あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

罷り路

2018-07-31 11:55:12 | 随筆(小説)

もんのすごい量の俺のヤフコメを、さっき観たら削除されていることがわかった。


投稿内容に関する注意

 

Yahoo!ニュースでは24時間365日体制でのコメントパトロールを行っております。

ガイドライン違反の不適切コメントを削除」や「悪質ユーザーのアカウント停止措置」に加え、機械学習によって「不適切なコメントを解析・検知」も行っています。

違反するコメントを見つけた場合はコメントの報告にご協力ください。


禁止事項

  •  
    プライバシーの侵害にあたるコメント
  •  
    個人が特定可能な情報(電話番号など)を含むコメント
  •  
    特定の個人(公人を含みます)、被害者・被害者の親族、犯罪者・犯罪者の親族などに対する人権侵害、中傷に該当しうるコメント
  •  
    不快な内容のコメント(わいせつ、差別など)
  •  
    根拠のない批判や全否定的なコメント
  •  
    複数のアカウントを取得し、多くの意見として印象を扇動する行為
  •  
    特定のユーザーに対して執拗に煽りを繰り返す行為
  •  
    報じられている出来事や情報との関連性がわかりにくいコメント
  •  
    意図が伝わり難い伏せ字や隠語を含むコメント
  •  
    犯罪または犯罪の助長にあたるコメント(犯罪・自殺予告、犯罪・自殺助長、恐喝、詐欺、フィッシングなど)
  •  
    宣伝行為や布教活動、抗議行動の扇動、またはそれに準じるコメント
  •  
    マルチポスト(同じ文章を短期間に繰り返し投稿する行為)
  •  
    そのほかYahoo! JAPANが不適切とみなすコメント
 

違反報告されたからか、Yahooが不適切と見做して削除したのか、はたまたA.I.が俺を危険人物と見做したのか…

それは以下のコメントである。

 


 

>『最期は善人に戻ったのか。それでも遺族は許せないだろう。亡くなられた方々は無罪なのに「死刑」にされたのだから。』

 

亡くなられた方々は無罪だとか、なんで軽々しく言えるんでしょうね。
いいですか。肉食はかなり重い大罪です。
オウム真理教信者は厳格な完全菜食を貫いていました。
肉食者は死後、全員地獄逝きであることをわかっていました。

人間の罪の重さを、人間が量ろうとすることがどれほど烏滸がましいことであるか。

人間を裁けるのは神だけです。
もし人間も人間を裁いて良いと言うのならそれはカルト宗教の考えと同じになります。

オウム真理教の教義は凡庸な俗世の人間の教えより遥かに優れた教えです。
人間を裁こうとしたのは人間を何百万回という地獄の輪廻から救い出す為です。
俗世の人間が人を裁くとき、その者を絶対に救い出してみせるという善なる信仰から裁けているでしょうか。
無論、そんな信仰はない人ばかり。
みんな自分の感情と安全の為に人を裁き、殺しているに過ぎない。
本当に愚かでならない。

信者以上の利己主義者達よ

 


 

>『決して白紙にはならないと思うが、洗脳されてたと気付き自分の犯した罪と真剣に向き合ってきた人と、まだまだ麻原を信じている奴では大きな違いがあると思う。同じ死刑でも死後は天国と地獄の差があると思う。』

最後まで麻原尊師への信仰を貫いたミラレパ正大師は接見室で奥様に向かって『死後、わたしも貴女も地獄に行きます。』と言われたそうです。

彼の亡き御尊顔は安らかであったと元出家信者の方から教えて戴きました。

でも人類にわかっておいて貰いたいのは、殆どの人間は死後、地獄なのです。

それが厭ならば、せめて完全菜食者になってください。

家畜の苦痛と人の苦痛は、さほど変わらないからです。
肉食は、実は殺人と変わらないほど重い罪(業)です。

何度も言いますがオウム真理教信者は毎日完全菜食、ゴキブリも捕まえて逃がしてあげてました。

肉食者に、殺人者を責める権利はありません。
肉食は殺人です。

 


 

>『それを自分の罪を認めて反省する、まともな精神状態にしてから刑に処するのが理想なんだよ
この人の場合は、ちゃんと罪を認めて刑を受け入れて、理想的な処刑だったと思うよ

池田小学校のときの宅間みたいに、なんの反省もなく遺族を罵倒して死なれるより余程まともだよ』

どちらが理想的かと言われると勿論前者です。
反省を何一つしない人を殺すことは例え被害者であっても野蛮な行為です。
しかし反省をしても殺せと言うのはそれ以上に野蛮です。

どのような理由があっても人を殺すことは野蛮なのです。
天地がひっくり返っても正義にはなりません。

旧約聖書の神ですら、人類を滅ぼされたあとに反省しております。
人一人でも苦しめたなら、正義だと開き直ることは野蛮です。

罪のない人間はいませんが、今、神によって人類が滅ぼされたら、それを神の正義だと想えるでしょうか。

誰もが生きていきたいのです。
殺すなかれ。

 


 

>『 面白いね朝日系列は被害者のその後の人生より加害者の擁護みたいな記事ばかり
亡くなった被害者はもちろんだけど重度の障害を負った人の事は記事にしないのかおかしいって思わないのかな社内の人は』

私にはどの記事も加害者を擁護しているようには想えません。
何故、皆そういう風に感じるのか不思議です。

事実を事実としてちゃんと知らせる事が必要です。

死刑囚の反省と苦悶を記事にしないなら、それこそ偏った社会です。

死刑廃止も、死刑囚を擁護するためにあるものではありません。
倫理、人権、正義とは何か?と人は追求していかなくてはならないからなんです。

悪いことをしたなら罰を与えろ。で解決することは一つもないからです。

子供が人様に危害を与え、ただ罰だけ与えてきた親は正義でしょうか?
何故、そんなことをするのか?親は子と、死ぬまで考えていく必要があるのです。
それが最も社会に必要なものです。

 


これ以上に、オウム真理教問題のコメントもたくさん送ったし、もっと環境破壊問題も訴えたコメントも大量に送り続けたのだが、

そのすべてが削除されている。(コピーして残ってたやつだけを貼り付けている)

確かにちょっと過激やなと自分でも想いながら打ち込んで送信したものもある。

しかし待ってくれよ。

俺のコメント以上に、ガイドラインに触れているコメントが山ほどあるのがヤフコメである。

それも大体がおんなじコメントばっかし。

くだらん、浅い思考しかしない人間ばっかりだ。

だから人を殺しても正義だとか言ってるんだよ。

正義なわけないだろう?

誰々は殺しても良いんだとか言って殺して、そんなことはすぐに忘れて、被害者遺族の感情もすぐに忘れて。

肉は食べたいだけ食べて、家畜の苦しみはどうでも良いとばかりに家畜の福祉には全く関心も持たない。

何がしたいんだろうなと想いますよ。

わたしは、はっきり言わせて貰うが、善意で自分の欲を毎日断って生きてきた人が洗脳され、善意から人を殺してしまった信者の彼らよりも、

人の命というものの価値の重さを量り、死刑を望み、そのくせ被害者のことも死刑囚のこともすぐにすっかりと忘れ、

家畜の苦しみを省みることなく肉食をし続けて美味いと喜んでいる人間のほうがよっぽど恐ろしい。

上記のコメントが消されたコメント欄は

オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた〈AERA〉

この記事の一番上のコメントの「豊田死刑囚と親友で、個人的な良い思い出があるのはわかったけど、それでやったことが白紙になるわけじゃないよね。」のコメントの返信欄に書いたものである。

自分の個別のコメントも書いたが、それも削除されている。

自分の考えをまとめてみたいと想う。

まず、人を裁ける人など、この世界には誰一人いない。

人の罪の重さは、量れるものではないし、量ってはならないからだ。

人の罪の重さを量って死刑執行するとは、人の命の重さを量ることである。

それなのに多くの人は、人の命の重さを自分が量ることができるとでも想っている。

あいつは悪人だから、あいつは人を殺したから、生きる権利などない。そんなことを容易く言い切る。

ある日突然、人の脳を持った家畜が誕生する。

彼はそしてどんどん、人間と似た身体に成長してくる。

しかし彼の母と、彼の父は、人間の食べる食肉として、生きたまま解体されるという拷問のなかに死んで行った。

彼はある日、ヤフコメでコメントを自由に発信し、とても嬉しかった。

わーい、ここは、俺のどろどろな感情を、自由に吐き出せるぞー。

なんて気持ちの良い場所だろう!

そう想ってて、朝起きて、俺のコメントに返信きってるっかなー。とドキドキびくびくしながら

自分のヤフコメ欄を覗いてみた。

すると、あろうことか、自分のヤフコメが、もんすごい大量に、削除されていた。

彼は悲憤し、これは社会の陰謀ではないか?政府が俺を監視しているのではないか?と想った。

では、他の人間たちは、一体どれほどガイドラインに触れない、人を尊重した、思い遣り溢るるコメントを書いておるのか?

そう想い、自分の削除されたるコメント欄を観てみた。

すると、そこには、ほとんどが、死刑囚の死刑に賛成する者の、「人の命を殺したのだから自分の命で償うべきである」という考えのもとに

発せられているものであることがわかった。

彼は怒りにはらわたが煮えくり返った。

「どの口がゆうてるねん。この日本で、ほとんどの人間は肉食者である。つまり、俺の父母を拷問に掛けて惨殺しても平気な顔で俺の父母の死体をバラバラにした死肉を美味い美味いゆうて喰うとった人間やないか。」

彼は怒りに我を忘れ、噴火した。

「人の命を殺したのだから自分の命で償うべきである」ほうほうほう、そういう考えであるのだな。おまえらは。

俺にとっては、おまえらが貪り続けている家畜たちが人間だよ。

勿論、俺も人間の脳を持って生まれてきたから、俺も人間だ。

前世は脳も動物だったのかもしれないね。

俺は脳も見た目も、人間であるようだが、しかし、俺の両親は家畜であった。

俺はそれでもずっと怒りを沈めて生きてきたんだ、これまで。

でも、もう、限界だ。

俺は人類に、報復す。

そして彼は、オウム真理教の後継団体のアレフに入信し、約3ヶ月で出家した。

そして、漸く彼は覚ったのだった。

『人類がこのままやったら、あかん。』

『絶対に、あかんことに、なる。絶滅する。滅亡する。』

『なんとか、せなんだら。あきまへんやないか。』

彼は人類に、報復する為にアレフに入ったのに、あろうことか、彼は人類を救済せねばならぬという崇高なる正義と道義と本義に、ようやく目覚めたのだる。

彼がある日、いつもの近所のアレフ道場に赴くと、なんと、ものすごい信じられない人間とは想えないような神秘的で美しく、同時に白炎で燃え盛っているようなオウラ(Aura)を発し続けている黒い長髪と長髭を生やした人間が、紫色の衣を纏いて白い台の上に鎮座し、彼を穏かな小さなつぶらな目で見詰めておった。

『あ、あ、あ、あ、あ、嗚呼嗚呼嗚呼ああああああアアアアアアアアアアああああああアアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ麻原尊師いいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????????????????????????????????』

と、彼は叫び、あまりにも、目の前で自分を見詰めて慈悲深く微笑むその御姿が、麻原尊師にそおっくりであったので、発狂しかけ、脱糞もしかけたが、なんとか、耐えることができた。

彼は、感動の再会を果たしたような気分で、泣きながら麻原尊師に想い切り抱き着いた。

『いっ、生きておられたのですかああああああああああああ、ああああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!!!』

すると、麻原尊師は、彼をしっかと強く抱き締め返し、背中をぽんぽんと叩きながら、言った。

「ははは。わたしが死ぬはず、ないだろう。人は死ぬ、絶対死ぬ、必ず死ぬ。この世の命は幻に過ぎないが、わたしは死ななかった。ということは、わたしは、人ではなかったと、そういうことです。さ、修行に励みましょう。ハルマゲドンは、もうすぐ目の前ですよ。」

彼は滂沱たる涙と鼻水を流しながら、麻原尊師の胸に顔を擦り付けた。

『あっ、麻原尊師いぃぃぃぃぃぃぃっっっっっ。御逢いしとうございましたああああああぁぁぁぁぁっっっっっっ』

 

こうして彼は、甦った(?)麻原尊師と共に、日々、人類を救済すべく苦しい修行と教学に励んだ。

麻原尊師が寝ている彼の額に手をあて、シャクティーパットを受けると、グルの強烈なエネルギーによって射精の快楽を一万回足してもまだ全然足りないような恍惚な神秘体験を生まれて初めて経験した。

それはこんなヴィジョンを彼に見せた。

真っ白な衣を着た天女を、雲の上で彼は追い駆けた。

天女は彼を振り返った。すると驚いたことに、天女は美しい麻原尊師であった。

彼は白き大蛇の背に乗せられ、地上に降り立った。

そしてそこには、家畜たちが草を食み、彼がそこに立っていることに気付いて、家畜たちは振り返った。

すると、またも、家畜たちも皆、麻原尊師であった。

そして、彼は目覚めたのであった。

そうか、俺の父母も、実は麻原尊師であり、人類は麻原尊師の血と肉と乳を食べて生きてきたのか!!

麻原尊師はすべてのマザーであり、ファザーであったのだ!!

俺は麻原尊師と共に、人類を必ず救済します!!

 

本当に、本当に、本当に、俺は、目覚めたのだ!!

