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(↑画像は根本寺・三昧堂の額)
塚原の三昧堂に密かに食事を運び、日蓮聖人の命を支えた阿仏房夫妻。
阿仏房夫妻の旧宅は現在の佐渡市役所のほど近く、金井新保という場所にあったと言われています。
阿仏房の死後、息子盛綱が旧宅をお寺に改め、「阿仏房」としたようです。日蓮聖人が身延山に入山して4年後のことです。
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この「阿仏房」をルーツにした、阿仏房ゆかりのお寺があります。
妙宣寺です。
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駐車場には車が何台も停められており、訪問する信徒や観光客が多いお寺だということがわかります。
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昔は門前にお土産屋さんもあったのかな?
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大きな法塔がありますね~。
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「北陸道七ケ國 法華之大棟梁」とあります。
妙宣寺を創建した日満上人が、師匠である日興上人から頂いた称号のようです。広大な北陸エリアのトップだったんですね!
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おぉ~っ!何てクラシックな!!
仁王門です。妙宣寺で最も古い建物らしく、既に350年近くが経過しているそうです。
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見事な茅葺きです。メンテナンスが大変なんですよね!ご苦労様です。
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参道は緑で日光が遮られ、暑さがいくぶん和らぎます。
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妙宣寺には佐渡唯一の五重塔があります。
開山の阿仏房、法号:日得上人をお祀りする五重塔なのだそうです。
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お檀家さんでしょうか、五重塔のメンテナンスをしていましたよ。
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阿仏房の旧宅にあったお寺「阿仏房」は、二度ほど場所を移転して現在の地に落ち着きました。
ここは地頭本間氏の居城であった雑太(さわた)城があったところで、空堀が残っています。
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これも雑太城の石垣の一部と思われます。
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山門です。
柱の部分が吹き抜けになっており、境内を見通せます。
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扁額には「阿仏房」。
ちなみにこの界隈の現在の住所表示も阿仏房となっており、土地の人に浸透した名前だということがわかります。
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日野資朝(すけとも)公の墓があります。
日蓮聖人の時代よりも少し後、後醍醐天皇の時代に、後醍醐天皇と倒幕を企てた罪で佐渡に流され、のちに不当にも処刑された公家の方です。
佐渡は順徳天皇をはじめ公家や上級武士、僧侶、神職、文化人など、幕府に都合の悪い人や時代が早すぎた人が流される島であったことがわかります。
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本堂です。
一本一本の柱の太いこと!その堅牢さにご住職やお檀家さんの心意気が窺えます。
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祖師堂です。
お祖師様自ら開眼の祖師像がお祀りされ、脇には阿仏房日得上人、千日尼のお像が配されているそうです。
祖師像に日蓮聖人の魂が宿っているとするならば、何て幸せな場所なんだろうとお祖師様も思われているはずです。
僕も何かに包まれるような感覚で、お経を唱えさせて頂きました。
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阿仏房が初めて日蓮聖人に出会った(恐らく法論をした)時が83才、日蓮聖人がご赦免後、身延に入山された時が86才の計算になります。
それから三回も(86才、87才、90才の時)身延のお山に日蓮聖人を訪ねて行った、当時の道を歩いて行ったわけです。
想像をはるかに超える信仰の深さに、畏敬の念を感じざるを得ません。
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91才で阿仏房日得上人が遷化されたあと、息子盛綱は父のお骨を首に掛け、身延山に納骨に行ったといいます。
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日蓮聖人の御廟のすぐ脇、最も近い一画に、阿仏房日得上人の御廟があります。
日蓮聖人を敵視する者だらけの塚原で、味方は誰もいない中、初めて帰依を誓い、命を賭して給仕してくれた老夫婦・・・。
御廟の位置は日蓮聖人の思いそのものでしょう。(↑画像は身延山御廟所)
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日蓮聖人が身延に入られてすぐに、順徳天皇に縁のある甲州のお寺を教化したのも、阿仏房夫妻への恩返しなのかもしれません。
(↑画像は甲斐・常説寺)
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夕空にそびえる五重塔。
阿仏房夫妻を思いながら、合掌しました。