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やめるのはこわい

2010-01-23 19:25:09 | メンタリー・ヘルシー?
へんなことが起こってくるのは、まだまだ止まるな、ということかな。

今の自分が完成形と思うな、というか。


うつ治療、というか、まぁ、やってたことはカウンセリングとひたすらの休養なんだけど、それがひと段落して、自分に甘くするのに慣れてきて。

今の自分に必要なものってなんだろう。

ひとつには部屋の掃除かな。


人間関係は、むずかしいです。

本当に本当に大事な人たちとは、最近、仲良くできてると思うので、それがけっこう十分に有り難いことだな、と。

自分を中心に円を描くとすると、本当に大事な人たちが自分のすぐそばで小さな円を作っていて、今、困ってるのは、さらにその外の円を作っている人たちとの関係。

長い人生でずっと付き合っていく人たちではないだろうけど、今、よくコミュニケーションをとる機会のある人たち。

たぶん、多くの人も、この距離の関係になやむんじゃないかな、と思ったり。

まぁ、私自身なやんでて、答えがわかるわけでないけど、今のところ、自分の信念と相手の信念は共存可能だと信じることで、解決に近づこうとしている次第です。

それとも、そういう人たちとは、さよならした方がいいよ、っていう答えが出てくるんだろうか。

私はなにかを「やめる」ということが苦手すぎる。

それで、疲れる関係も、やめられずに時をすごしてしまう。

やめることをこわがるあまり、自分に本当に必要なもの、というのを見極められなくなったりする。

まぁ、疲れる関係がどこかで疲れない関係になったらいいわけですが。

現時点で疲れる関係であっても、どこかに希望を見出して続けるとして、その希望が正当なものかどうか、ということが、自分にはよくわからない気がする。

正当な希望であれば、そのうち叶っていくはずだけど。

どれくらい待てばいい。

いい子と思われようとしちゃいけないよ

2009-01-17 14:04:48 | メンタリー・ヘルシー?
初対面の指導的な立場の人と話してて

「いい子と思われようとしちゃいけないよ」

と言われたことがある。

その時は、けっこう、心外だった。

自分がいいように思われようとしてるつもりなんて、ない。

ていうか、ない。

だけど、人のイヤそうな顔を見たくない、っていうのは、すごくある。

なんか、そういう、人の苛立ちとかって、直接的に、自分が触れてしまう感覚があって。

でも、子供の頃よりはなくなってきた。

一時的な感情の揺れって、一時的なものにすぎない、っていうことがよくわかったっていうか。

むかしよりは、よくなってる。

自分なりに、イヤだなぁ、と思いながら、人と向き合ったり、本当にイヤなことは避けたりする術をすこしずつ身につけてきたんだ、たぶん。

逃げたら負けだと思って。

負け、っていうか、もったいないじゃないか、というか、くやしいじゃないか、というか。

そんな感じ。

なんでも、やめる理由はいくらでもあって。

それは、学問でも人生でも人間関係でも、なんだけど。

だからこそ、続けていくことに価値がある、というか。

まぁ、引いた方がいい時もあるのかもしれないけど。

ともかく、続けていったら、何か見えるんじゃないか、と思って。

何かはわからないけど、何かあると思う。そういう直観。

あ、NHK『プロフェッショナル』に出ていたソムリエの佐藤陽一さんを真似してしまいました。(昨日、YouTubeで観たところ。)

おいてきぼりハート

2008-12-23 19:40:49 | メンタリー・ヘルシー?
ストレスに気づくのは、意外とむずかしい。

孤独ストレスっていうのはあるらしいが、それを自分が感じてるなんて、わたしも、3、4年ほど気づいてなかった。

「さみしい」っていうのがことばになりやすい人っているけど、どうも、そういう所、鈍感で。半年くらい前までは。

孤独になっていった経緯っていうのはある。

ひとつには、大学の卒業を機に、友達が引越ししたりして会えなくなって人が多いこと。

自分は、その頃、院浪を決意して、勉強のことにだけ一生懸命だった。(それも、空回り。笑)