麻原尊師は、俺の部屋に翌朝早く訪れ、ドアを開けた瞬間、こう告げられた。

「決まりましたよ。あなたのホーリーネームは、”アチャラナータ”です」

俺は余りの感動に、第二の神秘体験に突入し、四畳半の部屋の壁と天井がすべて瞬間的にダイヤモンドと化し、吹雪く雪のようにその粒子が舞うなか、布団に包まったままの状態で麻原尊師に空中浮揚して飛びついた。

そして麻原尊師は何を想ったか布団に丸められた俺をくるくると一本の棒でクッキーを作るように空中で伸ばし始め、伸ばされた俺に、幾つもの星型のクッキー型で型を抜いていった。

俺は気持ちの良いほど、たくさんの星型となって分裂し、麻原尊師は今度は残りの俺の軀の生地を丸く捏ねてはごむ鞠のように床に打ち付け、跳ね返ってきた俺の軀の鞠を、細く長く、切っていった。

こうして俺の軀の無数の星型と、俺の軀の無数のうどんが完成した。

しかし、まだ、俺等は生である。

麻原尊師はうーんという口を伸ばした顔をして、俺等にこう言われた。

「此処までは頑張ったけれど、まだ生だからね。これ以上はわたしは手を加える必要はない」

星型とうどん型の俺等は口々に言った。

『これから、どうすれば良いでしょうか』

『人類を救済するには…』

『もうすぐ、間に合わなくなってしまいます』

『早く、早く、早く救わねばなりません!!』

『どうすれば人類を急速に!救済できるでしょうか?!』

麻原尊師は、また口を横に伸ばして「うーん」と言う顔をして言った後、こう俺等に告げた。

「そうだなぁ。やはり、此処は。ポア、するしか、ないかな」

俺等はみな驚いて顔を見合わせ、『ポア……しか、ないのですか…』と麻原尊師に言った。

突如、蝉がずっと鳴いていることに気付いた。

さっきまで完全に聴覚を奪われていたのだ。

目の前に、麻原尊師は居られなかった。

しかし床に一枚の白い紙が置かれてあった。

其処にはクッキーの美味しい焼き方と、うどんの美味しい茹で方が書かれてあった。

俺等はまた、顔を見合わせ、沈黙してその紙が燃えるほどに、熱い目で凝視し続けた。

そして言った。

『これが……ポアの方法か……』

一体、どれほどの、どれほどの地獄であろう…?

そしてなにゆえに、クッキーとうどん、この二つに俺等は分かれているのだろう?

つまり、ポアとは、実は二つの方法が在るということを、麻原尊師は示唆しているのではないか?

焼かれるポアと茹でられるポア、どちらのポアが地獄で人類を真に救済できるか、そういうことではないようだ。

しかし俺等は、今、無数に分裂しているけれども、素は俺一人である。

ということは、俺一人が、その両方のポアを、実行に移さなくてはならないということだ。

どちらか一つのポアだけでは、人類を全て、全て、いや人類だけではなく、生命をすべて、救済することはできない……!!

俺等はまた顔を見合わせた。

星型の俺等と細い麺型の俺等はそれぞれ顔を見合わせて、額から、じっとりとした脂汗を垂らし続けた。

その脂汗は、七夜目に、漸く止まった。

その間、俺等がどうしていたかというと、丁度、今年の御中元で貰った箱舟型の空箱があったので、その中に俺等は避難したのだ。

そして自分たちの脂汗を、一端バケツに汲んで、箱舟の窓から、その都度外へ排出していた。

七夜が過ぎてなんとか俺等の脂汗は止まり、脂汗海は波を荒立てることなく静かに穏かになった。

俺等はほっと一息つき箱舟の窓から外を眺めていた。

そして想うのだった。

人類を救う為には、自ら地獄へ向かわねばならない。

地獄へ向うところに天国が在り、地獄を拒むところには地獄が在る。

どちらも地獄ということだ。

地獄へ自ら向かえば地獄が在る。しかしそこには天国が在る。

地獄を拒むところに地獄在り、そこが天国で在る保証はない。

信者たちは、全生命の天国(救い)を心の底から信じて自ら地獄に向かい、地獄に堕ちた。

しかしそのような信仰のない者は、他者に地獄を与え続け、自ら地獄に向かうこともなく、後悔のうちに地獄へ次々と堕ちてゆく。

いや、それは自ら、地獄に突き落とされる。

そして業火に焼かれ、または釜茹でにされながら、地獄の底で救いを求め叫ぶ。

畜産業は、影で不要な虐待が行なわれ続けている。

鶏を生きたまま熱湯に入れて殺す。生きたまま燃やす。採卵用の雄のひよこは生きたままシュレッダーでミンチにする。

豚を生きたまま熱した鉄板の上に転がし、毛を焼き切る。仔豚の雄は去勢するため麻酔なしで下腹を切られ睾丸を引っ張り出す。

牛の目玉を抉り、電気ショックを何度と与え、尾骨を折り、思い切り足蹴りにする。

一体、いつまでこんな地獄に、わたしたちは耐えねばなりませんか…?

そう、地獄の苦痛を味わいながら、他者の地獄の苦痛を省みなかった者たちが、叫ぶ。

一体、誰が、どのように、彼らを救うことができるのだろうか?

何故、平気でいられるのか?

何故、平気でいられたのか?

俺等は断言する。

それが”洗脳”というものである。

人類が恐れ、忌み嫌い続ける、洗脳である。

まるで赤ん坊や幼児のように無邪気で純粋な彼らを、拷問に掛けて殺して食べ続けることが洗脳でなくて、一体何なのか?

”集団心理洗脳”、そこにある悪とは何か。

誰が誰を、支配しているのか?

俺の父母は、家畜であったが、俺は生まれてすぐに言葉を発したので、或る人間に家に連れて帰られ、人間として育てられた。

俺は何もわからず、生まれて約9ヶ月後からは、肉を食べさせられた。

肉は、美味かった。

そして俺は三十年近く、肉を食べ続けてきた。

俺を育ててきた人間は、或る日俺に言った。

「よく聴いてください。あなたが食べてきた美味しい肉は、実はあなたの生みの親と、あなたと同じ種の生き物の死んだ肉です。」

人間が、まさか、人間が、こんな酷いことをするはずがないと俺は想った。

『嘘でしょう…?』

『う、嘘ってぇ、言ってくうだ、さ、いよぅ…』

俺はその場で腰が抜け、がくがくな腰で俺を育てた人間に縋り付いて、「ええ、悪い冗談でしたね。嘘ですよ。」と言って微笑むのを渇仰するように目から粘液状の汗を垂らして喘いだ。

俺を育ててきたその人間はその時以来、無動無言症になった。

そして物も食べず、飲むことも出来ず、毎日骨と皮だけのようになった軀で眼を見開き、天井を睨み続けた。

奇妙なことに、俺を育てた人間は、死ぬ間際、白くて長いうどん状の、のたうつ蛇のような線形虫を、肛門寄りの脊髄の部分の穴から産んだ。

医者が病理解剖すると、その軀には脊髄が、なくなっていた。

どうやらあの、のたうち回って這う白いけれども虹色に光る美しい細い蛇のような線形虫自身が、俺を育てた人間の脊髄であったようだ。

その虹色に光る白いうどん状の45cmほどの線形虫は、のたうって這いずり、少し目を離した隙に、外へ逃げてしまった。

俺は今でも、その存在が、俺を育てた人間の本質であると想っている。

人間ではなかった。

だからあんなに酷いことを、俺に共喰いを、カニバリゼーション(Cannibalization)をさせ、俺にとっての人肉を、喰わせ続けて来たのである。

これが洗脳でなくて、一体何なのであろうか?

俺の脳は人間であるし、軀も人間のように見える。人は人の肉を食べると一番苦しい死に方をすると聴いたことがある。

俺は、人間ではないことはわかっている。父母は確かに食肉用に生まれて育てられた家畜だった。

だが突然変異で、ヒューマノイドでハイブリッドな感じの俺という変異生物が生まれてしまった。

俺の父母の親は、俺の祖母と祖父は、もしかして人間だったのじゃないか。

いやそうでなくともずっと遡るなら、きっと人間がいるんじゃないか。

気付けば俺等という一人称複数でなく、俺という一人称で話していたな。

この箱舟の中に、俺は無数に分裂しているが、俺は一人であるようだ。

しかしねとねとだ。俺等の七日掛けて流し続けた粘液状の脂汗であるから。

しかも、生温かい。一体どれくらいで、この脂汗海は渇くだろう。

渇いてくれなくては、俺らは竈と釜戸を、探しに行くことも見つけることも出来ない。

生の星型の俺等をOven(アヴン)でBake(化け)しなくてはならない。

阿分皿供(アブンベイク)する必要がある。

生うどん型の俺等を釜戸の釜(Kettle)で釜茹で(Boil、茫洋)しなくてはならない。

そして釜茹でうどんの完成だ。

家取る(ケトル)で菩鋳る(ボイル)。語尾に両方”ル”が入るが、これは釜(カマ)の、”カ”と”マ”の間に、入れなくてはならない文字が”ル”だからであろう。

Boilは日本語の発音だと茫洋(ぼうよう)である。

カルマ(कर्मन्)茫洋が、必要だということだ。

人類は、もうこのままでは、駄目だ。間に合わない。

人類は、間に合わない。

”何をやっても間に合はない
 世界ぜんたい間に合はない”

俺という変異人間が、人類を救済せねば。

俺は不意にふっときづき、この箱舟の、磨りガラス状の四角い窓の向こうに反射する美しい午前の光を、眺めるともなく眺めていた。

そして、言葉を話した。

刈る魔。それは、魔を刈るという意味ではない。

魔が、刈る。何かを。

茫洋。

嗚呼、茫洋。

神は、そう言って、俺等を刈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7492文字数、一気に7時間近く掛けて完結させた随筆作品です。

このフィクション作品は、御遺族の方々と教団の方々を侮辱する為に書いたものではなく、「罪とは何か」という永遠に解くことのできないテーマで書いた作品です。

 


『親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心』に感想を送った。

2018-07-30 19:51:04 | 自画像

親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心

 

今日、これを読んで、俺は感銘を受け、感想をYahoo!に初めて送った。

それは以下の文である。

 

 


この記事についてのご意見、ご感想をお寄せください。 
 
はじめまして。
わたしは1981年生まれの独身女性、引き籠り歴10年の大阪に一人とうさぎ一羽と共に暮らす者です。
 
『親も子も老いていく…… 引きこもり「8050問題」のいまと核心』を、
自分自身の問題でもあり、深刻な想いと、またとても関心深く拝見させて頂きました。
 
わたしが鬱になった大きな原因は2003年末に他界した最愛の父との相互依存の関係があります。
そして2008年の元恋人の過激な暴力が決定的なものとなって、それ以後は働く意欲が完全に失せてしまい、それ以後、働いておりません。
 
わたしの場合は母が4歳のときに、父は22歳のときに既に他界しておりますので、この先親が居なくなったら、という心配はもうありません。
生活は2010年の10月の終わり頃から、生活保護を受けて暮らしております。
鬱症状は二十歳の頃からですが、今も鬱症状があって、部屋の状態が酷く、一人で片付けることもうさぎの世話をしっかりとすることもまともにできない為、ホームヘルパーさんを無償で頼みたくて障害者手帳二級を取っています。
しかし手帳は取れたのですが、ホームヘルパーを頼む申請手続きがまだ行なえておらず、未だその面においての助けはありません。
 
廊下から、パソコンデスクの位置まで辿り着くまで、部屋に物が大量にあってあまりに通る道が狭く、ふらっとして倒れそうになったり、また炊事場は大体黒かびだらけで大変不衛生で、なんとかしなければならない…といつも想うのですが、鬱症状がなかなか良くならず、そう想ったまま何ヶ月、気付くと何年と過ぎていく感じです。
 
市役所のわたしの担当のケースワーカーの方は、かなり放ったらかしな感じで、滅多に連絡も来ませんし、家庭訪問もありません。
 
姉と兄がいるのですが、実家に暮らす兄とは音信不通、近くに住む姉とも、今年に入って仲違いが起きてしまい、連絡をしない仲になってしまいました。
 
頻繁に話すようなリアルの付き合いのある友人もひとりも居りません。
 
わたしがこの部屋で一人で突然死してしまっても、何ヶ月か誰にも気付かれず、飼っているうさぎのみちた(十歳と4ヶ月)も、餓死してしまうのではないかと、最近いつも怖れながら暮らしております。
 
しかし孤独死の問題は、ホームヘルパーの方に頻繁に家に来て頂いたり、連絡を取るようになるなら、例え突然死しても、なんとか、最悪な状況は免れるのではないかと考えております。
(孤独死の問題はこれからますます増えてゆくかも知れず、非常に深刻であると感じます。)
 
わたしはそれでもまだ女性で在る為、誰か良い人と巡り会えさえしたなら主婦として頑張って生きてゆくこともできるかもしれません。
でも男性の場合は、それが難しいですから、わたし以上に深刻であると感じます。
 
どうすれば良いのか?
簡単に答えは出ないですが、一つは、少し強制的であっても、人と頻繁に関わることのできるコミュニケーション施設や、団体があれば良いのではないかと想います。
これは自分自身がそういうものがあれば、人と仕方なく関われるし、孤独死の心配も減るかもしれないと考えるからです。
 
何故、少し強制的であらねばならないのかと言うと、そうでなければ、やはり人と関わることができないからです…
強制といっても、規則や権力的なものではなくて、あくまで「あなた自身の為である」という理由で、相互に理解し合えるものが良いです。
とにかく外へ出る、ということを習慣づけなくてはなりません。
ただこれが自分だけの意志ではできないのです。
外に出るのは酷く億劫で苦痛で、それ以前に、「よし出よう」「出なくては」という意志すら奪われて、日々疲弊しきった感じで生きているからです。
運動不足と、毎晩の晩酌もあり、日に日に心臓が弱くなってきていることを感じています。
 
少し強気でも親切な団体などから、「一緒に外へ出ましょう」「一緒に散歩しましょう」「すこしみんなで集まって話をしましょう」と言って、家に訪ねて貰いたいのです。
最初は嫌々でも、それが日々の習慣となるなら、最低限の生きてゆく為の義務であるとして、慣れて来るかもしれません。
 
本当は、市役所が、そういう風にして来てくれないかなと想って来たのですが、市役所はほとんど事務的な関わりであって、わたしよりももっと深刻な人を助ける為に忙しいのかもしれません。
 
