Complex feelings

2007-10-03 18:31:59 | Weblog
人の感情というのは、だいたい複雑なものだろう。

諸手を挙げてよろこぶ、というのは人生全体を見回しても実はそんなにあることではないのではないだろうか。

むずかしいのは、人の幸せをよろこぶ、よろこばないって話だ。

今までの自分は、よろこびたい、とか、よろこぶべきだ、とかいう想いが強すぎて、そういうプラスの表現だけでは語りきれない、感情の複雑な部分を無視する傾向が強すぎた。

単純に、よかったねぇ、って思えるのって、自分にほとんど関係ないところの話だけじゃないかな。

わたしは、基本的に、人の幸せはすきで、幸せな人は他人にも親切だし、何より機嫌のいい人が多い社会っていうのは快適なものだ。

だから、人の幸せがきらいな人がいるとしたら、そのおかげで自分も快適になるってことに気づいて、自分が快適を感じることを自分に許すようにしたらいいんじゃないかと思う。

まぁ、そんな程度に、あまり感情込めずに、よかったねぇ、と思ってる私だけど、そうしてるのは、やっぱり感情込めてしまうと、うれしい気持ちも強くなるだろうけど、うらやましい気持ちが出てきてしまうことがこわいからだ。

人と自分は、あまりにも、別。

別個の人間だから、比べちゃいけないよ。

(だから、人と人を比べることもしない。)

ずーっと、そういうスタンスできたんだけど、少し前に、あまりにも私だけ幼稚すぎるだろう、って、勉強仲間と比べて、思わざるをえないことがあった。

それで、しばらくショックだったんだけど、それでよく考えて、やっぱり自分は自分なりにがんばろうって思い直すことができた。

その時に、いろんな人と話したけど、自分がコンプレックス感じてる当の本人と話しても癒されなくて(正面切って向き合おう、っていうひとつのチャレンジ)、けっこういろんな、別の人たちに頼った。

そのとき、いろんな人がいるってことがうれしいことだなぁと思って、いろんな人と話すこと自体で癒されるし、どんなに仲良しの友だちでも一対一じゃ気詰まりになる時期があって、普段あんまり気が合わない人でも思いがけない所でその人の言ってくれたことで救われるってことがあるなぁ、って改めて、じわぁっと感じた。

まぁ、でも、ひとりの人とのめり込むように仲良くなることでしか、見えてこない人間の本質みたいなものもあるし。

たぶん、それって周期的にくり返していくことだと思う。

なんか、今までは、いろいろくり返していくのがこわくて面倒くさくて、ひとつの場所に納まって一生そうして幕を閉じたい、っていう願望があったけど、今回のことで、またちょっと人生が平気になった。

そういうことがうれしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする