あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

みちたとのお別れ ④

2019-11-11 16:26:37 | 日記
(2011年1月20日撮影。この時期は、訳あって神戸に住む上の兄のしんちゃんの家に二ヶ月ほどの期間泊まっていた時期である。中学生の甥っ子二人の眠る二段ベッドの横にみちたのサークルを置かせてもらっていた。みちたはストレスからかなりうるさくしてたけれども、甥っ子たちはみちたをとても可愛がってくれて、文句の一つも言うことはなかった。とても感謝している。みちたを放してやると、しんちゃんの家で飼っている猫のロビン(雌猫)を全く怖がることなく、ずんずん追いかけたりしていた。)





10月17日午前8時22分。目が醒めても少しの間、何もできず横になっていた。
毛布にくるまれながらLINEで姉に返事を送り、これを打ち始める。
昨日は外には出なかったが色々とできた。
みちたは八月頃から精巣がだんだんと肥大してくる病気にかかっていて、そのためうんちがいつもお尻にへばりついて固まってなかなか取れない状態だった。
お湯に浸ければふやけて取れるかもしれないと想い、高齢で病気のうさぎを温浴させることが危険なことを承知で、9月の終わり頃だったか、一度少しだけ半身をお湯に浸けた。
うんちは少しは取れたが、固まっているやつはそれでも取れなくて、みちたはぐったりとして、慌ててタオルで拭いた。
今想えば温浴はみちたの体力を奪うだけの行為だったかもしれない。
温浴をさせなければ良かったと後悔しながら、みちたを拭いたタオルや、寝たきりのみちたと死んだあとのみちたを抱っこした白い花柄のニットのワンピースなどを洗濯した。
このワンピースが、ウェディングドレスのように想えて、みちたはわたしの花婿でわたしはみちたの花嫁のように感じた。
何故、わたしはみちたと最期の最期に、結婚したのか、そしてこれからみちたと遺灰でみちたと結婚する為の婚約指輪を作ろうとしているのか。
それはわたしが、みちたを喪ったからだ。
みちたと別れたあとも、みちたと特別な縁で永遠に結ばれていたいから。
だからわたしは来世で必ず結婚しようという約束と願いを込めて、みちたとの婚約指輪をみちたの遺灰で作ることにした。
動物は、人間に愛されるほど、魂が成長して人間の魂として生まれ変われる日が近くなるという。
わたしの愛が足りなくて、人間として生まれ変われなくとも、わたしがこれだけみちたのことで後悔してみちたとの再会を願い続けているから、みちたはまたわたしと一生を共にしてくれるかもしれない。
そう、信じている。
みちた…会いたいよ。
いつまでも、またみちたに会えると信じているよ。



(2011年1月20日午後15時45分。みちたはお皿の上のチモシーを食べている。この時期、みちたはおやつの食べ過ぎやおやつ欲しさにサークルをガジガジ噛むことが原因で歯が曲がって伸びている不正咬合という症状が出始め、病院に甥っ子と一緒に行ったりした。歯を正常に戻すために、硬い牧草を与えている。年を取るほど、牧草を食べなくなって行ったが、この頃はまだよく食べてくれた。)




