さて、これはなんでしょう?
・・・と見せられて、この写真だけでわかる人はそういないでしょう。
なんとこちら、エレベーターなんです。しかもとても特殊な目的のために、特殊な場所に設置されたエレベーターなのです。
実は・・・ドドン!
ドドドン!
これら、二つのパイプオルガンのパイプを調整するために、楽器と楽器の間に設置されたエレベーターなのであります!!
ものすごく特殊です!
つい先日、池袋の東京芸術劇場のパイプオルガンを間近で見せていただき、音まで出させていただくという、とても貴重な機会をいただきました。
「芸劇」のオルガンと言えば、そう、あの大ホールのステージの上に君臨しております立派な楽器です。二種類あるのをご存知ですか?ルネサンス・バロックタイプ(木の色)のオルガンと、モダンタイプ(淡いグレー)のオルガンです。二つは背中合わせになっていまして、スイッチでウィ~~~ンと台座(?)が回転し、使用するオルガンが客席にお出ましになるという仕掛けなのです。
この日は楽器の目の前に連れて行っていただいたので、遠景からのオルガン全貌写真はありません。なのでハイこちら、パンプレットの表紙ですw
淡いグレーのモダンタイプは、遠目でみるとメタリックのような輝きですが、ルネッサンス・バロックタイプと同様に木材です。近くで見ると、色が塗られているけれどボディがちゃんと木なのがわかりました。
とにかく巨大な二つの楽器、放つオーラはハンパじゃありません。舞台の上はとても高いし、美しい二面の鍵盤と膨大なパイプに囲まれてはいるしで、初めて近付いたら激しく圧倒されないはずはありません。
お話を伺ったのは、東京芸術劇場オルガニストで上野学園大学教授の小林英之先生です。オルガンについてほとんど何もわからぬ訪問者にも関わらず、楽器の特性などについて教えてくださいました!
いろいろな質問に紳士的にお答えくださった小林先生(若い頃の江守徹さん似)。
まぁ、私が東京芸術劇場のオルガンの仕様や特性などについて何か書こうとしても始まりません。というより、にわか勉強でわかったように書いてもどうにもなりません(汗)知識を得たい方はコチラの
東京芸術劇場 パイプオルガンの魅力を読んでいただくのがいいでしょう。
ここではオルガンについて先生が教えて下さったこと、この巨大な楽器に触れて感じたことなどを書いてみたいと思います。
****
木目調の方のオルガンは、実はルネッサンスとバロックの二種類のオルガンが入っているんですね。鍵盤上部についているレバーひとつで切り替えられます。
ルネッサンスとバロック、大きく何が違うか。ピッチと調律なんですね。ルネッサンスの方はa=467Hzで、ミーントーン調律法。バロックはa=415Hz、バロック調律法です。
ミーントーン調律法は、長3度の純度が高く美しく響きます。これが興味深いのは、あらゆる調性に対して万能ではない、というところ。先生いわく、
「異名同音ではなくて、異名異音なんですよ。たとえばこの鍵盤は、cis専用であって、desとしては使えない。ここはes 専用であって、Es durの主和音では、ほら、こう奇麗に響くけれど、H durではダメ(先生がh-es-fisを弾く。disではなくesなので、キモチわるい響き!!)。bはbであって、aisにはならない。簡単に示せば、ミーントーンってそういうことなんですよ。この調律では、♯が三つまで、♭が二つまでの曲が適しています。まぁ、この時代の曲にはそれほど調号の多い曲はもともとありませんから」
調性もそうだけれど、このオルガンでは作曲家もオランダや北ドイツの人たちの作品に限られるのだとか。スウェーリンク、ブクステフーデ、シャイデマン、シャイトなどの作品はいけるそうですが、フレスコバルディなど華やかなイタリア音楽には向かないそう。「弾けなくはないけど、パイプの整音が違うからね」と先生。
それにしても、ミーントーン調律法で得られた長3度の美しさは、当時の作曲家を相当インスパイアしたのでしょうね。ピカルディー終止(短調の曲が最後の和音だけ長調で終わる)というのは、このミーントーンで得られる3度を最後にファーーーっと鳴らしたいあまりに書かれるようになったのだとか。調律に触発されて、音楽の内容が変わる。新しい手法が生まれる。 こういう話は面白いですね。当時の人々の耳にオルガンが放つ純正の3度はどれだけの輝きを持っていたことでしょうか。そんなことは(ピカルディーなんて名前も)つゆ知らずに、なぜか子供の頃、家の平均律のピアノで短調の曲でも最後の和音だけ長調にしてうっとりしてワタシ。現代人の耳は若干ニブいのであります。
ちなみに先生は「長3度はその昔は不協和とされていたんですよね。完全五度が美しいとされていた時代には。オルガン音楽は14世紀の終わり頃から残っていますが、その頃はまだ完全五度が美しいとされていたんですよ。結局人間の耳なんて、教育次第なんですよね」
美の判断力とは後天的なものなんですね。
ちなみにこちらの鍵盤は、黄楊でできているそうです。
恐れ多くも、「弾いていいですよ」という先生やスタッフの方々の寛容なお言葉に甘えて、ちょっと弾かせていただきました。でも当然足鍵盤なんて触れませんし、オルガン用の楽譜も持っていないので、大胆にもまったくオルガン用じゃない(笑)バッハのフランス組曲からd moll のアルマンドを弾いてみました。切り替えがミーントーンになっていたので、かなり「うぎゃ!」という響きにもなりましたが、冒頭と終わりに出てくる左手の長い音価を伸ばしたまま演奏できるという夢の感触を味わうことができて(ピアノだと減衰しますから)、気持ちようございました!
