鶴瓶さん・さまぁ~ずさん路線

2013-01-19 15:47:55 | テレビっ子

○○チューブで、さまぁ~ずさんが後輩に軽く見られてるんじゃないか検証バラエティみたいな番組があがってて見たよ。

もちろんすごくおもしろくて、かつ自分に身近に考えられました。

後輩とフランクに接するさまぁ~ずさんの姿に、自分自身がなんか若く見られたり年下の人に年下だと思われていたり、仲良くなった後輩に「まがりなりにも先輩」と言われたり「先輩なのにこわくない」と言われたり、なにがなんだか散々な(?)言われようなんだけど、‘そうか、わたしもさまぁ~ずさん路線なんだ!’と思い、腑に落ちた次第です。

あと、「後輩を緊張させない先輩の代表」という感じで鶴瓶さんも出ていて、さまぁ~ずさんがいわゆる三村ツッコミを開発してからそれが世間に浸透するまで5年かかった、「人間ゆうのは寝かさなあかんわけや。寝かしたら世間に認知されるんやな」とおっしゃってて、ちょっとじんときてしまった。

最近、年下の活躍にすごく焦っていて、わるくち言いたい気分まんまんだったんだけど(笑)、そうね、わたしにはわたしのリズムがあるわね。

じんせいは、ながいわよね。

 

わたしはお笑いに人生論を見る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミル姉さん「レストランで」

2008-10-07 15:56:11 | テレビっ子
ミル姉さん「レストランで」


「駄洒落って、ときどき、さびしいのよ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャレンジ

2008-07-26 00:48:25 | テレビっ子
いかにも正しいことには、落とし穴がある。

なんていうか、頭打ちになる。

10人中10人が最初っから賛成するアイディアは、穴がある。


なんていうか、熱血教師もののドラマを目にして、そんなことを考えてしまった。

まちがってないけど、チャレンジも少ないというか。

たとえば、数年前の『女王の教室』くらいのインパクトがほしい、というか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

固定観念をのりこえる

2008-07-21 23:58:53 | テレビっ子
今日は、いろんなことを考えてる。
今、観た『カンブリア宮殿』のサフィア・ミニーさんのこととか。
吉本隆明さんの「吉本隆明のふたつの目。」の今日の記事のこととか。
あるいは、昨日、テレビで観た速いエコカーのこととか。

あ、うん。
サフィアさんと、速いエコカーには共通点がある。

サフィアさんはPeople Treeっていうフェアトレードの企業の代表なんだって。
フェアトレードって、発展途上国の人が生産した物品を、正当な値段で先進国で商品として売りましょう買いましょう、っていう貿易のやり方のこと。

そういう商品って、今までは“社会貢献のため”“福祉のため”っていうのが強くて、それはもちろんそうなんだけど、「だから、多少、かっこわるくてもしょうがない」みたいなところが暗黙の了解的にあったと思う。

でも、サフィアさんのやり方は「商品の魅力で勝負しよう」っていう、一般の企業と変わらないもの。

ここが、加速力のあるエコカーと同じところ。
作ってるのは、慶応の先生とかだったと思うけど、「‘エコだから、ちょっとがまんしよう’っていう考えがどうしてもあるけど、がまんしなくてもいいものにしないと普及しない」っていう実感から、実用性があって魅力のあるエコカーを作ろうとしたんだって。(電気自動車の開発を始めたのが28年前っていうところに、やたら感動した。すげぇ!って。)

サフィアさんが「魅力的な商品を」って、考えるのも、深い社会意識があってのことなんだ。
‘人のしあわせって何?’っていう所から始まっているように、わたしには見えた。
「自分の能力を使って作ったものが、正しく評価されて、そのことでお金を稼げる」
これって、人間としてすごくうれしいことだ。

村上龍さんも言ってたけど、‘貧困ですか、お金をあげましょう、っていうふうにお金をもらっても、一時的には助かるけど、援助された側の誇りとか生きがいとかには繋がらない。それより、やりがいのある仕事があって、それで収入をえられるってことが人の誇りになる’っていうか。

人間の尊厳みたいなことなんだな、って思った。

そこまで行くのには、時間がかかる。

でも、あきらめなければ実現するんだな、って思った。
それは、どんなに時間がかかっても、ってことだけど。

できるようになるって信じることって、信じる気持ちって、本当に本当に何ものにも変えがたい。
信じてくれる人がひとりいると、状況は一変するんだ。激変ではないにしても。

