私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

おかえりなさい

2011-01-13 20:00:31 | 私的「三丁目の夕日」

みなさん、こんばんは。アヒルです。

なんと、8ヶ月ぶりの記事になります。すっかり、ご無沙汰してしまいました。

実は昨年の夏、母が亡くなりました。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中に見つけた、私の「原風景」の中に常に存在していた人でした。本当は、私の大好きな「お母さん」でした。

あれから半年が過ぎましたが、私はまだ母を失った悲しみの涙を流すことができないでいます。私を気丈(と自分で言ってよいのでしょうか(苦笑))にさせてくれたのは、肉親の狡猾さや、彼らに対する憤りでした。

記録的な猛暑だったあの夏、私と家内は、いや、私たちだけが、母を見送るための儀式や霊園探し、建墓などに多くのリソースを費やしましたが、告別式に遅刻してきた弟の家族は、納骨式に姿を現すことすらしませんでした。誰からもねぎらいの言葉ひとつかけてもらえず、「なぜ、私たちだけが?」という思いが残るとても辛い夏でした。

このような愚痴や恨み言を書き連ねてしまうことがわかっていたから、8ヶ月もの間、ブログや Twitter への書き込みを自制し、おとなしくしていたのですが、やっぱり書いてしまいましたね(苦笑)。

そして今、思うこと。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中に見つけ、「再会」したと思っていた私の「原風景」は、実は全く別の世界になっていたのではないか、ということ。

六ちゃんを上野駅へ送り届けたあと、鈴木オート一家が見た夕日は、今もまだ50年前と変わらずにキレイなままなのでしょうか?

お父さん達は、鈴木オートのように誇り高く、いつもちょっと無理をして、家族のためにがんばっているでしょうか?

茶川先生のように、思うようにいかない人生でも、決して他人や社会のせいにせず、自らを責める自覚や謙虚さを持っているでしょうか?

ヒロミさんや淳之介のように、誰もがうらやむような「冨」を目の前にしても、自分の思いや愛を貫くことができるでしょうか?

思えば、私が体験したことは、私の周辺だけでおきていることではなく、「現代の日本の縮図」なのかもしれません。

残念ですが、夕日も人々の心も、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中にみた50年前のそれとは、かなり変わってしまったように、私は感じてしまうのです。

こんな今だからこそ、私はもう一度「三丁目」に帰ってみたい。そして、自分や身の回りで今起きていることを、見つめ直してみたい。

「もう一度、あの暖かく、懐かしい人達に会いに、あなたの三丁目に帰ってみませんか?」、「おかえりなさい」、いつか、誰かがそんな言葉をかけてくれることを願っています。

BALLAD 名もなき恋のうた

2009-09-06 17:45:08 | 私的「三丁目の夕日」

山崎貴監督最新作「BALLAD 名もなき恋のうた」。もちろん、公開初日に観てきました。

1574年の戦国時代へタイムスリップしてしまった小学生(川上真一)と、そこで出会った小国「春日の国」の武士井尻又兵衛と廉姫の身分違いの悲恋を描いています。ランドクルーザーで後を追った両親と共に、廉姫を狙う大倉井高虎との戦いで又兵衛を助ける真一。戦が終わった後、アーカイブ星へ戻ることになりますが、真一と彼のマウンテンバイクの重量により加積となったランドクルーザーは、2009年ではなく1959年(昭和34年)の夕日町三丁目に「不時着」してしまいます。そして、鈴木オートや六ちゃんの協力で、ランドクルーザーではなく燃費のよいミゼットで未来へ戻ることに。東京タワーが落雷を受けた時のエネルギーを利用して、三人は再び現代に戻ることができるのでしょうか....。

とまぁ、こういうストーリーではないのですが(冗談ですから、真に受けないでくださいね)、純粋に感動しました。

監督はじめ、「ALWAYS 三丁目の夕日」のスタッフのみなさんが制作しただけあって、思わずニヤリとしてしまうシーンもいくつかあります。続・三の「脱稿」ととてもよく似たメロディが流れてきたり、又兵衛たちと一緒にカレーライスを食べたり。

タイムスリップのシーンでは、山崎監督のチカラをもってすればどのような「時空のねじれ」を演出をすることもできたと思うのですが、驚くことに VFX はほとんど使用されずに、とてもあっさりと描かれていました。

もう一度観に行ってしまうかもしれません。

てっぱく=鉄道博物館

2009-06-13 22:25:35 | 私的「三丁目の夕日」

てっぱく=鉄道博物館へ、ついに行ってきました。

これまで梅小路や大阪・弁天町まで泊まりがけで遠征しながら、自宅から乗り換え一回=所要時間1時間未満の大宮・鉄道博物館へなぜ行かなかったのか? きっと「おいしいものは最後までとっておきたかった」からなのかもしれません。

いや、それにしても素晴らしい。こんな近くにこんな場所があるなんて!! 館内にいた大人達が、まるで子供のように興奮し、はしゃいでいたのが印象的でした。もちろん、私たちもそれは同じなのですが....。

今日の一日を写真と共に Twitter にささやいてみましたので、よろしければこちらをご覧ください。→ http://twitter.com/always_3

これでいいのだ・・・!?

