![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/58/2cce21d42ee0b3afcc234e0165c15569.jpg)
身延山久遠寺のエントランス、三門。
何度見ても、その存在感に圧倒されます。
今回は、そんな三門の目の前にある宿坊に、参籠しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/84/328af3b324faebfb350da98ecb909bf1.jpg)
身延山をよく参詣する方には、見覚えのあるエメラルドグリーンの屋根。
恵善坊です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/3e/f9f04eebaebb331e3edfc00a53f0ba2a.png?1684649065)
あれ?坊名を刻んだ石、屋根と同じ緑色だ!
坊名は赤い字ばかりだと勝手に思っていましたが、案外自由なのかも。
ところで我が家、随分昔から火除けと方位除けのお札を張っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/25/34538c5846d31682f8d08ce896c3068c.png?1684649316)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f0/1a524c93851539e5d2a60301bcf4e85c.jpg)
最初は親戚から戴いたんですが、身延山参詣の折、偶然同じお札を見つけ、以来、毎年交換しながら既に20年。今や、そこにあって当たり前の存在になっています!
これらのお札、三門で売っています。
三門に売店?と思われるかもしれませんが、仁王像が安置される「間」の一画に札所があるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/34/4247e2c2b40b4776797e0ac4432001cb.jpg)
閉まってたり不在の時は、ピンポンすると恵善坊から人がやって来て、買うことができるんです。
そう考えると、我が家は恵善坊とすでに20年、ご縁があるわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/44/cd6d0430e87f1361290fda0c4a5c692b.jpg)
こちらは恵善坊の本堂です。
今晩お世話になります、と手を合わせました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f3/5ac573c94cba60621281738ff8b8a923.jpg)
本堂横に、恵善坊歴代の御廟があります。
長きにわたって法灯を継ぎ、また巨大な三門を見守り続けてくださったことに、心から感謝し合掌しました。
恵善坊の歴史は、そのまま三門の歴史でもあります。
徳川将軍が2代秀忠から3代家光に移り、幕藩体制がようやく安定してきた頃、身延山も目覚ましい発展を遂げていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b3/05537f0194a8831209a55353e807ea7b.jpg)
(↑身延山久遠寺境内)
江戸初期の身延山法主を調べてみると、
20世 一如院日重上人
21世 寂照院日乾上人
22世 心性院日遠上人
23世 慧眼院日祝上人
24世 顕是院日要上人
25世 寂妙院日深上人
26世 智見院日暹(せん)上人
と続きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/66/a44af2e8f0527fd8061f68d0b4129b68.jpg)
(↑京都本満寺の山門)
20~22世は京都本満寺の出身ですし、23、24,26世は22世日遠上人のお弟子さん、25世は21世日乾上人の門下、ということで、この頃の数十年間はまさに一枚岩、大プロジェクトを敢行しやすかったと思われます。
山内のルール作りに始まり、西谷檀林の開講、そして戦国時代には難しかった諸堂宇の整備などが為されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/54/4294879024380281900eb5917130ad4b.jpg)
(↑身延山久遠寺の菩提梯)
特に26世を継がれた日暹(せん)上人は、方丈、会合所、対面所、そしてあの菩提梯など、外部から身延山を訪れる人々の、利便性を高める施設を多く整えられたようです。
身延山に初めて三門が建立されたのも、日暹上人の時代です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6c/7c7599b9a965d538cdbe68fee0d1bc12.jpg)
(↑三門の説明板より)
寛永17(1640)年に寄付を募り始め、その2年後に13間の巨大な楼門と、左右5間の山廊(※)が竣工します。
(※)楼門の左右にある、楼上への階段を囲む建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/99/18ac9d1c2eef656d4ed70d2da0492769.jpg)
(↑恵善坊の歴代御廟)
このとき設けられた三門別当寮が、恵善坊のルーツです。
