日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

富士山経ケ嶽(富士吉田市上吉田)

2017-07-19 18:58:53 | 旅行
念願の富士山、行ってきました!

今年は7月1日~9月10日が登山道開通期間です。
目的地は頂上ではなく、5合5勺なんですが、普段はゲートの向こう側にあるので、夏の70日余りの間しか行くことができません。


当日は快晴!登山日和です。


登山道開通期間はマイカー規制されているため、バス、タクシー、電気自動車以外は上がれません。
富士北麓公園からシャトルバスで5合目まで行きます。


約45分で5合目に到着~!
雲の中に入っているのでひんやり!下界の猛暑がウソのようです。
しかし外国人率、異常~に高し。


5合目~5合5勺の道のりですが、念には念を入れて完全装備~!


ここから登山道です。
開通期間以外はここに鉄の門が堅く閉じられています。


1km弱かな?歩いて「泉ケ滝」の分岐に来ました。
斜め上の道を行くと整備された新しい登山道(ほとんどの人はこちらを利用)、左に行くと麓の浅間大社から続く、昔からの登山道に行き着きます。

迷わず左に!!


火山岩のお山ですからね、そこかしこで斜面の崩落が起きてます。


昔はこのあたりに小御嶽神社の鳥居があったようです。


佐藤小屋を左に見て・・・


星観荘を通り過ぎると・・・


小刻みに曲がる登山道!
古くから富士講の方々が信仰登山に使ってきた道のようです。
日蓮聖人もこの道を登ったのかな?


ほどなくして到着!
宗門最高地点のご霊跡、富士山経ケ嶽です。
七面山の頂上が確か標高1989m、ここ経ケ嶽は標高2400m前後じゃないかと思います。


まずは日蓮聖人像に合掌。


右手人差し指を立てているご尊像は珍しいです。
また表情も、他のご尊像とは趣を異にしていると思います。
もともと神戸市布引滝山上に建てられていたご尊像を、豊中の篤信者の方が寄進したのだそうです。


文永5(1268)年、天変地異続きで国内の混乱も冷めやらぬときに、当時大陸でイケイケの勢いだった蒙古から国書が届きました。

「おい、日本国!言うこと聞かね~と襲っちゃうからな!覚悟しとけよ!!」


幕府は「ヤバいよヤバいよ」と大混乱!
早急に西日本の国防を強化するよう指令を出したり、お寺や神社に祈祷を依頼したりと、てんやわんやになりました。


日蓮聖人にしてみれば、もう8年も前に献上した「立正安国論」で預言していたこと、「だから言わんこっちゃない・・・」という心境だったでしょう。

そしてその翌年、日蓮聖人は国家安泰を祈念するべく、富士山に登ったのです。


富士の信仰登山には御師の協力が必要でした。(↑画像は世界遺産の構成資産のひとつ、旧外川家住宅)
日蓮聖人は富士吉田の御師・塩谷平内左衛門公の案内で富士山を登ったそうです。


富士吉田の御師町の地図に、塩谷平内左衛門宅も示されています。(旧外川家住宅内の掲示物より)


のちに塩谷家は身延山別院・吉祥山上行寺の礎を築きました。


八角堂です。
昭和28年に立教開宗700年事業で建てられた「常経殿」というそうです。
風雪にも耐えられるよう、鉄筋でできています。
毎年7月にここで法要が営まれるらしく、今年も7月6日に執り行われたそうですよ!


常経殿の先に何か・・・


「日蓮聖人御旧跡 姥ケ懐(うばがふところ)入口」
行ってみましょう


けもの道くらいの細~い道を下ると・・・


庵?


姥ケ懐です。
実際は岩窟のようで、その前にお堂を建ててあるようです。
この岩窟に、日蓮聖人は100日間籠もり、国家安泰を祈念して法華経を読誦し続けました。


そして書経した法華経を、この付近に埋経したそうです。


文明の発達した現代に生きる僕には・・・標高2400mの地で100日間祈祷し続けるなんて、ちょっと想像がつきません。

「本当にすげえ人だ、日蓮聖人」


この祈祷の甲斐あってか、その後の二度の元寇は失敗に終わりました。
しかし元寇が起きた頃の日蓮聖人の境遇といったら、やっと佐渡配流を赦免され、鎌倉に戻り幕府に3回目の諫暁を行うも聞き入れられず、身延のお山に入るという・・・う~ん・・・何ともやるせない。
だからこそ、現代の我々の心にも刺さるのかもしれません。


常経殿の少し上に宝塔がありました。


1983年に立正大学の法華経文化研究所が、ここに法華経を埋めたそうです。


埋経といっても実際にはこの奥に、安置したのだと思います。
一千年遠忌に開封して欲しい、と刻まれていました。
2282年・・・日蓮聖人の教えは脈々と受け継がれているのかな?・・・なんて考えながら、ご霊跡・経ケ嶽をあとにしました。



その昔、富士山は神道や仏教が入り混じった山岳信仰の聖地で、山の各所に仏像がお祀りされていました。それが明治の神仏習合禁止により、破壊や撤去をされてしまったそうです。(廃仏毀釈、っていうそうです)
神道を国教とする動きの中で、仏教は邪魔な存在だったのでしょう・・・実に、実に残念な話です。


しかし先日訪問した裾野の車返し霊場
この祖師堂内に安置されている日蓮聖人像が、かつて富士山頂に安置されていたものだということが判明しているそうです!
どなたかが必死にお守りしたのだと思います。感謝します。


いつか拝んでみたいですね!
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