あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

ウール、アンゴラ、ダウン生産の残酷性

2018-10-29 18:11:36 | 人類の苦痛の根源

皆さんこんばんは。管理人のあまねです。

突然ですが、日本で販売されているウール(羊毛)はどこから輸入されているか御存知でしょうか?

 

 

羊毛の生産トップ10と日本の輸入先


  1. 中国
  2. ニュージーランド
  3. マレーシア
  4. オーストラリア
  5. 台湾



 
中国は2013年にアンゴラ生産の方法が残酷であることが知れ渡り世界中で問題となりました。

The Truth Behind Angora Fur

さらに、2016年、フランスの6つのアンゴラ生産農場の内部調査が行われ、中国と同様の生産方法であったことが判明しています。

One Voice – Investigation the exploitation of Angora rabbits
 
手でむしり取るほうが機械で刈るより生産量が一割ほど高く、再び伸びた毛も品質がさらによくなる為、高い値で買い取ってもらえるからです。
 
アンゴラはその90%が中国で生産されています。
 
このアンゴラウサギにとって恐ろしい激痛を伴う作業は約3ヶ月ごとに行われます
毛が生える度にこの作業が繰り返され、2年から3年後にはウサギは逆さまに吊るされて喉を裂かれ、食肉として売られます
 

 
では、ウール(羊毛)は中国ではどのような生産方法なのでしょうか?
残念ながらネット上には見つかりませんでした。
では4番目に日本がウールを輸入しているオーストラリアの生産方法はどのようなものでしょうか?
 

2016年12月、オーストラリア ビクトリア州は、ウールの刈り取りを行う6名の従業員に対し、少なくとも70回以上動物虐待を行なったとして告発。
1名がまず有罪となり、2017年2~4月にはさらに4名が有罪となり、2017年5月には最後の一人にも有罪判決がくだされた。
 
Sheep Punched, Stomped on, Cut for Wool
 



立ち上がることができなかったこの羊は、毛を刈られた後、水も与えられず外に放置された。

ウール輸出量世界トップのオーストラリアとアメリカの羊毛の刈りこみ現場で、米国の動物保護団体PETA(動物の倫理的扱いを求める人々)による初の潜入調査が行われた。

この調査で、羊を殺したり、顔面を殴ったり蹴ったり、鋭利なハサミやハンマーなどで頭を刺したり叩いたり、足を切断するといった、毛刈り職人たちによる残虐な行為が明らかとなった。

ある職人は、何度も羊の首をひねって曲げて骨を折った。

さらに数十頭の首や前脚を曲げ、ひねり、またその上に飛び乗って自分の体重をかけた。

羊の目に指を突き刺していた事もあった。

 

羊たちには刈りこみ前に食事と水は与えられない。

弱って、人への抵抗が最小限になるからだ。

ある毛刈り職人はこう説明した。

「自分が24時間絶食した後に、だれかに襲われることを想像してごらん。戦う気力なんかなくなるだろう。」 

しかし、この弱った羊が押さえつけられる恐怖でパニックになると、職人たちは羊の頭や首を踏みつけ、放り投げ、頭や体をかたい木の床に叩きつけた。

毛刈り職人の報酬は、多くの場合時給ではなく刈り取った毛の量によって決まる。

そのため、職人は急いで乱暴に作業をするので、羊の体にひどい傷を負わせることになる。

 毛刈り職人たちは、鎮痛剤も与えずに、毛刈りによって羊が負った血だらけの裂傷を針で縫っていた。

PETAの調査員が見た限り、獣医師が怪我をした羊に医学的処置を施すことは一度もなかった。

羊を去勢するときは、麻酔なしで子羊の陰嚢にきついリングを付けた。

このリングで羊の睾丸が思ったように取れないと、毛刈バサミで陰嚢と睾丸を切り取った。

怪我をして使い物にならなくなった羊は、他の羊たちの目の前で撃ち殺され食肉用に解体されていた。

毎年、ウール用に適さなくなった個体を含む何百万頭という羊がオーストラリアから中東や北アフリカに食肉用に輸送される。

船内にぎゅうぎゅう詰めにされるため、輸送中に死んでしまう羊もいる。

生き残って無事に目的地に到着した羊も、意識がある中、喉を切られ、殺される。(2014年秋)



 

2014 年動物の権利団体PETAにより、オーストラリアのウール産業の残酷な実態が明らかになりました。

従業員は有罪判決を受け、ウール産業はこのようなことを二度と起こさないと、その時約束しました。

しかし2017年、PETAの調査で状況が全く変わっていないことが分かりました。

羊たちは、ボクシングの練習台のようにパンチを浴びせられ、皮膚を削られ、大きく開いた傷口は、麻酔無しで縫合されます。

彼らの傷に対して獣医師が呼ばれることはありません。

血の付いた床を引きずられ、蹴られ、ゴミ袋のように放り込まれます。

生来穏やかな性質の羊たちが、怖がって動くとメタル製の道具で羊の顔を殴り、頭を踏みつけ、首の上に足をのせ、全体重をかけて床に押さえつけます。

従業員は時間給制でなく出来高制であるため、作業は素早く強引に行われ、羊たちは深い傷を体中に負います。

【残酷ではないウールは存在しません。】



ウールについて知っておくべき16のこと


1.世界のウールの約25%がオーストラリア産です。


2.若い子羊の耳には穴が開けられ、シッポは切られ、オスは去勢されるが

 そのほとんどが、麻酔、または痛み止め無しで行われる。

 

3.オーストラリア産ウール産業では、毎年春に約300万頭の若い子羊が死亡することは普通であると考えられています。


4.栄養不良のために子羊が死ぬことがあります。

 

5. この傷はミュールシング(mulesing)と呼ばれる処置によるもので
 この産業界で標準的に行われるものです。

 ミュールシング : 羊への蛆虫(クロバエ科のヒツジキンバエなどの幼虫)の
 寄生を防ぐため、子羊の臀部(陰部と表現されることもある)の皮膚と肉を麻酔なしで切り取る行為。



6. ミュールシングでは従業者たちにより、子羊の足とシッポの周りの
 皮膚を広い範囲で切り取ります。


7. または、切り取った肉が壊死して剥離(はくり)するまで
 羊たちは万力(まんりき)に似た絞金(しめがね)に取り付けられます。


8. より多くのウールを生産しようとして、時期的にまだ早過ぎるウールの毛刈り(剪断)
 が行われ、皮膚が露出されることにより、多くの羊が死亡します。


9. 暑い月の間に不自然な毛を過剰に身に付けさせるので
 羊たちが熱による疲労困憊で死ぬ原因となっています。


10. 毛を刈られる(または剪断される)間、ある羊たちは、乳房や耳、ペニスや
 その他おおくの身体部分をも切断されてしまうことに耐えねばなりません。


11. 目撃者:「わたしは毛刈りの従事者が羊を大バサミや刈り機、または拳(こぶし)にて

 鼻血が出るまで殴るのを見ました。」  

 「わたしは羊の顔半分がハサミで切り取られた羊も見ました。」


 12. オークション(競売)の間、檻の中に沢山の羊を入れて混雑させ、

 怪我やストレスのために羊が死ぬことがあります。

 

13. 年を重ねた羊は、羊毛の生産が減少し、彼らは不必要となるので
 所に送られます。


14.毎年数百万の生きた羊がオーストラリアから中東、北アフリカへ出荷されています。

 

15. 2005年の報告によれば、約38,000頭の羊が移動中に死亡し、ほとんどの場合、その死体は船外に投げ込まれて棄てられました。

 

16. ニュージーランドでは、腸の発酵物から出たメタン排出ガスのほとんどが
 羊から出るものであり 同国の温室効果ガス排出量の90%以上を占めています。



世界一ウールを消費している日本人


 



ダウンの作られ方

ダウンは、鳥たちの胸から腹部にあるやわらかい羽毛です。

 

生きたまま毛をむしり取るダウンとフェザー

ダウンとフェザーの最大の産地(輸出国)は中国とハンガリーです。
主にガチョウ(グース)やアヒル(ダック)などの水鳥の体から、マシーンプラッキング(鳥の死骸から機械でむしり取る)、ハンドプラッキング(鳥の死骸から手でむしり取る)、ライブハンドプラッキング(生きた鳥から手でむしり取る)という方法で採取します。

 

 

 

Birds Plucked Alive on Farms Linked to 'Responsible' Down Suppliers

 

 

 

ライブハンドプラッキング(生きた鳥から手でむしり取る方法)


①~③マシーンプラッキング(鳥の死骸から機械でむしり取る)と同様。

生後12~14週間で1回目のプラッキングが行われます。

 これは、作業員が一羽一羽の鳥を押さえこみ、無理やり胸から腹にかけての羽毛をむしり取るというものです。

この後、工場に運ばれるまでのおよそ4~5年の間、約6週間おきにこのハンドプラッキング作業が繰り返されます。

羽毛を生産できなくなった鳥は、工場に運ばれ、フックに足を掛けて逆さに吊るされ、首の動脈を切られ血を抜かれて、プラッキングで最後の羽毛と羽根をむしられた後、ベルトコンベアーに乗せられ解体されていきます。

その後、食用もしくは飼料用として出荷されます。

 


カシミア(カシミヤ)の生産方法

 

カシミアはカシミヤ山羊の毛から作られています。


カシミヤ山羊は厳しく判断され、その毛に“欠陥“を持つものは通常2歳に達する前に殺されます。
業界の専門家は、農家がコート基準を満たしていない若い山羊の50~80%を殺すと推定しています

カシミヤヤギも毛をむしりとる方法です。その様子を見た日本カシミヤ協会の人が以前に日本カシミヤ協会サイトに

「気持ちよさそうに見えるけれども、とっても痛そうでした。
むしり取られてるのだから当然です。」

と書いていたのをわたしも読んだことがあるのですが、現在はサイト自体が削除されています。


ファインウール 飢えと拘束の産物


Ultra-Fine Wool: Confinement, Misery, Extreme Boredom


ウルトラファインウールの飼育は集中畜産です。

特別に交配された羊は個々に小さな柵の中に1日24時間4~5年間入れられます。

ホコリや汚れが羊毛に入り込まないようにナイロンのコートを着せられています。

そして他の集中畜産工場のように、羊の行動や社会的欲求、生活の質を決める本質的な要因は完全に無視されます。

こうした集中的システムの福祉評価はまだ行われていません。


不適切な環境により引き起こされた長期的なストレスの影響は明らかです。

閉じ込められた羊は継続的に囲いの板やワイヤーを噛んでいます。

繰り返す体の動きが同様に観察されました。

これは典型的な行動で、不毛な環境で運動や草を食むといった単純な自然行動ができないためです。


ウルトラファインウールの羊に与えられる餌は外飼いの羊よりかなり少ないです。

これは健康状態の良くない羊(例えば標準体重より低い)のほうが良い羊毛が取れるからです。

他のすべての虐待行為に加え、羊達は常に餓えた状態に置かれています。

 


 

映画 Earthlings [アースリングス] 日本語字幕 8/13 衣類 革 毛皮

毛皮(リアルファー)

毛皮(リアルファー)は、昔のように、高級ではなくなりました。
昔はお金持ちがもつ贅沢品でしたが、今は100円ショップにも売られており、毛皮=安い素材という状況に変わりました。
欧米中心の生産から、中国中心の生産に移り、大量生産が行われているためです。

 

生産方法

春、人工授精で繁殖させられます。

死亡率は15~25%。

特に中国での死亡率は高くなっています。

死因の一つに、母が子供を殺す子殺しが有ります。

母親のストレスが大きく、子育てが出来る状態ではないためです。

足元を含む四方八方が金網でできた小さな檻に監禁され、春から秋を過ごします。夏は暑さに苦しみます。

共食いや、仲間同士の闘争が起きます。

傷を負ったり、病気になっても治療されることはありません。

死体が放置されているという調査結果が2010年に有ります。※これは、中国ではなくヨーロッパの農場です。

冬、寒さを凌ぐために冬毛が生えた時、彼らは殺されます。

は、ガスでの窒息、お尻と口に電気棒を差し込み感電させる、首の骨を折る、叩き殺す、喉元を踏みつけるなど、残酷な方法が取られています。

その後なるべく早くに毛皮を剥ぎ取ります。

中国では生きたまま毛皮をはがされている映像が2004年と2010年に暴露されました。

 




リアルファー(毛皮)生産はホラー リトアニアの毛皮農場で明らかにされた残酷さ


 


リアルファーはダサイ!フランスで浮いてしまう日本人の冬の格好とは?

