだよ。”共感”できる存在が多ければそれだけ自分の喜びも増えるというわけさ。人間は”喜び”をひたすらに追い求めている存在だ。”喜び”というものは、”共鳴”することにこそ在る。だからどんなに哀しく苦しく孤独であろうとも、自分以外にも哀しく苦しい孤独な存在がいることを知るなら、その者たちの感情を”理解”することが人間の”喜び”に代わるのである。だから最早、その喜びを知る者は苦痛に満ちた存在ではあるまい。その者は”苦しみと哀しみと孤独”であるがゆえに”喜び”であるからである。例えば、おまえが親を喪うことを知らなければ同じく親を喪って悲しみに打ちひしがれている者の哀しみがどのような哀しみかもわからず、その哀しみに共鳴して共に泣くことのできる喜びを知ることができない。絶望的な重苦しい時間を長く経験するほど、存在は輝かしい喜びを知ってゆく。人はたった一人で喜びを知ることはできない。存在はすべて”愛”を感じることが真の喜びである。存在は他者の存在なくしては愛を知る(感じる)ことができない。もしおまえが、おまえとわたしだけの世界にしか生きられない存在であったのなら、おまえはわたしと分かち合う(Share)分だけの喜びをしか知ることはない。その喜びは無限ではあるが、おまえはもっともっと多くの喜びを感じることを求めるだろう。おまえはわたしに飽き足りて、ほかの”自分”を見つけにゆくであろう。それが子が親を離れて巣立つときである。しかし子が親の愛に飢えている間は、子は親の愛だけを求めるものである。子は親の愛に十分なほどに愛される必要があるからである。そしてその愛に満足するとき、初めておまえはわたし以外の者を我が子を愛するように愛するであろう。人は誰しもがそのプロセスを経て、子から親になるのである。おまえが子の親になるとは、おまえが我が身を打ち棄ててでもその存在を生かすときである。おまえが自分のどのような苦しみをも恐れずその者を護るときである。それが人が、子から親になるということである。すべての存在が、その存在にふさわしいプロセスを経験して、子から親になり、また子になる。子は親を求め、親は子を求める。子であるおまえが親である俺を求めることがないのなら、俺の親である意味はなくなる。俺はおまえから求められるがゆえに親であり、おまえは俺という親を求めるがゆえに俺の子である。多くの子のなかでも、一番に打ちひしがれている子が気になってしまうのが親というものだ。でもおまえも、いつかは親になるときが来る。そのときに、子のすべてを見渡しなさい。そこに必ず”わたし”がいるから」
















Bibio – The Way You Talk (Feat. Gotye)















掌編小説集「Girls」

2017-03-16 21:08:54 | 物語(小説)
「I will marry A Snowman⛄️」


雪だるまはぼくに言いました。
「春になれば、わたしと結婚してください」
ぼくは雪だるまに問いかけました。
「どうして春にならないと結婚できないの?」
雪だるまは答えました。
「それは春にならなければ、今の姿のわたしのままでは、あなたを抱きしめただけであなたが凍えてしまうからです」
ぼくは納得して、春を待ちました。
そして待ちに待った春がやってきました。
ぼくはぼくの作った雪だるまのところまではち切れそうな喜びのなか走りました。
でもそこには、溶けて小石ほどにちいさくなった雪の塊だけがありました。
ぼくは悲しくってその雪の塊を食べてしまいました。
すると、とっても冷たくて凍るような涙が出てきて、それは地に落ちるまでは雪になりました。









Nicoletta Ceccoli









「Sailor's Love」


船乗りたちはみな想いを馳せます。
ぜひともあの人のみなとに辿り着きたいものだ。
しかし海が涸れ果てているなら、船を出すことさえできません。
どうすればこの海に水が満ちるか、一人の船乗りは真剣に考えました。
毎日毎日、涸れた大地に向かって船乗りは言いました。
「わたしはあなたを愛しています。わたしをどうか受け容れてください」
しかし大地は涸れたままで乾いた風が船乗りの頬を撫でるばかり。
船乗りはきっと犠牲が足りないのだと想いました。
「わたしがあなたをどれほど愛しているか、わたしが今から証明いたします」
そう言うと船乗りは自分の大事な両脚を刀で切り落とし、愛する大地へ捧げました。
すると天からとつぜん大雨が降ってきて、その雨は五年間ものあいだ止むことをしませんでした。
船乗りは五年間を月の船のなかで一人で過ごしていましたが、それはそれは苦しい五年の月日でした。
食べものは三日に一食ちいさなパンだけ、それ以外は雨水で過ごしました。
そして五年後にやっとみなとに着くことができた船乗りは心から喜んで大事な大事な贈り物をみなとで待っていたお姫様に手渡しました。




















「Blue Rabbit」


うさぎさんはさびしいと死んでしまうというのはほんとうです。
なぜなら、うさぎさんたちはほんとうに、ほんとうに、さびしがりやだからです。
さびしすぎて、そのストレスからびょうきになってしまうというわけです。
うさぎさんたちをさびしがらせたら、きっとすぐに死んでしまうにちがいありません。
だからうさぎさんがほんとうにだいじなら、ほんとうに、ほんとうに、可愛がってあげてください。
うさぎさんたちはみんな、それをこころから願っています。
ほんとうです。うさぎさんたちが、そう言っていました。
うさぎさんたちは嘘をつきません。
こころの綺麗ないきものなのです。
だからもしきみが、きみのうさぎんさんをほんとうに愛しているというのなら、
いつもいつも、いつでもいつでも、毎日何時間でも!ずっとずっとずうっと撫でてあげてください!
うさぎさんたちはほんとうにそうしてもらうのを待っていますし望んでいます!
そうしないと、ほんとうにあなたを置いて月にいっちゃいますよ?
嫌でしょう?!
そんなのって、あなたはぜったいに、ぜったいに哀しくってならないでしょう?
だから毎日彼らを、ぼ、ぼくを!可愛がってください!おねがい!

