私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

昭和の鉄道模型 -- 走る

2008-01-25 20:10:16 | 私的「三丁目の夕日」
近くのシネコンでは、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の終映予定日がまだ決まっていません。うれしいことに、2月に入ってからも「三丁目」に帰ることができそうです。

私にとってはこの作品を永遠に上映する映画館のある街作り、「昭和の鉄道模型をつくる」がついに折り返し地点の25号を迎えました。

25号付属のパーツは電車の動力ユニット、ついに電車が動くようになります。

創刊号に付属していたプラスティック製の車輪を取り替えるだけなのですが、足下が変わっただけで実にリアルに見えてしまうから不思議です。

電車を線路に乗せてから、以前購入したパワーユニットを接続しました。カシッという小気味よい音で、電動ポイントが切り替わります。

ドキドキしながらマスコンを動かすと、まだ建設中の町並みを電車が駆けめぐりました。こんなに小さなレイアウトなのに、街が生きているように見えます。

この週末は線路の本貼りをする予定です。そろそろ置き場所のことも考えなければ....。

芥川賞

2008-01-19 21:17:48 | 映画「三丁目の夕日」

20年ほど前、ある入門書を書いたことがあります。何回か刷られたこともあって、生まれたばかりの息子のミルク代とおむつ代くらいは稼ぐことができましたが、費やした時間と対価を比較すると、あまり効率のよい仕事ではなかったような気がします。

当時は雑誌への寄稿を依頼されることもあって、本業が終わった後「一太郎」(当時は「Word」ではなくコレでした)に向かうこともありました。中でも、懇意にしていただいていたあるソフトウェア商社が発行する技術情報誌には、3~4回寄稿させていただいたと記憶しています。

本業が忙しくなりこの種の「副業」を控えるようになってから、1~2年後のことです。

帰宅の通勤電車が最寄り駅に近づいて席を立った時、私の目に飛び込んできたのは、「芥川賞決定」と大きな見出しが躍った「文藝春秋」の吊し広告でした。

受賞者はその技術情報誌の編集を担当していた女性と同姓同名でした。「へぇ、こんなこと(同姓同名)があるんだなぁ」と軽く受け流そうとした私は、広告の写真を見て愕然としました。

驚いたことに、芥川賞を受賞したのは、私が存じ上げていた「その人」だったのです。会社を辞められたことは知っていたのですが、まさか芥川賞を受賞するような作家に転身されていたとは....。

今にして思えば、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で、茶川商店前に集まった記者達の話を聞いて「え~っ、芥川賞!!」と叫んだトモエさんと同じような気持ちだったかもしれません。ほんの一瞬ですが、私が「芥川賞」を身近に感じたひとときでした。

それにしても情けないのは、私がこのエピソードを思い出したのが「昨夜」だったということ。

「続・三」のストーリーは芥川賞を中心に展開されているといっても過言ではないのに、これまでに8回も観てきた私がこの話を忘れていたとは....。

昭和の鉄道模型をつくる(23~24号)

2008-01-17 20:34:54 | 私的「三丁目の夕日」

先週末に届いた「昭和の鉄道模型をつくる」23号と24号のパーツは、映画館とお菓子屋さんでした。映画館の看板は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のポスターに取り替えてみました。

「続・三」の映画館内でのシーンは、私にとってエキストラ参加というとても思い出深いものとなりました。繰り返し見ているうちに思い出したのですが、大勢の観客の熱気にあふれた場内の光景は、私の記憶の中にも残っていました。

上京するまで田舎町でさえ、映画館がふたつもあった時代です。当時3~4歳だった私も、何度か映画館に連れていってもらった記憶があります。

上映されていた作品の内容は全くといってよいほど覚えていないのですが、なぜか、映写室から伸びる光の帯がキラキラと輝きながら、観客の吐くたばこの煙を突き抜けて行く様を鮮やかに覚えています。

というよりも、大人の映画を見てもつまらないので、映写室を振り返っては「スクリーンに向かって放たれる光の束」を観ていた....ということだったのかもしれません。

さて、いよいよ次号(25号)には動力ユニットが付属するようです。手元にあるパワーユニットを接続すれば、創刊号付属の電車を動かすことができるのでしょうか?

