ちょっと反省したのが、昨日の記事、タイトルと内容が一致していなかった。
っていうか、タイトルと内容が合致したことなんて、そんなにないんだけど、考えてみれば読む側にしたらタイトルってけっこう重要なわけで。
そこまで考えてないっていうか。
っていうかね、論文とか読んでても、まぁさすがに論文タイトルは内容に合ってるとしても(というか漠然としたものが多いかも。そうすると、タイトルから連想されうる範囲が広いから、まぁ大体合ってるな、ってなりますよね)、サブセクションのタイトルを見て「こういう内容かな?」って期待した内容とズレることが多い(あ、やっぱ論文タイトルもだ)。
で、よく分からなくなってくるのね。
しかも最初に「こういう内容かも」って思った想像を、読んでいるうちに忘れて行くから、何を期待してそれを読んでいるのかわからなくなって、事実の羅列にただ「へー」となるだけだったりする。(へー、ってなるなら、まだいいわね。)
っていうかね、それは自分が論文、っていうか、まぁアカデミックな文章を書く時にやりがちなことでもある。
事実の羅列になるのね。
羅列であっても、その並べ方には意図が必要よね。
そういうストーリー付けみたいなのが、苦手で、だって自分の思ってることを人に押し付けるなんてヤじゃん!って思ってたけど、よく考えてみたら(文理融合的な分野にいるとはいえ)文系の学問なんて、自分がどう思うかがほとんどだったりするわけで、自分の考えがなかったら始まらないわけでね。
本当は、assumption(思惑)があるわけ。
それはね、すごくある。
それを言うのが、苦手なんですね、私の場合。
否定されるのがこわくてね。
否定される前に自分からうやむやにしてしまう感じ。
それを、やめようと思って。
クリアな人間になろうと思って。
否定されたその先の平野にいってみよう、いってみたい、と思って。
ーおまけー
夏の終わりに。