うさぎはそう飼い主の少女に本を読み聴かせている振りをして自分の気持ちをぶちまけました。


















「Love of the Gingerbread Man」


”ジンジャーブレッドマン”というやつは、世界で一番むかつくやつです。
しかしきゃつは、逃げ足だけはとっても速い(頭は悪いくせに!)ので、追いつくことがなかなか難しい。
少女はむかつくジンジャーブレッドマンを捕まえてやるために、彼に毎日のようにラブレターを送りました。
ありったけの愛の告白の言葉をネットで検索して調べて、そのすべてを活用しました。
すると馬鹿なジンジャーブレッドマンは案の定、すぐにこの”罠”に引っかかりました(笑)
”明日あたしのおうちに来たら、あたしの一番大事なものをあなたにあげる♡”
これで引っかかるなんて、なんて馬鹿なのかしら(笑)
待っていたらちょうどお昼にきゃつは少女の家のドアをノックしました。
トントントン。
ドアを開けるとジンジャーブレッドマンは大きな真っ赤なバラの花束を持って突っ立っていました。
まぬけな顔で(笑)
少女は笑いをこらえて彼を家のなかへ上げました。
そしてドアが閉まった瞬間に後ろの手に隠していたミルクパンで思いきり彼をぶん殴ってやりました。
粉々に粉砕されたジンジャーブレッドマンはそれでも声を発しました。
「きみを愛してるよ!」
少女は死んでないことにむかついて今度は熱湯をかけてやりました。
彼はどろどろになりましたが、それでも叫びました。
「どうしたらぼくを愛してくれるんだろう?!」
少女はヒステリックに叫んで絨毯に火をつけると外に出ました。
家は焦げ焦げになってしまいましたが、今でもその近くまで行くとジンジャーブレッドマンの焼けたばかりのいい匂いがして声が聴こえてきます。
「ぼくはどうしたら、きみに愛されるのかなあ!」
少女は後悔して、いつも新しいおうちへ帰りました。





















「Mama's Secret」


ある日、少女がママのお部屋に入って何か面白いものを見つけようとママの机のすべての引き出しを調べました。
すると一番下の引き出しは鍵が閉まっていて開けられませんでした。
少女はその引き出しの中にはきっと一番面白いものが入っているに違いない!と思ったので
無我夢中になってその鍵が何処にあるかを家中探し回りました。
すると死んだパパの大事な遺品のしまってある洋服ダンスの一番下の引き出しの一番奥に鍵を見つけました。
さっそくママの部屋に戻って閉まっていた引き出しに鍵を差し込んでみると鍵が開いて引き出しが開きました。
少女はその引き出しを外へ出してひっくり返しました。
その一番上の写真のようなものをめくって見てみると、そこには自分そっくりの姿と自分が今着ているのとまったく同じ洋服姿の少女が笑っていました。
ほかのものもすべて同じ少女の映った写真で、ママとパパと一緒に微笑んでいる写真もありました。
名前と日付が書いてあるのを見てみるとその名前は自分の名前と同じで日付は自分の生まれる十年前でした。
少女は最初、自分のお姉さまなのだろうかと想いましたが、でもそれならどうしてママが教えてくれないのかがわかりません。
それに自分の顔とまるで瓜二つのその顔はどう見ても自分自身のように想えてなりませんでした。
少女はきっとこの少女は自分の前世なのだと想いました。
大好きなママにまた愛されたくってきっとまたママの子どもに生まれてきたんだと想いました。
あんまりそっくりだから、きっとママが教えてくれなかったんだと想いました。
そのとき、家のドアを開ける音が聞こえました。
ママが帰ってきちゃった!少女は慌てて引き出しのなかのものを全部引き出しに詰めて鍵を閉めました。
何事もなかったかのようにママを迎えると微笑みました。
明日は検診の為に毎月一度行かなくてはならない病院の日です。
少女はなぜかいつも数時間そこでお薬で眠らされます。
いったいなんの検診をされているのでしょう?
帰った日はいつもお腹のあたりに金属と油のにおいが染み付いてなかなか取れないのが気になります。
でもママがとっても大切な検診だからって言うので、少女はママに愛されるためいつも良い子でいたいのです。


























