昨日、元夫の姉から電話があり、姉婿が亡くなったことを知らされた。
震災で被災した元姑が姉宅に避難していたあたりに姉婿は体調に異変があり検査を受けその結果待ちという状態だった、
あまりよくないんだよね、と姉に聞いていたのだけれど。
6月初旬に検査結果が出て肺ガンと判明
すでにリンパ節、骨にも転移していて手術は出来ない末期癌との宣告だったそうです。
姉婿は化学療法を拒否し癌が治るといいわれている温泉へ湯治滞在してたけど
もう歩くこともできなくなり、先週末に入院しほんの数日で亡くなってしまった。
もう私とは何の関わりもないんだけれど、姉と姪と甥から。お父さんに会いに来てあげてと言われた。
行くべきかどうかすごく悩み、親に相談した結果、元親族が勢揃いする場所へ行くのもどうかという話しにもなり
通夜、葬式が済み、四十九日法要の後に自宅に行くという案でまとまり、それを姉に話したところ
お骨になっちゃう前に元気な顔を見せてあげて。身体があるうちに会いに来てあげてと姉に言われた。
相方に相談すると、お姉さんの気持ちを尊重すべきでは、と。
元夫の家族親戚とは籍を抜いて氏が変わった時から赤の他人だけれど
いいんだか悪いんだか判らないけど、紙切れ一枚で終わらないような、切っても切れない縁が今でも続いている
姉にも姉婿にも婚姻生活があった時は大変世話になっていたのもあるし、
人の生き死ににいいも悪いもないと相方も言ってくれたのでお通夜に行くことにして会社を三時間早退。
一旦家に帰りシャワーを浴びて喪服に着替えて相方に千葉まで連れて行ってもらった。
通夜会場のセレモニーホールには10年ぶりくらいに会う親戚もいたし、父母、兄一家と勢揃い。
受付に行くと姉が私の名前を叫びながら駆け寄って来て、二人で抱き合ってしばらく泣いた。
元夫の親族には、来られる義理じゃなかったんですけどお兄さんにお別れをしたくて伺いましたと一応頭を下げた。
親戚の人達からは、あんた東京からこんな遠いとこまでよく来てくれたねと手を握り頭を下げられた。
田舎の人達は口うるさいので少し不安だったけどほっとした。
精進落としをしながら父や母、義兄、親戚達といろんな話しをした。
父と母は明日の葬儀にまた出かけて来るのは大変だから今夜はホールの客室に宿泊するとかで
一緒に泊まれと何度も言われた。
私とたくさん話しがしたいと父母から言われて断るのが辛かったが
涼しくなったら仮設住宅に遊びに行くからその時は泊まるからね、となだめてなんとか開放してもらえた。
亡くなった姉婿は苦しんだ様子もなく穏やかに微笑んでいました。
まだ51歳
一昨年立派な家を建て、甥も姪も成人しこれから楽しいことがたくさん待っていたはずだったのに。
姉婿の逝去に際し、悔いのない人生を送らないといけないとつくづく思った。
私が脳梗塞で入院していたことを知っていた父母からは
頼むから父ちゃんと母ちゃんより先に死なないでくれよ、もう先に見送るのは嫌だと手を握って泣かれた。
もう嫁ではない私を今でも娘と言ってくれる元両親。
80を過ぎた年寄りの泣く姿を見るのは私も辛い。
いろいろ案じて悩んだけどきちんとお別れすることができたので行ってよかったと思う。
震災で被災した元姑が姉宅に避難していたあたりに姉婿は体調に異変があり検査を受けその結果待ちという状態だった、
あまりよくないんだよね、と姉に聞いていたのだけれど。
6月初旬に検査結果が出て肺ガンと判明
すでにリンパ節、骨にも転移していて手術は出来ない末期癌との宣告だったそうです。
姉婿は化学療法を拒否し癌が治るといいわれている温泉へ湯治滞在してたけど
もう歩くこともできなくなり、先週末に入院しほんの数日で亡くなってしまった。
もう私とは何の関わりもないんだけれど、姉と姪と甥から。お父さんに会いに来てあげてと言われた。
行くべきかどうかすごく悩み、親に相談した結果、元親族が勢揃いする場所へ行くのもどうかという話しにもなり
通夜、葬式が済み、四十九日法要の後に自宅に行くという案でまとまり、それを姉に話したところ
お骨になっちゃう前に元気な顔を見せてあげて。身体があるうちに会いに来てあげてと姉に言われた。
相方に相談すると、お姉さんの気持ちを尊重すべきでは、と。
元夫の家族親戚とは籍を抜いて氏が変わった時から赤の他人だけれど
いいんだか悪いんだか判らないけど、紙切れ一枚で終わらないような、切っても切れない縁が今でも続いている
姉にも姉婿にも婚姻生活があった時は大変世話になっていたのもあるし、
人の生き死ににいいも悪いもないと相方も言ってくれたのでお通夜に行くことにして会社を三時間早退。
一旦家に帰りシャワーを浴びて喪服に着替えて相方に千葉まで連れて行ってもらった。
通夜会場のセレモニーホールには10年ぶりくらいに会う親戚もいたし、父母、兄一家と勢揃い。
受付に行くと姉が私の名前を叫びながら駆け寄って来て、二人で抱き合ってしばらく泣いた。
元夫の親族には、来られる義理じゃなかったんですけどお兄さんにお別れをしたくて伺いましたと一応頭を下げた。
親戚の人達からは、あんた東京からこんな遠いとこまでよく来てくれたねと手を握り頭を下げられた。
田舎の人達は口うるさいので少し不安だったけどほっとした。
精進落としをしながら父や母、義兄、親戚達といろんな話しをした。
父と母は明日の葬儀にまた出かけて来るのは大変だから今夜はホールの客室に宿泊するとかで
一緒に泊まれと何度も言われた。
私とたくさん話しがしたいと父母から言われて断るのが辛かったが
涼しくなったら仮設住宅に遊びに行くからその時は泊まるからね、となだめてなんとか開放してもらえた。
亡くなった姉婿は苦しんだ様子もなく穏やかに微笑んでいました。
まだ51歳
一昨年立派な家を建て、甥も姪も成人しこれから楽しいことがたくさん待っていたはずだったのに。
姉婿の逝去に際し、悔いのない人生を送らないといけないとつくづく思った。
私が脳梗塞で入院していたことを知っていた父母からは
頼むから父ちゃんと母ちゃんより先に死なないでくれよ、もう先に見送るのは嫌だと手を握って泣かれた。
もう嫁ではない私を今でも娘と言ってくれる元両親。
80を過ぎた年寄りの泣く姿を見るのは私も辛い。
いろいろ案じて悩んだけどきちんとお別れすることができたので行ってよかったと思う。