打越通信

日記ふういろいろ

さよなら クー

2012-04-10 06:46:58 | 愛犬(Qoo)

静かな朝を迎えて何日目になるだろう。
気持ちの整理も少しは出来るようになったので、まとめて記しておく。
しかしまとめきれない部分もあるので長文になるだろう。

平成24年4月7日、夕方7時前、クーは亡くなった。

その日は実家に両親の様子を伺いに帰っていた。
庭の草取りを終え、さあ今から晩御飯だというときだった。
玄関のチャイムが鳴った。
妻が対応したが
「おとうさん!クーが大変な事になっているよ!」
すぐさま玄関を出て走った、実家から公道に出るところに静かに横たわったクーを見つけた。
ピクリとも動かないクーを抱き上げて、滴り落ちる真っ赤な血もお構い無しに家に戻った。
声をかけるがピクリとも反応しない。
完全な即死状態だった。
せめてもの慰みは苦しまないで逝ってくれたことだった。
風呂場に連れて行きお湯できれいに洗った。
血の臭いが強烈だったがそんなのお構い無しだ。
まだ体も温かく手も足も自由に動いていた。
轢かれてはいないようで、外傷はほとんど無かった。
きれいに洗って、今度はドライヤーできれいに乾かした。
今にも動き出しそうなクーを見て、妻が泣きながら声をかける。
その日は夜遅くまで妻の腕の中だった。
福岡に行っている息子に電話した。
「重要な話があるので、明日は早めに帰って来い」
いつもクーが寝ている場所、ふとんの足元に静かにおいて寝た。

翌日は6時前に起きた。
クーを見るとほんと安らかに寝ているようだ。
早めにおきて両親の病院周りをして、打越町を目指した。
クーは妻の腕の中だ。
時折、妻の嗚咽ともつかない泣き声でクルマの中は暗く沈んだ。
クー!と声をかけながらブラッシングをしている。
2時間半かかってやっと団地の入口までやって来た。
「クー!打越の家に帰って来たよ!」
妻がクーに呼びかけていた。



自宅に帰り、クーが一番好きだった場所に白いマットを引いて、その上にバスタオルを引いて置いてあげた。
妻は消毒液で血の着いた毛を綺麗に拭いていた。
まるでぬいぐるみのようだった。
息子から迎えの電話があり、妻が交通センターまで迎に行く。
その間、じいっと座ってクーの亡骸を見つめた。
息子が帰って来た。
「ごめん、おとうが悪かった」
と息子に言うと
「ほんとだん」
と言って、クーを見ると頭をポンポンと叩いて2階の自分の部屋に行ってしまった。
しばらくして息子が降りてきて、クーを抱きかかえふたたび自分の部屋に行ってしまった。
最後のお別れをしているのだろう。
私はパソコンに行き、「クー」というフォルダーを作った。
その中にありとあらゆるクーの写真や動画を集めた。
妻のケータイにもかなりの数のクーの写真があったが、それも吸い上げてかなりの数の写真が集まった。
まだ集めきれないが、今の時点で約500枚超えている。
その中から最近のクーの写真を選んだ。
それが冒頭のクーの遺影になってしまった。

息子が降りてきて、どうするか話し合った。
妻は娘にも来てもらってお葬式をしようと言う。
しかし娘は今、沖縄の宮古島に旅行に行っている。
「さっこには明日話をしよう」
と言うと妻が頷いた。
庭に埋めてあげる事も出来るが、きれいに火葬してやったほうが良いと結論が出た。
さっそくジローちゃんに連絡してみた。
「調べて折り返す」
との事で連絡を待った。
「フードパルの近くに蓮華乃郷というのがあるので電話して」
と言って電話番号を教えてくれた。
電話すると今からでも良いという。



さっそくクーの好きだった遊び道具や食べ物を持って、途中で菜の花をとって持っていった。
細い山道を行くと蓮華乃郷という看板が見えた。
係りの人が降りてきて案内してくれた。
ダンボールの棺が用意され、バスタオルにくるまれたクーを棺に入れた。
その周りにクーの好きだったオモチャや食べ物を、そして菜の花を入れた。
それが最後のクーの姿だった。
死に水を与え、蓋を閉めて火葬場に行き息子が点火ボタンを押した。
一時間ばかりかかるというので、外のベンチに息子と座り、たばこを差し出すと受け取った。
煙突を見ていると最初は黒い煙が上がった、しばらくして白い煙がものすごい勢いで流れた。
クーが天国に行っているのかと思うと居ても立っても居られない。
桜の花びらが舞っている、ウグイスの澄み切った鳴き声が聞こえた。

