1425Kmのゴール 2008-03-30 20:48:07 | おもひで探し 「やはて28号」は定刻通り大宮に到着しました。大宮から自宅までさらに電車を乗り継ぐ必要がありますが、計1425Kmに及んだ「24時間車中一泊綱渡りツアー」レポートは、これにて終わりにしたいと思います。 昨夜からお付き合いいただいた方々、どうもありがとうございました。明日からはまた仕事の毎日がはじまります。
さようなら盛岡 2008-03-30 18:44:18 | おもひで探し 18時41分、「はやて28号」が盛岡駅を出発しました。大宮までの停車駅は仙台だけ。505Kmの距離をわずか2時間で結んでしまうのですから、さすがに新幹線は速い。5時間半をかけて、秋田~大館~盛岡の約138Kmを移動したことが信じられない気持ちです。疲れた体に新幹線のリクライニングシートがうれしいです。
盛岡駅到着 2008-03-30 16:44:50 | おもひで探し 秋田新幹線、奥羽本線、花輪線、IGRいわて銀河鉄道を乗り継いで、ようやく盛岡に戻ってきました。疲れました。「なぜ、こんなことをしたのだろう?」という気持ちがしないでもありません(^^;
もうすぐ盛岡 2008-03-30 16:36:59 | おもひで探し 渋民、滝沢、巣子、厨川、青山といわて銀河鉄道の駅が続き、いよいよ花輪線の旅の終着駅盛岡へ(写真は厨川の駅舎です)。 好きで選んだコースなのに、やはり疲れました。 昨夜品川を出発してから東北本線で盛岡へ、秋田新幹線で秋田へ、奥羽本線で大館へ、そして花輪線で盛岡まで、営業キロ数の合計はなんと約920Km。 この後さらに、盛岡から大宮まで500Km以上の道のりが残されています。
好摩駅 2008-03-30 16:16:19 | おもひで探し 東大更の次は好摩に停車。東北新幹線が開通するまでは、東北本線と花輪線が合流するJRの駅でした。 現在は「IGRいわて銀河鉄道」というおしゃれな名前の第三セクターに移管されています。 石川啄木の作品に登場する「停車場」は好摩のことで、彼はこの駅から東京へ旅だったそうです。
昭和32年 -- 松尾鉱山 2008-03-30 16:06:58 | おもひで探し 私が叔母家族の住む松尾鉱山を訪れたのは、まだ1歳になりたての昭和32年8月のことだったようです。 父が撮った、三人の従兄弟と一緒の写真が残されていました。中央の少女に抱かれているのが私です。 最近の廃墟ブームでにわかに注目されている松尾鉱山ですが、最盛期には地上の楽園とも呼ばれ、鉄筋コンクリートの集合住宅や学校、娯楽施設などが完備した近代的な都市だったそうです。残念ながら、私の記憶に中にその時にみた光景は残されていません。
大更駅 2008-03-30 16:05:43 | おもひで探し 北森、平舘を経て大更に停車。1972年10月まで、東八幡平駅を起点にここ大更駅まで総延長12.2Kmの松尾興業鉄道が運行されていました。松尾鉱山と花輪線を結び、鉱山で採掘された硫黄構成などの物資輸送と、鉱山に住む人々の旅客輸送のため「松尾鉱山株式会社鉄道部」が運営していたそうです。 かつて松尾町には私の叔母家族が住んでおり、小さな頃にそこで撮った写真が残されています。私にはまったく記憶がないのですが、約50年前、私はこの駅に降り立っていたようです。
安比高原駅 2008-03-30 15:41:59 | おもひで探し 小屋の畑、赤坂田、そして以前龍ヶ森と呼ばれていた安比高原に停車。SLブームの頃は三重連の撮影ポイントがあり、鉄道ファンがたくさん集まったそうです。