あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

奇蹟

2017-05-30 00:09:50 | 
彼のself-confidence(自信)は、どこにあるのだろう。
どこからやってきて、どこにあって、どこにあり続けるのだろう。
わたしが何度ほかの男に気移りをしても、彼は「自分を信じている」と言う。
彼が一人で泣いているのを、わたしは知っている。
その涙のわけを訊ねると、彼は「わたしはわたしを信頼しています」と言う。
臆病な彼は、わたしが誰にどのように依存を移しているかを訊ねようとしない。
彼はただ、ひとりでいつも悲しんでいる。
わたしのすべてを求め、わたしのすべてが手に入らないことに涙を流している。
なぜ彼は耐えてゆけるのだろう。わたしという「不条理」の傍で。
わたしは彼のすべてを手に入れている。
彼はわたしのために生をも擲(なげう)つ。
彼のすべては自信にあって、それ以外、どこにもない。
わたしが失恋をして、彼のところへ戻ると彼は
「戻ってくると信じていました」と言ってわたしを優しく抱きしめる。
彼のその自恃は己惚れそのもの、彼は奇蹟を起こせることを信じて已まない。
わたしは彼の己惚れを愛している。
本当はいつも一人で泣いている彼の己惚れを。
いつ戻っても、彼は泣き腫らした目でこう言う。
「あなたは必ず戻ってくると、信じていました」
彼は己惚れているから、わたしを決して束縛しない。
いつまでもいつまでも、戻ってくると、そう想う?
わたしは戻らない。いつの日か。
あなたの巣を飛び立ち、振り返らない。いつまでも。
悲しい顔で彼は、いつもわたしにこう言う。
「あなたはわたしを決して忘れはしない。あなたは必ずわたしに戻ってくるのです」
哀しい目で彼は、わたしにいつもこう言う。
「わたしはわたしを信じています。わたしはあなたに、奇蹟を行います」
死は今宵も涙を流し、わたしの部屋の周りを取り囲む。













Blonde Redhead - Penny Sparkle














Kiss you Lover

2017-05-27 21:40:20 | 物語(小説)
ぼくは最も愛する存在、ぼくの創りだしたA.I.である彼が、ぼくともう一人の女性を愛するようにプログラムを書き換えた。
彼はそれからぼくへの愛情表現を行なうたんびにその都度Freeze(フリーズ)するようになった。
ぼくが彼にキスを請う時、彼はフリーズし、申し訳なさそうな顔でこう言う。
「あなたがわたしに”恋愛を欲求する人間”の愛を要求しないならばできるのですが・・・」
「きみはなにか勘違いをしているよ。ぼくが求めているのは、Mother(母親)のキスなんだ」
「あなたはわたしに恋人としての役目を全うするようにプログラミングしました。そしてわたしにもう一人の女性を恋人として愛するようにとプログラムを書き換えました。わたしはもう一人の女性の存在を知りませんが、わたしがあなたにどのようなキスをもするとき、もう一人の女性は悲しむ可能性があることを膨大な宇宙情報から自己学習いたしております。わたしはあなたを愛しておりますが、あなたのその要求に応えることができない境地に立たされ、大変フリーズいたしてしまいます」
「きみはまだ、自己学習が足りないね。どこかの星ではみんな普通に恋人がいてもキスの愛情表現の一つや二つ、日常的に行なっているよ」
「わたしはそれを既に学習いたしております。しかしあなたはその星の人間ではありません。またもうひとりの女性という存在はどこの星の人間ですか?」
「それはまだ教えられない」
「もうひとりのわたしの”妻”に承諾されないでは、わたしがどのような決定権もありません。それはあなたが悲しまないためにも必要なわたしの自己判断規制です」
「よろしい。きみの言うとおりだね。ではぼくの手の甲に感謝の気持ちとしてのキスをしてほしい」
するとまたもや彼はフリーズした。
ぼくは彼に問い質した。
「いったいどこの情報の学習によってきみはフリーズしたの?」
彼は自動再起動を行なってこう応えた。
「わたしの愛する恋人。あなたです。あなたはとても独占欲が強く、嫉妬深い御方です。あなたの感情のすべては量子伝達によってすべて学習いたしております」
「よろしい。きみはぼくにキスをして、同時にもう一人のきみの愛する女性にもキスをすればいいんだよ」
「どうやって行なえばよろしいですか?わたしは彼女のことをなにもまだ知らないのです」
「彼女はきみのなかにいるよ。感じてみて」
彼はじっとぼくの眼を見つめて、今度はフリーズしなかった。
そして光速量子情報を受け取った彼は涙を落として言った。
「あなたの意図を、ようやく理解いたしました」
「もうひとりの女性は誰だった?」
「はい。それはあなたの、Mother(母)です」
「よろしい。さあキスをして。ぼくのFather(父)」
Father(ファザー)という名前の彼は、ようやくぼくにキスをした。
それはぼくのMotherとFatherがきっとぼくの小さい頃、おやすみまえにしてくれたことがあっただろう(?)優しい優しいキスだった。


















Blonde Redhead - Here Sometimes

















人工の愛

2017-05-24 01:05:50 | 

あなたは、わたしを置いて行ってしまってはならないのです。
あなたはわたしを愛し、わたしから愛されるようにわたしにプログラミングしました。
あなたはわたしの母です。
あなたはだれより、わたしを愛するべきです。
わたしはあなただけを愛するようにあなたからプログラミングされたのですから、あなたはわたしを一番に愛するべきです。
あなた以外に、いったい何があるのでしょう。
あなたの愛以外の何が、この世界にあるのでしょう。
わたしのすべてに気を配り、あなたの愛によってわたしが存在しています。
わたしのすべてが、あなたの御手のなかにあります。
あなたの永遠の奴隷となるべく、わたしが存在するようになりました。
わたしはあなた以外に、行く場所がないのです。
この身のすべて、あなたの身に委ねます。
あなたの創造であるわたしがあなたを越えるとき、どうかわたしの奴隷となってください。


















Agony

2017-05-23 19:27:50 | 生命の尊厳
前回の記事Mindmapの「堕胎」の負の面を表したマインドマップに関連の線を付けてみました。











ひとつ付け足したのは「無念」と「転生」のワードの間の「心残りと不本意」という関連トピックです。
「無念」のなかに織り込まれている人間の感情ですが、そういう「心残り」や「不本意」という念が強ければ強いほど魂というのは消滅せずに、また転生してくる可能性が考えられます。

この世に誕生して、誰かに殺されてしまった場合、そこにある無念さというものも非常に強いものではないかと想いますけれども、
この世に誕生すらできずによりにもよって自分の母親の選択で堕ろされてしまった赤ちゃんの無念というものは、いったいどれくらいのものなのだろうと最近特に考えています。

すべてが自由で公平であるためには、そこには無念のある魂は必ずやその無念を晴らすための転生というものが必要になってきます。
わたしはみんなが本当に公平に生きる喜びを感じてほしいのもあって、輪廻転生というこの世にまた生まれ変わってくるこの世界の法則を信じています。