三丁目グッズの永久展示スペースづくり

2008-01-15 20:56:48 | 映画「三丁目の夕日」

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、公開11週めの週末(1/12~13)興収ランキングでもまだ8位をキープしています。「劇場に行けば三丁目の人々に再会できる」状態が、一日でも長く続いて欲しいものです。とはいうものの、上映終了の日が近づいているのも事実。

公開以来買い集めた関連グッズや書籍は、仕事場、食卓、リビング、そして枕元と様々な場所に飾り、「いつでも、どこでも、三丁目」を楽しんでいました。

ところが、このままでは「お宝」がホコリにまみれたり、踏んづけられたりという心配が。そろそろ「保存」のことを考えなければなりません。

ということで、先日来、狭い我が家の中になんとか「永久展示スペース」を確保できないものか、と考えています。その第一弾が、この「チョロQコンプリートコレクション」です。

「救助活動」により集められたセブンイレブン限定発売「チョロQノスタルジックセレクション」と「ちびっこチョロQ」計14種類に、トミカリミテッドの「ミゼット」をケースに収めてみました。

無印良品で購入したアクリルケースは、なんと2500円!! 実際にクルマ達を並べてみると、100円ショップで購入したプラケースと比べると見違えるような美しさです。

他のグッズ達にもこんな「よそ行き」をさせてあげたいものですが、それはちょっと難しいかも。「情景フィギュア」は、当面ダイソーで購入した400円のプラケースに納めることになりそうです(;_;

成人式とブルーバック

2008-01-13 20:42:48 | 私的「三丁目の夕日」

今日は息子の成人式。式典から息子が持ち帰った記念品は、粗品によくある3色ボールペンが一本だけでした。著名人の講演があるわけでもなく、私の時代と比較すると地味なイベントだったようです。

私の成人式の記念品はアルバムでした。日本のロケット開発の父と呼ばれていた糸川英夫先生の特別講演の後は、地元出身の岩崎宏美のコンサートという、今にして思えば豪華なイベントでした。

私は当時、彼女が特別好きなわけではなかったのですが、レコード(当時はまだCDがありませんでした)と同じように聞こえる歌のうまさには驚いたものです。

ところで、上の写真は我が家の壁にセットされたブルーバックです。なぜ、こんなことになったかと言えば....。

写真を撮られるのが嫌いな息子に「今日は成人式なんだから、記念写真を撮るぞ」と先制攻撃をかけたところ、「写真は仕方ないけど、外で撮るのはこっ恥ずかしいから、ベランダでかんべんしてくれ」と言われました。

確かに、何十人も新成人がいるこのマンションのデッキで撮影するのは、カメラを構える私も少し恥ずかしいような気がします。だからといって、背景がベランダというのも....。

そこで、リビングの壁にこんな青いテーブルクロスをガムテープで貼って「白組ごっこ」をすることにしました。もっとも、撮影後試してみたところ、壁の白い色のままでも「ヌキ」は出来たようです。

スーツを着てブルーバックの前に立った息子は「バックは日産スタジアムにしてくれ」と言っていましたが、ふふふ、背景は「茶川商店」に決まっているではないか(^^;

ハイビジョンの「三丁目」はいつ?

2008-01-11 21:32:43 | 映画「三丁目の夕日」

元旦に壊れてしまったHDレコーダのDVDドライブ。その日の夜にオーダーしたパーツが、今日ようやく到着しました。

若い頃はこういう工作が大好きでしたが、(最近口癖になっている)歳のせいか、いまではこの種の作業が億劫でなりません。

ドライバを手に格闘すること一時間余り、ようやくドライブの交換が完了しましたが、試してみるとメディアを全く認識しません。「こんなことなら、メーカー修理に出せばよかった」と愚痴りかけましたが、そうはいかない理由があったのです。

このレコーダーは、HD(ハイビジョン)で録画した映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観ることができる、現時点で唯一の手段なのです。

修理に出して、万一HDをフォーマットされるようなことがあれば、いつになるかわからないハイビジョン DVD の発売まで、三丁目の景色をちょっと荒い SD の画像で観なければなりません。

こんな理由で、自分でパーツ交換というリスクをとったのでした。

あれこれ試すこと、さらに1時間。トレイにメディアを乗せる方法に問題があったようです。新しいドライブには故障した方にはない「爪」のようなものがあり、その下にメディアを押し込まなければならなかったのでした。