小一時間ばかり経って係りの人がやって来た。
連れられて行った先には遺骨になったクーの骨だった。
説明を受け、これがポンポンと肩を叩いた前足、じゃれて甘噛した歯なのだと思いながら骨をひろった。
牛乳瓶のような小さい壷にクーの骨はすべて収まった。
火葬も終わり家に戻る。



玄関先にはジローちゃんとヒトミちゃんから花束が届けられていた。
さっそく祭壇を作りその上に置いた。

私は良く町内の祭事があるとクーを連れて行った。
結構町内でもクーは知っていても私を知らない人が多い。
連れて行くと
「あ!クーだ!」
と子供たちが寄ってくる。
私はつまり、クーのオジサンだったのだ。

ケイのオヤジには事前に連絡はしてあった。
「クーが死んだので最後の姿を見に来ないか」
と言うとビックリして
「ケン!お前達はなんばしとったんか!」
と怒られてしまった。
確かに監督不行き届き、飼い主の資格は無い。
ケイのオヤジは仕事だから後からお参りに来るという。
玄関のチャイムが鳴って香典とクーの好きだった豆を持ってきた。
テラのオヤジやノボルのオヤジに電話している。
みんな揃ってクーの遺骨を前でクーの思い出話に話が弾んだ。



クーは2007年2月7日生まれと血統書に書かれていた。
家にやってきたのは5月だったと思うので5年くらい一緒に生活している。
最初、息子が連れてきた時はまだ子犬でおとなしそうなわんこだった。
怖がり屋でその頃は良く寝ていた。
起こさないように気を使ったものだ。
そして名前をつけてあげないといけない。
家族3人で名前を考えて、3つに絞り込んだ。
まだ当時はblogをやってなくてホームページで娘に写真と絞り込んだ名前を見てもらった。
すぐさま
「さっこはクーが良い」
と返事が帰って来て決まったのだ。

だんだんと家に慣れるに連れ、私とも妻とも馴染んできた。
私と妻が夫婦喧嘩をすると、きょとんとした顔をして私と妻の間をウロウロしている。
そんなクーを見ていると喧嘩も収まるわけだ。

散歩をしていると妻に引かれるクーは私との間が開くと立ち止まって私を見て待ってくれるやさしいところがあった。
階段を登るときもコイツかなりなスピードで駆け上がる、リードに引っ張られるとこっちを向いて早くあがって来いという仕草をする。

妻には徹底的に甘え、私には戦いモードなのだ。
主に私の指とクー甘噛での戦いとなる、あごを押さえつけるとウーと言って私の勝ちになる。
庭に出ると前足を伸ばして戦いを挑んでくる。
待て待てと、狭い庭をもの凄い勢いで鬼ごっこだ。
パソコンをしていると、クーのヤツ、遊び道具をくわえて目の前に座り込む。
遊ぼうと顔に書いてあるのだ。

クーには喘息のような症状がたまに出る事があった。
座り込んでハアハアといったりシャックリのような症状が出るときがある。
「クー大丈夫か」
と言いながら背中をポンポンと叩いてあげるとすまなさそうな顔で見上げる事があった。

会社に出社する時など吠え、私の背広の裾をくわえる。
先週の博多出張の時など3日も家を空けて久しぶりに帰ると、狂ったように家の中を駆け周り喜んでくれた。
去年からかなりハードな仕事を行っている。
精神的に参った時にクーの力は大きかった。
出張でほとんど家には居ないが、週末になりクーと遊ぶ事が活力になっていたのだ。

私は休日しか遊んでやれなかったが、妻とは一番の仲良しだったと思う。
それを考えると妻の悲しみは深いのかもしれない。
私は今回は涙を流さなかった。
まだ実感して無いようだ。
しかし今日、会社に出てパソコンを開く、そしてパスワードを聞いてくる。
クーの名前と生年月日を入れると大粒の涙が出てしまった。
同僚が
「どうしたんですか?」
と聞く
「いやー、なんでもない」
と答える。

心の中にポッカリ空いた穴をどうやって埋めていけばいいのだろう。
5年ものあいだ癒してくれたクー。
食いしん坊でワンパク小僧のクーだった。
その真直ぐな彼の気持ちに答えるには、この悲しみを乗り超えるしかないようだ。

さよなら クー・・・。