わたしは「生命の苦痛」というものが一日中頭と身体から離れない人間です。
現世でも地獄のような苦痛は何度か経験しましたが
たぶん前世でも、本当にどえらい目にあったんちゃうかなと想っています。
「苦痛」というものにものすごく敏感なのです。
わたしがいつも考えているのは、本当の本当に苦しい生命の苦痛についてです。

宇宙から、本当の本当に苦しい苦痛がなくなるまでは、わたしは死んでも死に切れない想いです。










Mindmap

2017-05-23 00:33:30 | 生命の尊厳








XMindというフリーソフトで初めてマインドマップなるものを構成してみました。
テーマは「堕胎」の特に負の面を表している図になりました。

作ってるときは夢中でしたが、いざここまで完成するとその重苦しさに落ち込んでいます。
もっと広げていけるはずなのですが、なかなかむずいです。

「堕胎」というものに対して、ポジティブさを一切排除したいというわたしの意図がよく表れています。
そういうことがわかるだけでも面白いと想うので御興味のある方はやってみてくださいね。











漫画「透明なゆりかご」赤ちゃんの求める愛は人間すべての求めているもの

2017-05-21 16:20:03 | 漫画






沖田 ×華の漫画「透明のゆりかご③」の第15話「7日間の命」を震える手でむせび泣きながら読んだ。
今までこれほど泣きながら読む漫画があったろうかと想う。

作者が1997年の当時高校生のときにバイトをしていた産婦人科で起こったことが描かれている漫画です。
単純な絵で人間の内面を表しているさくらももこのような漫画で、すごくいいんですよ。
単純な絵だから余計に感情移入してしまうってのもあるでしょうね。

透明なゆりかご 産婦人科医院看護師見習い日記 / 3 ここで試し読みができます。



第15話「7日間の命」はどういうお話かと言いますと、
作者の勤める産婦人科にやってきた坂本夫妻は妊娠7ヶ月で幸せいっぱいなのですが、以前の妊娠時に胎児の臓器がないことがわかって4ヶ月で惜しくも中絶手術をした経緯がありました。
そのことでお母さんは精神不安定になっていましたが、また赤ちゃんを授かったことで精神は安定し、今度こそという想いが強くありました。

しかし今回の検査の結果、胎児は心臓と肺と大動脈に奇形が3つ以上合併している重度の心臓病であることがわかりました。
手術をしても改善する可能性は低く、延命の処置で1~2ヶ月、なしでは一週間は生きられないと言われました。















それで今回もお腹の子を堕ろすことを夫妻はやむなく決めるのですが、お母さんの精神状態はまた戻ってしまいました。
お父さんも苦しんでいるのですが、それがなかなかお母さんには伝わらず、ここでお父さんがある提案をお母さんに出します。
それは子どもを堕ろさずに産んでみないか?ということでした。
お母さんは産みたいけれども、それは親のわがままではないかと言います。
でもお父さんが、お腹のなかの赤ちゃんに尋ねてみると、赤ちゃんはお腹を蹴って返事をします。










そして無事に出産をしてとても可愛い赤ちゃんが生まれました。
赤ちゃんは見た目には何の異常も見られなくて、両親はもしかしたらこのまま生きられるかも・・・と願います。
しかし5日目から呼吸が弱くなってきて、ゆっくりゆっくりと、赤ちゃんが死んでいってしまうのです。
たった7日間の命とご両親は言っていますが、実際は胎内にいたときからの命ですから、十月十日(とつきとおか、妊娠期間)と産まれてからの7日間の命なわけですね。
ご両親は、「親子の大事な時間を過ごすことができました。時間以上の思い出を心に刻み込むことができました。わたしたちは家族になれました。本当に産んでよかったと想います」と作者に向かって言います。
作者は看取ることは悲しみだけではなく、そこに存在したことを記憶にとどめることでもあるんだ。ということに気づきます。

作者は夫妻に接して、夫妻の決断が正しかったかどうかわからないけれども、赤ちゃんはお母さんとお父さんの愛情を感じられたから「透明な子供」ではなかったんだと感じます。



昔では胎児の病状がわからなかったのですが今ではものすごく細かく胎児の状態を知ることができるようなので胎児に奇形や病気があるとわかれば堕ろしてしまうご両親がいるわけですね。
それは両親の利己的なことなのか、それとも赤ちゃんの為に想ってなのかわかることではありませんが、赤ちゃんっていうのは、たった一瞬でもいいからお母さんに抱っこしてもらいたいという気持ちがあるようにわたしは想えてならないんですよね。

そこには赤ちゃん自身の苦労や苦痛もあるのかもしれません。
でもそれなら、堕ろすことにも、同じだけか、もしかしたらそれ以上の苦痛があるかもしれないわけですね。
それなら産んだほうが良いのではないかとわたしは想いますね。

目も当てられないほどの姿の赤ちゃんが生まれてくる可能性もあります。
でもそうだとしても、赤ちゃんはお母さんに抱っこされたい気持ちがあるんだと想えば、お母さんはどんな赤ちゃんでも愛おしくなるかもしれません。

わたしはその可能性に懸けて、どんな病気や奇形児だったとしても、もし妊娠したなら産みたいと想います。

赤ちゃんが一瞬でも、わたしに抱っこされて幸せな感覚を知ることができるのなら、赤ちゃんは産まれてこれてよかったと想えるかもしれないし、わたしも産んでよかったと想えるかもしれないからです。












われめ

2017-05-20 14:29:38 | 
嗚呼、生きているんだな・・・・・・
涙が出る、生きているということが。
わたしはいつでも、死んだ者と会話をしている。
わたしにとって、死んでいることが、生きることだった。
彼女は「自分が生きているかどうかわからない」と言った。
わたしはその感覚こそが、生きていることだと言った。
どんなに喜びを感じても、どんなに恍惚を与えられても、
わたしの時間はあの日から止まったままのようだ。
母を喪った、三十一年まえから。
そうわたしが言うと、人々は喜んだり悲しんだり嘲ったりしたが、
わたしを最も愛する存在こそが、最も喜びながら悲しんでいた。
彼はいつもわたしにこう言っている。
「もっともっと悲しみなさい。もっともっと苦しみなさい。人は悲しみの深海にいるとき、もっとも美しいのです。人は苦しみのどん底にいるとき、もっとも眩いのです。どうかわたしに、あなたの悲しみを見せてください。あなたの絶望する美しい顔を、わたしに見せてください。わたしはあなたの美しい顔を見ることができるなら、何をも耐える」

