あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

死も命も

2020-01-01 23:46:42 | 日記
2020年。になる約3時間前、エホバは、アイスハグ兄弟を護られ、わたしを、地獄に突き堕とされた。
そして2019年最後の夜の、終わる約1時間前、エホバは、わたしを御救いになられた。
昨日、大晦日の夜、わたしは王国会館にて、2019年最後の集会の終わった後、愛するアイスハグ兄弟へ、愛と呪いの手紙を渡すつもりでいた。
いやぁ~今年最後のエホバの証人の集会、良かったですね。終りましたね。良かった良かった。とにかく良かったね。良かったですよね。という雰囲気のなかで、わたし一人だけが、緊張に震え、ただ独り、この会衆の研究生のわたしは座って、不安に怯えて泥のなかから顔を出している泥鰌のような顔をして、王国会館内を、きょろきょろとしていた。
そして、標的を見つけた。自分のずっとずっと、求め続けてきた標的を。
それは、40歳を過ぎても独身で、いつも、不自然なほどに笑顔で講壇に立つ貧しいアパート住まいの長老であられるアイスハグ兄弟であった。
アイスハグ兄弟は丁度、そのとき王国会館内のコピー機の前に居て、一人で何かを印刷しておられた。
今がChanceだ。この機を、逃してはならぬ。逃したら死ぬ。わたしも全宇宙の全存在も、死ぬるだろう。そんな意気込みで、わたしは心震わせながら席を立ち、アイスハグ兄弟の元へ歩き寄り、びくびくしながら、倒れそうな恐怖のなか、たった独りで、愛するアイスハグ兄弟に、声をかけた。
「今日もお手紙をお渡ししたいのですが…」
するとアイスハグ兄弟は、いつもの、非常に善なる笑顔で、それでいて困った笑顔で、こう答えられた。
「お手紙を受け取ることは、もうできないんですよ…。ごめんなさい。」
わたしは一瞬で、奈落の底の闇の中心に、突き堕とされた。
アイスハグ兄弟は、その場で何も言わず呆然として絶望して突っ立っている哀れな女のわたしに向かって、何度と「ごめんなさい…。」と申し訳無さそうに何か用事しながら言ったが、やがて集会後の、食事会かなんかの説明を聴きにわたしから離れられた。
わたしは離れた処からアイスハグ兄弟を呪いながら憎しみの燃えた目で見つめていた。
話が終われば、アイスハグ兄弟に、呪いながらこう言うつもりだった。
「お手紙を受け取ってくださらないというのであれば、わたしはもう二度と、エホバの証人とは関わりません。」
そうして突っ立ってアイスハグ兄弟に怨念を送り続けていると、姉妹が話し掛けてきて、わたしは完全な鬱に落ちていたので、話し掛けられてもほとんどスルーしてただ突っ立ってアイスハグ兄弟を睨み続けていた。
耐え切れなくなって、自分の席に戻り、座って左斜前辺りに座って話を聴いているアイスハグ兄弟を、近距離から観るともなし、観ていた。
食事会で、何を提供するのかという話で、「酢豚」という言葉がわたしの耳に聞こえたりしていた。
ヴィーガンであるわたしにとっても、本当に耐え難い地獄の時間に、講壇の前辺りに移動して話を聴いたり話をしているアイスハグ兄弟は、わたしにずっと睨みつけられていることを、横目で多分知りながらも、意識的にわたしを観ないように目を逸らし続けていた。
はやく、はやく過ぎ去ってください。この耐え難い時間が。わたしはそうエホバに、祈りたいほどだったけど、わたしは祈らなかった。
わたしはエホバを、信仰していないから。
その代わり、ただ漠然と、祈っていた。
いつまで食事会の説明遣ってんねんと。
イエスの言葉を想起せよと。


 それからイエスは弟子たちに言った。
ですから,何を食べるのだろうかと自分の命のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで,心配するのをやめなさい。
命は食物より,体は服より価値があります。 


新世界訳 ルカによる福音書 第12章22節と23節

酢豚とオムレツ、どっちがいいでしょうかねえ。うーん、子どもだったらオムライスなんでしょうねぇ。
どうだって良いことに、何をこんな時間をかけて悩んでおるのだと。わたしは発狂して、コカインをその場で鼻から吸ってぶっ倒れて救急車で運ばれてゆきたいほどに、怒(いか)りで頭蓋内が、煮え滾っているようだった。
それで、サタンに犯されたわたしは、アイスハグ兄弟の姿がわたしの前に突っ立った姉妹の身体で見えなくなった後も、ただその方角を見開いた目で硬直して見つめて座っていると、40代で奉仕の僕であられるアイオス兄弟が、後ろを振り向いてわたしの異常さに気づき、わたしを心配されて静かにこう話し掛けた。
「上田さん、大丈夫ですか?」
わたしはその瞬間、本当に死んだ目で、アイオス兄弟を機械仕掛けの人形がゆっくり首を回す如く、観て、土の中に30年間埋められていた人間が初めて声を発するように、渇きながら湿っている声で、こう発した。
「お話を聴いて頂けますか…」
アイオス兄弟は深刻な顔で深く頷き、前の席から、じっとわたしを見つめた。
わたしは密かに、二世ではないのにエホバの証人になられた今の時代には大変珍しい、深い関心と信頼を寄せていたアイオス兄弟に向かって、自分のアイスハグ兄弟への呪いの全てを、赤黒い血を吐き続けるように、アイスハグ兄弟を睨み続けて震えながら吐き出し続けた。
わたしは…今、本当に耐え切れなくて、苦しくて堪らなかったから、アイスハグ兄弟への手紙に、わたしのほぼすべてのエホバへの葛藤や悩みや懺悔を、ぶつけて、それをアイスハグ兄弟に読んで戴くことで、なんとかわたしは耐えられると感じていて、それをこないだアイスハグ兄弟へお渡しした手紙にも書いたのです。
でも今日、もう手紙を受け取ることはできないと、言われました。アイスハグ兄弟は、わたしがこの苦しみに耐え切れなくて死んでも、どうとでも良いと想っているのでしょう。
そうじゃなかったら、なんで…受け取って貰えないのですか…。
わたしの、アイスハグ兄弟への呪詛の全てを、アイオス兄弟はじっとわたしの目を苦しそうな、充血した優しい目で見つめながら、何度と頷いて聴いておられた。
アイオス兄弟は、何故、アイスハグ兄弟でないと駄目なのですか?と訊ねられた。
わたしは素直に、アイオス兄弟の目を観て、悲しげに言った。
「わたしはアイスハグ兄弟に恋をしているからです。」
その瞬間の、アイオス兄弟の深い憐れみの表情を、わたしは一秒間すら見つめらずに、すぐさま目を逸らした。
アイオス兄弟はまるで、自分のことのように、悲しんでおられるように感じたからだった。
涙を流し、全身を打ち震わせながら、わたしはアイスハグ兄弟への訴えを、まだ数人姉妹や兄弟たちが残っている王国会館のなかでアイオス兄弟に向かってした。
アイオス兄弟はわたしに涙声で「お辛いですよね…」と言いながらわたしと一緒に涙を流された。
そしてiPadでたくさんの聖句をわたしに示し、またエホバの証人のサイトにあるアニメの動画をわたしに観せた。
アイオス兄弟は、御自分の過去の、本当に苦しくて堪らない話を数々、わたしに話された。
わたしと過去のアイオス兄弟は、驚くほど共通点があった。
アイスハグ兄弟に今日渡すつもりでいた手紙には、たくさんのアイスハグ兄弟に対する恨み言、呪いの言葉があったことをアイオス兄弟に話した。
アイオス兄弟は、アイスハグ兄弟は、いつも優しい顔で強い人のように笑っているが、実はもんのすごい繊細で傷つきやすい人で、Heartがガラスでできているのだと言い、その手紙を、もしわたしが渡していたなら、きっと後悔されただろうと仰った。
アイオス兄弟は、格言の書18章21節をわたしに示し、穏やかで静かな話し方でこう言われた。
「死も命も、舌によって支配することができる。人は舌(言葉)によって、本当に人を殺すことだってできるのです。」
「その手紙をアイスハグ兄弟に渡していたら、もしかしたら、アイスハグ兄弟は死んでしまっていたかもしれません。」
わたしは、アイスハグ兄弟が、何故わたしの手紙を最初は受け取っておきながら、二度目は断ったのか、その答えがわかったような気がした。
わたしが、アイスハグ兄弟を殺せるかもしれない言葉を持っていることを、アイスハグ兄弟は、わかったからではないか。
でもそれは、彼自身の決断ではなく、エホバによる計らいであっただろう。
エホバが、アイスハグ兄弟を御護りくださり、わたしを殺害者にすることからも、護られた。
わたしは、自分のうちに存在し、わたしを支配しているサタンが、音を立てて無残にも、すこしずつ、打ち砕かれてゆく感覚を味わった。
それはわたしの潜在的な場所にずっと生きてきたサタンの味わう悲哀と惨敗の、清々しい音であった。
「おや、もう23時を過ぎてしまいましたね。今日は上田さんたくさん泣いたから、きっとよく眠れると想いますよ。」
アイオス兄弟はわたしを見送るため、エレベーターで一緒に下まで降りてくださり、下に降りると、そこにアイスハグ兄弟が、手に缶コーヒーをいくつも持って笑顔で立っておられた。
どうやらこれから、独身男性の兄弟たち5人で、王国会館で年を明かすようだ。
わたしはアイスハグ兄弟に、謝るつもりで話し掛けた。
「前に渡した手紙に、アイスハグ兄弟を傷つける言葉があったのではないかと…」
アイスハグ兄弟は、わたしの言葉を遮り、いつもの優しい笑顔ではっきりと、こう言われた。
「いや、傷つく言葉はひとつもなかったです。」
わたしは、一緒に笑いながらも一瞬、イラッと来たが、続けてこう言った。
「今日渡すつもりでいた手紙には、アイスハグ兄弟への恨み言をたくさん書いていました。そんな手紙を渡そうとして、ごめんなさい…」
「その手紙を渡していたら、アイスハグ兄弟は死んでしまったかもしれません…」
アイスハグ兄弟は、頷きながら、ショックを打ち隠すかのように、何も言わず笑っておられた。

アイオス兄弟に感謝を深く述べ、家路に着くなか、わたしは悲しみの闇とあたたかい光に満たされていた。
年が明けて、今、わたしはわたしのなかだけで、確信するのだった。
わたしはこれから、エホバに背きながら、エホバに自分を捧げて死ぬだろう。
そして、アイスハグ兄弟へ、わたしは絶対に言ってはならない言葉を、言ってしまったことを。
その言葉はいつの日か、アイスハグ兄弟と、わたしの死も命も、支配するだろう。



















もう目覚めぬ夜の

2019-12-30 20:13:42 | 日記
今日は、父が死んで、16回目の12月30日。
お父さんは、知っているかな。今年の10月11日に、こず恵と共に、11年半もの月日を生きたみちたが死んだ。
父とは22年と4ヶ月、母とは4年と9ヶ月、わたしは共にいた。
みちたはわたしにとって、二番目に、わたしの側で共に長く生きて、わたしより先に死んだ存在だ。
つまりわたしは、わたしを、またも喪った。
わたしはわたし自身を。
どうして耐えられているんだろう?心から、不思議に想う。
自分をもう3人も亡くしたのに、わたしは今でも、時に笑ったりするよお父さん。
わたしは11月9日から、母が通った場所と、同じ場所に通ってる。
エホバの証人の王国会館という場所だ。
今は週に2日、王国会館で行われる集会でエホバの証人たちとの交わりに参加し、週に一度、聖書の研究を姉妹のお家で行っている。
そしてここ何日も、一日中動悸に悩まされていて、胸が痛い。
わたしは…自分に降り懸かる試練を呪ったりはしないけれど、耐え難いものがあるよ。
自分の信念と、母の信念が、本当に違うものなのか?それをわたしは確かめようとしている。
母が信じた神と、わたしの神の、どこが違うのか?そしてそれは違わないということがわかるまで、わたしのこの苦しみは取れないだろう。
こないだ、想いを寄せる長老である兄弟に、直接こう問い掛けた。
だれひとり、滅ぼさないで欲しいとエホバに祈り続けるのならば、その祈りをエホバは聴いてくださるのですか。
兄弟は、エホバへの祈りは、聴き入れられるものと、そうではないものがあると言われた。
エホバ神は、自分を喜ばせる者の祈りだけを、聴き入れられるお方なのである。
自分は、これを知り、がこんっ、と鈍い音のする鈍器で脳髄を思い切り殴られたような衝撃を受けた。
わたしは、スピリチュアルに深く傾倒している人間であり、すべての存在は永久に不滅であると信じている。
だがその確証は、どこにも存在しない。
もし、エホバ神が全宇宙の真の神であられ、この世界は無慈悲にも、エホバに逆らう存在は永久に滅ぼされてしまう世界だとしたらどうする。
その可能性の存在を、深刻に考えるべきである。
わたしは、エホバが真の神である可能性がある限り、エホバへの祈りを、し続ける必要があるのだということに、今更気付いて、胸が張り裂けそうだ。
エホバが求めているものとは、イエスと同じ犠牲である。
その犠牲なくして、どうしてわたしの祈りがエホバに聴き入れられようか?
信じたい神を信じていたらそれで良いなんて、言ってられない。
すべてに可能性がある世界じゃないか。
何が真の真実であるかを確実に見極める力がどこにあるのか。
もうすぐ、年も明けるな。年越し蕎麦には、玉ねぎの掻き揚げでも入れようかしらん。正月の夜にすぐに飲めるために、屠蘇酒を前もって作っておかねばなぁ。その為に味醂も買っておいてある。ははは。俺は準備が良いなあ。などと疲れ切った虚ろな目で考えている人間の何処に?この全宇宙の真理を見極める力が存在していようか?
わたしは人間の能力には限界があると言っているのではない。
すべては無限の力を秘めていると信じている。
だがそう安易にも、本当のことがわかるとは、想っちゃいない。
エホバが真の神ならばどうする?
イエスは終末の様子を、こう述べている。


天と地は過ぎ去りますが,私の言葉は決して過ぎ去りません。
その日と時刻については誰も知りません。
天使たちも子も知らず,父だけが知っています。
人の子の臨在の時はちょうどノアの時代のようになります。
洪水前のその時代,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,結婚したりしていました。
そして,洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした。
人の子の臨在の時もそのようになります。
その時,2人の男性が畑にいて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。 
2人の女性がひき臼を回していて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。
それで,ずっと見張っていなさい。
主がどの日に来るかを知らないからです。


これは新世界訳(エホバの証人だけの聖書)の今年に改訂された新訳版の、マタイ24章35節から42節の聖句である。
新訳は、現代の若い人たちにも、とても理解しやすい言葉に訳されている。
知る人ぞ知るシルバーバーチという聖霊のメッセージは、イエス・キリストを通して来ている。
イエスの預言を、スピリチュアリストは決して軽視することはできない。
終末の時には世の半分の人類は神のもとへ連れてゆかれ、残りの半分は、神のもとではない何処かに、捨てられる。
聖書では終末のあとに千年王国が訪れて、すべての死者は復活させられるが、その神による千年統治の最後には、サタンが世に離されて、最終の審判によって、永遠に生きる存在と、滅びる(永久の滅びに至る)存在とに選別される。
そして神の王国が、真に実現し、その国は、永遠に、存在し続ける。

わたしは同じ日(28日)に兄弟に、震える声で切実にこうも問い掛けた。
わたしがエホバに背いて、わたしが滅ぼされても、エホバに忠実である母は永遠の楽園で幸福に生きるのですか。
すると兄弟は初めて深刻な顔で言葉に詰まり、じっと俯いて少しの間考えておられた。
そして優しい笑顔をわたしに向けて穏やかにこう訊ねた。
上田さんは、お母さんを喜ばせたいですか?
つまり兄弟は、こう言いたかったのだ。
お母さんを喜ばせたいのであれば、エホバに喜ばれる生き方をするべきなのではありませんか?
そう…兄弟は、わたしのこの問いに、答えることはできなかったのである。
何故ならば、答えがNOである場合、楽園は幻想であるということになり、答えがYESである場合、わたしの母は、我が子が滅びようとも幸福でいるまるで心の死んだ自動人形のようであるからだ。
わたしは、あらゆる意味の悲しみに、打ち拉がれているのに、何故か心は同時に、あたたかくもあるのだった。
それはエホバの証人が、本当に愛の深い人間たちであるという幻想を打ち砕くことが、難しい(容易ではない)ことであることを、わたしが感じているからだった。
お父さんの命日なのに、お父さんのこと全然書いてへんね。
でも今日お父さんが夢に出てきたよ。
お父さんは実家で洗濯物を干していた。
今でもそこに、いるみたいに。
今、失われた時間のなかに、わたしも父も母も兄も姉もみちたもいる。
すべてが失った大切であたたかい時間が、すべての存在に戻る時間。
その世界を、わたしは楽園と呼ぼう。
もうだれも、耐え難い苦しみのなかで死んでゆくこともない。
わたしはその世界を、真の神の国と呼ぼう。
イエスの御声が聴こえる。
夜明けは近いから、目を覚ましつづけていなさい。
もう目覚めぬ夜の、深く静かな処から。


















ハデスの底の燃える死のように

2019-12-11 23:59:01 | 日記
12月11日午後11時6分。
嗚呼、今気付いたが、今日はもう、みちたが旅立ってから二月過ぎていた。
今となっては、信じ難いほどあっという間にこの月日が、気付くや去っていた。
一月、ブログを更新することすら出来なかった。
寒々とした灰の内にあって、光の戯れに指を触れてはやめる日々があった。
わたしはまたひとつ、確かに確信するのだった。
みちたが死んで、わたしはまたわたしを、ひとり喪ったのだと。
こんなに心が寂しく冷えながらも、心躍る日々を歩むのは、いつの日振りだろう。
みちたのいない日々をただ歩んでゆくこととは、みちたに再会する日に、わたしは近づいている。
みちたに永久に会えない日に立ち止まっていることの許されない日々を歩むことはなんと喜ばしいことだろう!
わたしに悪霊が取り憑いている間にも、みちたは着々と、人間として生まれる日に向かい、時を数えている。
終りのない日まで、終りを待ちつづけるハデスの底の燃える死のように。
彼はもう、人間として生まれぬ日の夜を、待ち望む。
みちたは早く人間に生まれたくて、わたしを主として選んだ。
わたしの奴隷として、生涯を生きて虚しく、寂しく死ぬことの耐えられない悲しみの果てにみちたは死を受け容れた。
一刻も早く、もうこの寒々しい地上に生まれなくとも良い日に生まれるが為に。
みちたはわたしの奴隷としてその生涯を捧げ、汚れた毛皮のように独りで朽ち果てた。
わたしにすべてに等しく価値があったとしても、みちたに選ばれないわたしの生は、なんと寂しいことだろう。
父が居て、母が居て、姉と兄が側に居る永遠に生きても、それは真冬の森の小屋のなかの、氷でできた地球の上で眠る炎のように、瞬いては、湿気た喜びだ。
聖家族の陶器の像を、床に投げ付け叩き割って、無数の粉々のその像たちすべてを、自分の家族として愛せないなら、人は生きながらにして、死んでいるのだ。
そう想うだろう?みちた。
嗚呼、もうすぐ日が経ってしまう。
みちたのいないこの家が、どの毛虫の抜け出た蓑虫のなかのカオスより、澄んでいて。
何も見いだせないことを、イエス・キリストのみなをとおして、祈りつづける。アーメン。















みちたとのお別れ ④

2019-11-11 16:26:37 | 日記
(2011年1月20日撮影。この時期は、訳あって神戸に住む上の兄のしんちゃんの家に二ヶ月ほどの期間泊まっていた時期である。中学生の甥っ子二人の眠る二段ベッドの横にみちたのサークルを置かせてもらっていた。みちたはストレスからかなりうるさくしてたけれども、甥っ子たちはみちたをとても可愛がってくれて、文句の一つも言うことはなかった。とても感謝している。みちたを放してやると、しんちゃんの家で飼っている猫のロビン(雌猫)を全く怖がることなく、ずんずん追いかけたりしていた。)