昨日はずっと付けたかった玄関のドアの前の突っ張り棚も付けられて、その上に洗濯機の上に置いていたものを少し載せられた。
それで夜の10時過ぎに床に就くまでずっとみちたのことを書いた過去のブログを読んで、みちたの画像をまとめて、みちたが映っているYoutubeに公開している2010年のオリジナルビデオを観て泣いたり、みちたのブログを一冊の本にしたいと想い、製本できるサイトを見たりしていた。
床に就く頃、心は落ち込んでいた。
2016年頃から、みちたの写真は少しあっても、元気そうな写真は一つもなかった。
パスツレラ症でいつも涙と鼻水で目の周りも鼻の周りもひどく、哀れな状態で、ブログに載せられそうな写真がなかったから、ほとんどそれからブログにはみちたの写真がない。
みちたの病状が悪化して行くのに並行して、わたしがお酒に酔っ払って自分の顔を大量に撮り続けるという異常行為が増えていることがわかった。
悪用される可能性を解っていてブログに自分の顔を大量に載せ続けることは一つの自虐行為になる。
今年の1月からとうとう斜頸の症状が出て、それでもみちたはうさぎのぬいぐるみにマウンティングを励んだり、食欲はすごくあったりした。
抗生剤治療を、最初の段階からしていたなら、事態はどう変わっていたのか。
2007年に飼っていたハムちゃんの時のように、量を間違えてこの手で早く殺めていたか、善玉の腸内細菌も殺して悪化していたか、それとも、良くなってみちたは今も元気でいてくれていたのか。
同じことを、何遍も何遍も繰り返し後悔してしまう。
抗生剤治療は、そこまで安心できる治療法ではない。
抗生剤治療を行って悪化して死んでしまったケースもネットには載せられている。
うさぎによって、必要な量も違ってくるだろう。
抗生剤治療とは、抗癌剤治療と同じく、結果がどう出るかわからない賭けの治療になる。
それでも、後悔してしまう。
すぐに病院に行って抗生剤を何ヶ月、何年と、嫌がるみちたの口に強制的に飲まして与え続けていたなら、その間のみちたのストレスはひどいものだったかもしれないが、結果的にはみちたは元気に戻れたかもしれないと。


後悔し続けることは、わたしが苦しみつづけることだ。
でも、後悔しても、みちたは戻ってこないとは想っていない。
寧ろこの苦しい後悔の年月が、みちたを戻すことのできる唯一の方法になるかもしれない。
魂とは、自分に悔いはなくとも、相手に自分との経験で悔いがあるなら、相手の為にまた遣り直してやろうと縁ある関係として生まれ変わってくるという。
わたしは愛する父とも、再会してまた一緒に暮らせる日々が来ることを信じている。
信じないならば、その日はきっと訪れない。
生まれ変わりを本当に信じないならば、生まれ変わることも、ないかもしれない。
もう二度と、愛する者と、会えないかもしれない。
わたしはどうしても会いたい。
どうしても、遣り直したい。
遣り直す為にも、愛ある存在として、成長したい。
みちたが息を引き取り、その後すぐに電話したとき、しんちゃんが言ってくれた。
みちたとの別れを通して、こず恵はまた一つ、大きく成長した。と。
人間を成長させる為に、動物は生まれてくるんだと確信できる。
人間に愛を教える為に、動物は愛のなかから生まれて来る。
決して、殺す為でも、食べる為でもなく。





(2011年1月20日午後15時45分。甘いおやつをもらえなくてストレスがすごかったと想うが、牧草と野菜しか与えられなくなって仕方なく牧草を一心不乱に食べているみちた。)




午前9時55分。
みちたのことを、もう少し早くにブログに公開しようと最初のうちは想っていたが、文字数制限で一つの記事に三万文字までしか載せられないことや、小分けにして載せるとしても最初に載せる一つ目をどのようにまとめたら良いか、どの写真を載せるかで悩み、時間が経っている。
それに、何となく、初七日が過ぎるまでは、載せない方が良いかもしれないと感じて、そんな焦ることもないと考え直す。
リアルタイムで知ってもらいたいという気持ちは強いが、でも考えたら本も音楽も絵画も、表現の大体は、かなり時差を持ってすべての人に公開される。
ブログだからリアルタイムじゃないと価値が落ちるというわけではない。
気を焦らず、時間をかけて綴って、纏めて載せていこう。
これは誰に読ませる為でもなく、わたしとみちたの大切な記録なのだから。


みちたを買いに行くとき、わたしは雄のうさぎが良いと決めていた。
わたしとみちたで、いっつい(一体)になる為だろうか。
わたしは女でみちたは男で、ひとつになりたいという願いが当時からあったのかもしれない。
わたしとみちたが一つならば、みちたがわたしの元に帰ってこないというのはおかしい。
みちたはわたしのように悲観的でなく、とても楽観的で達観しているように感じる、でも同時にみちたはわたしから離れて寂しがっているようにも感じる。
みちたは寝たきりになってからも、わたしが額や鼻の頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を閉じ、いつも撫でてやると歯を動かしてギシギシさせる癖があったが、それも少ししてくれた。




