横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

沢山の否定と、賭け

2008年05月18日 21時44分39秒 | 雑記
怒涛の一週間だった。

セカンドオピニオンへは3箇所行った。
ツテのある医者以外は、どの医者も今の父に化学療法を受けさせるという事は、死期を早めると否定した。
特に父は腸閉塞なので、現在残されている化学療法を受けたら、癌が消す威力よりも副作用の威力の方が早すぎて、残された時間が悪いものになってしまう。
しかし余命など知らない父は、今何もせずじっと死を待つのは嫌だといった。


一週間の流れ
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月曜日に知人の医者へセカンドオピニオン相談をしたところ、「2週間は言いすぎだ」という事と治療法を書いた報告書をいただいた。
その病院では父の状態でも治療をしているとおっしゃり、家族が慌てすぎないようにと念を押された。

父の入院している病院へ戻ると父は鼻から管が抜けていて、食事を再開していた。形だけでも食事をして、化学療法科へ腸閉塞が解消されて食事が出来ているというアピールをするのだという。
実際、癌の進行が小康状態になっているようだった。
看護婦には「先生方を信じて、そんなに方々へ資料を持っていかないでください」と言われ、余命2週間と言われ私達が急いでやった事が、心象を悪くしていると言われている様で正直ショックを受けた。

しかし、報告書を執刀医に渡したら、「受け入れてくれる病院があるなら、僕の家族が患者ならすぐ連れて行くよ」と言われた。
それほど今の病院では、マニュアル基準が厳しいと言うのだ。
そして昨日、執刀医の予想通り科学療法科の医師に「食事が通るはずもない、1週間試して駄目なら、次の段階を考えてください」と父に告げられた。
またセカンドオピニオン報告書を読んで「僕達はこんなこと怖くて出来ない」と
返された。

父には東海地方の公立の病院に治療の受け入れ先があるから安心して良いよと伝えたが、東京の大病院より知名度が低いので「ジプシーになるつもりはない、ここでやってから考える」と反対を受けた。
父は自分が再発癌という自覚があまり無く、ここでやる、という可能性が低い事があまり理解できないようだった。その次が緩和ケアで、緩和ケアがどういうものかわかって発言しているという事でもなさそうだった。

本を買って冷えとりや温灸の勉強を始めたが、確証や実績が取れていないものに興味が無いのか、私が色々話をしても父はあまり興味を示さなかった。

水曜

父に化学療法科の担当医と部長が来て、今の病院では化学療法は受けられないので緩和ケア科と話をしてくださいと言われた。
闘病生活が半年の父は、まだ他に手があるならと緩和ケアは考えていないようだった。
正直なところ、知人の病院で出された治療法がイリノテカンだったので、腸閉塞を起こしている父にやるのは怖いと家族では思っていまた(化学療法科も話していたが)
今日は会社を休み、都内のある診療所にセカンドオピニオンをして、低容量の化学療法や免疫療法の先生とも話をしてきた。
娘としては、そういう所に通いながら家庭で出来る冷えとりや温灸の自助努力をしつつ、在宅ホスピスのようなイメージで父の病気と闘いたいという気持ちに添っていきたいと思ったが、昨夜の今朝なので父がどう考えているのか。
患者としての父の気持ちを尊重したいと思う。

金曜

他の病院へ受けたら、もう戻ってくる事は出来ないと昨日言われた。
父の状況が良くなれば外来で戻ってこれるそうだが、体調が悪くなった場合は東海地方にいたまま…という事になる。

父は緩和ケアではなく、化学療法を受ける事を望んでいる。
色んな方々からお伺いした化学療法を受けた事の副作用の大きさを考えると躊躇してしまう…今日の家族会議で、意見を一つにまとめようかと思う。

今日も会社を休み、セカンドオピニオン相談をしてきた。
父の症状は進みが早いのでこれ以上の回復は望めない、父の状態で化学療法をするというのは禁忌と言われるやり方で、重篤な状態になる可能性の方が高いといわれた。
父の執刀医は回復を願って、随分と積極的に手術をしてきた、この治療過程は悪くない(むしろ頑張っている)と言われた。
もどがしい。

