金魚日記

お達者ゴールデンと
パワフルチワワと
ギャル猫と
わるわるイタグレパピーと
お気楽飼い主の日々の暮らし

那須での日々

2011年10月31日 | Weblog
那須滞在残すは今日明日となりました。

東京へ持って帰る野菜と卵を買い出しに道の駅、那須の与一の郷へ開店に間に合うように出かけました。

白菜や葉物も東京では考えられないくらいの激安で当分のお野菜を買い込みました。

那須で買うお野菜はどれもこれもおいしくほとんどが100円で買えるので毎日野菜をたくさん食べています。

大好きな鮎も安くて毎日買いに行きました。

相方が鮎を炭火で焼いてくれるのでほくほくしてとてもおいしいのです。

毎日食べては寝ての繰り返しで絶対太ってる(汗)

そしてお正月のお赤飯用に瑞穂蔵さんに新米の餅米を買いに行きました。

瑞穂蔵さんのお米はおいしいのでお正月に炊くお赤飯楽しみです。

道の駅で買ったなすひかりの新米も精米したばかりですごくおいしかったし
お米がおいしいって幸せね。

温泉付きの別荘なので他のお風呂に入ることは岩手以外なかったけれど
久しぶりに鹿の湯さんへ行きました。

硫黄の匂いに包まれた鹿の湯はやっぱりいいな~
別荘の温泉は無色無臭の温泉なので硫黄湯好きの私には鹿の湯がやはりお気に入りです。

ちび達は毎日別荘地の白樺林の中を存分に歩き走り野生児のように跳ね回っていました。

今年の前半はどんぐりが亡くなったり、きーちゃんが亡くなったり私が入院したりと
我が家は不幸続きだったけれど
今は悲しみから少しづつ立ち直り、笑顔で過ごせるようになってきました。

みんな元気でいたらまた楽しいお出かけができる。

次はのロング休暇は春までないけれど春に休暇がとれるように
私も相方も頑張らなきゃ。

31日の午前11時に那須を出発し、東京には14時着。
早く帰れたのでゆっくり片付けをしてのんびりと過ごしました。

相方は明日まで休みなので明日は映画を観に行こうかな~








那須 ④

2011年10月29日 | Weblog
今日も快晴

休暇に入ってから連日晴天に恵まれている。
晩秋とは思えないくらいに毎日気温が高くて薄着で外を歩けるほど暖かい

家の玄関に上着を忘れてきた相方もユニクロへ上着を買いに行くこともなく
長Tと薄手のベストパーカーで問題なく過ごしてきている。

今日は何の予定もなく別荘からほど近い道の駅、友愛の森へ朝イチでお野菜を買いに出かけて
来年の年賀用用の写真をテラスで撮ることにした。



うずらのお下がりのコートを着て猫さんも朝からご機嫌でテラスやお庭を一人散歩。




連写モードで撮れた一枚。

来年の年賀状これでいきまする。

那須滞在も残すは三日。

今回はアウトレットへも行かないし、出かけたいところもないし

毎日朝7時に起きて朝風呂に浸かり、朝ご飯を作って食べてコーヒー飲みながらまったりして
ちび達と別荘地の中を散歩してお昼食べてごろごろしてまた温泉入って散歩に行っての繰り返し。
テレビをつけると福島放送がやっていてニュースも町の情報も天気予報も全部福島がらみ。
そのせいか震災関係のニュースや情報が流れることが多く
テレビを見ていると気分が沈むようになってしまい、段々テレビも見なくなった。

なので夜は毎日22時に就寝と健康的な生活。

何をしたわけでもないのに布団に入るとあっという間に寝てしまう。

毎日毎日赤ん坊みたいによく寝ています。


花巻~遠野

2011年10月28日 | Weblog
ずっとずっと前から行ってみたかった宮沢賢治記念館



低学年の頃宮沢賢治の本を取り憑かれたように読んだ

きっかけは注文の多い料理店。ものすごくドキドキして読み進めるとができない怖さがあったりして。
注文の多い料理店から風の又三郎や銀河鉄道の夜、そして有名な雨ニモマケズを知ることとなった。

