ばななさんとヒッキー。

2009-06-02 17:38:56 | 孤独について
よしもとばななさんが、日記(2009年5月20日)で、

「宇多田ヒカルちゃんについて。会ったことないし年が違うし顔も違うし運動神経ないし歌も歌えないけど(笑)、この世の中で、私の苦しみがたったひとりわかる人がいたら、あの人だと私は思う。」

と書いていて、そうかもしれない、と思ったり、なんとなくうらやましくなったりした。

でも、あの人たちみたいな、特殊な環境は、かっこいいけど、やっぱり大変なことが多いと思う。

まぁ、そういうことも選べないんだ。

自分のいる環境を、満喫して生きたい。
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心細い、という感覚。

2009-02-26 12:42:47 | 孤独について
20代後半にさしかかった今でも、ときどき、迷子になる。

迷子って呼ぶのには、年齢制限ってあるのだろうか。

あの時の、心細さ。

だれにたいしてかわかんないけど‘わたしをひとりにしないで’っていう気持ち。

知らない場所が心細いのは、たぶん、世の中の、少なくとも半分の人はそうだろう、と思うけど。いや、もっとだな。

ただ、自分の問題点としては、心細い感じを、周囲に悟られたくないっていう、ヘンな見栄っ張りにある気がする。

旅の恥は、わたしにとってかき捨てではない。

なので、だと思うが、初めて行った場所で、人に道を聞かれるっていうことがけっこうある。

おすまし顔してるんだろうな。

いや、わたしも迷ってるんですよぉ。

とは、言えない。

とりあえず、あぁ、どうでしょうねぇ、とかって、地図さがしたりするんだけど。

ほら、そういうふうに、人に聞けるタイプの人は、また別の人に聞いて答えを早めに手に入れていくわけだけど、聞けないタイプのわたしは、置いてきぼりだ。

顔だけ、地元風でも、しょうがない。

英語が話せるから、と言って、母と外国に行った時に、通訳して、とか言われるけど、英語は話すけど人見知りするわたしより、英語は話さないけど人見知りしない母の方が、道を教えてもらうのが得意だ。

人に聞くのって、何かにつけて苦手だ。

電話もニガテ、メールもニガテ。

一回にかける、考える時間の長さよ。

できるだけ、無機的なものを頼って(辞書とか地図とかウィキとか)答えを得ようとする。

ダイレクトに人に聞くのは、なんか、こわい。

わたし、ヘンなこと言ってないですか?

わたし、ヘンなこと言ってないですか?

わたし、ヘンですよね。。

って、そんな気分。

だから、自分で、ヘンじゃない文章を考えるまでに時間と労力がかかるんだ。

あぁ、ひと仕事、ひと仕事。

気合い入ってる時と、気合い入ってない時の、わたしの態度は、まるで違う。

態度、言動。

で、気が抜けると大ポカをやらかす、って小中学生のころからわかってて、それがこわくて、外面はよくやってきたわけだけど、長年の疲れがここ数年、出てきてしまったみたいで。

まったく気合いが入らなくなりましたね。

臨床心理士さんによると、脳が疲れているそうです。

なんか、やり方、変えないとな。

心ぼそさを隠さずに、ちゃんとしてないんじゃないか、って思える部分をかくさずに、晒して行ける勇気っていうのが、自分には、必要だ。


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距離の取り方、おかしくない?〈改定〉

2009-02-19 17:15:27 | 孤独について
「人間関係、チョー得意!!」って言ってる人がいるとしたら、たぶん、実態を掴めてない人で。(それか、その人の作戦なのかもしれない。)

基本的に「人間関係、むずかしい」って言ってる人が多くて、自分が特別だとか思ってるわけじゃない。

まぁ、とりあえず、自分の問題点(と思われるもの)を挙げていこう。


よくある、あれです。「完璧主義」っていうか「オール・オア・ナッシング」っていういか。それが、人との距離の取り方にも反映されている。

仲良くなると、とことん仲良くなって、その人じゃないとダメ、みたいになってくる。

いろんな人とよい具合につき合うって、むずかしい。

特に仲のいい人がいないときは、孤独にも気づかないんだけど、それで、自分、なんか、おかしいな、一日、だれとも話さなくても全然、平気だな、っていうか、寝てばっかいるな、コンビニ行くのもためらわれるよな、ってなる。