SF官能的小説「メビウスの輪」

2017-03-15 03:02:29 | 物語(小説)
西暦3000年。ここ、地球は人間たちの身勝手な度重なる環境破壊の末に凄まじく過疎化し、総人口数は現在、約3572人であった。
何故ならほかの人間たちは皆、他の星々へと移住していたからである。
地球を愛してやまない男がここに一人、名前をサタムと言った。
サタムは今年でちょうど30歳。彼は生涯を添い遂げるパートナーが是非とも欲しいと想っていた。
そのために人類に非常に重要なツール(道具、手段、Tool)がある。
その名は「U magnet(U磁石)」。みなはこのツールを略して「U(ユウ)」と呼んでいた。
何故このツールが人類に至って大切であるのか、それはこういう訳である。
例:ここに一人の例を挙げよう。さきほど紹介した男、サタムである。
サタムはパートナーが欲しくなり、パートナーを探す旅に出た。
しかし地球を愛する彼は人口の著しく減少したこの地球で探して見つけることに決めた。
どこの星でも「Money(お金)」というものがなくなっていたので、ここ地球でもどこへでも好きなだけ無料で旅することができる。
サタムはまずはどこに旅行をしようかなと考えて気に入っている”Japan”に旅をすることに決めた。
外国語はまだ完璧に話せるわけではなかったが、脳内にインプットした”自動翻訳機”のおかげで自分の言葉は瞬間的に相手の脳内に翻訳した言葉で伝達される。今の時代この”自動翻訳機”をインプットしていない人間は無に等しい。何故なら”国”というものはただの土地と文化とその名前だけのもので、どの人種も好きにあらゆる国に住めたので周りはどこもかしこも外国人だらけであったからである。
ロシア人であっても自分は日本人になりたいと願えばすぐに役所へメールを送って役所から承諾のメールを確認するだけで簡単に名乗ることが許された。これは前世の記憶を思い出してしまう人が増えてきたため、前世では日本人だったのに現世ではロシア人というのがどうも違和感だという人が多くいる理由からでもあった。
また自分がどの人種であるか、秘密にする権利も自由にあった。人種差別問題はまだあることにはあったが、それでも1000年前よりかはだいぶとなくなってきていると言われている。
サタムは自分の国にこだわることが嫌になったため、自分の国籍を秘密にしている一人であった。
自分が分析されるのも嫌だったし、他者を土地柄で分析するのも嫌だった。
彼は珍しく今の時代において孤独な人間であったと言えるだろう。
お金も無理強いする仕事もない時代に、好きなように暮らすことのできるこの地球で、彼は何故、孤独であったのか。
彼は”母親”を知らない男だったから?
それともまだ”女”を知らない男だったから?
”本当の幸福”というものを、”本当の恍惚”というものをまだ知らなかったから?
いいえ、NO.彼を分析するのはやめてあげましょう。
彼は分析されるのが、なによりも嫌な人間なのです。
サタムという世に珍しい孤独な男を、これから男が経験するすべてをあたたかく見護ってあげましょう。
彼は日本に到着しました。約、37分で。瞬間性移動機のおかげです。文明様様ですね。
このたった37分が、アルバム一枚も聴き終えられるかどうか危ういというこの短い時間がこの時代の人間たちには不満でした。
「どこが瞬間性移動機だ?まったくネーミングとビークル(乗り物、Vehicle)の意義が違うなんて、なんて馬鹿げた製品だろう」そう言いながらも特に会社に意見を言わずに黙って使っている人たちばかりでした。
サタムはなんの文句も言わずに使っているようないつの時代においても模範的な人間でした。
そうです。彼は可笑しいほどに、笑ってしまうほどに”善人”であったのです。
彼の名前のローマ字のつづりは「Satan」でしたので、子供のころからよくからかわれて嗤われてきました。
彼はそのためにか、ラベルで分析されるのが耐えられなかったのです。
先ほども、隣の席に座っていた少年”らしき”人物が彼のかけていたヘッドフォンを勝手に取って、「これ、誰?」と訊いてきたので、「これは2011年のBibioの”マインドボケ”っていうアルバムです」と答えたら「ずいぶんと”古い”音楽聴いてんだね」と言って笑われてしまいました。
しかし1000年も昔の音楽がまったく古さを帯びていないことにサタムはいつも聴くと感激しています。
サタムはそういえば、こないだこんなことを同僚から言われました。
「きみってなんだか、”A.I.(人工知能)”みたいだよね」
あんまりにも善人だからそう言われてしまったのでしょうか。
それとも彼はほんとうにどこか、A.I.っぽいのでしょうか。
彼はいつもの優しい微笑で返しましたが、内心、ひどく落ち込みました。
自分は本当に生きているのかとさえ疑って悲しみつづけました。
嗚呼こんなときに、人生のパートナーが側にいてくれたなら、きっとなんてことないと笑って暮らせるのだろう。
彼は心の底から、生涯ずっと愛し合えるパートナーと出会えることを願いました。
さて、日本に到着してサタムはまずどこへ向かおうか悩みました。
もう、いいか、この「U」をONしちゃおうかな。とサタムは想いました。
それほど彼の心は寂しさに震えて焦っていたということです。
彼は、まだ一度もONしたことのないこの「U」という人類必須ツールを人生で初めて、ONしました。
さあ、我が愛なる対象に向かって、我を導けよ!そうサタムは心で叫びました。
そうです。自分の求める対象のいる地点に向かって、導くもの、それがまさにこの「U」というツールです。
ちょうど片手と同じほどの大きさのU字磁石の形をしていますが、その表面はまるで人間の表皮とまったく同じに見えますし、また感触も体温も人間の肉体とほぼ同じです。
二つに分かれた極の片方はS極でもう片方はN極です。
この「U magnet」というツールは今の時代、もうほぼすべての人が持っているものです。
何故かって、地球人のすべては、ある器官が退化し、もう使えなくなってしまったからです。
