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1253年4月28日、清澄山旭が森で立教開宗の第一声となる「南無妙法蓮華経」を唱えられた日蓮聖人。
(↑画像は清澄寺の日蓮聖人銅像)
当時の清澄寺は天台宗。日蓮聖人の突然の第一声で人々は驚き、地頭の東条景信公に至っては激怒したといいます。
日蓮聖人は山を下りなければなりませんでした。
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清澄山を下りた日蓮聖人は、当時の政治の中心地・鎌倉を目指すために房総半島西岸の富浦へやってきました。
ここから船で、対岸の三浦半島に渡るためです。
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この船出の地にあるご霊跡が、妙福寺です。
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お山を背負ったお寺ですね~!
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本堂です。
古い庵、って感じがグッときます!
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彫刻が見事!
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祖師堂です。
火灯窓がシックな外観にピッタリ合っています。
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屋根の下側が赤く塗られているのが特徴的ですね。
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日蓮聖人が富浦に到着した当初、風波が激しく船が出せない状況だったといいます。
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風雨に打たれ、びしょ濡れになってしまった日蓮聖人は、この岬で松に法衣を掛けてお題目を唱え、海上安全の祈願をされたそうです。
すると風波はピタリと収まり、海上は凪いだといいます。
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この奇瑞を目の当たりにした富浦の住民・泉沢権頭(ごんのかみ)太郎は、裸のお坊さんをただ者ではないと直感したのでしょう、早速自宅に招き入れ、自身と二人の弟、そしてお母様とともに日蓮聖人の教えに帰依し、お題目を唱えたのです。
鎌倉での教化より前に、本当の一般人というか、市井のいち市民がお題目を唱えていたのは驚きです。
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妙福寺から歩いてすぐの場所には、泉沢権頭太郎のお母様が、びしょびしょに濡れてしまった日蓮聖人の法衣を洗ったと伝えられる井戸が残っています。お母様はその時既にご高齢だったそうですが、ここで一生懸命洗って差し上げている後ろ姿が想像できます。
日蓮聖人は富浦を出船する前に、心優しいお母様に対して「妙福」という法号をお授けになったそうです。僕の祖母もそうですが、女性信徒の法号に「妙」の字が入るようになったのは、これが初めてだそうですよ!
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妙福寺の背後のお山、この辺りは地質が岩盤なのでしょう、岩を削ったやぐらの中に泉沢権頭太郎のお母様のお墓があります。まるでご霊跡全体を優しく見守っているような場所です。
当時は全く無名の、素性も知れないお坊さんだったお祖師様を、献身的に供養して下さった心優しいビッグマザーに、感謝の気持ちで合掌しました。
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泉沢権頭太郎は1279年に身延山に日蓮聖人を訪ねているようです。
日蓮聖人にとっての一番最初の信徒が、あれからずっと信仰を持ち続け、遠く身延山まで訪ねてくれたこと、どんなに嬉しかったことでしょう。
そして富浦の岬で裸で読経・唱題したこと、そしてお母様が法衣を洗って下さったことが強い印象として残っていたのでしょうね、日蓮聖人は、宗門最高の仏師である日法上人に「裸の祖師像」を彫らせ、泉沢権頭太郎にお授けになったといいます。
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歴代お上人の御廟を参拝。
今日まで大切なご霊跡を護って下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
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身延山から戻った泉沢権頭太郎が「裸の祖師像」をお祀りするお堂を建立し、日頂上人のお弟子さんの日念上人がこの地に赴いてお寺になったようです。
山号の成就山は恐らく日念上人の院号「成就院」を、寺名は泉沢権頭太郎のお母様の法号「妙福」をルーツとしているのでしょう。
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ちなみにこの付近の地名を「南無谷(なむや)」といいます。
古くから信仰が根付いていたことが窺えます。
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爽やか系のお上人に、妙福寺の東側に七面山があることを教えて頂きました。
行ってみましょう!
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お寺のすぐ後ろを走る内房線の線路をくぐり・・・
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線路沿いを富浦駅方面に少し歩き、山側に折れます。
細道には数軒の民家があり、200mくらい歩くと・・・
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やがて灯籠が見えて来ます。
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富浦の七面山です!
説明看板の最後に和泉沢さんという方のお名前があります。泉沢権頭太郎の子孫の方でしょうか。
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階段を上ってゆきます。想像より結構高いぞ~!
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お堂がありました。本当に、本当に立派です。
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縁起によると、江戸時代、身延山33世・日亨上人が勧請した七面大天女をお祀りしているそうです。
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そういえば昨夏、山梨の七面山を登詣する途中、2丁目に「神力坊」というお堂があり、この坊の名付け親が日亨上人でした。
日亨上人は七面山とご縁がとても深い法主様だったのでしょうね。
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富浦の七面山、驚くことに更に上に行く階段があります。
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恐らくこのお堂が奥ノ院でしょう。
う~ん・・・すごいなぁ!
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七面山の上から見る景色は最高!
三浦半島を正面に見て、鎌倉、富士山、そして恐らくその奥に身延山や七面山を望む位置にあります。
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交通手段がない遠い昔、身延山や七面山を参詣することは、庶民にとってあまりにハードルが高かったはずです。
そこで特に江戸時代、各地にこうした「うつし霊場」が造られ、住民達が協力して清め、崇めてきたと思われます。
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本場と比べて規模が小さいことは仕方ありませんが、それでもこうした階段の一段一段にさえ、本物を造ろうと必死で努力した先人達の息吹が感じられて敬服してしまいます。
これからも各地のお寺を訪れる際には、見過ごしがちな「うつし霊場」に努めて足を運ぼうと思います。
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泉沢権頭太郎家族の供養を受けた日蓮聖人は、このあと船に乗り、対岸の三浦半島・米ヶ浜に到着しました。
米ヶ浜に伝わる話からすると、生半可な航海ではなかったようですが・・・。