(2010年11月26日午後14時17分。みちたはこの時とてつもなく寂しそうな顔をしている。わたしが当時付き合っていた婚約者と修羅場続きで、わたしが婚約者に依存して、みちたにほとんど構って遣れていなかったからだろう。みちたを2日家に置いて、婚約者の住む山口県に急遽新幹線で行ったこともあった。)





10月18日午前7時25分。今日でみちたが旅立ってから、一週間が経つ。
一週間目が初七日だと想っていたら、昨日が初七日だった。
一度目の審判を、みちたは受けたのだろうか。
動物にも罪があるのは、動物の時代に犯した罪ではなく、人間の時代に犯した罪が、動物に罪を犯させるのではないかと考えている。
罪を意識することのできない動物や子どもに、贖いを求めることはどれくらいの意味があるだろうか。
でもこの世界では人間以上に動物たちが人間の犠牲となって苦しんで殺されつづけている。
何故なのだろう。
何故、人間の大人だけでなく、動物や子どもたちまでもが堪え難い苦しみのなかに死んでゆかねばならない世界なのだろう。
みちたが、前世で人間だったとして、わたしに飼われて苦しむことで負のカルマをすべて清算できたなら、みちたは人間として生まれ変わって来るかも知れない。
わたしは兎に角、みちたの側で生きたい。
必ずうさぎにまた生まれ変わってきて欲しいなどとは願わない。
犬になるかも知れないし猫になるかも知れない。わたしはこの先だれかの子を授り、わたしの子どもの魂がみちたかも知れない。
みちたが旅立つ何ヶ月か前に、みちたがゴールデンレトリバーになっていて、みちたがデパートのなかで居なくなって、必死に走って探し回っている夢を見た。
みちたはたまたま、今生にうさぎとして生まれて来たのか、それとも、わたしに飼われる為に、うさぎとして生まれて来たのか。
わたしは今の生活では犬も猫も飼えない。
でも小動物ならなんとか飼うことができる。
みちたはわたしと長い時間をふたりきりで過ごす為に、うさぎに生まれ変わって来てくれたのかも知れない。
外は雨が降っている。
みちたと何度、外の雨の音を聴いただろう。
わたしの元々のハンドルネームは雨音(あまおと)だった。
わたしは雨の音を、いつから好きになったのだろう。
雨が降っている道路を走る車の音を聴くと、よく父の運転する車に乗っていたその時間を想いだしていた。
でも今は、みちたを想いだす。
わたしの世界を、今はみちたが覆っているかのようだ。
みちたは目に見えないが、とても大きな存在であったかくて、やわらかくわたしを母親のように包み込んでいるようだ。
みちたの方が親で、わたしは子どもだったのかも知れない。
お父さんの生まれ変わりが実はみちたで、死後に再会したときに、「あんな、実はな、みちたはお父さんやねんで。」と言われたらひっくり返るほどびっくりするだろな、と考えたりもした。





(2010年11月26日午後14時20分。とても寂しそうな表情なのに、すごく愛らしい表情だと感じてしまう。それは人間にプログラミングされた本能的なものなのだろうか?寂しがっている弱い存在は、何よりも愛を求めていて、何よりも愛する必要がある。)




わたしはみちたを、ずっとずっと、11年と5ヶ月半、独り占めにしてきた。
みちたの愛らしさを、撫でたらふわふわの毛を、みちたに見つめられることの切なさを、みちたの、そのあたたかさを。
みちたはわたしだけのものではなかったけれど、みちたはまるでわたしだけの存在として、わたしの側にずっと居てくれた。
わたしの外に、もうみちたの気配を感じることができない。
みちたはわたしのそとから、わたしのうちに、移動した。
みちたが息を引き取った、その瞬間から。
わたしはそのとき洗い物をしながら、何も感じなかった。
だからみちたが、眠っているようだった。
ただ永い眠りに、入ったようだった。
わたしはそのときから、みちたのいない世界を、生きてゆく永い夢を見始めた。
夢だから、いつか必ず夢から覚める。
どんなに悲しい夢も、いつか終わる。




