会津の旅人宿 地域との交流・旅人との交流が盛んな【会津野】宿主ブログ

地域の話題、旅人のホットな話題、季節のおいしい食べ物の話題など、会津へ旅する人々への話題中心の宿主ブログです。

【会津野】非認知能力に関心があるヒトが多いみたい

2016年11月30日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

このところ、急に「非認知能力」で検索し、アクセスされる方が増えています。

このブログで表示されるエントリーは、【会津野】非認知能力で重要なのは「自制心」と「やりぬく力」

昨年の11月に中室牧子さんの「『学力』の経済学」を読んで書いたものですが、先日テレビの番組で中室さんをお見受けし、反響を呼んでいるのだろうかと想像しています。

非認知能力は、幼児期の教育が大事だと言われています。ただ、IQなどの認知能力もおおいに必要です。

バランスよく両能力が向上するような教育を願いたいものです。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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【会津野】パン売り場の作成

2016年11月29日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

食堂のフローリングを貼り終え、昨日は「パン売り場」の棚の製作をしました。

なんだか大工さんのようになっていますが、大工仕事も今日で終わり。

明日(水曜日)は、パン屋を開きます。ぜひ皆様に棚の改良点をビシバシとご指摘(?!)いただきたいとおもいます。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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【会津野】小数点の次元

2016年11月28日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨日は、せっせとフローリングの貼り替えを行い、ほとんど完成というところまできました。

BGMとして普段聴かない番組を聴きながらの作業。耳に残った言葉に「2.5次元」という言葉がありました。

この言葉は、縦横2次元で現されるアニメーションを実写化した際、追加される奥行きを含めると本当は3次元になるものを2.5次元と現すもの。

転じて、2次元に何かを加えた時や、3次元としては何か足りない(意図的に省く場合もある)ものに使われることもあります。

そもそも次元というものは、自然数のものなのか、0次元というものはあるのか、はたまたマイナス次元というものはあるのか。

数学的には、フラクタル次元マンデルプロ集合を例に、無理数の次元があることは知られています。

社会的に使われる小数点の次元は、数学とは関係なく、2.5次元は2次元でもなく3次元でもない、その中間のことをさします。

先日読んだ「LIFE SHIFT」では、「教育」、「勤労」、「引退」のステージを持つ生きかたを「3.0シナリオ」とし、引退後に教育分野などで働くステージを加える生き方を「3.5シナリオ」とあらわしていました。バリバリの現役でなく、パートタイムでのちがう生き方という感覚で、0.5を足しているようです。

「Web2.0」などの言葉は、コンピュータ業界から出てきたものですが、ソフトウェアの業界では、初期のリリースを「1.00」とし、バグなどのちょっとした修正をする度に、バージョンが「0.01」づつupさせます。機能追加などのマイナーチェンジは「0.1」upさせます。メジャーチェンジをした場合は、「2.00」や「3.00」に整数部分をupさせる。「Web2.0」は、このバージョンアップを現す方法を使っただけなのでわかりやすかったのですが、「2.5次元」や「シナリオ3.5」は、ITからリアル社会へと還元された考え方が使われる面白いものだなぁと感じました。

「0」はOrigin(原点)として「O(オー)」として使われることもあるから、社会現象の根源を現すときに「0次元」を使うのだろうか。根源より退化してしまったものを「マイナス次元」として用いるのだろうか。

そう言えば、毎週楽しく観ているドラマ「校閲ガール」も2.5次元のもの。校閲という仕事の内容を、縦横奥行きだけでなく、主人公の行動や言葉でわかりやすく私たちに伝える内容になっています。本来は3.5次元とでもいうところだろうけれど、縦横奥行きの一部を省き「言葉」という従来からある手法を最大限利用しているから−0.5次元である2.5次元なのか。

社会の変化とともに次元が変わること、当然これからもあるでしょう。ただ、その変化は、小数点の次元が変化するというように、いままでとは違う変化となるのでしょうね。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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【会津野】いまは潮目が変化するとき

2016年11月27日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

一昨日の朝日新聞に、社会学者宮台真司さんへのインタビュー記事が載っておりました。

「野放図なグローバル化」に対する揺り戻しが、トランプ大統領誕生のポイントだと論じています。

いまのグローバル化の問題点は、企業が労働力の安い外国へ移り、国内の労働力を必要とすることが減り、人々の不満が噴出してきたものだと、私は理解しています。

では、そもそも、「グローバル化」というもののはじまりは何だったのだろうか。

第一次世界大戦後の1910年が国連の設立。この設立の背景は、ヨーローッパ諸国がドイツを封じ込めるベルサイユ条約を結び、戦争後の各講和条約が元になっています。戦争という国と国との紛争をグローバルに解決するためのルールを議論する場、それが国連です。