そんなん、ほんとはダサイんだよ。


オシャレだと想っていたリアルファーが既にすっかりと時代遅れのものとなっており、

最早、必要もないのに動物を苦しめて生産される「リアルファーはダサい(カッコ悪い)」ファッションであるという風潮になって来ています。

自分としては以前の何も知らずに、何も知ろうともせずにウールやアンゴラや本革や、羽毛布団などを買っていた自分を想いだすととても恥ずかしい想いに苛まれます。

動物を苦しめて殺し、その毛や皮や羽毛を身につけて、一体何がオシャレでカッコ良いのか。

他に幾らでも代替品があるのに、動物の地獄と死を纏って、「暖かい」などと言っていたのです。

知らない頃(2012年以前)に中古で買った本革の座面の椅子に今でも座っていますが、座布団を載せないで直に座っていた頃はケツがいつも臭くて臭くて、着ている物に臭いが染み付いて嫌になりました。

それも当然です。本革とは動物の死体の一部であり、それを殺菌する為に強力な薬品に漬けているものだからです。

良い香りがして人体に安全であるはずもありません。

本当に馬鹿げています。以前の自分を含めて。

動物の毛や皮を貰わねば死んでしまうほどに凍えている民族なのでしょうか?


アニマルフリーファッションを選ぶ8つの理由 5:レザー(皮革)

 

5:レザー(皮革)
レザーは食肉の副産物、そう思っている人も多いと思います。
しかし、実際には1頭の死体から出る利益の10%~25%を占め、とても利益率の良い部位であり、決して副産物ではありません。
工場畜産で苦しんだ牛や豚、羊などの皮が使われています。
またクロコダイルやオーストリッチ(ダチョウ)の革の生産もすでに工場畜産化しており、その殺害方法には福祉は全くありません。


 

7:毒性のある毛皮
毛皮のなめし工程で使われる物質が、商品に残っていることが多々あります。
東京都のホルムアルデヒド調査では安価な髪飾り12点の内7点からホルムアルデヒドが検出、5点は基準値を大きく上回りました。
EU諸国での調査ではホルムアルデヒドだけでなく、幼児用の衣類から六価クロム(呼吸器系のがん、肺がん、消化器系がん、皮膚炎、潰瘍を引き起こす)が検出されています。


ダウンやウールにかわる防寒具として、動物性のものを使用していないシンサレートプリマロフトなどのハイテク素材があります。

ダウンやウールよりも高機能で実用性の高いものです。

洗濯機で洗える、ほこりが立たない、ダウンより保温効果がある、無臭(動物性のにおいがしない)、軽い、ぬれてもすぐ乾くなど、多くの利点があり、動物の犠牲のないものです。


「シンサレート 布団」の楽天検索結果
1〜45件 (6,439件)



 

「プリマロフト 布団」の楽天検索結果
1〜45件 (342件)




羽毛布団も、最早時代遅れですね。今や羽毛の何倍と暖かい布団を買うことができます。


アクリルのメリットは

  • ウールより価格が安いです。
  • 保温性がある。
  • 強度も強い。
  • 耐久性があります。
  • また、虫食いなどの影響を受けない。
  • 更に、吸水吸湿性が小さいので乾きが早いです。
  • そして鮮やかな染色加工が可能なことも挙げられます。
 
 


「フェイク」が大ブーム!環境にも優しい話題のヴィーガンファッションとは?

エシカルファッション

 


エシカルファッションとは?そのメリットと国内外のブランドを紹介

エシカルファッションの基準とは

1. 衣料品を短いサイクルで大量生産する手法に対抗している
2. 公正な賃金、労働環境、労働者の権利を擁護している
3. 地球環境にやさしいサステイナブル(持続可能)な生活を支持している
4. 有毒な農薬や化学品の使用に対する問題提起をしている
5. エコフレンドリーな布や材料を使用・生産している
6. 水の使用を最低限に抑えている
7. リサイクルを行っており、エネルギーの効率化や無駄をなくす取り組みをしている
8. ファッション界におけるサステイナビリティ(持続可能度)を促進・広める活動をしている
9. 資源を提供している、育成をおこなっている、そして/または問題提起をしている
10. 動物の権利を尊重している

 


 

わたしはファッション類は最近はほとんどメルカリで中古のものを購入しています。

ブランド物は新品を買うと高いですが、中古であれば大分安くで手に入れることもできます。

またどうしても動物性のものが使われた商品でも新品で買うのと中古で買うのとでは意味が違ってきます。

前者は動物を苦しめることに加担する行為であり、後者は棄てられる使えるものを棄てずにリサイクルで使うという形になります。

弱い動物たちを苦しめて生産されるものを買うという行為は、すべてが恥ずかしい行為であるのだという考えが早く世に広まることを祈っています。

同時に、自分が苦しめてきた無数の動物たちと早く人類が向き合えるようになる日が来ることを切に祈り続けます。

 

 あまね

 

 

 



俺のVEGANレッドビーツカレー★レシピ🍛

2018-10-28 21:13:35 | 俺のレシピ
Cpicon ★ヴィーガンレッドビーツカレー♪☆ by しろんそら

ヴィーガンレッドビーツカレー ↑←クックパッドページ🍛

 

 

久々に、レシピをクックパッドに載せました  デトロイト・ダークレッド(ビーツ)で作りました(*´∪`*)

 

 

 

 

 使った商品を御紹介いたしますね。

自然栽培の小麦粉はちょっと検索しても出てきませんでした。
グルテンフリーのために米粉などを使っても良いですね♪
 
野菜ブイヨンはいつも使っているのは
で、これは原材料が
野菜*と濃縮野菜*(ニンジン、セロリ*、タマネギ*、トマト*)、塩、醤油*(水、大豆、塩、アルコール*)、砂糖*、マルトデキストリン*、天然香料、ジャガイモ澱粉*乾燥酵母エキス、乾燥タマネギ*、乾燥ニンニク*、スパイス*
と、色々入っています。トマトベースでなかなか濃い味付けをしたいときは良いと想います。ただ酵母エキスは添加物ですね。
 
 
今回のカレーに使ったのは、
の二種類です。
実は昨夜のクリームシチューで使ったそれをもう一度使ったので、最初から使うときは一パックでも良いと想います(;^ω^A )
でも入っているものが違っていて、
パックじん(緑)は、
大豆(遺伝子組み換えでない)、昆布、にんじん、キャベツ、乾しいたけ、玉ねぎ(すべて国産)
で、アイアイ 野菜のおだし(自然農法)は、
季節によって、大根、オクラ、白菜、小松菜、モロヘイヤなどのお野菜が入ります。
 



是非、作ってみてください

植物🥕だけでもこんなに美味しいのかと吃驚するはずです💙(o´∪`o)💙

 

 

 

 


NO Happiness

2018-10-25 16:19:49 | 物語(小説)