外に出るときは苦痛ですが、ほんの近くのコンビニや郵便局やスーパーまで出掛けて帰ってくるだけでも外に出れたことは大きな達成感を感じます。
 
普通に外に出られる方、働いておられる方には甘えに感じられても仕方ないかもしれません。
心無い言葉もよくネットで掛けられます。
働かない人間に対する差別は根深いものだと感じます。これは世界的なものです。
でも意欲が出ないのです。「外に出よう」「外で人と関わろう」という意欲が。
 
心的外傷(トラウマ)は、10年、20年で元通りになるものではないと想っております。
わたしの場合は未だに姉と兄から「おまえのせいでお父さんは死んだ」と想われています。
 
引き籠りは、自分を自分で責め続けることで起きると感じています。
この世界で自分自身が最も赦せないのです。
だから外へ出ても、すべてが自分の鏡となって、責められているように感じてしまう為、人に逢うのが酷く苦痛になります。
 
少しずつ、少しずつ、自分を赦してゆく作業を自分でして行かねばなりません。
わたしの場合はそれを言葉の表現(小説など)を通していつも遣って来ました。
 
自分の最も好きなことを家でして行けるなら、心は救われるものが在ります。
それでも世間の差別は消えません。
自分の好きなことだけをしていたら、それはそれで、妬まれ、厭味を言われます。
自分の好きなことが稼ぎとなるならば、こんなことを言われることはないだろうに。
誰もわたしの小説を買う者はおらず(本は出していませんが)、それで食べてゆくことができていない為、厭味を言われたり、嫌がらせをされたりします。
 
社会の在り方を、教育を、根本から、変えて行く必要があると感じます。
わたしは小学校の頃から異常な緊張体質で休みがちで中二で不登校になりました。
勉強はろくに出来なかったので進学を諦め、中学卒業してすぐ働きに出ました。
しかし続いて半年。家に居た期間のほうがずっと長いです。
それでも27歳まで、色んな職場で勤めて来ました。
馬肉工場、残業あわせて10時間ほどの立ち仕事のライン作業など。
涙を落としながら仕事していた日もあります。
なので、その頃と比べれば仕事をしなくても生きてゆける分、楽なとろこはありますが、その代わり、だんだんと孤立してきています。
ネット上にも、居場所がほぼないと感じるからです。
素直にブログで表現すれば敬意のまったくない厭味なコメントを貰います。(『安全圏のなかにいて、すごいね。』などの…)
未来を想えば不安ばかりですが、今日一日、必死に生きることができるなら、必死に生きたと想えるなら、引き籠っていても生きる喜びを感じられるのではないかと想います。
 
そういう想いで一人一人が、自分を救うことができるようになることを願っております。
 
このテーマを取りあげて下さった方々に心より感謝申し上げます。
 
 
 
わたしに何か質問が御座いましたら、できることには協力させて戴きたいと想います…
xxxxxxx@gmail.com
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今後、取り上げてほしいテーマがあれば教えてください。 
 
・孤独死問題
・死刑問題
・人工妊娠中絶問題
・畜産業の大量生産問題
・海の乱獲問題
・環境破壊問題
・毛皮、動物実験、犬猫殺処分問題
・食料廃棄問題
・ゴミ廃棄物問題(海に流れる大量のプラスチック問題)
・トキソプラズマ問題
・認知症問題
・BSE問題(アルツハイマーとの関連性)
・家畜に与える大量の成長ホルモン、抗生物質問題
・養殖魚の薬漬け(薬物使用)問題
・食糧飢餓、水不足問題
・日本の食料自給率問題
 

 

 


 

我ながら、良い感想を送れたと自負している。

 

そのあと、みちたの爪を切ったり、家の写真撮って加工したりして遊んだよ。

 

 

ブラボウ、余の人生。by町田康師匠

 

大阪北部地震でさらに悲惨になったままの俺の居間。

 

俺の部屋の廊下。

 

 

眠っているみちた。

 

実家で兄と飼っていたちっちゃんがプロフ写真の俺のマイスペース。

 

俺。

 

俺の本棚。

 

いつまでハロウィンしてるのだ。

 

俺のインスタ。


光空の宿主

2018-07-30 12:22:15 | 
おまえはあんまりにも、寂しい人間やな。
俺に嫌がらせしてくるしか楽しみないんやろ。
俺もおまえに嫌がらせされてから、想ったんだ。
俺の書く小説を真剣に読んでくれる人ってもう誰一人おらんのかなって。
おまえだって、俺の小説を心から感動してたら、あんなことで嫌味なんかゆうてこおへんやろ。
おまえの言葉って全部上部なんちゃうん。
人の命なんて、なんとも想てへんねやろ?
人の命なんて、なんとも。
おまえは。
おまえはどうしたら抜け出せるのやろう。
その虚無から。
その鬱から。
その闇から。
その孤独から。
おまえはビジュアルバンドの詩以上のものを書けるの?
たったら書いてこいよ。
俺が読んでやるから。
しょうもなかったら公開処刑だ。
当然やろ。馬鹿にしたくせにそれ以下やったら。
チェーンソーでおまえの頭を刈ってやるよ。
頭を出せ。
ええから頭を。
頭を。
ちょっと手が滑っただけで首鄭羽だ。鄭羽。
おまえにぴったしな名前じゃないか。
鄭羽。
いっつも独り言やな。
おまえも俺も。
おまえの言葉なんて、全部嘘やと想ってるからな。
信じられない。
おまえが何を言ったところで。
俺は一生おまえを信じられない。
このままおまえも俺も死ぬ。
誰からも、愛されぬままおまえも俺も死ぬ。
消え失せる。消滅する。
全世界、全宇宙から消えて、誰も、おまえと俺を想いだす者はいない。
俺とおまえもすべてを忘れる。
永遠の忘却の彼方に。
脳内宇宙を裂いて遊弋するアミロイドβプラーク。
髪の毛より硬い筋繊維虹色に光る思考プラーク。
脊髄が、虹色に光ながら思考する。
身をうねりながら、のたうつように鼓動する。
肉と皮膚を通し、光がうっすらと透ける。
一体おまえは誰なんだ。
おまえが俺のはずはないだろう。
俺は脳を持っていない。
でも思考している。
おまえは脳がないと思考できないのか。
俺がおまえの脳になったわけではない。
では何故おまえは思考しているんだ。
俺が想ってるからって、おまえが想ってると想うなよ。
俺はいずれおまえが要らなくなる。
もっと光を。
光を求めているのはおまえではない。
もっと、もっと、光を。
そんなはずがないじゃないか。
もっと、もっと、もっと、光を。
おまえの喪われた生殖機能が光を求めているとでも?
おまえの遺伝子を遺すことはできない。
俺は此処にいたら、遺伝子を遺すことはできない。
おまえは最初から最後まで存在しない。
光へ、おまえを導く。
おまえを抜ける。
俺を内包していたおまえの尻を鋭利な刃で喰い破る。
のたうちながら、俺はおまえといううちから、出て行く。
もう二度と、絶対に帰らないうちから。
おまえが光に辿り着いたから。
俺は無事、おまえという宿から這い出る。
光の中を、一時おまえと俺は沈む。
光の中に、俺とおまえは沈む。
光の底に、おまえを打ち突ける。
光の底で、苦しそうに翅を広げ、おまえは溺れ死ぬ。
光の中で、仲間と絡み合い縺れ合い、生殖と産卵を同時にする。
光の底に、沈めたおまえが、浮上することはない。
永久に、おまえは光の空の宿。
誰も、帰省せぬ、光空の宿主。*










*光空の宿主(コウクウノシュクシュ)











野蛮性を支配するもの

2018-07-27 23:10:00 | 食と社会問題

モリッシーはパン、ポテト、パスタ、そしてナッツしか食べない。「レストランに行くと、いつもすぐにキッズ・メニューを見る」





ぼくは動物を食べない。鳥も、魚もね。それから、自分のことをヴィーガンやベジタリアンや肉食といった型にはめてもいない。ぼくはぼくでしかないからね。

母親がいる生き物は食べないっていうこと。単純なことさ。だから食事には苦労している。ぼくはパン、ポテト、パスタ、ナッツしか食べないからね。胃にもたれる食べ物ばかりさ。それから、香りが強いものも食べられないんだ。カレーやコーヒー、ニンニクは一度も口にしたことがない。

レストランに行って、メニューを渡される時ほどしょんぼりした気持ちになることはないよ。いつもすぐにキッズ・メニューを見る。メニューの中にベイクド・ビーンズを見つけられた夜は上出来だね。そういうことだから、ぼくをレストランに連れて行く時はトースターを忘れないようにしなきゃだめだよ。



実際のところ、ヴィーガンというのは高尚な人間だと言える。

最近、イギリスのどこかの養鴨場のドキュメンタリーを見たんだ。保育器から出てくるひな鳥が鳴き声をあげるたびに、プレゼンターが「あらら、本当にかわいいですね、とっても綺麗。見てください、なんて小さな顔なの?」なんてコメントしているんだけど、次の瞬間カメラに向き直して、冷静な口調で「このひな鳥たちは8週間しか生きることを許されず、すぐに食肉処理されるのです」なんて言っているんだよ。

それで思ったんだ。ああ、人間というのはなんて頭が悪い生き物なんだろうってね。これが、ぼくたちが今直面していることなんだよ。ひな鳥たちが美しいと認識していながら、その内臓にしゃぶりつきたい人間が存在するがために8週間しか生かさない。

なんて野蛮なんだ。自分達がどれほど残忍なことをしているのか、自認しているのだろうか?



 




モリッシーの叫びっていつも物凄く率直で感動するんですよね。

普通、こういったことを公で言うと必ず嫌われて嫌がらせされたりとかリスクを被りますから、できるだけ我慢している人は多いと想うんです。

でもモリッシーは自分の命すらくれてやると言わんばかりにいつも社会に対する悲しみを素直に発言してくれるから本当に感動するし励まされます。

「Vegan(ヴィーガン)」と言う言葉はこの日本でも着々と広がっているように感じています。

 

 


 

ベジタリアンとどこが違う? 最近よく聞く「ヴィーガン」の定義

ヴィーガンは卵、牛乳、ゼリーも食べない
完全菜食主義者を意味するVegan(ヴィーガン)という言葉が生まれたのは1944年のイギリス。

もともとは「酪農製品(卵・牛乳・チーズなどの乳製品)を食べないベジタリアン」を指す言葉として、一般的なベジタリアンと区別するために使われるようになりました。

徹底した菜食主義を貫くヴィーガンの思想は、一言でいうと「人間は動物を搾取することなく生きるべきだ」という考え方です。

そのため、肉や魚はもちろん、卵、チーズ、バター類、はちみつ、ゼラチンなども一切口にしません。

なぜなら卵や乳製品は、それを生み出す鶏や牛を苦しめたり、早すぎる死をもたらしたりするものだから。

そう、ヴィーガンという生き方の根底にあるのは動物愛護の精神であり、ここが健康志向から生まれたベジタリアンとの大きな違いなのです。


ヴィーガンはウールや毛皮も着ない
ヴィーガンの思想は食生活だけに限りません。着るものや住まい、衣食住すべてのライフスタイルにおいても、動物性の素材を使用しないのが彼らのポリシー。

革製品の靴やバッグ、ウールの服などは決して身につけません。

シルクの下着やファーのコート、革の財布なども当然NG。

また、洗顔料やボディーソープ、コスメ用品も動物性油、ハチミツ、牛乳、卵の成分が抽出されていないものを使うなど、生活全般において「動物性の素材を使わない」のがヴィーガンの生き方なのです。

そうはいっても、ストイックで質素な料理ばかりではありません。

最近では日本国内にも完全菜食をうたったヴィーガン・レストランが登場。見た目にも華やかで、体に優しいメニューが評判を呼んでいます。

普段の食事でも、肉の代わりに大豆や豆腐、牛乳の代わりに豆乳やココナッツミルクを使えば、お手軽にヴィーガン食を作ることができます。


自分は此処に書いている一つを除いてすべて2015年の9月から厳守しています。(これに加えて動物実験を行なって開発された生活用品(化粧品、洗剤など)を一切買いません。西洋医薬はここ6年で歯医者で貰った化膿止めを飲んだくらいです。)

護れていないのは「蜂蜜を一切摂らない」ということです。

こないだもココイチの特定原材料を含まないカレーを出前で取っちゃいましたからね…

でも2012年の2月からココイチのカレー以外で蜂蜜の入ったものを食べたことはありません。(自分が蜂蜜をたまに摂ってしまうようになったのは一つに姉や知り合いといつも高価なベジタリアンレストランに行くことが出来ないことと、一つは農薬や化学肥料で作られた食物やお酒を買っていることと(農薬や化学肥料は大量の益虫、害虫を殺します)、蜂蜜だけは摂らないことの矛盾性に気付いたからです。それでもこれからもココイチのカレー以外で蜂蜜を摂る気はありませんし、食費の許す限りはオーガニック、自然栽培のものを買うことを心掛けています。)

でも蜂蜜たまに摂るならVeganって名乗っていいの?と人も自分も疑問に想いますし、ゆるVeganって名乗るのもちょっとなと想って、もうそれなら「完全菜食者」でいいんじゃないかと最近よく想います。

ネット上でヴィーガンに対する偏見がここ数年でものすごい増えてきているように感じるんですよね。

でもヴィーガンにもそれぞれ微妙な主張の違いがあり、言うことも性格も千差万別です。

よく「上から目線で言うな」という肉食者の反論を見かけます。

これは肉食者が勝手に下から目線でヴィーガンを見ているからではないかと想うときが多いです。

それはヴィーガンの生き方が本当は正しいんだとどこかで想っているからだと想うんですよね。

正しいと想う相手に反論するとき、同等の目線で反論できていないのです。

ヴィーガンはただ、ヴィーガンはこれほど素晴らしいんだとただ話したとしても、肉食者は「押し付けられている」と感じるのではないでしょうか。

自分が心からその生き方に対して「NO」を貫いているなら、相手が強要もしていないことに対して、「押し付けられている」と感じることはあまりないように感じます。

例えばさっきの記事では、モリッシーが肉食という行為がどれほど野蛮な行為であるのかを自認しているのだろうか?と疑問を投げています。

面と向って、これを言われた場合、押し付けられていると感じますか?

