5月の中旬、久しぶりに佐渡を訪れました!
新潟市内は、ちょうどG7会議の真っ最中!
船着き場へのバスにまで警察官が乗り込んでくるなど、厳戒態勢でしたが、なんとかジェットフォイルに乗れました。
今回の佐渡訪問には、一つ目的がありました。
5年前に参拝させていただいた佐渡日蓮聖人大銅像
その大きさもさることながら、平成の時代に、佐渡という聖地に銅像を建立しようと力を尽くした、当時の方々の想いやエネルギーを感じ、初めて参拝した時の自分の気持ちを、ブログにさせていただきました。
建立から今年がちょうど20年、これを記念して法要が修されるという情報を聞き、これは是非、参加しなければ!と島に渡ったのです。
5月13日の午後、初夏の爽やかな空気の中、記念法要は始まりました。
当日は宗務総長、佐渡三本山の貫主さん方、建立の中心となったお上人方などが揃って参列されていました。
屋外で、沢山の檀信徒さん達とお経を唱える経験は初めてでしたが、そのシチュエーションのせいでしょうか、スカっと開放的な雰囲気で、笑顔の絶えない法要でした!
ちょうど今年は、日蓮聖人が佐渡流罪をご赦免となられ、鎌倉へ向けて出立されてから750年にもあたり、この良い砌に、佐渡に居られる幸せを嚙み締めました。
大銅像記念法要の翌朝、僕はレンタカーを走らせ、佐渡西部・真野湾沿いの「豊田」という浜を訪れました。
すぐ近くには、佐渡に流された順徳上皇が、初めに上陸された「恋ヶ浦」もあります。
豊田の浜は、古くは「渋手」と呼ばれ、ご赦免となった日蓮聖人が、佐渡の信者さん達とお別れした霊跡として、知られているそうです。
「去る文永十一年二月十四日の御赦免の状、同三月八日に島につきぬ」(種々御振舞御書)
当時、生きては帰れないといわれた佐渡流罪を「赦免にする」とした幕府の文書が、日蓮聖人の元へ届けられました。
佐渡に流されてから既に2年4ヵ月余り、島内の信者さんも徐々に増え、その頃には日蓮聖人を慕う一大グループができていたことでしょう。
佐渡流罪ご赦免の報を聞いて、彼らが手放しで喜んだ様子が、なんとなく想像できます。
と同時に、今日まで、幸せに生きる心の在りようを、顔を突き合わせて丁寧に教えてくれた日蓮聖人は、島を離れて鎌倉へ帰ってしまう・・・
鎌倉時代のことですから、今生の別れとなることは、ほぼ間違いありません。
信者さんの心中は、複雑だったことでしょう。
日蓮聖人は5日間で旅の支度を整え、3月13日、真野湾沿いの「渋手」という場所で、信者さん達とお別れすることになりました。
真野湾は西に口を開け、深く切れ込んだ入り江です。
そのため湾内は、牡蠣やワカメの養殖が行われるくらい、波が穏やかです。
流れ着いたゴミを見ると、ハングル語とか中国語で書かれており、国境の海を感じます。
豊田漁港のすぐ近く(※)に、渋手霊跡の石碑があります。
※以前は違う場所にあったようですが、昭和57年、国道改修に伴ってこちらに移されたようです。
いくつかの石碑が並んでいますが、いわゆる渋手霊跡の碑は、一番奥のものです。
日蓮聖人がここから船出されたことを偲んで、建てられた碑のようです。
大正10(1921)年、世尊寺のお上人の発願で、この辺り豊田の住民有志で建立された石碑、ということがわかります。
渋手霊跡から東に3~4km離れた世尊寺は、国府入道夫妻ゆかりのお寺です。
昔から地元豊田では、ここ渋手が日蓮聖人のご霊跡として伝えられ、世尊寺を拠点として、大切に、大切に護持されてきたのでしょう。
宗門の説明板には「島民惜別の地」と書いてありました。
この浜に、日蓮聖人を支援した多くの島民信者さん達が集まり、互いに手を取り、涙を流して、聖人との別れを惜しんだと思われます。
国府尼御前御書には、恐らくこの時の日蓮聖人ご自身の感情でしょうね、綴られています。
「つら(辛)かりし国なれども そ(剃)りたるかみ(髪)を うしろへひかれ すすむあしも かへりぞかし」
さざ波の音しか聞こえない静かな浜で、感慨に耽りました。
日蓮聖人を外護した、例えば阿仏房夫妻、中興入道、国府入道夫妻、一谷入道夫妻などのご霊跡、つまり多くの信者さんの住まいは、いずれも国仲平野のやや西側に位置しています。
真野湾に比較的近い場所でもあり、ここ渋手がお別れの地となったのは、自然なことだと思います。
(佐渡松ケ崎・法華岩から本土を望む)
このあと日蓮聖人は佐渡守護所の国津・松ケ崎に至り、真浦で風待ちをしてから本土を目指した、という説が有力です。
先ほどの宗門の説明板にも、そう書いてありました。
渋手からは、船で松ケ崎に向かうこともできますし、また梨ノ木峠の入り口に位置していますので、峠越えで松ケ崎を目指すこともできます。
(県道65号線沿いの石碑)
もしかしたら渋手という土地は古くから、本土に渡る人々との、別れの地だったのかもしれませんね。
(日蓮宗新聞:令和5年5月1日号より)
先日の日蓮宗新聞には、3月に佐渡ご出立750年を記念した法要が行われた記事が載っていました。
これをもって、一連の佐渡法難750年の行事が、幕を閉じたようです。
今年は佐渡ご出立だけでなく、身延山開闢なども節目の年。
(それだけ750年前の日蓮聖人は、激動の渦中におられたということでもあります。)
(身延山久遠寺本堂前の慶讃高札)
50年毎の行事は、現実的には私達、一生に一度あるかないかでしょう。
日蓮聖人を宗祖と仰ぐ我々信徒は、そのチャンスに巡り逢えた喜びと同時に、終わってしまう一抹の寂しさを感じる、それが正直な気持ちではないかと思います。
皆さん一度、冒頭で紹介した佐渡の大銅像を見にいらしてください。
当時の青年僧たちが「あくまでもそのお姿を、聖地佐渡に顕現すべきである」という思いをもって建立された、圧倒的なお像と向き合ってみてください。
言葉では上手く表現できませんが、時間なんかはあくまで方便で、お祖師様の魂魄は今も、間違いなく存在していると、再認識するはずです!
南無妙法蓮華経。