午前8時34分。こうやってみちたへの想いを綴っていると、涙がでてくる。
こんな風につらくても向き合うことがとても大切なことなんだとわかる。
つらくとも死者とふたりきりでしっかりと向き合う時間を十分に取らないと、後々とても苦しむ。と昨日みちたにお線香をあげてくださった訪問看護師のチャーミーさんがわたしに話してくれた。
みちたを火葬した後の1日目と2日目くらいは、この部屋に一人きりでいることがとても恐ろしくて耐え難いものにも感じられた。
でもその苦しみに耐え切れずにハムスターを買って迎え入れたりしていたなら、わたしはそれ以上に後で苦しむことになっただろう。
残りの所持金の6千円を、ハムスターを飼うことに使うか、みちたのことに使うか、悩むほど独りで家にいるのが耐え難い時間があった。
でもみちたがいなくなってから一週間が経ち、一人で一日中この静かな静かな部屋にいる恐ろしさも少しづつ和らいでいる気がする。





(2010年11月26日午後14時17分。この日お外もどんよりとした天気だったと想うが、みちたの写真を撮れるときは、いつでもわたしがほんの少し元気を取り戻せた日だった。)




みちたが生きているときにはちいさかった食用菊に着いていた幼虫が、昨日見たらかなり大きくなっていた。
保冷剤を入れ替えていないクーラーボックス(冷蔵庫がずっと壊れている為、クーラーボックスに野菜を入れている)に入れていた食用菊はもうほとんどドロドロになっていて、そのなかでも生きていた強い子だ。
人参のヘタと薔薇の花びらを一枚あげたら少し食べてもりもりうんちをしていた。
人参の葉っぱの部分をすべて食べて、その部分に頭をずっと突っ込んでいた。
もう終齢期かも知れないから、できれば今日逃がしてやりたい。
あとは土のなかに潜り、蛹となって晩秋か春になればハスモンヨトウかヨトウガに羽化して夜空に羽ばたいてゆく。
彼らは羽化すればほぼ何も口にせず、ひたすらに交尾相手を探して飛び回る。
大体は、成虫は十日前後で半月も生きずに力尽きて死ぬ。
探しても探しても、相手が見つからないままひとりで静かに絶える個体も多いだろう。
でも生命は、ただ繁殖する為に生まれて来るわけじゃない。
わたしは恋人も夫も子供もいないけれど、永遠に離れたくないと想えるほど愛する父がいて、愛するみちたがいる。
今は側にいなくても、心はいつでも共にいる。
悔いは多いけれども、明日死んでしまうとして、人生を全うしたと、想える日が来るだろうか。
みちたを喪くしたことで、わたしはまたひとり愛する者を喪う悲しみが深まった。
人間は悲しみが深まるほど、これまで楽しいと感じていたことや嬉しいと感じていたことが、もう同じように感じられなくなってゆくように感じる。
でも同時に、それ以上の喜びや、深い感動を覚えられるようになる。
それでも、喜びや感動は、愛する者を喪う悲しみの深さを超えることがないなら、魂は一層、成長してゆくことができる。
愛は悲しみをもたらし、悲しみは愛から遣って来るのであれば、人間は、悲しみから逃れる必要などない。
人間も動物も、愛と悲しみを知る為に生まれて来るのだから。






(2010年11月26日午後14時20分。この写真を、いつも観るたび切なくなる。みちたがわたしを赦して、わたしに向かって歩いて来てくれているような写真に想えるからだろう。)