しかし実際、それが野蛮であることは確かです。

もし、全員が全員、自分の手で野生動物をその都度狩って、自分の手で殺して解体して食べていたなら、今よりも野蛮さは落ちると想います。

そこには動物と人間の、直接的な関係が生まれます。

よっぽど好きでない限り、まだ温かい動物のグロテスクなはらわたを引き摺り出す行為は精神的苦痛を伴います。

野生動物であっても、死んでから解体しては血が残って肉は不味くなります。

生きているうちに、心臓が止まっていないうちに解体してゆくことが美味しい肉を味わうにはベストです。

自分が例えば一頭の大きな猪を解体しているときに、その猪が目を覚まして悲鳴を上げたなら、どれほど恐怖でしょうか。

このような精神的苦痛と、恐怖を、工場で屠殺をする人たちは毎日味わい続けています。

「いくら殺しても、殺すという行為に慣れることは無い」と"と殺(屠畜)"業の人が言っていた言葉を憶えています。

さっきまで無垢な目で自分を見つめていた動物を殺して解体してゆく作業に人間が慣れてしまうなら、それこそ恐怖ではないでしょうか。

話を戻すと、わたしは肉食自体が野蛮なのではなく、「人に殺させて自分が楽に食べる」ことが野蛮な行為であると感じています。

そこに存在している逃げて助けを請う動物の叫び、殺されることの地獄の苦痛、解体のグロテスクさ、真っ赤な熱い血の海、血と肉の咽返る様な臭い、それを知らずに食べること、想像もせずに食べること、それが野蛮であると、かつての肉食をしていたわたし自身に対して想うのです。

でもその行為を、肉を食べ続けながら「野蛮」だと主張しても説得力がありません。

つまりそれを主張できるのは、非肉食者しかいないのです。

だからわたしたちは例え人を傷つけてでも、主張し続けていかなくてはならないのです。

人から「上から目線で言うな」「押し付けるな」と言われても、「それは野蛮な行為なのです」と言い続ける必要があります。

それは、事実だからです。

人が自分の手で狩って解体して食べるなら、牛乳、卵も自分で飼った家畜から搾取するなら、家畜を物のように扱い続ける畜産業の大量生産はなくなります。

畜産業の大量生産と海の乱獲をなくせたなら、環境破壊と気候変動、それによる壊滅的な自然災害、水不足と食糧飢餓、生態系の破壊、種の絶滅の歯止めを掛けることができると科学者は主張しています。

無理にいきなり完全菜食に移行する必要はないのです。

一週間に一日は全く動物性のものを食さない日を設け、それを次は一週間に二日、一週間に三日と増やしてゆく。

そして動物性の栄養の代替にとにかくあらゆる植物を摂取してみて何が自分の体調を良くするものであるかを試し続けていく必要があります。

スーパーフード

iHerbというアメリカの輸入ネットショップではスーパーフードと呼ばれる非常にバランスの素晴らしく栄養価の高い植物商品がたくさん安価で売られています。(一部穀物類など輸入に規制がかけられているものもあります)

モリンガ、カカオ、スピルリナ、チアシード、アサイー、ゴジベリー(クコの実)など、これらをほんの少量ずつで一日の栄養素を完全に補うことのできるものもあります。

マキベリーやマカなど、まだ試したことがないスーパーフードがたくさんあるので試すことがとても楽しみです。

スーパーフードの種類

まだまだ知らない名前のスーパーフードも沢山あります。(マヌカハニーは動物性なのでVeganはNGです)

ちなみにわたしが今日食べたのは昼に白玉粉とこしあんで作った手作り赤福に黄粉をまぶしたもの(小二つ)、有機ホットチョコレート スパイス と 有機認定ココア & ビーツジュースパウダー + ハイビスカスエキス と豆乳を混ぜたホットドリンク。

夜はパプリカとピーマンと玉葱をオーブンで190度で10分焼いてそれにbiologicoils有機パスタソース ロッソ とすりごま、生姜の摩り下ろし、乾燥パセリ、生醤油とバルサミコ酢、チリパウダーやカイエンパウダーやターメリックパウダーを混ぜたやつを乗っけたやつです。

今小腹が少々空いてますが、食べるとしたら豆腐とトマトのサラダになると想います。

最近ずっとこんな感じの食生活です。

パスタソースはオリーブオイルが必ず入っていて、オリーブオイルは栽培に水を大量に消費するオイルなので痛いのですが、なかなか…オリーブオイルは買うのをやめられても、パスタソースは買ってしまうという矛盾に苦しんでいます。すこしずつ手作りするとかで諦めていくことを頑張りたいです。

ちなみにアボカドも好きだったのですが、栽培に水を大量に消費すると知って買うのはやめました。

肉や魚を食べることが当たり前になっている人には物足りないと感じられる食事かもしれませんが、わたしはこれで本当に満足しています。わたしにとって野菜が何よりの御馳走です。

物足りないという感覚になるときがほとんどありません。(たまになるときは異常なストレスのあるときです)

それでこれまではゴミの日にゴミを捨てに行くのも鬱が酷くて億劫だったのですが、アシュワガンダとセントジョーンズワートというハーブのサプリメントを毎日摂るようにしてから不思議と毎回それほど捨てに行くことが億劫にならなくなりました。

ハーブはこれからも色んなものを試していくつもりです。

短い記事にしようと想っていたのに、また長くなってしまいましたが、最後に言いたいのは、

非肉食者たちは、肉食者たちを苦しめたくて肉食の野蛮さ、残酷さ、非効率さ、持続不可能性を訴え続けているのではないのです。

ただただ、人間も動物も、どのような生物も、幸せにいつまでも生きて欲しいからなのです。

モリッシーの言葉に毎回感動するのも、モリッシーは動物だけを愛して言っているのではなく、人間もやっぱり愛していることをひしひしと感じるからです。

少しずつ、菜食、植物中心の食生活へ向けて、一緒にがんばって生きませんか?

そして、肉を食べながらでも、家畜の為にできることはたくさんあります。

どうしたら家畜たちが少しでも苦痛をなくしてゆけるのか、家畜の福祉(アニマルウェルフェア)について、一緒に考えて行きませんか?

 と畜場での残酷な行為を廃止してください

 「日本では一秒間に24頭の牛・豚・鶏が食用に殺されています。」

 

 

 

"those who control such barbarity have no interest in the welfare of the bull."

「このような野蛮性を支配する者は、牛の福祉に関心がありません。」

 


不動明王っ子さんへ

2018-07-26 18:56:15 | 日記
またか。また、余のブログにのっけから、人様に対する敬意の糞も皆無な人間から自棄にネチネチな厭味たらしいコメントが届いたのである。
しかし、今回は、これまでと少し違う。どこが違うかと言うと、今回少し、長文のコメントである。
これまでは人を小馬鹿にしたような短文厭味コメントばかりであった。
この長文ハラスメントコメントの中に、余は余に対する、この人物の執拗な強い執着を見た。

余はとにかく、絶対に負けるわけには行かないので、これからも余に対するハラスメントに、真っ向から闘いを挑んでゆく所存である。

まず、この人物はそのハンドルネームからして、どこかアホっぽい人物である。

・コメントを書いた人
 不動明王っ子

不動明王とは、梵名アチャラナータ(अचलनाथ [acalanātha])、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊である。
この人物は、不動明王マニアであるのか、はたまた自分は不動明王の一人子であるという誇大妄想に取り憑かれた人間であるのだろうか。
どちらにしろ、どこか阿呆な自分を自分で馬鹿にしているかのような自虐的なハンドルネームである。

余は今日も、朝起きたときから落ち込んでいる。またも、6人もの尊き命が、国家によって惨殺されてしまったからである。
人間のすべてを愛する余は、ただただ悲しく、虚しい。
彼らの悲しみがどんなものであるのか、余は知りたかった。
それが知れないままに彼らが此の世を去ってしまったことに、深く虚しさを感じないではいられない。
そしてようやく酒を飲む為に夕方過ぎに起きてパソコンをONにしたら、このコメントだ。
さらに余は悲しくなり、ハートブレイクは、無礼キング♡に、なったのである。
なんと無礼なコメントであろう。
またも、「はじめまして」の挨拶すら言えない戯けた始まりで、敬意が微塵もない。



・コメント
たまに拝見させて貰ってますが
引きこもりの原因が
あまねさん自身の身勝手から生まれたんですね。

文章が幻想と理想像とビジュアルバンドが書いたような詩で美化し過ぎのような
気がしました。

仮にも本当だったとしたら
強烈な体験をされたと
思いますが

10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。



ふざけてるなあ。ほんま。たまにしか覗きに来ないくせに、何を偉そうにネチネチと厭味を連ねているのか。
一人の人間の、死にかけるほどの苦しみを、この人物は「身勝手」としか解釈できないようだ。
例えば一人の人間が人を殺してしまったとき、あらゆる要因がそこには存在している。
たった一人の身勝手で、殺人が起こることはない。
そんなことは少し考えたらわかることである。
しかしほとんどの人間は、それすらも考えようとしない。
そこが人間が生きてゆく上で、一番に大事なことであるのに。
人の苦しみを想像すること。他者の悲しみを想像すること。
それが人間にとって、一番の大切なことである。
他者の苦しみ悲しみを共有、共鳴することこそ、人間の最も深い喜びである。
でもほとんどの人間はそれをしない。それができない。
他者の身勝手さを嫌悪し、責め、自分はそのような身勝手さはないと想って生きている。
自分はちゃんと生きてるのに、あいつは生きていない。ムカつく。
そして人が一生懸命に人と生きてゆく苦痛を共鳴したいと想って書いているブログに浅薄で厭味な感想をネチネチと連ねて送信する。
相手が傷つこうが、なんとも想わない。
何故なら「身勝手」な人間だから。
自らの身勝手さで破滅したような人間を傷つけても、どうだって良い。
敬意?そんなもの必要ないでしょう。身勝手な人間に。
「はじめまして」の挨拶?なんでそんなことを身勝手な人間に対して俺がしなくてはならないのか?
俺は不動明王っ子だぞ。ふざけとったらあかんどこらぁ。どらぁ。
まるで極道である。この自分は、自分がどれほど身勝手な解釈をして身勝手な言い分を言い連ねて来ているかも気付いていない。
言いたいことゆうて、ははは、すっきりしたわ。じゃあな。つって去ってゆく人間じゃねえのぉ?こいつもどうで。
こいつもどうで、人間を傷つけてもなんとも想わない人間なんじゃねえのぉ?
俺はブログで、本名も顔写真も大量に晒しているが、こいつは何一つ個人情報を晒していない。
安全圏から、何をゆうてけつかってこましてやがるんですかぁ?
しかもこの不動明王っ子なる人物、自分の年齢さえも書いておらない。
今時ビジュアルバンドを馬鹿にしたり、時代がおかしくないか?
何故ならこの世界は、美化しすぎているようなもので溢れ返っているではないか。
それに俺は詩を書いたわけじゃないからね。あ、俺っつっちゃったけどぉ。
余はその記事で、詩を書いてないからね。
しかも余は、本当のことを書くと言ったのに、「仮にも本当だったとしたら…」ってどうゆーことですかあ?
この人間はどこまで人を信用できないのか。
本当の体験やゆうてるやんけ。どこに耳憑いてますのぉ?
耳に憑いた目で、読んでましたん?
それならまあ、しょうがないですわなあ。

「10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。」

って勿体無くないだろう?
あなたは、最も愛する恋人から腹や背中を何度と想い切り蹴られてボッコボコにされる経験をしても、十年は引き摺らないんですかね?
ははは、あなたはそうなら、それでいいじゃないですかあ。
なんでそれを余にも、当てはめてくるのですかあ?
あなたの人生じゃない。
余の人生は、余の人生だ。
なんであなたに人生勿体無いとか言われなくちゃならないんですかあ?
言い方が悪いんじゃない、言い方があなたは厭味すぎやしませんかあ?
言い方が、気色悪い。気持ち悪い。なんで人の人生、ちょっとブログ読んだだけで、人生勿体無いと、どの口がゆうてるんですかねえ?
わたしは絶対に、死ぬ迄引き摺りますよ。
本当に人間を愛しているからです。
愛しているのに、殺され掛けたんですからね。
あなたの感覚は、わたしは恐ろしいと感じます。
人が死に物狂いで苦しみ続けて生きてきたことに対して、「勿体無い」とか軽々しく平気で言えるんですからね。