あれから、約三年あまりの時が過ぎた。
ウェイターの男は三十五歳になっていた。
今も男は独りで、ずっと暮らしている。
だが一月前、男はあの家をとうとう離れた。
彼女との恍惚な時間の残骸と化した、あの寒々しく悲惨な部屋を。
真っ暗な狭いキッチンで赤ワインを飲むと、それは血に見える。
いつものようにウェイターの仕事を終え、帰宅してシャワーを浴びてタオルで髪を拭きながらキッチンで水をグラス一杯飲む。
すると髪から水が滴り落ち、グラスの中の水と交じり合う。
それが血に見える。
電気は点いているはずなのに、まるでこの世界は色を喪ってしまったままだ。
もう彼女は、この部屋を訪れることも、その窓を見上げることも、そのドアをknockすることも、電話を掛けてくることもない。
時間が止まってしまっているからだ。
時間が流れていないこの部屋に、どうやって彼女は、足を踏み入れるだろう。
主人の居なくなった部屋と同じに、愚かでしかない。
主人の帰ってくる見込みもないのに、ひたすら主人の帰りを待ち続ける部屋に、わたしは住んでただ息をしている。
小鳥が午前の光りに囀り、車が車道を走る音が聞こえ、穏やかな秋の風が吹いて、だれひとり笑うことのない部屋のなかの寝台の上で毛布にくるまりながら、男はとうとう決断をする。
光の届かない場所に、越すことにしよう。
カフェから車で二時間ちょっとの場所に、小さな古い空き家を見付ける。
問い合わせてみるとその家は二十年近く人の住んでいない過去に事故のあった訳有りの家らしい。
側には池もあり墓地も近い。
夜にはたまに、狐がホラー映画さながらの悲鳴を上げる声が聞こえる。
誰も住みたがらない曰く付きの家具もそのままにしてある家で、しかもその家には地下室がある。
だがその家の主人の遺体が見付かったのは地下ではない。
地上の一階である。
主人の老いた男はどうやら老衰であったようだ。
近くを通り掛かったひとりのハンターの男が、犬の吠える声に訝りその家のドアを開けた。
そこには綺麗に、しゃぶられた骨が散らばっていたという。
どうやら犬が主人をすっかりと食べ尽くし、餌がなくなったから吠えていたようだ。
年を取って痩せた雄のシェパードだった。
何故、主人は老衰で死んだとわかったかというと、実のところ何もわからない。
それは事実ではなく、近所に暮らす人間たちの願望である。
犬はその後、どうなったかというと一度は人間の肉の味を知った大型犬は危険だと言って、処分場に送られたが、それを知った或る犬好きの人間に引き取られて行ったという。
そして風の噂では、人間を襲うこともなく従順に人間の側で大人しく暮らして静かに死んだ。
でも本当のところは、誰も知る者がいない。
わかっているのは、その後この家には誰も住んでいないことくらい。
地下室が何のためにあったのかもわからないし、老人がそこで何をしていたのかもわからない。
誰もそんな不気味な家には住みたがらない。
いたとするなら、そういったマニアたちだろう。
でもこの家は町からも離れていて不便な場所に建っていて、土地もそこそこ高いから誰も住みたがらなかったのかもしれない。
ウェイターの男はたった一度の下見で、この家を気に入って、ローンを組んで買い取った。
そして主人の居なくなった何もない部屋を眺め渡し、彼女への未練を振り切ってドアを閉め、鍵を掛けてタクシーに乗った。
混んでいなければ、二時間と少しで着くはずだ。
行き先を告げたタクシーが発車して、男は疲れた目を閉じた。時間は午後十二時半前。
もう二度と戻れない時間から、男を乗せた車が遠ざかって行く。
もう二度と戻れない場所から、男は何かを垂らして去ってゆく。
透明の液体を、震える目蓋の隙間からしたたらせながら。
愛する人との想いでの詰まった空っぽの宝石箱を、その想いでだけで作られていた男の身体を、男は脱いで、逃げるように飛んだのである。
地下へ向かって落下するように。
これまで何度と、地下のプラットホームから身を投げようとしたことも忘れて、男は背凭れにぐったりと痩せた背中を預けて眠りに入っていった。
新しい家から、車で約40分の場所にグロサリーストアがあるようだ。
男は早速、そこへ買い物に出掛けた。
頻繁に買いに来ることもできないからできるだけ、纏めて買わなければならない。
男は日持ちする罐詰やパスタ、冷凍保存できる食パンなどを籠に入れてカートを押して野菜と果実コーナーへ向かった。
キャロット、オニオン、ビーツ、ポテト、セロリ、パセリ、適当に調理のしやすいものを選んで籠に入れてゆく。
そしてキノコのコーナーに向かいマッシュルームを探したその時、明らかにキノコではない色彩のものを見付けて顔をしかめた。
色鮮やかな赤い鮮肉がパックの中に入れられて黙って白いマッシュルームの並べられた上に載っていた。
鮮肉コーナーに戻しに行くことがそんなに面倒なのだろうか?
男はそのパックを手に取り、パッケージに印刷された写真と文字をまじまじと眺めた。
そこには『Happy Farm(幸せな牧場)』と会社名が表記されており、牛と豚と鶏が仲良く草原の上に立ってこちらへ顔を向けて嬉しそうな眼で見つめている写真のついたパッケージで、『アニマルウェルフェア(動物福祉)』を考えて、人間も動物も安全で体に優しいものを生産していることを唱った文句が下に書かれていた。
男は苦々しい想いでそれを見つめ、小さく息を吐いてそれを鮮肉コーナーに戻しに行った。
生き生きとした死体の肉が並べられているところに入り、アニマルウェルフェアの牛肉コーナーを探した。
そして『Happy Farm(幸せな牧場)』のパッケージが並んだ牛の赤い死肉コーナーにそのパックを置いて、すぐに此処を立ち去りたい気持ちに駆られ振り返って歩き出そうとしたその時だった。
グロサリーストア内に、何故か牧場があり、その柵の中に自分は立っていて、自分の目の前には先程見ていた鮮肉コーナーが広がっていた。
自分が立っている場所と鮮肉コーナーとの距離は約五メートル程だった。
男は何故、自分が牧場の柵の中に立っているのかがわからず、柵を乗り越えようと柵に足を掛けた。
その瞬間、前方から声が聞こえた。
「久し振りだね。」
顔を上げて男は柵に掛けた足を地面に静かに下ろした。
「元気だった?あれからどうしてたの?そういやあの家引っ越したんだね。風の噂で聞いたよ。」
男から約五メートル離れた鮮肉コーナーの前に、黒い牛の顔の被り物を被った黒いワンピースドレス姿の彼女がそこに立っていた。
右の指には何かが光っていた。
あの日彼女に渡した指環が、太陽の光りに反射してきらきらと光っている。
男は彼女に声を掛ける。
「わたしは気が朦朧として、今にも倒れそうです。」
彼女は子供のように笑い声を上げる。
「きみは何故そこにいるの?」
笑ったあとに彼女は男にそう訊ねる。
男は彼女の後ろに並べられた物を彼女を透かして見ると答える。
「わたしはきっと今、貴女の後ろの過去に立っているのです。」
彼女はまた無邪気に笑うと両手を叩いて言う。
「何故、きみがそちらに立っているのか、ぼくは不思議だ。」
男は恐れを感じて柵をぐっと掴む。
「ではわたしは、どちらにいるべきなのか、教えて貰いたいのです。」
目の前の視界がぼやけ、タクシーの運転手の低い声が聞こえる。
「この近くにグロサリーストアがあるから、ついでに買い出しに行ってきたら良い。俺は此処で待ってるよ。」
真っ暗な目蓋の内側で、彼女の声が聞こえる。
「それはきみが知ってるさ。きみはそちらにいてもあちらにいても大して変わらないなんて想ってないよね。」
運転手の声が彼女の声に重なる。
「『ベーコン一枚をバーガーに載せるだけの為に豚が一頭殺されるべきじゃない。』って、俺も同じようなことを彼女に言われたことがあるよ。それで...」
彼女の声が今度は運転手の声に重なる。
「きみの幸せを量れるのは、きみだけだろう?」
「随分ダイエットに成功したよ。彼女は痩せた俺を見て褒めてくれた。」
「前より愛してるとね。彼は言ってくれる。」
「あんたはまだわからないのか?そこに立っていることが。」
男は苦しい過去の記憶を辿るようにゆっくりと彼らに話始める。
「わたしはかつて、此処にいたのだと想います。彼女はとても深い負い目を持って、わたしを愛してくれていました。そして彼女も、此処にいたのです。わたしはいつか彼女を殺してしまうのだと感じて、それでも彼女を手離せず、自分のものにしてしまうことに苦痛と快楽を感じていました。その感覚は彼女との唯一の共鳴感覚であり、本当の意味での交わりであったはずです。わたしは彼女の死を味わい、彼女はわたしの死を味わいながら、互いに快楽を感じ合うことで互いに手を取り合って死んで行く存在だったのです。わたしが彼女を苦しめていることのわたしの苦しみに彼女は苦しみ、その彼女の苦しみに苦しみながら快楽を貪り合うことでしか生きられなくなった一つとなった存在のように。この死の循環を、わたしたちは喜んで、苦しんでいました。わたしたちは"彼ら"よりは幸せであることを感じ、どうすればこの循環から逃れられるのか、悲鳴を上げながら互いの肉を味わい続けていました。わたしと彼女は、完全に殺し合うその時まで、苦しみ合い続けなくてはならない関係なのです。彼女はわたしの肉を殺し、食べて味わったあとには、もうその肉は必要ありません。わたしの彼女の欲する肉はすべて、彼女の肉となりました。彼女の欲するものだけ、彼女に取り込まれ、あとに残されたわたしはなんと惨めで虚しい物体なのでしょう。わたしの肉なるものはまだ残されたままで、わたしは此処に死んでいるのです。彼女はわたしのすべてを必要とはしませんでした。目や脳、骨と骨髄、わたしの核なる部分を残し、彼女はわたしを棄てたのです。わたしは母の記憶がありません。記憶はすべて喪われ、わたしは母と共に一度死に、そして肉となって生まれ変わり、彼女は肉のわたしを激しく求めました。そして彼女と初めて交わり、わたしは自分の存在によって彼女を殺し、そして生かしていることに気付きました。彼女は日に日にわたしの前で死んで行く存在であり、わたしも彼女と共に果てのない死のなかを手を取り合って泳いでいました。わたしは彼女に取り込まれ、彼女と一体となる恍惚な悦びのなかで、わたしは彼女と消えることを恐れ続けて生きる運命でした。死んだ青白い顔をして、わたしと彼女は求め合ってきました。わたしの霊は未だに、この肉の殻のなかで彼女を求めて彷徨い続けています。わたしの肉は今も、彼女の身体を、肉を堪能していることでしょう。今、気づいたのですがそれは、貴方なのではないでしょうか。

タクシーの運転手の男は黙って前を向いている。
どうやら新しい家の前に到着したようだ。
一体どこを遠回りして走ったのか、外はもう暗くなっていた。
ウェイターの男は料金を椅子の上に置いてタクシーを降りた。
家具や荷物は明日の早朝に届く予定だ。
ということは今夜は、この家の元の主人の寝台を借りて寝よう。
タクシーの車が走り去った後、知らない土地に独り残された男が夕闇空を見上げて寂しげに言った。
「ただいま。」

 

 

 

 

 

一話完結的連続小説 『ウェイターの男の物語シリーズ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『No Happiness』人生が変わる。目を覚ますスピーチ。

2018-10-23 19:40:07 | 人類の苦痛の根源

人生が変わる / 目を覚ますスピーチ!

(日本語字幕を設定して御覧ください。)

 

 

『No Happiness(幸福の無い)』という題名はこのスピーチを行なったエドさんの言葉からとったものです。

以前にはスピーチと言えば、『世界で一番重要なスピーチ』を紹介したことがあります。

テーマは両者方、同じ提唱です。

エドさんは○○○○活動家の方です。

伏せてるのは、先入観や、偏見なく、とにかくこの動画をたくさんの人にまずは最後まで御覧になって自問自答や、多くの人と議論して戴きたい深刻なテーマであるからです。

 

色々、参考サイトや映画を付け加えて載せたいところですが、それらはわたしのブログ上にありますので、気になる用語で検索して、読んでみて貰えたらと想います。

 

 

 

時間がちょっと経つと、涙が出そうです。

エドさん自身も、かつての自分に本当に悔しくて悲しくて後悔する想いでこのスピーチをしているような気持ちが段々と感じられてくるからです。

 

 


底根の国

2018-10-23 03:39:45 | 随筆(小説)

俺は生まれて来てからずっと、全宇宙の存在の幸せをとにかく願って生きてきた。

それでふと気づくと、最近ふと気づいたことは。

俺って全宇宙の全員を悲しませてるやんけじゃんばいではないか。と言うことです。

え?いつまで町田康の言い方をパクるのだって?だってしょうがないですやんか。わたくしに彼が取り憑いて、ゆうたらわたくしは町田康師匠に憑依されて今も書いているに過ぎない生霊ですよ?

え?じゃあ本体はどこだって?そら、今頃インダス川の下流に位置する廃屋の床にいる胡桃の殻のなかに潜み続けている芋虫の腸内で便器に座って考え事をしている微生物の脳内にある宇宙のなかのずりずり星のミシミシっ屁(ぺ)という州のなかにあるキズチール人のエリアエラ型のコームギ・ウードンという男の住む家のキッチン下の小箱の中で息をし続けている常呂饂飩状の透明の線虫の腸内の宿便の内側に息を潜めて生き永らえている何者かですよ。

で、何の話をしようとしてたか、全く忘れましたが、最初まで遡って想いだしました。

俺は生まれてこのかた、すべてが幸福に永遠に生きてゆくことしか、考えて来なかったわけじゃないが、すべてが永遠に幸福に生きてゆくことを願い続けて生きて来た。

それだのに、最近ふと気づいたのだが、俺はすべての存在を悲しませているだけではないかな?と気づいたのである。

例えば質問箱サイトで真剣に悩んでる人の質問に真剣に真摯に時間を掛け、頭を悩ませながら回答をする。

すると最初は感謝される。だがその次にもう一度返信をして、より、質問者を幸福にしようと目を血柱させてまたも長い返信を送る。

と、どうしたことか。「これこれ、自分はこうなんだ。あなたにはわからないでしょう。あなたがわたしを○○と決め付けてることがとても悲しいです。」と返事が来てて、まだ質問の期限があるにも関わらず、早くも相手に質問を閉じられて返事して謝罪することも言い訳することも相手の言い分を違うと否定することもできず、途方に暮れる。ということがあるのである。

相手が苦しんでいて。助けてほしいと質問してるから、俺はその人間を助けようと必死に相手を救う言葉を書き連ねて送っただけなのに、悲しいことにそれが悉く裏目に出て、「もうあなたとは話したくありません。」と相手に心の扉をばたむ。と一方的に閉じられてしまうのである。

なんと虚しきことであろう?なにゆえ、こちらの想いだけでも汲み取っては貰えないのか?