改めてメディアをセットしたところ、今度は正常に認識。PCよりもはるかに多い20本ものケーブルをつないで、ようやく修理は完了しました。

「続・三」の DVD が待ち遠しいのはもちろんですが、とりあえず前作のハイビジョン DVD を発売してくれたらいいのに、などと思ったり。この際フォーマットはどちらでもいいんですけど(^^;

ちなみに、DVD ドライブが壊れたのは東芝 RD-XD91 で、交換のために購入したドライブは I-O DATA の DVD-AM16CV です。PC の HD や DVD を交換したことのある方ならば、比較的簡単に交換できそうです。もちろん、自己責任で(^^;

昭和42年 -- 切手のおとな買い

2008-01-10 22:55:14 | 私的「三丁目の夕日」

小学校4年生の頃から切手収集をはじめました。とても地味なコレクションですが、当時の子供達の間では趣味の定番でした。

上の写真は、ストックブック中の魚介シリーズのページです。中でも、中央に見えている「ぶり」には切ない思い出があります。

先ほどネットで調べたところ、この切手が発行されたのは昭和42年2月10日。実はこの日、私は生まれて初めて郵便局へ「記念切手」を買いに出かけたのでした。

小学校から帰宅してすぐ、母に「記念切手を買ってくるから、お金をちょうだい」と言った私は、渡された1000円札を持って近くの郵便局へ走りました。

窓口で「記念切手ください」と言った私に、窓口のおばさんは「今日発行の魚介シリーズね、何枚?」と尋ねてきました。

ここで初めて、何枚買うかを決めていなかったことに気がついた私は、とても慌てました。「毎回3枚づつ買う」ことに決まったのは、この日の事件の後のことです。

窓口のおばさんは、答えに窮して固まっている私に助け船を出すように「それじゃ、お金をいくらもらってきたの?」と優しく尋ねてくれました。

問われた私は当然「1000円」と答え、それが悪夢の始まりとなりました。おばさんは、なんと1000円で買えるだけの「ぶり」の切手を私に渡してくれたのでした。

小学4年生が最初からシート買い、それも3シート以上の「おとな買い」をしてしまったのです。元気に走った「往路」とは異なり、大変な買い物をしてしまった「復路」は半ベソ状態でした。

予想通りの展開が帰宅した私を待ち受けていました。66枚もの「ぶり」を前に、「こんなに買ってきて、いったい何に使うのよっ!!」とキレる母の気持ちは、私にもよくわかりました。

その後、母の仲介でよく手紙を出していた叔母に40枚を引き取ってもらえることになりました。さらに、友達との交換などによって、私の「ぶり」は最終的に写真の2枚だけになりました。

今にして思えば、私は小学4年生の時にこんな「おとな買い」を経験していたのでした。

グループサウンズ

2008-01-09 21:21:27 | 私的「三丁目の夕日」

懐かしい Mi-Ke のベストアルバムです。1000円という価格に惹かれて、Amazon で速攻オーダしてしまいました。もっとも、私が知っている曲は「思い出の九十九里浜」くらいで、その他の曲はほとんど初めて聴きました。今週はこのアルバムが仕事の BGM です。

このアルバムに収められた多くの曲が、グループサウンズの名曲をモチーフにしています。GS、懐かしいですね。私が小学校5年~6年だった頃がGSの全盛期だったような気がします。

GSといえばザ・タイガース。ジュリー(沢田研二)が「モナリザの微笑み」を歌う時の苦しそう(当時の私にはそう見えました)な表情を観て、目のやり場に困ったことをよく覚えています。

当時の小学生は「自分が好きなGSのバンド」をひとつくらい持っていないと、友達、特に女の子との会話に入ることができませんでした。などと、言ったら少し大げさでしょうか(^^;

私はビレッジシンガーズにしました。ジュリーのように「苦しそう」ではありませんでしたから(^^;

女の子の多くがジュリーやショーケン(萩原健一)をはじめとするGSのアイドルに夢中で、男の子に彼らの悪口を言われて泣き出してしまう子もいました。

休み時間になると、「夜のヒットスタジオの恋人選びで○○が泣いた」などという話題で盛り上がったのもこの頃でしょうか。

このアルバムには「亜麻色の髪の乙女」が納められています。先ほど息子が、「これって、島谷ひとみの歌のオリジナル?」と聞いてきました。

「いや、Mi-Ke も昔のグループだけど、オリジナルじゃないな」と答えながら、アルバムのライナーノートを見ると、ビレッジシンガースの清水道夫が参加しているとのこと。さらにライナーを読むと、「好きさ好きさ好きさ」のゲスト・ボーカルはザ・カーナビーツのアイ高野でした。