10月17日午前8時22分。目が醒めても少しの間、何もできず横になっていた。
毛布にくるまれながらLINEで姉に返事を送り、これを打ち始める。
昨日は外には出なかったが色々とできた。
みちたは八月頃から精巣がだんだんと肥大してくる病気にかかっていて、そのためうんちがいつもお尻にへばりついて固まってなかなか取れない状態だった。
お湯に浸ければふやけて取れるかもしれないと想い、高齢で病気のうさぎを温浴させることが危険なことを承知で、9月の終わり頃だったか、一度少しだけ半身をお湯に浸けた。
うんちは少しは取れたが、固まっているやつはそれでも取れなくて、みちたはぐったりとして、慌ててタオルで拭いた。
今想えば温浴はみちたの体力を奪うだけの行為だったかもしれない。
温浴をさせなければ良かったと後悔しながら、みちたを拭いたタオルや、寝たきりのみちたと死んだあとのみちたを抱っこした白い花柄のニットのワンピースなどを洗濯した。
このワンピースが、ウェディングドレスのように想えて、みちたはわたしの花婿でわたしはみちたの花嫁のように感じた。
何故、わたしはみちたと最期の最期に、結婚したのか、そしてこれからみちたと遺灰でみちたと結婚する為の婚約指輪を作ろうとしているのか。
それはわたしが、みちたを喪ったからだ。
みちたと別れたあとも、みちたと特別な縁で永遠に結ばれていたいから。
だからわたしは来世で必ず結婚しようという約束と願いを込めて、みちたとの婚約指輪をみちたの遺灰で作ることにした。
動物は、人間に愛されるほど、魂が成長して人間の魂として生まれ変われる日が近くなるという。
わたしの愛が足りなくて、人間として生まれ変われなくとも、わたしがこれだけみちたのことで後悔してみちたとの再会を願い続けているから、みちたはまたわたしと一生を共にしてくれるかもしれない。
そう、信じている。
みちた…会いたいよ。
いつまでも、またみちたに会えると信じているよ。



(2011年1月20日午後15時45分。みちたはお皿の上のチモシーを食べている。この時期、みちたはおやつの食べ過ぎやおやつ欲しさにサークルをガジガジ噛むことが原因で歯が曲がって伸びている不正咬合という症状が出始め、病院に甥っ子と一緒に行ったりした。歯を正常に戻すために、硬い牧草を与えている。年を取るほど、牧草を食べなくなって行ったが、この頃はまだよく食べてくれた。)




昨日はずっと付けたかった玄関のドアの前の突っ張り棚も付けられて、その上に洗濯機の上に置いていたものを少し載せられた。
それで夜の10時過ぎに床に就くまでずっとみちたのことを書いた過去のブログを読んで、みちたの画像をまとめて、みちたが映っているYoutubeに公開している2010年のオリジナルビデオを観て泣いたり、みちたのブログを一冊の本にしたいと想い、製本できるサイトを見たりしていた。
床に就く頃、心は落ち込んでいた。
2016年頃から、みちたの写真は少しあっても、元気そうな写真は一つもなかった。
パスツレラ症でいつも涙と鼻水で目の周りも鼻の周りもひどく、哀れな状態で、ブログに載せられそうな写真がなかったから、ほとんどそれからブログにはみちたの写真がない。
みちたの病状が悪化して行くのに並行して、わたしがお酒に酔っ払って自分の顔を大量に撮り続けるという異常行為が増えていることがわかった。
悪用される可能性を解っていてブログに自分の顔を大量に載せ続けることは一つの自虐行為になる。
今年の1月からとうとう斜頸の症状が出て、それでもみちたはうさぎのぬいぐるみにマウンティングを励んだり、食欲はすごくあったりした。
抗生剤治療を、最初の段階からしていたなら、事態はどう変わっていたのか。
2007年に飼っていたハムちゃんの時のように、量を間違えてこの手で早く殺めていたか、善玉の腸内細菌も殺して悪化していたか、それとも、良くなってみちたは今も元気でいてくれていたのか。
同じことを、何遍も何遍も繰り返し後悔してしまう。
抗生剤治療は、そこまで安心できる治療法ではない。
抗生剤治療を行って悪化して死んでしまったケースもネットには載せられている。
うさぎによって、必要な量も違ってくるだろう。
抗生剤治療とは、抗癌剤治療と同じく、結果がどう出るかわからない賭けの治療になる。
それでも、後悔してしまう。
すぐに病院に行って抗生剤を何ヶ月、何年と、嫌がるみちたの口に強制的に飲まして与え続けていたなら、その間のみちたのストレスはひどいものだったかもしれないが、結果的にはみちたは元気に戻れたかもしれないと。


後悔し続けることは、わたしが苦しみつづけることだ。
でも、後悔しても、みちたは戻ってこないとは想っていない。
寧ろこの苦しい後悔の年月が、みちたを戻すことのできる唯一の方法になるかもしれない。
魂とは、自分に悔いはなくとも、相手に自分との経験で悔いがあるなら、相手の為にまた遣り直してやろうと縁ある関係として生まれ変わってくるという。
わたしは愛する父とも、再会してまた一緒に暮らせる日々が来ることを信じている。
信じないならば、その日はきっと訪れない。
生まれ変わりを本当に信じないならば、生まれ変わることも、ないかもしれない。
もう二度と、愛する者と、会えないかもしれない。
わたしはどうしても会いたい。
どうしても、遣り直したい。
遣り直す為にも、愛ある存在として、成長したい。
みちたが息を引き取り、その後すぐに電話したとき、しんちゃんが言ってくれた。
みちたとの別れを通して、こず恵はまた一つ、大きく成長した。と。
人間を成長させる為に、動物は生まれてくるんだと確信できる。
人間に愛を教える為に、動物は愛のなかから生まれて来る。
決して、殺す為でも、食べる為でもなく。





(2011年1月20日午後15時45分。甘いおやつをもらえなくてストレスがすごかったと想うが、牧草と野菜しか与えられなくなって仕方なく牧草を一心不乱に食べているみちた。)




午前9時55分。
みちたのことを、もう少し早くにブログに公開しようと最初のうちは想っていたが、文字数制限で一つの記事に三万文字までしか載せられないことや、小分けにして載せるとしても最初に載せる一つ目をどのようにまとめたら良いか、どの写真を載せるかで悩み、時間が経っている。
それに、何となく、初七日が過ぎるまでは、載せない方が良いかもしれないと感じて、そんな焦ることもないと考え直す。
リアルタイムで知ってもらいたいという気持ちは強いが、でも考えたら本も音楽も絵画も、表現の大体は、かなり時差を持ってすべての人に公開される。
ブログだからリアルタイムじゃないと価値が落ちるというわけではない。
気を焦らず、時間をかけて綴って、纏めて載せていこう。
これは誰に読ませる為でもなく、わたしとみちたの大切な記録なのだから。


みちたを買いに行くとき、わたしは雄のうさぎが良いと決めていた。
わたしとみちたで、いっつい(一体)になる為だろうか。
わたしは女でみちたは男で、ひとつになりたいという願いが当時からあったのかもしれない。
わたしとみちたが一つならば、みちたがわたしの元に帰ってこないというのはおかしい。
みちたはわたしのように悲観的でなく、とても楽観的で達観しているように感じる、でも同時にみちたはわたしから離れて寂しがっているようにも感じる。
みちたは寝たきりになってからも、わたしが額や鼻の頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を閉じ、いつも撫でてやると歯を動かしてギシギシさせる癖があったが、それも少ししてくれた。




(2010年11月26日午後14時17分。みちたはこの時とてつもなく寂しそうな顔をしている。わたしが当時付き合っていた婚約者と修羅場続きで、わたしが婚約者に依存して、みちたにほとんど構って遣れていなかったからだろう。みちたを2日家に置いて、婚約者の住む山口県に急遽新幹線で行ったこともあった。)





10月18日午前7時25分。今日でみちたが旅立ってから、一週間が経つ。
一週間目が初七日だと想っていたら、昨日が初七日だった。
一度目の審判を、みちたは受けたのだろうか。
動物にも罪があるのは、動物の時代に犯した罪ではなく、人間の時代に犯した罪が、動物に罪を犯させるのではないかと考えている。
罪を意識することのできない動物や子どもに、贖いを求めることはどれくらいの意味があるだろうか。
でもこの世界では人間以上に動物たちが人間の犠牲となって苦しんで殺されつづけている。
何故なのだろう。
何故、人間の大人だけでなく、動物や子どもたちまでもが堪え難い苦しみのなかに死んでゆかねばならない世界なのだろう。
みちたが、前世で人間だったとして、わたしに飼われて苦しむことで負のカルマをすべて清算できたなら、みちたは人間として生まれ変わって来るかも知れない。
わたしは兎に角、みちたの側で生きたい。
必ずうさぎにまた生まれ変わってきて欲しいなどとは願わない。
犬になるかも知れないし猫になるかも知れない。わたしはこの先だれかの子を授り、わたしの子どもの魂がみちたかも知れない。
みちたが旅立つ何ヶ月か前に、みちたがゴールデンレトリバーになっていて、みちたがデパートのなかで居なくなって、必死に走って探し回っている夢を見た。
みちたはたまたま、今生にうさぎとして生まれて来たのか、それとも、わたしに飼われる為に、うさぎとして生まれて来たのか。
わたしは今の生活では犬も猫も飼えない。
でも小動物ならなんとか飼うことができる。
みちたはわたしと長い時間をふたりきりで過ごす為に、うさぎに生まれ変わって来てくれたのかも知れない。
外は雨が降っている。
みちたと何度、外の雨の音を聴いただろう。
わたしの元々のハンドルネームは雨音(あまおと)だった。
わたしは雨の音を、いつから好きになったのだろう。
雨が降っている道路を走る車の音を聴くと、よく父の運転する車に乗っていたその時間を想いだしていた。
でも今は、みちたを想いだす。
わたしの世界を、今はみちたが覆っているかのようだ。
みちたは目に見えないが、とても大きな存在であったかくて、やわらかくわたしを母親のように包み込んでいるようだ。
みちたの方が親で、わたしは子どもだったのかも知れない。
お父さんの生まれ変わりが実はみちたで、死後に再会したときに、「あんな、実はな、みちたはお父さんやねんで。」と言われたらひっくり返るほどびっくりするだろな、と考えたりもした。





(2010年11月26日午後14時20分。とても寂しそうな表情なのに、すごく愛らしい表情だと感じてしまう。それは人間にプログラミングされた本能的なものなのだろうか?寂しがっている弱い存在は、何よりも愛を求めていて、何よりも愛する必要がある。)




わたしはみちたを、ずっとずっと、11年と5ヶ月半、独り占めにしてきた。
みちたの愛らしさを、撫でたらふわふわの毛を、みちたに見つめられることの切なさを、みちたの、そのあたたかさを。
みちたはわたしだけのものではなかったけれど、みちたはまるでわたしだけの存在として、わたしの側にずっと居てくれた。
わたしの外に、もうみちたの気配を感じることができない。
みちたはわたしのそとから、わたしのうちに、移動した。
みちたが息を引き取った、その瞬間から。
わたしはそのとき洗い物をしながら、何も感じなかった。
だからみちたが、眠っているようだった。
ただ永い眠りに、入ったようだった。
わたしはそのときから、みちたのいない世界を、生きてゆく永い夢を見始めた。
夢だから、いつか必ず夢から覚める。
どんなに悲しい夢も、いつか終わる。




午前8時34分。こうやってみちたへの想いを綴っていると、涙がでてくる。
こんな風につらくても向き合うことがとても大切なことなんだとわかる。
つらくとも死者とふたりきりでしっかりと向き合う時間を十分に取らないと、後々とても苦しむ。と昨日みちたにお線香をあげてくださった訪問看護師のチャーミーさんがわたしに話してくれた。
みちたを火葬した後の1日目と2日目くらいは、この部屋に一人きりでいることがとても恐ろしくて耐え難いものにも感じられた。
でもその苦しみに耐え切れずにハムスターを買って迎え入れたりしていたなら、わたしはそれ以上に後で苦しむことになっただろう。
残りの所持金の6千円を、ハムスターを飼うことに使うか、みちたのことに使うか、悩むほど独りで家にいるのが耐え難い時間があった。
でもみちたがいなくなってから一週間が経ち、一人で一日中この静かな静かな部屋にいる恐ろしさも少しづつ和らいでいる気がする。





(2010年11月26日午後14時17分。この日お外もどんよりとした天気だったと想うが、みちたの写真を撮れるときは、いつでもわたしがほんの少し元気を取り戻せた日だった。)




みちたが生きているときにはちいさかった食用菊に着いていた幼虫が、昨日見たらかなり大きくなっていた。
保冷剤を入れ替えていないクーラーボックス(冷蔵庫がずっと壊れている為、クーラーボックスに野菜を入れている)に入れていた食用菊はもうほとんどドロドロになっていて、そのなかでも生きていた強い子だ。
人参のヘタと薔薇の花びらを一枚あげたら少し食べてもりもりうんちをしていた。
人参の葉っぱの部分をすべて食べて、その部分に頭をずっと突っ込んでいた。
もう終齢期かも知れないから、できれば今日逃がしてやりたい。
あとは土のなかに潜り、蛹となって晩秋か春になればハスモンヨトウかヨトウガに羽化して夜空に羽ばたいてゆく。
彼らは羽化すればほぼ何も口にせず、ひたすらに交尾相手を探して飛び回る。
大体は、成虫は十日前後で半月も生きずに力尽きて死ぬ。
探しても探しても、相手が見つからないままひとりで静かに絶える個体も多いだろう。
でも生命は、ただ繁殖する為に生まれて来るわけじゃない。
わたしは恋人も夫も子供もいないけれど、永遠に離れたくないと想えるほど愛する父がいて、愛するみちたがいる。
今は側にいなくても、心はいつでも共にいる。
悔いは多いけれども、明日死んでしまうとして、人生を全うしたと、想える日が来るだろうか。
みちたを喪くしたことで、わたしはまたひとり愛する者を喪う悲しみが深まった。
人間は悲しみが深まるほど、これまで楽しいと感じていたことや嬉しいと感じていたことが、もう同じように感じられなくなってゆくように感じる。
でも同時に、それ以上の喜びや、深い感動を覚えられるようになる。
それでも、喜びや感動は、愛する者を喪う悲しみの深さを超えることがないなら、魂は一層、成長してゆくことができる。
愛は悲しみをもたらし、悲しみは愛から遣って来るのであれば、人間は、悲しみから逃れる必要などない。
人間も動物も、愛と悲しみを知る為に生まれて来るのだから。






(2010年11月26日午後14時20分。この写真を、いつも観るたび切なくなる。みちたがわたしを赦して、わたしに向かって歩いて来てくれているような写真に想えるからだろう。)





2019年11月11日午後3時6分。今日で、みちたがわたしのもとを去ってからひとつきが過ぎる。
みちたが息を引き取ったのは、10月11日の午後6時45分頃から午後7時の間の時間。
ひとつき、わたしはみちたが不在のこの寂しくて堪らない世界で生きることができた。
みちたが死ぬ前は、みちたが死んでしまったらわたしは生きる力を喪って後を追うように死んでしまうんじゃないかと、それが不安で恐怖でならなかった。
だからみちたがいよいよ死が近づいていると感じた頃から、わたしは他の動物を早く飼わなくてはならないというある強迫的観念に取り憑かれていた。
それほど、わたしにとってみちたの存在はあまりに大きくて、わたしの生死を脅かす存在であるのだと感じていた。
実際、ここのところ朝に目が覚めると身体が鉛のように重く、本格的なペットロスが来ているのかもしれないと感じる。
でもいざ起きてしまえば、お酒を飲むと大分楽になれる。
それでも、みちたの写真を観るのが、だんだんと辛くなってきている自分がいる。
観ると涙が出て、つらくて落ち込んでしまうので、意識的に観るのを避けている自分がいる。
みちたがいない日常に慣れてゆくことは、わたしにとって悲劇であり、救いであるとは到底感じられない。
それは、慣れているのではなくて、上手くこの現実から逃避できていることに過ぎないだろう。
でもなぜ現実から逃避するのかというと、それは現実が耐え難いものであるからだ。
つまり、わたしは、日が過ぎるほどにみちたがいないこの現実に耐えられなくなっている。
これが”ペットロス”というものなのだと、わたしはこの人生で初めて知ったように感じる。
ペットロス症候群の人が増えてきているのは、ペットを、家族のように愛することができる人が増えてきているということだ。
それ自体は喜ばしいことなのに、ペットは人間より早くに死んでしまうことがほとんどだから、ペットとの別れに耐えられなくなって、鬱症状が出たり、みずから命を絶ってしまう人も増えてしまう。
愛による悲劇は、なんと悲しいのだろう。
それでも、動物を物のように扱い続けて生きて死ぬことより、ずっと救いがある。
ペットロスに苦しみ続けている人は、是非この事実(『
動物の魂と前世のお話。ペットはあなたを選んで生まれてくる』
https://スピリチュアルライフ.com/2018/04/05/animal/)を知ってほしいと感じる。



もう二度と会えないのだと信じ続けるなら、その悲しみは癒える日は来ない。
でも、必ずやまた会える。一緒に生きてゆけるのだと信じるならば、その日の為にどんなに悲しくとも生きてゆこうとすることができる。
生きてゆく為になら、どんなことも顧みないとするなら利己的になるけれども、生きてゆく為に、だれかの為に生きようと想えるなら、その行為自体が生きてゆくことのできる糧となり、術になる。
先日、わたしは10年前にここに引っ越してきて初めて、エホバの証人の集会に参加した。
理由は、今のわたしはあまりに孤独であり、また孤立していて、このような状態を続けてゆけば、長く生きられる気がしない。
本当の意味での、霊と霊との深い交わりが必要であると感じたからだ。
でも普通に人と接していて、そこまでの深い交わりを持てることは無きに等しい。
現に多くの男性と真剣に付き合ってきたが、今でも霊と霊としての関わりを持てている人が一人もいない。
かつてはあれほど想い合っていたとしても、時が経って別れたあとでも互いに本当に苦しい時に力になれないのなら、なんと虚しいのだろう。
今わたしは途轍もなく孤独に苦しんでいるが、誰一人、”女と男”という関係を棄て去って霊と霊として話し相手になろうとする人一人とていない。
でもエホバの証人であれば、そのような虚しい関係に終わることはない。
何年経っても、わたしが苦しんでいれば必ず善意で助けようとしてくれる、真のクリスチャンである。
それはこれまでの経験を通して感じてきたことだ。
自分の母が敬虔なエホバの証人であったからではない。
エホバの証人は、本当に誰に対しても、どんな裏切り者にも、救いの手を差し伸べる。
どんな暑い日も寒い日も、聖書の神の救いと愛を広げるために奉仕をつづけ、どれほど冷たい言葉を投げられても挫けることのない彼らを、わたしはずっとずっと尊敬してきた。
今、このタイミングを逃してはならないと感じた。
きっとみちたが、そして天にいる母が、仕向けてくれたのだと感じて、わたしは勇気を振り絞って、生きてゆく為に、そしてすべてを耐え難い苦しみから救う為に、すべてに永遠の魂が与えられる為に、聖書の教えを、本格的に真剣に学んで行くことを決意した。
週に一度、姉妹(エホバの証人は姉妹と兄弟と呼び合う)のおうちで聖書の研究をし、週に一度、近くの集会場で行われる集会に参加することにした。
このわたしにとっての大きな転機が、みちたのいない寂しさを慰み、紛らわす為だけの行動ではないことを切に神に祈りながら。






(2010年11月26日午後14時24分。みちたくんこっち見てるよ?
みちた「大丈夫かなぁ…。」)

















みちたとのお別れ ③

2019-10-31 20:18:59 | 日記
(2013年7月20日午後18時57分撮影のみちた。お気に入りのうさぎのぬいぐるみに顎にある臭腺の匂いを塗りつけているところ。)