土曜

本日、家族で話し合った。
父は今のまま緩和ケアを受けるという気持ちは無く、化学療法を受けたいという話をした。
今の病院の方が治療実績もある。東海の病院もがん診療拠点病院だが、色んな本で名医と書かれるレベルの人が、今の病院の執刀医(外科)だった。
父が執刀医に化学療法を受けたいという気持ちを今朝告げたところ、「ちゃんとした病院で化学療法が受けられる、一か八かもしれないけれど受けなさい」といったそうだ。

父はその執刀医の決断力を信じていて、確かにあまり恵まれない父の病歴の中で、外科の手術だけは成功している。
家族としては、この状態の化学療法は危険もかなり高く、何かあっても子ども達が駆けつけられない転院は怖いという気持ちを正直に告げた。
それでも父は、一度でいいから試したいと話した。試さないと、このまま緩和ケアへ移行するのは納得できない、それが父の答えだった。

患者は父自身で、治療を選択するのも父の人生で…色んな方々が辿った話を思い出すと、怖い気持ちの方が強い。
勿論、検査入院をして実際は受けられない可能性もあるが。

自分達が探した、都内で受けられるような低容量の化学療法の診療所については、やはり受けられないといわれた。
理論は分かるが、論文も学術も無いのは怖いと。
病院の先生達にも相談したらしく、押並べて「知人の病院にしなさい、そういう民間療法はやめなさい!」だったらしい。
仮に効果があっても、未承認薬を使い続ける金銭的負担は大変で、続けられなくなったほうがもっと悲しい。
また、重篤な状態になっても、診療所レベルでは緩和ケアを行わず、ほっぽり出される患者達を沢山見てきた、と医師たちは言った。
そうなっても、一度出てしまった患者達を今の病院は受け入れられないそうだ。
化学療法科の診断を否定して、他の病院の治療を受けたかららしい。

知人の病院は最後まで父を見ると言った。
父は、良くなってまたこの病院に帰ってくると言った。

兄も私も母も、不安を思い切りぶつけた。父自身も回診に来た化学療法科に、何度も質問したようだった。
副作用や合併症の高さもたくさん言われたらしいが、ここでは何も出来ないから受け入れ先があって奇跡に賭けたいなら、受けてきなさいと最後に言われたそうだ。
誰にも止められるが、それでもやらないと踏ん切りがつかないのだと思う。
大腸がんステージ1での5年生存率が98.3%で、今のままだと父は1.7%に入っている。それも本当に奇跡のような確率だ。
今回は良い奇跡が起こる事を願っている。

日曜

今日も家族全員で集まってきた。
私は普通の人より指圧があるのか、マッサージをすると喜ばれるので父にやる。

色々な民間療法を調べた。
眉唾物もたくさんあった。効果があるかもしれないとすがりたくなるものもあった。
とりあえず、冷えとり療法と枇杷の葉温灸は昔からある理論なので、やってみようと思った。
ネットで靴下重ね履きセットと枇杷の葉温灸キットを注文したが、肝心の枇杷の木がそばにない。
周りの人に聞いてみると、クラブの先輩の家の庭にあるらしく、すぐに送っていただいた。人の優しさが身にしみた。

今日は枇杷の葉を持っていったが、冷えとり療法がいい、ツボマッサージがいいと最近やっているせいか、理詰めの父は納得できないらしく、宗教にはまってしまいそうだと両親に注意された。
そういう噂は一瞬で広がって、癌に効くからという名目で色んなものが押し寄せてくると。
それで喧嘩してしまい…あくっまさんが一番いけない。癌患者にとってストレスを与えるという事は。
自分だけ空回りしていて、父にも他の家族にも迷惑をかけている。

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慌しい十日間だった。
父と母と兄は、明日東海地方へ行く。
あくっまさんは、木金を休んだ影響で、明日は留守番。
最初は検査入院だから、無理して付いていかなくていいと言われた。

家族一枚岩にならないといけないのに、あくっまさんだけ空回りしている。
笑っていないといけないのに。
頑張らないと。


頑張った人に奇跡が起きるのなら。
頑張る量を、頑張る質を教えて欲しい。
それを越えて頑張るから、奇跡が起きて欲しい。