雨ニモマケズは読み終わった時になんだかとてつもなくすごい事が書いてあるような気がして魅了されてしまい
その詩の意味をすごくすごく考えたけど
よくわからない言葉や意味がわからない言葉ももあって先生に詩の意味を聞いた。

そして詩の意味が全て分かった時にすごく感動してしまい先生の前でぼろぼろ泣いたのを覚えている。

それから毎日毎日雨ニモマケズを読みいつしか暗記してしまいきっと今でも覚えていると思う。

宮沢賢治のファンタジーな世界に一時期どっぷりはまったのだ。

松下幸之助と並ぶ私の憧れと尊敬の人なのです。

宮沢賢治記念館はイーハトーブ館も含め自然いっぱいの森の中にありました。






注文の多い料理店 山猫軒ではご飯も食べられます。

宮沢賢治記念館を出るとすでに15時近くなっていて一気に遠野へ向かいました。

遠野はやはり本がきっかけで遠野物語。

遠野物語を読んだのをきっかけに日本中の民話の本をたくさん読んだ。

岩手に行ったら絶対行きたいと思い続けていた遠野。

遠野で民話を聞きたかったし少し前に映画にもなて観たけどでんでら野(姥捨て山)とかも見てみたかった。

そして河童伝説のある河童淵には絶対行ってみたかったのだ。

先ず伝承園に行きました。
昔の遠野地方の農家さんの生活方式や重要文化財にもなっている曲がり家を見学することができます。

また圧巻だったのが農業と養蚕の神様として信仰されていた千体のオシラ様のいる御蚕神堂。
ちょっと怖かったけどねw

伝承園を後にして河童淵へ向かい歩いていると遠野キッズ達に取り囲まれたちび達

屈託のない笑顔の遠野キッズが次々に現れて一歩も動けないくらい取り囲まれてしまった。

久々に子供らしい子供を見て私も相方もほのぼのしました。

陽が暮れ始めたので河童淵へ急ぎます。







なんかほんとに河童が出そうなところでした。


遠野をそれなりに満喫して再び花巻へ。

目的は花巻温泉。



花巻台温泉の日帰り入浴できる精華の湯へ。



いつまでも入っていたくなるようないいお湯でした

せっかく岩手に来たので山ばかりでも…ということで海の方へ移動して夕食はお寿司を食べました

震災でどうなっているかよくわからないけどリアス式海岸も見てみたかったけれど
三陸の海を満喫するほどの時間はなかったので海はまた今度来ようということで那須への帰路につきました

中尊寺

2011年10月28日 | Weblog
昨夜のうちに那須を出て岩手までやって来ました。

那須を出たとたんに寝てしまい目覚めると宮城県、長者原SA。長者原SAにはドックランがありました。

早朝過ぎてドックランは貸し切り

ちび達もずっと寝ていたのでドックランを駆け回り朝ご飯もペロリと食べました。

私達もSAで朝ご飯を食べて目的地平泉へ。

世界文化遺産に登録された中尊寺、相方は出張で岩手に行った時に中尊寺はまわったことがあるらしいが私は初めて。

午前9時に中尊寺の駐車場に到着。



月見坂をヒーヒー言いながら私の手を取り登ってれた相方さん。

月見坂の両脇は樹齢300年以上の杉並木でとても素晴らしい姿でした。





弁慶堂、不動堂とまわり本堂へ。



本堂を参拝し讃衡蔵で国宝や文化財をじっくり見ました。



後ろに見えるは金色堂

残念ながら金色堂内は撮影禁止。

超金ピカですごかったよ~~


ちょっと疲れけど仏像を見るのが好きなのですごくすごく満足。


毛越寺へ浄土庭園を見に行きたかったのですが中尊寺を堪能しすぎて時間が押してしまい断念。。
またいつこんな遠くまで来られるか分からないけれどこの後花巻と遠野をまわることになっていたので仕方ない…。