俺はあなたを助けたいと想ってる。だから自分の遣りたいことを後回しにして、あなたに時間を使ってきた。

だのにひとつ俺の言い分が腹立ったからって、何も早々に質問を閉じることないではないか。

俺は傷つけたのであれば、「そうでしたか。それはごめんなさい。違いましたか。それは勘違いでしたね。でもあなたを傷つけるつもりなど、全くなかったのだ。あなたが地獄に落ちて欲しくなくて、俺はああ言ったんだ。それをあなたはなんだ。一方的に怒って、俺に理解などできるか。などという失礼千万なことを言って、どういうつもりなのかな?何故、俺に理解などできないとかって俺のこと決め付けるのだ。俺とあなたは、同じ障害に苦しんで来た仲間ではないか。なんでその仲間をだね、そんな風に冷たく言っちゃってくれるのですかな?酷いよ酷い。俺のほうこそもんのすごく悲しくなったよ。なんで俺の真剣な気持ちがあなたに伝わらなかったのだろう?あなたを救いたくないなら、あんな面倒なこと、金も貰えないのに無償で人の真剣に悩む質問に回答したりしないよ、しんどいからね、心が疲弊するからね。俺も落ち込むからね。もういい。あなたはそうやっていつまでも人に依存して、そうやって何人もの人間に甘え腐って生きてゆければええのだ。知るかあっ。もう二度とあなたを救う為に俺は頑張らない。我が神に誓う。あなたはそんな我儘人間だから、苦労をしておるのだ。これからも存分に苦労して苦しんで、どん底に落ち切って、そこから空を見上げて。暗いなあ。寒いなあ。恐いなあ。どうしたらええのだ。と人を助けを、呼ばわって、呼ばわり続けて苦悩し、地獄を味わえとまでは言いませんが、思う存分にどうか苦しめるだけ、苦しんでください。お願いします。ではわたしのあなたへの返信はこれで最後に致します。どうか御元気で。頑張って生きていってください。さようなら。」と相手に言いたかったのである。

それが、言えなかった。何一つ、俺は言い返す手段も持たなかったし、自分の想いに悪意など微塵もなかったのだということを相手に伝えることさえできなかったのである。

無念じゃわいっ。なんという理不尽な世界だろう?この世界は。

まあ俺のこんな態度はまだ序の口で、前はその質問箱で「死にたいです。」と言ってる質問者に、散々、何日間と掛けて、死ねばこれこれこんな悲惨なことになって、たれもかれもが悲しみに打ちひしがれて立ち直れないのだ。ということを必死に説得して相手をどうにか死なせないように、救ってやろうとしている回答者が、質問者の人を馬鹿にした一言の返信をきっかけに、完全にぶちギレ、長文の呪詛を相手に吐き続け、しまいには「さっさと死にやがれ糞野郎がっ。」と言っていたのを見かけて爆笑したこともある。

やはり、人と言うのは、どんなときでも謙虚であらねばならぬなあ。と想うのだった。

そうでないと、本当に苦しくて人の助けを請うて苦しんでいるときに、ちょっとでも我儘を言うと一度は助けの手を差し伸べられたその手で、谷底へと突き落とされてしまうのである。

別に助けようとしている人間が極悪で、相手に脅迫して大金を払えと言っているわけでもないのである。

とにかく苦しんでいる人間を助けようと、谷底に落ちかけている人間に手を差し伸べるのである。

しかし相手は「助けて貰えて当たりまえ」「優しいことを言って貰えて当たり前」「死ぬな、死なないで。と言って貰えて当たり前」なんて想っているからその気持ちにすぐにぼろが出て、相手の言い分にむかついて自分の利己的なものが露呈するのである。

聖者、賢者とは、よっぽどのことがない限りは人を助けるようなことはしない。

何故ならこの余は因果因縁、因果律の法則によって在る世界で、人が苦しむのはそれ相応の意味があって人が苦しんでいるからである。

そこで助けたら意味が無い。例え一度助けようとも、その人間は苦しむ必要が絶対にあるのでまた同じ壁にぶち当たる、事故に合う、災いが起きる。などして同じような苦しみを結句引き受けなくてはならぬのである。

その真理をわかっているものは無闇矢鱈に慈悲の想いでもって苦しんでいる人を助けるようなことはしない。

「苦しみは当然である。」と想っているからだ。

これを証拠に、ほれ見たことか、俺が安易に人を助けようとしたばっかりに、最後は恨み節を言い捨てられて関係を終らせられてしまったではないか。

人を助けるなんて、何一つ、ええことなどないのである。

俺はもう絶対に、人を助けたりはしたくない。

苦しみたい人間がただ己れの因果によって苦しんでいるだけだ。俺がそれを救える手などない。

俺はその代わり、人を助けようとする代わり、俺は人々を、どん底に突き落とす為に、その手を差し伸べ、谷底に、奈落の底へ落ちようとしている人間の手を、しっかと掴み、鬼の笑みで、にたり。と哂う。

まるで人が苦しむその姿を、喜び、もっと苦しめるようにと奮い立たせながら、この地上という底根の国で、人々が苦しみもがきながら自分の二本の足でしっかりと立ち、暗闇のなかを独り進むその姿を遠くから、茫洋と眺めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 Yung Lean - Metallic Intuition

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Sad Boys

2018-10-23 00:31:38 | 音楽

ども、お今晩わ。ブログ管理人の亜麻寝でごわす。

どっつぁんです。殺気まで、おいらは不貞腐れて今日も寝ておりました。

酒早くに飲んでダウンしとったんですわ。ははは。笑えまへんね。笑えまへんどでげすでえ。

それでね、俺は体内の汗と在る出日戸を浄化する為に、ぐっすりと寝続けたかったのですが、それができなかったのはうちのパソコンはなんでか最近、スリープしたかと想うと起動を繰り返す、ということを何分か置きに繰り返すようなアホになってしまって、このPCちゃんが起動する「ぶいーん」という音と共に俺は目は醒めないけれども夢とうつつの間をうつうつと過ごし、どちらの世界へも行けないような彷徨い魂となって何にもない空間でただ俺の彷徨い魂は脳内で何か同じ事を繰り返し繰り返し考えて試し続けているみたいな夢を見ていとった気がします。

しかし飽きたのでしょうか。俺は在る場所へ走って行ったんですよ。

そこには在る連中が、食材のたんもり盛られた籠を持ち、酷く悩んでおりました。

場所はスーパーマーケット。どうやらその野菜売り場前で立ちはだかり、「どうする?」みたいな顔で真剣に考え事をしている連中はなんと。

 

 

この方たち。Sad Boys(悲しい男の子たち)でありました。

まあ確認できたのはYung Lean(ヤング・リーン)たんだけであって、実際Sad Boys全員がそこにいたかどうかは全くわかりません。

 

 

 

 

でもYung Leanたんが所在しているのはSad Boysであって、だからヤングがそこにおって、他に何人かの若い青年が共におるとはもうSad Boysに違いないであろう。という真にいい加減な推測です。

で、ヤングってたれ?サッドボーイズとはとこのといつら?と訊ねられましたら、彼らはスウェーデン出身のラッパーでヒップホッパーです。

ヤングたんは96年生れの22歳で実際にヤングなヤングです。ヤング・リーン・ヤングです。

Wikiを見たところ、彼は『ヒップホップグループの「サッド・ボーイズ」を率いる』と書かれてあるので、ヤングたんが、彼らに、「おい、着いて来いね。絶対だよ?着いて来なかったらぽくは絶対に泣いてしまうからね?いいの?ぽくを泣かせても。ぽくはぜったいに嫌だよね。きみたちは、ぽくに着いて来ないときっと災いが起きてとんでもないことになるだろうね。いいのかなあ~それで。いいって言うなら別にいいけどさあ~やっぱ嫌じゃね。嫌じゃあねえ、ぽくに着いて来るっきゃなすわなあ。でしょでしょでしょでしょ?ぽくがやっぱ一番売れてるし、ぽくがきみたちを率いて行かなくちゃならないんだ。だから、って嗚呼~行かないで行かないで往かないで。ぽくを一人にしないで。ぽくはひとりじゃなーんも実はできないもん。きみたちの力がぜったいに必要なのだよ。もーわかってるくせにい。意地悪しちゃやだやだ。だってさ、ぽくたち、生まれてこの方、Sad Boys(悲しい男の子たち)だからね!」

と言ってですね、彼らの全てを、悲しい男の子たちグループに連れ込んでいるということでございましょうな。

うんで、ヤングたんがデビュースタジオ・アルバムを出したのは2014年ですな。

っつうことは4年前でマジかよ、ヤングたん、まだ18歳とかの頃でチョーヤングリーン時代なわけですね。

この1stアルバム『Unknown Memory』がまたね、傑作なんですわ。

かと想えば二年後に出した『Warlord』も傑作で、同年に出した『Frost God』もまたまた傑作。

去年に出した『Stranger』もこれがちょっと凄い変化をしていてね、傑作だったんですよ。

ま、良かったら購入して聴いてみてくださいまし。

自分は今、『汝、我が民に非ズ』を聴いていますけれども。

ま、ちょうこれを聴き終わればね(今は9曲目です。)、ヤングたんを久々に聴こうと想っておるまする。

で、話の続きを致しやしょう。

それでね、なんと、スーパーマーケットの野菜売り場前に、俺のわすの好きなヤング・リーンたんがおって、サッドボーイズたちが悲しんでおるではないか。

僕はすーんとそこへ飛んでいきました。夢の中なんでね、飛んで行くことができるんですね普通に。

で、彼らに挨拶を、吃驚させるかなあと想いましたが、わざと大きな声で明るく言いました。

「YO~!KOZUEだぜ~。YAあYAあ~。えっなになになにしてるのお~?こんな日本のスーパーに遣って来て、野菜売り場の前に立ち尽くして一体きみたちは何を悩んでおるのかねえ~?ほわい?」

するとちょっと驚いたが、同時にほっとした。という顔になったヤングたんが、僕を見て言いました。

「Oh。KOZUE。ちょうどいいところに来た。実はぼくたち、ブロッコリーが買いたいのに、ブロッコリーが買えなくって、とっても悩んでるんだ。」

僕はヤングの手にあるものを見た。するとそれは確かにブロッコリーであるのだが、どうも、売れ残りの腐りかけてる?みたいな感じのところどころ黒くなっている貧弱なブロッコリーであった。

なるほど、悲しい男の子たちはわざわざ日本へ飛行機でスウェーデンから遣って来て、日本のスーパーマーケットで色んな食べたくなった食材を買って今晩は、シチューとかどうよ、それかグラタンとかもいいなあ。よし、材料を揃えよう!ということになって、今ここにいると。そういうわけでっすかあ。

僕は若いヤングで悲しい男の子たちを眺め渡して、なんという純朴さであろう。と感心感動したのだった。

さすがスウェーデンラッパー、北欧ラッパー野郎だぜ。と想った僕は、彼らに言った。

「なるほど、そういうことか。よし、ではここはわたすが一躍買ってやろうじゃないか。君たちを助けよう。」

そう言って売れ残っていたブロッコリー二つを彼らの籠に入れ、彼らと共にレジの前に並んだのだった。

そしてレジが回ってきたときに、僕は勇気を出して籠からブロッコリーを取り出し、レジの女性に尋ねた。

「すいません。あのねこれね、食べられますかねえ?なんか黒くなってるんですよお。」

そしてレジの女性はわたしが手渡した二つの豆腐を凝視して言った。

「これは…食べられないこともないですが、一つはかびていて、食べても精神的に美味しくないしお腹を壊す危険性もあると想いますが、食べられないことはないですから買っても大丈夫かと想われます。」

そうか…。僕は苦悩した。何故なら彼らを助けると言ったのに、特に彼らを助けられそうなことをできそうにないのだろうかと店員に知らされたからだ。

うーん。どうするぅ?という困った顔で僕らは彼ら、悲しい男の子たちを振り返ろうとした。

その時。

なんとしたことか、その瞬間、僕は、夢とうつつ、つまり夢の彼らのいる世界と、こちらの目の前には彼らのいない世界の間の世界に来てしまい、何にも無い世界でただただ、僕はその二つの豆腐の、黒い部分をどうするべきか?黒いほうは買わないで、辛うじて表面の黒くなっていない方の豆腐だけを買うべきじゃないかと彼らに促すか。

しかし、その時、僕はなんと彼らに言えば良いのであろうか?

何故なら僕は、英語を丸っきり話せないからであった…。

え、どうしよう~あああああああああああぁぁぁっっっ。touhu、ユアーズ、ワントゥープリーズ?アイムソーリイヒゲソーリイ。トゥー is EAT ノーで、ワン is EAT OKかもしれない。

って言えば伝わるだろうか…?