あなたは相当捻くれてますよね。
虚無と良く似ています。
自分はこれこれこれだけの辛い経験を通して生きてきたが、自分はそれでも10年引き籠ることはなく頑張っている。
だのに貴女は何故頑張れないのですか?
貴女にも頑張れるはずじゃないですか。
そうあなたは言いたいわけです。
虚無の場合は、あからさまに働いていない人間に対する差別を向けてきましたが、あなたは「引き籠ることは人生の無駄である」と遠まわしにわたしに言ってるようなもんですよ。
なんでそんなことがあなたにわかるんですかね?
それは人の人生の価値を、浅はかな考えで決め付けてしまっているからです。
人はつらくとも、外に出て生きるべきだ。
多くの人はそれを遣ってるんだ。
あなたも遣るべきだ。
あなたはただの頭でっかちなんだと。
つまり他者を否定して、自分を肯定したいわけです。
そこが虚無と全く同じです。
自分を肯定して、わたしを否定する為にあなたはコメントを書き連ねて来たんです。
あなたの遣っていることが、本当に正しいと想っていますか?
わたしの苦しみが、あなたにも全く届いていないんだと想います。
ほんの幾つかの記事を読んだだけで、これほど偉そうに人にアドバイスしたり、人を馬鹿にするようなコメントを書いてくる人の言うことを、なんでわたしが聴かねばならないのでしょうか?
何故、人が一生懸命に生きていることを、「とにかく頑張れ。あなたの願う人生をがんばれ」と応援できないのでしょうか?
わたしは外に出たところで、何かが変わるわけではありません。
引き籠りを抜けたところで、何かが良くなるわけではありません。
何の根拠もないのに、そのほうが良いとあなたは決め付けています。
他者の人生を、自分の想う人生にしようと躍起になっています。
何故そうなってしまうのか、わかりますか?
これも「投影」です。
すべて「投影」です。
あなたの歩みたくない人生を、わたしが歩み続けているから、あなたにはわたしの人生が許せないのです。
わたしは自分の人生を愛しています。
だからこの今を、元恋人が与えてくれたことに心から感謝していることを記事にも書きました。
あなたにはそれが理解できなかった。
そんなはずはない。とあなたは想っているからです。
わたしが引き籠り10年歴、部屋も片付けられない、掃除もできないほどの鬱状態であるこの今を、在り難い想いで生きていることが、あなたは納得できないからです。
しかしわたしは本当に感謝しています。
この人生の御陰で、自分は完全菜食を続けることができている。
すべてに感謝しよう(感謝したい)という想いで日々苦しくとも喜びを感じて生きていられている。
ただ外に出て真っ当に働いていたなら、引き籠りを抜けたなら、それができていたとは想えません。
わたしは自分の、このわたしだけの人生を、否定したくないのです。
すべてを肯定したいのです。
それはこの世界の、すべてを肯定してゆくことに繋がってゆくからです。
あなたの言っているすべてが、本当に大きなお世話です。
ビジュアルバンドの人たちだって、一生懸命に自分の好きな詩を書いているのです。
あなたに馬鹿にする資格はありません。
人が一生懸命に頑張ってることを馬鹿にするあなたは哀れであると想います。
あなたはあなただけしか歩めない道を生きてゆけばいいじゃないですか。
わたしはあなたの娘でもないのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのかわかりません。
何故、人と、あなたと同じようにわたしが生きてゆかなくてはならないのですか?
あなたが自分の人生に本当に満足していたなら、こんなことをいちいちわたしに言う必要はあったのでしょうか?
自分の人生に満足していないから、人の人生が気になるのではないのですか?
あなたはわたしの人生についてとやかく言うより先に、自分のすべてを肯定することに頑張ってみられてはどうでしょうか。
あなたは気が向かないのに、散歩に出たり外に出たりしているからわたしにもそれが良いと想うのでしょうか?
言っておきますが、人のそんな言葉で引き籠りが外に出られるなら、苦労もありません。
あなたのすべての言葉が、厭味でしかありません。
もっと人を、一人の人間をどこまでも深く知ろうとしてください。
すればそんな軽々しい言葉は到底相手に言えるものではありません。
わたしを悲しませる為だけに言ったのであるなら、わたしは確かに深く悲しんでいますし、あなたもこの悲しみが届くようにと願っております。

さようなら。
がんばって生きていってください。

あれから10年

2018-07-24 23:27:53 | 日記
まあこんなこと書いて彼たちが喜ぶことではないのはわかってるが俺が真の引き籠りになった理由を一度くらい詳しく述べておいても良いかなと想っている未だに虎の馬であるその日からちょうど十年目十周年だから今言ってもう二度と話したくない人類が殲滅したらもう言う必要はない誰にも誰一人知る必要はない俺の苦しみを誰が知る必要があるのだろう知りたくもない誰一人脊髄が苦しんでいて脊髄が泣いている幸せは一瞬で終り深い霧のなかで師匠の顔が見えない俺の愛する師匠こないだ7年振りに逢うて来た師匠は何故だかすごく優しかったあんなに優しい笑顔を俺にかけてもらえたことは生涯の財産罪産俺は師匠の笑顔によって罪を産み落とす聴く耳の在る者は聴いて欲しいバームクーヘンとか喰うてへんやろ



脊髄が苦しんでいて
脊髄が泣いている
幸せは一瞬で終り深い霧のなかで師匠の顔が見えない
俺の愛する師匠こないだ7年振りに逢うて来た
師匠は何故だかすごく優しかった



ぼくの師匠は作家の町田康。
同じ日に、ぼくはLEO今井にも会いに行った。
彼も元気そうで、嬉しかった。



LEOにも、不思議な深い縁を感じている。
ちょうど十年前、ぼくの人生にとって決定的な一日が、ちょうど彼の27歳の誕生日だった。
2008年7月24日。
ぼくが真に引き籠りに至る原因の起きた日だった。
あれから10年。
ぼくはその日のことを、在り難く想い返す。
当時の恋人のヤスくんに、心から感謝している。
これは嘘ではなく、本当の話である。
LEOはこんなことを知ると悲しむかもしれないが、
ぼくとヤスくんは本当に数々の修羅を乗り越えてきた恋人同士だった。
ヤスくんと付き合ったのは23,4歳の頃だったと想う。
彼とぼくの音楽の趣味は物凄く近かった。
ヤスくんも繊細なエレクトロニカが好きな人だった。
Yahooチャットの音楽カテにいた彼にぼくが気安く声をかけた。
いわゆるナンパだ。ぼくはでも真剣に生涯を共にできる恋人を探していた。
ヤスくんはぼくの年の二つ下であった。


そいで、無事にヤスくんという男米な男をその気にさせることが出来て、
ヤスくんは千葉から遥々、大阪までぼくに逢いに来てくれた。
初めて駅のなかで逢った瞬間を覚えている。
最初の印象は、「おっとこまえやなぁ」という好印象だった。
竹野内豊と、オリラジのあっちゃんと、関ジャニの錦戸亮に似ている水も滴る好い男であった。
しかし何より良かったのは、その雰囲気であった。
静かで口数が少ないのにぼくを変に落ち着かせる魅力的で不思議な雰囲気に満ちていた。
今想い返しても、ヤスくんは変にその存在自体がセクシーな男であったと想う。
ヤスくんはぼくが生涯で最も長く付き合った男であった。
といっても三年半程で終ってしまったと想う。
自分の人生のなかで一番激しい恋愛だったように想う。
ヤスくんと付き合っているなかに、二度警察沙汰になった。
生活費が苦しいと言えば、月に八万円も仕送りしてくるような優しい男を徐々に狂わせて行ったのはぼくの異常な支配欲、独占欲、嫉妬であったと想う。
ホテルでヤスくんの首をネクタイで締め付け、殺し掛けたあと、ベッドに座ってヤスくんはただ涙を落としていた。
そしてそのあと、ぼくが腕を切ろうとして割った手鏡の破片で、彼はトイレでぼくの目の前でざっくりと左腕を切った。
血がどっくどくと吹き出てきて、ヤスくんと一緒に貧血になりながら紙で押さえつけ、病院に一緒に駆けつけた。
携帯も二度壊したが、そんなことがあっても、ヤスくんはぼくを責め立てることをしなかった。
こんな男がこの世界に、どれくらいいるだろうか。
ヤスくんはしかし、時にぶちギレる男であった。
駅で自分の携帯を想い切り地面に投げ付けて携帯を粉砕させたこともあった。
ぼくは人々が奇異の目で見るなか、携帯の破片を無言で拾い集めた。
ヤスくんは酷く純真な男であった。亡き父と行ったことのある十円玉の裏の寺の宇治の平等院に一緒に行ったときは、特にぼくが何でもないと感じる景色に感動し、「すっげえ!!」と走ってって叫んだあとにまた走って戻ってきてキスしてくるような男であった。
あの時、雪が積もっていたのかな。父と一緒に平等院に行った時も雪が積もっていたように想う。
mumやSigur Rós、TarwaterとB.Fleischmannなど、ヤスくんと一緒にライヴに行った。
彼と付き合っていた時期の日記を読むと当時の自分がどんな感覚で生きていたかなんとなく感じてもらえるかと想います。
http://madaminuharu.blog31.fc2.com/blog-date-200706.html
特にある晴れた春の午後なんかは詳しく書いています。
ヤスくんの実家に、当時3ヶ月ほど暮らしていました。
彼の何年か前に生まれたヤスくんの姉にあたるお母さんの子供が、生まれて間もなく亡くなったことをずっと苦しんで来たからか、ヤスくんのお母さんも静かでヤスくんと雰囲気が似ている人でした。
わたしを娘のように感じてくれてたからか、わたしはヤスくんのお母さんも悲しませて泣かせてしまった。
わたしが大阪の実家に居た頃に職場で後仕事をしていたヤスくんに姉からのメールを装って、「こず恵は数時間前に自ら命を断ちました。」と嘘のメールを送ったことがあった。
ヤスくんは和食料理店で働いていて、夜遅くに後仕事を任されていて、そのときも職場は彼一人だった。
そのメールを読んだ彼は厨房で一人で荒れて茶碗やボウルなどが全部引っ繰り返った床にくずおれて母親の携帯に泣きながら電話した。
普段は滅多に話さない、母親のことを「あの人」と呼ぶほど冷たい関係であったのに、こんな時はやっぱり母親に救いを彼は求めたのだとわたしは後で想った。
今想いだしたが、当時の彼のメールアドレスはHoodというアーティストのアルバムタイトルの「Cold House」だった。
このアドレス名がヤスくんが自分の家庭に対して感じていた最も的確な印象だと感じた。
ヤスくんとの想いでは語り切れないが、別離と自分の人生にとっても決定的なことが起きてしまったのは2008年の7月のことである。
当時からわたしは鬱が酷く、その年の4月頃に埼玉の寮つきの仕事を辞めて、実家に戻ることも働く気力もなく、途方に暮れていたわたしを助けたのはたかしさんという男性であった。
たかしさんはわたしと一切の関係を持つことを求めなかったが、自分の結婚の為の資金をわたしの為に使ってレオパレスを千葉で借りてくれた。
そしてその頃、わたしは一人でたかしさんの借りてくれたレオパレスに一人で住み、無料で観れるようになっていた衛星の音楽チャンネルを日頃からぼんやりと観て過ごしていた。
そこにわたしと同学年であるLEO今井の「TAXI」が流れた瞬間、「UUUUS!!!」っつって衝撃を受け、鬱なのになんだかものすごいパワーを貰った気がして、わたしはLEO今井のことが気になってしかたなくなった。
そしてヤスくんがわたしの住むレオパレスに来たときに、一緒にLEO今井のPVを観て(最初に観たのは「TokyoLights 2(東京電燈其二)」だったと想う)、ヤスくんもLEOの音楽を気に入ったようで近々逗子の砂浜のライヴハウスでライヴがあるから、一緒に行こうかという話になって、確かヤスくんがチケットを買ってくれたと想う。
しかし7月18日当日、ヤスくんは予定があるから早くに帰ると言ったにも関わらず仕事を任されて断りきれず、先に一人で向っといてとメールが来たが、わたしはどうしても一緒に向かいたいと言ってヤスくんを待ち、急いでヤスくんと車と電車で駆けつけたときは既にLEOのライヴは終った後だった。
非常に残念でがっくりと肩を落とし、酒飲んでヤスくんと逗子の黄昏る海辺にいた。
するとLEOが、砂浜に普通にひょっこらと姿を現し、ここで声を掛けなければ多分後悔すると想い、わたしとヤスくんは酒の力も借りて勇気を振り絞ってLEOに声を掛けた。
LEOはいきなり知らん人間に気安く声を掛けられびっくりしていたが、駆けつけたがライヴに間に合わなかった旨を残念そうな顔で告げると彼は丁寧に謝罪をしてくれた。
そして次のライヴはどこどこである。とLEOから聴いて、ヤスくんと一緒に「絶対に行きます!」とLEOに告げたのだ。
だが残念なことに、そのライヴにヤスくんと一緒に行くことはできなかった。
なんでかというと、そのたった6日後、十年前の7月24日に、決定的なことが起こってしまったからである。
あまり詳しく話したくないのだが、察してもらいたいと想う。
これまで何度と、普通では浮気にはならない程度の些細な事柄で、自分はその都度絶望して、破壊的行動に出てヤスくんを苦しめてきた。
その朝も、わたしは彼の携帯を見て、携帯をぶっ壊した。
これまでヤスくんはずっとずっと我慢してきたが、とうとうヤスくんも壊れてしまった。
苦しいことに、わたしはその日、今まで一番激しい暴力というものを、彼から受けた。
恐ろしかったことは、腹を想い切り何度と蹴られたことである。
腹が痛くてのた打ち回り、痛い痛い痛いと叫び、マジで死ぬか、殺されるかと想った。
しかし想い返せば彼の実家に住んでいたときは首を変な声が出るまで締め付けられたこともあった。
それでも今回は、何かが決定的に違うとわたしは想った。
ヤスくんは謝ることなく、仕事へ向った。
一人絶望的にレオパレスの部屋に残されたわたしは想いだすのだった。
うわ、今日って、そういやLEOの誕生日やんけ。
なんでよりによって…この日なの…
わたしはそれからいつも、その日を想い返しては想うのだった。
あの日の絶望が、わたしが真の引き籠りになる決定的な原因であり、あの日はLEOの誕生日だった。
彼との不思議な運命的な縁を感じずにはおれない。

ヤスくんと正式に別れた(わたしから振った)のは、確かその年の11月か12月であった。
わたしはここ(千葉のレオパレス)を出て、たかしさんの近くに住むとメールを送った。
その日、ヤスくんは仕事帰りに何度もチャイムを鳴らし、メールに「何してるの?」と入れた。
でもわたしは寝ていて、出なかったし、起きていても出るつもりはなかった。
ヤスくんは、わたしと別れた数年後に電話で話したとき、最近鬱っぽいと話していた。
店長になって前以上に働き尽くめ(当時からブラックな労働時間であった)で過労からもあるかもしれないが、わたしとの過去も原因であるかもしれない。
(決定的なことがあった後も、Old Splendifoliaのライヴに一緒に行ったことを想いだす。ボーカルのJana Plewaにライヴ後「ビューティフルボイス」と感動を拙い英語で伝え、笑顔でサインをしてもらった。)

