小倉峠を越えてきた日蓮聖人は、小倉川に沿って歩いてきたのでしょうか。
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中佐為(なかさい)という土地あたりで休憩したと伝えられています。
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日蓮聖人が山越えされた道は、のちに世阿弥も歩いたと思われます。
時代が違うから、細かいルートは違うかもしれませんが、大まかには同じでしょう。
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中佐為は谷戸になっており、のどかな田園風景です。
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石碑がたくさん並んでいました。念仏の石塔とともに、お題目の法塔もありました。
佐渡ではこのように念仏とお題目が隣同士、という光景をよく目にしました。
庶民の、ご宗旨による垣根の低さが想像できます。
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お題目の法塔をよく見てみると・・・
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餓死された方の霊を供養する法塔だということがわかりました。
念仏の供養塔にも「餓死」の文字が刻まれていました。江戸時代に佐渡でも飢饉があったそうで、その際の餓死者の霊を弔う石碑がここに並んでいるようです。
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石碑群からほど近い場所に、小倉の集落があります。
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小学校もあるようです。
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御梅堂はその小学校の隣にあります。
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宗祖藤梅之霊場、御梅堂です。
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お祖師様が山越え中、お休みになっていると、白髪の老人が現れたそうです。
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老人は海を渡ってきた日蓮聖人に、御神酒と藤豆をすすめたといいます。
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不思議に思われた日蓮聖人は、老人に「あなたは如何なる人ぞ」とお聞きになりました。
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すると老人は姿を消し、空から「我は物部大明神なり」という声がしたそうです。
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里に下りてきて集落の人に話を聞くと、そこの方は物部大明神の社人だということがわかりました。
お祖師様は何か吉兆を感じたのかも知れません、物部神社に棟札を納めたそうです。
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御梅堂から200mほどのところに、物部神社があります。
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物部神社は奈良時代創建の古いお社です。こちらに日蓮聖人が納めた「住吉大明神」という木札が実際にあるそうです!
以来、土地の人は物部神社を「住吉さん」と呼んでいるようです。
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日蓮聖人は集落の方に話を聞いた場所で、依知から杖として携えてきた星下りの梅の枝を地面に差しました。
のちに杖が根付き、梅の木になったそうです。
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星下りの逸話が残っている依知の3ケ寺にも行ったことがありますが、ここまで幹が太く枝ぶりも見事な梅の木はありませんでした。
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もしかしたら、佐渡の気候が合い、現役で生きている梅の木なのかもしれません!
まさか佐渡の地で、星下りの梅に出会えるとは思いませんでした。(もしかしたら何代目かもしれませんが)
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御梅堂は梅のご霊跡であると同時に「藤」のご霊跡でもあります。
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日蓮聖人はこの場所で、さきほど白髪の老人に頂いた藤豆を播きました。
我が妙法が広まるならば、この場所に藤の花が咲くだろうと祈念しながら・・・。
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藤豆は芽を出し、のちに木になりました。
現在では隣にある欅に寄り添うように成長し、大木になっています。
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現在でこそ、看板などで「御梅堂」と表記されていますが、古くは「藤梅霊場」と呼ばれていたようです。
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江戸時代になり、阿波からやってきた巡礼者夫婦、常光さん・妙光さんが発願し、御梅堂が建立されたといいます。
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正直、御梅堂のお堂は老朽化が激しい印象があります。
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もちろん、御梅堂はお寺ではないのでお檀家さんもなく、近隣の信者さん達で維持されているそうです。
しかしその信者さんも高齢化の波で、現在は数人ほどに減ってしまったといいます。
本当に憂うべき問題ですね・・・。
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それでも御梅堂を維持・管理して下さっている信者さん達の信仰心に、心から敬服します。
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ちなみに御梅堂のお堂の中に、ご朱印があります!
お祖師様が11月1日に御休息された「藤梅之霊場」という印です。
ぜひ佐渡を訪問することがあったら、御梅堂を訪問してみて下さいね!