那須三日目

2011年10月27日 | Weblog
今日も快晴。

寒くなるとの予報だったのに気温は上昇。

今日は紅葉を見に山へ行く予定

那須岳ロープウェイに乗りに行ったけど残念ながら那須岳は紅葉が終わって裸山になっていると観光案内所で教えてもらい
マウントジーンスに電話をかけて紅葉の様子を聞くとまだ楽しめるとの返事。

途中お弁当を仕入れて早速マウントジーンズへ。

毎年毎年きーちゃんと乗ったマウントジーンスのゴンドラ。

今年はうずらが一緒です。



ゴンドラ乗り場へ行くこのエスカレーター。きーちゃん大嫌いだった。

いつも相方が抱っこして乗せていたっけ…。

去年は相方の入院があって秋の那須は行けなかったけど春に来た時はきーちゃんまだ元気だったな~









頂上で景色を見ながらお弁当を食べました。

その後うーちゃんは山頂ドックランで一人で爆走







帰りのゴンドラに乗ると



遊び疲れてねむねむさん。





この黄色い花は秋ひまわりです。満開でした。

那須二日目

2011年10月26日 | Weblog
素晴らしい快晴。

朝の空気はキーンと冷えているものの。日射しが暖かくちび達は広いお庭をお散歩。





猫さんも一人でお散歩。

広い別荘地なのでいなくなっては困るのでハーネスをつけてリードで散歩していたが
猫さん慎重でなかなか歩かずリードを離してみたがそれでも家の周りを少し歩いてはさーっと戻ってきてしまうため野放し

テラスから庭の木々に来る鳥を眺めたり舞い落ちる枯れ葉を眺めたり楽しそうにしていました。

目覚めるとすでに相方が温泉を入れてくれていたので優雅に朝風呂に入り

食材が何もないのでガストにモーニングを食べに出かけました。



那須岳がきれいです。

モーニングを食べた後は食材を買いに出かけました。



先ずはお米を買いにいつもの瑞穂蔵さんへ。

しかし瑞穂蔵さんがお休みだった為、道の駅友愛の森に。

なすひかりの新米と今夜のバーベキュー用の朝採れお野菜を仕入れました。

いつもバーベキュー用の那須牛を買っていたお気に入りのスーパーが閉店していたり
なんでも揃うマックスバリユーが閉店していたり
しばらく那須に来なかった間にいろんなお店がなくなっていたけれど
黒磯にドンキが出来ていてビックリ。
ドンキでバーベキュー用の備長炭や調味料を買ってお肉を買いに安倶楽牧場へ。

安倶楽牧場さん今大変なことになっていますけど…



柵越しに牛さんを呼ぶと近づいてきてくれた



撫でて~~って可愛い。
鼻を撫でると牛タンでベロンww



うずらに興味津々で牛が集まる集まる。。




那須到着 

2011年10月25日 | Weblog
夜19:30に家を出て那須高原ICを降りたのが22:00

トイレ休憩も取らずノンストップで東北道を走りました。

貸別荘の鍵を受け取りに管理事務所に行き夕食を仕入れにコンビニへ。

栃木やっぱ寒い。。

コンビニに着いた時に相方が家を出る時に玄関に上着を忘れて来たことが判明。

これから一週間近く滞在するのにいつたいどうすんだ。

私は着る洋服に合わせてコート類を3着も持参していたというのに。

明日ユニクロに何か買いに行こうかと言うと

俺寒いの平気だから要らない。ベスト来てるからこれでいいや

マジかよ。

セブンでおでんとお茶とおにぎりを仕入れて別荘へ。

初めて泊まる場所、別荘地なのでナビも案内しないし管理事務所でもらった適当な地図を見ながらなんとか到着。

入ってすぐにリビングと寝室のストーブをつけて家から持参したホットカーペットを敷いて
ちび達のベッドやお布団
猫のまっすぐさんのトイレやベッドもセットしてちび達を車からおろしました。