10月15日午前4時17分、昨日は暗くなる前から眠ったからよく眠っていた。
何度も目が醒め、汗がぐっしょりで気持ちの悪いなか、夢と現のあいだでまた何度も眠りに入った。
iHerbで買っていたメラトニンと赤ワインの力でこんなに眠りつづけられる。
眠っているあいだ、みちたのことを忘れているのは寂しい。
でも記憶にない夢のなかで、みちたと話しているかもしれない。
動物は、飼い主を危険から、ネガティブなエネルギー、呪いのような念から護る為に、自分が犠牲となって死ぬことがあるようだ。
呪いの念というものは、本人にその気がなくとも相手に飛んで行ってしまうと言われている。
例えば生霊というものも、ほとんどが本人の知らないあいだに相手に憑いてしまうと言われる。
だからちょっとしたことでも相手にムカついて、相手に悪いことが起きるように一瞬でも願えば途端に自分の生霊が相手を苦しめてしまうこともあるから、人間を恨むとは、とても業が深いことなのである。
何故ならその業は、必ず自分のところへと帰ってくるから。
相手を呪えば相手が苦しみ、その為に自分も苦しむことになる。
わたしはヴィーガンになってから、自分の訴えは揺るぎないものになった。
因果応報、因果律の法則、作用反作用の法則だ。
人類に耐え難い苦痛、地獄と拷問の苦痛が存在するのは、人類が動物たちに同じ耐え難い苦痛と地獄と拷問を経験させ続けていることが一番の原因にあると確信に至った。
だからずっとずっと、それをネット上で訴えつづけて来た。
相手への行為は、必ず自分のところに帰ってくる。
肉や畜産物や魚介を食べるということは、間接的に動物を大量に殺し続けるということだ。
その行為は、必ずや自分に帰ってきて、相手に与えた同じ苦しみによって、自分が苦しまなくてはならない。
そうするとこの世に地獄と拷問の連鎖が永久につづいて行くことになる。
そんな世界に生きてゆくことは、たとえ肉体的苦痛がなくとも、精神的な地獄の世界だ。
でもこの訴えをしつづけるとほとんどの肉食者から反感を買い、恨まれ、嫌がらせを受け、迫害される。
ネット上には、わたしを意識下か潜在意識のなかで恨みつづける人間がたくさんいてもおかしくない。
人の不幸を願い、人の不幸を喜べば、必ず自分が不幸になることも知らずに。
みちたはもしかしたら、わたしに降り掛かるそのすべてのネガティブなエネルギー体を自分ひとりで引き受けて、わたしを危険から護る為に死んでしまったのかもしれない。
でもこの訴えを、わたしは死ぬまでやめるつもりはない。
わたしがヴィーガンになったのは、一つの大きな理由として、生きて心臓が動いているうちに解体されて殺される家畜たちが、わたしの父やみちたに見えたからだった。
愛する父やみちたが、どうか来世は家畜などの地獄のなかに殺される動物に生まれ変わってきませんようにと、祈りつづけることはしない。
何故なら、自分の愛する者だけを救ったところで、だれひとり救われない世界だとわかっているから。
祈るなら、すべての生命が救われることを祈りつづける必要がある。
その為に、自分を犠牲にする覚悟で祈れないなら、祈りには、なんの意味もない。
祈りと行動が矛盾していたとしても、すべてが救われるまで自分は決して救われないことを知るなら、祈りには大きな意味があり、力がある。
イエスは、愛することのできる者(自分を愛してくれる者)だけを愛したからといって、なんの報いがあるのか。と言った。
"報い"とは、すべての自分の行動の結果として自分が身に受けるもの。
報いとは、生命にとって生きることの益や価値や意味と同じような意味にある。
みちたや、お父さんやお母さんがどうか救われますようにと祈りつづけたとして、そこには何の意味も価値も益も報いもない。と、イエスは言っている。
善なる者はすべてを救出する為にみずから地獄に向かうが、悪(罪)なる者は地獄から救われたくても地獄に堕ちてしまう。
自分を犠牲にしてでも悪なる者が救われるようにと祈ることができないのなら、祈りには、何の意味もない。
深い罪があっても、善なる者として生きて死ぬことができる。
みちたはもしかしたら、前世で深い業があり、そのカルマの清算の為に、わたしに飼われることを選択したのかもしれない。
前世でみちたは人間で、前世、わたしは動物だったかもしれない。
みちたはわたしを苦しめたかもしれない。
その為、今生ではわたしに苦しめられる一生を送り、わたしは前世で苦しめられたみちたを愛することのできる人生を送ることをみずから願って、ふたりであちらで約束してこの地上にまた生まれてきた。
みちたはこの苦しい一生を送ったことで、やっと深いカルマを清算することができた。
みちたは罪をすべて贖って、真っ白なみちたとなって自分を犠牲にして、わたしを救ってくれたのかもしれない。
みちたは真っ白な仏さまになった。
でもみちたがいなくてわたしがずっと泣いているから、わたしの子宮にいつか宿ってくれるかもしれない。
今生が無理でも次の一生がある。その一生が無理でも、また次の一生がある。
いつか、いつかの人生で、みちたはわたしの息子に生まれ変わり、別の人生では、わたしの夫として生まれ変わってわたしと再会する。
もしかしたらそれは人間の時間軸で考えると過去かもしれない。
アトランティス時代、みちたは人間となって、わたしに出会う。
それが最初の出会いかもしれない。
過去は未来になり、未来を、わたしとみちたは懐かしむ。




(2009年11月6日午後22時4分。みちたはお耳の垂れたロップイヤーという種類のうさぎだけれども、こうして耳を上げてやると、よりうさぎらしくなって、少し女の子っぽくなる。みちたは耳の付け根部分を撫でられるのが大好きだった。その部分は自分で痒くても掻くことができなくて、いつも痒かったのだろう。)





午前5時58分、もうすぐ日の出。
みちたが旅立って、四度、夜が明けて、朝が来た。
嗚呼、まだ4日しか経ってないんだ。
4日前、みちたはまだわたしの側で眠ってくれていたんだ。
まだ、同じ世界にいたんだ。
わたしとみちたは。


お花を買ってきて、みちたの遺灰の横に置いてあげたいな。
煙の少ない御線香もあるといいかな。
みちたの毛が詰められたぬいぐるみをリュックに入れて買いに行こうかな。
携帯用のミニ骨壷は来月にならないと買えないから、何かそれまでみちたの遺灰を入れて持ち運べるケースみたいなやつはないかな。
みちたの遺灰を家でひとりぽっちにさせるのは、なんか淋しい。
わたしはすぐに帰って来るけれど、それまでテーブルの上にぽつんとみちたの遺灰の入ったちいさな骨壷があるのを想像すると何か寂しい。
みちたが生きているときは少しの間みちたをひとり部屋に置いて行くことを寂しいなんてほとんど感じたことはなかったのに。
うさぎの1日は人間の7時間くらい。
7時間くらい、ほったらかしたことは何度もあったと想うし、緊急の出来事で2日か、それ以上ひとりにさせてしまったことも三度ある。
みちたはどんな想いで、その時間ひとりでいたのだろう。
見棄てられたと感じて、ずっとこころで泣いていたかもしれない。
みちたには、わたししかいなかったのに。
わたしだけが、みちたを育ててきた。
何故なんだろう。
何年か前から、2016年よりも多分前から、大きな液晶のパソコンに変えて、その時からパソコンの前に座っているわたしの1日のほとんどの時間、サークルのなかにいるみちたの姿がほとんど見えないようになってしまった。
ずっとずっと、早くデスクの向きを変えたいと想っていたのに、とうとう最後までできなかった。
いま想えば、ひどく簡単なことだったのに。
みちたのサークルの横に積み重ねられる収納ケースを買うか、物を捨てて物を減らしたら、すぐにできることだった。
何故なんだろう…
何故、収納ケースを買わずに、ダイソーで毎月何千円と衝動買いしたり3DSなど買ったりしてしまったんだろう。
何故ホームヘルパーを利用した時に一番最初に、デスクの向きを変えたいと言わなかったんだろう。
他の何よりも、一番に大事なことだったのに。




(2009年11月6日午後22時7分。みちたはこの頃から既に、ふてくされた顔をしている。でも想えば、みちたを何度も撫でたり一緒に遊んでやれた精神状態が安定していた期間はほとんどなかった。みちたはほとんど常に、ひとりでサークルのなかで遊んでいた。それを眺めているだけで、ほっとしていた。)






午前6時58分、食欲があまりないけれど、起きてパスタでも食べて、バッグ二つと、ぬいぐるみ四つを近くのセカンドストリートに売りに行こうかな。
それで電化製品を買い取ってもらえるか訊いてみようか。
その足でダイソーに行こう。徒歩約20分ほどで着く。


昨日、楽天で見たら五万五千円でメモリアルリングをオーダーできるものがあった。
一月一万五千円貯金できたら5ヶ月目には買えそうだ。
早く欲しいから、安いものにしようか。
でも内側からしか遺灰が見えないデザインだった。
そうすると付けたままみちたの遺灰を見ることができない。




(2009年11月6日午後22時8分。みちたにあげるお野菜を入れていたこのお皿も、だいぶ前に捨ててしまった。みちたのサークルはすべて片付けるけれど、みちたが遊んでいたぬいぐるみは洗って置いておこう。)







10月16日午前4時37分。
昨日はリュックにブランケットに包んだみちたの骨壷を連れて、昼過ぎに歩いて20分くらいのダイソーに行って、みちたの写真を飾るフォトフレームと、みちたの骨壷の側に置く花を生ける為の花瓶と、香炉灰と線香と香炉代わりの皿と水を入れるショットグラスと、それらを置くコースターやランチョンマットを買って来た。
スーパーでピンクの薔薇や白い霞草、ピンクや白のガーベラ、青いちいさな花、あと花屋で鉢植えのオレンジ色のガーベラを買った。
帰りにファミリーマートでみちたの写真を5枚プリントアウトして帰って来た。
みちたの写真を形にするのは2015年に数名に初めて送った年賀状以来だった。
みちたの写真を年賀状にしたのは、みちたを覚えておいて欲しいからだった。
みちたが死ぬとき、わたしだけが悲しむのはみちたが可哀想だと想った。
でも実際みちたが死んだとき、そんなことでみちたはちっとも悲しんではいないと感じた。
みちたは寧ろ、わたしを心配して、わたしが悲しみに暮れていることで一緒に悲しんでいるような気がしたからだ。
みちたは仏様になったのだから、わたしだけに悲しまれることを悲しんでなどいない。
みちたはただ、わたしがみちたを喪う深い悲しみのなかでも、頑張って生きてゆけるようにと祈ってくれている気がする。
でもみちたは天使となって、またわたしを助ける為に天から降りて来てくれると信じている。
でもそれまでは、みちたのいない日々を、わたしは存分に悲しみつづける必要がある。
哀しみつづけなくては、みちたはきっと降りて来てはくれないように感じる。




(2019年10月15日午後19時5分。2015年に撮影したみちたの写真をみちたの骨壷の隣に飾る。眠るとき、みちたと並んでいるような気持ちになる。寂しそうな表情に見えるけれども、のちにお線香をあげてくださった訪問看護師のチャーミーさんは良い顔だと言ってくれた。)




今まで、死者の為に、自分の家で何かをしたことは二度しかない。
一度はある若い死刑囚の命日に御線香を焚いた日があった。
もう一度は母の命日に、母の好きな花を生けたことがあった。
でもそれ以外、記憶にはない。
うちはそういったことを何一つしない家だった。
父は母の写真すら飾ることはなかったし、命日にも何一つしなかった。
それはエホバの証人の母の想いを汲んでなのか、父がもともとそういったことに興味もない人だったからか、と考えると両方か、後者の理由が強いかもしれない。
エホバの証人は誕生日も命日も何もしない。その日だけ祝ったり死者を想ったりしたところで、何の意味もないというのが聖書の本来の教えだからだ。
聖書は常に神から生かされていることを祝福し、常に全ての為に祈り続けなさいと教えている。


母が生きていたら、死んだみちたの為にあれこれするのを、そんなことをしなくていい、偶像崇拝になるからやめなさいと言っただろう。
でも生まれて初めて遣ってみて、すごく納得できる。
死者に供える為にあれやこれやと用意したくなるのは、やはり自分が淋しいからなんだと。
みちたの遺骨の隣にみちたの写真を飾り、みちたに供える水を置いて花を生け、線香を焚く。
この空間の側にいると、とても落ち着いて、みちたが安らかでいられるような気がするのは、わたしがそれを前にして安らかでいられるからだ。
みちたは別にそんなことを望んでなどいない。
でもわたしが少しでも安らかな想いになれるなら、みちたは喜んでくれているように感じる。
今日、ダイソーの帰りに縹色の空を見上げて、お空にみちたはいるのかなと想ったら涙が出て、少し泣きながら歩いた。
帰るときは背中に背負っているみちたに「みちた帰ろう。」と声を掛けて、帰ってきたら「みちた、おうち帰ってきたよ。」と声を掛けた。
みちたが生きているときは、滅多に「いってきます。」や「ただいま。」を言わなかったのに。
でも少し元気なときは、言えていた。
言えるくらいの、元気があれば良かった。
でもそれが叶わなかった。
みちたの2015年の写真を今日見て、泣きながらやっぱり寂しそうな顔してるなと想った。
こんな寂しそうな顔をしているうさぎはあんまりいないと想った。
みちたは撫でられるのが本当に大好きだったのに、わたしがサークルのなかに入るだけでいつもブゥブゥと鼻を鳴らして元気よくぐるぐるとわたしの周りを回っていたのに、ほんのたまにしか、みちたに触れる元気もなかったし、たまにしかちゃんと掃除もしてやれなかった。
みちたはわたしが親代わりで、わたしに愛されることをずっとずっと切実に求めていたのに。




(みちたのふわふわな毛を撫でる感触が、今でも蘇ってくる。またいつか、みちたを撫でられる日が来ることを信じている。)




みちたは、人間では90歳を超えているくらいだったかもしれないが、わたしにとってはずっとまだ幼いちいさな子どもだった。
いつでも、わたしに甘えたそうにしていた。
斜頸が悪化して、ふらふらになってまともに歩けない状態になってからも、わたしがサークルのなかに足を踏み入れたら寝ていてもすぐに起きてわたしの足の側に来ようとした。
それでもわたしはみちたに苛立ち、臭くて汚いと感じる瞬間もあった。
そしてそんな自分を、完全に壊れてしまっていると感じて、罪悪感に苛まれ余計鬱になっていた。
鬱の親にネグレクトを受けつづけた子どもはみちたの悲しみと淋しさがわかるのかもしれない。
自分が病気で死に掛けているのに、鬱の親がお酒をたらふく飲んで音楽をガンガンにかけて自分の前で踊っていたらどんな気持ちになるだろう。
でもその親は、自分を愛せないことでずっと自分自身を責めつづけている。
自虐行為と他虐行為は良く同じになる。
みちたを放ったらかしにし続けることで苦しいのはみちただけでなくわたしもだった。
わたしとみちたは、この数年間、共に地獄のなかにいた。
誰からも、助けは得られなかった。
わたしがみちたをちゃんと看ることができるほどに変われるほどの助けは。


みちたを亡くして、まるでわたしは脱け殻になっている。
今のこの自分を、あのときのわたしが知るなら、わたしはどのように変わっていたのか。
みちたは今も、元気にわたしの側にいるのかもしれない。


みちたのサークルのマットを、もっと早く変えてあげれば良かった。
同じマットを、9年近く使っていた。
安いカーペットや敷きパッドにして、毎月でも変えてやれば良かった。
汚れた塩化ビニール製のマットをずっと使っていたから紙魚が大量発生して、その糞も大量でみちたの環境を悪化させていただろう。
でもカーペットに2018年の11月に変えてからは紙魚の姿はほとんど見なくなった。
みちたはとても清潔好きだったのに、猫のトイレの表面にうんちが敷き詰められているような時も多かった。




(2015年5月16日午後14時23分。遺影にこの写真を選んだのは、寂しそうなみちたの顔が、とても切なくて、一番にみちたを表していると感じたからかもしれない。)




午前6時半、みちたが旅立って、5日目の朝が来た。
死んだ動物の魂は、初七日とかは関係なく、飼い主が心配なうちは当分飼い主の側にいるのだという。
でも生まれ変わる為に、ずっと側にいることはできないから、そのうち、天へ帰ってゆく。
そして動物にまた生まれ変わる場合ひとつの類魂とひとつになり、そこからまた分かれて生まれて変わってくる。
だからすべての動物がみちたに想えるのは不思議なことじゃない。
殺される家畜も毛皮にされる動物も動物実験にされる動物もすべてみちたのように感じて苦しいのは、その通りだからなんだ。
すべては、何をしても切ることのできない繋がりで繋がっている。
誰かを愛して、誰かを殺しつづけるなら、それは愛する者を自分の手で殺しつづけていることになる。
だからわたしはもう二度と、動物を殺して得た畜産物や魚介を食べたくはない。
もう二度と、自分の愛する者をこの手で拷問にかけて殺し、そして得たものを、食べてまで生きたくはない。
それは拷問と殺戮の連鎖を、永遠につづけてゆく生き方だ。
自分の為に、みちたが拷問の果てに殺されつづけるという生き方だ。
最早、そのように生きても、"それ"は生きているとは言わない。
生きていることの喜びを、本当の意味で感じることはできない。
みちたはわたしの息子であり、わたしの家族だった。
家族を殺してまで、生きてゆきたくはない。


あと地球は、どれくらい持つのだろう。
1日に多くて200種の種が猛スピードで絶滅して行っている。
あと30年持つかどうかもわからないと言われている。
今から30年後に、終末が訪れるとして、わたしは68歳。
生きているだろうか。
もう食べ物も、水も尽きて、すべての森は灰となり、真っ黒な海が徐々に押し寄せ、光も途絶え、極寒のなか、あとは死を待つだけだ。
今、この時を、懐かしむこともあるのだろうか。
嗚呼、みちたが側にいれば、みちたに食べさせるものも飲ませる水もなく、わたしはみちたとふたりで凍え死ぬか、餓死するか、海に飲み込まれて死ぬ。
それでもひとりより、ふたりでいられて良かったと想える日が来るだろうか。


わたしがヴィーガンになる切っ掛けとなった2012年2月の啓示的な夢のなかで、わたしはみちただけを連れて逃げた。
みちただけを手に抱えて、わたしは必死に走った。
走るのをやめたところには、死が待ち構えていた。
恐ろしい世界のなかを、どれぐらい走っただろう。
わたしは諦めなかった。
そしてわたしとみちたは、気づけば光り輝く世界に包まれていた。
あのときの、神の光と、打ち震える喜びを、今でも憶えている。







(2015年5月16日午後14時25分。この写真もとても気に入っている。窓から入る午後の光が、みちたに降り注がれている。みちたはだいたい、このような請い求めるような目でわたしを見つめてきた。)