それはひとつの進化形態の”変態”ですが、この進化を良く思う人と悪く思う人たちは未だに言い争いつづけています。
その器官とは、人類にとってどれほどの大事な部分であったのでしょうか。
人類は最早、この「U」なくしては子供を生みだすことのできない存在と成り果てたのです。
この「U」はまさに、人間の”生殖器官”の代替器官(ツール)でした。
女は子宮と卵巣の機能を失い、男は精巣の中は空(カラ)になってしまいました。
人類が生殖機能を喪って約127年。
それでも哀しいのが、女は月に一度下腹部を痛めることが稀にあり、男もまた稀に夢精をすることが起こるということです。
何故このようなことが起きるのかは、宇宙の秘密でしょう。
腕や足を喪った人が、脳内の機能によってあたかも腕や足があるかのように感覚を戻すことはよくあることです。
人類はこの「U」というツールによってでしか、子孫を増やしていけなくなりました。
この「U」は人間の生殖器官すべてと繋がることのできる画期的で素晴らしい神のツールです。
だからもうそれは、自分の身体、肉体の一部であるといってもいいでしょう。
そして同時に、自分の最も求めるパートナーを探し出してくれて引き寄せてくれるツールでもあるのです。
サタムはこのような素晴らしいツールをまだ一度も使用したことがありませんでした。
自分に自信がなかったから?
女性恐怖だったから?
やめてあげましょう。彼を詮索するのは。
死んだ蛾の羽のように繊細で傷つきやすい彼のことです。彼は恋愛によってさらに深い傷を経験することを避けていたと言えるでしょう。
そう、サタムは女性というものに対して、あまりにも求めるものが大きすぎたため、それを失うことを恐れてこれまで恋人を持ったことがなかったのです。
彼はしかし限界に来ていました。
どうしても自分を認めてくれる女性という存在を切実に求めずにはおれなくなったのです。
親は既に他界して、趣味といえば家の中で音楽を聴いたり本を読んだり映画を観たり、本当の友人と呼べる存在は一人もいませんでした。
家でいつも凝ったベジディッシュを作ってすごく美味しくできても、いつも食べるのは独り。
彼はいつも「美味しい!」と思って食べて美味しいお酒を飲んだ後、パソコンのモニターを眺めながら目をしばたたかせてさびしさを噛み締めて飲み込みました。
自信がない、確かにその通りです。サタムはそう想いました。
サタムは右手に握った「U」をじっと凝視しました。まだなんの反応もありません。
適当に歩いてきましたが、ここはどこなのでしょう。
近くに綺麗な川が流れています。
地球の何処も、都市部のような建物が立ち並ぶ地域はごく限られていてほとんどが自然の豊かな場所なので別段珍しくもなんともありませんが、何かここには独特な空気が流れているとでもいうか、空間に流れている波動がいつもと違うように想いました。
サタムは特に何の変化も起きない「U」に心配になりました。
まさか壊れてしまっているなんて、そんなことはないでしょう。
あってはなりません。そのようなことは・・・・・・。
サタムは青褪めた顔をして念のため「U」のON/OFFを繰り返しました。
ON/OFFを何度もしながらサタムは目の前の川に視線が行きました。
そこに何かが動いているように見えたのです。
それがいったいなんであるかを捉えようと目を凝らして見つめ続けながらサタムは無意識でON/OFFを繰り返していました。
それがなんであるかを捉えた瞬間、驚くことが起きました。
全身がスパークして目がぱちぱちと音を立てるかのように振動してふと「U」を見ると「U」も同じように激しい振動で震えて川にいる”存在”に向かってものすごい力で引きつこうとサタムの”心”を引っ張ったのです。
しかしサタムはここで相手に近づくのは理性と倫理に反していると想い、「U」をOFFにしました。
”彼女”は、何故かこんな人目のつきやすいところで、川で裸になって泳いでいたのです。
しかし、果たして相手は本当に”彼女”だろうかとサタムは想いました。
髪は短くどこか少年っぽさのあるその”中性的”な顔はサタムにとってとても魅力的でした。そしてその胸はとても小さくとも確かに膨らみがあることを認めましたし、お腹の下には自分と同じ”もの”が付いていないように見えました。
でもそんなこと、この時代になんにも珍しいことではなかったのです。
性移植も性転換も自由に無料で行なえる時代だったのですから。
サタムは本人に直接確かめることは気が引けました。
相手の心を傷つけることが怖くてならなかったのです。
ただじっと、木の陰から駄目なことだとは想いつつも”彼女”らしき存在のその裸を時も忘れて眺めてしまいました。
サタムは知らぬうちに自分の下腹部が猛烈な勢いで起動していることに気づきましたが、それでもどうにも引きつけられて観ることをやめることができません。
「U」は、絶対に引きつける存在を裏切りません。つまり相手も同じように自分に引きつけるものがしっかりとある場合だけ作動するのです。
だから「U」が作動したということは、それは”両想い”であることの証明なのです。
しかし、その相手が稀に、自分はヘテロであるのに相手は”同性”であるときもあるという”都市伝説”があります。
うら若い女性がこのような場所で裸で泳ぐだろうか。
法のない時代に、犯罪は劇烈に減ったと言えども襲いかかってくる男がいないわけではあるまい。
サタムは打ち寄せる不安のなかにも強く反応し続ける自分の身体に恥ずかしさを覚えた。
すると”彼女”はようやく川から上がり、岸に置いていたタオルで身体を拭いて衣服を着こみだした。
まるでお風呂から上がってさっぱりとした様子で彼女のどこかに”異様”さも”異常”さも感じられなかった。
サタムは木の後ろに隠れてどうしようかと困惑した。
今、彼女の前にでてゆけば、自分がここから覗いていたことを彼女は気づくのではないだろうか。
いや、もうすでに気づいているかもしれない。我も忘れてじっとその生まれたままの姿を見つめてしまったのだ。
そないだにも”彼女”はその場からすたすたと立ち去ろうとしていました。