なので恵善坊の開創は、三門と同じ寛永19(1642)年、智見院日暹上人が開基となっているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7f/14d911a0491788d716dae3c19b9bde39.jpg)
(↑身延山歴代御廟:左から22世日遠、26世日暹、27世日境上人)
日暹上人は、京都の篤信家・浦井宗府公の次男として生まれました。
兄は水戸藩主・頼宣公に仕える儒学者、弟が二人いて、一人は通心院日境上人(のちの身延山27世)、もう一人は立正院日揚上人(京都鷹峰檀林玄堂の初祖)という超エリート四兄弟。
さらに叔父は真応院日達上人、小西檀林の祖というから、驚くばかりの家系です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a1/5d209b654b263fc21f4875487f940580.jpg)
日暹上人はとにかく弁が立つお坊さんで、「富楼那(ふるな)日暹」という異名もあったそうです。
法華経にも出てくる富楼那尊者は、お釈迦様の大勢いるお弟子さんの中でも弁舌ナンバーワン、説法第一と称された方です。
江戸初期の宗門は、法華経信者以外(将軍など為政者も含む)からは一切の布施、供養を受けず、また施しもしないという、池上本門寺をはじめとした「不受派」と、教団を存続させるため、ある程度は妥協すべきという、身延山をはじめとした「受派」に分裂、論争がヒートアップしていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d7/743cc7f000e2c8b203121a63f6171bcc.jpg)
(↑池上本門寺・総門)
そこで幕府は寛永7(1630)年、双方の代表者を江戸城に召喚し、城中問答を行わせました(身池対論)。
このとき身延山法主を務めていたのが日暹上人で、もちろん受派の代表者として対論に臨み、富楼那ばりの活躍をされたのでしょう、「不受派は邪宗である」という裁定を勝ち取りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/fd/6492e716061aa34ec2ea9e7bbf8b7164.jpg)
(↑身延山・日蓮聖人御草庵跡)
そもそも宗祖日蓮聖人のスタンスを厳格に踏襲するならば、不受不施の考えが正統なのでしょう。対論で敗れたお上人方は、より純粋だったに違いありません。
しかし室町、江戸・・・と社会が変容し、人々が平和に共生する術を、懸命に模索してきたわけで、やはり相応の妥協は仕方なかったと、僕は思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0c/579da6077d92ceef60fcbf1f560a2e64.jpg)
そういう意味では、江戸初期の不受不施問題や、明治維新期の仏教弾圧を乗り越えてこられた先師達には、本当に感謝していますし、当時の舵取りは正しかったと、確信しています。
ずいぶん脱線しちゃいましたね。
話を三門、恵善坊に戻しましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/de/3e911c78654e175a428b48878fa627da.jpg)
恵善坊の歴代を刻んだ墓誌を見ると、第一世が恵善院日信上人(江戸中期・寛政10年遷化)となっています。その院号から、恐らくこのお上人の代で三門別当寮は「恵善坊」と公称したのだと思います。
江戸末期以降、三門は火災と再建を繰り返します。
身延山史によると、初代三門は慶応元(1865)年の大火で焼失、このとき恵善坊も全焼してしまったようです(のちに再建)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/43/039ce97af3ca98ab46496222d39eab59.png?1684652511)
(↑再建された仮三門:身延山久遠寺刊「身延山古寫眞帖」より引用)
翌年、仮門が建設されますが、その仮門も明治20(1887)年に焼け、数年後に再度、仮門が設けられました。
しばらくは仮門が身延山の顔だったわけですが、やはり正式な三門が渇望されたのでしょう、身延山78世を継いだ豊永日良上人(管長も兼任)が中心となり、2代目三門建設プロジェクトが始まりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b2/a6211c8fc1b658755d039220284fd320.jpg)
日清・日露戦争もあった時代、建設費に困難を極め、予想外の時間がかかりましたが、明治40(1907)年にようやく現在の三門が完成しました。
ここでふと思い出したのが、ハンセン病救済に尽力された綱脇龍妙上人です。
ちょうどこの時代、救らい施設建設を豊永日良上人に直訴しましたが、「三門建設で手一杯、宗門としては一銭の補助もできない」と資金提供は断られてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/4d/791802f8d2c71bc1e8ab3a8cf0c9f9e4.png?1684653748)
(↑身延深敬園創立時の仮病室:加藤尚子著「もう一つのハンセン病史」より引用)
しかし豊永日良上人は、代わりにポケットマネーと、三門近くの大工小屋を提供してくださったそうです。