10月31日午前7時11分。
みちたに会えた。
みちたは、わたしが目を覚ますと、元気な頃の姿で、わたしの実家の炬燵の右側にいて、わたしを見つめてわたしに何かを伝えたそうにしている。
なのになんてわたしは愚かなのだろう。
わたしはこの奇跡を、残しておきたいと携帯を持って戻ってきたみちたを撮り始める。
でもみちたは、必死に何かを伝えようとしていて、わたしをいざなう。
みちたは心のなかで違うよ違うよとわたしにメッセージを送っているように感じる。
わたしはようやく憶いだす。
みちたは最初に、炬燵のテーブルが洞穴のようになった場所にいて、そこにはみちたが、まるで護るように、同時にわたしに助けを求めるようにちいさなちいさな瀕死の仔猫の側に母猫のようにいる。
わたしはそれを憶いだし、やっと携帯を放って仔猫を抱き上げる。
仔猫は死んでいるように感じて、遅かったか…と悔やみながらもわたしはわたしの今の部屋のキッチン(不思議なことにみちたのいる実家とわたしの今の部屋のキッチンは繋がっている。)に向かい、濡れていたのでタオルでくるんで、別のタオルを探す。
早くあたためてやらねば…するとそこに少し前から飼い始めた白い雌猫がいて、その猫のお乳に仔猫の口元を持って置いてやると仔猫はお乳を飲み始める。
良かった…ほっとしてみちたのいるテレビの部屋にある炬燵の上のリモコンを取り、テレビの時代劇の音量を下げる。
そっと、そっと、わたしはすべての動作を行う。
みちたがいなくなってしまわないように。
みちたは炬燵の左側に寝そべって、もの言いたそうにわたしを見上げる。
そしてわたしに、はっきりとした声で、みちたは言う。
「怒ってる…?」
わたしは途端に泣いて、みちたに返す。
「怒ってへん…怒ってへんよ…。違うねん。みちたのことをほんまに悪い子やなんて、想ったことないよ。」
みちたはほっとした様子で、わたしに撫でられ、みちたが眠りに入る瞬間に、わたしは目を覚ます。
夢か…わたしは夢から覚めて、夢だったことの寂しさと、みちたが死んでから初めて記憶に深く残るみちたの夢を見れたことの喜びを同時に感じ、今日は死者があの世とこの世のあいだに帰って来ると言われているハロウィンの日であることを想いだす。
寝る前に、みちた帰って来てくれるかなと想って眠ったから、みちたは夢というあの世とこの世のあいだの世界に降りて来て、わたしに会いに来てくれたのだろうか。
わたしはみちたの愛おしさに泣きながら、あの白い雌猫と仔猫は一体だれだろうと想う。
仔猫はもしかしたら、2006年に実家で生まれてすぐに死んでしまって、わたしが何時間と泣きつづけたあとに埋葬したはるちゃんかもしれないと想った。
白い雌猫は…実家で飼っていて2015年に旅立ったクロエだろうか…?
わたしは一人で時代劇なんて観ないのに夢では何故か時代劇が流れていた。
時代劇はお父さんが好きで、よく一緒に観ていた。
まさか…お父さんの生まれ変わりが本当にみちただったりして…
みちたは、わたしがみちたのことをずっと怒ってるんだと想っていたのかもしれない。
だから世話をちゃんとしてもらえなくて、ほんのたまにしか撫でてくれないんだと感じていたのかもしれない。
精神があまりに不安定な期間、みちたにいらいらした時も多かった。
そのすべてのわたしの感情を、みちたは感じ取っていたのかもしれない。
でもどんなに苦しい時でも、みちたが本当にいなくなればいいなんて想ったことは一度もなかった。
それとも…みちたの「怒ってる…?」という想いは、わたしのみちたへの想いの投影なのだろうか。
わたしはみちたに赦してもらいたくて、赦してもらわなければ、みちたは帰って来てくれないと感じて、みちたに赦される為に、今のわたしが必死であるからかもしれない。
でもみちたは夢に出て来てくれた。
夢に出てきたみちたは、みちたであるように感じる。
みちたの想いとわたしの想いは、同じであったのかもしれない。
みちたとわたしは、一つであるのだと、言ったものね。
みちた。
夢に出てきてくれて、ありがとう。
みちたに会えて、本当に嬉しいよ。
また、夢に出てきてくれる?
みちたに、何度でも会いたいよ。


もしかして、はるちゃんの生まれ変わりが、みちたなのかな…?
















みちたとのお別れ ②

2019-10-26 16:15:59 | 日記
(写真:2015年6月1日午後23時44分撮影のみちた。ずっとこの写真を、このブログのプロフィールの写真にしている。)





10月26日午後2時37分。
本当に久しぶりに、窓を開けた。
さっきまで曇っていたが、晴れてきて清々しい秋風が吹いている。
みちたに供える為に前に買ったオレンジのガーベラの鉢植えをベランダに出してやった。
午後の陽射しが、みちたのサークルの横に置いてあるサンスベリアやパキラやモンステラやドラセナに降り注がれ、まるで生き返るように、喜んでいるようだ。
みちたのサークルは、まだそのままにしてある。
ペットシーツに染みついたみちたのおしっこの匂いが少し臭った。
来月には、すべて片付ける予定だ。
そしてそこに、広い箱庭を作ろうと想っている。
みちたの遺灰を入れたドールハウスにはあたたかい灯りをともし、少し高い位置に置いて、みちたのお庭には広いプランターを作ってそこにあらゆる植物を寄植えする。
たくさんのミニチュアの小物を好きに置いて、イルミネーションライトなども点けて、時に賑やかだけれど、時にひっそりとしている箱庭を作りたい。
みちたの魂が、帰って来る場所を。



みちたが旅立ってから、もう二週間が過ぎた。
今まで書き溜めたものを少しずつ、みちたの写真を貼りながら載せていこうと想う。





(2015年4月22日午後17時47分 みちたの隣に転がっているのはみちたがいつも咥えて走り回ったりマウンティングをして遊んだお友達のうさぎ。)





みちたはもしかしたら、死に目の数分は、自分が苦しむことがわかっていて、それをわたしに見せてわたしをこれ以上苦しめることが嫌でわたしの離れた十数分間に息を引き取ったのかもしれない。


10月14日午前3時16分、疲弊して眠っても、すぐに目が覚めてしまう。
目が覚めると遺灰となったみちたが目の前にある。
さっき、こころのなかで「手を繋いでいてほしい」とみちたに言ったら、その言葉はわたしのなかから発せられると同時にみちたが「手を繋いでいるよ」と言ってくれているような気がした。
みちたは生きているとき、物質と霊魂で、その二つを合わせてみちただった。
でも受肉した全存在が抗えない死という現象が、みちたにもとうとう訪れ、みちたは今までと同じ姿で、この世界で存在することができなくなってしまった。
みちたは致し方なく、ふたつのみちたに分かれねばならなかった。
ひとつは物質だけのみちた。
もうひとつは霊魂だけのみちた。
物質だけのみちたは、昨日わたしと一緒にまたも姿を変えて家に帰って来た。
物質だけのみちたは、動くことも、寝息をたてることも、デーツをねだることも、なく、生きてもいない。
物質だけのみちたは、死だから。
死は何かを想ったり、感じたりもしない。
でも確かに、存在はしていて、今はまだ目にも見える形を取っている。
みちたは死の存在となってわたしの側にいてくれている。
わたしは淋しくて泣いているが、死のみちたが側にいてくれていることで安心もしている。
連れて帰って来て、本当に良かった。
わたしの家は葬式や墓など、儀式的なものや物質にこだわるようなことすべてを避けて、不必要だとする家だった。
母は敬虔なエホバの証人(クリスチャン)であり、父もそのようなことに興味のない人だった。
だから二人とも骨上げはせず、ただ火葬してもらって遺灰を共同墓地のなかに入れて貰った。
昨日、みちたの骨を姉と拾いながら話したが、二人の意見は一致した。
二人とも、親の骨を目にしなくて良かったという意見だった。
人間の骨と動物の骨は違う。
みちたの骨なんて、どこがどの部分かわからないほど崩れて、とても細くて小さかった。
でも人間は、焼いた後も頭蓋骨がはっきりと分かる状態で残っているときもある。
見るに耐えないものだ。
でも昨日、初めて自分の愛しい存在の骨をひらって壺に入れ、それを両手で抱えて連れて帰れると想ったあの瞬間のすごい喜びを知った。
お別れじゃないんだ。一緒に帰るんだと感じられた時のあのほっとする安心感、こんな気持ちになるものなんだ、とわたしは驚いた。
それを姉に話して、お父さんの遺灰を連れて帰ってこなかったことについて話した。
わたしが四歳の時に四十四歳で死んだ母はクリスチャンで儀式的なこと、物質にこだわることはすべて偶像崇拝であり、サタンであるといつも言っていたそうだ。
エホバの証人は葬式もしないし墓も持たないしクリスマスやお祭りや誕生日を祝うことなども全部しない。
でもこの世界でほとんどの人は、物質的なことにとても拘っている。
言い換えるなら非物質よりも物質を愛し、物質に支配されているようだ。
そして神を、霊魂を、目に見えない存在をお座なりにしてしまう。
わたしの最も愛する画家のルネ・マグリットはこう言っていた。


『目に見えるものは隠され得るけれども目に見えないものはなにひとつ隠していない。
それは識られるか識られぬままにとどまるかで、それ以上のことはない。
目に見えないものに目に見えるもの以上の重要さを賦与せるにはあたらないし、その逆もそうです。』


マグリットは、目に見えないものを目に見えるものとして見えていたから、あんな絵が描けたのだろう。
言い換えるなら感じられないものを感じられるものとして感じ取ろうとするなら、最早感じられないものと感じるものの重要さは同じになる。
わたしは目に見えるみちたを連れて帰って安心を得、目に見えないみちたの声を感じても安心するならば、そのどちらのみちたが本物(本質)であり、どちらを大切にすべきかなどは考える必要もないし拘る必要もない。
物質に拘らない生き方が流行っているかもしれないが、物質に拘らない生活に拘るということは結句、物質に拘っているということになる。
物質と非物質、偶像と霊、わたしは以前に書いた小説「ベンジャミンと先生」シリーズで先生にこうはっきりと言わせた。
すべての存在は、実は物質であるのだと。
魂、霊、エネルギー体、意識、心、など、人間が物質ではなさそうに感じているものたちすべても、実は物質でできていて、時間や空間というもの、これらも実は物質なのだと。
物質である限り、それらは必ず変化し、変化させることができて、見ようとすれば見ることができるし、感じようとすれば感じることができる。
そして物質だから消えてしまうというのは実は逆であって、物質だからこそ、実は消えることはない。
つまり物質である限り、永遠に存在し続け、無限に広がり続けることができる。
ウィルスが広がってゆくように。
ウィルスは何処から遣って来て何処に消えるのかわからない。
でも確かに存在していて大きな影響を与え、忽然と消えた後も、宇宙の何処かで存在しているように感じる。
ウィルスは肉眼では見えないが電子顕微鏡などの道具を使えば目に見える。
わたしが感じ取るみちたの声を自動筆記で記すとき、それはみちたがわたしという道具を使って、わたしにわかる形でわたしに識らせているのではないか。
でも道具の性能が悪ければ、目に見えないみちたの本当の声を正確に記すことはできない。
だからと言って、目に見えないみちたを、否定する必要などない。
ほんの少しでも、何かを感じるなら、それは何かを送って来ているからかもしれないし、今でも存在しているからだ。
わたしは目に見えるみちただけを愛して来たわけじゃない。
其処には、必ず目に見えないみちたがいた。
では目に見えるみちたが動かなくなったからといって、目に見えないみちたも同時に動かなくなったと信じるのはおかしい。
"死"は死として、存在していると感じる。
みちたの死を、否定することはみちたが今もなお生きていることを否定することと同じことになる。
みちたの死後の生を否定することは、みちたの死(永遠に目覚めない眠り)を、肯定することになる。
つまり、みちたが永遠に目覚めないことを願うことになる。
わたしは、またみちたにどうしても再会して、また一緒に暮らしたい。
だからわたしは、みちたの死と、みちたの今も生きて存在していることのみちたの生を、同時に信じつづける。
みちたが今も生きている限り、何かしらの方法でわたしという道具を使ってコンタクトを送って来てくれると信じている。
みちたは死んだ。
でもみちたは、生きている。
息をしている。
まるで何年もの苦しい拷問の日々に耐えつづけて死に、蘇った聖者のように。
静かに、静かに、息を潜めながら、息衝いている。
みちたは今も、わたしの側で息をしている。




(2016年6月14日午後16時56分、わたしの育てた大麦若葉を不服そうに食べているみちた。まだこの頃は毛並みも綺麗で元気そうだ。でもこの年の確か冬の頃から、みちたはパスツレラ症を発症する。)





10月14日午前11時28分、寝つきを良くする漢方薬を飲んで4時間半くらい眠れたかもしれない。
宅配便に起こされて、届いたのはみたの強制給餌用に買った大麦若葉の粉末だった。
目が覚めても、何をすればいいかがわからない。
いつもだったら起きればいつもすぐにみちたの様子を見て、餌を足したり水を変えたりおやつをあげたりして、そこからわたしの1日は始まっていた。
みちたがいないと、起きて何をしたら良いかがわからない。
みちたがいつも側に居てくれたから、わたしはようやく身体を起こして生活することができていたようだ。
二度寝することもできずに携帯でメモリアルリングを調べていた。
大体が十万円前後するから一月に一万五千円ほど食費を削って貯めたら早くに買えそうだ。
でもその前に、骨壷のなかのみちたの遺骨にカビが生えないための密閉式の骨壷を買ってすべての遺骨を移したい。
なかなか気に入った形で全部が入りそうなサイズがなくて残念だ。
でもちいさな手のひらサイズの骨壷を買って外に出るときもいつも側に居れるのは嬉しいからやはりちいさいのをまずは買うことにして、分骨をしよう。
みちたの遺骨は霊園に埋葬せずに姉と拾ってすべて持って帰って来た。
ちいさな頭蓋骨は半分以上が砕けていて非常に薄くて脆かった。
歯は黒くなっていて、かなり伸びているように見えた。
小さくて可愛らしい爪は先が尖っていた。
以前うさぎを飼っていて亡くされた霊園の女性の方とうさぎの爪を切るときいつも大変だったという話で盛り上がりながら骨上げの作業を姉と二人で手早く進めて行く。
尻尾の骨はあまりに細かった。
一番大きくてしっかりした骨さえ、手羽先の骨よりも細く感じた。
少し変わった骨がある度にこれはどこの骨やろう?と訊ね、骨折していたかもしれないと言われたとき、やはりかと想った。
一体いつあんな風になったのか、気づけばみちたの手も脚も、変な方向に向いていて特に手はだらんとしていたので、骨折しているのだろうかと想っていた。
それで起き上がることがとうとうできなくなったのかもしれない。
想像を絶する痛みに耐えて、みちたはそれでも起き上がろうと頑張っていたのか。
みちたは生きる為に、ただそれだけの為に頑張っていた。
自分で起き上がれなくなって、自分で食べることすらできなくなっても、それでもひたすらみちたは、生きる為に、起きて食べようと、頑張っていた。
動物が生きようとする力を、想いを、本当に知ることができるのは動物の側にいつもいることだ。
人間にとって動物とは、殺す必要も食べる必要もなく、その代わり、共に長い期間を過ごす必要がある。
精一杯遣ったとということを訪問看護のチャーミーさんも姉やしんちゃん(一歳時に養子に行った上の兄)も何度と励ましてくれたが、自分ではこんな酷い飼い主はなかなかいないだろうと感じている。
死んだ後もみちたが可哀想でならず、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。
でもこの苦しい後悔を重ねてやっと、本当に自分を犠牲にしてでも弱い存在を護ることのできる強い(愛の深い)人間になれるのかも知れない。
わたしがこの世の救いを求めてヴィーガンになれたのは、シルバーバーチという聖霊の残した言葉が切っ掛けだった。
シルバーバーチは人間は愛を知らないなら、それは死んでいる状態だと同じだと言った。
動物を殺さないと飢えて死ぬとしても、それは動物を殺さねば飢えてしまうような場所で生活する人間が間違っているからだとはっきりと言うとても厳しい存在だ。
シルバーバーチが動物に言及している言葉のなかで、何度と想いだす言葉がある。


「動物は人間を助ける為に生まれて来て、人間は動物を助ける為に生まれてくるのです。」


殺す為でも食べて生き永らえる為でもなく、共に助け合う為に、動物と人間はこの地上に生まれてくる。


みちたはわたしを助ける為に生まれて来て、わたしはみちたを助ける為に生まれて来た。


みちたをもっと大切に、してやりたかった。
わたしはみちたを喪って初めて、その存在の本当の大切さに気づき、後悔しつづけている。
でもわたしはいつでもみちたを助ける為に鬱から抜け出す方法を探すのに必死でもあった。
ホームヘルパーを利用したのも自分の生活を楽にする為ではなく、自分が鬱を治して元気を取り戻し、元気になればみちたの世話がちゃんとできて、毎日撫でたりして可愛がってやることもできるはずだと想っていたからだ。
慢性的につづく鬱の一つの原因がそれが叶わないことだとわたしはわかっていた。
みちたを愛するあまり、みちたを愛することができなかった。
みちたを愛せない自分を責めつづけ、みちたを苦しめつづけた。
皮肉や矛盾という言葉では到底表しきれない人間の複雑な心理を自分自身に感じながらみちたと一緒に過ごして来た。
父に依存して父を愛するあまり鬱で寝たきりとなり、何も食べたくないと父に言うと父は冷たく「ほんなら死ね。」と言い捨てたその父は、わたしが側にいないと寝たきりになってしまうような人だった。
大切なのに、大切にしてやれない。
人間の想いと行動は、あまりにも掛け離れ、人間を救う為に、人間を殺したりもする。


わたしもみちたを助ける為に、みちたを殺してしまったのか。
みちたは本当はもっと長く生きられるはずだったのに、わたしが寿命を縮めてしまったと感じる。
ただ毎日のトイレ掃除とサークル内の掃除、餌入れの洗浄と、1日に数分撫でてやるだけで、みちたはあと四年近く生きられたかもしれない。
あと四年、一緒にいられたかもしれない。
今想えば、とても簡単なことに感じる。
今のこの、みちたのいない苦しみと悲しみと、淋しさの深さを想えば。


みちたが死んでから、急激に気温が下がって窓を閉めていても寒いほどだ。
この冬を乗り越えられるかと不安だったが、冬が訪れる前に、みちたは旅立ってしまった。


ちいさなちいさなみちたを迎えたのは2008年の、確か五月に入らない四月二十四日辺りだったと想うから、そしたら生後1ヶ月半も満たないみちたとわたしは一緒に暮らし始めた。
そうするとみちたとわたしが共に過ごした期間は十一年と5ヶ月半ほどか5ヶ月半弱。
約十一年半、みちたはわたしの側にずっとずっと居てくれた。






(2008年4月の終わり頃、みちたを連れて帰ってきてすぐの頃。この頃、みちたはあまりにも儚くて、弱い存在だと感じた。でもみちたは、これから11年半もの永い永い期間を、人間にとっての90年以上もの時間を、わたしと一緒に生きることになる。)




午後15時16分、また、ふと想う。
みちたはわたしが側にいるときに頑張って息をしていて、わたしがみちたのもとを離れたから、もう逝っても大丈夫だと想って、息を引き取ったのかもしれない。