信じるのが得意な人とニガテな人がいるけど(サフィアさんとか、いっしょに出演してた「かものはしプロジェクト」の村田さんとか、「フローレンス」の駒崎さんとかは、得意な人なんだと思う)、信じることができない人はいないと思う。
信じたい気持ちはだれにでもあると思うから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半ダースの人を救うために

2008-07-18 23:30:03 | テレビっ子
最近、YouTubeで"The L Word"(邦題『Lの世界』)を観ていた。
今のところ、第5シーズンまで進んでるんだけど、YouTubeではシーズン1、4、5のほとんど全エピソードを観ることができた。

えっと、話は、LAに住むレズビアン・グループの人達の生活を描いている。
ラブ・シーンが激しいので、日本人的には気軽に人に勧めにくい気もするんだけど、そういうシーンに慣れてくると、いかにこのドラマが人の深い部分を描いているかがわかってくる。

最新の第5シーズンでは、主要人物のひとりの「ジェニー」が書いた脚本で"Lez Girls"っていう映画を撮るって話になる。他の主要人物たちも何かしら、映画の撮影に協力してる。

映画は、ストレートの女の子が、はじめて女の人と付き合って、自分のセクシュアリティに目覚めていく、ジェニーの自伝的な話なんだけど、映画会社側から「エンディングは主人公が前の彼氏とよりを戻すふうにしよう」って言われるわけさ。

これは彼女たちにとって譲れない部分で、セクシュアル・マイノリティとして自分らしく生きていこう、って主人公が最後に思うことが大事なわけで、でも、会社側にしたらマジョリティ受けするように主人公をヘテロセクシュアルに戻したいわけで。

これって、セクシュアリティの問題だけじゃなくて、マジョリティ(多数派)っていうのはマイノリティに対していつも暴力的な力を持っているな、と思う。

そして、何か作品を作るときに、たしかにマジョリティに迎合した方が一時的に受け入れられやすいとは思う。
でも、マジョリティでいると、日々、強く救われを求めているわけじゃなくて、そんなに悩んでいないから、なんとなく楽しい作品はなんとなく楽しんで忘れていくわけで。いや、そういう楽しみも必要なのかもしれないけど。

マイノリティでいて、たとえば、世間から冷遇されていたりする時に、自分側の視点で描かれたものっていうのは、すごくその人の心の響くわけで。
だから、真摯にそういう視点を突きつめた作品っていうのは、少数かもしれないけど、たしかに人を深く救うだろう、って思うんだ。
(レズビアンやバイセクシュアルの人はそんなに少数でもないだろう。ただ、あまり認知されていないっていう心理的な部分がマイノリティを生むんだと思う。たとえば、「女性」が最後にして最大の「マイノリティ」だ、と言われたりするのも、心理的な部分を語ってるはずだ。)

一気にたくさんの人は救えない。

パウロ=コエーリョさんの『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』に出てくる司教さん(だったと思う)も「たった半ダースの人を救うために一生を費やしたようなものだ」と言ってる。
救いってそういうものだと思い始めた。
っていうか、一生かけて5、6人の人が救えたら、その人生は大成功だろう。

なんとなく大衆に向かうんじゃなくて、本当にだれか一人二人を救うために、活動していくことが、いずれ世界を変える。

深い所では、どの人もつながっているのだと思う。

表面的な違いにまどわされて、日々、くるしんでしまう私達なんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミーハーなことを言います

2008-07-07 23:09:30 | テレビっ子
最近、すごく久しぶりに‘ステキッ!’と思える女優さんを見つけた。

キャサリン・メーニッヒ。

知る人ぞ知る、アメリカのTVドラマ『Lの世界』で、主要キャストとして活躍中。

いやぁ、先月下旬に来日して、そのインタビューを観て、その低いセクシーな声を聞いて、‘やばい’と思ったのです。

ドラマでは、かっこいいレズビアンの役で、今「女が抱かれたい女No.1」とか言われてるらしい。

わたしだったら、抱かれるより友だちになりたいけど。テンポラリーな関係は、すきじゃないし。

わたしのNo.1は、アンジー(=アンジェリーナ・ジョリー)だし(笑)