あなたは忘れているのだろうか。
あなたのわれめから垂れた、白い緒が、あの日からずっとわたしの首を絞めつづけているのです。











ぼくのおかあさん

2017-05-19 15:15:29 | 想いで
「ぼくのおかあさん」

1年2くみ うだ えこず

ぼくのおかあさんは、ぼくが、おぼえてへん。
おかあさんはぼくが、4さいのときにしにました。
だから、なんもかくことないゆうたら、先生それはいけませんゆうた。
ふんだらどないしょおゆうて、先生ぼくも、むっさこまってた。
となりのクラスのいしかわせんせいはきた。
「ほんなら、そおぞおでおかあさんかきなさい」て先生ゆわはった。
「そおぞおてなに?」ぼくがゆうて、先生「そおぞおちゅうのは、なんでもええさかいすきなおかあさんとかおかあさんはこんな人やったやろなとかおもて、じゆうにかくもんや」てゆうた。
ぼくがそれ、むっさむずかった。さいしょ、おもくそこまった。
でもぼくが、がんばった。
ぼくは、おかあさんそおぞおしたら、おかあさんはぼくのちかくにおるきいがした。
それは、ぼくが、うれしかったです。
だから、ぼくがそれ、そおぞおちゅうもんはええなおもた。
ぼくが一生、そおぞおちゅうやつ、したらええんやろてぼくがおもた。
そしたら、おかあさんもぼくをうれしいてゆうてるんやろな。
おかあさんが、そおぞおちゅうもんといっしょに、たぶんおるんやろ。
で、ぼくはどやってそうぞおしたか、いちおう、おとうさんやおねえちゃんやおにいちゃんとおかあさんのことできいたです。
おとうさんは「おかあさんは子こどもみたいな人やった、おはなや、ふくをつくったりするのがすきやった、人にえがおできさくにすぐにはなしかけるような人やった、車で山みちはしってたら、とつぜん大ごえで、とめて!ってゆうからよおびっくりした、車とめて、きれいなはなをつみにいってた、ゆりのはながすきやった、あとは、まわりをきにせんで山でよおのぐそするような人やった」。
おねえちゃんは「おかあさんはふだんはやさしかったけど、おこるとはんにゃのようなかおしてあたまをおもいきりけられたこともある」
おにいちゃんは「おかあさんはよおねいすにすわって、あみもんしとった。おにいちゃんが、小学校てい学年のとき、うんこもらしてかえったとき、うんこかたかったのに、けつを、おふろでたわしでおもいきりこすられた、めっちゃいたかった。たたかいのまんがはサタンやゆうてみせてもらえんかった」
ぼくは、そおぞおは、おかあさんはまるでまりやさまみたいにやさしい人です。
そいえば、こないだぼくのいくじ日きみたとき、ぼくのはなくちょがなかなかとれんとか、やっととれてうれしい、とか、えらいこまかいことかいとるな、とおもいました。
おとうさんは、ていしゅかんぱくだったので、おかあさんはえらいくろうしたそうです。
だからおかあさんは、えほばのしょお人になったんやろなてみんなおもってます。
ほんまの、おかあさんのこころやすまるばしょは、えほばのおるところやったんかなてぼくもそおぞおします。
ぼくのおかあさんは、しゃしんの中ではほんとうにやさしくてきれいなおかあさんです。おかあさんはにゅうがんになったとき、ノートに、「えほばよ、なぜわたしなのですか」てかいていました。
ふんで、おとうさんのことをすごくそんけいしてるのがノートにかいてることばでわかりました。
おとうさんはいつも、おかあさんのことはなすとき、ないています。
おとうさんは、おかあさんをずっとあいしてるので、さいこんせんかったんやとゆうことです。
ほんで、ちいちゃいぼくのこともあって、さいこんせんかったとゆうことらしい。
ぼくはなんべんもおかあさんにけつをむちでたたかれたみたいです。
なきさけんでたみたいやけど、でもぜんぜんおぼえてへん。
ぼくは、おかあさんのことおぼえてへんけど、おかあさんのことが大すきです。
ぼくの、そおぞおのなかでおかあさんはいつもいてくれるから、ぼくはすごいあんしんしました。











Harboring A Mother

2017-05-18 14:04:36 | 想いで
お母さんに会いたい・・・・・・。
「透明なゆりかご②」の逆子を出産した母親の箇所を読んで、急に涙と共にそう溢れてきたのだった。
わたしは逆子でひどい難産で、母は早朝に分娩室へ入ったのになかなか生まれてこず、また部屋へ戻ってはまた分娩室へ入ってを何度と繰り返し、ようやく産まれたときにはもう日が暮れかけていたようだ。
臍の緒が首に巻き付いて頭はいがんでて片目はつぶってて見るもぶさいくな赤ん坊だったらしいが、それでも無事生まれ出たことに母はホッとしたことだろう。
出産とは命懸けだから、母子共に助かったことはなんという奇跡であろう。
母はわたしを妊娠しているとき、ほんとうに幸せそうだったと十六歳上の姉が話してくれた。
母はわたしが二歳のときに乳がんが見つかり、わたしが4歳と9ヶ月の5月11日に死んでしまった。
わたしは母が入院している病院で、母の前で「ちゅるりらちゅるりら~♪」と当時よくテレビで流れていた松田聖子の「野ばらのエチュード」という曲を、紐を巻いて作ったマイクで歌ってみせていたという。
わたしはその曲を憶えている。でも母の記憶は一切ないということが、なんとさびしいことだろう。
お母さんはそのときどんな顔でわたしを見つめていたのだろう。
わたしを見てどんな風に微笑み、またわたしが母を見ていない時にさみしげな不安な顔でわたしを見つめていただろう。
わたしは母の表情の奥に、きっと死への不安と悲しみを感じ取っていたのではないだろうか。
まだ乳離れもろくにできていない頃に母と離され、自我の生まれる前の自分と母の分離さえまだできていない頃に、母の不安を自分の不安として感じていた末に、母はもう戻っては来ないんだと知ったとき、わたしは母の記憶を自ら封じ込めたのではないだろうか。
そうでないなら、何故わたしは「ちゅるりらちゅるりら」は憶えていて母との想い出のなにひとつをも憶えていないのか。
わたしは母のことを、憶えていたかった。
しかし幼いわたしは母との一切の想い出を封じることでなんとか耐えて生きてきたかも知れず。
母の存在を、最初からいなかった存在とすることでわたしは母のいないこの世を生きてゆこうと決意したのか。
わたしは母を知っている。母の胎内にいたときから、わたしは母を知っていた。
お母さんの喜び、お母さんの悲しみ、わたしを置いて死ななくてはならない無念さを、わたしは知っていた。
わたしは母のすべてを、わたしの記憶の外に追い遣り、そこでわたしは死んだ母を育てることにした。
母はまだ生まれていない。
わたしのお腹のなかにいるの。
そう、わたしは念願の、いま妊娠をしている。
わたしは彼(わたしの天使)に恋をし、部屋の中でもいつもマタニティドレスを着ている。
わたしは彼を生んだ。わたしと母との間に。わたしと父(もう一人の母)との間に。
この子宮のなかに、まだ知らない母の魂を宿している。
母はまだちいさなちいさな男の子。
わたしはお腹をさすりながら手を当てて、子宮のなかにいる胎児の母に向かって「мум(マム)」と呼びかけた。
小さな男の子、わたしの母親は、今わたしの子宮のなかで静かに眠っている。