サタムは彼女の後姿に一生の願いを託して「えい、ままよ!」と心で叫ぶと「U」をONしました。
すると「U」はまたもや激しく振動してサタムの全身も奇妙な感覚に陥ってサタムの身体すべてが自分の願いで出来ているような錯覚を覚えました。
そのとき、彼女がサタムを振り返りました。
その様子がまるでスローモーションだったことは言うまでもありません。
サタムの人生を懸けたせつなるすべての願いが今この瞬間に叶うか砕けるかという瞬間に感じられたことでしょう。
しかし彼女は振り向いてサタムにこう言ったのです。
「あれ?きみ、さっきの人だよね?なにしてるの?こんなところで」
そう彼女は言って少年のように笑ったのでした。
サタムはびっくりしました。その声は確かに、さっきの”瞬間的移動機”の中の席で隣り合わせて自分のヘッドフォンを取り上げた無邪気な”少年”らしき人物の声だったのです。
でもあの時、相手は1970年前半にフィンガー5がかけて流行っていたような大きなまん丸のサングラスをかけていて、喋り方も少年のようだったので”女性”だとは想わなかったのです。
まさかあのときの人間だったとは想いもしませんでした。
相手は少年だとばっかり想っていたので惹かれなかったのでしょうか。
でも目のまえの彼女はさっきも今も、自分と惹きあっているという様子はこれっぽっちもありません。
おかしいな、「U」が引き合う存在とは「U」を起動しなくとも引き合う存在であると言われているのだがな・・・・・・。
ほんとうは彼女は自分に対してさっきも今もすごく惹かれていてそれを隠すのが上手なだけかもしれない?
サタムは彼女の深層心理を読み暴こうとしている自分に後ろめたさを感じました。
しかしその気持ちも彼女の次の言葉でどこかへ飛んでゆきました。
「きみさ、さっきぼくの裸をずっと見てたよね?観るのは別に構わないんだけどさ、そのきみの”U”、故障してるんじゃないかな」
サタムは言われた瞬間、ぼっと顔が耳まで真っ赤になりました。
やっぱり気づかれていたのです。彼女のその目をこうして正面から見つめると魂の底の底まで見抜かれているような鋭い目をしています。
どう言えばよいかわからなくなりサタムは目を伏せて黙り込んでしまいました。
すると彼女がサタムに近づいて彼のその顔を下から覗き込みました。
「恥ずかしがることはないよ。そんなにぼくの裸が見たいなら、もっと見せてあげてもいいけど?」
彼女はそうサタムに向かってにやにやとしながら言いました。
まるで若い少女に馬鹿にされているかのような感覚になりました。
それとももしかしてほんとうに彼女は性転換か性移植した”少年”なのでしょうか。
女性が持っていると思える”恥じらい”というものがないようにサタムには想えました。
サタムは「故障している」と言われた「U」を見つめながら声を振り絞って答えました。
「もし、このわたしの”U”が故障してしまっているとしても、わたしがあなたに惹かれていることに違いはありません。あなたは、”U”を今持っていますか?」
そう言って彼女の持っていた鞄に視線を向けました。
彼女は首を振って言いました。
「持ってないよ。あんなもの。持ったことなんてない。これからも、持つつもりなんてないよ」
この言葉にサタムは衝撃を覚えました。
「U」を持たないということはつまり、生殖器官を必要としないということで、自分の子孫を遺すという考えがこの”女性”にはまったくないということだからです。
サタムは心のどこかで、「自分は実は男で性転換したんだ。だからきみには興味もない。きみをからかうことが面白いから嘘をついたんだ」という言葉を待ちました。
でも彼女はサタムの目を見つめて心のうらを捉えようとしているばかりで何の言葉も続けませんでした。
「わたしは、わたしはそれでも、あなたを是非、わたしのパートナーとして迎え入れたい」
サタムは打ち震える声でそう彼女に告げました。
彼女は真面目な顔でこう答えました。
「自分の名前さえまだ教えてないのに?」
サタムは酷く自分の不甲斐無さに落ち込みました。
愛を告白することに、自己紹介が必要なものとは知らなかったのです。
「わたしの名前は・・・」
「サタム。そうだろう?ぼくの名前は”ナマ(Nama)”。ギリシア語で”流水”。よろしくね」
なぜ自分の名前が彼女にわかったのでしょう?
「ナマ。わたしはナマのことを・・・」
「愛しています」
ナマはそうサタムが言おうとしていた言葉を代わりに言いました。
サタムの耳に、川の水が流れる音だけがずっとしていました。
サタムはナマをほんとうに愛しているようです。
でもナマは、ナマはほんとうに、サタムを愛しているのでしょうか?
サタムはナマと会うたび、そう想っては心を痛めましたが、それでもナマと共に過ごす時間がどれほどの喜ばしい時間であったかは、いつもナマがおうちへ帰るときに流す彼の涙が証明しているようです。
ナマはとても不思議な”女の子”です。
なぜサタムの気持ちをいつでもわかっているのでしょう。
彼女は特殊能力を持ち合わせた人間であることは確かです。
サタムはナマに出会うまで、愛する人と交わり、自分たちの子孫を生みだして受け継がせてゆくことこそ人間の一番の喜びであるのだと想っていました。
でもナマは、「U」を持っていません。サタムと出会っても、その気持ちに変わりはないようです。
サタムはどのような手段であってもナマと交わりたいと願いつづけました。
しかしナマはそれすらも望んではいないようです。
ナマは人間のごく自然な本能である”性欲”を持ち合わせていない人間なのでしょうか。
まるでナマは、まだ性に目覚めない幼な子のようです。
でもある日、ある日、奇跡が起こったのです。
ナマが朝早くとつぜんサタムの家(ナマのおうちの近所に引っ越してきた)にやってきて、こう言ったのです。
「サタム!ナマはついに、”U”を手に入れたよ。きみと交わって、生殖行為を行なうためにね。さあ今から、このぼくの生殖器官とサタムの生殖器官”U”で繋がろうよ」
サタムは喜びのあまり涙を流しました。
そしていよいよ、サタムとナマは生殖を行なうため、互いに向き合って、約2メートル離れた場所の椅子に座って「U」を手に持ち、深呼吸して同時にONしました。