国連憲章では、4つの戦争を認めています。「自衛権」、「集団的自衛権」、「敵国条項」、「強制行動」の4つです。最初の「自衛権」は各国に認められているもの。その次の集団的自衛権は、昨年日本でおお揉めになったことです。敵国条項は、第二次世界大戦の連合国の敵国に対し戦争を仕掛けても良いというもの。ここには、日本やドイツなどが含まれており、日本国内で議論出来るものではありません。最後の強制行動は、国連そのものの交戦権です。

グローバル化のはじまりは、各国だけで考えても解決できないことを議論する場を持つところからはじまったものと私は思います。

国連憲章の敵国条項を見てわかるとおり、早い段階から影響力を持つ者は、大きな権利を保持し、追従者を寄せ付けない行動をしてきた。

しかし、時代の変化とともにグローバル化の流れは、紛争解決から経済的利益の享受へと変わってきた。

いまのアメリカでは、社会に適合が難しい層が、大きな権利を持つエスタブリッシュメント(支配階級)を蹴落とす選挙行動が見られ、これがトランう大統領誕生へ道すじを与えた。つまり、経済的利益を保持する支配階級の持つ既得権益を排除しようということだ。

宮台さんの指摘では、トランプ氏が選挙戦での主張どおり日米安保を見直す行動をとれば、対米追従の日本政治と官僚行政に揺り戻しが来ると言う。

近頃語られる「グローカル化」のように、既得権益を排除し地域主権を認める方向へ変化するのか。いまは潮目が変化するときのようです。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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【会津野】「自然」ってなんだろう?

2016年11月26日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

私は、かねてから「自然」ってなんだろうという疑問を持っています。

よく宿の前の田んぼや山を眺め、「自然がきれいだね」と、人々は言います。田んぼは、農家の方々が耕作している「人工」の土地だし、山だって林業家が植林した木ばかりの土地。それなのに「自然」と表現する人々が多い。

そんななか、会津出身の博士「小室直樹」の著書「新戦争論」に、「自然」に関わることの関係性があったので、ちょっと引用してみます。

★ ★ ★

文明が崩壊した状態は、野蛮である。野蛮とは自然状態のことである。本能のおもむくままということである。文明社会は、今さら、『自然』に戻るわけにはいかない。『自然』とは、文明社会がもっとも恥ずべきもの、百方手を尽くして避くべきものである。

日本人は自然が好きだ。自然を愛好し、人工は忌むべきものと考える。

しかし、この表現をぎりぎりまでつめてゆくとたいへんなことになる。文明の否定につながりかねない。『人工』こそ文明の核心である。これを大真面目で排斥するなど、正気の沙汰でない。近代人は、もはや自然に戻るわけにはいかないのだ。

日本人が『自然』を愛するというとき、それは、自然そのものではない。日本人が愛しているのは、自然の『風情』であって、自然ではない。自然に加工して文明の所産を作り上げるが、その際はなるべく自然の風情を残そうというだけのことだ。

なんのかんの言っても、やはり文明の果実は欲しい。テレビも車も飛行機も欲しくてたまらない。立派な政府だって欲しいだろう。

昔から、我が国には『手入れ』といういい言葉があるではないか。我が家の庭を自然のまま放置して、草ぼうぼうというのは、やはり具合が悪い。近所からも悪口を言われる。ちゃんと手入れはするが、自然の風情は残すスタイルにする。

つまり、自然の愛好とは、しょせん『趣味』の次元の問題にすぎない。見栄や外聞の程度だ。文明すなわち人工という原則を忘れてはいけない。

★ ★ ★

この本は、「戦争」というものはどういうものか、なぜ起きるのか、その背景は何かというようなことを深く掘り下げているもので、この文章は戦争と文明の関わりの部分に出てくるものです。

日本人の愛好する「自然」は、「自然の風情」であるとし、「加工」のときに自然の風情を残すかが、「自然」として評価されるキモであることが読み取れます。

野山を放置すれば、草ぼうぼうとなるのは「自然の所産」ですが、それよりも、除草してきれいに保つ方が「自然」として評価される。

いま、作物や加工品について、人々が「自然だな」と感じる境界線を考えているのですが、「風情」というヒトによりちがう感覚を持つものがその根幹であるならば、境界線そのものを考えることが不毛なことと感じてきました。ただ、もう1段、思考を深め、自分のなかで解決したい気もします。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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