2008-11-03 17:41:51 | 私的「三丁目の夕日」

数年前に Amazon.co.jp で見つけ、速攻オーダーしてしまった「おそ松くん」の復刻文庫本バージョンです。

小学生の頃は、私が少年マガジンを、二歳下の弟が少年サンデーをそれぞれ買い求め、自分の雑誌を読み終えた後で交換して楽しんだものです。

弟の少年サンデーを借りて読むときに、最初に開くページはこの「おそ松くん」でした。何しろ、これを読まないと、学校で友達との会話が成立しませんでしたから。

40年後の今、改めて読み返してみると、さすがの赤塚ギャグも後年のそれと比較すると素朴でおとなしいものだったように感じましたが、それがかえって懐かしさをふくらませてくれました。

赤塚不二夫さんが亡くなられたのは、まだ記憶に新しい今年8月のこと。先週土曜日(11/1)夜に、フジテレビで放送された「これでいいのだ!! 赤塚不二夫 伝説」というドキュメンタリー+ドラマをご覧になった方もいると思います。

これがもう、すごい番組でした。音声だけを聴いていると、まるで「ALWAYS 続・三丁目の夕日」が、一足先に、日テレではなくフジテレビでテレビ初放送されたかのような感じ。

まぁ、時代背景が共通していることに加えて、制作日数が限られていた企画でしたから、仕方がないのかもしれませんね。でも、私的には「これでいいのだ・・・!?」とはいかないようなところがあったり....(苦笑)。

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」が公開されてから、今日でちょうど一年。昭和は、ますます「懐かしいだけの存在」になりそうです。

マルシンハンバーグ

2008-10-20 18:44:34 | 私的「三丁目の夕日」

小学生の頃、我が家ではハンバーグといえばコレでした。

先日、近くのスーパーで4個入りのパックを発見、「懐かしさ」だけで買ってきてしまいました。

昔のものと比較すると、あの全体を覆う真っ白いラードのコーティングが、ずいぶんと薄くなった印象がしました。

ネットで調べてみたところ、昭和50年代には「日産100万食」を達成したとか。お弁当のおかずにもよく登場したものです。

一口サイズに切って、フライパンで炒め、ケチャップとウスターソースであえたものを、バイト帰りの息子の食事に添えたところ、「なかなかウマイじゃん」と、2個を平らげてしまいました。

昔は1個しか食べさせてもらえませんでしたよね。目玉焼きだって、お父さんは2つでしたけど、お母さんや子供達は当然のようにひとつだけでした。

アヒルの不自然な体勢

2008-10-16 11:34:47 | 私的「三丁目の夕日」

アヒル家のある日の出来事です。

犬のシロとアヒルの娘 「ただいまぁ」

お父さんアヒル 「おっと!」

アヒルの娘 「あれぇ、おとうさん、なんか不自然な体勢ね?」

お父さんアヒル 「おかえり」

アヒルの娘 「あ、それ iPod touch! ちょっと見せて!」

お父さんアヒル 「あっ!」

アヒルの娘 「お父さん、またこれを観てるの?」

お父さんアヒル 「指紋をつけるなっ!」

アヒルの娘 「いつの間に買ったの、これ?」

お父さんアヒル 「いいじゃないか、欲しかったんだから」

アヒルの娘 「あっ、お母さん」

お母さんアヒル 「あなた、私に何か隠しごとしてない?」

お父さんアヒル 「ない、ない」

お母さんアヒル 「あわてたわね?」

お父さんアヒル 「なんで、そんなことを言うんだ!」

お母さんアヒル 「女の勘よ!」

お父さんアヒル 「あちゃ!」

最後の「昭和のライスカレー」

2008-10-14 17:15:06 | 私的「三丁目の夕日」

写真は昨日(体育の日)の我が家の昼食です。

昨年「救助」した、「昭和のライスカレー(レトルト)」の最後の3袋が、ついに10月12日、賞味期間を迎えてしまいました。

今回はちょっと豪華に、揚げたてのコロッケを添えて、お約束のソースをかけていただきました。あっさりとした味付けの昭和のライスカレーは、ソースで味をアレンジすると、ちょうどよい感じなのです。

スナック菓子をはじめとして、濃い味付けの食品が多くなっています。淡い黄色で薄味な昭和のライスカレーの方が、濃い茶色の今のカレーよりも、色彩として少しケバケバしい印象を与えてしまうのは、ちょっと皮肉なところかもしれません。

