Matchbox20 Time after Time (Cover)

2008-05-31 17:37:40 | 音楽
Matchbox20 "Time After Time" (Live Cover)


シンディ・ローパーの名曲「タイム・アフター・タイム」のカバーです。
ロブ・トーマスのボーカル、すごいなぁ。

この曲、歌詞がすごくよくて(Lyrics)、シンディ・ローパーって、他の「トゥルー・カラーズ」って曲でもそうなんだけど、視点がすごく優しくて、そんなこと言われたらすごく励まされるなぁ、って感じで、なんで、こんな歌詞が書けるんだろう、って思います。

まぁ、目標としては、こういう気持ちの持てるおとなになりたい、っていうところです。
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昨日のカウンセリング

2008-05-31 16:48:20 | アスペルガー傾向
(めずらしく熱が38℃あります。
まぁ、それはいいとして。)

昨日、学校の保健センターにカウンセリング、行ってきました。
去年、話したとき、適当な感じの先生だな、と思って、その時の自分の深刻さにそぐわない気がしたけど、昨日は自分も前ほど思いつめていないので、研究生活の相談、という感じで、話ができました。
アスペルガーのことは「傾向はあるみたいですね。理系の院生は、そういう人、多いですよ」
・・・って、わたし、理系じゃないし。てきとうだなぁ。
別に、いいけど。

あっ、「(研究でも)興味あることばっかりやって、興味ないと全然、頭に入らないので、困る」って言ったら、
「興味あることで論文書いたらいいんじゃないですか」と言われて、
それができたらいいなと思いました。

指導教官の先生のすすめもあってカウンセリングに行ったので、しばらく続けてみます。
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bjork joga live in cambridge

2008-05-30 06:52:26 | 音楽
bjork joga live in cambridge


このライブ・バージョン、3:55からのファルセットが、ヤバいです
ぜひ聞いてみて下さい

えっと、ビョークの、この曲のタイトルは「ヨーガ」と読みます。
ビョークの友だちの名前らしいです。

♪All the accidents that happen just follow the dot
 Coincidence makes sense only with you
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自分を言葉にする。

2008-05-29 17:33:54 | Weblog
ことばを出す場所は必要だ。

最近、母が「(周囲に)しゃべり好きの人がいて、その人が話しているのを見ると‘話すことって、排泄行為なんやなぁ。出したくてしょうがないんやなぁ’と思う」と言っていた。
わたしはことばにたいしては言霊信仰的なところがあって、ことばを排泄と言い切るのはためらってしまうが、母の言いたいことはよくわかる。

その時の話の流れとしては「だから、alamedaがたくさん話せないことをコンプレックスに思うことはない。話すことは必ずしも美しいことではない。」っていう文脈だった。
それもよくわかる。

わたしが話したいと思うのは、人のためになるからでなくて、自分が発散する必要があるからだ。
わたしが無口であるゆえに気に入ってくれる人たちがけっこういるのは知っている。
でも、わたしにとって今大切なのは、人から気に入られることより、自分の鬱屈した内面を吐き出すことだと思う。
それこそ、わたしにも排泄の必要があるんだ。

たぶん、ブログはその役割を担ってくれている。
人に聞いてもらうようなことでないな、と思うことばかり書いている。
だれかの役に立ったら、なんて希望を持つこともあるけど、基本、そんなに野心的ではない。
それでもありがたいことに、日々、アクセスがあって、わたしの気持ちを救ってくれる。

今日、健康診断のあとに、大学保健センターの精神神経科に予約をしてきた。
一年前に一度、相談に行った時よりは、自分のことを話せるようになっていると思う。
少なくとも自分は、本気でうつの時に、まともに人と話すことはできないので、相談とか無理で、カウンセリングを受けようとするのは元気になった証拠だ。

体重も去年より3キロ増えていた。
これ以上増えたらそれも困るんだけど、やっぱり一年前はつらかったんだなぁ、と思った。
自分では、底は二年前だと思ってるんだけど、まぁ、底がいつだったかなんて、ドングリの背比べ(?)みたいなもので、確定する必要もないだろう。

そんなことで(?)、明日、カウンセリング、行ってきます。
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The Catcher in the Rye

2008-05-29 11:14:14 | メンタリー・ヘルシー?
自分を苦しめているものって何やろう。

虚栄心?

その背後にあるのは恐怖やと思うけど。

何を手放せて、何を手放せないのか。


おととい、川田亜子さんのニュースがあって、ファンってわけじゃないけど、ヘコんだ。

生きていくには、何かに掴まることより何かを手放すことの方が必要なのかなぁ。

もちものが少ない人の方が強い。

そんなことはもっと前から、10代の頃から、知ってるけど。
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Depressed again

2008-05-28 16:25:34 | 日常
ひさしぶりのうつ。
以前と違って、一昨日からは、攻撃性が外に向く。
あくまで心の中でだけど。
図書館でPCしてて近くに座った人とか。キーボードの音が尋常じゃなくて。(今年度からキーボードが変わって、音がよりうるさくなった。)
・・・思い出しただけで、泣きそう。