私は、当時すでに懐メロだった曲をカバーしたこのアルバムの、そのまたオリジナルをリアルタイムで聴いていたのですね。ふぅ、自分の年齢を改めて実感させられました(;_;

次の日曜日は息子の成人式です。私の成人式はなかなか豪華でした。偉い人たちの難しくてありがたいお話の後は、地元出身で当時ヒット曲を連発していたアイドルのライブだったのですから。東京・江東区出身の30年前のアイドルって、いったい誰でしょうね?

日常に戻るとき

2008-01-08 20:24:05 | 映画「三丁目の夕日」

年末年始休暇も終わり、日常が戻ってきました。今週からはテレビも通常番組に戻り、私の仕事も本格的に再開です。小さな頃は、休みの最終日が近づくに連れて憂鬱なカウントダウンを繰り返したものですが、最近は普通が一番。

カウントダウンといえば、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も上映終了の時が近づいているようです。近くのシネコンでは、上映回数が先週までの3回から1回に減ってしまいました。上映終了日はまだ未定ですが、「その日」が確実に迫っています。

昨年11月3日以降、「続・三を上映しているのに、他の作品を観るわけにはいかない」という妙な義理立てのような気持ちになってしまい、「映画の視野」を狭めていたかもしれません。

リビングから仕事場、食卓、さらには携帯の待ち受けまで「三丁目一色」だった私の生活にも、まもなく変化が訪れるのかもしません。いや、変化ではなく、これこそ「日常に戻る」ということなのかも。

義母を連れ夕日町三丁目へ

2008-01-05 22:18:49 | 映画「三丁目の夕日」

奥様の実家の新年会で74歳の義母が「○子(奥様)が出た映画を観たいんだけどね....」と話していたのを思い出しました。正確には「映画に出た」のではなく「エキストラに参加した」だけなのですが(^^;

昨日、奥様が義母に電話したところ「行きたい」とのこと。すぐにチケットを予約し、今日、私にとっては8度めの「夕日町三丁目訪問」となりました。

朝9時半に自宅を出て、クルマで30分弱のところにある奥様の実家へ。義母を乗せて自宅に戻ったのは11時過ぎでした。

その後、昼食を挟んで、前作を知らない義母のためにオリエンテーションを行いました。主要な登場人物をビデオの早回しで紹介した後、クリスマスの夜の指輪のシーン以降はノーカットで鑑賞してもらいました。「つかみ」はなかなかよさそうです(^^;

さすがに公開から2ヶ月が経過し、100席程度のシアターになってしまいましたが、近くのシネコンでは今でも「続・三」が日に3回上映されています。

オリエンテーションの後、1時過ぎの上映開始に間に合うよう、再び義母をクルマに乗せ、奥様と共にシネコンへ。驚いたことに、7~8割程度の座席が埋まっていました。

比較的お年を召した観客が多かったせいでしょうか、これまでで一番、「笑い声」や「私語」が飛び交っていました。その中には、義母が奥様に「こりゃ、詐欺だね?」、「あの女の人はもう大阪から帰ってこないのかい?」などと尋ねる声も(^^;

クライマックスが近づくに連れて、「笑い声」や「私語」の代わりに、鼻をすする音が目立つようになりました。私もいつになく感情移入が進んでしまい、今日はとくに泣けました。

エンドロールを最後まで観た後、「今日は朝からありがとう。久々によい映画を見せてもらった。あなた達が何度も観に行っているわけがわかったよ。本当によかった」と言ってくれた義母に対して、私は「こちらこそ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、本当にうれしいです」と返しました。

送り迎えを含めて8時間を費やしましたが、連れて行ってあげて本当によかった。

「ありがとう」という言葉には、「社会人標準装備の社交辞令」のようなところがあり、心が伴わずに使ってしまうことも少なくありません。

しかし、今日の私の義母に対する「ありがとうございます」は、神に誓って私の心からの感謝の言葉なのでした。