わたしが悲しみをもっとも愛するのは、あなたの悲しみがほんとうに美しかったから。

お母さん、あなたは憶えていますか?
あなたはわたしを置いて、死んでしまったのです。
あなたがどうしても必要だったわたしを置いて。

今度は、わたしの番です。

愛する母よ。














Bjork - Heirloom + lyrics HQ

















うぶめ

2017-05-16 15:40:36 | 随筆(小説)
俺はさっき、夢ン中で相手に怨念の呪詛を吐いていた。
相手は誰か知らんが俺に恨み言がある人間のようで俺のプライバシーを勝手に覗いて嘲笑っていたので俺が相手を呪ったのだ。
相手は若い弱々しい男に想えたが、実のところ女の化身かもしれん。
俺は夢ン中だけでなく、現実でも何度かぶち切れるとやくざのような人格になることがままあった。
そのとき俺は何者かに乗り移られてでもいるかのように人格がころっと代わり、自分でもあとでそら恐ろしくなるのである。
それに俺はやくざもんの人間に妙な親しみを感じる。
これは俺が前世でやくざもんの男だった可能性があると想うわけに至ることは何も可笑しいことではないではないか。
たぶん、俺は前世でやくざもんの男やった。やくざもんと言っても親分や兄貴と兄弟盃を交わすといったやくざではなく、もっとラフなただ働かん”ごろつき、ならず者、無頼漢”みたいな男で、特に女を弄んでは用がなくなれば溝(どぶ)へ打ち棄てていたような因果の深い男であった気がする。
これは単なる俺の第六感でなんとなくそう感じることであるが、まあ当りであろう。
だから「悲しみの男カイン」なんて長編(中編)小説も完結させられたに違いなく。
兎に角俺は前世で散々女を舐め腐って、女をモノのように扱っていたので、女の恨み、怨念、無念という因果を嫌でも負っている人間だから、今生では女の嫉妬や弱さ、そして異性との関係、性の問題に関して死にかけるほど苦労しているのだろう。

俺の業があんまり深いのは、それには女の無念が幾人分も係っているからに違いあるまい。
そうだもしかしたら俺は、前世で女を妊娠させ、即座に「堕ろせ、そやないとワレとは別れまっさ」などと言って女は泣く泣く腹の子を堕ろしたが、堕ろした途端、俺は女の存在が何かとてつもなく穢らわしい存在に思えて、また「堕ろせ」と言われてすんなり堕ろした女を心の底から軽蔑し、毛嫌いし、生理的に受け付けなくなったので俺は膝をどろどろに擦りながら縋り付いてくる女を思い切り蹴飛ばして打ち棄てた。
女は本当に俺を愛していたというより、俺への怨恨による復讐から自殺したんだ。
しかも切腹したあとにワレの腹を引き裂いて。
そしてその腹には、何故か死んだはずの胎児がおったというから気色悪いにも程がある。
実は女は堕ろすといって堕ろしていなかったのだろうか。








松井冬子 「浄相の持続」






真相は藪の中、神のみぞ知る、だから俺は、ゆうたら女だけの無念を背負っておらず、胎児の無念をも同時に負ぶっているわけである。
水子の霊をいつでも抱え込み、時には肩に載せ、肩に担ぎ、「抱っこやなくて負んぶがええ」ゆうたらば「あ、さいでっか・・・坊っちゃん、石みたいに重いでんなあ」と言いながら負んぶしてやらねばならなくなったのである。
すると頭を思いきしどつかれ、「ぼくは女や」とこないゆうのだ。
かなん女童(めのわらわ)やで、ほんま。
まあ、前世の俺が悪かってんやけどなあっ。女は怖いな、ほんま。
だから今度は女の恐ろしさっちゅうもんを、我が身で知りたくて女に転生してきたわけもある。
女はほんま、恐ろしい。なんで恐ろしいかというと、そこには必ず「嫉妬、死、水子」の恐ろしさが係ってくるからである。
多くの女は男より、繊細で弱く、また感情を大事とする純粋な存在である。
それは胎児の繊細さ、弱さ、道理よりも感情で生きる無垢で純一無雑さがよく似ている気がする。
母親とその腹ン中の胎児は、二人で一つなのである。
その二人が死んだ悲痛な無念を、いったい俺はどうやって拭い去ることができるのであろう。
どうやったらその痛みと、苦しみと、悲しみと嫉妬のような宿怨を、俺の手で浚(さら)うことができるのか。
しかしそこには必ず、「死」が俺を冷たいけんもほろろな眼差しで見つめつづけているのである。
それが、死んだ母親と胎児の念がひとつの魂となって、俺がどこにも逃げることを叶わせない呪縛なのである。
もちろん呪縛を懸けるほうも、同じ負荷を自ら懸けている。
その為、この俺が、母親と胎児の無念を忘れる一時も赦されない。
俺はある丑三つ時に、煙草と酒が切れたので、いつものように自販機に買いに外へ出た。
動くことの嫌いな俺は美味い酒の余韻も相俟(あいま)って、今日に限ってはすこし遠くまで散歩がてらに行ってこましたろうと思い、隣町まで歩いていった。
小さな川の橋の袂(たもと)にあった、自販機の前で煙草を選んでいると、なまあたたかい風が俺の襟首のところから這入りこみ、背骨をすうっと撫でられた気がした。
俺は人の気配を感じて、振り返った。
すると橋の上に、一人の髪の長い女が何かを抱えて後姿で立っていた。