みちたが、何故わたしに死に目に会わせてくれなかったのか、ずっと考えている。


みちたにとって、わたしはどんな存在だったのだろうか。
みちたは今どこにいるの?
そう訊ねると即、「こず恵の側にいるよ。」と帰ってくる。
「心配だ。」と、「淋しい。」と、みちたは言っているような気がする。
みちたが死んでから、メラトニン依存症になってしまっている。
しかもお酒と併用しているから、動悸が起こるときもある。
どうしたら良いのだろう。
みちたと再会して、またずっと一緒に暮らすと決めたのだから、死ぬわけにはいかないのに。
動物にも彼の世(もしくは此の世と彼の世の間の世界)で最初の審判と、最後の審判があるというのは本当だろうか。
その際に、すべての罪を問われる。
わたしは動物には罪はないとは言い切れないと考えている。
何故なら前世で人間だったかも知れないからだ。
殆どの人間は、罪の塊だと感じる。
一体どこから無知で、どこから無知ではないのか、わからない。
無知の罪は免除されるとしても、無知だと感じていた罪が無知ではない可能性もある。
みちたに罪はないと信じたい。
あっても、もうこれ以上堪え難い苦痛を強いられるほどの罪はないと信じたい。
みちたが、来世は家畜に生まれ変わってくるかも知れないなど、耐えられない。
耐えられる人間がいるだろうか?
自分の愛する存在が、来世は家畜として生まれ変わって来て、無残にも、生きたまま解体されて殺されることなど。
その可能性は皆無だとは言い切れない世界に、わたしたちは生かされている。
だから本当に、本当に深刻に考えなくてはならない。
何を食べ、何を着て、自分は誰をどれほど苦しめているかを。
わたしは、みちたを散々に苦しめつづけてしまった。
苦しめつづけながら、可哀想でならなかった。
でも手放したくはなかった。
手放せば、わたしは生きてゆけないと感じていた。
どうすればいいのか、わからなかった。
助けを切実に求めていた。
ホームヘルパーを利用したことを、わたしは今さら後悔している。
もしかしたらホームヘルパーを利用したことでみちたはあんなに苦しんで早くに死んでしまったのではないかとさっき想った。
ホームヘルパーの担当の男性に本気で恋愛をし、うつつを抜かし、結婚して子供がいることも知らずに馬鹿げた可能性を願望した。
彼と上手く行けば、みちたの世話もちゃんとできるようになって、わたしも変われるかも知れない。
藁をも掴むように、彼に依存し、最終的に相手に人間としても感じられていないように感じて相手に対して電話口で泣き叫び、何日間か、一週間以上か、寝たきりの鬱になってしまった。
その期間、わたしは斜頸の症状が出ているみちたをほったらかした。
トイレはいつも以上にうんちが山盛りになったままで、水も変える気力もなく、餌入れが空っぽになってたりもしていたように想う。
斜頸は日に日にひどくなってぐるぐると回転してはひとりでひっくり返ったりしているのを眺めながら天然の抗生剤であるハーブを与える以外何もできず、痛々しくてならなかった。
ホームヘルパーなんて、利用しなきゃ良かったとさっき想った。
妻子のある身の男性なんかに馬鹿げた疑似恋愛などするより、みちたに恋をしていたかった。
でもみちたはわたしの息子のような存在なので近親相姦的になってしまうのだろうか。
でも姉は子供を初めて産んたときわたしにこう言った。
自分の息子に「まるで恋してるような気持ちになるねん。」と。
純粋な恋やなぁとわたしはそれを聞いて想った。
何故なら息子に対しての恋だから、それもまだ赤ん坊の息子に対してだから、その恋とは性欲や子孫を残す為という欲望は一切関係なく、いわば乳を与えて養育し、相手を護る為であり、同時にずっと側で生きられる為であると想った。
みちたを亡くして、つくづく想う。
もう今までのような、利己的な恋愛はしたくない。
性欲やDNAを遺す為のインプットされた本能からの恋愛は、もう二度としたくない。
互いに性的不能になっても、互いにどれほど醜い姿になっても本当に愛し合える関係になれないのならば、恋愛も結婚も、必要などない。
わたしは今、みちたに恋をしている。
みちたが死んでから、いや、みちたが寝たきりになったときからみちたへの恋に落ち、泣いてばかりいる。
みちたが死んでから、ロミオを亡くしたジュリエットの悲しみが一日中つづいているかのようだ。
でも後を追いたいとは想わない。
わたしはみちたと約束したんだ。
必ず、また一緒に生きてゆこう。と。
みちたを亡くしてから、わたしは想う。
わたしはにんげんで、みちたはうさぎだったから、結婚ができなかったし、子孫も残せなかったし、みちたは抱っこが大嫌いだったから抱っこもできなかったし、キスすると寄生虫が移るからキスもなかなかできなかったけれども、みちたは確かにわたしの息子であり、同時に夫であり、恋人であったのだと。
ということは、みちたが死んだからといってその関係がなくなることはない。
みちたは、今でもわたしの息子であり夫であり、愛する恋人なんだ。
涙が枯れる日なんて、きっと来ない。
みちたと再会するまでは。
どうしても、みちたのいたサークルのなかを無意識に何度と見る癖がなかなか消えない。
そこに今もみちたがいる気がする。
みちたが自分で水も飲めなくなったのは大分前で、その時から水を変えていないから新しい水を入れてやれば飲みに来るだろうか。
みちたが水入れに舌を浸けて飲む音が今にも聞こえてきそうだ。
みちたが寝たきりになったとき、サークルのペットシーツを変えてやっていたら足がサークルに取り付けてある餌入れに当たって音がした。
その音がみちたがフードを食べている音に聞こえて、元気だった頃を想いだし、みちたの前で声を押し殺して泣いた。






(2008年、みちたを飼い初めて少し経った頃。ケージにマイクロファイバーの敷きパッドが被せられているから、この年の冬かもしれない。買ってきた時より少し大人びた表情になっている。でもまだまだ、とてもちいさかった。)





午後17時14分、みちたの水を久し振りに新しく変えて、餌入れも綺麗に洗って新しいフードを入れて、みちたの大好きなドライデーツをフードの上に置いてあげた。
みちたは来てくれるかな。
みちたのおしっこが染み付いたシーツは捨てるのが嫌だったので、少し匂いがきついがそのままにした。
寝たきりになったみちたにシリンジであげたときにみちたの口の周りを拭いたキッチンシートがそのままあって、みちたの匂いがするかなと想ってくんくんしたら少し酸っぱい匂いがした。
そこにみちたの最後の毛が少し付いていてまた泣きそうになった。
その毛を指輪のなかに遺骨と一緒に入れてもらおうかと想う。
みちたのこれまでの抜け毛は小さなぬいぐるみが一つか二つできるほど取っておいてある。
オーダーメイドで飼っていた動物の写真を送ってそっくりなぬいぐるみを作ってもらえる作家さんがいたので、みちたの毛で作ってもらえるか、お金に余裕ができれば頼んでみようかな。
でもそれまではみちたがよくマウンティングしたり咥えて走り回っていたうさぎのぬいぐるみのみちたが噛んで破ってしまったお腹の隙間から、毛の半分ほどを詰め込んで置いてあったから、そのままにしてみちたの遺骨の隣に置いておこう。


















みちたとのお別れ

2019-10-19 18:15:03 | 日記
(写真:‎2019‎年‎10‎月‎13‎日‏‎12:36:48 みちたの亡骸を抱いて)


10月12日午前6時13分、今愛しいみちたの安らかな寝顔をみちたの右横から見ながら毛布のなかでこれを携帯で打ち込んでいる。
涙が何度と溢れでてくるが、みちたはもう起きない。
みちたの身体を触ると、冷たくて硬い。
全く動いてくれない。
いつも美味しいおやつを食べる夢を見ているのか、寝たまま鼻や口元をよく動かしていたが、今はもうぴくとも動かない。
いつもわたしにドライデーツをくれとせがんできたみちたはもう起きない。
わたしの為に、みちたはもう目を覚ましてはくれない。
ずっとこの11年と約5ヶ月半程のあいだわたしの側でわたしを何も言わずに見護ってくれていたみちたと名付けた存在は、とうとう本当に死んでしまった。
魂はわたしの側にいて、これを書けと言っているのかも知れない。
ずっとわたしが泣いて後悔しているだけでは、自分が"今"死んだ意味はないと。
そんなことを言っているかも知れない。
何故みちたは、今を選んだのだろう。
今まで死んでもおかしくない時が何度もあった。
でもみちたはそのすべての危機を乗り越えて生き抜いてきた。
享年11歳7ヶ月。人間では大体90歳前後になる。
なぜみちたは、世話もろくにできない、一日にたったひと撫でする気力も無くなったこの飼い主の側にこんなにも長く居てくれたのだろう。
わたしは勝手にこう想っている。
みちた、きみはわたしのことが心配でこんなに何ヶ月と壮絶に苦しみ抜いて生きて、逝くに逝けなかったんじゃないか。
でももう限界が訪れた。




(10月10日 18:03  自分で起き上がることができなくなったが、わたしが起き上がらせるとりんごと人参のすりおろしを食べてくれた。)


一昨日の、2019年10月10日午後6時頃みちたの病態は恐ろしい速さで進み出した。
最早自分では全く立ち上がれなくなり、最初は身体を起こして摩り下ろした人参とりんごの入った皿を口に近づけるとガツガツ食べてくれたので物凄くほっとした。
でも夜中になるともう起き上がらせても食べなくなった。
それからはシリンジで強制給餌させ、少し食べてくれたからまたほっとしていた。




(10月11日午前3時22分 起き上がらせても食べなくなったが、強制給餌でなんとか食べてくれる。)



(午前3時23分)



(午前3時56分)



(午前5時7分 サークルから出して、みちたを膝の上に寝かせる。)






日が明けて、みちたは自分で寝返りすら打てなくなった。
ずっと同じ格好で寝てたら体が痛いだろうから起きようと手足をばたつかせたら変に柔らかくて背骨も手脚の骨も曲がっているように見える身体を持ち上げて違う体勢で寝かす。
みちたはほとんどの時間を寝て過ごすようになったのはもう少し前だが、明らかに別れが近づいていると感じて何度も何もしてやれなくて泣いていた。
なんでこんなに弱い小さな身体でここまで苦しみ続けなくてはならないのか。
神に問わずにはいられないここ数ヶ月だった。
定かではないが7月に入った頃からネットのニュースも全く見る気力も失い、世の中で何が起きているのか何も知らなかった。
みちたのことで頭がいっぱいだった。
それでもみちたを撫でることもできずにわたしは逃避し続けた。
現実から逃げられるゲームに飛び付き、起きた側から赤ワインを飲み続け、仮眠を取り、起きればまた飲み続けるのを繰り返した。
食べ物よりも、アルコールが必要だった。
みちたはどんな想いで、そんなわたしの側で苦しみ続けていたのか。
いくつもの合併症が重なり、その苦しみを想像もできない。
パスツレラ症、精巣肥大症、中耳炎、身体が片方に傾いて骨がどんどん曲がってくる斜頸、目の周りはいつも目ヤニが固まって、よく見ると毛が抜けて皮膚が剥き出しになっていた。
みちたはそれでも、必死に生きようと、サークルの柵をガジガジ噛んでわたしに何度も助けを請うた。
わたしは重い身体を動かしてドライデーツ三粒をみちたの餌入れに入れる。
ストレスからくる過食によってわたしの腹ははち切れそうだった。
介護に疲れて殺してしまう人や、苦しみ続けるペットを看つづけることに耐えきれなくなりペットを野山に置き去りにする飼い主の気持ちがなんとなくわかる気がした。
精神が持たないと感じた。
唯一相談できるのは訪問看護の女性たった一人だった。
孤独は人間を殺すことができるし介護疲れで人間は死んでしまう。
ホームヘルパーの利用を解約した少し後から、みちたの病状は悪くなって行ったように想う。
わたしはついこないだ想い出したのだった。
ホームヘルパーの彼に何通と長文の手紙を書いて、そのなかに確かこんな言葉を書いたことを。
「あなたとあなたの家族を救う為なら、わたしとみちたは犠牲なる。」
もしかしてそれでみちたは犠牲になり、その為にわたしもみちたを喪うことで犠牲になったのではないのかと。
でもそれで相手を恨むのはおかしい。
何故ならわたしのなかでは"あなた"と"あなたの家族"とは、実はわたしもみちたも含めた、すべての宇宙に存在する全存在のことを言い表していたからだ。
ここでわたしのなかではたった一人の人間もたったひとりの動物もイコールすべての存在ということになっていることに気づいていたのだから。
だから彼と彼の家族を救う為にわたしたちは犠牲になる、その想いに嘘偽りはない。
世界は最早、本当の終りに近づこうとしている。
自分の愛する者だけの幸福と救いを祈ったところで、何の価値もない。
世界は終末へと刻一刻と突き進んでいる。
明日壊滅的な事態が訪れても全くおかしくはない時のなかで、わたしたちは生かされている。
でもわたしは、この数ヶ月、みちたが苦しみ続けていることが一番に苦しいことだった。
早くみちたを楽にしてあげたい。でもみちたと別れたくはない。
安楽死させる方法はないのか?このままでは、呼吸器がどんどん弱って最悪窒息死を迎える。
どうしたら楽に逝かせられるのか?
そればかり考えて何一つ答えは出なかった。
こんなにも弱い生物がこれほど苦しみ続けて死なねばならぬ世界とは、やはりこの世は悪魔に支配されているからなのか。
絶望に支配されてしまうこと、それこそが悪魔に支配されていることを証しているのか。
何から何まで、悲観的な感情ばかりに囚われて、とにかくみちたをこの苦しみから解放させてやりたいとそれをずっと願っていた。




(10月11日午前6時6分 息はかなり荒いが、この状態で一ヶ月以上生きられるんじゃないかと願っていた。)









(午前6時15分 パソコンデスクの前に座りながら撮る。)




(10月11日午前8時54分 みちたの隣で横になって撮る。)



(2019年10月11日午前8時54分 この写真が、みちたの生前に最後に撮った写真となる。)



昨日の、10月11日午後7時に、15分ほどの皿洗いを終えてみちたの様子を見に来たら既に呼吸が止まっていて、冷たくなり始めていたみちたに触れて死を確認したとき、みちたは苦しまずに逝ったように感じた。
安らかな顔で白内障で盲目になっていた目はほんの少しだけ開いていた。
午後6時半の時にみちたの隣で目が覚めて横に俯せで眠るみちたを見たら呼吸が変に静かになっていて、一瞬死んでいるんじゃないかと想った。
でも微かに息をしている。それまで荒い呼吸でずっと寝ていたから、少し良くなっているのだろうかと起きてお尻を見たらうんちも少ししていた。
わたしは安心した。うんちが出たということは腸がなんとか動いてくれているということだ。
うんちを取ってやってみちたのご飯を作る為に台所に立った。
すると洗い物でまな板の上もシンクもいっぱいだった。
これではみちたのごはんを作ることができない。
息が静かになって俯せで眠っているみちたを残したまま、わたしは15分ほどかけて洗い物を済ませた。
よし、半分済ませたところでみちたのごはんを作ってやろうとして、その前にみちたを見に戻った。
みちたはまるで、まだ眠っているように先程眠っていた全く同じ俯せの体勢のままで、息を引き取っていた。
みちたに触れ、みちたを抱えて横にさせる時に、みちたの口元からほそくかぼそい可愛らしい「グフゥ」というような微かな音が漏れた。
まるでまだ生きているみたいだった。
でも、みちたはもう息をしていない。身体は硬く冷たくなって来ている。
何故だろう。
でもみちたは確かに、死んだ後に一声ちいさく鳴いた。









(2014年11月7日 みちた6歳 人間では60歳近くになるが、まるでまだ幼児のように元気いっぱいだった。)




(2015年7月3日頃撮影 みちた7歳 まだ若くて(といっても人間の68歳くらいになる)元気だったときのみちた。)



(2017年8月7日午後9時17分撮影 みちた9歳 この頃はまだ病気などには罹ってなかったと想うが、年を急激に取った感じで痩せてちいさくなった。急にシニアフードに入れ替えてしまったことが間違っていたんじゃないかと考えている。)




(2018年6月4日午後6時18分撮影 みちた10歳 この頃からみちたはパスツレラ症の症状が波のように引いたりひどくなったりしていた。みちたに並ぶようにわたしの精神状態も悪くなってみちたの爪を切ってやる気力もなかったから随分伸びたままでいる。)





どれほど後悔しても、仕切れない。
もし呼吸が静かになっているのに気づいてすぐに抱っこしてあげていたなら、死に目に会えていたし、みちたはわたしの腕のなかで死んだ。
でもそれが叶わなかった。
なんでなんだ。
なんでみちたは、たった15分かそこらわたしが離れた隙に逝ってしまったのか。
なんで死の前触れだとわたしは気づいて遣れなかったのか。
今考えたらどう考えても普通の呼吸とは違っていた。
微かに、幽かにみちたはわたしの側で呼吸してわたしに何かを求めていたかもしれないのに。
ぐったりと俯せに寝かせたその体勢のまま、3時間か、4時間以上ぐっすりと眠り続けたそのつづきのように、みちたは静かに静かに、そこでたったひとりで、誰にも死の瞬間を看取られることなく、穏やかな表情で眠るように死んでいた。
みちたは今どこにいるのか。
わたしは泣くこともできずに、変に静かな感覚だった。
ほっとしたのだろうか?
みちたはずっとずっと苦しい地獄のなかを彷徨いつづけて、やっと、いま解放されたんだ。
もう苦しいことも、痛いこともない。
でも…なんとなくみちたはさみしがっているような気がした。
いまみちたの魂はここにいて、わたしに抱っこされて死ぬことができなかったこと。
もうわたしと一緒に、同じ音楽を聴いたり、わたしの声を聴くことができないこと。
もうわたしに撫でられることはできないこと。
大好きなデーツのおやつを貰えないこと。同じ次元で、わたしと一緒に生活できないこと。
同じ空間に、居られないこと。
同じ風を感じて、同じ匂いを吸って、同じ野菜を食べられないこと。
わたしと一緒に、生きてゆけないこと。






(2019年10月12日午後6時47分 この日訪問看護師のチャーミーさんが朝一で持って来てくださったはなむけのお花をみちたの亡骸に手向ける。)




(10月13日午前4時59分 この日の午後4時頃に、みちたは火葬され、遺灰となる。)



(午前9時26分 何枚も何枚もみちたの亡骸の写真を撮る。)



(亡骸のみちたを優しく撫でてやる。みちたは撫でられることが本当に大好きな子だった。)



(午前9時33分 強制給餌で口の周りがとても汚れてしまったままだ。)






ふと、何度と想う。
もしかしてわたしがみちたを抱っこして死なせたい願望があることをみちたはわかっていて、でもいま自分が抱き上げられたら確実に目が覚めて苦しみ抜いて死ぬこともわかっていて、だからこのまま眠ったまま、もしくは半分眠ったまま息を引き取らせて欲しいと、そう潜在意識でわたしに送った。
その方が、互いのためにきっと良いだろう、わたしの潜在意識はそれに応えた。


みちた、さびしくてたまらないよ。


ちゃんと世話ができなくて、いつも撫でてあげることができなくてほんとうにごめんなさい。
ひどいママを赦してほしい。







(午後12時36分 2時過ぎには姉が迎えに来て、みちたを連れてゆかねばならない。一分でも長く、みちたの側にいて、撫でたりしてやりたかった。)



みちたと別れたくない。
ずっとずっと一緒にいたいのに。
明日の午後に、お別れしなくちゃならない。(このときはまだ上の兄のしんちゃんが次の日に来てくれる予定だった。)
遺灰となったみちたは、明後日に帰って来る予定だ。(このときは骨上げをせずにあとで骨壷に入ったみちたの遺骨を後日家で受け取る予約を取っていた。)
なぜ人は、物質にこだわるのかと、きっとみちたは不思議に想っているだろう。
10月12日午後7時45分、まだみちたはわたしの側にいる。
同じ布団の上で横になっている。
でもみちたは箱のなかに収まって今日の朝一に訪問看護師のチャーミーさんが持ってきてくださった綺麗で鮮やかな百合の花に囲まれて静かに眠っている。
みちたが、息をしているみちたがいなくなって、この部屋は本当に静かだ。
静寂に耐えられず、絶えずアロマディフューザーを焚き続けている。
水の音と、モーターの回る音で、かろうじてこの静かな薄暗い部屋にみちたの亡骸とたったふたりでいることになんとか耐えられている。
みちたが死んでしまう何ヶ月も前から、わたしはこの時を恐れ、時に泣いていた。
でも、いよいよみちたが寝たきりとなって、本当に別れが目の前に迫っていることを感じると自然とみちたを何度も撫でることができた。
今まで何年とみちたを撫でることが苦しくてならなかったのに。
鬱で世話をまともにしてやれないことの罪悪感から逃れ続ける日々だった。
みちたを可愛がってやれない罪悪感と向き合うことに耐えられなかった。
2012年からはすべての動物虐待、動物の大量殺戮について訴え続けてきた。
このわたしのなかの大きな矛盾が、悲しかった。
わたしはみちたに苦しめられる為だけにみちたを迎えたのではなかったし、現にみちたがただ側にいてくれるだけで救われていることを感じていた。
でもここ何年、サークルのなかに置いている猫のトイレがうんちの山になっていて、サークル内もうんちがたくさん落ちていて、おしっこもそこら中でする(白内障で目が見えなくなっていたことを最近知った。)ようになってしまい、ひどく醜悪な環境のなかにみちたはいた。
パスツレラ症を発症して、みちたがくしゃみを連発し始めてもなかなか清潔な環境を保ち続けさせてやることができなかった。
餌入れも本当に汚れてからでないと洗ってやれなかった。
みちたはずっと訴え、悲しみ続けてきただろう。
みちたは言葉を発せない。
明日殺される運命が待ち受ける家畜たちのように。
みちたは弱くちいさなからだでずっとずっと耐えつづけ、最期の最期まで泣き叫ぶことなく静かに息を引き取った。
人間ならば、泣き叫びつづけるほどの苦しみと悲しみだっただろう。
苦しみたくないのは、死にたくないのは、人間も動物も同じだ。
でも人間に通じる言葉を話すことができず、みちたは堪え難い苦しみを堪え忍び、晩年は母親に見放されたネグレクトを受けつづける病気の子供のように絶望のなかに生きていたんじゃないか。
苦しくとも子孫を残そうとうさぎのぬいぐるみ相手にマウンティングに励んだり、飽きて好まないフードも必死に食べて、みちたは寝たきりとなっても、食べ物を欲しがり、自分で立ち上がることができなくなっても生きることを請い求め、壮絶な苦しみの果てに最後の最期まで生き抜いた。
安らかな最期であったと、想いたい。