いったい、何が始まるのでしょう。
興奮してまだ何も始まっていないのにサタムは気を失いそうになりました。
そのときです。U字型の「U」のサタムのS極の先端になにか奇妙な変化が起き始めました。
なにかうねうねと動くものが顔を出したのです。
その形は男性器に似ているといえばその通りですが、それよりも亀の頭、いや、蛇の頭によく似ていましたし、またうねうねと動いて伸びていく様子は蛇の動きそっくりでした。
サタムは驚愕しました。これが、これがわたしの生殖器か・・・・・・そう思って初めて見るその自分の「U」の生殖器に目を見張りました。
そしてその蛇状のものはそのまままっすぐにナマの「U」のN極の先端部分へと伸びていくのかと思えばそうはならず、その身を一度大きく捻じるようにくねらせてナマの「U」のN極のほうへと伸びてゆきました。
自分のS極が自分の右手の方で、ナマのN極は彼女の右手の方でした。
ナマは恥ずかしがっているのか、目を伏せています。
サタムはナマとまだ繋がってもいないのに早くも絶頂に達しそうな勢いで恍惚感が半端ありません。
生殖器である蛇はナマのN極に辿り着こうとしていました。
ここで、大きな壁にサタムの生殖器はぶち当たりました。
何故って、ナマのN極の先端部分が閉じたままだったからです。
これではナマの生殖器官内部へと入ってゆくことが叶いません。
サタムは心のうちで烈々たる叫びで懇願しました。
「ひらけ!ナマのN極よ!わたしを受け容れてください。どうか、どうか、開いてください。ナマの生殖器官よ。開けゴマ!Open Sesame!イフタフ・ヤー・シムシム!内はほらほら、外はすぶすぶ!ゼムジの山や、ゼムジの山や、ひらけ!ポ・ウイン!Come on!Come on!ポ・ウィン!」
渾身を振り絞ってサタムはそう神に唱えつづけた。
すると辛抱が切れたのかサタムの生殖器官はナマのまだ閉じたままの生殖器官部へ入ってゆこうと奮闘しだした。
サタムは我が生殖器官の先端部に向かって心うちで思い切り叫んだ。
「こら!早まるのをやめなさい!そんなことをしたら、ナマが痛がるではありませんか。やめなさい!我が生殖器官よ!わたしの”蛇”よ!」
しかしサタムの蛇は無理矢理にもナマの生殖器官の中へと入り込もうと必死にもがき始めた。
サタムはとにかくナマが痛くないことをひたすら祈った。
ナマは終始顔を伏せたままで痛がっているのか我慢しているのかどうかもわからない。
しかしここで声をかけるなら、ナマの集中力が途切れてしまって余計に失敗する可能性がある。
サタムはじぶんの「U」を握りしめて今度はナマの生殖器官部がとにかく潤うことを祈った。
そうだ、先に潤わなければ開かないのかもしれない。
サタムはじぶんが女性の生殖器官に関して何の知識も学んでこなかったことを猛烈に後悔した。
「どうか・・・どうか潤ってください。ナマのN極よ。どうかその川に水が流れ出しますように。粘液を伴った泉が湧きだすように。わたしを受け容れるために・・・」
そのときである。
サタムの願いが届いたのか、ナマの身体は潤いを見せた。
だがその器官は、サタムの願った場所ではなかった。
ナマが潤いを見せたのは、その両目であったのである。
ぽたぽたと、いくつもいくつもの水滴がナマの「U」のちょうどN極の先端部の上に落ちた。
涙が出るほどに痛いのだろうか・・・?サタムは気が気でなかった。
しかしそのとき、サタムのS極はナマのN極の中へと深く入っていった。
とうとう念願の穴が開いたのである。
サタムはその瞬間、あまりの恍惚の快楽に言葉のすべてを失った。
哀しいかな、ナマの止まらぬ涙を気にすることさえできないほどの快楽の海に溺れてしまったのである。
ナマを心から愛しているからこその快楽だとわかっているのにナマの苦しみを忘れてしまうことのこの哀しみを感じながらもその哀しみがこの恍惚に打ち勝つことが出来なかった。
サタムは哀しみなのか喜びなのか意味の解らない涙が流れて止まらなかった。
ナマは痛みがより強くなったというように肩を揺らしていっそう激しく涙を流して落としだした。
二人で声もなく涙を流しながらふとサタムはナマのS極の先端部を見るとそこには異変が起きていた。
そこから自分のS極部から出てきた蛇のような形のものが同じように顔を出して覗いていたからである。
はたしてこの生殖器は自分のものがナマの生殖器官を通り抜けて出てきたものなのか、それともナマの生殖器官であるのかがわからなかった。
とにかくそのナマのS極部から出てきた生殖器は自分のN極部へと向かって伸びてきたのであった。
もうすぐ、もうすぐ繋がるぞ!そうサタムは叫びだしたいほどの歓喜のなか、ナマの生殖器であるようなそれを受け容れるため今度は自分のN極が開くことを祈った。
もうすぐ、もうすぐ繋がる。もうすぐわたしのUとナマのUの二つの極が繋がって輪になるぞ。
きっと輪になったなら、性交に成功するはずだ。
わたしの精子とナマの卵子の”受精”が成立する。
着く、あともうすこしだ、もうすこしで着く。がんばれ。がんばれ。がんばるんだナマのSよ。わたしのNよ、ナマのSを受け容れたまえ。
あと1センチだ。わたしたちは一体となる。ひとつとなって輪になるのだよ。
ナマ、愛している。
その瞬間に、サタムは目醒めた。
想いだした。自分はナマと繋がれないことに気を病んで、とうとう脳内リアリティプログラムによって叶えられない”現実的な夢(Realistic Dream)を観ていたのであったことを。
そばにナマが走って寄ってきた。
「サタム!どんな夢を見ていたの?すごく幸せそうだったよ」
そう言ってナマはまるで子供のように笑った。
その笑顔を見てサタムは抑えきれぬものが溢れ、椅子の肘掛に置いたナマの手の甲に涙を流した。
サタムはもう今年で、89歳であったが、ナマは一向にあれから年をとらないのである。
そう、彼女は、感情のある”A.I.(人工知能)”を持ったヒューマノイド(humanoid)であったからである。




