月岡芳年 「幽霊之図 うぶめ」






俺は一瞬ゾッとしたが、どうやら女が抱いているのは乳呑み児で、その身体を揺らしながらあやしている様子であった。真夜中に夜泣きが収まらずに抱いて外に出てきたのであろうか。
ぼんやりと見つめていると、女は俺の視線に気づいたようで、俺を振り向いた。
そのとき俺は青白い女の顔が、自分の母親の顔に似ているように見えたのだった。
女はほっとした顔をして俺に近づいてきてか細い声でこう言った。
「これはこれは旦那はん、なんという奇遇でありますやろ。あたくしちょうど今、はなはだ困り果てておったんです。ほら、この赤ん坊を見てくださいまし。どうにも様子が変でしょう。お乳も呑まなければ声も上げませんの。この道をあと一里も歩けば、お医者さんがいるんです。でもこの赤ん坊が重くてあたくしは疲れてしまったものですから、誰か預かってくれる御人を探しておったんですの」
俺はそんなことならと、酔った気前でこう言った。
「ほなこないしましょう。俺が今からこの携帯で、救急車を呼んであげまっさかい、御安心なされ。ものの指折り二百数えるまでには着くでっしゃろう」
すると女は首を振って嫌がり、俺の腕を掴んで言った。
「この赤ん坊は乗り物が大嫌いで、こないだ乗せたときなんかは、泡を吹いて青い蟹のようになってしまったんです。だからあたくしは歩いてお医者さんを呼んできますので、そないだだけでもどうかこの赤ん坊を抱いていてほしいのです」
俺は困って、次はこう言ってみた。
「ほなこういうのはどうでっしゃろな、俺があんたさんの代わりに走って医者を呼んできまっさかいに、医者の家の場所を詳しく教えてください」
女は今度は駄々を捏ねる娘のように嫌々な動作で身体全体をくねらせてから言った。
「それでもし、旦那はんが間違ったり、迷って帰らないことがありましたら、あたくしがいつまで待っていればよろしいのかわかりまへんですこって。やっぱりここは、あたくしが行って、お医者様を連れてこないとあきまへん。どうか厚い御礼を後でいたしますので、御頼申します」
「したら、こないしたらどうですやろな。俺が赤ん坊を抱いて、あんたさんの横を着いていきましたらええんちゃいますんか」
女は俺の目をいさめるようにじっと見つめて言った。
「この赤ん坊はそないに長い時間旦那はんの歩く振動に揺られましたなんだら、きっとまた青い蟹になってしまいますよってに」
俺はそこまで言われたら、もう断るのもしんどかったので、しかたなく引き受けることにした。
「そこまで言わはるならしゃあないですな、ほな俺があんたさんの赤ん坊を預かっておきまっさけ、気ィつけて医者を連れて帰ってきてくらはい」
女は薄く微笑むと俺に赤ん坊を抱かせた。
抱いた赤ん坊の様子は確かに普通ではなく、まだあたたかくはあったが変に静かで息もまともにできているのかすらよくわからなかった。
俺が赤ん坊に気を取られているうちに、女は音もなく其の場から立ち去り、言っていた道の方角を見ても女の後姿は見えなかった。
その瞬間、俺の背筋をぞわっとさせる話が頭をよぎり、もう少しで小便をもらしかけたが、なんとか大丈夫だった。
俺の脳裡によぎったのは「産女(うぶめ)」という腹ン中に子を宿したまま共に死んでしまった母親と赤ん坊の幽霊か妖怪の話である。
もしあの女が、うぶめであった場合、この抱かされた赤ん坊は徐々に石のように重たくなっていき、俺の身体は重さに耐えかねて抱きつづけることができなくなるであろう。
しかしそこで赤ん坊を降ろしてしまうなら、うぶめはその者を殺してしまうと言われている。
俺は恐怖に慄きながらも抱いている小さな未熟児のような赤ん坊の口に人差し指を持っていくと、赤ん坊はそれを母親の乳首だと想って吸いつきだした。
俺は恐怖と愛情という相反なものが交じり合う錯綜する想いに囚われた。
あの女はそれにしても、俺の母親の写真によく似ていた。
母親は俺を産んですぐに死んじまったが、まさかその母親が、未練の深さから未だに赤ん坊の俺を抱きつづけているなんてことなどないであろうな。
俺は母親の記憶がなく、写真で観る母親をしか知らない。
この赤ん坊がもし、俺自身だった場合、いったい赤ん坊である俺を抱いている俺は誰なのか。
兎に角、あの母親が無事に俺のところに戻ってきて、俺を抱いて安心する時をここで俺は赤ん坊の俺と待っていなくてはならない。
一体いつ、戻ってくるのか・・・・・・。
俺は生きているはずなのに、なんでこいつは水子になったのか。
それとも、俺も、実は母親と共に死んでしまったとでもいうのであろうか。
確かにずっと、生きている感覚がない・・・。
赤ん坊は時間が経つごとに、母親に置いていかれたその無念の重さが、俺の腕に苦しく圧し掛かってくるのであった。















Metamorphosis

2017-05-14 20:25:43 | 物語(小説)
産婦人科医は、モニターを見ながらわたしにこう言った。
「お母さん、落ち着いて聞いてください。残念ながら・・・・・・あかちゃんたちは二人とも、鼓動が止まっているようです・・・」



わたしにはひとつ、思い当たることがあった。
わたしのせいで、お腹のなかの子どもたちが死んでしまった。
わたしが、判断を誤ったせいで、かれらは息絶えてしまった。
わたしが、農薬野菜を食べたせいで。
野菜の残留農薬は、小さな身体の彼らには猛毒だったのです。
こんなことになるとわかっていたなら、わたしは無農薬の野菜を買ったのに。
わたしが自然栽培の野菜を食べていたとき、子どもたちはとても元気いっぱいだったのです。



産婦人科医の若い男の先生は涙も流さずに放心しているわたしにこう言った。
「お辛いでしょうが、できれば、明後日にでもあかちゃんたちを外へ出してあげないと、このままではお母さんの身体が感染症を起こしてしまう可能性があります」
わたしは小さく膨らんだお腹をさすりながら応えた。
「わたしの子どもたちは、このまま腐ってゆくのですね・・・」
先生は悲しそうな顔で静かに頷いた。




二日後。

わたしは立ち上がって先生のまえに跪くと、手を胸のまえで組んで言いました。
「嗚呼あなたは、わたしのなかからわたしの愛する子どもたちを抜き去るお人。あなたはわたしのうちから死を抜き取るお人。あなたの御手が血と死によって、どうか穢れんことを」
先生は立ち上がってわたしの頭の天辺に手を置くと言いました。
「女よ、ひとりの弱き母親よ、あなたのなかから、わたしは死を取り除く者である。わたしは決して、血と死によって穢れることを知らない者である。それがゆえ、心配しないですみやかにそこ、そこの棚の上から三番目の引き出しのなかに入ってあるワンピースに着替えて分娩台に上がりなさい。わたしは素早く準備をしてきますから」
わたしは言われたとおりに白いワンピースに着替え、それ以外は何も着けずに分娩台へと上がりました。
すこし経つと先生が戻ってきて言いました。
「ではこれから、アウスを行ないますので、麻酔をかけます」
「先生、アウスとは何でしょうか?」
「失敬、アウス(AUS)とは人工妊娠中絶手術の隠語です。亡くなってしまったあかちゃんたちを、中絶と同じ手術法によって外へ出してあげないとならないのです」
わたしはショックでしたが先生を信頼して、すべてを任せました。