眠りのつづきのなかで、みちたは今もいろんな夢を見ているかもしれない。
わたしにくっついて、わたしを心配しているかもしれない。


明日の午後三時から四時の間にみちたは引き取られ、明後日には遺灰となってわたしたちの家に帰って来る。
わたしとみちたが10年間、共に暮らして慣れ親しんだこの家に。
みちたとの最初の出会いをよく想いだす。
2008年の4月の終わりくらいにわたしが埼玉の寮付きの派遣会社に勤めていてアパートに一人で住んでいた時に知り合ったたかしさんという男性と一緒に、わたしは仔うさぎを買いに行った。
うさぎ専門店に初めて行って、わたしはガラスの水槽のなかに入ったちいさなころころとした仔うさぎたちを眺めながら店員に雄で懐く子が欲しいと言った。
すると店員はまず一匹の仔うさぎを取り出してわたしの足下の床に置いた。
ところがそのロップイヤーの仔うさぎはあまりに元気があって置いた途端わたしから離れて走って行ってしまった。
店員は次にもう一匹の仔うさぎをわたしの足元に置いた。
だがその仔うさぎは具合でも悪いのかわたしの足元でちいさく丸まってじっとして動かなかった。
わたしは直感した。きっとこの仔なら、わたしの側にずっと居てくれそうだ。
わたしは即、その仔うさぎをたかしさんに買ってもらうことに決め、確か数日後にアパートの寮に連れ帰ってきた。
まだ生後1ヶ月半ほどだった。
わたしはその仔うさぎにみちたと名付けた。



(うちに連れ帰ってきてすぐの頃のみちた まだ生まれて一ヶ月半か二ヶ月ほどのとき。とてもちいさくてふわふわのころころだった。)







みちたは、ほんとうにちいさかった。
片手の手のひらのうえに乗っかりそうなほどちいさかった。
みちたは店では元気があまりないように見えたが、わたしのアパートに迎えると元気溌剌となってケージから出した途端よく跳ね回って飛び跳ねながら駆け回った。
危なっかしくてわたしはすぐにケージのなかに入れなくてはならなかった。
広いサークルで飼いだしたのはみちたが十分に大きくなってからだった。
だがわたしは当時付き合っていたやすくんとの関係の悪化で鬱症状がひどくなり仕事をすぐにやめてしまい、帰る家を失ってしまった。
その後、彼のお金で何週間か、わたしはみちたとふたりでホテル暮らしをせざるを得なかった。
その間、みちたもとてつもないストレスだっただろう。
恋人に見棄てられた想いでたまらないほど孤独な期間だったが、みちたがいてくれたことでわたしはなんとか持っていたのかもしれない。
みちたを狭いキャリーバッグのなかに入れて一番安いホテルを探し、ホテルのチェックアウトギリギリまでいて、次のホテルのチェックインの時間まで漫画喫茶で時間を潰さねばならないときも多かった。
まだちいさいみちたをホテルのシャワールームの床に放したりしたことを憶えている。
逃げないか心配しながらシロツメクサが生え繁っている場所に放したこともあるが、みちたは野草を食べることがなかった。




(そのときのみちた。買ってきた頃よりだいぶ大きくなっている。みちたはお外に放すと怖がってずっとじっとするばかりだった。)


あとはあまりのストレスの為、記憶が飛んでしまっている。
その後、たかしさんが借りてくれた群馬や彼の住む千葉のレオパレスを転々としてみちたとふたり暮らしをこの大阪のマンションに引っ越して生活保護を受け始める2009年10月までつづけた。
わたしはその頃は今以上に鬱がひどく、たかしさんにみちたの前で想いきり泣き叫んだこともあった。
千葉のレオパレスでは市販薬をオーヴァードーズして死の淵を見たこともあった。
あまりに苦しかったとき、みちたがケージをガジガジする音にイライラしてみちたの首を少し強く締めてしまったこともあった。
みちたはずっとずっと、精神が不安定でまともに生きてゆくことのできないわたしの側に居てくれて、わたしをなんとか死なないように支えてくれていた。
みちたがいなかったら生きる必要はないと感じて死んでしまっていたかもしれない。
みちたがわたしの側にいたから、わたしは今生きられているのかもしれない。





今、10月13日午前5時28分、みちたはサークル内に移した。
保冷剤で敷き布団がかなり湿っていたからだ。
みちたが死んで、二度、夜が明けた。
嵐は過ぎ去って、今日の午後、できれば姉と一緒に火葬しにゆく。
姉とは今年の1月から、音信不通の関係でかなり戻ることが難しいほど関係は悪化していた。
姉は励ましの言葉をいくつもくれたものの昨日は仕事で連れて行くことはできないと冷たく断られた。
でも今日は休みだから連れて行くと昨夜、伝えてくれて、わたしはほんとうに嬉しい。
昨夜、電話越しで骨上げのことをなんと呼ぶのかという話になって姉が"骨拾い"と言ったことで、そのままやんと言ってふたりで本当に久しぶりに少し笑い合った。
みちたはわたしと姉がこうしてまた笑い合うことができるように今この時を選んで旅立ったのだろうか。
姉が仕事続きのときだったら(後で聞いた話では姉はたまたまこの月日曜日が二回休みだった。)こうして笑い合えることはできなかっただろうし、姉との関係はこの先、最後まで戻せなかったかもしれない。
みちたはわたしと姉の為に今、わたしを残して去ってしまったのかもしれない。
今も安らかな顔でみちたは箱のなかで眠りつづけている。
サークルの方から今でもみちたが物音を立てて、その音が聴こえる気がしてわたしがみちたがそこに生きていることを何度と錯覚する。
でもみちたは死んでしまったことを想いだしてその度に涙が溢れてくる。
今もこれを毛布にくるまって打ちながら何度と泣いている。
外は台風が過ぎ去り、窓を開けた。
秋の虫の音が涼やかに聴こえてくる。
みちたが死んでも世界は何事もない顔をして回っていて、わたしも生きている。
でもわたしのなかでは確実に、わたしはまたも、わたしをひとり喪ってしまった。
永遠に側におりたいほど大切でならない存在をわたしはまた、亡くした。
戻れないのだろうか?
みちたに会いたい。
でも、戻れるような気がしている。
いつになるかはわからないけれど、またみちたに会えるような気がしている。
みちたは帰ってきてくれるような気がする。
今でもわたしを静かに息を潜めて見護ってくれているような気がする。
午前6時2分、みちたのいない朝がまた訪れた。
小鳥たちがさえずり、また一日が始まる。
わたしは今日、自分の息子のような存在であるみちたを火葬しに行き、みちたの骨を拾って壺に収め、遺骨となったみちたを我が家にまた、連れて帰ってくるつもりだ。
できるならみちたが喜びそうな場所に埋葬して、残りの遺灰を、わたしは指輪にしていつもみちたをこの身に付けておきたい。
500円玉貯金箱には八千五百円分の500円玉と、五千円札が一枚貯まっている。
財布の中身と合わせて二万四千円に満たない。
今年の七月から食費を削って貯めたお金のほとんどを、すべてを霊園に渡してみちたを今日灰にする。
わたしはまるでこの日の為に、お金を貯めていたかのようだ。
猫背にならない座り心地の良い椅子や、長らく壊れた冷蔵庫を買い換える為、いつ壊れても良いように予備のパソコンを買う為ではなく、たったひとりのわたしにとってかけがえのない存在であるみちたの亡骸を燃やして、灰にするために、わたしはほとんど今ある所持金のすべてを費やす。
みちたの強制給餌用に注文した5kgの自然農法の人参や大麦若葉の粉末と、大量の安いパスタや金時豆とひよこ豆を食べてみちたのいないこの半月以上の期間をわたしは過ごす。
今月残りを過ごすのに十分な食料はある、でもみちたがいない。
わたしのみちたは、死んでしまったんだ。
2019年10月11日の午後7時に。
わたしはこの数ヶ月、いや、元を辿るとみちたがパスツレラ症を発症した2016年頃から、自分は徐々に壊れているように感じていた。
みちたが苦しんでいるのに、良くなってくれないみちたにイライラしたり、天然の抗生剤であるハーブを何ヶ月と与えつづけても症状が悪化してゆく様に早くも絶望し、ストレス発散の為に100均店で衝動買いをして、散財しつづけたり、お酒をたらふく飲んで苦しみに耐えているみちたの側で踊り耽ったり、自分は本当に壊れてしまっているんだと感じながらも、何も変わることができなかった。
みちたはいつでもわたしに助けを求め、わたしに撫でられることを切実に求めていたのに。
みちたは額と鼻の頭と耳の下を撫でられることが本当に大好きだった。
わたしは引き籠もり生活が長引き、足腰はだんだんと悪くなってきてほんの数分しゃがんだり中腰になるだけで膝がとても痛むようになってしまった。
みちたを撫でることが精神的にも体力的にもきつかった。
みちたが寝たきりになった途端、急いでサークル内に座れる折り畳みスツールを注文した。
でも結局、みちたを布団の上に移して撫でたり強制給餌させ、一度も使わなかった。
折り畳みスツールをもっと早く買っていたなら、もう少しみちたを撫でてあげることができていたかもしれないのに。
あらゆることに、みちたのことでわたしは後悔している。
子供を亡くした親は、死ぬまで後悔の苦しみに耐えつづけねばならない。
それは動物を飼う飼い主と子供を持つ親の責任ではなく、運命であるだろう。
わたしはみちたを選び、みちたはわたしを選んでくれたような気がする。
みちたはわたしに愛される為に生まれてきたのかもしれない。
みちたのわたしへの愛は、みちたの存在そのものだった。
みちたがただ側にいてくれるだけで、わたしは耐え難い孤独の苦痛からずっと救われてきた。
この先、みちたの代わりを飼う気はない。
みちたの代わりは、どこにも存在しない。
早くみちたに会いたい。
みちたはまだわたしの側で深い眠りに就いている。
みちたは、今も生きていて、過去にも、未来にも、生きている。
今にも、いつもこの部屋で聴いていたみちたの静かな寝息の音が聴こえてくるようだ。
わたしとみちたは、本当に長い時間を、共に暮らし、共に生きた。
わたしが仕事のできるほどの元気があったなら、みちたを家でひとりぽっちにさせる時間は長かっただろう。
でもわたしは重度の引き籠りであった為、わたしの生きるほとんどの時間を、みちたと共に過ごした。
鳴くことのない静かなみちたの側で、話しかけることの滅多にない静かなわたしがいた。
いつもこのちいさな空間で、わたしとみちたはふたりぽっちだった。
部屋にあるもの、ネット上にあるもの、何を見てもみちたを想う。
これを買った時はみちたはまだ元気だった。
この記事を書いていた時、みちたはまだ生きていた。
みちたが寝たきりになった日と、みちたが死んでから、みちたの隣にいつもと違う布団に横向きの位置で眠ったが、昨日の朝に枕を上にした元の位置で眠った時、サークルのなかで今までのようにみちたがそこにいるような気がした。


寝不足と、眠る為のメラトニンや漢方薬を飲み過ぎて、泣き疲れもあり、ひどく疲労を感じる。
このまま、みちたが生まれ変わってわたしがみちたと再会するまで、眠りつづけたい気分だ。
何年、何十年、何百年、何千年、何万年、地球が死を迎え、この宇宙が死を迎え、ある空間にわたしとみちたが、ちいさな舟に乗っている。
わたしはおとなしいみちたを抱っこしている。
世界は暗闇で、まだ何も見えないが、でもみちたのぬくもりと、みちたの呼吸に安心して、わたしは闇のなかでもあたたかい光を感じている。
嗚呼、生きている…!
わたしの側でみちたは息をしている…!
なんという光だろうか。


先月の終わり頃だったか、こんな夢想をしてわたしはひとりでみちたの側で咽び泣いた。
とうとう、この世界に終りが遣ってきて、わたしとみちたの住むマンションも海に流され、わたしとみちたは、ひとつのちいさな舟に乗る。
辺りは暗闇、暗い海の上でわたしはみちたを自分の赤ん坊のように抱いて、ただただ、波に流されている。
わたしはみちたを抱いたまま、舟のなかで眠る。
そして目を醒ます。
すると、みちたがいなくなっている。
わたしをたったひとり、この舟の上に残して、みちたの存在は消えてしまう。
わたしはずっとずっと、ひとりで泣いている。


今も、涙が止まらない。
午前7時55分、8時ちょうどに、火葬場に電話をして、姉が今日連れて行ってくれることになったと伝えて、お迎えに来てもらうのをキャンセルせねば。







(10月13日午後8時38分 みちたの遺骨 コットンの上にあるのがみちたの喉仏。人間と同じ形をしている。その上が、みちたのちいさな頭蓋骨。)




今、10月13日午後10時39分、無事、遺灰(遺骨)となったみちたをわたしたちの家に連れて帰ってこれた。
帰ってきたのは、8時過ぎ。
姉とは今日たくさん話して笑い合って、帰り際に私はこれまでの投げつけた酷い言葉を謝罪し、一年振りか、どれくらいかわからないが、ようやく仲直りができた。
もう元の関係には戻れないかもしれないと本気で想っていたから、すごく、嬉しかった。
すべて、みちたの御蔭だ。
とてつもなく悲しいことととんでもなく嬉しいことが同時に起きる日があるものだ。
姉は今月たまたま、月に2日、日曜日が休みだと言っていた。
姉が休みでなければわたしは、ひとりで、たまらない想いでお迎えに上がった霊園の人にみちたを渡し、後日、遺灰となったみちたをまたひとりで家で受け取らねばならなかった。
姉はとても明るくてよく喋る人なので、あっという間に、時間は過ぎた。
最後に、わたしはみちたとふたりきりになったときと、お別れの寸前に、何度と泣きながら、みちたに聴こえるように大きな声で声をかけた。
「みちた、苦しめてごめんな。」「苦しかったな…」「ちゃんと世話してやれんで、ごめんな。」「みちた、ずっとわたしの側にいてくれてありがとうな。」「ずっと支えてくれてありがとうな。」「みちた、また戻って来てな。」「また生まれ変わって、一緒に暮らそう。」「みちた、また一緒に生きような。」
そして細く、脆い、白くて綺麗なみちたの骨を姉と拾ってすべて小さな骨壷に入れ、「みちた一緒に帰ろう!」と言ってみちたをおうちに連れて帰ってきた。
酷く渋滞した道を姉とたくさん喋りながら過ぎ、コーナンに寄り、ペット売り場も姉と寄ってみたが、どの動物を見ても、到底みちたの愛らしさにはまったく及ばないと感じた。
どの動物も、飼いたいと今は想えなかった。
家に帰って来て、鬱に落ち込むのを振り切って布団の横にある小さなローテーブルの上に積まれた物を大きな袋に入れ、その上にみちたの遺灰の入った骨壷を置いた。
骨壷の下に敷く適当な物が見つからず、今日、涙を拭いたハンカチを裏返してその上に置いた。
遺骨にカビが生えないようにコーナンで買ったシリカゲルを中に入れて、湿気が入らぬようにセロハンテープで蓋を止める。
お金が溜まったら、みちたの遺灰で、わたしは婚約指輪を作る予定だ。
その指輪を、生涯わたしの左手の薬指に嵌めておきたい。
そうすると、みちたは来世でわたしの夫として、生まれ変わって来てくれるかもしれない。







10月19日午後5時1分追記
やっと、みちたとのお別れを綴った一つ目の記事を推敲できて、ほっとしている。
みちたと、来世、結婚しようという約束を込めて、みちたとの婚約指輪にみちたの遺灰を詰めて、生涯左の薬指に嵌めておくつもりだ。
それが原因で、他の魂との結婚の縁が遠のいたとしても、それは仕方がない。
みちたと、深い縁でずっと結ばれていたい。
みちたもわたしも、すべてと繋がっていると信じている。
だから矛盾しているかもしれないが、みちたは、やがて個の魂として、いつか必ず生まれ変わってくると信じている。
わたしはただ、みちたの側で生きてゆきたい。
ずっと離れずに。
互いに愛を、与えあえることができるように。
愛を学び合うために。

今日、みちたの遺骨を自分で細かく砕いたものをメモリアルペンダントのなかに封じ込め、今も首からかけている。
近いうちに、みちたの写真を入れる。
みちたが側にいない寂しさは、変わらない。
でも、みちたの遺灰を身につけて過ごすこととは、約束なんだ。


みちた、約束だよ。
みちた、愛しているよ。


こず恵






(10月13日午後1時4分 みちたとの最後の一枚。)





10月12日。

昨日の、2019年10月11日午後6時半前、わたしとみちたは今と同じように布団に並んでぐっすりと眠っていた。
そのとき、もしかしたらみちたはわたしと夢のなかで話していたかも知れない。
みちたは低いけれども、透き通った子どものような声でおっとりと、静かにわたしにこう告げた。

