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身延山久遠寺の三門。
総本山の玄関口に相応しい偉容を誇っています。
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この三門をくぐってすぐ左側に・・・
ひっそりと小さなお堂があります。
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太子堂です。
文字通り、聖徳太子をお祀りするお堂です。
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聖徳太子は今から1400年以上昔、仏教を中心に据えた国家作りをされた方ですが、同時に多くの寺院や仏像を造立されたことから、民間信仰では大工さんの神様として尊崇されています。
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もちろん身延山の諸堂も、宮大工さんはじめ多くの職人さん達によって建築、維持されています。
彼らは「太子講」を結成し、聖徳太子のご命日(2月22日)に、一年の仕事の無事を祈ってきたようです。
現在の太子堂は、三門工事に関わった宮大工さん達によって、大正時代に建立されたものだそうです。
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宮大工さんの神様としての太子堂、と言ってしまえばそれまでですが、身延山に太子堂がある意味、実はもっと深いような気もします。
比叡山の学僧だった蓮長法師(のちの日蓮聖人)は、さらに様々な仏教の教学を学ぶため、南都、四天王寺、高野山など多くのお寺を巡りました。
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(↑画像は叡福寺・聖徳太子御廟)
そののち建長2(1250)年、叡福寺を訪れ、聖徳太子の御廟を参詣されたそうです。
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(↑画像は叡福寺・日蓮聖人御参籠借跡)
蓮長法師は七日間、叡福寺に参籠して今まで自分が学んできたこと、そして究極の教えは法華経であることを聖徳太子にお伝えしたといいます。
聖徳太子の著書に「法華義疏(ぎしょ)」という法華経の注釈書があるそうですから、いかに聖徳太子が法華経を仏教の根本経典と位置づけていたかが想像できます。
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(↑画像は叡福寺・日蓮聖人御参籠借跡)
いろいろわかってくると、日蓮聖人が聖徳太子の御廟を参拝されたというのは至極自然なことだな~、と思いますし、同時に身延山に太子堂が存在する意味の深さを、感じます。
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身延山の太子堂には、聖徳太子だけでなく、法華経を守護する妙力善神もお祀りされているようです。
これからも法華経を、そして身延山をお護りください。
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三門をくぐってすぐ左、ほんとうにすぐそこです!
身延山に参詣の際は、ぜひ立ち止まって合掌し、感謝の気持ちを伝えて欲しいと思います。