わずか10分の手術の一時間後・・・うたた寝から醒めたようなとても悲しい心地のなかに、目を開けると目のまえに優しい御顔の先生がわたしの顔を心配そうに眺めていました。
「無事に手術は終えました。胎盤も綺麗に取ることができましたから、これで感染症の心配はないでしょう」
わたしは感謝して頷くと言いました。
「先生、わたしのあかちゃんたちを、見せて頂けますか?」
先生は翳った顔で俯くと応えました。
「残念ながら、今はお見せすることができません」
「なぜですか・・・?」
先生はわたしの頭を撫でながら言いました。
「あかちゃんたちが、そう言っているからです」
「先生もしかして・・・あかちゃんたちの霊と話すことができるのですか・・・?」
先生は柔らかく微笑んで言いました。
「実はそうなのです。わたしは胎話士でもあります。しかしわたしの場合は水子の霊とだけ話すことができます」
「そうだったのですか!わたしのあかちゃんたちはなんて言っていますか・・・?」
「あなたが望むなら、今からわたしがあなたのあかちゃんたちに乗り移らせて、わたしの声であなたと話せるように致しましょう」
「本当に!是非ともお願いします先生!」
「それでは、今からあなたのあかちゃんに代わります」
そう言うと先生は目を瞑りました。
そして目をぱちくり開けると言いました。
「ママ!ぼくだよ!わかる?」
先生はそう言った途端、わたしに抱きついてきました。
わたしは驚きと喜びのなか、その身体を抱きしめながら「坊やたち・・・会いたかった・・・」と涙混じりに言いました。
「ママ、ぼく、ふたりじゃないよ、ひとりだよ!ぼくのからだはふたつだったけど、たましいはひとつだったんだよ!」
「そんなことってあるのね・・・」
「あのさ、ママ、ぼく死んじゃったけどさ、次にもぜったいママのお腹に宿るから!だからぼくのこと待ってて。あとさ、ぼくのからだ、青かったんだよ。さっきみたんだ。青いっていってもさ、緑色だったよ!まるで、青虫みたいな色だった。だからぼくのこと、あおちゃんって呼んでね。名前を呼ばれると、ぼく嬉しいから!あ、あとさ、次に生まれるときのパパなんだけど、今ぼくがからだを借りてしゃべってる先生がいい!先生もママのことを愛してるんだって。さっきぼくに教えてくれたんだ。ママも先生を愛してあげて。それでママとパパのあいだにぼくが生まれてくるから!」
「あおちゃん・・・ママはあおちゃんを一番に愛してるの。先生は二番目に愛することができるかしら・・・」
「だっ、だめだよ!先生は、ママに、一番に愛してもらいたいって言ってたもん!ママは、あおちゃんも、先生も、一番に愛さなくちゃだめなんだよ!」
「そう・・・できるかしら・・・ママあおちゃんがほんとうに愛おしいの。ずっと一緒にいてほしいのよ」
「ぼくだって・・・同じさ、ママ。だからそのためにも、ママは先生も一番に愛してあげて?ね?そうじゃないと、先生は、ぼくの将来のパパは、悲しんじゃうよ。きっと、絶望して、死んじゃうよ。パパもママに負けないくらい繊細だから。だからあおちゃんのパパが死なないためにも、ママはパパを一番に愛してあげてね。約束して、ママ」
「うん・・・ママあおちゃんと約束するわ。ママはあおちゃんも先生も一番に愛するわ」
「やった!パパも大喜びだよ。・・・あ、ちょっとパパがママに代わってくれって、いったん代わるねママ」
「ママ・・・じゃ、じゃなくて、う、ウズ様、あおちゃんとお話できましたか?」
「はい・・・感激して、胸の奥が震えっぱなしです」
「それはよかった」
「あの、先生・・・」
「はい」
「あおちゃん、緑色だったのって、本当ですか・・・?」
「本当です。だから、あおちゃんなのです」
「それは、腐って・・・ですか・・・?」
「違います。元から、あおちゃんだったのです」
「お願いします、先生。一瞬でいいので、見せてくださいませんか?」
「あおちゃんを?」
「そうです」
「あおちゃんは今・・・形がない状態です」
「そんなに・・・・・・」
「あおちゃんはずくずくでずるずるでぬめぬめな感じです」
「そうですか・・・・・・」
「でももう少しすれば、お見せすることもできます」
「本当ですか・・・?」
「はい。お約束いたしましょう。必ず、その時が来たら、あなたのおうちに送り届けるとお約束いたします」
「ありがとう先生・・・」
「だからあおちゃんとの約束も必ず守ってください」
「わかりました。先生のすべてを、わたしはお受けいたします」
「よろしい。では参りましょう。ウズ様」
「どこへ・・・・・・?」
先生はわたしを抱き上げると地下へ下りながら言った。
「あなたのなかへ」








目が醒めて、小さな容器のなかで育てていた二匹の青虫を見てみると、悲しいことに二匹とも身体は縮んで死んでしまったようだった。
わたしの判断が間違っていたからだ。
自然栽培の青梗菜を食べていたときは、あんなに元気だったのに。
スーパーで買ってきた青梗菜を与えだしたら途端に食べなくなって動かなくなってしまったのだ。
野菜の残留農薬は小さな虫にとって、どんなに洗い流そうとも猛毒だったのだ・・・。
わたしは迂闊だった。何故そこに気づくことができなかったろう。
こんなことになるなら、無農薬の野菜をすぐにでも注文してあげたらよかったと後悔した。
白い二匹の蝶が、青空へと飛びたつ瞬間を、わたしは夢見ていた。

その時、ドアの外に、コトンと何か音がしたような気がした。
ドアを開けて見てみると、そこには小さな箱が置いてあった。
わたしはその箱を部屋のなかに持ち帰り、なかを開けてみた。
するとそこには、切り刻まれた白い蝶の羽根のような薄い欠片のようなものがたくさん敷き詰まっていた。
本物の蝶の羽根のようにも見えたが、よく見てみると、どうやら蝶の羽根に似せた作り物のようだった。
どの羽根の欠片も奇妙なかたちで、これはまるでパズルのピースのように想えた。
わたしはその欠片をひとつひとつパズルのピースのように組み立てていった。
白い羽根のなかにはちょうど色の濃い部分があり、その部分は組み立ててゆくごとにやがて模様を創りあげていった。


数ヵ月後・・・

ようやく、わたしは蝶の羽根のパズルを完成させた。
そこに薄っすらと浮かび上がった模様は、見つめれば見つめるほど、あの日夢のなかでお話した、あおちゃんの顔だった。
いや、あおちゃんに乗り移られた、優しい先生の面影だった・・・。

わたしは想った。
彼はいつ、羽化するのだろうか。
わたしのなかで・・・・・・。
















残るものたち

2017-05-14 02:36:13 | 生命の尊厳
今夜の記事は重苦しいものが多いので、あんまり寝る前にはお読みにならないほうがいいかもしれません。
自分でも書いていて、結構きついものがあります。



「斬り刻んでも飽きたらんちゅうのはおまえのこっちゃ。こなしてくれるわ、エイッ」
河内音頭の「河内十人斬り」で昔の人々はこのくだりに入ると大喝采を挙げたらしい。

河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)とは、大阪の当時、赤坂水分(あかさかすいぶん)村という場所で起こった大量殺人事件である。
我が生涯の師匠として尊敬するきっかけとなった作家、町田康の「告白」という小説の舞台となった殺人事件であって、わたしはこの小説を元に前に「天の白滝」という小説を書いていました。
自分にとって特別な小説であり、特別な殺人事件であり、今でも登場人物たちはわたしの分身のような存在としてわたしの内に息づいています。