ここだけの話(?)、変に一種の貞操観念みたいなものを持ってしまって。

貞操、って言葉が重すぎるけど。精神的な貞操っていうか。

○○ちゃんと仲良くしてる時は、○○ちゃんとの約束、最優先、っていうか。

あ、ふつうか。

なんか、っていうか、もちょっとヘンなんだ。

いつ、○○ちゃんと約束、入るかわかんないから、他の約束は入れない、みたいになってくる。

これが、友だちでもそうだし、もっとひどいのは片思いしてるときとかもそう。(この辺、わたしは友情と恋愛感情の線引きがない。)

片思いの相手に操立てたってしょうがないぜ、って思うけど。

つき合ってたらましか、っていうと、そうでもない。

たぶん、無意識のうちにすごく束縛してるんだと思う。

というのは、自分が無意識に縛られてる気持ちになってしまうからだ。

勝手に、相手にわるいかな、と思って、無駄に、他の男友だちと距離を取ってみたり。普段の態度まで、そっけなくして、あほみたい。

中学生かよ。

自分が勝手にそうしてるのに、相手がそうでないと、切れてみたり。

で、切れた自分に、罪悪感。

あほみたい。


でも、対策としてね、気にしないフリっていうのは、有効じゃないんだよ。

自分的には。

子どもの頃は、ヘンなプライドが高くて、ジェラシーとか絶対、言えなくて、わたしはそんなこと感じません、みたいに自分自身もだまそうとしてた。けど、そしたら、すっごい心の形がいびつになったみたいで、どんどん生きづらくなった。

生きにくさっていうのは、わたしの場合、自分に起因しているように思う。

自分の心がねぇ、ままならないですね。

形がね、わかんない。

だから、頭で考えるようになった、最近。

ことばを、与えていこうと思って。気持ちに。

表現を与えていこうと思って。

それが自然と表情に表れる人はそれでいいんだけど、ことばにしないと自分でも理解できない場合は、そういう意識的な努力って必要だ。

まぁ、努力家すぎるっていう噂もあるんだけど。

それが、自分をつらくしてるんじゃないか、って。

っていうか、いっつも努力足りなさ過ぎるって思ってる。

そういう強迫観念がある。


自分を責めるのも人を責めるのも、やめた方がいい。

わたしにできることは、責めることじゃない。

受け入れることだ。

現実に立脚点をもとう、ぜ。

現実に起こっていることを否定しても、始まらない。


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自我

2009-02-07 21:21:21 | 孤独について
自我の確立、というのが、おそろしい課題で。

なんとも、寒々とした心持ちになるわけで。

できるだけ人と連絡を絶っていた時期の孤独とは、また別の種類の寂しさ。

あぁ、いやだなぁ。

周囲の人が敵みたいに思える。

そんなの、ぜったい、自分には合ってないんだけどな。

すごく心が冷える。

一方で、もう誰も信じない、とか思ってる極端な自分もいて。

だから、そういう話じゃないんだって、って言われそうだけど。


あぁ、そうだな。

寂しいっていうのは、いっつも感じてきた。

仲の良い友だちと、道が分かれて行った時。

周りに自分の言うことが理解されなかった時。

親の言うことに同意できなくなった時。

そのたびに、新しい場所や新しい仲間を求めてきたけれど。

どうも、場所を変えることでは済まされないようだ。

だれかと離れても、別のだれかと分かり合えればいい、と思っていたような節がある。

それでは、同じことのくり返しだな、と、うすうす気づきながら。

同調し合いたいのは、自信のなさの表れだろう。

論拠は、人の中にでなく、自分の中に求めろ、ということか。

あ、まぁ、エビデンスは、外から見つけてくるわけだけど、それは物であって、人でない。

あぁ、そうだ。

だれかがこう言ってるから、これは正しい、っていうのは、依存になっている。

説明に、ちゃんと説得されたなら、いいけど。


周りと違うから、わかってもらえないから、寂しい、って思ってきたのは、自分の心の弱さだろうか。

自分のアイデンティティに誇りを持っているつもりでいながら、それと同時に、周囲からは見放されたような気持ちになっていた。

そりゃまぁ、人間だれしも揺れがあるだろう。


突き放されるのは、すきじゃない。

それで自分が強くなるのは知ってるけど。

強くなることが、しあわせなことかどうかは、まだわからない。
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私だけじゃないと思うけど

2008-10-08 13:50:56 | 孤独について
家族と話すときにも頭を使ってる自分がこわい。

(あるいは、だれでもそうなのかな?)


頭を使って、

話がスムーズに進むように、

相手が気持ちよく会話できるように、

自分の声色をコントロールする。

そういう術を

大人になるにしたがって身につけてきた

(と思う)けど、

そこに一抹の淋しさを覚える。


あるいは、子供の頃からそうだったかもしれない。

感情的になれる人はいいな、と思って。

かっこわるいけど、かっこいい。


達観したいと望む一方で、

それは人間らしくなくなることではないかと

おびえている。


俯瞰の視点が、君を孤独にする。

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孤独の分化

2008-08-30 15:13:35 | 孤独について
昨日、孤独には、少なくとも二種類ある、と書いた。

人をつよくする孤独と、人を蝕む孤独。

前者は絶対的な孤独、後者は「健全でない」孤独。

まぁ、ある程度、簡略化して考えるとして。

前者は、哲学的な孤独。(私は哲学をちゃんと勉強したことはないので、素朴な意味で捉えてください。)

つまり、自分は自分でしかありえないということ。

自分の感覚器を通してしか世界を感じることができない(明るい言い方をすれば、自分の感覚器を通して世界を感じることができる、わけだけど)。
この心と体からは、逃れられない(わたしは、心も体の一部と考えていいと思ってるけど・・・つまり、一人ひとり、それぞれの体の中に閉じ込められているみたいなイメージ・・・べトちゃんドクちゃんのような双子さんはけっこう特別な感じがするけど、脳はそれぞれに違っていて、やはりそこが人格を決定づける部分だろう)。

そういうふうに‘絶対的に自分は一人’‘確立される自己’ということと、人の精神や、いずれ身体をもむしばむ種類の孤独=独りというのは、ちがうわけだ。(表記の違いは、便宜的なものにすぎないとしても。)

後者の孤独を考えるとき、他者の存在が出てくる。
後者の孤独が問題であるとするとき、他者の存在の必要性が浮かび上がってくるのだと思う。

他者とのインタラクション(相互作用)の必要性。
どうも「自己」には「他者」が必要不可欠になってくるみたいだ。


なんでだろう?


現象として、どうもそうらしいということはわかるけど、それを導く要因(cause)がまだ、私にはよくわからない。

自己は自己で完結してしまっても、論理上問題はないように思われるからだ。

まぁ、自己が自己で完結してしまっては、言葉は生まれなくて、言葉のない所に論理(logic)は生まれないから、言葉と論理の存在のためにも他者の存在は絶対的ということは言えるのかもしれないけど。

もっと直接的な理由はないかなぁ。

なんか、腑に落ちるやつ。


もうしばらく考えてみます。
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孤独の種類

2008-08-29 22:23:39 | 孤独について
でも、人はもともと孤独なんだ。

それが、わたしの主張だったはずじゃないか。

どこにいても、だれといても。


人を蝕む種類の孤独と、人を強くする孤独。

それらの違いは、どこにあるんだろう?

