日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

経王山妙法華寺(三島市玉沢)

2017-02-23 08:59:17 | 旅行
先日訪問した鎌倉・材木座の実相寺は、もともと「濱土法華堂」でありました。
日蓮聖人の筆頭弟子である日昭上人が、鎌倉での布教の拠点にしていたお寺です。

その後、何度か移転し、現在は三島市玉沢に落ち着きました。
「妙法華寺」という大きなお寺です。


周辺は起伏のある地形で、斜面には茶畑があります。


「錦田茶」というそうです。
苦味の少ないお茶のようですよ!


とても広い寺域の入口です。


道路に沿ってお寺の施設が広がっています。


開山はもちろん日蓮聖人の一番弟子、日昭上人です。


玉澤妙法華寺の入口です。


境内には見どころいっぱいですね~!!
さすが日昭上人のお寺です。


山号は「経王山」です。


妙法華寺の由緒が書いてありました。

知らなかった~!「玉澤」というのは、もともと鎌倉・材木座あたりの地名だったそうなんです。
鎌倉は戦乱の地でもあり、古戦場跡も多いのですが、そういった戦乱を避け、お寺は新潟・長岡や伊豆・修善寺あたりを転々とし、最終的にここに落ち着いたようです。


この一帯はもともと「大木沢」という地名でしたが、現在は住所表示も「玉沢」になっています。
樹齢350年以上の杉の巨木がニョキニョキと!
大木沢・・・納得です。


弁天様のお社です。
わかりますかね?周りにお堀があって、島にお社があるという贅沢な造りです。


妙法華寺に来て、まず目につくのがこの延々と続く立派な塀!!
「百間塀」というそうです。
時代劇の撮影とかできそうですね~


山門です。
百間塀がそこだけ奥まっているので、緊張しますね~


本堂です。
1791年に全山焼失してしまったようで、現在の本堂はその後の建築です。


「玉澤道場」と書かれています。
昔は日蓮宗の錬成道場だったようです。


祖師堂です。
大きいお寺には祖師堂がありますね!


宝物殿です。
さすが筆頭のお弟子さん、実に沢山の宗宝が収蔵されています。
宗宝が沢山、ということは、歴代のご住職に課せられた責任も大変なものだったことでしょう。頭が下がります。


気になるのは日蓮聖人御真筆の法華経の注釈書、そして御肉歯です。
注釈書は法華経の行間に日蓮聖人が注釈を入れたものらしく、死ぬまでに一度は拝んでみたいものです。
御肉歯については、龍口寺にあった萬人歯骨塚とつながる宗宝だと思います。いつか一般公開してくれないかな~?


境内は谷に沿って細長く広がっているのですが、そのどこからもひときわ目立つのが
この題目法塔です。

日蓮聖人七百遠忌を記念して建てられた法塔です。
白い石で造られた、とても存在感のある法塔だと思います。


その周囲には蓮が栽培されていました。
今は、底の泥から一生懸命養分を吸い上げている時期でしょうか?
真夏にキレイな花を咲かせて欲しいです!!


大庫裡です。受付もここにあり、立派なご首題を書いて頂けました。


毎度思いますが、どこのお寺のお上人のご首題も、味があります。
鎌倉の実相寺でもそうでしたが、日昭上人は「尊者」の敬称が付くようです。


境内には、門が3つほどあり、これは「昭光門」です。


瓦の一つ一つに「華」マーク


日蓮聖人像です。


結構お年を召された時のお姿だと思います。


日蓮聖人の手相が見えますね。
僕は手相、よくわかりませんが、知能線や運命線がとてもはっきりしているのではないでしょうか?


日蓮聖人を真横から拝ませて頂きました。
骨太でガッチリしてますね!


妙法華寺に格護されている宗宝・撰時抄の碑です。
日蓮聖人が身延の御草庵でお書きになった書です。
予言していた蒙古襲来などが現実になり、世の中が不安定な今こそ法華経を広める時である、と説きました。
何となく現在にも通ずる書なのではないかと勝手に思いながら、日蓮宗の縁の下の力持ち・日昭尊者のご霊跡をあとにしました。


境内にこんな石碑もありましたよ~
「猟犬狩猟鳥獣供養の碑」
鎌倉の妙長寺に魚類の供養塔「鱗供養の碑」がありましたが、これはその山間部版ですね。
我々人間は山に暮らす獣の命(今でこそ飼育されている牛や豚や鶏ですが)を頂いて生かされていることを忘れないように、という戒めでしょう。

「いただきます」

「ごちそうさまでした」

大事なことです。

ご霊跡をめぐることで、こういう忘れがちな事に気づかされるのは、とても意味のあることだと思います。
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