最近、いそがしくて(毎年、七月はあわただしいです)、自分が何言ってるのかも、よくわかりません。↑

そんな中、かっこいいケイト(=キャサリン)を観て、いやされているわけです。

あ、ちなみに、ケイトは、グウィネス・パルトローのいとこらしいです。
ジュリエット・ルイスファンのわたしが、パルトローさんはニガテだと言う理由がすぐにわかる方は、90年代からの(orそれ以前からの)映画ファンですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問題は別の所にある

2008-06-19 16:21:29 | テレビっ子
人の気持ちはわからない。

わかったところで、何かが決定的に変わるわけではないのだと思う。

・・・『ラスト・フレンズ』最終回予告、みちるのセリフ、
「もしもわたしが人の心を知る能力があったら」に向けて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選定

2008-06-18 14:14:58 | テレビっ子
昨日のNHK『プロフェッショナル』のお茶師の前田文男さん。
お茶界ではすごい有名な人なんだって。(番組の受け売りだけど。)

なんかね、仕入れるお茶っ葉を選ぶときに、ピンとくるものと出会うまで、いろいろ試して‘あれでもない、これでもない’ってやってらして、
その様子を見て、「あっ、わたしが論文を読んで、‘おもしろくない、ピンとこない’ってくり返すのも、本物に出会うまでの必要な過程なんだ」って思った。

あっ、先週の獣医師さん(何てお名前だったかな・・・)の回で、感動したのは、ワシの治療をされていて、その鳥の様子を見ながら、
「生きようとしてるんです」
って言われたところ。
なんか、そのワシの様子と言葉がリンクして、‘わぁ、いのちって、すごいなぁ’って思った。
なんか、小学生の作文みたいやね
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えらい!

2008-04-19 15:12:49 | テレビっ子
水谷豊さんと寺脇さんの刑事ドラマ『相棒』。

さっき、再放送枠でやってて、今回のは特に考えさせられるものだった。

―――

今日の『相棒』は、「時効」がテーマになっていて、娘さんを殺された両親が時効後に発覚した犯人の名前を教えてほしい、って右京さんと亀ちゃんの特命係に来るんだけど、時効が成立してるから教えられないっていう規則があって、それでそのご両親も、聞かれてる特命係の二人もくるしむ、っていうストーリーだった。

このドラマがすごいなあと思ったのが、その娘さんが殺される前にお母さんに「話したいことがあるから。いい話よ」って言うんだけど、それを言う前に亡くなってしまって、その「いい話」っていうのがずっとわからないままで、そのお母さんはくるしんでて…

…多くのドラマではそういう「謎」があると、そのドラマの中で謎が解明されるんだけど、今回の『相棒』ではその「いい話」っていうのが何だったのか、本当に、ドラマの中でわからないままなんだ。
つまり、視聴者にもわからなくて、話に集中して観ていた人は、そのことに何かしらのしこりを覚えると思う。すっきりしない感情。

この、視聴者に‘しこり’を残す、っていう所が、この『相棒』というドラマの秀逸なところだと思った。

―――

基本的にテレビとか映画とかって、エンターテイメントとして、娯楽として観ることが多いから、いわゆるハリウッド映画とか、勧善懲悪的なスッキリハッキリなストーリーが好まれることが多いと思う。

たのしい、って気持ちはすごく大事だ。
にこにこして生きることは大事だ。(お笑いも大好きだ、むかしから。)

だけど、くるしい現実から目を背けただけの笑顔じゃ、あとが続かないっていうか。一過性の笑いで、効果がうすいっていうか。

えっとね、あの、笑いは必要で、にこにこしてるのが大前提なんだけど、それはくるしい現実を受け入れた上での、くるしんでる人がいるってわかった上での、覚悟を持った明るさである必要がある、っていうか。

―――

いや、チベットの独立運動について、これもまた、よしもとばななさんなんだけど、「オリンピックがすごく大事なのはわかるけど、チベットの人権問題で苦しんでる人たちがいることを知らずに、その人たちがデモをしたら、オリンピックの時にそういうこと言うな、とか言うのはおかしいんじゃないか」っていう旨のことを書いてらして、わたしはよく内容を知らないけど(この「知らない」っていう所に社会の問題って潜みやすい)、たぶん、よしもとさんの言ってることって、すごく大事なことだな、って。