違いは、本当に決定的なのか。
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センチメンタル

2008-08-29 21:42:45 | 孤独について
ようは、孤独が原因ならしい。

うつとか神経症とか。

数週間前、信頼する先生に言われて、しばらく考えてて、昨日実家から東京の一人暮らしの部屋に戻り、今晩、納得した。

あぁ、そうだったのか。

自分は、孤独につよいと思ってた。

心を凍らせてただけだったのね。

でも、そんなこと、今頃、気づいたって、どうすればいいんだろう?


気づいたのは、ひとり暮らしを始めた18歳当時のことを思い出して。

一ヶ月、毎晩、泣いてた。
すっごい子どもみたいで恥ずかしいと思って、人に言えなかったけど。

一ヶ月たって、泣かなくなって、自分はつよくなったと思ってた。

今日は、偶然なんだけど、その当時カセットテープで(笑)よく聴いていた、シェリル・クロウの1stアルバム『Tuesday Night Club』を中古CD屋さんで見つけて買ってきた。それで、その頃のこと、思い出したんだけど。

Can't Cry Anymoreとか、泣きながら歌ってたなぁ(笑)


どうしたもんだろう。

また、歌って泣くか?

・・・たぶん、ちがうなぁ。
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『ひとかげ』 よしもとばなな

2008-08-10 16:40:01 | 孤独について
吉本ばなな作『とかげ』の、ご本人によるリメイク版『ひとかげ』。

8月6日に久しぶりに行った本屋で見つけて、立ち読み始めたら動けなくなった。

何度か店員さんに邪魔そうに扱われたが、‘わるいけど、今それどころじゃない’っていう気分。(あとでちゃんと買ったし)

うちに帰って調べたら、文庫版の発売日が8月7日になっていて、最新刊だったんだなぁ、と思った。

『とかげ』も好きだけど、『ひとかげ』はもっと好きだと思った。

なんていうか、前作より、主人公たちと外の世界とのつながりがしっかり描かれているところが、物語に現実味を与えていて、より真摯な感じがした。

『とかげ』は夢を見てるような感じがして、そういう印象を読者に与えるのもすごいことだと思うけど、『ひとかげ』みたいに‘この人たち、今も東京のどこかで生きてるんじゃないか’って思わせるような現実感が、ものすごいというか。

まぁ『とかげ』の二人は90年代のふたりで、『ひとかげ』は2000年代のふたりだから、今のわたしたちが近くに感じやすいってこともありそうだけど。

それにしても。

生きてくってこうだよね、生きてるってこういうことだよね、って思ったっていうか。


「秘密があるの」っていうセリフは、前作からずっと好きで、打ち明けることの大きさっていうのはよく考えてきた。

秘密、というか、言いにくいことというか、言ったら相手との関係性が変わりそうなことというか。

キズというか。

そんなの本当はみんな持ってるんだけど。

わかり合うって、どういうことだろう。

ことばにしないまでもわかり合うってことが、本当は大事なんだと、この頃、思うんだ。

態度で示すっていうか。

雰囲気で救うっていうか。

なにかサインを送って、ちゃんとそれを受け取って。

きっと時間がそうさせてくれるよ。
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おおきな孤独

2008-08-07 09:13:14 | 孤独について
最近、ちょっと外に出だして、えっと、それは3、4年ぶりに意識が外に向いてるっていう意味でなんだけど、すこし前より人と普通にお話したりするようになって気づいたことは、本当に本当に人同士っていうのは会話を通してごくごく表層の部分を知り合うことで精一杯なんだなぁ、ということです。

人のことはわからないし、相手には自分のことがわからない、という大前提の上に立つことで、逆に、小さな相互理解の貴重さに気づける、というか。

ちょっと奥に入ると、もうわからない。

わかる、と思ったら、道はふさがる気がする。
わからない、と思っているから、‘でも、つながりはゼロじゃないよ’っていうことが感じられる、というか。希望に気づく、というか。

前から思っていたことで、でも、そんなに自信のなかったことだけど、この頃はすこし自信をもって、自分の孤独を生ききることで、時空を超えて、世界につながっていく、と思っている。

はっきり言えば、普遍に近づく、ということだけど。
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