広いお部屋に大はしゃぎしそしてすぐにくつろぐ。

相方はせっせと荷物を運び私が所定の場所へ荷物を移動しました。

荷物おろしが終わったら相方がお風呂を洗って温泉を入れてくれました。

初めての場所では階段の上り下りが一人でできないので相方に手を引かれてお風呂へ。

転ばないように湯船に入るまで相方が尽きっきり。

お風呂から出てもまた難儀。
下着を脱げても経ったまま下着を履くことができなかったりもするので

相方を呼んでおパンツを履かせてもらう。

そしてリビングまでまた手を引かれて行く。

動かないでそこに座っててと言われたり私が動くと良くないことが起きるとでも言いたそうに気を遣う相方さん。

車に乗っても腰にタオルケットを入れて楽な姿勢にさせてくれたり

日頃何もしてあげられないから休暇中くらい相方をゆっくり静養させてあげたいと思っていたのにな…

アニバーサリー休暇

2011年10月24日 | Weblog
相方が結婚祝いのアニバーサリー休暇をいただけるとになりまして
明日から一週間我が家は東京を脱出し那須高原での休暇を満喫して来ます。

那須での休暇はいつも春と秋に行っていましたが
今年はきーちゃんの逝去と私の入院があり中止となった為、昨年の秋以来一年ぶりの滞在になります。

私の退院後那須高原にはちらっと行ったけど想い出がありすぎて二人とも涙涙のお出かけでした
きーちゃんが天国に行って早や五ヶ月。
もう大丈夫かな?って思いつつもいつも貸りていた貸別荘ではなく今まで泊まったことのない別荘にしました。
定宿はそこかしこにきーちゃんとの想い出がありすぎてキツイと思うので。

私もまだ体調不安定が続いていたりするので那須で温泉につかって少しのんびりしてこようと思います。

きーちゃんもきっと一緒に着いて来ると思うのでみんなで楽しんで来ようと思います。


友人の死

2011年10月23日 | Weblog
10/10にブログに書いた彼女が医師からの余命一週間の宣告通り、一週間後の月曜日の夜に息を引き取りました。

逝去前日の日曜日に心拍数が落ちて酸素濃度も落ちてきているので今日明日がヤマとの知らせがあり会いに行きましたが
酸素マスクをつけているのに呼吸が苦しそうで見ているのが辛かった。
病院を後にする時、おそらく生きている彼女に会うのは最後になるだろうとは思っていたのですが…。

危篤になっていると夕方に娘さんから連絡があったけど、相方と臨終は家族だけの方がいいねと話し合い病院には行きませんでした。

翌日葬儀社に安置されている彼女に会いに行き、身よりのいない娘に代わり葬儀社との打ち合わせをしました。

20日がお通夜21日が告別式。

私と相方が受付と会計をすることになりました。

予想以上にたくさんの参列者があり賑やかに彼女を送り出すことができました。

セレモニーの全てが終わり芳名帳を管理しやすいようにPCで作り直しようやく全てが終わったところです。


娘は31歳だけどまだまだ世間知らずなところがあり喪主を務めさせるのもあれこれ世話を焼かなくてはいけなくて。

あんたが喪主なんだからきちんとしなきゃいけないのよと言うと、喪主って何?何するの?

お通夜や葬儀に来て頂いた方がこのたびはご愁傷様でしたお悔やみ申し上げますって言うから
お忙しい中お越しいただきありがとうございます生前は母が大変お世話になりましたって
一人一人に心を込めて言うのよ、と言うと
ご愁傷様ですってどうゆう意味?お悔やみってどういう意味?
葬式はどうしてみんな黒い服なの?どうしてお塩をつけなきゃいけないの?

子供相談室かよ!