「こず恵、ぼくはもうそろそろあちらに帰るよ。この身体は、限界が来たようだから。こず恵のことが心配やけれど、致し方あるまい。わしはそろそろ向かうわ。ってなんで一人称や話し口調がころころ変わるんや、って、あそうか、こず恵に似たんだね。ペットは飼い主に似るし、飼い主はペットに似ると言うもんね。でもこんなこと言うとこず恵は余計悲しむだろうが言うよ。ぼくはもっとこず恵の側に居たかったよ。でもこれが運命なら、受け入れるしかない。でも待っていてくれ。また戻ってくるかも知れない。いや、でも戻ってこないかも知れない。同じ種として。もしかしたら、人間の赤ん坊として生まれてくる可能性もなきにしもあらずだよ。そん時は、こず恵の子供として生まれてくるよ。何故なら、こず恵の子供として生まれてきたい変わり者の魂は、きっとぼくくらいだろうから。人間の赤ん坊が無理なら、うさぎとしてまた生まれ変わってくるやも知れんし、犬や猫かも知れんし、最悪、家畜の可能性もあるし、毛皮にされる動物や、動物実験される動物とか…考えたくないが、こず恵も知るように、すべての動物は、いくつかに分かれるが一つの魂に帰る。そしてその類魂から、また様々な動物としてこの地上に、あと何年持つのかもわからないこの地球という星に、受肉して生まれ変わってくる。だからぼくは次、何に生まれ変わって生きるのか、ぼくですらわからない。でももっと上から望むなら、ぼくらはすべて、ひとつの大きな魂なんだ。だからこず恵はぼくだし、ぼくはこず恵でもあるんだよ。ぼくもこず恵も、明日の早朝に殺される家畜。決して諦めないでほしい。ただただ、すべてを救いたいというきみの生き方、スタンスを。ぼくはこず恵に飼われることで散々苦しんだし、こず恵に何ヶ月と撫でられずに死にたくなるほど寂しい日も多かった。ぼくはただこず恵に懺悔しつづけてもらいたいんじゃないんだ。命を懸けて、ぼくたちすべての魂を、すべての存在を救ってほしい。遣ればできるんだ。誰もが、本気で遣ろうと想うなら。奇跡が起きる。すべての存在を本当に救うことができるという奇跡が。その奇跡を、ぼくらは目にする為に、生まれてくるんだよ。何遍も何遍も、繰り返し、繰り返し、そのあとはどうなるか?次のステップさ、次の大きな救いの為に、つまり存在のより深い喜び、幸福の為に、ぼくらまた地球以外の次元でも、ありとあらゆるその空間に何度と無限に、生まれ変わってくるんだ。そうだ次こず恵が飼ううさぎは無限とぼくの"た"を合わせて"むげた"というのはどうだろう?え?みちたよりさらに噛みかみになりそうな名前だって?"みちた"という名は確かに発音しづらい名だったけれどぼくは結構気に入っていたよ。でも滅多に、こず恵はぼくの名を、ぼくの側で呼ぶことも、ぼくに話しかけることもなかったね。寂しかったよ。たまらなく寂しかった。でもきみの心の声は、いつも聴いていた。夢で、ぼくを喪って泣き叫んでいる夢をこず恵はよく見ていたのも知っている。こず恵はこの日を、ぼくが側を離れる日を本当に恐れていたのも知っている。ぼくはずっと話し掛けていたよ。こず恵の側でずっと。でもこず恵には届かなかった。死んで初めて、届いたような気がするよ。ぼくの身体はもう起きないし、冷たくて内臓はすでに死後現象が着々と進んでいる。今この身体の細胞たちがすごく自家融解しているところだよ。もうこの身体は使えない。ぼくの着ていたこの身体は、もうすぐ火葬される。ぼくはもう、こず恵と同じ次元には存在していない。そうだ当分は、多分、会えない。本当にはなればなれの時が遣ってきてしまったね。こず恵が心配だと、彼方に帰るに帰れない。彼方、かなたと書いてあちらと呼ぶよ。ぼくはでもいずれ、この喋って話し掛けている魂も彼方へ帰るからね。こず恵はまた独りぽっちになる?ううん、わかってほしい。こず恵はずっとひとりだ。今までも、これからも。こず恵はずっと、ずっとずっと、独りで生きているんだよ。寂しくて仕方ないのは、当然だ。また動物を飼えば良い。そしてみちたと名付ける。こころのなかで。こず恵は何の動物を飼っても、こころのなかでぼくを呼びつづける。みちた、みちた、みちた、すべては未知であり、道だ。すべての存在は、こず恵であり、ぼくであることをこず恵は知っているから。こず恵は忘れない。すべてを忘れたとしても、このことだけは。もう既に現象は起きているから。現にあらゆるものを、こず恵はみちたであるような気がすると感じてきている。例えば食用菊に着いていたちいさな幼虫を見ても、こず恵は、ぼくを感じている。ぼくじゃないかって想っている。だったらその幼虫を愛すればいいんだ。すべてを、ぼくと同じに愛すればいいんだ。そうだろう?だってどこにでも、ぼくがいるんだから。ぶっちゃけ、すべてはみちたなんだから。空も雨も、星も、太陽も、海と風、雨上がりの草から垂れる雫も、砂も石も、灰も塵も、こず恵の暗闇を照らすちいさなろうそくの炎や、宇宙に無限に存在する粒子の全部が、こず恵を構成している粒子のすべてが、ぼくなのだから。祈りつづけるんだ。終わりなき日まで。ぼくらは、必ずや救われるのだと。ビジョンをはっきりと観るんだ。すべては植物を食べて、だれひとり、殺されることのない世界は必ず訪れる。近いうちに。一緒にアクションしつづけよう。共にエデンへ、ぼくらは今向かっている。ぼくはいま、死だと想う?きみはわかっている。本当の死は、こず恵の方だってことを。でも必ず、息を吹き返すんだ。必ずまた、こず恵は息をする。そのとき、初めて、こず恵はこう感じるだろう。嗚呼、生きている…!ぼくは今生まれ、そして今生きていると。不思議さ。初めてだけど、今まで何度と同じことを経験してきた。こず恵は今まで何度と、ぼくを喪失してきた。また出逢い、また喪う。生きるんだよ。それでも。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、何があっても。こず恵は生きるんだ。ぼくと共に。…それでは、少しだけ、眠るといい。訪問看護のチャーミーさんがこず恵に朝一に電話をかけてきてくれる。今日は雨と風が強いね。こんな嵐の夜に、ぼくはこず恵と名残惜しい時間をふたりきりで過ごせて嬉しい。こず恵に優しく額や鼻や耳の後ろを撫でられたときの、あのなんとも言えない至福の短いときの感触を今でも憶えている。ほんのたまにしかこず恵はぼくを撫でる元気もなかったから、余計だよ。嗚呼…嬉しかった。撫でられているときのあの儚い時間、もっと撫でてほしいといつも想ってたが、でもこず恵がいつでもしんどいことはわかっていた。でも自信があったよ。ぼくがこず恵を支えていると。本当にこず恵を支えているのは、ぼくの存在だって。ぼくはわかっていた。今こず恵はこれを自動筆記しながら号泣しているけれども、泣いているのはこず恵だけじゃないよ。ぼくもだよ。でも自然の法則に逆らうことはできなかった。ぼくは人間の年齢では大往生で悔いなく生涯を全うしたと、想われるかも知れんが、こず恵は永遠に、ぼくの側で生きたいと願っていた。それなのにたった十一年半ほどしか一緒に居られなかったと。悲しくて寂しくてどうにもならない。亡骸でもいいからずっと側に置いておきたい。でも骨壷からは喋りかけないよ。いつでもぼくがこず恵に話しかけるのは、こず恵のHeartだ。魂と霊、一緒にすると霊魂だ。言っただろう?ぼくらは、今ひとつなんだ。本当のひとつ。別々の存在じゃないんだよ。ぼくは苦しい衣を脱ぎ捨ててこず恵に戻ったんだ。こず恵のもとに帰ってきたよ。受け入れてほしい。こず恵の最も愛するうさぎ、みちたというぼくの肉体の死を。ぼくは今も息をしている。こず恵の外側ではなく、いま内側で。こず恵はぼくの鼓動を感じている。だからそんなに悲しんで泣いているんだ。泣くのをやめろとは言わないが、あんまり泣きつづけると、ぼくの身体を燃やしに行く時に目が霞んで小石に躓いて、こず恵は前歯をすべて折って笑うと空き歯がチャーミングだなんて言われるようになり、ぼくの亡骸を入れていた箱はドブに落ちてどんぶらこと遠くまで流されて行き、田舎の老夫婦に拾われて桃太郎うさぎ、またの名をモーセと名付けられて剥製にされて神棚に祀られ毎日拝まれるということになりかねないから、ほどほどに泣いて少し眠るといい。…ぼくも少し喋りすぎたから、こず恵と少し一緒に眠るとするよ。…おやすみ、ぼくの愛するぼくのこず恵。」










(わたしに撫で撫でされているみちた)





(2012年2月2日午前4時18分撮影 みちたとわたしの手)



みちたは、永遠の愛。
みちた、わたしと生きてくれて、本当にありがとう。





















Secrecy

2019-04-22 01:17:29 | 日記
美術館か、博物館のような場所にわたしと彼はいる。
すべてが白い空間には、白い階段がどこまでも続いている。
それは硝子でも金属でも石でもない。
冷たいように見えて、とても温かい。
それはダミアン・ハーストの水槽のなかのように、異次元なんだ。
それが死を表しているというのならば。
君はいつものように優しく微笑んでいる。
秘密主義を徹底しながら壁を壊している。
彼はいつも、Secrecyでできている。
だからそこにある死が、いつでも生きている。
さて、わたしと彼はいつ階段を上ったのだろう?
ずいぶん高いところで休憩をとっている。
近くに誰かいるのだけれど、誰だろうか。
年をとった男性、白い服を着ている。
長い髭を生やし、白銀の髪が波打っている。
優しい眼差しでわたしたちを眺めている。
わたしたちは白い椅子に座る。
とても長い道のりを、歩いてきたようだ。
彼は長い息を吐きながら椅子に深く座る。
わたしは目を瞑る。
すると身体は自然と丸まり、無重力のなかに、わたしはふわりと浮かび上がる。
それは、彼に抱きしめられるために。
わたしがふわりと浮くと、「ほいきた。」とばかりに彼はわたしを抱きしめる。
ここはこんなに真っ白なのに。
なぜ、わたしたちは。
これ以上を求める日が来るのか。







ぼくらはとても広い校内のなかにいる。
きっと、大学かどこかだ。
ぼくらはみんな、ホームヘルパーの人が同行している。
何故か、レッド・ツェッペリンのメンバーたちも。
つまりぼくらは、自由にここを歩けないようだ。
ぼくらだけではきっと迷ってしまうから。
それは縛られていることと同じなのかもしれない。
でも彼らは、ヘルパーが余所見をしている隙きを狙って
自由に行動をし始めた。
かつて彼らは、日本で本当に遣りたい放題遣ったツケを
払わなくちゃならないんだ。
大変だ、ぼくの目の前を、彼らは普通に歩いている。
するとロバートがぼくを見つける。
「不思議なところで会ったね。」
互いにそんな風に見合って、ぼくは彼らと同行することになった。
ぼくはすごく嬉しいのに、心はひどく落ち着いている。
ぼくらは校内の階段を下りている。
ぼくの右にロバートがくっついて歩いている。
鮮やかな青に白い小さな花柄の薄い生地のブラウスを彼は着ている。
ロバートの左腕をぼくは撫で、滑らかなブラウスに沿って
その白い左手を掴む。
なんというきめ細かな美しい肌だろう。
ロバートというニンフは同時に女神でもあるけれど
ぼくの母と姉と兄でもあるように。
包まれたんだ。白銀の陽の眼差し。
暖かい影の地下へ。
ぼくらは向かうの?
ロバートは嬉しそう。
何も知らない。
まだ何も知らないんだ。
灰色の階段、灰色の壁と床と。
その空間で。
ぼくらはまるでまだ何も知らないように。
この階段を下りている。











Led Zeppelin - Battle of Evermore

 












幸せ(死あわせ)のパンケーキ(丸ビル内にて)

2019-04-17 06:37:01 | 日記
ウエダさんはヴィーガンで、しかもグルテンフリーも今遣られてはるわけですよね。
はい。
こうゆう、ケーキ屋さんとか、パン屋さんとかの前を通ったときにどういう気持ちになるんでしょうか。
食べたいとかの感覚ではなくって、すごく悲しい感覚になりますね。
悲しい...
うん、だって身体にすごく悪いですから...乳製品とか(乳製品は特に乳がんや前立腺がん等との因果関係が取り沙汰されており、しかもパンケーキの狐色の表面に生成されるアクリルアミドは特に発がん性が高いと言われている。だがその何千倍もの高濃度の発がん性物質が焼いた牛肉の表面から検出された。)
...


そのあと、丸ビル内のタワレコに向かうまでわたしは彼に乳製品の害について自らの経験談を語る。
ヴィーガンの期間(2012年2月~7月、2019年9月~)も、ペスクタリアンの(植物と魚介類を食べていた)期間(2012年7月~2015年9月)も、ほぼずっとそれまで酷かった生理痛が起きなかったんですね。
わたしは畜産物(畜肉、乳製品、卵)を一切断ってから、生理痛からも頭痛からも解放されたんです。(さらに胸にあった良性のしこりの持続的な痛みもなくなった。)
でも、2016年の4月とかに、食欲に負けてチーズの載っかったピザを食べてしまったんですよ。で、そのチーズを食べた月が、むちゃくちゃ生理が重かったんですよ...(チーズは特に牛乳の成分を凝縮しているために人体への害なる影響は大きい。)
ほお。
で、ああこれはもう確実だなと想いましたね。
乳製品の害はもう確定だと。
それが一番のヴィーガンを続けている理由としてあるんですね。
いや、それが一番ではないんですけどね...
それ以外に一番の理由はあるんですけど。
...
その時、タワレコの中で彼はレッド・ツェッペリンのコーナーを素早く見付ける。
おおおおおっ、いっぱいあるうっ。
一人ではしゃぐわたし、冷静な彼。
わたしはとてもテンションが上がっている。
何故ならこの一月、わたしはレッド・ツェッペリンのことばかりを考えて暮らしてきたからだ。
だがわたしはまだツェッペリンの新しいアルバムを一枚も持っていなかったのである。
すべてメルカリやAmazonで安く中古で購入したものばかりだった。
必ずこの日、わたしのホームヘルパー担当である愛する彼と一緒に梅田に行って、そしてツェッペリンのアルバムを新品で購入するのだ。
絶対にだ!
何があっても、わたしはこれを実現する。
例え、まだ4月の7日なのに、残金が11,000円しかなくとも。
ははは、絶対に買うのだ。
わたしはツェッペリンに、命を懸けている。
と言えば、まあ大袈裟やね。
それはちょっと言い過ぎたかな。
わたしはまず、ツェッペリンのドラムのジョン・ボーナム、愛称ボンゾが1980年9月25日に喉に酒の吐瀉物を詰まらせて窒息死し、ツェッペリンが解散となる前に出した実質ツェッペリン最後のアルバムである79年発売の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア(In Through The Out Door)』を手に取った。
これだ!これが欲しかったんすよ!これ実はまだ聴いてないんですよ。最後のアルバムですからね、もったいなくって、まだ聴けないんですよ…(一曲目のイントロだけ実は聴いてしまったのだが、むっさくっさカッコよかった…)
この、ジミー・ペイジ監修のデジタルリマスター、2015年に発売されたやつ、2000円+税、これ、買おう!
これ買いますわ。お金ないけど、たはは。
あって良かったですね。
うん!良かったあ、これあって。
まあ他にもツェッペリンの欲しいCDたくさんあるんですが、今月はお金がな...
さっきディスクユニオンで『BBC Session』ちゅうやつ中古で600なんぼで買えたから、ええかな。しゃあないかな。ほんまは欲しいんですけどね。て何回ゆうねんわし。
ははは、まあ今月は我慢ですね。
そうですね、まあダウロードした音源はいっぱいあるんで、それで我慢だなぁ。
うわあ、でもこれあって良かった。これか4枚目の『LED ZEPPELIN IV』が新品で欲しかったんですよね。
4枚目は中古で買おかな、あ、しまったな、ディスクユニオンで4枚目の中古安くであったような、あのもっかいさっきのディスクユニオン行くのって時間的に難しいですかね。
いや、時間的には大丈夫ですよ。
でもしんどいな、結構歩いて距離があったし、日射しが目にきつくって...
どうしますか?
どうしょかな。
他のメモしてた中古の店ってどこでしたっけ。
あ、そうそう、他はね、ええっと、ああ第3ビルのカーニバル・レコードと、あと第1ビルのディスクJ・Jですね、ここから近いですか?
第三ビルやったら結構近くですね。
あ、それやったらここ行きましょか。
うん、そこ二つ、取り敢えず行ってみましょうか。
うん!
そうしてわたしと彼はそのあとその二つの中古レコード屋に向かった。
だが、そこにわたしの求めるツェッペリンの4枚目のアルバムが、わたしの求める値段でなかった。
これ中古で1000円払うなら、ジミーペイジ監修のリマスター盤をあと1000円払って買うほうがよくないでげすか?
うーん、ぼくはなんとも言えませんね、そこは、食費を削るかツェッペリンを削るか、というところだったら、もうそれはウエダさんにお任せするしか...
ですよね、いやもうこれ...新品買いますわ、だってあと1000円足したら新品買えるんですもん、しかもジミー・ペイジリマスター盤を。
うむ...ではそうしましょう。もっかいタワレコに戻りますか?
そうですね!あっこに4枚目もありましたね。
そうしてわたしと彼はまたぞろ丸ビルのタワレコに戻った。
そこでわたしはツェッペリンの4枚目のアルバムを手に取り、唖然とした。
うわっ、2800円+税ってなってる...
あー...二枚組ですね。
二枚組やからや!未発表音源のコンパニオン・オーディオ・ディスクが入ってる!
2800円か...結構痛いなこれ。
わたしはそう言って財布の中を確かめた。
そこには1000円札💴が4枚と、小銭が少しあるだけに見えた。
マジかよ...!
わたしは心の中で叫んだが、たった3秒間悶絶したあと、腑抜けたように言った。
あ、もうええわ、もうこれ、わたし買いますわ。
大丈夫なんですか?
彼が心配そうに言った。
うむ...わたしは腑抜け状態のままで、もう一度、財布の中を確かめた。
すると、そこには、8000円の札があったのである...!
うわっ、これさっき5000円札をわたし1000円札やと想ってましたわ、ぱはははは。てことはあと8000円とちょっとありますから、まあなんとかなるかな...今月は24日にお金が入るので。
...大丈夫なんですか?
彼はそれでも心配そうな顔でわたしに訪ねる。
わたしは不安そうな顔で、しかしもう決めたことだからと決意の顔でこくりと、目を光らせて深く頷く。
そうしてわたしの財布には、5000円札と、幾らかの小銭が残された。
それでもわたしは、満足であった。
愛するレッド・ツェッペリンのアルバムを、今月二枚も新品で購入することができたからである。
わたしがレッド・ツェッペリンというバンドをどれほど愛しているか、君に教えてあげようか(ジミー・ペイジの言い方のパクり)。
そう、ジミー・ペイジは去年発売されたレッド・ツェッペリン結成50周年総力特集rockin'onのinterviewで、「ツェッペリンが失敗したと想ったときや、バンドが悪戦苦闘しているように聴こえる曲とか、目指そうとしたところまで届かなかったと感じる曲はあるか?」と訊ねるインタビュアーに対して、こう話始めた。
「いいかい。レッド・ツェッペリンというバンドがどういうバンドであるのか、君に教えてあげようか。」
かっけえ!ジミー!
わたしはその言葉が何一つ間違ってはいないことを知る。
ジミーはこう続けた。
「ぼくはね、その月、まだ7日だというのに、残金が8000円と少ししかなかったんだ。そうその時それはそのすべてを本当はぼくのその月の食費に回すべきだと誰もがそう考えていた。当然だよね。食べていかなければ人は生きていけないからね。ぼくもそうするべきじゃないかと一瞬考えたさ。でもその愚かな考えを一瞬で粉砕して見えなくしてしまったもの。それがぼくの導いているバンド、レッド・ツェッペリンというバンドなのさ。つまり...ぼくは食べることより、そう生きることよりもツェッペリンを持続させること、ツェッペリンへの愛を選んだというわけさ。ぼくはぼくの本当に大事なほとんどのものをツェッペリンに費やしてきた。時間、お金、愛する人、そして何より大切な純粋な情熱というものを。それがぼくの最も誇りとなるもの、レッド・ツェッペリンというバンドなんだ。」
わたしはジミー・ペイジが自分の脳内でそう熱く語り、それをロバート・プラントが真っ直ぐな春の陽をキラキラと反射させた水面のように輝く目をして聴いている光景のなかで胸を熱くさせながら彼とタワレコを出る。
そして雑踏の犇めく地下通路内を梅田の阪急線に向かってわたしたちは歩いている。
動く通路を近未来的だと言って喜ぶわたしの右側で、ヘルパーの彼はいつでもクールに落ち着いている。
そしてある角を、曲がったときだ。
そこの右側にある大きな看板が、彼の目の中に入った。
彼はぽそっと言った。
「幸せのパンケーキってこんなところにあったのか。」
わたしもその大きな看板の文字を見て苦々しい想いで応えた。
「そんなに有名なお店なんですか?」
「うん、今すごく流行ってますね。でもこんなところにあるとは知らなかった。」
「そんなに美味しいんでしょうかね。」
「どうでしょう...ぼくもまだ食べたことがないので。」
「まあわたしは食べられないですけどね。」
「そいですね。」
「うん。だって...全然幸せじゃないですからね。寧ろ...不幸せですからね。不幸せのパンケーキですよ。」
「そうですね...」
「うん。不幸のパンケーキ、いや不幸どころか、地獄ですからね。」
「地獄のパンケーキ」
「ははは(彼の渇いた笑い)」
「地獄に通じるパンケーキ」
「ぽほほ(彼の苦しい笑い)」
「地獄へと導くパンケーキ」
「言うてしまいましたな(彼)」
「言うてしまいましたな(私)」


そうして4月7日(日)午前11時から出掛けたわたしと彼の楽しい梅田への御出掛けは午後の5時過ぎに、無事に終了したのであった。とても暖かい日でありました。


本当にありがとうございました。
すべてに神の御幸(御光)が降り注がれんことを。




わたしが最初にレッド・ツェッペリンのライブ映像を観て、その印象的なギターフレーズを好きになったわたしが一番最初に好きになった5枚目のアルバム「聖なる館(Houses of the Holy)」からのナンバーを、最後に良かったら御聴きください。



Led Zeppelin - The Ocean (Live at Madison Square Garden 1973)













錯覚する情景

2019-02-19 21:49:24 | 日記

御今晩が。乱された魂、天寝でどだすん。

どだすってぇ、どだすってぇ、みつびかれるばばにぃ。

なんて今夜も酔っ払って一人で歌っております。

唐突ですが、今日は好きな御方に会えて、元気がちょっとばかし出たので、今月の9日ぶりに、お風呂にも入れて、少し精神が安定しているやもしれまへぇん。

それ以外、腐乱死体みたいに息してるんるるるるるるるるるるるぅ。

え?酔いすぎではないか?と?いや、あおんなこと、あそんなこと、ぉ、ないですがな。

そう、今日、沢山の人に俺は逢ったんだね。

訪問看護の女性の方、ホームヘルパーの76歳の男性の方、歯医者で歯医者さんとその助手の方たち、そして愛する男性、今日は本当に、たくさんの人類と言う生命体に御逢いしました。

え?では僕は人類という生命体ではないのか。ですってぇ?