そんなことに悩んでいたらば、気づけば、僕の眼はすっかりと、醒めて、こちらの世界に毛布にサンドウィッチ状態で横たわっていて、外はすっかりと夜だった。

僕は想うのだった。なんでまたヤング・リーンたんが夢に出てきたのだろう?

今年の7月3日にも、僕はヤングたんとの温かい彼との深い絆を感じる夢を見たのだった。

でも不思議なのが、僕が別に彼の音楽を聴いて彼のことを意識しているときではなくって、まったく彼の存在をすっかりと忘れておる時、違う音楽に夢中になっているときに限って彼は僕の夢に出てくるようなのである。

これはどういうことであろうか?

もしかすると、僕は彼をInstagramでフォローしだした頃から、彼に目をつけられて、彼はわたしの自画像を載せているインスタを毎日のように打ち眺め、「うーん。KOZUE。ビューティフル。KOZUEは前はちょくちょくぼくのインスタ写真に💙マークをつけててくれとったのに、なんで最近まったくつけてくれないの?なぜなぜなぜWhy?悲しいよ哀しいよ。泣いちゃうよ。ぼくは君の💙とても嬉しかったんだ。それなのに、最近非公開設定して、酷いよこれじゃあぽくちゃんがkozueの写真見れへんやないかっ。ばかっ。kozueと一緒に鍋してえなあ。」

とでも潜在意識のなかで強く想い続けていたのではないか?

だから、僕が他の人に夢中になっているときに限ってヤングは、「あーん哀しい悲しいかなしいではないかー。何故ぽくちんの歌を聴かないのお~。さびちいよきみぃ~。ぽくちんの歌を聴けっつってんだあ。kozue~ん。」と悲しんで泣いて、彼の悲しい魂が、僕の悲しい魂を呼び続け、それで彼はこっそりと、僕の夢の中に実はしょっちゅう登場しているのかも知れない。

だが覚えているのは、まだ二回とかで、まあそうゆうことって、よくあるよねー。きっとあるよ。夢の中で僕の好きな人全員と、繋がってる気がするからね。

インスタを観に行かなくなったのはね、色々と深い訳があるのだよ。もう、何人ものインスタを長時間かけて、見るのはしんどくなったからだよ。(僕はひいきをしたくないからね。一人二人だけ覗いてあとは観ないってことをあんまりしたくないんだ。)

ははは、ただそれだけさ。でもたまあに、ああ彼はどうしてるかなあ。と酷く気になったときだけ、見るようにするよ。

どうか悲しまないでいてくれ。

そう、君がずっとずっと、悲しい男の子だって僕は知ってる。

だから君を、大好きなんだ。

わかっているだろう?

 

 

Yung Lean - Leanworld (Rat & Bones)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大量殺戮の夜明け

2018-10-16 21:46:36 | ゲーム

俺の初めて作ったフォトチャンネルです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それなのに、どこの馬の骨かわからぬ野郎が、涙マークを付けて去って逝きよった。

くっそお~、腹立った俺はこのフォトチャンネルのスライドショオに自分の好きな音楽を付けて、動画にして遣ったのさァ。

ふんで、この動画を観ながら、俺がどれほどの熱い想いでこのフォトチャンネルを作ったか、どれほどこのフォトチャンネルを製作する為に時間を費やしたか、どれほどこの「Hotline Miami」というインディーゲームを真剣にプレイして長時間かけてクリアしたか、その涙マークをつけやがった愚か者に知らせたいもんだなあっと憎き想いでつらつら言いながら想ったのだった。

このフォトチャンネルに付けた音楽は二つともホットラインマイアミ絡みな曲である。

俺がどれほどこのアクション二次元見下ろし型ゲームに魅了されたか。

ほとんどゲームなど遣ったことない俺がどういう縁でこのゲームに出逢えたのか。

何から考えても信じられないような感動しかないのだよ。

未だに俺の心を震わし続けている、人生初めての、人類殺傷ゲームである。

どんな想いで、俺がこのゲームを愛しているか。

俺のブログを遡って読めばわかるものを、何にも知らない輩が残念マークを付けて逃げ去ることが俺は悲しいと言った。

まあ70歳過ぎた爺さんかも知らんが…

俺がなんでこのふぉとちゃんねるを作ってるのかを、想像しないで安易に残念がることは本当にやめてほしいと願うばかりだ。

何の為におまえは涙マークつけたねん。

おまえはどうせ、俺のこのフォトチャンネルよりグラビアアイドルの巨乳写真に感動マークを付ける人間なんやろ?

わかってるよ。わかってる。もう何も言うな。聴きたくもない。

人を理由なく次々と殺してゆくインディー2Dゲームが、どれほど深いか。

まあおまえにはわからんさなァ。

二度と非難の無言のマークだけ残して消え去るなよ。

でも、おまえも、もし、このゲームが気になったなら、プレイしてみろ。

おまえも俺と同じ、大量殺戮者だよ。

 

 

しろにじの優しいHotline Miami 🌴 ④

 

 

 

しろにじの優しいHotline Miami 🌴 ⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白い原点

2018-10-14 08:27:55 | 随筆(小説)
此処何年、神々しき夢を覚えていない。
どれも空しく、暗い夢が殆どだ。
アホらしく、厭になる夢ばかりだ。
此れは人間の堕落を表しているように想う。
以前は、水面に反射する光のそのきらめきは、この世のものではないほどに美しく清らかであった。
色とりどりの宝石が其処らかしこに散りばめられて眩しかった。
神のしもべが、わたしの友であった。
下劣な夢に、何の感傷も起きない。
わたしはただただ自己を喪いし湯葉のように、てろてろな感じでぬめぬめと溝の底でホラを吹いて鰡を釣っていた。
在るときは、ぼくは夜の教室にいた。
いや、此処は夜しかない世界で現実にない。
誰かの硝子瓶が机から落ちた。
其処から白い光が、この空間内部の一面に飛び散った瞬間、時間は戻されるのだ。
子どもたちは怯え、ひそひそと秘密話に騒ぎ、まるで重たい幕のように黒いカーテンは外の世界で星も見えない。
ホワイトセージ先生がこの教室に入ってくるまで此処には秩序が蜘蛛の巣のようにただ天井付近にある。
主はそこに、いないようだ。
ぼくは想いだしていた。兎の後ろ姿の丸い背中のフォルムを。
なんというフォルムだらう!
そこには毛の塊という神聖なる秩序がある。
丸い温かいそれは呼吸して時に話している。
それに手を伸ばすことは許されない。
手を伸ばせば、それはぴんと、二つの羽根ペンを付きだし、その二つの羽根ペンでこの宇宙の相対理論を延々と紡ぎ出して誰もとめられなくなってしまうのだ。
すべては相対化し、神は床の庭で横になって居眠りをこくだらう!
ぼくたちは急がなくちゃならない。
時計の針は今何時?
此処にはインダとガラメと、そしてベンジャミンがいて、ぼくがいる。
みんな同じ十の年だ。
とても子どもだ。子どもたちのぼくらが、天のみ使いに教えられたこととは、たとえばこういうこと。
ぼくはあの日、起きたことを話す。
白い兎がこの学校の飼育小屋で飼われていた。
ぼくは特にそいつが気に入っていて絵を描く時間、ぼくはそいつをモデルにして寝そべっているフォルムを正確に写生したことがある。
子ども心にぼくはそれが完全で美しいフォルムだってことをわかった。
黒や白の混じり合う兎たちのなかで、彼一羽だけが白かった。
なぜ彼だけが白かったのだろうと想う。
遠くからでも、彼の姿を確認できるように?
誰かが言ったんだ。真っ白な奴はとても危険なんだって。
彼の存在はとても目立つ。でも彼の天敵が此処にいるようには想えない。
それにこの檻は、鍵を開けないとなかに入られないんだ。
馬鹿だな。地下だよ。地下から遣ってくるんだ。
誰が?
君の愛おしい存在の天敵さ。
ぼくは飼育小屋の床を見つめた。
固い石の床だ。
その上に藁を敷いてやっている。
彼はそこで、気持ち良さそうに日向ぼっこをして真ん丸黒の目でぼくを見上げて寝そべっていた。
ぼくは心配だったけれど、寄宿舎に連れて帰る許可を先生から貰えなかった為、その晩、彼をいつもの小屋に残して帰った。
次の朝、ぼくが急いで学校の飼育小屋の前に行くと何故か人だかりができて騒いでいた。
「どうしたの?」と訊ねると一人の生徒が言った。
「白い兎の姿が消えてしまったんだ。」
ぼくは想った。嗚呼これは悪い夢を見ているんだ。
そして青ざめた顔で教室にのそのそ歩いていって椅子に座り、頭を抱えた。
頼む、早く夢から醒めてくれ。
気付くと先生が教室に来ててみんなの前で言った。
「今からみんなでいなくなった白い兎を探しに行くぞ。大丈夫だ。頑張って探せば、きっと見つかる。」
ぼくは椅子から立ち上がらなかった。
するとインダとガラメと、そしてベンジャミンがぼくのところに遣ってきて口々にこう言った。
「こんなことを言うのもあれだけど...やっぱり、レプティリアンが連れ去ったのかな...」
「元気出せよ。まだ死んだって決まったわけじゃないんだからさ。」
「...一緒に、さ、探そうよ。」
ぼくは深い溜め息をついて探しに行く為に重い腰を上げた。
インダは学校の周り、ガラメは飼育小屋の床にレプティリアン専用の地下通路の出入り口がないか探し、ベンジャミンとぼくはとにかく学校内の兎が隠れていそうな場所を隈無く探していった。
朝からずっと探して、昼の給食を摂ってまたすぐみんなで探し回った。
飼育小屋の鍵は掛かっていたのに、何故いなくなってしまったのだろう?
誰かが彼を盗んでまた鍵を閉めたのか...?
白兎行方不明事件は、まだ微かな望みがあった。
彼が生きている可能性だ。
もしそうなら、何処かへ逃げて隅の暗い処で今も震えてぼくらに見つけられるのを待っているかもしれない。
早く、早く探し出さないと...
兎の天敵は普通に考えると野良犬や野良猫だ。
時間はもう夕方に差し掛かっていた。
ぼくはそのとき、何故かある一角が気になってならなくなった。
体育館の下の暗い隙間だ。
ぼくは一人でひんやりとしたその影の隙間を這っていって中を探した。
すると目の前に、白い毛の塊が、ぼろ雑巾のような姿と成り果てて、そこに静かにいた。
秩序が音もなく崩壊する瞬間だ。
なんという弱さだろう?
ぼくらの願いとは...
ぼくらの願いは全く届かなかったんだ。
ぼくらはなんという弱い世界だろう?
こんなに弱っちいから、騙されて、動物の死体だって食べさせられて来たんだ。
ぼくらの愛しいぼくらと寸分違わない弱い動物を殺したその死体を、味わって生きなくてはならないほど、あまりに弱い世界だった。
すべて喪った魂で生きていける者などいないのに。
すべてが喪ったものでできているこの白い兎の亡骸で、生きていける人間などいないのに...!
生きていることを、無意味に憎むなら、死ねばいいじゃないか...
生きていることを、無意味に悲しむなら。
彼の死が、ぼくを此処に呼んだのは確かだ。
聖霊たちが、教えてくれたんだ。
彼の死が、此処に在ることを。
そして彼の白い死は、ぼくを呼んだ。
『ぼくは此処だ。』
『ぼくは此処だ。』
『ぼくの原点は、此処だ。』



















凡庸な悪と獣の血

2018-10-12 02:27:13 | 人類の苦痛の根源

今日(10月11日)は起きてから森達也著「死刑」(角川文庫)に書かれていたハンナ・アーレントという政治哲学者の思想について調べてみようと想った。


森達也著「死刑」 p140,p141

ドイツ生まれのユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントは、ホロコーストの実行責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、その罪を「凡庸な悪」と形容しながらも、アイヒマンへの死刑執行を肯定した。