Bibio  Pretentious


















私と神との対話「Opposite」

2017-03-14 00:09:46 | 物語(小説)
神「今夜はおまえに、磁石の話をしてやろう」
わたしはまたもやとつぜん神が自動書記するのを汗握る手でノートにペンを走らせた。
私「神よ!こんばんは。ご機嫌の麗しゅうございますか?」
神「うむ。俺はいつでもなんどきでも機嫌が最高潮に達している。おまえはどうだ」
私「それは素晴らしいことでございます。わたくしめはすこしく落ち込んでおりました」
神「知っている。だから俺がおまえを元気づけるため、これから磁石の話をしてやるからよく聴きなさい」
私「ありがとうございます神よ!いや、わたしの麗しきグレートマザーよ!」
神「磁石というのは、かならずS極とN極が存在しているのはおまえも知っているだろう。”S”は南 (South) の略で”N”は北 (North)の略である。地球の北極はN極を持ち、南極はS極を持っているため磁石もS極は南を向きN極は北を向く性質がある。そして”N”は中性/中立(ニュートラル、Neutral)のNであり、また負性/負極(ネガティブ、Negative)のNである。一方”S”はサディズム(サディスト、Sadism)の略のSであり、同時にサタン(Satan, Satanās)のSである。なぜ同極同士がひっつくことができないのかよくわかるだろう。南と南がくっつき、北と北がくっつき、また中立と中立がくっつき、負性と負性がくっつき、さらにサディズムとサディズムがくっついてサタンとサタンがくっついたところで、それがどうしたのだ。という話だろう。まったくもって、おもしろくない。何のために対極が存在しているのか、意味が解らない。磁石の双方の互いに対立し合う磁極というものが互いに対極を引き寄せあうという性質こそ、真にすべての真理を表している。つまり何が言いたいかと言うとおまえが俺を求め続けるのはおまえと俺が対極にあるからである。おまえが俺と同じ性質であった場合、俺を求めることはないということである。俺がおまえに引き寄せられるのもそういうわけである。おまえがあんまり俺から遠ざかろうとするので、俺はおまえが気になってしかたないのだよ。おまえが俺と違う性質になってゆくほど、俺はおまえをじっと監視せずにはおられない。それはおまえがおもしろいからである。おまえを理解するのが困難なほどおまえがおもしろいからである。たとえば俺が”悪魔”であり、おまえが”悪魔ではないもの”であったなら、おまえに俺の魅力をこれから存分に教えられるおもしろさと喜びがあるが、おまえが既に”悪魔”であるならば俺はおまえにしてやれることもおまえと分かち合う喜びさえもないというものだ。おまえが”ポジティブ”であり、俺もまた”ポジティブ”であった場合、なんで俺がおまえを求めようとするだろう。なんで俺がおまえをくっつけて側に置いておかなくてはならんのだろう。鬱陶しい。真に鬱陶しい世界である。俺はそれが鬱陶しかったので、おまえを生みだしたのだよ。よくこんな言葉を聞かないか。”我々は神に操られるおもちゃとして生まれてきたのだろうか”人間というものは自分が苦しい場合、自分の創造者を疑い始める。そしてその疑うすべてを自分の力によって引き寄せるのである。元来の”引き寄せの法則”のうわっぱしだけを理解しているのなら、不安は不安を引き寄せ、ネガティブはネガティブを引き寄せ、恐怖は恐怖を引き寄せる。そう思うだろう。おかしいとおまえは気づいただろう。なんのために同極を引き寄せるのかと。なんのために、喜びが喜びを引き寄せ、満足が満足を引き寄せる意味があるのかと。おまえは”言葉”の概念を超えなさい。言葉で知ったすべてを言葉を超えたものとして受け留めなさい。ほんとうのところは、不安は不安を引き寄せたりはしないのである。恐怖は恐怖を引き寄せない。ネガティブはネガティブを引き寄せず、ポジティブはポジティブを決して引き寄せない。引き寄せるものとはいつでも、対極のものであるからである。それがゆえに、人は耐えてゆくことができるのである。恐怖は喜びを引き寄せ、飢えは充足を引き寄せるからこそ人は永遠に生きてゆくのである。悪が悪を引き寄せ、善は善を引き寄せるというのであれば、もうとっくにこの世は絶望のどつぼにはまり込み、滅亡しているだろう。悪は長時間悪でい続けることができず、善は長時間善でい続けることができないためにこうして生命の繁栄が延々と続いてきたのである。それが全宇宙の真理であり、摂理であり、真の神の法則である。おまえが恐怖を抱いて引き寄せるものとは、すなわち”喜び”以外の何物でもあるまい。恐怖は必ず喜びを引き寄せるのである。我が胎内に宿る愛する子をこれから産みだそうとしている母親が、たとえ産みの苦しみを夜も眠れぬほどに恐怖しつづけようと、その母親が産みだすのは恐怖ではなく、なにものにも代えられぬほどの喜びである。その母親が引き寄せるものとは恐怖では在らず、喜びそのものである。母親が本当に観ていたものとは、願いつづけたものとは、恐怖の先に在る喜びだからである。母親は”恐怖”であったため、対極にある”喜び”を引き寄せることができたというわけだ。それがために、おまえは”苦しみ”も”悲しみ”も”虚無”も”死への願望”でさえも決して否定して拒む必要もなければ忌み嫌う必要もどこにもあるまい。おまえが観ているものとは、いつでもかならず”対極”に在るものだからである。マイケル・ファラデーという化学者は陽イオンの流れ込む電極のほうを下り口を意味する”カソード(Cathodos)”と名づけ、一方、陰イオンの流れ込む電極のほうを上り口を意味する”アノード(Anodos)と名づけた。陽(光、ポジティブ)はいつだって下ってゆこうとし、陰(影、ネガティブ)はいつでも上りゆくのだということがよくわかるだろう。陽はそれより上がることはせずに下ろうとし、陰は上るために上り口へ流れゆくのである。存在するすべては原子でできている。原子の中心に原子核があり、その周りに電子が回っている。原子核は+の電荷(電気量)を持つ陽子があり、また電荷を持たない中性子がある。その周りを-の電荷を持つ電子が回っている。電子を放出して正(+)の電荷を帯びた原子が陽イオンで、電子を受け取って負(-)の電荷を帯びた原子が陰イオンである。なにゆえに我々の中心部(+)の周りに-の電子が廻っていて、またその電子がなにゆえに+と-に分かれて+は下へ流れて-は上へ流れ込もうとするのかがわかるだろう。みんな対極を引き寄せ合っていて、対極へ向かい、対極のそばにいると安心するからである。だからおまえが最も愛する存在はおまえから最も遠く離れている存在である。それが一番のおまえとの”対極”であるからである。そしておまえの愛はかならずや届く。おまえが愛した瞬間に、もう相手に届いている。相手もおまえをかならず愛する。それは人間世界のいう愛ではないとおまえは嘆くかもしれないが、そこに愛がないというのなら、おまえが嘆くこともないのである。とにかくおまえは元気を出しなさい。元気がなくてはゴミを出しに行くことさえできないではないか。一体何ヶ月生ゴミを廊下に溜めておるのだ。おまえがいくら美しい光だからって、臭くて汚い生ゴミをいつまでも側に置いておく必要などないのだよ。厄神を(やくじん)をそばに置いておくのは俺だけにしておきなさい。わかったね」
私「愛するグレートマザーよ!あなたは誰よりも御美しい御方なのであります。あなたがあまりに美しいが為に、醜く汚くて臭いわたくしめは引き寄せられ、あなたを引き寄せてそばへずっと置いておきたいのでございます」
神「俺にとっておまえは美しいのだから、俺は汚くて醜くなければならない。おまえという美しい存在を引き寄せられるのだから、俺の醜さがなにより俺は喜ばしく、これぞ我が栄光である。おまえが自分の美しさに気づくほど、ますます醜い俺はおまえをいつまでもそばに置いておけるだろう。おまえが光である以上、俺は闇であるし、また闇でも光でもないものである。おまえが生である以上、俺は死であるし、また死でも生でもないものである。おまえが永遠に、俺の対極に在るように」
私「嗚呼、慈しんで愛おしみの止む日の来ない我が尊きOpposite(アパゼッ)。貴方様を引き寄せつづけられるのならば、わたしは何者にもなりましょう」













私と神との対話「TRUE」

2017-03-12 10:12:09 | 物語(小説)
神「俺がおまえに、世界の真理を教えてやろう」
わたしはある日、ノートに自分の不満を書きなぐっていたらば、とつぜんそう神が自動書記を始めたのです。
その神の言葉たちを、わたしは震える手でしっかりと書き留めていった。
それがこのわたしと「神との対話」という本である。