ある人にとって、オリンピックは人生の目標かもしれないけど、人権を無視されて家族が死んだりしてる人たちの問題を無視して、行うオリンピックが平和の祭典でありえるのか、っていうこと(をよしもとさんは言っている)。
格差社会、っていうか、格差世界、っていうか。

あんまり自分にどうにもできないことで、心を悩ませてうつになるのは、結局、人の役に立たないっていうことがわかって、わたしの正義感って無駄だよなぁ、ってつくづく思ったけど、やっぱ、くるしんでる人から目を背けたらあかんなあ、って今回のことで思った。


そう思ってたところへの、『相棒』だったので、このドラマ作ってる人、えらい!って思って。

―――
われらが言語学の巨頭、チョムスキーも社会運動をすごく盛んにしていて(そっちにがんばりすぎて、言語学に興味を失いかけていたこともある、って聞いたことがある)、どんな立場にいても、気持ちがあれば何か行動を起こすことができるってことを身をもって証明している。

あの人の理論が正しいかどうか、ということを超えて、ボーっとしていた小市民のわたしとかに、問題意識を持たせた、っていうところにあの人のすごさがあると思う。(というか、わたしが大きな影響を受けたのは、チョムスキーの教え子の日本人の先生だけど。)

言ってることが正しいかどうか、じゃなくて、「言ってみる」ことが正しいんじゃないかな、と思う今日この頃。
やってることが正しいかどうか、じゃなくて、「やってみる」ことが大事、っていうか。

そのための体力とか精神力とかって、本気になれば、なんとかなるみたい。
本気になるまでの時間を、ちゃんとかけていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「恋ノチカラ」

2008-01-23 17:30:26 | テレビっ子
夕方にドラマ『恋ノチカラ』の再放送がやっていて、今日が最終回で、楽しみに観てしまった。

このドラマは、もしかすると別のタイトルの方が覚えやすかったのではないかな、というのが個人的な意見だけど(同じ、堤真一さんの出演作『やまとなでしこ』みたいな、具体的なイメージの沸くものの方が、記憶には残りやすい)、そういうこととは関係なく、よい作品というのは、人の記憶に残って、愛されていくんだなぁという感想を、再放送のくり返される、この作品にたいして抱いている。

なんで、テレビドラマの批評なんか、してるんだろう。

夕方のドラマの再放送には、むかしから思い出がある。

中学生の頃、定期テストの前、一週間はテスト期間ということで、部活がなくなって、早くうちに帰れた。

もちろん、早く帰って勉強しましょうね、ということなんだけど、そんな、帰ってすぐなんてするわけがない。

まず、家にあるお菓子をあさって、おいしい飲み物を淹れて、準備万端で、ちょうどそれくらいの時間に始まる、テレビドラマの再放送を観るのだ。

私は、塾にも行ってなかったので、家族が家を空けているその時間帯、野放し状態だった。

それでよく覚えてるのが、中山美穂さんと柳葉敏郎さんの出てたドラマ(タイトル忘れた)とかなんだけど、そういうのって、けっこう何年たっても覚えていて、テレビの影響力を感じたりする。

なぜか、同じ番組に何度も、たまたまテレビをつけたら遭遇するっていうことがときどきある。

ドラマで言うと、『恋ノチカラ』にも出てる深津絵里さんと常盤貴子さん主演の『カバチタレ』っていうドラマの、家庭内暴力に遭っている奥さんの話の回をもう何度も、偶然観ていて、そのたびに、そういうくるしんでる人の力になれないものか、と、普段の自分のヘボさも忘れて、正義感に奮い立ったりしている。

ふしぎな縁だ。

そういう偶然の出会いとか、なんとも絶妙なタイミングとかが、人生―その人の思想や行動―を決めていくんだと思うけど、そういう偶然って、偶然のようでいて、自分の内側にある想いが実は引き寄せているものなんじゃないかな、っていうふうに思う。

自分が求めているものが、現象化していく。

そしたら、それをつかまなきゃね。

たぶん、いつもいろいろ考えすぎて、だいぶチャンスを見過ごしてきた感じがしているので(そのときはしょうがなかったと思うし、後悔はしてないけど)、最近はちょっと体力や精神力が戻りつつあるので、波が来たら乗ってみようかと思う。

たぶん、そういうの全部、なるようになっていくんだとは思ってる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする