ネガティブ

2007-10-20 17:59:22 | アスペルガー傾向
なんでだろう、100%ポジティブなものよりちょっとネガティブなものの方に惹かれる。

たとえば、ポジティブなことばは、幼稚園の頃から聞かされすぎて、ことばの意味が飽和してしまっていてリアリティが感じられない。

幼稚園の園歌
=わたしのコンプレックスの原点。

♪つよい子 よい子のあつまるところ~

‘わたしは“つよい子”でも“よい子”でもない。’
そう思って、毎日の朝のおうたの時間が、屈辱だった。
朝、登園をぐずった日は特に。(ほぼ毎日だったと思う)

考えてみれば、100%「つよい」「よい子」なんていないわけで、みんな「つよい」ところも弱いところも、「よい」ところも悪いところも、それぞれに兼ね備えて生きている。

ネガティブが目につくのは、わたしの性質かな?

自分の強さとか良さってあんまり思いつかず、弱さや情けなさばかりがよく見えて、それはそれはハードな幼少時代だった。

だんだん、いい加減さとか気楽さとかが自分なりには身についてきて、いっつも思うのが、‘幼稚園の頃よりは、まし’ってことだ。

それはそれで、たぶん、ひとつの幸運なのだろう、わたしにとって。
「昔はよかった」と言う人生より「今がいい」と言える人生に、わたしは最近、ささやかな満足を覚えている。

もちろん、そういう人生の波みたいのって、自分で選べるもんでもなくて、「昔はよかった」と言う人もそうやって「よかった」と言える時期があるのだから、やはり幸運なのだろうと思う。

わたしの話の仕方について、「さんざんネガティブなことを並べた後、最後にちょっとポジティブなことを言う」と評してくれた人がいる。

だいぶ年下なのに、ちゃんと芯を捉えてて感心してしまった。

暗いこと言わないのはリアリティが感じられないって、わたしが暗いからだろうか。
でも、前向きなことばってありふれてることが多くて、みんな同じ表現を使いすぎて、それだけでは心に届かない。

ちゃんとネガティブも知ってるよ、っていう態度を示したあとの、ポジティブ発言は現実味をおびる気がしてる。

わたしにとっては根本的にポジティブだけっていうのは存在しなくて、ネガティブに対するポジティブっていう形でこそ存在が保証されるみたいだ。

陰は光によって生み出されるのか、と思ってたけど、わたしには光が陰によって意味を持っているみたいだ。

人それぞれ。明るい人は, lucky you, その性質を大切にしてください。
コメント
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