私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

桂月堂さんの赤飯まんじゅう

2009-05-19 22:07:22 | だからわたしは北国へ
大館駅前にある「桂月堂駅前店」さんの、あんこの代わりに赤飯をおまんじゅうの生地で包んだお菓子「赤飯まんじゅう」です。

このお店は「明けがら寿」という、お砂糖、寒天、クルミから作られたようかんのような形状のお菓子で知られています。「明けがら寿」を買おうと思ってお店にお邪魔したのですが、「赤飯まんじゅう」の方に気を取られてしまい一緒に買ってしまいました。花善さんの「鶏めし弁当」をいただいた直後だったため、大館駅の待合室で奥様と半分づついただいたのですが、ほんのりした塩味がまさによい「塩梅」で、小腹が空いたときの軽いお食事といった感じでした。

ふるさとの景色はすっかり変わってしまいましたが、懐かしい食べ物はまだまだ健在です。私の胃袋に若い頃のようなキャパがあれば、もっと「食べ歩き」を楽しめたのでしょうが....残念です。

はじめての個室寝台

2009-05-17 20:59:02 | だからわたしは北国へ

今回の旅では、生まれてはじめて「個室寝台(あけぼのシングルデラックス)」を利用してみました。

広さはご覧の通りですが、これが想像以上の快適空間で、大館駅で下車するのがイヤになるくらいでした。枕元から聞こえてくる「ガタンゴトン」という走行音がうれしくて、「まっ、眠れなくてもいいかっ」などと思ったり。結局、眠剤を飲んでも眠れないほど興奮してしまいました(笑)。

また、24時間「電波圏内」にいる必要がある私にとっては、車内にACコンセントがふたつあることも特筆すべきことでした。翌日のバッテリ残量を気にすることなく、PCもネットも使い放題。上野駅入線時のムービーもこの部屋からアップしました。午前0時を過ぎたあたりから、さすがに「イーモバイル」は圏外となりましたが、当然ながらドコモ(L-02A)はほぼ全線で利用することができました。

右の写真は秋田到着前にメールをチェックする私。まるで「走るホテル」といよりも「動くオフィス」といった感じです。ただ、「そうまでしないと旅に出られないのか」と考えると、ちょっと悲しくなりました。

22時間の旅に短縮

2009-05-16 19:02:41 | だからわたしは北国へ
角館に到着する少し前から調子の悪かった奥様が、到着後ついに絶不調となってしまったため、急きょ予定よりも2時間早い「こまち」で帰ることになってしまいました(泣)。

まっ、こんな強行スケジュールの旅に付き合わせた方が、悪いのでしょう。

幸い、新幹線の中での「爆睡」で、かなり回復したようです。

仙台を過ぎ、あと40分ほどで大宮に到着の予定です。

秋田内陸縦貫鉄道に、いつかまた乗車する機会があればよいのですが…。

阿仁合駅到着

2009-05-16 14:56:46 | だからわたしは北国へ
「マタギの里」でおなじみの阿仁合駅です。急行「もりよし3号」は、ここで14分ほど停車し、角館へ向かいます。

それにしても、この路線の沿線風景の素晴らしいこと。睡魔も負けてしまいます。

急行「もりよし3 号」

2009-05-16 14:06:13 | だからわたしは北国へ
千葉県の小湊鉄道よりもよほど新しい列車が走っているので、驚きというか、これまた「ふるさとを捨てた者の身勝手さ」を感じてしまいます。

ここ鷹ノ巣町(現北秋田市)は、私が小学校入学前に「祖母が倒れた」という電報を受け、「上野発の夜行列車」で駆けつけた街でもあります。幸い、祖母は一命を取り留め、その後は通過するだけの街となってしまいました。

鷹巣から角館へ

2009-05-16 12:55:54 | だからわたしは北国へ
奥羽本線「鷹ノ巣駅」前にある「鷹巣駅」から秋田内陸縦貫鉄道に乗り、角館駅へ向かいます。

この路線も他のローカル線同様乗客減による存亡の危機にあるそうです。

旧阿仁合線と角館線が結ばれたことを知ったときに、「いつかきっと走破してみたい」と思いつつ、20年が経過してしまいました。

大館花善「鶏めし弁当」

2009-05-16 09:51:41 | だからわたしは北国へ
昨年3月に数十年振りにこの駅で食べて、すっかりハマってしまいました。

首都圏では駅弁大会でもお目にかかることができないため、ここだけでしか味わえない(秋田駅、東能代駅、盛岡駅などでも販売しているようですが)お弁当です。

秋田駅到着

2009-05-16 07:10:56 | だからわたしは北国へ
秋田駅に到着しました。

昨年3月に「さよなら夢空間」に乗車した後、盛岡駅から秋田新幹線に乗車して以来、約一年ぶりです。

昨年も感じたように、私の記憶にある秋田駅とは風景もアナウンスも違いすぎて、あまり「懐かしさ」を感じることができません。

きっと「ふるさとを捨てた者の身勝手な郷愁」なのでしょう。