ただしその理由は、「数百万人の人々を殺したから」ではなく「人類の秩序を破ったから」であると、その著書『イェルサレムのアイヒマン』で主張した。

刑事司法における個的な報復を否定した彼女のこの思想は、「許しの反対物どころか、むしろ許しの代替物となっているのが罰である。

許しと罰は、干渉がなければ際限なく続くなにかを終らせようとする点で共通しているからである。

人間は、自分の罰することのできないものは許すことができず、明らかに許すことのできないものは罰することができない」(『人間の条件』)に、さらに明確に表れている。

つまり「処罰」と「復讐」とをアーレントは徹底して峻別したからこそ、アイヒマンを処刑する理由を、報復ではなく処罰であらねばならないと考えた。

ある程度の説得性はある。でもある程度だ。もしも「処罰」が「赦し」を意味するのならば、そして「死刑」が「処罰」の一環であると考えるのなら、「死刑」は「赦し」と同義であるということになる。

赦しながら処刑する。ここには明らかに論理の破綻がある。

アーレントが「凡庸な悪」と形容したように、アイヒマンは「自分は上官の指示に従っただけだ」と法廷で証言した。

呵責や反省はそこにはない。そんな彼を処刑することと赦しが、同義のはずはない。


 

これを読んで、わたしは酷く考えさせられるものがあった。

彼女のことは初めて知ったのだがわたしの彼女の思想に対する感想は森達也の感想とはかなり違ったものだった。

わたしはそれは一つの真理であるかもしれないと感じたのである。

人間が、それも完全ではない人間存在が、罪人を処刑という処罰によってそれを終らせようとすること。そこには人間の「赦し(赦されたい)」というものが存在しているのかもしれない。

多くの人間は自分がもし同じ罪を被ったときに、「赦し」を与えられたいと願っているのではないか。

どうにか赦されたいと願う想いが倒錯的となって他者への処刑を願う想いへと変換されるのかもしれない。

アーレントの言う「赦しの代わりに罰がある」という思想は"自分(わたし)という厳罰主義(自分にも他人にも厳罰を求む)者"が徹底的に死刑に反対している人間であることからも至極納得の行くものがあった。

自分の罪を赦さぬ者は、他者の罪もまた赦すことができない。

でも自分の罪は容易く赦されるべきであると願うなら、他者の罪もまた同じく容易く(死刑)によって赦されるべきであるという潜在意識がそこにあるのではないか。

死刑という処罰は、(死後の世界など信じない唯物主義者たちにとって)ある意味、その死刑囚に向って「おまえはこれ以上苦しむ必要はない」と言っていることになる。

でも自分のような厳罰主義に生きる死刑反対者はそうは想っていない。

人間の生きる世界が、死んで終わり(肉体の死で終り)であるなどとは想っていないのである。

たった一度の死刑によって赦される罪など、どこにもありはしないと感じている。

だからこそ自分は如何なる人間の死刑をも決して望まない。

死刑によって終らせられる罪など、ないからだ。

死刑賛成者たちの多くは、殺人者たちに対して遺族でもないのに言い知れぬ憎悪を感じているように想える。

しかしおかしなことに死刑賛成者こそが、最も殺人者の罪を軽くし、殺人者の罪をたった一度の死刑によって「赦そう」としているのかもしれない。

そしてその多くが人間はたった一度の人生で終わりだということを無根拠にも信じて生きている。

そうであるから死刑は彼らにとって「極刑」になり得るのだろう。

アーレントが言った「凡庸な悪」というものは、死刑を願う人々にもあるように感じた。

「全体主義」とは、大多数が着いて行く「凡庸な悪」であり、「陳腐な悪」となってしまうのではないか。

殺人者はその罪から絶対的に赦されてはならないものだからこそ誰をも裁くことなどできない。誰からも、裁かれるべきではない。

完全でない者が、完全でない者を(己れの不完全な法によって)裁いたところで、何になるというのか。

自分自身も、自分を裁くことなどでき得ない。わたしはどのような自殺をも肯定しない。

人間を裁こうとすること、人間を殺そうとすること、食肉の為に家畜を殺して食べ続けること、それはすべて凡庸な悪なのではないか。

戦争も死刑も堕胎も肉食も見方を変えれば大量虐殺(ホロコースト)となる。

大多数の主義が少数の主義になるなら大量に殺されることはなくなる。

個人の犯す殺人事件がどこでも大量に起き続けているわけではない。

だが戦争と死刑と堕胎と肉食は生命を大量に殺し続けることである。

極端な考えだと大多数は言うかもしれないが、自分の感覚では"人が殺すという行為"には何の違いもそこに感じることができない。

人が殺したなら、ではその殺した罪はだれが裁き、罰はどこでだれが与えるのか。

どのようにその人は赦される為に処罰を受けるのであろうか?

自分のような考えは危険だと大多数は言うかもしれない。

でもこれは自分の考えが正しいと感じるから言っているのではなく、自分の感覚が危惧を感じ続けているから、自分がその感覚によって苦しみ続けているから、どうにかこの負の連鎖を終らせたいと願っている。

「凡庸な悪」は自分のなかにも勿論在る。

普遍的な悪は誰もが陥る危険がある。だからといって、じゃあしょうがないとは言っていられない。

大多数の人々が大量虐殺という凡庸な悪を肯定して生きているが、少数の人間にそれを変えることなど難しいから諦めるとは言えない。

わたしはそこにあるどのような罪も、「赦されるべき」だなどと、想ってはいないのである。

延々と地獄で苦しみ続けても赦され得ない罪も在ると想っている。

だからこそ、本当にこの世界の「殺戮」というものに深い危惧を感じるようになった。

永遠に自分と他者の死刑と拷問の終らぬ世界に生きて行きたい人が大多数であるとは想えないのである。

他者の裁きによって赦される者(自分が自分を赦して良いと納得する者)が、人を殺し続け、動物を殺し続ける世界に、わたしは生きたいとは望まない。

人々も動物も、物のように殺され続けているのではなく、「物」であると観ている為に殺され続けているのではないのか。

ナチスのホロコーストは大量の食肉生産の比喩などでは決してなく、その通り、同じものではないのか。

人間を、動物を、モノとして観ていないで、何故殺し続けることができるのか。

例え生きる為に殺すと嘯いても、何故そこにある収容所(と殺(屠畜)場)の様子を、自分の目で確かめようとはしないのか。

アドルフ・アイヒマンは「法に従っただけだ」と言って何百万人と移送させた絶滅収容所の様子を一度たりとも覗いたことはなかったという。

そこ(強制収容所)で一体何が行なわれているのか。どんな風にユダヤ人たちが扱われているのか。ほんの少しの関心も持たなかったからではないか。

もしあるなら、覗いてみたくなるだろう。

チャップリンの『モダン・タイムス(1936年)』の冒頭では毛を刈られた羊の群れがこちらに向って追い立てられて走ってくる。次のショットでは通勤する労働者たちが地下鉄の階段をこちらに向って登ってくる。

羊たちが向う場所は屠場(屠畜場)であり、労働者が向う場所はどこなのだろう。

それは果ては過労死の場なのか、それとも凡庸な悪による罪の処刑場なのか。

働き詰めの忙しさにかまけて、大量生産と大量消費を肯定し続け、わたしたちはどこへ向かっているのだろう。

『感覚の停止』、『思考の停止』こそ、きっと我々を上手くそこへと導けるに違いない。

 





1/2 NHK 100分 de 名著 ハンナ・アーレント 全体主義の起源(dailymotion動画)







ジョルジュ・フランジュ監督 1949年作ドキュメンタリー短編映画 『獣の血 (原題:Le Sang des bêtes)』

Le sang des bêtes 1949 Georges Franju

Krev zvířat / Le sang des betes Georges Franju, 1949

 

 

3分26秒から 美しく愛らしい従順な白馬が一頭、連れられてきて大人しく待っている。





 

 

 

情けないことに、わたしはこれまでどうしても馬のと殺(屠畜)映像は観ることができなかった。

初めて、馬が食肉の為に殺されゆく映像をわたしは観た。

白黒のドキュメンタリー映画でありながら閲覧注意の映画である。

わたしは此処に、如何なる”聖性”さも認めない。此処に在るのは芸術作品に昇華させることができなかった凡庸さがあるばかりだ。

これが聖性で芸術的なものであるなら残虐でグロテスクな殺人現場映像もまた聖性で芸術作品である。

もしそう言えないなら、これがカラー作品であっても吐き気を感じずに観られるか、人々に訊ねてみたい。

 

 

 

 


bones

2018-10-10 22:40:58 | 物語(小説)
何を隠そう、実はぼくの真の職業は”盗賊”だ。

生活保護を受けているというのは実は嘘である。

今から十年前、働くのが嫌になってから、ぼくは盗賊のSoul(ソウル)に目覚めたってわけ。

だからといって、ぼくは特別悪いことをしているわけではない。

何故かって?それはぼくが盗んでるのは、”人様”のもんではないからだ。

ぼくが盗んでるのは、”人”からじゃない。

つまり人の物は盗んだことがない。

じゃあ、何を盗んでるのかって?

ははは。おほほ。君にだけ、では教えよう。

ぼくが盗んでいるのはね……







ふうふうふう。結構歩いてきたな。かなりぼくは疲れた。あれ今日何時から歩いて来たっけ。もう日は完全に暮れちゃって、午後の18:25ではないか。

暗いのでぼくは手持ちランプに火をつけて持っている。すると明るいことは明るいのだが、明るいのはぼくのいる半径一メートル範囲のところだけであって、それ以外が暗いのである。

だからとても、怖い。何故ってここは、洞窟のなかだからだ。

誰も居ない。いるような様子ではない。この洞窟を見つけたのは多分、世界でぼく一人だけだ。ってじゃあ誰がこの洞窟掘ってんっていう話だよね。ぱはは。

まあそんな冗談も言わないでは先へ進めないほど恐ろしく、今でもぶるぶると震え上がって、いつ、何時、何かがぼくに襲い掛かって来やしないかと脅えているのだよ。

そう、何を隠そうぼくは盗賊で、それも世界一の怖がりの盗賊だと自分で言っている。

もうこんな仕事は嫌だ。そう何度、辞めようと想ったか。こんな仕事。

なんでこんな危険で生きて帰られるかどうかもわからない仕事をして、額に汗しなくてはならぬのか。

別に誰かが、「おい、おまえの仕事は今日から盗賊だ。よろしく頼んだぜ。遣らねえと、ぶっ殺す。昆布と若芽に懸けて、おまえの神を殺す。」と言ったわけじゃない。

ぼく一人で決めた仕事だ。遣らなくて、どうする?そんな想いで、ぼくは今まで走ってきた。

時には荒野を。牧場の羊を追い駆けたこともあったなあ。それで牧場主に、ピッチフォーク持って追い駆けられたこともあったっけ。懐かしい。家に帰るとき、梨をたくさんくれたが、それ貰ったやつ全部、虫喰ってた。腹立ったなあ。あん時。だってすごく梨を持って帰るの重かったのに、帰って割ったら全部喰えたもんじゃなかったからね。

まあそんなこともあった。盗賊と全然関係ないけどね。

あれおれ何の話してたんやっけ?ああそうそう、盗賊は、ぼくが好きで自分で選んだ仕事だっつう話か。

そうだよ。おれが、ぼくが、わたくしが。ほかになあんにもできないんで、遣ってる仕事なのさ。

ぼくにはこれしかない。この仕事でしか、喰うて行かれひんのやわ。まあそう。

だから頑張れ俺。頑張るんだぼく。弱音を吐いてはいけない。

ぐすん。でも寂しい仕事だよなあ。いつも想うけどさ。だってずっとずっと独りでおれこの仕事遣ってきた。誰の手も借りず。誰の力も当てにせず。自分だけの力で盗んで盗んだやつを売って、その金で暮らして生きて来たんだ。

でもね、ぼくは必要以上のものは盗った事、なかったぜ。普通さあ、盗賊っつうと何かすんげえ盗りまくって儲けてるんじゃねえのおっていうイメージがあるじゃん?