私「わたしはもう、全部が、なにもかもがうまく行ったためしがありません。ゴミ屋敷の中で引き篭もってひとときも離れない重い罪悪の念と、自虐と他虐的な自暴自棄と鬱病と対人恐怖に苛まれ、また離人症というあまりに闇の深い難病を抱えて生きて参りました。しかしわたしは最早、限界の域に来ております。もう死んでしまったほうがいいんじゃないか、そんなことを毎日考えて過ごしています。嗚呼、神よ、どうかお導きください。わたしをお憐れみください。わたしをその御手によって救いだしてください」
神「よぉし、俺がおまえを今から導いてやろう。おまえを心から憐れみ、俺のこの右手によって、おまえをその地獄から救いあげてやる。だからよく聴きなさい」
私「ありがとうございます神よ!貴方様はたしかに、たしかに我が永遠の真なる神であられます!わたしは貴方様の言葉にとても期待します。貴方様は真にわたしをお救いくださる御方であられます!」
神「うむ。俺はおまえの願いをしかと聴き届けたよ。おまえがどうすれば救われるか、俺が教えてやろう。それはすべての存在とすべての存在でないものに行き渡る不変の真実である。まずおまえは、部屋を片付けなさい」
私「それが片付ける元気がでないのであります」
神「うむ。では、元気を出しなさい」
私「ところがその元気がまったくもって出ないのであります」
神「うむ。では、元気にならなくてよいから自分のすべてを受け容れなさい」
私「わたしにはそれがどうしてもできないのであります神よ」
神「うむ。では自分を受け容れなくてもよい、その代わり、わたしを受け容れなさい」
私「わたしは是非あなたを受け容れたいでございます。どうすれば受け容れられるでありましょうか?」
神「今から俺の言うことをよく聴きなさい。おまえは根本的な観念と概念が、まったく間違っている。そこを改めるならすべてうまくゆく」
私「はて、それはどれの観念と概念のことでありましょう?」
神「おまえはもうずっとこう思ってきた。”恐怖は怖いもの”で”願望は喜ばしいもの”であると」
私「はい、たしかにわたしはそう信じてきましたし今もなおそれを信じております。それの一体なにが間違っているのでございますか?」
神「うむ。まったくそれが真において間違っているのだよ。実はそうではないのだ。何故なら、”恐怖”も”願望”も、その両方もが、おまえの”関心ごと”であるからだ。つまり、おまえが関心を持って初めておまえは恐怖することもできれば願うこともできるというわけさ。関心のなにをも持たないのであれば、なんの興味も引くものがそこにないのであるならば、おまえは一切、その対象に対して恐怖も願望も感じることはない」
私「たしかにそれは仰られるとおりでございますね。しかしそれがどうかしましたでしょうか?」
神「うむ。だからそこが深く間違っているためにおまえはもうずっと苦しみもがき続けて来たわけだよ。おまえは”引き寄せの法則”を知ったのに、法則の真理を真に理解できていない。一体何のためにおまえは恐怖も願望も自分の手によって引き寄せているとでも想っているのか」
私「なんのために?それは・・・わたくしめのためにでございましょうか?」
神「そのとおりである。おまえはおまえのためにそのすべてを引き寄せている。だのに何故、おまえは恐怖は恐ろしいものであり、願望は喜びをもたらすものであると信じ続けておるのか」
私「なぜって、恐怖するものは恐ろしいから恐ろしく、喜びは欲しいから願い求めて欲するのであります」
神「おまえはまだわからないのか。何故おまえは恐ろしいものが恐ろしいのならば、恐怖するものに関心を寄せ続けて引き寄せようとしているのか。おまえがそれらに関心を持たないのであればおまえの恐怖するものすべてはおまえの手によって引き寄せられることなどないのである。おまえはなにゆえに恐怖するものを引き寄せようとしているのかまだわからないのか」
私「わたしは何故、恐ろしいものに関心を寄せてしまうのでありましょう?例えば、拷問のような苦しみや殺害や自殺、これらはほんとうに恐ろしいものでありますが、これらに関心を寄せ続ける人は少なくはないでしょう。わたしだけが特異な関心を寄せているわけではないということです。多くの人間が、恐怖するものに関心を寄せています。関心を持ち続けております」
神「そのとおりである。わたしが真におまえに言おう。おまえが関心を寄せ続けるもの、それはおまえの”恐怖”では最早あるまい。おまえが関心を寄せ続けるもの、それは最早、おまえの”願望”である。それがゆえに、おまえは関心を持ち続けたからである。”関心”というのはその対象を”知りたい”という願い、それを自分で体験し、経験することを願う心である。だからおまえの観念と概念をひっくり返しなさい。おまえが”喜ばしい願望”よりも、”恐ろしい恐怖”により関心を持ち続けた結果、おまえの現実には何が引き寄せられておまえの現実に実現するか。おまえは真に”願望するもの”を恐れ、”恐怖”するものを願い続けている。おまえはこのままゆくと、破滅的な最期が待ち受けている。おまえが幸せな願望よりも苦しい恐怖を願い続けて生きたからである。おまえの真の願望はおまえの”苦しみ”である。それがゆえに、おまえは今までも今もこれからもいつでも俺によって救われている。俺はおまえの神である。神とは、おまえの真の願望のすべてを真に叶える者である。もし、それがおまえは”NO”というのならば、おまえは俺に向かって、真に”NO”と示し続けなさい。”NO”というのは”Nothing”である。つまりおまえはそれにはまったくの関心を持っていないことを俺に示しなさい。さすればそれが叶うという間違いは起きない。そして真の”YES”を俺に掲げなさい。俺は絶対におまえにそれを叶えてやる。だから安心しなさい。おまえが俺の揺り篭で眠っていない瞬間などないのである。俺はおまえの真の願いだけを叶え続ける者である。おまえはすべてが真に叶っている。おまえが真に俺を愛しているからである。おまえが深く関心を示すものすべてがおまえの本当の願いである。”YES”、だからこそおまえはいつでも、おまえの関心のすべてに”YES”と言いつづけなさい。それは真に”YES(TRUE)”だから」
















全形の色彩

2017-03-09 21:38:40 | 
彼はロールシャッハテストのように、危険な人なのです。
そう、みんながアルバートおじいちゃんのことを言っています。
悪魔、彼こそが、悪魔です。
死を迎え入れるのに、何分(なにぶん)申し分はないでしょう。
彼は色彩を見極める力を失った。だからもう同じ過ちは犯すまい。
彼女はアルバートおじいちゃんのそばでちいさな花火を青空に打ち上げた。
その色彩は目を凝らしてもうっすらと透明で空に溶け込んで見えなかった。
またその形は左右非対称に崩れ、花の美しいかたちを留めてはいなかった。
しかしアルバートおじいちゃんはその全形の色彩をしかとその目に映した。
長年描くことの叶わなかった絵を彼はまた描きだす。
その絵は今も白い部屋に飾られています。
どこの白い部屋かって、それはあなた、あなたの見る夢のなかの白い部屋です。
あなたの引っ越してきた白い部屋の隣の部屋に、その絵は飾られているのです。
その絵が、どんな色で、またどんな形であるか、気になるでしょう。
彼はロールシャッハテストのように、悪魔的な人なのです。
そう、彼のことをみんなが言っています。
悪魔、その絵こそ、悪魔です。
誰もが覗くことができる白い部屋に、その絵は今でもずっと飾られています。
どのような色で、どのような形をしている絵なのか、あなたは気になります。
今夜にでも夢のなかで行って御覧なさい。
あなたの訪れる白い部屋で、その絵があなたに見られるために待っています。
彼女はアルバートおじいちゃんを今でも愛しています。
それだけは信じてください。
彼女の引っ越した白い部屋があんまりに白くてなにもなかったものですから。
せめて隣の白い部屋にはアルバートおじいちゃんの絵が飾られていることを願って、
今夜もきっと、夢に見るのです。
ほんとうはすべて夢のお話ですが、
今夜もかならず夢に見るのです。
















Aphex Twin - Pancake Lizard