次に、昭和のライスカレーに巡り会えるのは、いつになるのでしょうか。

三丁目どこでもドア ~Eee PC 901~

2008-10-13 11:31:20 | 私的「三丁目の夕日」

「ALWAYS 夕日町三丁目」=「三丁目どこでもドア」を作るための素材集めは、順調に進んでいます。この週末にビデオのリッピングがほぼ終わり、今日はサントラをHDへ。

第一作のオフィシャルサイトでは、阿部EPや山碕監督の対談をはじめとする豊富な Podcast も公開されていましたので、コンテンツは iTunes で管理しようと思っています。

iTunes Store で「三丁目の夕日」を検索したところ、2006年7月に Apple Store Ginza で行われた山碕監督と松尾貴史さんの「たかしコンビ」によるトークショーが無料で公開されていました。「ALWAYS 三丁目の夕日制作秘話」なども含まれており、まだ聴いていませんがかなり楽しみです。

さて、残る問題は「いつでも、どこでも」を実現するためのプレイヤーの選択です。写真は Eee PC 901 で、リッピングした「続・三」をアヒル親子が観ているところです。

昭和のハウスカレーのパッケージと比較すると、そのコンパクトなボディサイズがおわかりいただけると思います。これならば、取り込んだコンテンツだけでなく、オフィシャルサイトなども同時に楽しめます。

ただ、コマ落ちといった問題は生じないのですが、プログラムを起動するまでのモッサリ感が気になります。バッテリが長持ちすることなど長所は少なくないのですが、1.1Kgという本体重量は、仕事で外出するときに「1Kgを切る Let's Note CF-R7」を持ち歩く私としては、ズシリと重たく感じられてしまいます。

やはり、大画面でなくてもよいですから、ポケットに入れられるくらいの「どこでもドア」がいいかも。となれば、やっぱりアレなんでしょうけど、こんな経済状況の下で、奥様のお許しが得られるかどうか....(汗)。

昭和55年 -- 3年B組金八先生

2008-04-10 18:54:48 | 私的「三丁目の夕日」

一昨日夜、寝る前にネットをさまよっていたところ、昭和55年(1980年)に放送された「3年B組金八先生」第2シリーズの第23~24話「卒業式前の暴力(1)~(2)」に触れたブログを見つけました。詳細については「金八先生 卒業式前の暴力」でググっていただければ、2000以上のサイトがヒットすると思います。

ブログや関連サイトを読み進めるに連れ、28年前に観たドラマの記憶が蘇って眠ることができず、午前2時過ぎに Amazon の「お急ぎ便」で第9巻の DVD をオーダしてしまいました。

そして昨夕、待っていた DVD が到着し、夜11時頃から一気に第23話と24話を一気に鑑賞。さすがに「ドラマ史に残る名作」と言われるだけのことはあります。再見であるにも関わらず、完全にその世界に引きづり込まれてしまいました。

最終回前の第24話。荒谷二中の放送室を占拠して教師らに謝罪をさせた加藤優や、今は亡き沖田浩之さん演じる松浦悟が警官隊に取り押さえられるシーンでは、泣くというよりもしゃくり上げてしまいました。バックに流れる中島みゆきの「世情」にも打ちのめされめてしまいました。

結局、見終わった後も感情が昂ぶってしまい、二晩続けて「眠れない夜」を過ごすことになりました。

それにしても残念なのは、ドラマに描かれ問題提起されていた教育と社会のあり方が、28年を経た今でも全く解決されていないこと。未熟な親や社会が育てた子供達が親になった今、事態はさらに深刻になっているような気がします。

私にとってさらにショックだったのは、ドラマで好感を持てない役柄として描かれていた人物達に、「きっと今の私も、こんな風に思われているかもしれないなぁ」という共通点を感じてしまったことでした。

感動して落ち込んで、とても忙しい一日でした。

東京タワー物語

2008-04-09 17:38:11 | 私的「三丁目の夕日」

東京タワー開業50周年を記念して、タカラトミーから発売された「東京タワー物語」を箱買いしたのですが、ダブりが2種類あり、全10種類中8種しか揃えることができませんでした。しかも、私にはスカに見えてしまう「透明版」が4個も。

思えば「続・三」コラボのガチャポンとして発売された「ストラップ」と「ピンズ」も、東京タワーばかりが集まりました。そういえば、情景フィギュアを箱買いした時にも、スカとしか思えない「建設中の東京タワー」にがっかりしたような記憶が(^^;

もっとも、一番欲しかった昭和33年完成時のモデルは彩色版と透明板を手に入れることができたのですから、これでヨシとするべきかもしれません。子供の頃は「箱買い」などできなかったのですから・・・。