「人間関係、チョー得意!!」って言ってる人がいるとしたら、たぶん、実態を掴めてない人で。(それか、その人の作戦なのかもしれない。)
基本的に「人間関係、むずかしい」って言ってる人が多くて、自分が特別だとか思ってるわけじゃない。
まぁ、とりあえず、自分の問題点(と思われるもの)を挙げていこう。
よくある、あれです。「完璧主義」っていうか「オール・オア・ナッシング」っていういか。それが、人との距離の取り方にも反映されている。
仲良くなると、とことん仲良くなって、その人じゃないとダメ、みたいになってくる。
いろんな人とよい具合につき合うって、むずかしい。
特に仲のいい人がいないときは、孤独にも気づかないんだけど、それで、自分、なんか、おかしいな、一日、だれとも話さなくても全然、平気だな、っていうか、寝てばっかいるな、コンビニ行くのもためらわれるよな、ってなる。
ここだけの話(?)、変に一種の貞操観念みたいなものを持ってしまって。
貞操、って言葉が重すぎるけど。精神的な貞操っていうか。
○○ちゃんと仲良くしてる時は、○○ちゃんとの約束、最優先、っていうか。
あ、ふつうか。
なんか、っていうか、もちょっとヘンなんだ。
いつ、○○ちゃんと約束、入るかわかんないから、他の約束は入れない、みたいになってくる。
これが、友だちでもそうだし、もっとひどいのは片思いしてるときとかもそう。(この辺、わたしは友情と恋愛感情の線引きがない。)
片思いの相手に操立てたってしょうがないぜ、って思うけど。
つき合ってたらましか、っていうと、そうでもない。
たぶん、無意識のうちにすごく束縛してるんだと思う。
というのは、自分が無意識に縛られてる気持ちになってしまうからだ。
勝手に、相手にわるいかな、と思って、無駄に、他の男友だちと距離を取ってみたり。普段の態度まで、そっけなくして、あほみたい。
中学生かよ。
自分が勝手にそうしてるのに、相手がそうでないと、切れてみたり。
で、切れた自分に、罪悪感。
あほみたい。
でも、対策としてね、気にしないフリっていうのは、有効じゃないんだよ。
自分的には。
子どもの頃は、ヘンなプライドが高くて、ジェラシーとか絶対、言えなくて、わたしはそんなこと感じません、みたいに自分自身もだまそうとしてた。けど、そしたら、すっごい心の形がいびつになったみたいで、どんどん生きづらくなった。
生きにくさっていうのは、わたしの場合、自分に起因しているように思う。
自分の心がねぇ、ままならないですね。
形がね、わかんない。
だから、頭で考えるようになった、最近。
ことばを、与えていこうと思って。気持ちに。
表現を与えていこうと思って。
それが自然と表情に表れる人はそれでいいんだけど、ことばにしないと自分でも理解できない場合は、そういう意識的な努力って必要だ。
まぁ、努力家すぎるっていう噂もあるんだけど。
それが、自分をつらくしてるんじゃないか、って。
っていうか、いっつも努力足りなさ過ぎるって思ってる。
そういう強迫観念がある。
自分を責めるのも人を責めるのも、やめた方がいい。
わたしにできることは、責めることじゃない。
受け入れることだ。
現実に立脚点をもとう、ぜ。
現実に起こっていることを否定しても、始まらない。
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