・・・と、ふと目線をストップの上にみやると、なにやら面白い装飾が。なんだこれ? 顔?
「あ、これは、ガルニエの子供たちだって聞いたことがあるよ」と先生。ガルニエとはこのオルガンの製作者であるフランス人のマルク・ガルニエ氏のこと。子供たちの顔をこんなところに?! ちょっとキモ可愛いですね。
これらの装飾は、東日本大震災の時には一部落ちて壊れてしまったそうですが、すべて修復がなされたそうです。阪神淡路大震災後に、パイプに関しては全て耐震工事がなされていたので、びくともしなかったのだとか。しかし繊細な装飾も元通りになってよかったですね、ガルニエの子供たちよ。
さて、ここで「回しましょうか」と先生がおっしゃると、スタッフの方が例のスイッチを!! ウィィ~~~~~~ンと台座が回転して、モダンタイプが現れました。このお色直しはなかなかに迫力ある場面でした。ホールの天板の高さを、モダンタイプに合わせておかないと大変なことになるそうです(折れちゃう!)。舞台の設営をされるスタッフさんたちの間では、「今日オルガンどっち向いてる?!」っていうのは合い言葉なのだとか。
モダンタイプの鍵盤とストップです。手鍵盤は5段もあります。譜面台のデザインだとか、どことなく近未来的な雰囲気が漂います。
こういうところがモダンっぽい! コンピューターでストップを小節単位で記憶させられるそうなのです。が、これは実はルネッサンス・バロックオルガンでもできるそう。
こちらのモダンタイプは、19世紀以降のフランスのオルガンをモデルとし、さまざまな要素も付け加えられているのですって。調律はほぼ平均律。汎用性は高いので、こちらで古い曲も演奏されるそうです。
「それぞれの時代を反映した音色を使うので、必要なパイプが曲によってまったく違います。その意味では意外と『不便』な楽器なんですよ。ピアノなら一台あればなんでも弾けてしまうし、オーケストラなら必要な楽器の奏者が団員にいなければ『トラ』で呼んでくればいい、といったことになりますが、オルガンはそうは行きません。『メンバー固定のオーケストラ』のようなものなのです。このオルガンならこの曲は弾けるし、この曲は弾けませんね、ということになる。近現代のフランス人、とくにメシアンなんかはかなり精密な音色の組み合わせを指示しています。このオルガンでも、ある程度は工夫をしないと、書いてある通りには弾けないんですよ」
オルガン奏者は、オルガンありきでプログラミングをされるそう。まずは演奏を依頼されたオルガンのストップリストを見ることがスタートライン。それで何が弾けて何が弾けないのか、ほぼ消去法のようにして曲目を決めるそうで、これもモダンピアノ奏者の感覚ではほとんどわからないお話!コンクールでは、音色の扱いもその人が「曲がわかっているか、わかっていないか」をはっきり伝えてしまうので、審査対象になるんだそうです。なるほどなぁ!!
****
ピアノに慣れ親しんでいると「鍵盤楽器」ということで近しいようでありながら、その圧倒的な存在感やストップや足鍵盤の未知なる操作からは、ものすごく遠さを感じさせるパイプオルガン。
こんなに巨大で、この楽器の場合は9000本以上もパイプがあるというのに、意外にも「これはいけるけど、あれはムリ。この曲は工夫が必要」など、できることに限りがあるというのもパイプオルガン。
私は今回、パイプオルガンという楽器の持つ非常に
両義性に満ちた魅力を感じました。
そんな魅力と出会ってしまったからには、あらためてじっくりと演奏を聴きたくなるのが人情です。芸術劇場のオルガン演奏会、ナイトタイムやランチタイムのコンサートが頻繁にあるようなので、今後足を運んでみたいと思います。オルガン講座も人気のようです。実はこの日も講座があって、アマチュアの方たちが10分という時間制限で試弾されていたのですが、最後に演奏されていた方がバリバリに弾き熟されていて驚きました! オルガン愛好家の層が、実は密かに広まっているのでしょうか?!?!
充実の見学を終えて・・・劇場から外に出てふと空を見合えると、ふくろうのシルエットが美しかった。いけふくろう・・・?
素敵なお話を聴かせてくださった小林先生、そして貴重な機会を与えてくださった東京芸術劇場のスタッフの皆様に感謝申し上げます。