私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

旅を終えて

2008-03-31 19:50:40 | 私的「三丁目の夕日」

昨夜10時前に無事帰宅することができました。24時間で1500Km近く移動したとはいえ、列車に乗ったままでしたので「寝不足」以外の疲れはなく、一晩寝て起きただけで体調は回復したようです。

このブログに旅先から記事をアップすると同時に、従兄弟や叔母の携帯にもふるさとの風景を配信したのですが、一様に「よくやるわね」という反応でした(^^; 特に叔母からは「あんたは楽しいだろうけど、○○(奥様)さんには迷惑なだけでしょうよ」と言われ、妙に納得してしまいました。私だけの「おもひで探し」に付き合ってくれた奥様に、改めて感謝しました。

旅を通じてもうひとつ再確認したのが、日本の携帯電話ネットワークの優秀なことです。日曜日に移動したのは田舎のローカル線だったわけですが、山の中の花輪線沿線を含めて、「圏外」になったのは数えるほどでした。トンネルの多い東北新幹線の方が、圏外になることが圧倒的に多いという皮肉な現実も知りました。

ただし、バッテリーは消費しました。私の携帯はD904i。旅の前に予備のバッテリを2個購入し、フル充電で臨みましたが、24時間で計3個のバッテリを見事に使い果たしました。

長いイスに横になることができるほど乗客の少ない、奥羽本線と花輪線の普通列車に乗り、想像以上に時代の移り変わりを痛感した旅でした。正直に言って、私が「懐かしさ」を感じることができる風景や出来事は多くありませんでした。何もかもが変わりすぎていました。

写真は「さよなら夢空間号」に接続されたB寝台車の連結部分にあった「北斗星」のロゴマークです。北斗星での役目を終えた車両だったのでしょうか?

昨日で引退した「夢空間」車両だけでなく、私たちが乗車したB寝台車も明らかに老朽化していました。そして、老朽化しつつあるのは私も同じなのでした。今回の旅は、私にとって「ふるさとへのラストラン」だったのかもしれません。

1425Kmのゴール

2008-03-30 20:48:07 | おもひで探し

「やはて28号」は定刻通り大宮に到着しました。大宮から自宅までさらに電車を乗り継ぐ必要がありますが、計1425Kmに及んだ「24時間車中一泊綱渡りツアー」レポートは、これにて終わりにしたいと思います。

昨夜からお付き合いいただいた方々、どうもありがとうございました。明日からはまた仕事の毎日がはじまります。

さようなら盛岡

2008-03-30 18:44:18 | おもひで探し

18時41分、「はやて28号」が盛岡駅を出発しました。大宮までの停車駅は仙台だけ。505Kmの距離をわずか2時間で結んでしまうのですから、さすがに新幹線は速い。5時間半をかけて、秋田~大館~盛岡の約138Kmを移動したことが信じられない気持ちです。疲れた体に新幹線のリクライニングシートがうれしいです。

盛岡駅到着

2008-03-30 16:44:50 | おもひで探し

秋田新幹線、奥羽本線、花輪線、IGRいわて銀河鉄道を乗り継いで、ようやく盛岡に戻ってきました。疲れました。「なぜ、こんなことをしたのだろう?」という気持ちがしないでもありません(^^;

もうすぐ盛岡

2008-03-30 16:36:59 | おもひで探し

渋民、滝沢、巣子、厨川、青山といわて銀河鉄道の駅が続き、いよいよ花輪線の旅の終着駅盛岡へ(写真は厨川の駅舎です)。

好きで選んだコースなのに、やはり疲れました。

昨夜品川を出発してから東北本線で盛岡へ、秋田新幹線で秋田へ、奥羽本線で大館へ、そして花輪線で盛岡まで、営業キロ数の合計はなんと約920Km。

この後さらに、盛岡から大宮まで500Km以上の道のりが残されています。

好摩駅

2008-03-30 16:16:19 | おもひで探し

東大更の次は好摩に停車。東北新幹線が開通するまでは、東北本線と花輪線が合流するJRの駅でした。

現在は「IGRいわて銀河鉄道」というおしゃれな名前の第三セクターに移管されています。

石川啄木の作品に登場する「停車場」は好摩のことで、彼はこの駅から東京へ旅だったそうです。

昭和32年 -- 松尾鉱山

2008-03-30 16:06:58 | おもひで探し

私が叔母家族の住む松尾鉱山を訪れたのは、まだ1歳になりたての昭和32年8月のことだったようです。

父が撮った、三人の従兄弟と一緒の写真が残されていました。中央の少女に抱かれているのが私です。

最近の廃墟ブームでにわかに注目されている松尾鉱山ですが、最盛期には地上の楽園とも呼ばれ、鉄筋コンクリートの集合住宅や学校、娯楽施設などが完備した近代的な都市だったそうです。残念ながら、私の記憶に中にその時にみた光景は残されていません。

大更駅

2008-03-30 16:05:43 | おもひで探し

北森、平舘を経て大更に停車。1972年10月まで、東八幡平駅を起点にここ大更駅まで総延長12.2Kmの松尾興業鉄道が運行されていました。松尾鉱山と花輪線を結び、鉱山で採掘された硫黄構成などの物資輸送と、鉱山に住む人々の旅客輸送のため「松尾鉱山株式会社鉄道部」が運営していたそうです。

かつて松尾町には私の叔母家族が住んでおり、小さな頃にそこで撮った写真が残されています。私にはまったく記憶がないのですが、約50年前、私はこの駅に降り立っていたようです。

安比高原駅

2008-03-30 15:41:59 | おもひで探し

小屋の畑、赤坂田、そして以前龍ヶ森と呼ばれていた安比高原に停車。SLブームの頃は三重連の撮影ポイントがあり、鉄道ファンがたくさん集まったそうです。