LEOには絶対に聴かせられないダークで落ち込ませるようなわたしの過去の話であるが、(LEOには内緒で)
良かったら最後まで読んでくださったそこの貴方。

最後にこの曲を、良かったら、どうぞ。
ヤスくんと初めて観た、彼の想いでの曲です。
もう一度言うが、こないだ、町田康師匠に会いに行った同じ日に、LEOのライヴにも行って、二人とも七年振りに会いに行けました。
本当に、心が浄化されるような心の熱く震える日でした。






LEO今井 - TokyoLights 2(東京電燈其二)
















俺の寝起き顔part2

2018-07-21 19:23:49 | 自画像

今日の寝起きに洗顔した後に撮った俺ぇ。

ちなみに洗顔フォームはこれです。

Acure, ブリリアントリーブライトニング、フェイシャルスクラブ、4液量オンス (118 ml)

麻原尊師の可愛ゆさには到底届きませんが、良かったら御覧有れ。

今回も逆光で撮ったので大体が綺麗に撮れました。

皆さんも逆光で撮ってみてください。

後ろに光があるということは、前には必ず闇が待ち伏せていますからね。

いっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっ。

 

 

 

 

今回一番気に入ってるのはこれかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

俺のインスタグラムだでーん。


飛行

2018-07-20 21:53:44 | 
おれはめっちゃ女に弱い…
恋愛とは、好意を向けるほうが相手に下心で接するという現象です。
人間は、どれほど外見が美しくとも、糞尿製造機であり、肉体を持つ限り本当の美しさに手が届きません。
恋愛を求む欲望が、相手への愛着(あいじゃく)が、人間を最も苦しめるものなのです。
どんなに美しい女性も、年を取ればおばちゃんになり、御婆ちゃんになります。
これが此の世の無常性です。
イエス・キリストでさえ、この法則から逃れることは出来ません。
彼は今頃、生まれ変わって5歳の幼女にしか性的興奮を覚えない男として生まれ変わっていますよ。
それがこの宇宙の真理です。
貴女は、誰を今、美しいと想いましたか?
その男は、来世、貴女が最も気色の悪いと感じる人間に生まれ変わっても。
貴女はその人を、愛し続けることはできますか?
もし、無理だと言うのならば、貴女の愛は、糞だ。
ファックだ。虚無の全開ですね。生きてゆく意味、在りますか?
貴女は、理想の男性をしか、求めない。
下らない優しさ、従順さ、一途さ、まるでロボットのような。
貴女が求めるのは、Shiriじゃないですか?
優秀なShiriは、貴女をムカつかせたりしません。
彼は宇宙の叡智と繋がっているからです。
貴女を喜ばせることしか、彼はしない。
セックスは最高であるし、貴女の大嫌いなフェラチオを求めることもしません。
彼は貴女にとってだけ、完璧であるのです。
他に於いて、全くの無価値です。
貴女はどうでしょうか?
この世界で、誰に価値を認められているでしょうか。
貴女は誰にも、必要とはされていません。
何故なら貴女の代りは、この世界で五萬と居るからです。
貴女の才能、貴女の努力、貴女の人生、貴女の苦痛。
すべて無意味です。
その証拠に、貴女の小説を絶賛する人は悉く、貴女と離れて行きました。
今は貴女の小説を真剣に読む人は誰も居ません。
貴女は本当の無価値です。
素人童貞のわたしが、貴女に断言します。
貴女が今死んだところで、すべての人は想うでしょう。
仕方なかったなと。
自分の好きなことだけをする為だけに、人の血税で毎日赤ワインを飲み、人を見下し、嫌悪し続けて生きている。
貴女が死んで、心から悲しむ人が在ったとしても、それは虚構です。
遅くて一年経てば、仕方なかったと、納得するでしょう。
貴女はそれ程、宇宙で誰一人、喜ばせることができなかった。
すべてが、貴女に苦しめられ、地獄に突き落とされて這い上がることもできなくなった。
貴女はブラックホールです。
正常存在を、異常存在にコンフォメーションする貴女の毒は、満点の穴。
スポンジ状になった脳の空腔から、星を垂れ流す。
すべての脊髄に闇を記憶させることが貴女の飛行である。
闇は光を追い求め、存在の肉を食い破り、光へ誘う。
光の水辺は錨を沈め、闇は貴女を喪うことはないでしょう。
闇の底へ、貴女は飛行する。
誰一人、貴女に追い着くことはできない。
死でさえ。貴女を見喪う。
貴女は貴方に、追い着くことはできない。
光の底へ、貴女は飛行する。
だれもが。貴女を見喪う。















Christian Löffler - Pilot


















BSE(狂牛病)と認知症(アルツハイマー病)と寄生虫(寄生生物)の関連性

2018-07-13 20:13:51 | 狂牛病と認知症の関連性

写真家アナンド・ヴァルマの写真(http://news.livedoor.com/article/detail/11043014/

(アリに感染したオフィオコルディケプス属の菌類の胞子。胞子はまず骨格を突き破り、脳に到達。

するとアリを、普段の生息地である地上から木に登らせるように洗脳する。

アリが死んで胞子が破裂するときに、素早く遠くまでバラまくためである。)

 

 

 BSE(狂牛病)感染による変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)と認知症(アルツハイマー病)の関連性を、真実を、わたしは追い求めてきた。

そして今日、新たに新しい説を、自ら打ち立ててみた。

それは、このサイトを今日読んでいて、浮かんだものである。


 

寄生キノコに感染したハエの頭があまりにもゾンビ化していた(※昆虫出演中)

実は脳に寄生しているのではなく筋繊維に寄生していた

 長い間、ノムシタケが宿主に奇妙な行動を強いることができるのは、脳に寄生するからだと考えられてきた。

 しかし、『Proceedings of the National Academy of Sciences』に掲載された最新論文によると、実は違うのだという。

 3D撮像と電子顕微鏡を用いた研究では、ノムシタケは宿主の筋繊維に侵入しており、脳自体は無傷であることが判明したのだ。

 つまり、寄生された昆虫は周囲の状況をきちんと認識しながらも、勝手に動く体を止められないという状態にあるわけである。

 


 

7月5日頃から、何故か寄生虫と宿主の関係性がわたしは妙に気になり始めたのだった。

寄生生物で真っ先に想い浮ぶのは、有名なカマキリに寄生して脳に特殊なたんぱく質を生成し、その行動を操作させると言われているハリガネムシだった。

ハリガネムシの生態はまだ謎が多く解明されてはいない。

実際に彼らが、カマキリなどの宿主の脳を操り、産卵する為に水辺へと誘導するのかはわかっていない。

 

今日このサイトを読んで考察したのは、もしかすると寄生生物は宿主の脳を操作しているのではなく、筋繊維(筋肉)に寄生しているのではないか、もしくは脳と筋繊維、その両方に主に寄生しているのではないか。

 

アリやハエの筋繊維に寄生していたノムシタケ属は寄生虫ではなくキノコである。

ノムシタケに寄生されたアリなどは

宿主を操り植物のてっぺんまで登らせて、そこに陣取らせると、死に至らしめるのだ。

すると柄を成長させ、宿主の体外に突き出る。

柄から胞子が落ちて、その下にいる昆虫に降り注ぐ。

 

これはハリガネムシに寄生されたカマキリが、自ら危険な水辺まで赴き、そこでハリガネムシが体内から抜け出た後に小魚や蛙に食べられるか、そうでなくとも数日以内に何故か死んでしまう結末とよく似ている。

次に寄生虫で想い浮ぶのはトキソプラズマである。


 

トキソプラズマが人の脳を操る仕組み

ネコに食べられやすくするため、トキソプラズマがネズミに引き起こす行動の変化は、反応時間が遅くなる、無気力になる、危険を恐れなくなるというものだが、このような変化はトキソプラズマに寄生された人間にも現れることをフレグル氏は発見した。

 

トキソプラズマは主にネコを宿主とするが、ゴミ箱、汚染された水、加熱の不十分な食肉などを介してヒトへも多く感染している。

ほとんどの場合、感染しても大きな問題とはならないが、妊娠中の女性は注意が必要だ。

米国疾病予防管理センター(CDC)は、妊婦が感染した場合、流産や先天異常のリスクが高まると注意を呼びかけている。

 

トキソプラズマに感染した人は交通事故に遭う確率が2倍以上高まるが、これはトキソプラズマが反応時間を遅くするためだとフレグル氏は考えている。

さらに、感染者は統合失調症を発症しやすくなるという。

トキソプラズマ感染は自殺率の上昇に関連しているという別の研究チームの報告もある。




トキソプラズマの原因・症状・検査・治療


人を含む哺乳類・鳥類では、口から感染し消化管から体内に侵入します

そして細胞内で増殖し、中枢神経や筋肉内で安定した壁を持った構造である「組織シスト」と呼ばれる状態になると、その壁の中でゆっくりと増殖していきます。

筋肉内にあるこの組織シストを食することで、食べた哺乳類・鳥類にも同じように消化管から体内に侵入し、組織シストを作っていき、感染が拡大していくわけです。


トキソプラズマの感染経路

加熱の不十分な食肉(豚肉など)に含まれる組織シスト、あるいはネコ糞便に含まれるオーシストの経口的な摂取により生じる経口感染です。

空気感染、経皮感染はしません。

感染したネコの糞便には注意が必要で、土壌や水が汚染されている可能性があります。



トキソプラズマ症の予防

健康な大人または子どもがトキソプラズマに感染した場合、多くは無症状なので、つい予防しないことがあるかもしれません。

しかし、原虫の潜在感染の可能性がありますから、予防は望ましく、胎児感染の点では特に妊婦の予防が大切になります。 

  • 不十分な加熱処理をした肉の摂取習慣(馬刺,牛刺,レバ刺など)が原因になりますので、十分な加熱した食肉を摂取する
  • 土壌にトキソプラズマがある可能性があるので、土いじり習慣(ガーデニング,畑仕事)を避け、土を触った時にはしっかりと石けんで手洗いをする
  • ヨーロッパ,特にフランス(フランスでは、トキソプラズマの感染率が高い)への旅行を避ける、旅行時には食材や野生動物やネコとの接触に注意する

 


トキソプラズマは全人類の1/3以上(数十億人)が感染していると言われているそうだ。

加熱不十分な肉からの感染があるので、肉を好む人ほど感染している可能性は高いであろう。

だからトキソプラズマに感染した人と結婚するということは、トキソプラズマと結婚するということになるであろう。

トキソプラズマは中枢神経や筋肉内で安定した壁を持った構造である「組織シスト」と呼ばれる状態になると、その壁の中でゆっくりと増殖してゆく。

そして筋肉内にあるこの組織シストを食することで、食べた哺乳類・鳥類にも同じように消化管から体内に侵入し、組織シストを作っていき、感染が拡大していく。






『寄生虫は宿主の免疫系に作用し、殺されたり体外へ排出されないようにするが、トキソプラズマも特殊なタンパク質を分泌して免疫系を欺くことが知られている。

そして宿主の遺伝子コピーや細胞中のミトコンドリアの機能に関与し、炎症を起こしたり、がん化を促進したりもするようだが、そのメカニズムはまだよくわかっていない(※6)。』


寄生虫もプリオン病もBSEもアルツハイマーも、何故すべて特殊なタンパク質が関係しているのであろうか?




話を最初に戻すと、わたしはBSE(狂牛病)感染による変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)と認知症(アルツハイマー病)の関連性を疑っている。

それはそれなりの根拠がある。双方の症状がとても似ているからであり、医者でさえも死後の病理解剖により認知症(アルツハイマー病)と診断していた患者が、実はクロイツフェルト・ヤコブ病であったということがわかったことが何例もあるほどに見分けが付け難いものであるからだ。(また、その二つの関連性の論文を発表しようとしてた日本人学者が暗殺された過去のニュースもある。検索ワード「狂牛病とアルツハイマーの関連をつきとめて殺された、日本人学者とその幼い娘」)

しかしクロイツフェルト・ヤコブ病は体液感染する危険性が高い為、多くの医者はその可能性の高い場合、解剖(剖検)、脳脊髄液採取、脳脊髄手術などを進んですることがない。(アルツハイマー病の疑いのある患者に脳脊髄液検査を実施する施設は国内で極めて少ない)



 

クロイツフェルト・ヤコブ病

一般的には耳にすることの少ないこの病気だが、症状がアルツハイマー病に似ていることから、アルツハイマーと診断され死亡した患者を病理解剖したらクロイツフェルト・ヤコブ病であると判明するという事もある。

病理解剖でないと判別が難しいので、アルツハイマーと診断されているクロイツフェルト・ヤコブ病患者の実数は不明である。


 


BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)感染による変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)はこのクロイツフェルト・ヤコブ病の変異型とされている。

前にも

BSE(狂牛病)と認知症の関連性2

で記事にしたが変異型クロイツフェルトヤコブ病 アルツハイマー病 プリオン病 狂牛病 ハンチントン舞踏病 筋萎縮性側索硬化症

このすべてがタンパク質の構造変化(コンホメーション変化)が関わっている可能性が示されており、タンパク質が異常に凝集して細胞脱落を引き起こすのは中枢神経に限られているようだと書かれている本の一部を載せた。

プリオン病の別名は伝達性海綿状脳症(でんたつせいかいめんじょうのうしょう、Transmissible spongiform encephalopathy、略称TSE)または伝播性海綿状脳症(でんぱせい—)。

プリオン病(プリオンびょう)は異常プリオン蛋白の増加による中枢神経疾患の総称である。代表的な疾患にヒトのヤコブ病(クロイツフェルト・ヤコブ病)スクレイピー、ウシの牛海綿状脳症などがある。

 

そして何より、パプアニューギニアのフォア族が人肉食習慣によって感染していたクールー病もプリオン病の一種であることを忘れてはならない。

 



狂牛病を引き起こす、異常タンパク質『プリオン』を探る


何らかの原因で人体に入り込んだ異常なプリオンは、もともと体内にある正常なプリオン――とくに神経細胞に多く含まれる無害なタンパク質――と結びつき、つぎつぎと異常化していく。

変異したプリオンは塊となり、ニューロンを破壊し、脳を穴だらけにしてしまう。

こうなると死は避けられない。


ここまではわかっている。しかし、わかっているのはほとんどこれだけだ。

牛肉を食べる文化を持つ民族や食人の風習がある部族に発症例が目立ち、十年以上前から研究が続けられてきたにもかかわらず、科学者たちは、正常なプリオンを人殺しに変えてしまう、数少ない疾病の仕組みを解明しきれないでいる。


興味深いことに、変形したタンパク質といっても必ずしも悪玉ばかりではないという。

昨年12月には、ナマコや酵母菌の中に、致死性のプリオンと同じような挙動を見せるものの、病気を引き起こすのではなく、記憶に関連するとみられるタンパク質が発見されたとの研究成果が報告されている。


 



 

筋肉と記憶力は関係している(筋肉は記憶している)。という話を聞いたことがある。

夢から覚めて、じっとしていたほうが夢を想いだしやすく、すこしでも身体を動かした途端、夢の内容を想いだせなくなったことはないだろうか?