次の年、大学院に入ったけど、親しい友人は、あまりできなかった。

ときどき出席する勉強会は、やたら先生率が高くて、学生は少ないし、その少ない学生もやたら優秀な人たちで引け目を感じるようなことばかりだった。

いつからか、ひたすら人がこわくなってた。

もう、むかしから、ずっとそうだった、とその時は思った。

手先の不器用さも、すごく気になった。

学部向けの授業のアシスタントをする時は、手が不器用だから、と常に指サックをつけていた。

・・・神経症。

体調も、ずっとわるくて、授業中、やたら咳き込んだりして、すると、今度は、そうなるのがこわくなって、授業に行くのがつらくなった。

授業も、勉強会も、論文を読んでも、たのしさがわからなかった。

たのしい、ってことが、自分にとっての学問をする第一義なのに。

新しい分野の論文を読みながら‘この人たちは、何がたのしくて、これをするんだろう??’っていう疑問ばかりが先行した。

自分の興味そのものだと思った分野は、扱っている対象は自分の興味と同じなのに、そこに対するアプローチの仕方が自分が思うやり方とはかなり違っていて、でも、そのことにさえなかなか気づかなくて‘いつから、自分はこんなに頭がわるくなったんだろう’と思っていた。

友達に会えなくなったことに加え、自分からも人と距離を取るようになっていった。

体の不調に準じて、心はふさいでいって、人と会うにも、まず体力がないし、その場をとりつくろうだけの自信はまったくない、と思った。

だれか知ってる人に会えば、反射的に泣いてしまいそうで、それもこわかった。


こうやって、孤独になる時は、いろいろな条件が重なるんだ。

で、つらくなるんだけど、つらくなってる理由っていうのは、自分にもよくわからない。

人と離れたかった理由は、人とコミュニケーションをする時のリスクに耐えられる状態でなかったから、というのがある。

なんていうか、別の言い方をすれば、すごくめんどくさがりになってた。

うつが怠け病って言われる所以かな。

いろいろ、人と関わって生じる煩わしさを思っては、なにもせずに、ただ凹んでいたなぁ。

で、今日、言いたかったことなんですが、人と関わった時に失敗すると、その失敗っていうのは、目に見えてわかることで、だから、つらいな、って思っても、つらい理由はわかってる状態。

いっぽう、孤独ストレスとかっていうのは、ことばにならないつらさ、だと思う、というか。

えっと、あの時、あの人にあんなこと言って失敗した、とか、ちゃんと話聞き取れなかったとか、は、わかるつらさだけど、だから、反省のしようもあるけど、孤独でつらいっていうのは、孤独を定義づける指標が明確でない場において(それは、一般にそうだと思う)、そして、自分がそういう感覚が鈍感である時、つらくても、よくわからないんだ。

あれっ、さっき、思いついた時は‘そうか!’って思ったのに、あんまりこの文章、冴えないなぁ(笑)

ことばにならないストレスは、ことばにできるストレスより対処が困難だ、というか。

だって、本当。

一日中、だれとも口を聞かない状態っていうのを、ぜんぜん、ふつうだと思ってたんだから。

わたしの場合、ふつう以上に、鈍いらしい、っていう予感もあるんだけど。。


まぁまぁ、つらくなっていく時って、いろいろ条件が重なるってことを書いたけど(これって、けっこう普遍っぽいと思う)、回復してくる時も、いろいろ条件が重なって回復してくるんですよね。

なんか、もうあせってない。

つらい時期に入る前は、けっこう、いろいろできて当たり前だと思ってたし、なんか、エスカレータ式に進まない人生が想像できなかったというか、そういう子供だったんだけど、今は、いろいろエスカレータ式でないことがおもしろいと思ってるし、自分は時間のかかるタイプだってわかってるので、そんなに息巻くこともないな、っていう気分です。

