人の論文を読んでいて、「この研究のなにが悪いか」って問い立ては、やっていくと自分の表情がわるくなってくる気がする。
だから「この研究は、どうしたらもっとよくなるか」を考える。
出てくる答えは一緒でも、至るまでの過程がちがえば、やはり何かちがっているだろう。
ただ単純に、気分よくしているってことに、大きな力が宿る。
たとえば、体調がいいほどすばらしいことはない。
だから「この研究は、どうしたらもっとよくなるか」を考える。
出てくる答えは一緒でも、至るまでの過程がちがえば、やはり何かちがっているだろう。
ただ単純に、気分よくしているってことに、大きな力が宿る。
たとえば、体調がいいほどすばらしいことはない。
・下北沢でライブやってるバンドの人たちは、前髪重めの黒髪のイメージ。
・最初は信じられなかったけど、ここ2、3 ヵ月、びっくりするほどびんぼうゆすりをする人をいたる所で見かける。
♪目に映るすべてのことは メッセージ
なんのメッセージでしょうね、ユーミン?
・最初は信じられなかったけど、ここ2、3 ヵ月、びっくりするほどびんぼうゆすりをする人をいたる所で見かける。
♪目に映るすべてのことは メッセージ
なんのメッセージでしょうね、ユーミン?
メレンゲ 「春雨の午後」
アルバム『サーチライト』の曲?
聞いたことがあるようなないような。
めずらしく日本のバンドできちんとフォローしようと思ってるバンドです。
アルバム『サーチライト』の曲?
聞いたことがあるようなないような。
めずらしく日本のバンドできちんとフォローしようと思ってるバンドです。
身長は伸びなくなっても成長はつづき、急にできるようになることっていうのもある。
すこし前から、急に、音をはずさずに歌を歌えるようになった。
しかし、不思議なことに、音をはずして歌を歌っていたころの方が歌が好きだったんだな。
飽きることなく、ひとり、部屋でずっと歌ったりしていた。
今はそこそこで飽きる。
なんか、おとなになる、ということを知る気がする。
10代のころ、ずっと歌っていられたのは、主観的世界が強かったからではないかと思う。
そこは、成長するための空間。
たとえば、小さい子供は何度も同じおとぎ話を聞きたがるし、赤ちゃんはいないいないばぁを何度も笑う。
なにか掴もうとしてるんじゃないか、と。
純粋に自分のための時間。
おとなになって、根気がなくなるのは、自然なことで、ほどほどというのは本当によいものだと思うし、ただ、そうやって、人は生きていく、その時その時、必要な生き方をしている、ということだと思う。
すこし前から、急に、音をはずさずに歌を歌えるようになった。
しかし、不思議なことに、音をはずして歌を歌っていたころの方が歌が好きだったんだな。
飽きることなく、ひとり、部屋でずっと歌ったりしていた。
今はそこそこで飽きる。
なんか、おとなになる、ということを知る気がする。
10代のころ、ずっと歌っていられたのは、主観的世界が強かったからではないかと思う。
そこは、成長するための空間。
たとえば、小さい子供は何度も同じおとぎ話を聞きたがるし、赤ちゃんはいないいないばぁを何度も笑う。
なにか掴もうとしてるんじゃないか、と。
純粋に自分のための時間。
おとなになって、根気がなくなるのは、自然なことで、ほどほどというのは本当によいものだと思うし、ただ、そうやって、人は生きていく、その時その時、必要な生き方をしている、ということだと思う。
たとえば、90年代は留学してる人達が日本語研究を牽引していた感じだが、それは今までの話だ。
今、注目すべきは、今、何が起きているか、ということ。
より正確には、今、何を起こすか、ということ。
今、注目すべきは、今、何が起きているか、ということ。
より正確には、今、何を起こすか、ということ。
キャリア志向とは相容れない。
息がつまりそう。
わるい人たちじゃないってことと、自分と空気が合うってことはイコールではない。
そういう側面に気づいていよう。
息がつまりそう。
わるい人たちじゃないってことと、自分と空気が合うってことはイコールではない。
そういう側面に気づいていよう。
過去にやっていたことを、外的な力でやらされていたと思うと、いきどおりを感じたりもするが、
結局、だれがなんと言ったとしても、
自分の選んだ道はいつも自分の内面の反映だった
と思えば腹が立つこともない。
そして、たぶん、後者が真実。
結局、だれがなんと言ったとしても、
自分の選んだ道はいつも自分の内面の反映だった
と思えば腹が立つこともない。
そして、たぶん、後者が真実。
拝金主義ってあるけど、まぁ、もちろん意味はわかっていて、お金第一主義みたいなことだよね。
だけど、この言葉を耳にするたび、あるいは漢字を目にしていても、たとえばテレビ業界は拝金主義をやめるべきだ、とかいう文脈の時、なんとなく島田しんすけさんがお金を配ってるイメージを思い浮べていた。
拝金の「拝」をなんとなく「配」で感じてしまうんだね、文字の意味を無視して、音だけで。
で、今、寝ようとしてて急に「拝って、おがむだ!」って思ってガッテン行ったわけでございます。
なんとなくの勘違いイメージってままあって、実はけっこうな力を持ってるんじゃないか(人の心への影響力というか)と思っています。
だけど、この言葉を耳にするたび、あるいは漢字を目にしていても、たとえばテレビ業界は拝金主義をやめるべきだ、とかいう文脈の時、なんとなく島田しんすけさんがお金を配ってるイメージを思い浮べていた。
拝金の「拝」をなんとなく「配」で感じてしまうんだね、文字の意味を無視して、音だけで。
で、今、寝ようとしてて急に「拝って、おがむだ!」って思ってガッテン行ったわけでございます。
なんとなくの勘違いイメージってままあって、実はけっこうな力を持ってるんじゃないか(人の心への影響力というか)と思っています。