水谷豊さんと寺脇さんの刑事ドラマ『相棒』。
さっき、再放送枠でやってて、今回のは特に考えさせられるものだった。
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今日の『相棒』は、「時効」がテーマになっていて、娘さんを殺された両親が時効後に発覚した犯人の名前を教えてほしい、って右京さんと亀ちゃんの特命係に来るんだけど、時効が成立してるから教えられないっていう規則があって、それでそのご両親も、聞かれてる特命係の二人もくるしむ、っていうストーリーだった。
このドラマがすごいなあと思ったのが、その娘さんが殺される前にお母さんに「話したいことがあるから。いい話よ」って言うんだけど、それを言う前に亡くなってしまって、その「いい話」っていうのがずっとわからないままで、そのお母さんはくるしんでて…
…多くのドラマではそういう「謎」があると、そのドラマの中で謎が解明されるんだけど、今回の『相棒』ではその「いい話」っていうのが何だったのか、本当に、ドラマの中でわからないままなんだ。
つまり、視聴者にもわからなくて、話に集中して観ていた人は、そのことに何かしらのしこりを覚えると思う。すっきりしない感情。
この、視聴者に‘しこり’を残す、っていう所が、この『相棒』というドラマの秀逸なところだと思った。
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基本的にテレビとか映画とかって、エンターテイメントとして、娯楽として観ることが多いから、いわゆるハリウッド映画とか、勧善懲悪的なスッキリハッキリなストーリーが好まれることが多いと思う。
たのしい、って気持ちはすごく大事だ。
にこにこして生きることは大事だ。(お笑いも大好きだ、むかしから。)
だけど、くるしい現実から目を背けただけの笑顔じゃ、あとが続かないっていうか。一過性の笑いで、効果がうすいっていうか。
えっとね、あの、笑いは必要で、にこにこしてるのが大前提なんだけど、それはくるしい現実を受け入れた上での、くるしんでる人がいるってわかった上での、覚悟を持った明るさである必要がある、っていうか。
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いや、チベットの独立運動について、これもまた、よしもとばななさんなんだけど、「オリンピックがすごく大事なのはわかるけど、チベットの人権問題で苦しんでる人たちがいることを知らずに、その人たちがデモをしたら、オリンピックの時にそういうこと言うな、とか言うのはおかしいんじゃないか」っていう旨のことを書いてらして、わたしはよく内容を知らないけど(この「知らない」っていう所に社会の問題って潜みやすい)、たぶん、よしもとさんの言ってることって、すごく大事なことだな、って。
ある人にとって、オリンピックは人生の目標かもしれないけど、人権を無視されて家族が死んだりしてる人たちの問題を無視して、行うオリンピックが平和の祭典でありえるのか、っていうこと(をよしもとさんは言っている)。
格差社会、っていうか、格差世界、っていうか。
あんまり自分にどうにもできないことで、心を悩ませてうつになるのは、結局、人の役に立たないっていうことがわかって、わたしの正義感って無駄だよなぁ、ってつくづく思ったけど、やっぱ、くるしんでる人から目を背けたらあかんなあ、って今回のことで思った。
そう思ってたところへの、『相棒』だったので、このドラマ作ってる人、えらい!って思って。
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われらが言語学の巨頭、チョムスキーも社会運動をすごく盛んにしていて(そっちにがんばりすぎて、言語学に興味を失いかけていたこともある、って聞いたことがある)、どんな立場にいても、気持ちがあれば何か行動を起こすことができるってことを身をもって証明している。
あの人の理論が正しいかどうか、ということを超えて、ボーっとしていた小市民のわたしとかに、問題意識を持たせた、っていうところにあの人のすごさがあると思う。(というか、わたしが大きな影響を受けたのは、チョムスキーの教え子の日本人の先生だけど。)
言ってることが正しいかどうか、じゃなくて、「言ってみる」ことが正しいんじゃないかな、と思う今日この頃。
やってることが正しいかどうか、じゃなくて、「やってみる」ことが大事、っていうか。
そのための体力とか精神力とかって、本気になれば、なんとかなるみたい。
本気になるまでの時間を、ちゃんとかけていこう。