で、そういう気分でいられることは、うれしいことです。

今日の本

2008-12-19 21:25:12 | メンタリー・ヘルシー?
以前、気になっていたアリス・W・フラハティ著『書きたがる脳』という本を今日、大学生協で見たら、どうしても読みたくなって購入。

ちょっと、メモです。

「共感覚」についての項で、「数字に色を感じるのは、子どもの頃、冷蔵庫に貼ってあった色つきの数字型マグネットせいだと思っていたけど、確認したら全然ちがう色で、色を感じる感覚は共感覚だった」って書いてあって、自分も「~けど」までの部分をまったくそのまま思ってる(うちの場合、マグネットでなくて、積み木だけど)ので、わたしのも数字と色の共感覚かもしれない、と思った。

積み木、今でもあるかなぁ。

☆☆

「すべての精神的な仕事は痛んだ身体でなされる」アリス・W・フラハティ


しっとについて

2008-12-15 11:37:32 | メンタリー・ヘルシー?
ときどき、自分の中でテーマになるのが「嫉妬心」。

これは「孤独」と対をなしていて、しっとするのが苦しいから孤独を選ぶ、あるいは、孤独がつらくて人とかかわると人間関係の中でしっと心を感じざるをえなくなる、という図式です。

基本的に「人はだれでも他の人にはわからない苦労がある」っ考えるのが、人を見るときのクセなので、そう考えることで「人は人、自分は自分」っていう事実を確認していく感じなのですが・・・。

あぁ、最近、このこと忘れてたかも。

一人でいた期間が長くて、人間関係の距離感、忘れてたかも。

そしてそして、研究のことでも、そうなんだ。

わたしは、(優秀な後輩にはもちろん)目上の人にもしっとするから、教授とかにもしっとするから(笑)・・・いや、負けず嫌いっていうか、そのクセ、努力が足りん・・・、そうだな、自分ももっとがんばれる、自分ももっと力がある、って思ってるんだな、きっと。かつ、現状に忸怩たるものを感じている、というか。

あぁ、うん。

うつだった頃の三年間は、まったくいい所がなくて、全然、力発揮できなくて、‘わたし、こんなにバカだったかな’って感じで、‘あぁ、もう、ほんとにダメなんだ、自分’って思ってた。

それが、最近‘そんなにできないわけじゃないもん。わたしだって、もっとやれるもん。おもしろいこと、考えてるもん’っていう気になってて。

あぁ、元気になってきたじゃないか、自分。

その思いを、言語化して、作品にしよう。

成長

2008-11-17 19:29:38 | メンタリー・ヘルシー?
何を求めてきたんだろう?

何と自分を差異化しようとしたんだろう。

だいたい、何かと似てないと主張したくなるということ自体、ある程度その対象と自分に共通点がある、ということの証明だ。

まぁ、それはいいとして。

くらくらする。

いろんな映画とかで観る、「おれは、何年も何やってたんだ」ってやつ。

「本当に大切なものに気づかずに」みたいな。

まぁ、セリフはくさいし、気づきっていうのは、その時は衝撃的でも、実はその瞬間に至るまでにヒントはいろんな場面で与えられている。

なんとなく、今、クリスティナ・リッチ主演の『わたしは「うつ」依存症の女』を思い出した。

リジー・・・。

才能とかって、そんなに社会生活の上で必要なものでも、歓迎されるものでもないんだと思う。

前からそう思ってたけど、最近、特にそう思う。

何を求めていたんだろう。


子どもをちやほやするのは、本当によくないと思う。

よく知らない人っていうのは、お互いに本当に無責任だし、コミットメントの覚悟がない人を信じる必要はない。お互いに。

だって、わたしも、よその子は甘やかしてしまう。

なかなか本当のことなんて、言えない。

本当の社会の動きとか、ある種の諦世観とか。

どうしても覚悟を決める前に、いろんなことを決めなくてはならなくなって。

中途半端に足を進めて。

つまずいて、転んで。

And no one to blame.