2019年11月11日午後3時6分。今日で、みちたがわたしのもとを去ってからひとつきが過ぎる。
みちたが息を引き取ったのは、10月11日の午後6時45分頃から午後7時の間の時間。
ひとつき、わたしはみちたが不在のこの寂しくて堪らない世界で生きることができた。
みちたが死ぬ前は、みちたが死んでしまったらわたしは生きる力を喪って後を追うように死んでしまうんじゃないかと、それが不安で恐怖でならなかった。
だからみちたがいよいよ死が近づいていると感じた頃から、わたしは他の動物を早く飼わなくてはならないというある強迫的観念に取り憑かれていた。
それほど、わたしにとってみちたの存在はあまりに大きくて、わたしの生死を脅かす存在であるのだと感じていた。
実際、ここのところ朝に目が覚めると身体が鉛のように重く、本格的なペットロスが来ているのかもしれないと感じる。
でもいざ起きてしまえば、お酒を飲むと大分楽になれる。
それでも、みちたの写真を観るのが、だんだんと辛くなってきている自分がいる。
観ると涙が出て、つらくて落ち込んでしまうので、意識的に観るのを避けている自分がいる。
みちたがいない日常に慣れてゆくことは、わたしにとって悲劇であり、救いであるとは到底感じられない。
それは、慣れているのではなくて、上手くこの現実から逃避できていることに過ぎないだろう。
でもなぜ現実から逃避するのかというと、それは現実が耐え難いものであるからだ。
つまり、わたしは、日が過ぎるほどにみちたがいないこの現実に耐えられなくなっている。
これが”ペットロス”というものなのだと、わたしはこの人生で初めて知ったように感じる。
ペットロス症候群の人が増えてきているのは、ペットを、家族のように愛することができる人が増えてきているということだ。
それ自体は喜ばしいことなのに、ペットは人間より早くに死んでしまうことがほとんどだから、ペットとの別れに耐えられなくなって、鬱症状が出たり、みずから命を絶ってしまう人も増えてしまう。
愛による悲劇は、なんと悲しいのだろう。
それでも、動物を物のように扱い続けて生きて死ぬことより、ずっと救いがある。
ペットロスに苦しみ続けている人は、是非この事実(『
動物の魂と前世のお話。ペットはあなたを選んで生まれてくる』
https://スピリチュアルライフ.com/2018/04/05/animal/)を知ってほしいと感じる。



もう二度と会えないのだと信じ続けるなら、その悲しみは癒える日は来ない。
でも、必ずやまた会える。一緒に生きてゆけるのだと信じるならば、その日の為にどんなに悲しくとも生きてゆこうとすることができる。
生きてゆく為になら、どんなことも顧みないとするなら利己的になるけれども、生きてゆく為に、だれかの為に生きようと想えるなら、その行為自体が生きてゆくことのできる糧となり、術になる。
先日、わたしは10年前にここに引っ越してきて初めて、エホバの証人の集会に参加した。
理由は、今のわたしはあまりに孤独であり、また孤立していて、このような状態を続けてゆけば、長く生きられる気がしない。
本当の意味での、霊と霊との深い交わりが必要であると感じたからだ。
でも普通に人と接していて、そこまでの深い交わりを持てることは無きに等しい。
現に多くの男性と真剣に付き合ってきたが、今でも霊と霊としての関わりを持てている人が一人もいない。
かつてはあれほど想い合っていたとしても、時が経って別れたあとでも互いに本当に苦しい時に力になれないのなら、なんと虚しいのだろう。
今わたしは途轍もなく孤独に苦しんでいるが、誰一人、”女と男”という関係を棄て去って霊と霊として話し相手になろうとする人一人とていない。
でもエホバの証人であれば、そのような虚しい関係に終わることはない。
何年経っても、わたしが苦しんでいれば必ず善意で助けようとしてくれる、真のクリスチャンである。
それはこれまでの経験を通して感じてきたことだ。
自分の母が敬虔なエホバの証人であったからではない。
エホバの証人は、本当に誰に対しても、どんな裏切り者にも、救いの手を差し伸べる。
どんな暑い日も寒い日も、聖書の神の救いと愛を広げるために奉仕をつづけ、どれほど冷たい言葉を投げられても挫けることのない彼らを、わたしはずっとずっと尊敬してきた。
今、このタイミングを逃してはならないと感じた。
きっとみちたが、そして天にいる母が、仕向けてくれたのだと感じて、わたしは勇気を振り絞って、生きてゆく為に、そしてすべてを耐え難い苦しみから救う為に、すべてに永遠の魂が与えられる為に、聖書の教えを、本格的に真剣に学んで行くことを決意した。
週に一度、姉妹(エホバの証人は姉妹と兄弟と呼び合う)のおうちで聖書の研究をし、週に一度、近くの集会場で行われる集会に参加することにした。
このわたしにとっての大きな転機が、みちたのいない寂しさを慰み、紛らわす為だけの行動ではないことを切に神に祈りながら。






(2010年11月26日午後14時24分。みちたくんこっち見てるよ?
みちた「大丈夫かなぁ…。」)