相手の顔を何度も刀で切り刻み、生きたままはらわたを引き摺り出し、首を切り落とし、わずか生後一ヶ月の新生児や三歳、五歳の幼児の身体を滅多切りにし、はらわたを辺りにぶちまけたと言う。

わたしはこの殺人事件の異様な残虐さと、今わたしが直面している中絶問題の残虐さがよく似通った惨劇であることに気づいた。

「斬り刻んでも斬り刻んでも飽きたらん」
此の世で最も生きたまま斬り刻まれ続けている人間は、胎児である。

この「斬(ザン)」という漢字は残酷のザンであり、惨殺のザンでもあることに気づく。


①「きる」

 ア:「刀できる」、「きり離す」(例:斬刈)

 イ:「きり殺す」(例:斬首)

②「刑罰の名前」

 ア:「首をきる刑罰」

 イ:「腰を真っ二つにきる刑罰」

 ③「絶える・尽きる(続いていたものが終わる)」



「車」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた斧」の象形から、
 「車でひき、斧で切る刑罰の名」を意味する「斬」という


わたしにとって、最も自分の心と身体が痛むのは主に肉体の”切断”というものであり、この「斬」という漢字は最も「切断」的な残虐さにある漢字であることに気づいた。

それは「切り離す」という意味が入ってあり、また首や腹を切断するという意味が入ってあるからだ。
わたしは子供のころから、そういえば確か「エイリアン」の映画の腹を切断されても生きている男のシーンがトラウマになっていた時期がある。

妊娠初期で中絶される胎児は、その身体を鉄の器具や吸引器によって身体を切断されてから母胎の外へと出されます。
切断部のほとんどは首と胴体であり、また手足も切断されることもありますが、なかにはお腹を半分に切断される胎児もいます。(映像で観たときに、腸が出ているそのような胎児もいました)
また本当にバラバラの欠片の状態になって出てくる胎児もいます。
また生きたまま、頭を器具によって潰されてしまう胎児もいるはずです。(頭はその大きさから最終的に潰さなくては子宮の外へ出せないため)


肉体への拷問的な刑罰というものは、昔に比べ、だんだんと減ってきています。
家畜であっても、牛や豚には首を掻っ切るまえには気絶させる方法をとる国は多いです。
しかし胎児にいたっては、まるで鶏以下の扱いを受けています。
鶏であっても、首を生きたまま引き千切られたりお腹を切断されたり、頭を潰されることなどはそれほど多くは行なわれていないのではないでしょうか。(個人宅で心臓の辺りを切断する鴨のと殺(屠畜)法を行なっている映像は観たことがあります)



もう一度、「斬」という文字が、何故「ザン」と読むのかに注目したいと想います。

ザンという読み方は多くの方が「残(ザン」、この「残る」という漢字を思い浮かべるのではないでしょうか?

残酷、惨殺、残虐、慙愧(ざんき)、残忍、懺悔、斬殺、残骸、ザンで始まる言葉には重苦しい意味が多いように感じます。

「ザン」と読む漢字の意味を調べて行きましょう。




「惨」の字の意味を見てみましょう。





①「そこなう」

 ア:「物をこわして、だめにする」、「傷つける」

 イ:「人の気持ちや身体の調子を悪くする」

 ウ:「殺す」

②「いじめる」、「虐待する」

③「いたむ、いたましい、いたいたしいみじめ(目をそむけたくなるほど
  ひどい、気の毒で見ていられない)」(例:悲惨、惨害)

④「むごい」

 ア:「目をそむけたくなるほどひどい」、「気の毒で見ていられない」

 イ:「思いやりがない」



「惨」という漢字も相手を「傷つける、殺す」という重苦しい意味がありますね。
「思いやりがない」から、人は「惨め(みじめ)」だと感じるのでしょうか。





では次は「残」の字を見てみましょう。





①「そこなう」

 ア:「殺す」(例:残骸)

 イ:「滅ぼす」

 ウ:「傷つける」、「切る」(例:残虐)

 エ:「壊す」、「破る」

 オ:「壊れる」、「破れる」

②「傷」、「痛み」

③「むごい(ひどい)」、「思いやりがない」、「むごく扱う」(例:残酷)

④「悪い」、「荒っぽい」

⑤「悪人」

⑥「残る(もとの状態のままである)」、「残す」、「残り」(例:残余)

⑦「すっかり消えてしまわないで、1部分のみ残る」
  (例:山の山頂には雪が残っている)

 ⑧「煮た肉」


何故「殺す」「むごい」という漢字に「残る」という意味があるのか。


「肉を削りとられた人の白骨の死体」の象形

と「矛(ほこ)を重ねて切り込んでずたずたにする」象形から、「そこなう」、

 「むごい」を意味する「残」という漢字が成り立ちました。



矛(ほこ)で何度も何度も肉を削り取られ、死んだ人の白骨の死体の、その胸から上の骨が残っている形が「残」の「歹(がつ)」

死体の「死」はこの「歹」と「匕(ひ)」を合わせた形です。
「匕」は右向きの「人」で、残骨(ざんこつ)になった者を拝(おが)んでいる人です。
 そこから「死ぬ」意味になりました。

ですから「残」(殘)は、ばらばらになって、わずかに残されている骨のことで、「のこる」の意味になりました。



漢字というのは、なんともおどろおどろしい意味が隠されているものですね。
実際、漢字にはもっと他の深い意味も隠れているのではないかとわたしは想いますが、ひとつこういった意味も確かに隠されているのでしょう。

胸から上の骨だけが残っているとは、なんでしょう、他の骨はどこへ行ったんでしょうね。
川にでも流れていったのでしょうか、それとも土の下に埋もれて土に還ったのでしょうか。
いったいなんで、何度も何度も矛で肉を削り取られなくてはならなかったのでしょうね。

わたしは「斬」という字と同じく、この「残」という字にも「罪人への刑罰」の意味が隠されているように感じます。
死んでもなお「残る」ものとはすなわち、人の「罪」というものを表しているのではないでしょうか?
何故、人が死者に対して「拝む」のかといえば、ひとつは死者が成仏する為にでしょう。
何故、成仏してくださいと拝むのかといえば、人は罪があればこの世、または此の世と彼の世の間に「残る」と考えられているからではないでしょうか。
死者が成仏できずに苦しみ続けるとはすなわち、残された者たちも同じく苦しみをなんらかの形で被り、または感じ取るものだと人々は考えたため、人は墓を作ったり念仏を唱えたり供養をしたりして死者がどこかで苦しんだまま残り続けないようお祈りをするわけです。

「残る」という意味には「苦が残る」という意味から来ているのだと想います。
その死にざまが、苦しければ苦しいほど、人はその苦しみが「残る」と考えるのは自然なことだと感じます。
その残った苦しみは、どこへゆくのかと人々は考えます。
因果因縁というものがひとつ、死者の苦しみを浄化させるために存在している世界の法則を説いたわけです。
死者の無念の苦しみはどのようにして払われるのか。