That's one of those things.

I'm not an angry chick or something.

And I think I'm just trying to get things straight.

In a way maybe awkward but really fit for me.

どこにも行けない。

ただここにいる。

それで人生がすぎさっていけばいい。

よく耐えた、と自分で思えればいい。

そして、だれかがそう言ってくれたら。

我儘な体

2008-10-16 16:11:03 | メンタリー・ヘルシー?
バイオリズムで・・・

何もなくても、涙目になります。


からだ冷えたかな、おなか空いてるのかな。

ちょっと無理しても外出した方がよかったかな・・・。

外気に触れるとシャキッとしたかな。

・・・いや、外出先で泣いてることも、多々ある。


とりあえず、昨日、再読しようと思った論文、捜そう


BGMは、aiko 秘密で、どうぞ

我儘な体と泣いてる心
 そっけないふりでごまかす あいしてる


(「秘密」より)

自分がいなくなる

2008-10-11 11:08:19 | メンタリー・ヘルシー?
人と話していると、自分が外に出てしまう。

なんていうか、枠組みの外に。

相手のつらさとか抱えてる問題に組み込まれない自分を感じる。

そんなの、会話の常識上、あたりまえのことなんだけど。

たとえ、相手が自分のことで悩んでいても、そういう直接的なことを言う機会っていうのは、とても少ない。


そうだった。私もいろんな場面で言わないままだった。

私にとって、重要な人たちに、いかにかれらが私にとって重要か、ということを伝えないままだった。

そうこうする内に、年月はすぎ、っていう感じ。


最近、母と話したこと。

「お母さんは、私のやることにいつも否定的だ」
「・・・言葉ではそうかもしれないけど、行動においてはいつも全肯定やん」

あぁ、そうかもしれない。

ぼくらは言葉の力を信じすぎなのかもしれない。

言葉の表面に、力を持たせすぎてしまうのだろう。


言葉には、おもてうらがあるんだ。

裏を読む、というのは、穿った見方をする、っていうよりも、話している人が置かれている状況を読みとる、ってことなんだと思う。

言葉だけでなくて、もっと相手の存在全体に思いを馳せる、というか。

まぁ、むずかしいけどね。


それができるかどうかは、yes or noの世界でなくて、グラデーションなんだと思う。

比較的よくできる人と、あんまり上手でない人がいるというか。

つまり、ここまでできたら合格、とかそういうラインがあるわけでない、というか。

ただ、やっぱりね、年を重ねてる人に、ときどき、すごく人の状態を見抜くのがうまい人がいて、年を重ねることのいい面をまなぶ気がしている。


あぁ、ちょっと待って。

そういうことができる人は、小さい意味での自我を消しているのかもしれないなぁ。

つまり、私が、自分がいなくなる、と感じるのは、まちがった方向でもないかもしれない、ってことだけど。

ただ、自分がいなくなって、くるしい、とか、かなしい、とか思う内は、むりに消えてしまわないことだろう、と、未熟な私は思っている。

でも、消えちゃうんだよなぁ・・・。

至近距離

2008-09-25 11:15:44 | メンタリー・ヘルシー?
基本的に、きらわれるタイプではないんだけどな。

浅い関係の人達には、やさしくしやすい。

あるいは、たのしくふるまったりして。


距離が近づくと、どうもむずかしいね。

自分の内面の問題が、相手との関係に、直接、反映されてきてしまう。

ごまかしきれなくなる。


どうしても乗り越えていくべき部分っていうのはあるんだ。

それはきっと、自分自身が乗り越えたい部分なんだ。


問題の表面化は、解決のはじまり。

さあ、今日は、どう生きていこう。