すべての悪感情が自分に向かうよりは、ましだと思ってる。

寝不足もあるなぁ。
いや、でも寝てないから調子わるいんじゃなくて、調子わるいから寝れなかったんだよなぁ。
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Matchbox 20- Unwell

2008-05-27 22:57:50 | 音楽
Matchbox 20- Unwell


Lyrics
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Utada Hikaru-ASAP-Translated

2008-05-27 19:14:51 | 音楽
Utada Hikaru-ASAP-Translated


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敗けたボクサー

2008-05-27 19:03:17 | Weblog
五月は、敗けたボクサーみたいな気分になる、と言った人がいたけど、今日はまさにそんな気分。
ボクシングなんてしたことないけど、なんかそんな気分。
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いなかの人の敏感さ

2008-05-26 23:33:54 | Weblog
中学の時、市の国際事業で、カナダ・アメリカの三市に二週間ホームステイをした。
その「◯十周年で、記念事業をやります」「記念誌に思い出や近況を書きませんか」というお知らせがきた。

こういうのは、あまり書いたことがない。
というのは、そういう記念事業とかを軽んじてる、とかいうことでなくて、わたしはいつもあまりにも人と視点が違うので、何を書いても場違いな感じになって、こっちも向こうも、処理に困る感じになるからだ。
そういうことがわかってからは、口を閉ざしてきた。
わたしが語らなくても、世界は回っていくんだ。

だけど、最近、しょうこりもなく人に伝えたくなり始めている。
ぼくの視点だからこそ語れることがあるはずで、ごくごく少数の人でもそれを待っているかもしれない。
これは、山田ズーニーさんの「大人の小論文教室」の影響も大きい。
(すげーなー、ズーニーさん。)

まず考えたことは、一度、あのいなかの中学生の視点に戻ってみることだ。
今の自分では見落としてしまうようなことがたくさんある。
記念事業をしようとしてるおじさん達は、今もあの地域で生きているし、もしかすると、わたしの言葉に反応してくれるかもしれない今の中学生たちも、あの場所を生きているんだ。

今の自分にとって外国って、あまり行かないにしても、留学生が周りにいたり、海外の研究者とお話する機会があったりして、そんなに遠くは感じない。
(まぁ、もともと、自分が日本文化においてマイノリティで日頃、異文化に接し続けてるようなものだから、外国の異文化に対する柔軟性も大きいだろうってこともある。)
インターネットの普及もあるだろう。

でも、あのいなかで。
あの閉鎖的な環境のなかで。(それに当時、ほとんど気がついていなかったことが、びっくりだ。)
あの、選択肢の限られた環境のなかで。
派遣事業に、学校の代表に選ばれただけで、親戚が祝ってくれるような場所だ。
外国は遠かった。

今は10年前とは状況が変わっているだろうが、帰省するたびに感じるあの閉塞感は、田舎特有のものであると思う。(そこに帰属していないものを寄せつけない目に見えない働きがあるように感じられる。)

いなかを批判したいのではない。
ああいう場所では、人が人に対してすごく敏感だった。
人のよわさを、ことばにしないまでもわかって、それをお互いに補うのは当然だと、ふしぎとみんなが思ってるんだ。

人の機嫌のよしあしって、いなかじゃ、おおごとなんだ。
無機的に楽しみを提供してくれる場所とか機器類も少ないから、お互いがちゃんと機嫌よく、お互いをたのしませる雰囲気でいることがとてもとても重要になってくる。

だから、だれかが無表情でいると(それってわたしだけど)不機嫌なのかと思って、みんないろいろ気を使う。
わたしの無表情は、デフォルトというか、それが表情の基本なので、気を使われると逆にきもちわるくなってしまう。
それでも、気を使うということは、それだけその人に関心がある、ということだし、関心というのは愛情に通じると思っているので、そのときは心地よくなくても、人にかまわれた記憶というのはのちのち人を救ったりするんだ。

それに、何度か接していると、今度はまたことばにしないまでも、この人は声をかけられるのが苦手なんだということがだいたいわかってきて、適当にほっといてくれるようになる。
でも、忘れてるわけじゃなくて、何かみんなでやろうとなると、また声をかけたりしてくれるので、人のコミュニティってよくできたものだなぁと思う。

あんまり地元愛がつよくないわたしだけど(そもそも土地にたいする執着があまりないんだと思う)、いつもどおり低いテンションで、‘いなかも、ありがたかったなぁ’と、地味に思ってみたりもする。

「田舎は」「都会は」という議論にそれほど興味はない。
そもそもどこの田舎か、どこの都会か、どういうスタンスで自分がそのコミュニティに関わってるか、などで受ける感じもずいぶん変わってくるはずだ。
特に、どっちがいいわるいって話になってくると、そんなの、しゃべってる人の主観によるとしかいいようがない。

えっと、そうじゃなくて。
今回は、いなかで国際事業を続けてきた人にたいして‘何かを継続して行った’ということに敬意を表したい。
(惰性になっていた部分もあるのかもしれないけど。)

さて、この視点から、‘派遣事業記念集’に、どういうものが書けるだろう?
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