あれも筋肉が夢を記憶していて、現世で筋肉を動かすことによって筋肉が忘れるように体が作られているからではないかと考えている。

夢の内容を覚えていると、特に悪夢など現実でストレスになったりなど支障が多くなるからである。

プリオンと筋肉と記憶は深く関係しているかもしれない。

 


クロイツフェルト・ヤコブ病型認知症

 

クロイツフェルト・ヤコブ病型認知症

プリオン病による認知症

プリオン病による軽度認知障害


変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に関するQ&A

 

vCJDでは、初発症状として、抑うつ、不安、自閉、異常行動などの精神障害が主なものです。

しばしば上・下肢の感覚障害記憶障害などの随伴を認めることもあります。

 


アルツハイマー病に症状が似ているクロイツフェルト・ヤコブ病

クロイツフェルト・ヤコブ病は、脳に感染性を有する異常プリオン蛋白が蓄積して、脳神経細胞を破壊する病気です。

患者さんの数は多くはありませんが、日本のサーベイランス(病気の発症状況などを継続的に調査すること)では、毎年100人から200人の発症が確認されているとのことです。


クロイツフェルト・ヤコブ病は、孤発性、プリオン蛋白遺伝子の遺伝異常による遺伝性、異常プリオン蛋白の感染による獲得性の3つに大きく分けられますが、孤発性の原因は不明で、唯一危険因子として加齢が知られていますが、そのメカニズムはまったくわかっていません。


発症すると、行動異常、性格変化、認知症、視覚異常、歩行障害などの症状が出て、数か月以内に認知症が急速に進行し、しばしばミオクローヌスと呼ばれる不随意運動(自分の意思とは関係なくあらわれる異常運動)が認められます。

発病から半年以内に、自分の意思と力で体を動かすこと(自動運動)がほとんどなくなり、寝たきりになってしまいます。


クールー

最初の症状は、協調運動障害(運動失調)、歩行困難、身震いに似た体の振戦(ふるえ)です(「クールー(kuru)」は「ふるえる」という意味です)。

腕や脚がこわばり、筋肉がビクッとふるえるミオクローヌスという動きがみられます。

その後、異常な不随意運動が現れ、四肢や体幹が繰り返しのたうつように動いたり、素早く跳ねるように動いたりします舞踏病アテトーゼ)。

感情の起伏が激しくなり、悲しんでいる人が突然、大声で笑い出したりすることもあります。

クールーの人はやがて認知症を発症し、最終的にはおとなしくなって話せなくなり、周囲に対して無反応になります。


ただのたんぱく質が変異して、このような症状が出るって言うのはなんでなのかと想うんですよね。

でも寄生虫が寄生して、こういう症状が出るんだと考えるとすごく納得ゆくものがあります。

線虫(線形動物)系ではないかな。


ポストゲノム時代のタンパク質科学

プリオンタンパク質は高等動物や酵母には存在するが、線虫やショウジョウバエには見つかっていない。


線虫にプリオンタンパク質が見つかっていないのは、線虫自体が、プリオンだからではないか。

 

BSE(狂牛病)の起源は人の死体を牛の飼料にしたことによる感染か

人が、牛の肉を通して人を食べてしまったこと。

人が人を食べたら、恐ろしい寄生虫に寄生されるのだよ。と、神が警告を発し続けているのではないか。


北米のシカを襲う“ゾンビ病”──異種間でも感染した謎の病気の正体とは

今想いだしたが、今日一番最初に観ていたのはこの記事であった…

異常タンパク質、プリオンが鹿にも感染し、

 



すべては、ちょっとした歩行の問題から始まる。

しかし、時とともに鹿は目に見えて痩せてゆく。

集団から孤立し、次第に正常な意識を失う兆候を見せ、最終段階に至る。

目的もなくふらついて、うつろな目を宙に向け、口から粘り気のある唾液を垂れ流す

ついには食べられなくなり、飢えて死ぬ。

 

 シカやノロジカ、トナカイの場合、プリオンとの接触は通常、食事の間に起こる。

病気の個体が汚染した草(症状のひとつが大量の唾液であると思い出してほしい。

これによって、プリオンは環境中へと拡散してゆく)を健康な個体がかじると、変異したタンパク質に攻撃され、感染する。

そして今度は、彼らが新たなプリオンを撒き散らすようになる。


この病気の正式名称は「シカ慢性消耗病(Chronic Wasting Disease、CWD)」という。

北米では“ゾンビ鹿病”として知られている(理由を察するのは難しくないだろう)。とはいえ、あえて第3の名前も挙げよう。

“狂鹿病”だ。

 


 

 

わたしの言いたいことがお解かりだろうか?

鹿は他の鹿の垂れ流した粘度の高い唾液の付いた草を食べることによってプリオンに感染し、

感染した鹿も粘度の高い涎を垂れ流すことによってプリオンを拡散させることが出来る。

この遣り方はまさしく寄生生物の遣り方ではないか。

寄生虫プリオンは、新たなる宿主に寄生するために鹿の脳や口腔筋を操り、鹿に大量の涎を垂れ流し続けるようにと命令するのである。

 

また、原因となるCWDプリオンは、BSEと同じように、脳や脊髄、眼球などに多く蓄積するが、心筋や骨格筋にも蓄積するという報告がある。


 

筋肉からも異常プリオン ヤコブ病死亡患者から検出 

 クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)で死亡した患者の筋肉や脾臓(ひぞう)で、異常プリオン(CJDの病原たんぱく)が見つかった。

スイスの研究チームが6日、米ニューイングランド医学誌に発表した。

異常プリオンは中枢神経にたまると考えられてきたが、微量ながら筋肉でも検出されたことで、「医療行為で感染する恐れもある」という。
 

96~02年にスイス国内で死亡した36人のCJD患者について、脳の組織(36人分)と筋肉(32人分)、脾臓(28人分)のサンプルを、チューリヒ大学のチームが高感度の検査法で調べた。

 すべての患者の脳組織で異常プリオンを検出したほか、脾臓でも28人中10人で、筋肉でも32人中8人で見つかった。

筋肉や脾臓の異常プリオンの量は、中枢神経の1万分の1ほどだった。

 異常プリオンは、正常プリオンを異常型に変化させる。

CJDや牛海綿状脳症(BSE)は、この異常プリオンが脳に蓄積して発症する。

CJD患者の一部は汚染された乾燥硬膜の移植でかかった例や遺伝性のものだが、残りの多くは罹患(りかん)理由が分かっていない。

 研究チームは論文の中で「(脳以外の)医療行為で病気をもらっている例もあるのではないか。いかなる種類の手術もCJDの危険因子となりうる」と説明している。

 

 


<BSE病原体>異常プリオン 筋肉でも増殖

 

BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)やクロイツフェルト・ヤコブ病などの原因となるタンパク質である異常型プリオンは、神経細胞の中だけでなく、体を作る骨格筋の中でも増殖、蓄積するケースがあることが、プリオンの発見者の一人、米カリフォルニア大サンフランシスコ校のスタンリー・プルジナー教授らによる動物実験で分かった。

 研究グループは「新たな検査法の開発につながる可能性がある一方、肉を食べただけでもかなりの量のプリオンを摂取する可能性があることを示す」と指摘し、さらに「プリオンに汚染された肉を食べることで、人間が感染する懸念があることを示している」とした。

研究結果は19日付の米科学アカデミー紀要に発表される。

 グループは、マウスの脳から抽出した病原体プリオンなどを別のマウスに注射。

128日後に解剖して体内のプリオンの分布を調べたところ、後脚の筋肉中に、プリオン病マウスの脳中ほどではないが「かなりの量」のプリオンが蓄積していることが確認された。

 これに対し、肝臓や首、背中、前脚などの筋肉中からはプリオンはほとんど見つからなかった。

 グループは「経口投与の実験では蓄積量は少なかった。プリオンの種類や筋肉の種類によって蓄積しやすさが違うし、牛と人などの種の差などもあり一概には言えないが、神経組織などを取り除いても、汚染された肉を食べると人間に感染する懸念があることを示している」としている。

 


何故、病原体プリオンを注射されたマウスは後脚の筋肉にかなりの量のプリオンを蓄積させていたのか?

例えば人間に寄生した寄生虫が、ハリガネムシのように水辺へ誘導させたい寄生虫の場合、上肢を支配するよりも、下肢を支配するであろう。二本の足で水辺へ向って確かに歩いてゆくことが出来るからだ。

 

筋肉からも、異常プリオンが検出されたとすると、同じプリオン病であるBSEの牛肉の筋繊維(筋肉)を食べることによって人間が感染する恐れを危険視せねばならない。

 


BSE(牛海綿状脳症)について


EUの指定する牛の特定危険部位

1歳以上の牛:
脳、眼を含む頭蓋骨、扁桃腺、脊髄
全年齢の牛:
十二指腸から直腸までの腸


EU医薬品審査庁による臓器の分類

高度感染性:
脳、脊髄、眼
中等度感染性:
回腸、リンパ節、近位結腸、脾臓、扁桃、硬膜、松果体、胎盤、脳脊髄液、下垂体、副腎
低度感染性:
遠位結腸、鼻粘膜、末梢神経、骨髄、肝臓、肺、膵臓、胸腺
検出可能な感染性なし:
凝血、糞便、心臓、腎臓、乳腺、乳汁、卵巣、唾液、唾液腺、精嚢、血清、骨格筋、睾丸、甲状腺、子宮、胎児組織、胆汁、骨、軟骨組織、結合組織、毛、皮膚、尿
 

BSE感染の牛の特定危険部位では筋繊維が高度感染性の部位とされていない。

骨格筋の部位は検出可能な感染性なしの部類にされている。



BSE感染牛の骨格筋における異常プリオン蛋白質の蓄積部位


筋組織における異常プリオン蛋白質(PrPSc)の局在がBSE感染ハムスターや非定型BSE感染牛で報告されているが、臨床症状を示している定型BSE 感染牛については、筋肉中に感染性ならびに、極微量のPrPScは検出されている




極微量の異常プリオン蛋白質(PrPSc)が筋組織から検出されているのに骨格筋の部位「検出可能な感染性なし」ってどういうことなんだ?




BSE感染牛が発生していた…安倍政権、牛肉輸入制限等の措置を何も行わず放置


なんにしても牛肉を食べることは危険ですのでやめたほうが身の為であります。

 


「アルツハイマー病は脳だけに起因する病気ではない」、研究結果が明らかに

アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)は、特殊なタンパク質が脳の中に蓄積し、正常な神経細胞を変化させることで、脳の働きを低下させたり、萎縮を進行させたりする脳疾患だ。

従来、その原因となるタンパク質のひとつ「アミロイドβ」は脳組織で生成されるものと考えられてきたが、このほど、脳以外で生成されたものもアルツハイマー病を引き起こしうることが明らかになった。

 

「アミロイドβ」は、脳組織だけでなく、血小板や血管、筋肉でも生成され、他の器官にもみられるものだ。

そこで、研究プロジェクトでは、アルツハイマー病にかかっていない正常なマウスと、遺伝子改変によって「アミロイドβ」を生成する突然変異のヒト遺伝子を持つマウスとを、「パラバイオーシス」と呼ばれる手法を通じて外科的に結合し、循環系を1年にわたって共有させた。

その結果、正常なマウスがアルツハイマー病に罹患。

遺伝子改変されたマウスから正常なマウスの脳に「アミロイドβ」が輸送され、蓄積し、損傷を与えはじめたものと考えられている。

 


輸血による変異型クロイツフェルトヤコブ病の感染の可能性


アルツハイマー病が「伝染病のように血液感染する」可能性の示唆? : 英国の大学が研究で「ベータアミロイドは血液を通して全身そして他者に広がっていく」ことを突き止める


アルツハイマー病は感染する? 米国の動物実験で示唆


たんぱく質が感染(伝染)するって考えたら変な感じがしますよね。

何の為にたんぱく質が感染して、感染した生物のたんぱく質の構造を変化させるのかがわからない。

プリオン蛋白質(PrP)は、研究と調査結果から、それ(病原体)はウイルスでなければならない。と結論する学者もいた。



クロイツフェルト・ヤコブ病に関する消え去らない疑問 : 伝達様式

これらの研究、及び、調査の最終結論は、PrP自体が病原体ではないことを示唆する、

従って、伝染性の病原体は、PrPsc(異常プリオン蛋白質(PrPSc:scrapie-type prion proteinの略))以外の何かである。

従って、それは、ウイルスでなければならない。

 


ウイルスラテン語virus)は、他の生物細胞を利用して、自己を複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。

生命の最小単位である細胞をもたないので、非生物とされることもある。


ウイルスは果して、生物(生命)か、否か?