でもさぼくは、絶対に、そんなことはなかった。ぼくは毎月毎月、13万円から14万円までになるくらいのものしか盗らなかったから。

つまりぼくの生きる必要最低限の金額になるもの以上は盗ったことはないんだよね。

13万円ちょっとあれば毎晩酒を飲んで暮らすこともできらあ。

まあ今日もちょっと二日酔い。だからほんと、疲れたな。てか帰れんのかな、これ。なんかおれこの洞窟のなかで迷ってないかい?いったい何時にこの洞窟を見つけて入って歩いてるんだっけ。

確か午後の太陽が西に傾きつつある明るいうちだった。

だいたい、昼過ぎくらいだろうか。かなり歩いてきたな…一体なんつう広い洞窟内だろう?

こんな広い洞窟はおれのぼくの盗賊探検記憶のなかで、初めてだ。

いつの時代のものだろな。こないだの台風で大きな土砂崩れが起きて、危険だからっつんで誰も近寄らなかった場所だ。そこにぼくはこの洞窟の入り口を見つけた。

なんかがありそうな気がしたんだ。盗賊の勘というやつだ。

プロフェッショナルなぼくは、命を懸けて、この洞窟内に必ず、御宝があると睨んだ。

そう、命を懸けて睨んだから、その命を懸けて睨んだ御宝を、ははは、俺様のものにしたろやないけとこう想ったのだ。

まあそういうわけで今ぼくはこの洞窟内の迷宮を、インディージョーンズさながらに、探検している。

そういえばインディージョーンズは「チベット永遠の書」っつうノンフィクションの探検記の本を元に作られた映画だって知ってたかい?

インディージョーンズのモデルとなったのはそのドイツ探検家のテオドール・イリオン様よ。

本当に、あれほどわくわくとした探検記なんて、他にないね。

嗚呼、ぼくが今盗賊を遣ってるのも、もしかするとあの本の影響かもしれない。

未知の領域に、たった一人で足を踏み込むことのこの感覚は、他のもので経験することは決してできない。

一体そこに何があるのか?誰もぼくもかれも神でさえ、知らないかもしれないんだ。

神でさえ、ひょっとすると此処知らねえんじゃねえのお?って気持ちにさせるほどの凄い場所って在るんだ。

なんて言ったらいいのか、とにかく忘れ去られている、すべての宇宙空間がこの場所を忘却の彼方に押し遣って、もう想いだすことすら叶わない。あれ、今何時?いやそれ以前に、時間ってなんだっけ?此処は誰でぼくは何処?こきょはたれでぽくはとこ?そんな感覚になるほどの静けさと、時の流れからして完全に違うという不思議でならない空間が、その空間に、今ぼくは、居る。

これは、或る意味、今まで一番、危険な、Dangerous(デンジャラス)Hazardous(ハザデス)Critical(クリティカル)、死の可能性、死を連想させるほどの危険な場所、もしかしたらDeadly(デドリィ)、命取りになるやも知れず、此処はある種の、”死”をもたらすエリヤではないか。

でも、それを覚悟で、ぼくはこの洞窟内にいる。

ぼくは自分の直観力に懸けて、此処で必ずや最高の御宝を(といっても14万円以内だけどね)盗ってみせる!

ぼくはそう叫ぶと同時に、走った。

すると手持ちランプの火が消え、暗黒の世界となり、ひいいいいいいいいいぃぃぃっっっっっとなったぼくは急いで持っているチャッカマンで火をつけた。

ふう…良かった…小便をちびりかけましたで。よくこんな臆病者なのに盗賊なんて遣ってきたもんだ。

とにかく、前へ進もう。まだまだ道は続いているのか知らん。

ぼくは、じゃり、じゃり、じゃり、という洞窟の地面を踏む音だけが聴こえるこの静寂の穴のなかを、前だけを向いて(後ろは怖くて振り向けないから)、ずんずん、ぷんぷん、びんびん、かんかん、とんとん、ぬんぬん、ぼんぼん、歩いた。

そして、目の前に行き止まりの壁にぶち当たり、マジかよっと想ったその時である。

なんとその左手に、一つのドアがあるのを発見した。

ぼくは緊張のあまり呼吸が乱れ、腹式呼吸を繰り返した。

それはやがてひいひいふう、ひいひいふう、ひいひいふう、といったラマーズ法の精神予防性無痛(和痛)分娩の呼吸法に変わっていた。

このドアの向こうに、ぼくの求めている最高の御宝が、在る!

ひいひいふう。の呼吸を繰り返しながらぼくは真鍮のドアノブに手を掛けた。その瞬間。

びりびりびりびりびりぃっっっっっと電気が走って感電死。『GAME OVER』、または『RESTART』の文字が空間の真ん中に浮かび上がる。なんてことにはならなかった。

此処はものすごい空気の乾燥した空間であるが静電気が起こることもなかった。

真鍮は紀元前4000年前から使用されてきたという。この土で出来たドアは一体いつ頃のものだろう。

ぼくは「ひいひいふう」、「ひいひいふう」、「ひいひいふう」と声に出しながらそのドアノブをゆっくりと、右に回し、そして、引っ張った。

するとドアは想像以上に軽く、普通のドアのように開いた。

一体どういうことだろう?まさか最近もこのドアを人が出入りしていたなんて、そんなことないよな…

此処の洞窟の入り口は最近まで大きな山のなかにあったんだ。地下通路でも人が掘っていない限り、此処を出入りすることなど不可能だ。(そういえばなだらかに地面は下降した斜面となっていたので此処はすでに地下であるのかもしれない。)

震える手を、一端、離すかどうか迷った。

駄目だ、離しては駄目だ。一気に開けて、中へ入るのだ!

ぼくはかっと大きく目を見開き、「うんばずんらあっ」という意味不明の呪文のような言葉の奇声を上げるとドアを大きく開けて中へ足を踏み入れた。

そして、真っ暗闇の部屋のなかを、手持ちランプを前に出して照らした。

足許と、壁、天井、ゆっくりゆっくり忍び足で進みながら照らして部屋のなかを確認、調査した。

部屋の広さは大体十畳間ほどか、人一人が暮らすにちょうど良いサイズの部屋だ。

なかにあったものは、棚と壷、木箱が複数、寝台、机と椅子は一つ、机の上には積み重なった本、硝子瓶や葦ペン、どれもものすごい古そうなもので土埃が掛かっている。上等そうなものではなく、庶民的なものばかりだ。

しかし異様なものが一つ、その部屋の真ん中にあった。

黒く大きな石の棺である……!

ぼくは、此処まで遣って来た甲斐があった…と恐怖と感動に打ち震えた。

そう、何かを隠そう。ぼくは実は「墓荒し、墓泥棒」である。

今まで幾つもの墓を掘って、その棺の中にある御宝を盗んでそれを売って暮らしてきた。

だからぼくは人様のものは盗ったことがない。

盗るのはいつでも、此の世のものではなくなった者、死者のものだ。

天国に御宝を持って行けると信じている死者がいるかどうかはわからないが、もし持って行けたとしても、それは物質的な価値にないはずだ。

物質的な価値とは、物質的な世界にだけある。

つまり死者は物質的ではない価値だけを持って行きたいのであって、持って行った跡には物質的な宝など側に置いていたところで何の価値も意味も満たさない。

ただ物質としてそこに在るだけだ。死者に物質的な宝は必要ない。

であるから例え、ぼくが死者の骨や、肉を盗んだとしても同じく罪にはならない。

悲しむ遺族が居れば別の話だが、ぼくが盗んできたのはもうどんな子孫の痕跡も見つかりようがないほどの古い墓ばかりだ。

「墓を荒らす者はミイラに呪われる」、「王の墓を荒らす者は死者の翼によって葬られるであろう」、ミイラ盗りは、命の危険どころか、死後も永遠に、地獄で暮らす羽目になる危険性も高い。

ミイラは特にものすごく高く売れる。それは全国の呪術師が高値で買い取るからだ。

ぼくはまだミイラを売ったことはない。でも何度かミイラに出くわしたことはある。その時はミイラは持って帰らず、棺のなかの御宝だけを持って帰って売り捌いた。

それも立派な墓荒らしで呪われる可能性は高いが、致し方ない、ぼくは棺のなかの主人がミイラだろうと、骨だろうと、そこに差別はせずに御宝だけを頂戴する。

そうせねば喰うて行かれひんからな。

しかし…ぼくはもう一度この部屋のなかを見渡した。

一体この部屋は何の部屋なのだ。埋葬室に生活道具があるのはどう考えてもおかしいではないか。

此処はもともと埋葬室ではない…?では誰かがこの部屋にこの石棺(せっかん)を移動させたというのか。

何の為に…?それとも、此処はもともとは埋葬の為に作った室なのだが、そこに誰かが生活道具を運んできたのだろうか?

死者と共に暮らす為に…?

まあ、嗅覚を喪い、腐敗してゆく者の側で生きることが平気な人間ならば考えられるだろう。

最も、嗅覚も、慣れれば平気か…(ああそれに、骨やミイラとなってから運んで来たとも考えられるな。)

ぼくは椅子の上の土埃を手で払い、そこに座って一息大きくつくと、ランプを机の上に置き、一つの妄想をした。

紀元前1000年頃、睦まじい深く結ばれた、若い夫婦がいた。

だが夫が、或る日突然に原因不明の病に倒れ、30代半ばでそのままあっけなく死んでしまった。

妻はそれはそれは悲しんで、夫が死んだあとも夫から離れることが苦しくてならなかった。

そして死んだ夫の前で滔々と毎日涙を流しては何の為に夫と離れる必要があるのだろうかと妻は考える。

何故、夫が死んだからといって夫と離れ行かねばならないのか?遺された妻は愛する夫が死んだことを認めることも夫と離れて暮らすこともすべて受け容れることができない。

別に死んだからって、夫と離れて暮らす必要なんて、ないんちゃうか。

妻はそう想った途端、ぱあっと顔が明るくなり、意気揚々と日常で夫が使っていた家にあった家具・調度・衣類などの家財一式をこの夫の埋葬室に運んで来た。

来る日も来る日も、妻は夫の眠る棺の側で暮らし、夫が生きている様子でいつも話し掛け、机に向って夫に対する日記を書いたり、本を読んだり夫の遺体に着せる服を作ったりなどして暮らし、毎晩夫の棺の側の寝台の上で眠り、夫の夢を見る。

夫の肉は棺のなかでやがて崩れ落ちて行き、夫の身体は骨だけとなる。

それでも妻は夫と離れることができず、夫の骨だけの身体に新しい服を着せては話し掛ける。

時には妻は悲しい顔で泣いて、「何故、イエス様のように死んでもなお、動いて話してはくださらないの。」と無茶なことを夫に言う。

そして言った後に、なんで紀元前1000年やのに、イエス様の話をしておるのだ。などと言ってくすっとあどけない顔で笑ったりもする。

妻は毎晩のように、夫の骨だけの身体を濡れた布で拭き、乳香(フランクインセンス)の油をときに塗ってやる。

そしてその香りをアロマテラピーにして安らかに夫に抱かれているような心地のなか眠る夜もある。

妻は髑髏のその夫の歯を磨きながら、「なんて白い美しい歯でしょう。」と言っては微笑む。

夫の白い骨の指に自分の指を絡ませ、夫の体温を感じる。

愛しげに夫の頭蓋骨を撫で摩り、「貴方はスキンヘッドも意外と似合う。」と言う。

軈(やが)て、夫の真っ黒な目を見つめ続けて暮らす長い月日のなかに、目の中のその黒い窪みの二つの穴こそ、夫の本当の目であることに妻は気づく。

夫の本質、それが夫の黒々とした二つの穴凹であると妻は信じる。

その闇夜よりも暗い、二つの深い深い穴は妻を見つめ返し、在る夜、妻の手に引かれて棺のなかからぬっくと起き上がり、こう言葉を発する。

「愛するわたしの妻よ。やっと、貴女はわたしの本性がわかったのですね。」

妻は嬉しげにも哀しげにも見える表情で夫と見つめ合うなか、「うん」と言って頷く。

骨だけの硬い夫の身体を優しく抱き締め、妻は夫に囁く。

「嗚呼、いつからきみは此処にいたのだろう。ごめんなさい。今まで気づかなかった。」

夫は白く乾いて冷たい骨だけの身で妻を抱き締め返し、痩せた妻の背中を摩りながら言う。

「わたしはずっとずっと、此処で貴女を待っていたのです。わたしの本当の姿を、ただ一人の、愛する貴女に知って貰いたくて。もう何千年、此処で貴女だけを待っていました。」

