昔からなんだけど、魅力的な人見てるといらいらする。
その人が自分のこと気に入ってくれていたりするとなおさら。
耐えられなくなる。
それが直らないまま、十分な大人になってしまった。
もっと大人のひと達を見ても世の中、年にそぐわない子供みたいな人が多いので、これは自分が向き合わなければ自然に直るとかそういうことはない傾向なのだろうと思う。
小学生の頃大好きな女の子の友達を教室で頬をつねってからかったり外で約束して炎天下の中置いて帰ったりしたような加虐性と呼べるような性質が、いつまでもそのまま、いざという時に顔を出し続ける。
男性に対しては加虐性を表面に出さないまでも似たようなことをしてるし、どちらかというと年上がニガテで年下の人が好きなのは自分が何かしらで優位な立場にいたい欲求の表れなんだろうと思う。
長い間、宗教二世として信心深かったので自分のだめな部分は神様にお詫びして以後無いもののようにふるまう、つまり心の奥の方に抑圧しておく、ということをして大人になってきた。
ようやくここ数年で宗教から離れてそういう物事の捉え方をやめて、いわゆる「ありのまま」の自分をとりあえず見るようにしている。
自分の欲望と向き合っている。
人との関係でいちばん求めるものは相手の理解を疑わずにずっと話してられるっていうことなんだけど、それと相手を傷つけたい願望は関係しているか関係ないか。
ちなみに私の言葉を誤解する人がめちゃくちゃ嫌いでそういう人にはただただすごく冷たい。
それと好きな人を傷つけたいというのは別物だけど大きくは繋がっている感じだろうか。
人を嫌うことに問題はそこまで感じておらず、ただ好きな人たちにまで冷たくするのをやめたいと思う。
人を激しく嫌うのもやめた方がいいとは思うが。
やめるべきことがたくさんあるとして、やるべきことは何だろうか。
「ありのまま」を見つめることは大事。
「ありのまま」で社会に出ていっちゃ普通にだめで、どうすれば結局自分が傷だらけになる方向に突き進まずに済むか考えたい。
選択の連続の中、間違うことはあれど正解を掴む日もありたい。