草履で足が痛いだの着物が苦しいだの、もううるせーうるせー。

全てが終わり着物を脱がせるまで私の役目。。

あまりの無知さに棺に入っている友人に

ねーさん、まだまだこの娘に教えることたくさんあったんじゃないの?
こんなとこに入って寝てる場合じゃないでしょってぼやいたくらいです。
とは言ったものの、彼女だってたくさん心残りがあったはず。
だから
ねーさん色々心配だろうから私達夫婦もこの娘を見守り支えていくからね、と約束しました。

見送るのは辛いけど彼女が想像を絶する末期癌の痛みや辛さから解放されてよかったとも思います。

急変の知らせ

2011年10月10日 | Weblog
一昨日、友人の娘さんから電話の着信。

検査中で電話に出られなかったので折り返しかけるといきなり、みやびね-ちゃん、みやびねーちゃんと涙声。

みやび、とは私の10代の頃のあだ名。

大人になったらどんな女性になりたいかと聞かれた時に私が雅やかな女性と答えたところ
雅やかとはかけ離れていた私からそんな言葉が出たのをみんながおもしろがってつけられたあだ名がミヤビなのです。


どうしたの!と聞くと、ママがもう長くないってお医者さんに言われたの

ママがみやびねーちゃんの名前を呼んでいるからママが生きている間に会って欲しいの

実はその病床の友人とは15年くらい前に急に連絡が取れなくなり疎遠になっていたのです

だからこの15年の間にお互いに何があったのかも知らないし

15年ぶり消息がわかった彼女が余命一週間と聞かされ私もひどく動揺。

娘から聞くと、7年くらい前に胆管癌を患い手術をしたけど数年で再発してしまい
癌治療を行ってきていたけれど今年に入ってから一進一退で一週間前に外来受診した際に黄疸がひどく出て腹水も溜まっていたので入院になった

入院になったけどその日は入院準備でいったんは帰宅出来て夕方には病院の庭を車椅子で散歩し
看護士さんに内緒で煙草を吸いに出たりもしていた

でも翌日に意識が混濁しもうずっと眠り続けているとのこと。

そして一昨日、娘が主治医に呼ばれ、一週間持つか持たないかなので会わせたい人に会わせた方がいいと言われたとのことでした。

ママ意識ないのに、みやびは?みやびは?と言ってるから…

とにかく会いに行かなきゃ、もうそれだけ。

自分も病人なのに病人見舞ってる場合じゃないかもだけどとにかく会わないと絶対後悔する

相方も一緒に行ってくれることになって彼女が入院している順天堂大学病院へ連れて行ってもらいました。

15年ぶりに会う彼女は病気でやせ細り顔は土色でモルヒネで眠り続けていた

泣かないと思っていたのにあまりに変わり果てた彼女の様子に狼狽した。
体重40㌔ちょっとの彼女のお腹は腹水が溜まってベッドの体重計は60㌔になってしまっていた。
看護士さんから耳は聞こえているからたくさん話しかけてあげてと言われたので

手を握り彼女の名前を呼び続け、来たよ、私だよ、ミヤビだよ、分かる?と何度も声をかける

すると瞼が反応する。

目を開けて私の顔を見て、手を握り返してと声をかけ続けた。

昔こんなことがあったよね、と昔話をすると彼女の口元が微笑んで瞼を動かしてくれた。

10代の頃、彼女にはすごく可愛がってもらい私にとっては姉貴的存在だった。

長い髪の毛がかっこよくてお洒落で江戸っ子らしく切符がよくて姉御肌で私の憧れの女性だった。

暖かい手を握っていると彼女がもう一週間も生きられないなんて信じたくなくて信じられなくて取り乱しそうだった。


生きてほしい。とにかくもう一度目を覚ましてほしいと念じながら彼女の手を握り続けた。

面会を終えて連絡をくれた娘と抱き合って泣いた。

彼女の前では泣かなかったから。娘といっぱい泣いた。

知らせてくれてよかった。とにかくどんな状態であろうと生きている間に彼女に会えて良かった。

今はその思いだけ。

あの頃のようにはにかんだかっこいい笑顔でもう一度ミヤビ!って呼んでほしい。

生きてほしい、生きてほしい。