私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

昭和36年 -- 州崎橋

2007-10-11 21:30:23 | 私的「三丁目の夕日」

今は埋め立てられてしまった運河にかかる州崎橋。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台となった昭和33年まで、この橋を渡ると(写真では手前に)歓楽街=遊郭が広がっていたそうです。

先日も書きましたが、私が家族と共にはじめてこの橋を渡ったのは、昭和36年の春のことでした。上京する私たちのために父が借りた六畳一間の木造アパートは、橋を渡った州崎弁天町にありました。

母によれば「アパートそのものが、遊郭として使われていた建物かもしれない」ということでしたが、二階建ての木造アパートに住んでいたのは、同年代の似たような家族構成の気のいい人々でした。

お隣のTさん宅には、私と同じ歳の男の子がいました。我が家にはまだテレビがなく、おそらく私が生まれてはじめてテレビを観たのは、Tさん宅だったと思います。

テレビ番組そのものよりも、私の印象に残っているのは CM です。あのベロがオレンジ色に染まる「渡辺のジュースの素」や、子ブタの人形が相撲をとる「エースコックの即席ラーメン」の CM は今でもよく覚えています。

Tさんのお宅にはテレビだけでなく、冷蔵庫もありました。三丁目の夕日にも登場したあの氷を入れる冷蔵庫です。我が家では、テレビだけでなく、時々冷蔵庫もお借りしていたようでした。

遊郭が存在した時代は、州崎橋によって異なるふたつの世界が分けられていたといいますが、この橋を境に世界が変わるのは、私にとっても同じことでした。

日曜日は、この橋を渡って都電に乗り、錦糸町の江東デパートへ連れていってもらったものです。屋上の乗り物で遊んだ帰り道、都電の走る永代通りを背にこの橋を渡るとき、子供心にも楽しい休日が終わった寂しさを感じました。

「感じた」といえば、州崎橋を渡るときの運河の悪臭はすさまじいものでした。田舎育ちの私にとって川を流れる水は透き通っているものと決まっていましたが、東京の川は真っ黒で、しかも息が止まるほど臭かったのです。州崎橋は、私が「田舎の子供」から「東京(といっても下町ですが)の子供」に変わる時に渡った橋でもありました。

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