これを仮病室として明治39(1906)年に始まったのが、あの身延深敬園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9e/dc553f92f5862aa35fafacbc5aae210d.jpg)
乾いた雑巾をなお絞って、お金と知恵をひねり出していた当時のお上人方を、我々は決して忘れてはなりません。
こうしたエピソードを知ると、三門がとても愛おしく思えます。
そろそろ宿坊としての恵善坊を紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/72/4ba5588857aaadd8d0b65f4f7c2aec26.jpg)
恵善坊では参籠者参加の夕勤はなく、受付を済ませたら夕食までフリーです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/af/1008d1dc6aa22c7d6d2abba17a4baae8.jpg)
案内されたのは2階の桔梗の間です。
今まで参籠した坊と比べ、より旅館テイストを感じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f1/dbb33aa125d6376f5949c8a45e1da810.jpg)
やたっ!みのぶまんじゅうと聖人せんべいだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/2e/8bdcef7c1601f707351a275f2bd49af1.jpg)
窓を開けると、夕暮れの身延山がドーン!
春の山は彩り豊かです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/79/e53257d3acd01f3057cdd07241fc3238.jpg)
下に身延川、そして木々で遮られていますが、向こう岸は障害者支援施設かじか寮、かつての身延深敬園です。
尊敬する綱脇龍妙上人のご霊跡の間近で過ごす、特別な夜です。
身延山90世・岩間日勇上人ご染筆の色紙が掲げられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/9e/d6a26cd14eff3a70927a95fb3558cc52.jpg)
妙法蓮華経見宝塔品第十一、あの宝塔偈の一節ですね!
「法華経を信仰する人こそ、浄土に住む仏弟子です」
心の持ちよう次第で、この穢土も浄土になる・・・僕の生涯の目標です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fc/5cf60050871a878ea178898f268b08f5.jpg)
さあ、晩ごはんです。
心づくしの精進料理、ホントに華やかですよね!
湯葉をアテに、晩酌なんかしちゃって、ごはんのおかわり2回もすれば超満腹。ご馳走さまでした!
お風呂をいただき、窓を開けて涼風にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/23/1d164580d65df9aacf3e975de4df66ad.jpg)
お、松樹庵って明かりが灯るんだ。初めて知った!
それでは、おやすみなさいzzz・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/5e/8c9d07be582cb2564081e015d74abf3c.jpg)
翌朝は久遠寺朝勤に参加するため5時起床。
早朝の三門を独り占め!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/19/f29fb4c0d27c12c021ad1faedfcf34aa.jpg)
日暹上人代に造営された菩提梯を登ります。
起きがけの287段は、なかなかのもんです。ふぅ~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/be/01df493f2e95353c9c100290efce22af.jpg)
(↑身延山久遠寺・大堂)
祖山での勤行は、毎回新鮮な気持ちで臨むことができます。
僕の心の芯、みたいなものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/4f/985476991a53026f66c9b733d585855e.jpg)
朝勤を終えると、すっかり明るい裏三門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b5/992b1b00df176bdb342ce3e102acf36c.jpg)
わ~い、朝ごはん。
実は朝勤の途中から腹がグーグー鳴ってました(笑)!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/43/03aa44da443b24528de9a9e7fc736239.jpg)
ごはんも美味しかったし、坊内もキレイで、居心地良かったです!
ロケーションも含め、宿坊に泊まるのは初めてという方に、特におすすめの坊だと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6a/55aebeea36cf1d24ecd2c9d1f311a248.png?1684654592)
前日にお願いしていた御首題です。
三門イコール恵善坊ですからね、三門の御首題でした!