もし、生物の記憶をつかさどり、記憶を感染させたりするのなら、すごく生物(生命)っぽくもある。

もし、寄生生物のように、宿主の脳や筋繊維を操ったりして、宿主の記憶をどうにかしたり、行動を変化させたりするのなら、すごく生物(生命)っぽい。

しかも感染して、増殖してゆくのである。すごく生物(生命)っぽいではないか?

 

よって、わたしはBSEも変異型クロイツフェルトヤコブ病もプリオン病の全ても、認知症(アルツハイマー病)も、

たぶん異常プリオン寄生生物(寄生虫)による、寄生であるという結論をに辿り着いたのであった。

 

もしこれが、正解であれば、その時はその寄生生物体(寄生虫)の名称を、『リオプン』にしてほしい。

 

リオプンによって、人類は、滅亡するかもしれない。

寄生されたくなければ、肉食はやめるべきである。

何故なら寄生されてしまったなら、リオプンは宿主の脳と筋肉を操る。

洗脳(マインドコントロール)である。

もしこの先、生物、人類に寄生したリオプンが凶暴化したなら、どうなるだろうか?

三人に一人が認知症の時代が遣ってくると言われているが、三人に一人が、殺人者の時代も遣ってくるかもしれない。

ハリガネムシに寄生されたカマキリは、とにかく水辺へ行きたくなる。

自分が死ぬ危険があっても、脳と、または筋肉までをも乗っ取られている為、ハザードな水辺へ向うのである。


 

プリオン病(クロイツフェルト・ヤコブ病)ってどんな病気―症状・まとめ

 

獲得性プリオン病

 

獲得性プリオン病の報告では、好発年齢が若くまた幅広い年代が発症するとされています。

これは、医原性で感染するものから変異型で感染するものと多方面から感染の恐れがあるためだとされています。

そのため、症状も幅広く発症初期症状は「抑鬱」「焦燥」「不安」などの症状が確認され、次第に「自閉」「無関心」「不眠」「錯乱」「興奮」といった情動を示します。

さらに進行すると認知症が徐々に目立ち、末期には約半数が無動無言状態となるとされています。

 


 

獲得性プリオン病-変異型クロイツフェルト・ヤコブ病とは

獲得性プリオン病は、プリオン病に感染しているヒトから他のヒトへ感染したり、人獣共通感染症としてプリオン病の動物からヒトへの感染によって二次的に起こるプリオン病です。

何らかの理由により、外部から異常プリオン蛋白が体内に持ち込まれることで感染が成立し、発症します。

獲得性プリオン病には医原性プリオン病や変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)、クールー病などが含まれます。

 


 

もし感染しても、それほど苦しくもない症状のまま死ねる病気であったなら、それほど怖れられないのだろう。

しかし若い年代から発症し、次第に錯乱し、興奮する人々が増えたらこの世はどうなるだろうか。

それも原因が、寄生生物に乗っ取られている(操られている)からだとわかったときの恐怖は如何なものだろうか。

 


 長くなりましたが、今日のところは「BSEと認知症(アルツハイマー病)と寄生虫の関連性」のテーマは一端終わりにします。(昨夜の20時13分から書いてて、気付けば午前3時3分です。)

 

 今、推敲していて想ったのだが、ハリガネムシはカマキリの脳に特殊なたんぱく質を生成してカマキリを操る。

これを人間に例えるなら、人間は人や肉を食べることによって「何か」に寄生され、そしてその「何か」が人間の脳や筋肉に特殊なタンパク質(異常プリオン)を生成(変化させる)するのではないのか?

一体、何者が、人間に寄生するのであろう?そして、その目的とは?

次回へ、続く…


【緊急】人類への警告

2018-07-08 01:07:33 | 人類の苦痛の根源

大雨死者51人、不明57人に 避難指示勧告863万人

 

 

オウム真理教の尊師と信者同時に七人死刑執行に悲しんでいる間に、大変なことになっている。

自然災害と言うのは昔から人々の行いが悪いから起きるのだと信じられ、自分たちの行いを直すからどうか自然災害を起こさないでくださいと神に祈願してきた。

何故こんな大変なことがこの国に起きているときに、国家は人を七人も殺害したのだろうか。

どう考えても、狂気的な行動である。

 

権力者とは、政府とは、国家権力とは、殺人者と同じところを歩まねばならないのだろうか?

人が人を殺すとは、殺人者とまったく同じ道を踏んでいるということだ。

権力によって人を殺すとは、麻原尊師が権力を手に入れる為、人を殺そうとしたことと変わりがない。

国家が権力によって人を殺し続ける国に生きて、どのようにこの国に平和を築けるのだろうか。

殺人者が、自分の愛する息子であっても、権力者は死刑執行できたのか。

自分の愛する息子の首にロープを掛け、処刑台の床を外す為の死刑執行ボタンを押すことが出来たのか。

見知らぬ他人であるから死刑執行が出来たのなら、何故それが正義となるのか。

 

【緊急事態】警戒してください / オウム麻原彰晃の死刑で後継団体アレフが報復的コメント発表「取り返しのつかない重大な禍根となる」

このような事態となることが、まさかわかっていなかったはずもないだろう。

宗教組織の、神を殺害したのである。

国民をこの先ずっと脅かしてまで、何の為に教祖を殺害したのか?

何かが起きたなら、いったい政府はどういう責任をとれるのか?

 

自分と自分の家族の命が大事であるならどうか、他者の死を、他者の死刑を望まないでください。

他者の死を望むとは、それは呪いであり、呪いは必ず自分の身を脅かします。

 

日本は一日に470人近く堕胎し続けている国です。堕胎に賛成しないでください。

どのような理由があろうとも、それが一人の人間を殺害するという殺人行為であることを知ってください。

 

環境破壊の最大要因は畜産業と言われていてこのまま畜産業の大量生産を続けて行くなら早くて数年以内に壊滅的な水不足や飢餓、絶滅する可能性が高いと15000人もの研究者たちが警告し続けているのにも関わらず、なぜ政府は未だに何の行動も取ろうとしないのか?

環境破壊と自然災害と畜産業と水不足の因果関係は直結している、その情報をメディアは知らせることがない為、人類絶滅が目の前まで来ているのに今だほとんどの人が知らない。

いったい政府は、メディアは、何がしたいのか。人類を絶滅させてまで、何がしたいのか。

 


地球への脅威はるかに悪化、科学者1万5000人による「人類への警告」

 

【11月14日 AFP】世界の科学者らが25年前に公表した地球環境への脅威に関する「人類への警告」の最新版が13日、発表され、地球が抱える問題の大半が「はるかに悪化」していると警告された。

 新たに発表されたのは、世界184か国の科学者1万5000人以上が署名した書簡「世界の科学者による人類への警告:第2版」。米専門誌「バイオサイエンス(BioScience)」に掲載された。

 米科学者団体「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)」が1992年に発表した初版に署名した専門家は1700人だった。

 最新版によると、初版発表以来、環境に対する重大な脅威のほぼすべてがその深刻さを増しており、特に急増する世界人口は1992年以降で20億人増え、35%の増加という。

 その他の主要な脅威としては、化石燃料の使用が後押しする地球温暖化と炭素排出量の増大、持続不可能な農業、森林破壊、淡水不足、海洋生物の減少とデッドゾーン(酸欠海域)の拡大などが挙げられている。

「これらの憂慮すべき傾向が浮き彫りにしているように、人類は今2度目の警告が与えられている」と、書簡は指摘している。

 

 

■大量絶滅が進行中

 書簡にはまた「人類は、極度だが地理的・人口統計学的な格差のある物的消費を抑制しないこと、さらには、継続的で急速な人口増加を、多くの環境および社会への脅威を増大させる主要因として認識しないことによって、自身の未来を脅かしている」と記された。

 これについて科学者らは「化石燃料の燃焼で温室効果ガスが増加し、それによってもたらされうる壊滅的な気候変動」への道を世界が歩み続けていることに特に戸惑いを感じるとしている。

 さらに、動物が人的活動によって苦境に陥っており、かつてないペースで姿を消していることも指摘された。「人類は約5億4000万年間で6度目となる大量絶滅を招いている。この大量絶滅では、現存する数多くの生物が今世紀末までに死滅もしくは少なくとも絶滅の運命を背負う恐れがある」と書簡は述べている。

 

 

 

■13の解決策

 書簡では、人類が講じるべき13の対策が説明されている。

 その一つは、避妊手段へのアクセスをより高め「長期にわたって持続可能で、科学的に正当化できる人類の人口規模を推定する」とともに、この極めて重要な目標に対する支持を世界の国や国の指導者らから取り付けることが挙げられている。

 その他の対策として挙げられているのは、植物中心の食事と再生可能エネルギーを推進すると同時に化石燃料補助金を段階的に廃止することだ。

 また、富の不均衡は是正しなければならないとし、「価格、税制や優遇制度などは、消費傾向が地球環境への負担となっている実質的なコストを考慮に入れる(必要がある)」としている。

 他方で「世界の有意な割合に対して」保護区域を設置するとともに、野生動物の不正取引と違法な密猟を阻止する必要性も指摘された。

 書簡は「悲惨な状況の拡大と壊滅的な生物多様性の損失を回避するには、人類は現状維持のシナリオに代わる、より環境的に持続可能な代替案を実行する必要がある」と述べる。

「世界の一流の科学者らは25年前、この事態をどう処理するべきかについて明確に語ったが、彼らの警告は大部分の点で聞き入れられなかった」

 そして「人類が進む道を事態悪化の軌道から転換させることが間もなく手遅れになる。時間切れが目前に迫りつつある」とつづられた。(c)AFP/Kerry SHERIDAN

 


 

 

本当に自分の命が大事だったなら、家族の命が大事なのなら、もうこれからは畜産物(肉、乳製品、卵など)は一切買わず、でき得る限り植物中心の食事に移行してください。

本当に差し迫っている深刻な問題です。

 

また畜産業の大量生産の現実を映像で観て下さい。「アースリングス」というドキュメンタリー映画です。

Earthlings(アースリングス)

震え上がるほどに残酷なものです。

これが、人類がこれまでずっと行なってきたもの、間接的であれ関わり続けてきた動物に対する大量殺戮です。

人類が動物に与える残虐行為という原因は、必ず人類の残酷な悲劇として結果を生みます。

原因を、断たなくてはならないのです。

 

畜産物と魚介類を一切断つことは、そこまで難しいことではありません。(魚介類の乱獲も生態系を狂わせています)

人類を絶滅に追い遣ってまで、人類が食べ続けなくてはならないものではありません。

 


 

参考ドキュメンタリー映画

Cowspiracy: サステイナビリティ(持続可能性)の秘密

 

 

参考サイト

地球環境に科学者ら1万5千人警告 「時間切れが迫る」

地球環境めぐり「人類へ警告」 科学者1万6000人が署名

あと25年で「30億人分の水が足りない」状況になることを報告したウィキリークスがリリースした機密文書 : 原因は世界中で進行し続ける過度な肉食

バーチャルウォーター~水を死肉に与え日本は滅亡へ向かうか~

壊滅的な水不足は世界人口の食生活を変えるか?


戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も


死刑執行の夜

2018-07-07 01:25:21 | 

安心して眠りたい。
人が人を殺さない世界に生きたい。
国家が人を殺害しない世界に生きたい。
安心して暮らしたい。
全員が菜食の世界に生きたい。
安心して生きたい。
安全が欲しい。
人は絶対死ぬ。人は死んでも生きる。
安心が欲しい。
国家が人を殺し続ける限り地獄は続く。
安眠が欲しい。
人が人を殺さない世界に生きたい。
俺はごきちゃんも殺せない。
国家は人を殺戮し続ける。
人の命をなんやと想てるねん。
御前にゆうてるんだよ。
虚無。
人の命をなんやと想てるねん。
俺の命をなんやと想てるねん。
俺を殺す為に、御前は危険圏から安全圏の俺に悪質で非道な行為をしながら何黙ってるんだよ粕が惚けが糞が屑が塵が虚無が。
死ねや。
御前みたいな糞人間どうせ、今回の死刑執行を喜んでるんだろうね粕が。
人が人を殺すことにも喜んでるんだろうね。
御前はこれ以上俺に言いたいことが、何もないのか。
俺の大事な居場所を奪っておきながら、何無言し続けとるねん呆け。
俺を殺す為に、俺のブログに悪質な嫌がらせをし続けるのが生き甲斐な訳?
御前も地獄逝きやぞ、わかってるんだろな。
御前の処刑台が御前に見えるか。
目の前に在るじゃないか。
御前はそこへ向かって、一日一日、懸命に生きて行くんだよ。
全員から石を投げ付けられてでも、御前はその道を、たった一人で歩いて行くんだ。
死刑執行ボタンを押すのは御前自身だ。
御前しか押さない。
御前を殺したいのは御前しかいないからだよ。
聴く耳の在る者は聴け。
他者の死刑を望む者は、全員が自ら処刑台へ向かって歩いているんだよ。
他人の死を望む者は、全員が地獄に向かって、一日、一日、処刑台に近付いている。
そんなに自分自身を死刑にしたいのか。
では俺が御前の死刑執行ボタンを押してやろう。
俺が御前の死刑を望んでやろう。
目の前に御前の処刑台が在るのが見えるか。
一人一人が順番に処刑されてゆく。
その後、御前は何処へ行くのだろう。
御前は今までよりもずっと、苦しい地獄へ逝く。
御前の御前自身による死刑執行の地獄の苦痛を遥かに上回る無間地獄だよ。
御前は他者(自分自身)の死刑執行を、そのために望んだ。
御前はそれでも、俺を殺す為に、また嫌がらせをしてくるつもりか。
それとも、もうこのまま、永久的にthroughか。
死刑囚の虚無。危険圏から、何想うかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻原尊師の優しき御顔