男の人生を振り回すファムファタール(直訳は「運命の女性」とか「宿命の女性」とかですかね。「悪女」って訳されることが多い)のイメージは、『大いなる遺産』のエステラのイメージ。
Great Expectations -- Fountain drinking scene (extended, 1998)
原作は、ディケンズで、えっとディケンズってヴィクトリア朝の時代ですっけ、なんですけど、これは舞台を現代に移した1998年制作の映画です。
当時、子役の女の子が超絶美少女だな、と思って、大人になったらグウィネス・パルトローになるってちょっと劣化してない?とか思ってたんですが(グウィニーの顔が子供の頃苦手だった)、今見ると、女の子はファムファタール感が少ないですね、健康的な感じがしてしまう。
グウィネスはさすがに悪女を演じきってますね。
ミス・ハビシャム(映画では違う名前だったかな?)役のアン・バンクロフトが強烈でしたが。
こういう、なんていうか、デカダンス的な?、雰囲気、あこがれました。
しかし、自分の話をすると、中学生のころとか、美少女であるところの友人に振り回されていた気がする。
というか、振り回されたい願望があって、そういうふうにふるまっていたのだと思う。
山田詠美の「蝶々の纏足」みたいな感じ。
主人公の女の子が美少女の友人に支配的にふるまわれて、ほかの人間関係ー彼氏ができたりとかーを形成することでそこから抜け出すんだけど、あとになって彼女が自分に執着していた/淡い恋心を抱いていたというようなことがわかる、って話。
あるいはフランス映画の『ウォーターリリー』とか。(日本語のタイトル思い出せない。)
あれは、美少女に恋した女の子の成長物語。
美少女の方は成長しないの。
そういう話だった。
でも、むかしすごく美しいと思ったものが、いま見ると子供っぽく見えたりするしなぁ。
そして、克服したと思うの。
敗北感を。
劣等感を。
あこがれを。
むかし美少女だった友達より、いまは自分の方がきれいになっていたり。
そういうことをけして口に出さずに、でもどこかでほっとして。
そういうことで自尊心を保つなんて。
なんて小市民。
なんて、ちっぽけ。
でも、だれがなににこだわってるかなんてわからないからなぁ。
いくつになっても。