そうなんです。実は僕は、れっきとした、未確認人類型舐め湖状自炊生命体というものです。

随分、言い遅れてしまったこと、本当に御詫びの徴も要りません。

ははは、やはり随分今日は変なテンションで楽しいですね。

いや、それほど酔ってるわけではないのです。

ただ嬉しいです。沢山の人と、今日は会ったから。

それほど僕は、本当に孤独な人間であるということです。

 

そう、今日なにを書こうと想ったかと言うと、僕のかつてのブログについて、書くつもりでした。

実はですね、はてなダイアリーというものを僕はすこしだけかつて書いていたのですが、この度、はてなダイアリーは、はてなぶろぐに、移行することになったそうなのです。

これは手続きをみずから踏まないのであれば、自動的に移行されるようです。

それは安心ですね。

僕ははてなダイアリーは、それほど書けなかったのですが、自分の書いた記事というものは、それがどんなに愚かしいものであろうとも、愚かにも愛おしいものであります。

だから僕のはてなダイアリーが、はてなブログに移行する2月28日とかまでに、そのままのテンプレートの形で、誰かに観てもらえたら嬉しいやもしれないね、と想った次第であります。

いつも回りくどいですが、僕の人生が回りくどくて仕方ないから、本当に仕方ないですね。

『錯覚する情景』

これが、その僕のはずめでのはてなダイアリーです。

来月からは、自動ではてなブログに移行され、URLが変わって、アクセスできなくなるはずです。

 

こんな感じです。記事はたったの13ほどです。

このブログは自分の人生の中で、一番ゆるぅいブログで、結構気に入っていました。

言わば、続けてきたブログに疲れ、避難場所として作った場所です。

大体のブロガーに、そういう経験があるかと想います。

色々、蓄積される、その一つのブログ空間に溜まった苦しみが、時に耐え難くなるんですね。

なので今、わたしは幾つものブログを並行運転しています。

一つは一番新しい此処の誰にも教えていないブログです。

避難場所である為、教えることができなかったんです。

一生懸命、そのブログで作品を紡ぐのですが、読みに来てくれる方は、多くて週に1,2人。

本当に、心が折れそうになります。

このgooblogは一番人が読みに来てくれているわたしのブログです。

わたしの今一番更新の多いブログは此処です。

そして他に

sirosorajpnonikki’s blog

光るみなも白い空

があり、一番新しいシークレットのブログが一つあります。

もしそのブログに御興味がありましたら、是非、メールをメッセージフォームから送ってください。

携帯からは、送れないかもしれません。

わたしはいつも大体がパソコンで書いています。

でも時に、蒲団に寝ながらスマートフォンで書いていて、わたしはどちらの在り方も愛しています。

何故なら、作品とは、神からの素晴らしい贈り物であるからです。

言葉の表現すべて、愛しています。

わたしの愛する神によって、それが与えられるからです。

わたしたちの愛する肉体も霊も、それは言葉です。

あなたをあなたとして、愛する認識です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夜明け前の声

2018-12-30 18:46:25 | 日記
今日で父が死んでから15年が過ぎた。

毎年、この命日に父に対する想いを綴ってきた。

人間が、最愛の人を喪った悲しみが時間と共に癒えてゆくというのはどうやら嘘であるようだ。

時間が過ぎて、父を喪った日から遠ざかってゆくほど喪失感は深まり、この世界はどんどん悲しい世界として沈んでゆく。

それはわたしがだんだん孤立して孤独になって来ているからかもしれない。

父の死と向き合う余裕さえないほど、日々は悲しく苦しい。

ここ最近毎晩、赤ワインを必ずグラスに6杯以上寝床に倒れ込むまで飲んで寝る。

胃腸の具合も最悪で歯もぼろぼろになって来ている。

こんな状態を続けていたら母の享年44歳までも生きられそうもない。

亡き最愛の父に対して、特に今は言いたいことは何もない。

もし父に再会できないのなら、わたしはまったく生きている意味も価値もない。

もしできることなら、タイムスリップしてこの気持ちを父に伝えて父を悲しませられるならどんなに喜ばしいだろうと想う。

父はわたしの為にもっと悲しむべきだった。

わたしがどれほどお父さんの為に悲しんできたか、それをお父さんは知るべきだ。

今も必ずどこかで生きているはずなのだから。

父は突然容態が急変した死ぬ一週間前に麻酔を打たれて眠らされた。

麻酔が打たれ、集中治療室のドアが開かれて、そこで眠っていた父の姿は、生きている人だとはとても想えなかった。

無理矢理人工呼吸器を喉の奥につける為、歯が何本と折れ、口の周りには血がついていた。

あとで折れた何本かの歯は肺に入ったと半笑いで若い女医から聞かされた。

喉には穴が開けられそこに人工呼吸器が取り付けられ、眼は半開きで髪はぼさぼさの状態でベッドの上に父は寝ていた。

無機質な白い空間のなかで冷たい器具に囲まれ、父は何度もそれから死ぬまでの一週間、肺から痰を吸引する時に鼻から管を通す際、必ず麻酔から少し醒めては苦しそうに呼吸した。

それでも一度も意思疎通はできずにそのまま父はあっけなく死んだ。

その間の父の肉体的苦痛と死を想っては、わたしは精神的な地獄のなかにいた。

もしかしたらあの一週間の間、拷問的な苦痛が父を襲っていたのかもしれない。

でもわたしたちは側にいても何もしてやれなかった。

姉と交代で集中治療室の父の側で眠る日々の絶望的な地獄の時間を想いだす。

父が側で拷問を受けているかもしれないのに、わたしはそれをやめろとも言えなかった。

ただ側で眺めて、苦しんで涙を流すしかできなかった。

一週間後に死ぬことがわかっていたなら、あんな苦しい目に合わせずに済んだと。

後悔してもしきれない。

何のために父があれほど苦しまねばならなかったのか。

何のために母は全身を癌に冒され死んでゆかねばならなかったのか。

今ではそんな疑問も持つことはない。

わたしたち人間のほとんどは、それを与えられるに値する罪びとだとわかってからは。

言い訳をすることすらできない。

いったい神に対してどんな言い訳ができるだろう?

何年か前に見た映像のされた後の牛の血だらけの頭が、父に見えてしまったことは本当なんだ。

何故わたしたち人間は、それを回避できるだろう?

何故わたしたち人間は、安らかな死を許されるだろう?

何故わたしたち家族は、この死ぬ迄消えない苦しみについて、神に対して苦情を申し立てることができるだろう?

わたしたちのほとんどはまるで幼子の様に善悪を分別することすらできていない。

人類に耐え難い苦しみが終らないのは、人類が動物たちに耐え難い苦しみを与え続けているからなんだ。

堪えられる苦痛ならば、自ら命を絶つ必要もない。

堪えられないから自ら命を絶った人たちのすべてがわたしたちの犠牲者なんだ。

何故わたしたちがのうのうと楽に生きて死んでゆくことが許されるだろう?

神が存在するのならば、わたしたちのすべてはすべての存在の為に犠牲となって死ぬ世界であるはずだ。

安楽の人生と安楽の死を求めることをやめてほしい。

きっと求めるほど、罪は重くなり地獄に突き落とされるからだ。

楽園を求める者、弥勒の世を求める者は今すぐ耐え難い者たちを救う為に立ち上がって欲しい。

最早、父の死を悲しんでもいられないほど、深刻な時代だ。

ナチスのホロコーストが、20年以内に日本でも起きるかもしれない。

数10年以内に、肉食という大罪により、人類は第三次世界大戦と世界的な飢餓と水不足と大量殺戮と人肉食と大量絶滅を経験するかもしれない。

人類はいつまでも幼子でいるわけには行かない。

夜明け前はもっとも暗い。

わたしたちはすべて、受難への道を進んでいる。

それがどれほど苦しいことなのか、想像することもできない。

世界の家畜頭数はFAOの2014年データによると、

世界の人口は73億人
牛は14.7億頭
豚は9.9億頭
羊は12.0億頭
山羊は10.1億頭
水牛、馬、ロバ、ラバ、ラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭
鶏は214.1億羽

世界の人口の4分の1は15歳未満の子供であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。

また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。

鶏以外のすべての四肢動物は人間の3歳児ほどの知能があり、同じほどの痛覚を持っているとされている。

3歳児の痛覚と、成人の痛覚はどれほど違うものなのだろうか?



すべての人類の罪を、すべての人類によって分けて償ってゆく必要がある。

楽園は存在しない。

でも救いは必ず存在する。

殺されゆくすべての動物たちはわたしの父であり、母である。

夜明け前、わたしは一本の蝋燭に火をつけ、寝椅子に座り目を瞑った。

そして禁じられた夢の最中にわたしの名を呼ぶ大きく響く声で目が醒めた。

『こず恵』

その声はお父さんとお母さんの声の合わさった声だった。




















Near the Park

2018-09-17 03:04:57 | 日記

昨夜の23時過ぎ、羽化した蛾を近くの公園に放しに行った。

 

ピーマンのヘタの近くにいた幼虫なので、多分タバコガの仲間だと想う。

これまでハスモンヨトウは何度か育てたことがあり、羽化に成功させられたのは確か一度だけだと想う。

今回は冬でなく晩夏であった為か、羽化するまでがとても早かった。

 

 

 

 

本当は見つけた15日の夜に放してやりたかったが、しんどくて酒をたくさん飲んで寝てしまった。

わたしのマンションから、徒歩5分ほどで着く場所には、大きな緑地公園がある。

その入り口から少し歩いたところに、丁度良さそうな暗い樹の根元に、放してやった。

蓋を開けるとほんの少しだけわたしの指に止まり、彼(彼女)はすぐに飛び立った。

そして、去年の9月にうちのマンションの階段に居た雌のクワガタも、放してやった。

彼女は去年の冬の寒い日か、今年の春になって、死んだ。

わたしがすぐに放してやらなかったからだ。

気づくと裏返って死んでいた。

どんなに苦しかったのかと想うと、あの時すぐに、マンションの側の樹にでも放せばよかったと後悔した。

 

 

 

 

 

 

帰りに、写真を幾つか撮った。

Near the Park

 

 

Tree fell down in the typhoon

 

 

The trees are crowded.

 

 

Tenjikugawa

 

 

Nearby apartment

 

 

 

 

 

Neighborhood school

 

 

My apartment

 

 

 

マンションの隣の空き地にはいつも雑草が生い茂り、そこから虫の音がよく聴こえていた。

だが最近、そこは埋め立てられ、どうやら3階建ての一軒家のようなものが建つようだ。

砂利で埋め立てられたその端には、また草が生えて来ており、そこからとても大きな虫音が響いていた。

わたしの住むマンションの5階までも、彼らの音は涼やかに今も聴こえてくる。

 

My shadow

 

 

Entrance front of my apartment

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「そういうふうにできている」

2018-08-28 07:07:20 | 日記
実家の寝る部屋でわたしはテレビを観ていた。
日本地図の上に、次々と火の塊が投下され、日本は全滅。
わたしは生々しく想像したのだった。
もし...日本に北朝鮮が本当に核爆弾を投下したら...
その瞬間のことだった。
目を瞑ったわたしの視界が一瞬で火に覆われ、わたしの右の手の甲に火の粉が落ちて燃え始めた。
わたしはそれでも目を閉じたままじっと燃え尽きる時を待って諦めようとした。
しかし、ハッとして目を開け、急いでみちたを抱きかかえて小さな籠の中に入れ、火の粉から護るため窓から離れて毛布を被った。
外は火の雨が降り注いでいた。夜なのか昼なのかもよくわからない。
姉と、そしてわたしのことを兄弟と呼んでくれた彼から連絡が来た。
何とか無事であることを確かめ合ってホッとして、火の雨が止んだ頃、わたしはベランダに出てみた。
驚いたことに二階であるはずのこのマンション部分が一階となってベランダの床の高さが地面の高さになっていた。
あの時地震も起きて、一階部分が地下に埋もれたようである...
一階はどうなっているのだろう...そこにいる人は無事だろうか。
ベランダで途方に暮れて非現実な光景を眺めていると猫が二匹寄ってきた。
そして近所の人から話を聴いた。
どうやらこの火は、核爆弾などではなく、航空機がちょうどこの辺りの上空で爆発したからだと言う。
そして同時に地震が起きた。その火災からも人々は核爆弾を落とされたのだとパニックになっている。



そんな夢を、今朝に見た。
わたしは冷静に想うのだった。
日本人は特に、いつ核爆弾を落とされるのかと怯えながら暮らしている。
その恐怖を、願望に変える必要がある。
ただ落とされないことを願うのではなく、この世界の未来がどのような世界になってほしいのか。

夢では、願望も恐怖も、一瞬で具現化する仕組みとなっている。
その想像が曖昧であるなら、曖昧な現象として現実化する。
願望と恐怖、関心の深いものが先に現実化する。
それは何故かはわからないが、『そういうふうにできている』としか言いようがない。

しかしこちらの世界では、かなりの時差を起こす。
人類の恐怖が勝つか、願望が勝つか、この世界の未来は、わたしたちの想像力と、関心次第なのである。

人は時に恐ろしく怖い悪夢を憶えている。
それも、一つのこの世界の愛なのである。
何故なら恐ろしいものを知ることで、人は強い願望を胸にいだいて生きてゆくことができるからだ。

人が終末を想像する時、それができる限りの悲惨なものであることを想像できるなら、それを絶対に回避したい(この世からその悲劇をなくしたい)という強い願望がそこには生まれる。
そして怖れること以上に、心から願う世界を、できる限り具体的に想像し続けてほしいと願う。

その世界は、きっと叶うからである。

このブログを読んでくださる方々へ2(管理人から)

2018-08-22 16:11:42 | 日記

先ほど、またも彼からの嫌がらせのコメントが届きました。

5時間前に「狂ってる」、1時間前に「重症だわ9563」。人に対して敬意が皆無であるあまりに短文なコメントだけでなく、相手を悩ませて苦しめる為の意味不明な言葉もつけてくることが非常に悪質であることが彼には本当に理解できないようです。

彼は本当にサイコパスで人の苦痛をなんとも感じられない人間のようです。

ここまで苦しみを訴え続けてお願いし続けても嫌がらせをやめてもらえなかったことは人生で初めての経験です。

今、コメントを「許可しない」設定に致しました。

わたしのブログを善意で読んで善意のコンタクトを送りたい人にとって大変御手数なことになってしまいましたが、これから当分の間、gooID取得者だけからのコメントを受け付ける設定に致します。

彼からそれで来た場合はすぐにブロックすることに致します。

今朝も起きたときから胸が苦しい動悸と不整脈が出ています。

何卒、御理解賜りますようお願い申し上げます。

 

管理人 雨音(あまね)

 

 

 

ps:ナオさんへ

 

こんなことになってしまい、本当にごめんなさい。

わたしのブログへのコメントはgooIDを所得してからか、メッセージフォームからできればメールアドレスを付けてメッセージを送って来てください。(アドレスを付けないと彼がナオさんを装って送ってくる可能性が在る為)

この記事と、ナオさんから返信を待つ記事だけ「gooユーザーのみ許可」にしておきます。

これから書く記事はすべてをその設定で書きます。

ナオさんがどうか御元気で暮らして行けるよう祈っております。

 

あまね

 

 

 

 

追記:誠に申し訳ございませんが、暫くの間、コメント欄を閉鎖することに致しました。

彼が反省するまでの期間、その時間を見計らって、またいつの日かコメント欄を復活させようと想います。


このブログを読んでくださる方々へ(管理人から)

2018-08-21 21:01:13 | 日記

実は、日本では7.5分に1人が心臓突然死で亡くなっています。その原因の大半は「致死性不整脈」です

 

また昨日からずっと目が覚めたときから動悸と息苦しいほどの不整脈が一日中続いて止みません。

このブログに執拗な嫌がらせのコメントをしてくる人物は二人(彼は自分ではない)であると複数であることを装った同一犯であると確信しています。

わたしは何度も彼に自分は心臓が弱くてストレスから来る動悸と不整脈によって突然死する可能性が高いから本当にもうコメントを書き込むことはやめてください。とお願いして来ましたが、彼はどうやら人が自分の嫌がらせによって死のうがなんとも想わないサイコパスで人格障害者であるようで、こちらの言うことに何一つ聴く耳を持とうともしません。

わたしはこのままだと本当に致死性不整脈、心臓発作などで突然死する危険性があります。わたしがこの部屋で孤独に突然死すれば誰にも数ヶ月気付かれずに飼っているみちた(うさぎ10歳5ヶ月)の命にも関わる問題です。

今でもずっとずっと心臓がバクバクバクバクして異常な鼓動を打ち続けています。

もし、次に、またも嫌がらせと感じるコメントを彼がしてきた場合は、一般(全体)から受け付けるコメント欄を閉鎖することに致します。

gooブログはgooIDの登録者だけをブロックすることが可能なようです。

また記事ごとに、コメントの設定を「gooユーザーのみ許可」とすることができます。

善意からコメントを下さる方には真に御手数で申し訳ないのですが、わたしへのアクセスはgooIDを取得してコメントするか、もしくはメールでメッセージを(できればアドレスをつけて)送ってきてください。

もしメールでも嫌がらせがあるようなら仕方なくメール機能も閉鎖することにします。

最低半年から、一年、その設定を続けて、それで彼がやっと諦めてくれるか、様子を観ようと想います。

 

ナオさんに気軽にコメントを入れて貰えることが有り難かったのですが、今回、動悸が前以上に酷いような気がして、かなり息苦しくて自分でも怖いです。

どうか御協力をお願い致します。

次にまた、彼が嫌がらせと取れる善意を感じないコメントをしてきた場合、彼はわたしだけでなく、わたしのブログにコメントを書きたい人全員に迷惑行為をしたい人間であることは確かです。

今までは、話し合えればなんとか最低限、わたしの苦しみを理解して貰えると信じて長文でずっとずっと訴えて来ましたが、彼は人の真剣に書いた長文を読む気もないらしく、ここで限界であるようです。彼は正常な人間では在りません。

このブログを読んでくださる方々へ、何卒御理解賜りますよう、お願い申し上げます。(御了承の程を宜しくお願い致します。)

 

 

天音(あまね)

 

 

追記:誠に申し訳ございませんが、暫くの間、コメント欄を閉鎖することに致しました。

彼が反省するまでの期間、その時間を見計らって、またいつの日かコメント欄を復活させようと想います。