‘脇役’でもいい

2007-10-11 15:58:09 | Weblog
今まで、すごく、少女マンガとかテレビドラマとかの価値観に心を占領されてきたな、ということにやっと気づいた。

ほら、ああいうのって、だいたい主人公がいい思いをするようになってる。
素敵な人はみんな、主人公に恋をしているし、たとえば仕事でつまずいてもその物語が終わる頃には必ず成功することになってる。

So much for my happy ending.

「現実」の問題は、なかなか終わりはこないということだ。

終わってほしいときには終わらないし、たぶん、本当に最期を迎える時は‘えっ、もうおわり?!’ってふうにあっけないものだろう。

あ、もっと、植え付けられる価値観について言いたかったことがある。

「自己」と「他者」の関係。

なんていうか、ひとつの物語に主人公はだいたいひとりで、たぶんその方が描きやすくて、見てる方も感情移入しやすい。
だけど、実際は、マンガとかドラマとかの主人公になりやすい性格の人は少数で、たとえば取り巻きとか、ライバルとか、ドラマの中ではそんな脇役になりそうな人も多いってこと。

わたしが受けている感じとしては、ヨーロッパの映画とかではそういうのが上手く描かれていることが多いと思う。
あいにく、子どもの頃はそういうもののよさがわからず、わかりやすいハッピーエンディングをよろこんで見ていたかった。

あ、ハリウッドか。悪名高き。

わかりやすくない、すべてがすっきりはっきりするわけではない、そういうことがわかった上での、人生の味わい。

自分の性質を知ること。自分の持ち分をわきまえること。
(And, of course, you play the most important roll in YOUR own life however your characteristics are like.)

今の日本で育った若い世代は、そういうことを気づく機会を奪われていると思う。
煽られる自尊心、理由のない自負心。
膨張していく自己像。

去年あたりからのわたしの課題は、膨張した実体のともなわない自我像をいかに現実の、ありのままのすがたに近づけるかってことだ。

現実には最初がっかりすることも多いけど、それなりにわかるようになってくると、‘生きる’ことの本当のたのしさみたいのを感じるようになってきたりする。

苦労しながら掴んでいくもの。

少しは大人になったかな?
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