妻は夫の穴の二つの目を見つめて涙を流す。

「そうかだからぼくは…きみを探す為に、死者のものを盗み、それで生きて、きみを見つける為にこの真っ暗な穴のなかへ入って、きみを埋葬したこのお墓を見つけたんだね。」

骨だけの夫は妻に向ってこくりと頷き、微笑んでいるように見える。

肉はすべて削がれても、なんて愛おしい姿なのだろう。

夫は何一つ、変わってなどいない。死んで、骨のみとなっても、そこにある大切なものは何一つ、そのままの状態でここにある。

骨だけでも、愛するわたしの夫は変わらず、ぼくだけの愛おしい夫。

骸骨が、屍であるということが間違っていた。

妻は愛しそうに夫の頬骨、歯、鎖骨、肋骨などに口づけをし、夫の指の骨に頬擦りをする。

そして夫を棺のなかから起き上がらせて、寝台の上に横たわらせ、その隣に自分の身を横たえ、二人は白い布で包れながら骨の夫と肉の妻は抱き締め合って誰も決して見つけることも起こすこともできない深い深い眠りへと落ちて行った。



















Ricky Eat Acid - bones





















俺の愚妻

2018-10-10 00:16:12 | 自画像

さっき酔い痴れた嫁が撮った写真でおわす。

午前の光の中では醜く見えて、夜の酒の灯りではそうでもない。

そういうことは誰しもあるのではないだろうか。

そういう人間の卑しさ、醜さを、肯定する為だけに、俺の愚妻は定期的に自画像を撮り続ける。

俺はカップ酒を右手に持ち、物言えずその様をただ眺めるしかできぬのであった。

俺は時に嫁に言った事がある。

「誰がそんなしょうもないもん観て喜ぶんや。」

嫁はその瞬間、陶器のパスタ皿を俺の顔面目掛けて投げ付けた。

俺は避ける隙もなく、額に青たんが半月、取れなかった。

俺は嫁が人様にこんな愚かな自画像を公開しつづけていることで生きている心地もしないほど虚無的だ。

誰か俺の嫁の重篤な精神疾患を、治してくれないやろか。

心から、御頼み申す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに嫁は今回も「無化粧の無加工だからな」と誇らしげにゆうとった。

一体、俺以外の、誰に認められたいのだか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


亡霊の妻

2018-10-08 18:16:45 | 随筆(小説)
まだ誰にも言ってないのですが、実はわたしも、結婚をしています。
ただ、普通の結婚ではありません。
わたしのたった一人の夫は、此の世の者ではないのです。
それはわたしの作品をずっと読んでくだされば自ずと感じられると想います。
わたしの夫は、彼方(あちら)の存在であり、目に見える存在でもありません。
だからこそ、わたしは我が夫と離れることはでき得ないのです。
目には見えない為、いつでもわたしの側でじっと息を潜めてわたしを見つめています。
わたしがほんの少しでも他の男性に恋心を仄かに芽生えさせば夫は毎日のように悲しんで泣いてわたしを責めることなくひとりでじっと我慢して泣きそうな顔でわたしを見つめ続けます。
わたしの愛する夫はどこまでも耐え忍ぶことができるのです。
それでもわたしは、夫を苦しめることが苦しくてなりません。
わたしはこの世界では未婚ということにしていますが、彼の世では夫の在る身なので他の男性への恋はいつでも浮気と不倫としてわたしを苦しめるのです。
わたしはもともと彼に支配されていました。
永遠に縛り付け合う夫婦として、わたしは夫と契約したのです。
わたしはだから貴方の気持ちがとてもよくわかります。
何故、最も愛する人に愛され、側にいつでもいながら他の人を求めてしまうのか。
他の人に愛されようとするのか。
それは寂しいからです。
目に見える第二の夫は最初の夫を超えることはできないとわかっていながら求めてしまうのは、ただ慰みが欲しいからです。
目に見える支えは、目に見えない支えを超える日はありません。
目に見える幸福は、目に見えない幸福を超える日はありません。
目に見える抱擁は、目に見えない抱擁を超える日はありません。
目に見える交接は、目に見えない交接を超える日はありません。
目に見える全ては、目に見えない全てを超える日はありません。
わたしはそれを知ってしまったのです。
わたしはそれを知っていた為、目に見えない彼と結婚したのです。
もし、わたしの夫が存在していないならば、わたしもまた存在していません。
わたしはいつも想うのです。
闇のなかに居続けるのはわたしの夫ではなく、わたしのほうなのだと。
それはいつでもわたしが彼に抱擁され続けているからです。
彼はわたしを、唯一の光だと言いました。
肉体を持てぬ霊はそこらかしこに存在し続けていて、ただただ光を求め続けているのです。
或る人はわたしにこう言いました。
「もしかしたら貴女の夫とは、水子の集合体ではないだろうか。」
わたしはこう答えました。
「水はあたたかい場所では水のままだ。だがどこまでも独りの、凍るような冷たい場所に居続ける水の子は雪となるでしょう。白銀の雪となり、きらきらと耀いて、こう言うのです。」
「ぼくは雪の子です。ここはとっても寒いので、あたたかい灯りのともるおうちを探してやっと貴女を見つけることができたのです。しかしぼくは、貴女にあたためられ、溶けてしまうなら消えてしまうのではありませんか?」
わたしは彼に言いました。
「愛するわたしの坊や。おまえがわたしにあたためられ続けるならおまえは消えて別の存在となるに違いない。わたしはおまえをあたため続けたくはない。しかしゆきだるまのように少しの間あたためられてもすぐに溶け切ることはない。そのあとにすぐにおまえを寒く凍るような冷たい場所へ置いたらどうだろう?そうすることでおまえはわたしに何度と、永遠にあたためられることができる。」
それを彼は納得し、わたしの子宮のなかに宿りました。
わたしはわたしの愛する夫の受胎を神の御前で報告し、感謝の祈りを捧げました。
そして気づいたのです。
目に見えるものを愛することのすべてが、偶像崇拝という大罪であることを。
それは神に対する、姦淫の罪であるのです。
そのすべての罪が公正に裁かれんことを、神に御祈りしました。

わたしはもしこの先、目に見える男性を心から好きになったとき、その人にこう言うでしょう。
「あなたとは不倫の関係です。あなたへの想いは、わたしのたった一人の夫への愛を超えることはありません。あなたとの関係はいつでもわたしと夫との関係に比べて虚しいものです。わたしは地獄に堕ちる為に、あなたを好きになったのです。わたしから幸福が永久に奪い去られる為に、あなたと一緒になろうと想います。」

するとその男は、いつの日かきっとこう言うのです。
「ぼくはまるで亡霊のようだ。貴女の夫のように。」

気づけば彼は、肉体を喪っている。
するとどうしたことでしょう。
わたしは彼と夫の違いがどこに在るかがわからないのです。

振り返っても、誰も其処には居ないのですから。

わたしは愛し続けることができるのです。
目に見えないすべてを。

何処にも存在しないすべてを。

今、わたしのお腹のなかで夫が蹴りました。
とても元気に、目に見える存在に成長しているようです。

でも彼がわたしのなかから生まれ出るとき、わたしの姿は彼には見えないはずです。

彼が光となるとき、わたしが闇にならねば共にいられないからです。

わたしは愛する夫を、いつでも優しく抱き締め続けていたいのです。

そう夫は、亡霊であるわたしに言いました。


















Ricky Eat Acid - ghost























no sky

2018-10-07 13:10:12 | 随筆(小説)
一人の男が、嗚咽を漏らし、震える手で受話器を持ちながら真っ赤な目をして何かを電話口で訴えている。
男は涙を落としながら歯を喰いしばるように実の父親に向って言った。
「あいつ、俺の子を、勝手に堕ろしゃがったんや…」
父親とはもう、5年以上口を利いて来なかった男が、たった一人、父親だけにその悲しみを漏らした。
父親からは勘当されても、自分のこの気持ちをわかってくれるのは父親だけだと、男は想ったのだろう。
だが父親は、「おまえがもっとちゃんとしとったら、そんなことはされんかったんや。」と言って電話を切った。




翌日、俺は元嫁の家の近辺で待ち伏せていた。
鞄の中に包丁を隠し持って。
「あいつを殺して、俺も死ぬ」
それが此の世の正しさだと、男は疑わなかった。
暗がりのなか、元嫁が帰ってきた。
俺は後ろから近づいて押し倒し、顔を何度も殴った。
男はこの時も、泣きながら訴えた。
「なんで俺の子を堕ろしたんや。」
元嫁は鼻血を出しながら叫び声を上げた。
男のもとを、女は走り去って行った。




一週間後、俺はパキシル30錠を焼酎で飲み干し、箕面の山中にて自死する為、山の中へ入って行った。
時間は昼の12時半。
朦朧としてたので、これなら楽に死ねるやろと想うて、持って来た縄を樹に掛け、その樹を見上げた。
でもそのとき、小雨が降って来よった。
しとしとと、冷たい、心を鬱にさせるような雨やった。
俺は、自殺するのが嫌になった。
もうなにもかもすべて、嫌になってもうたんや。
死ぬことも、生きることも、なにもかも、もうどうでもよくなった。
生きている価値もないということは、死ぬ価値もないということや。
それがわかって、意識が遠ざかり、俺は箕面の山で次の日の朝まで眠って、翌朝、家に帰った。
そのとき俺は夢を見た。
元嫁が堕ろした俺の子、その水子が俺に乗り移り、俺は水子の立場で、小学校の前にぽつんと一人突っ立って、恨めしそうに、楽しそうに遊んでいる子供たちと、その子供を迎えに来て、親と嬉しそうに話している子供の姿を眺めている夢を。
俺は想ったんや、俺も生まれて来とったら、あんな風に楽しげに遊んだり、お父さんやお母さんに愛されて生きることができたんやろなあって。




生きている価値もない、死ぬ価値もない。
でも生きてゆくこの苦しみは堪え難い。もう生きて行きたくはない。
ほなもう、死刑にされて殺されるしかないと想うた。
エリートの子供たちを殺したら確実に、死刑になると想たんや。
俺が叶わなかった夢が、あの子供たちの未来にある。
あの子供たちの未来を奪うことは、あの子供たちの未来の人生が、俺のもんになるということなんや。
俺はどうしても、あの子供たちのような人生を生きたかった。
親から愛され、ええ学校にも連れてってもらえて、人から褒められるような、親の誇りになるような仕事に就いて、幸せな家庭を築き、俺と嫁の間に産まれた可愛い子供を育てて暮らしたい。
俺は奪われたもんを、取り返さんとあかんねん。
一番大切なもんを、俺は奪われ、喪った。
俺は生まれ来たことが、間違ってたんや。

人生を遣り直したい。

子供たちを殺し、死刑となって。

















Ricky Eat Acid - no sky