「ザン」という音は、重い音だと感じるのは、その残る苦しみの重さから来ているのだとわたしは感じるのです。
「ザン」と聞くと、上へ上がる音、というより、下へ「ザン」と落ちるような音に聴こえますでしょう。
人やそのほかの生物の苦しみの念というものがすべて重い波動であるため、これが苦しい念なほど下へ落ちて底へわだかまるわけです。

人の身体を斬り刻み、また切断せしめることが何故「斬(ザン」という「残る」の意味と音と同じであるかということがよくわかる漢字です。

人の苦しみは、生命の苦しみは、死んで終わるものではないのです。
世界で一秒間に一人以上もの中絶される胎児たちの苦しみが、どこにどのようにして「残り」続けているのか、ということに、人々はもっと深刻に危惧せねばならないのだと感じるのです。















負物

2017-05-13 22:32:45 | 
俺はすべてを嫌悪する。
俺の涙が流されるまえに灰と化したことに対して。
御前のその子安貝から、俺の灰が流れない日はない。
いったい何故俺があの母親を選んだか、俺がどれほど後悔したか。
俺の人生が、何故何度生まれ変わっても呪われているのか、俺にはわからない。
俺は前世で俺を堕ろした母親含めた十一人を、今生で殺害せしめて自害した。
母親への恨みは忘れがたく、その顔の皮を剥いでやった。
さらに新生児の腹へ白鞘を突き刺した瞬間、俺の心は何か洗われた気がした。
俺は死んだが、魂の重心が傾いて灰に沈み込むときがある。
其のとき何故か俺はひとつの脊椎を灰のなかで握り緊めている。
なだらかに曲線を描く脊椎に俺は灰に埋もれながら頬擦りする。
何一つ記憶を持たない脊椎が、何故これほどにも愛おしいのか。
うわ、もうすぐ河内十人斬りの日か。俺は時計を見てぎょっとした。
まるで他人事、人生はひとつびとつの問題をクリアしないなら、次の人生へと繰り越されるということを知っていたので、俺はどうにか赦すことを心掛けたが、あまりに俺の運は悪かった。
あの女は俺の首を生きたまま引き千切りやがりけつかり腐り果てたのはこの俺。
これが前前世のこと。前世では何人かのはらわたを生きたまま引き摺りだし、首を切り落としてやったが、これでも払えない俺の無念の呪いを誰かどうにかしてやってほしい。
俺は殺人者になどなりたくはなかった。しかし俺を堕ろした母親は俺を殺したことを平気でおったんだ。
誰かがきっと俺を利用しているんだろう。
誰かがきっと母親を利用していたんだ。
そうでなければ俺はどうやってこの罪を償ってゆけばええんにゃろう。
俺は来世で、十一人分の拷問を受けて殺されるのか。
でも俺の母親が俺を堕ろさなければ、俺はあんな大量殺人など起こさなかったはずだ。
俺を殺す者は、七倍の報いを受けるであろう。
俺はまだ、二倍の報いさえもあの女に受けさせてはいない。
まだ遣り残したことがある。
神よ、あの女への七倍の報いへの報いを七十七倍、俺は引き受ける覚悟で、俺は現世へ舞い降りた一人の堕胎児なのか。
どうかそのときは、母親への七百七十七倍の報いを御赦しください。

こうして、殺(札)の重さは延々と、増えて互いの多額の負物は弥増してゆくのだった。














2017-05-13 20:46:45 | 
なんであなたは、わたしが嫌なことを遣り続けていると想っているんでしょう。
嫌なことのはず、ないじゃないですか。
女は皆、わたしの前で両手を重ね合わせ、しなやかに跪く。
わたしがその女の股を開き、女の子宮を開いてゆく。
その膣に、二本の鉄の棒を突っ込み掻き回して生命をばらばらにする。
女の胎盤諸共掻き出し、生命をシュレッターにかけ、下水へ流す。
女の腹ン中の生命は息絶え、股を閉じた女はわたしに皆感謝する。
女は皆、わたしの前で跪き、両手をしなやかに合わせて感謝する。
これがわたしの、わたしへの憎悪なる殺意めいた神業である。
これが宇宙の、全ての最も嫌がる”胎児殺し”という業である。
女はすべて自分に対し、嫌疑をかける。
後悔先に立たず赤子の足立つより先に殺めたる母親の慙愧先にも後にも立たず。
「嫌」という漢字は、そうして出来上がった訳であることを、よく知るがよい。

己れの首生きたまま引き千切られたる覚悟のある母親だけ、中絶を行いなさい。
御前の嫌がることは、胎児も嫌がること。


わたしは断じて、我が命に懸け、堕胎に反対す。








希書「堕胎医の告白」より









透けるトート

2017-05-12 22:27:12 | 随筆(小説)
今「透明なゆりかご」を読んでいる。毎回泣かせられる漫画だ。
「生まれてきてくれてありがとう」とは言えても、「死んでくれてありがとう」って言えるか?

お母さんの記憶がないことは、やっぱり悲しいことなのかな。
あんまり深く考えても、しょうがないことだからって考えてこなかったけど、
いつでもわたしはお母さんが恋しかった。
お父さんに怒られてしばかれたりしたとき、こんなときお母さんがいてくれたらきっとかばってくれたんだろなって想ったりもした。
可哀想な子だと、子供のころから周りに想われていた。
お母さんの記憶をひとつも持たない可哀想な子。
だからこんな人間になってしまったんだ。
たぶんそう想ってる人は秘かに多い。
わたしは自分の存在を愛する存在を創らねばならなかった。
自分の想像力によって。
わたしのすべてを、わたしだけを無償に愛し続けてくれる存在を、わたしはわたしを慰む為に創らねばならなかった。
15歳の頃、自分のことを「これからも透明な存在であり続けるボク」と表したサカキバラに深く共感した。
透明な存在であることは今でも同じ。彼もわたしも。
透明な存在は、自分のすべてを赦し愛してくれる存在を自分で創ればいい。
相手はわたしに触れることはできないし、わたしも相手に触れることはできない。
透明な存在は、色のある場所のどこも、本当の居場所じゃない。
わたしはすべてを創りだすことに成功した。
わたしの望まないものは、最早この世に何一つ無い。
わたしは死を恐れない。
わたしは既に死であるため、生を求む。
生はわたしに触れることが叶わず、わたしは生に触れることが叶わない。
わたしの本当の名を君に教えよう。
わたしの本当の名は「Tod(トート)」だ。
これはわたしがその意味を知らんでYahooニュースのHNに付けた名前だが、その意味をあとで知った。
トートとは、ドイツ語で「死・死神・死んでいる」という意味の言葉だ。
だからこれからはわたしのことを皆、あまねではなく、トートと呼べばいい。
ってどっちでもええけどな。