1ヶ月ほど前にメールを頂いた・・・
元、ヤクルトスワローズの田中投手だ。
小林繁さんの墓前に行きたいとの事。
田中投手と言えば、
1997年のドラフト会議において近鉄バファローズから5位指名を受けて入団し、登録名を「ユウキ」とした。
1999年5月4日の西武ライオンズ戦で一軍初登板。5月16日の福岡ダイエーホークス戦でプロ初勝利を挙げ、同年は5勝を記録した。
2001年オリックス・ブルーウェーブへの入団が決まった。
2002年は8月16日のダイエー戦でシーズン初勝利を挙げると9月21日には古巣近鉄から勝利を挙げ、9月28日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初完封。続く10月5日のロッテ戦で2試合連続完封勝利を記録するなど、土曜日を中心に7連勝を記録して「サタデーユウキ」と呼ばれた。
2004年には近鉄とオリックスの球団合併に伴う選手分配ドラフトでオリックス・バファローズに所属する事が決まり、近鉄時代のチームメイトの一部と再び同僚となった。
2006年は7月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で4年ぶりに勝利投手となると5日間で3勝を挙げて8月15日にはプロ初セーブを挙げ、前年好成績を残したリリーフ陣の多くが不振だった事もあり主に中継ぎとして自己最多の34試合に登板した。
2007年は先発投手に再転向し、シーズン初先発となる5月20日の西武ライオンズ戦で6回を無安打に抑え、先発ローテーションに入って3連勝した。しかし、8月12日のソフトバンク戦で64日ぶりとなる4勝目を挙げた後は勝利投手になれずシーズンを終えた。
2008年は春季キャンプ中に右肩後方関節唇損傷のため離脱して内視鏡手術を受けた。その後、シーズン中の復帰を目標にリハビリに取り組んだが結局4年ぶりに一軍登板無しに終わった。
同年10月28日に球団から戦力外通告を受け自由契約となるが現役続行を希望して11月26日に開催された同年2回目の12球団合同トライアウトに参加し、東京ヤクルトスワローズと育成選手として契約を結び、登録名も本名の「田中 祐貴」にすることが発表された。
2009年はキャンプから順調で、二軍で安定した投球内容が評価されて5月11日に支配下登録選手となった。登録名を「ユウキ」に戻し、背番号は1990年代に西村龍次、テリー・ブロスといったヤクルトをセリーグチャンピオンに導いた大黒柱が付けた29に変更となった。
6月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発し、移籍後初勝利を挙げた。その後も先発ローテーションの一角として、規定投球回には満たなかったものの、5勝6敗防御率3.40という成績を残した。
また超スローボールを新たな武器として披露し、中村剛也や小笠原道大といった強打者を手玉に取る場面が見られた。
2010年も前年同様に先発ローテーションの一角として高田繁前監督や首脳陣からも期待されるが春季キャンプで肩を負傷し離脱、
その後手術し2軍戦で投げるも復調の兆しが見えず、9月15日に現役引退を表明。現役最後の登板は、同年10月10日のシーズン最終戦、対広島24回戦(神宮球場)。リリーフで6回表に登板し、先頭打者の石原慶幸から超スローボールも使い3球三振を記録し降板した。
の方だ・・・
そして、今日ようやく、願いが叶い、小林さんの墓前に案内する事が出来た。
一目見て、実直で真面目な方だ・・・
小林さんの位牌に長く、手を合わせていた。
その姿を見ていて、涙が止まらなかった・・・
嬉しかった。
田中さん有難うございます!
又、福井に寄って、その時は小林さん思い出話をたくさん聞かせてください!
さて、2回の雨天延期となっていた、中日本1年生大会が、今日やっとの思いで行われた。
沼津ヤング戦
全福井 200100
沼津ヤ 001101
で最終回同点に追いつかれ、特別延長となった・・・
延長の攻撃、オールスター福井は4点を追加・・・
その裏、1点を追加されるも、7-4で勝利
2回戦進出を決めた・・・
次回は、金沢ヤング戦の北陸対決だ!
全福井 2001004 7
沼津ヤ 0011011 4
福井 大矢場→御簗 捕手 山本
沼津 水谷→久場 捕手 村田
二塁打 久場(沼)
三塁打 大矢場(福)