打越通信

日記ふういろいろ

島への便り

2010-06-26 08:35:27 | 島への便り
息子は小学校、中学校とサッカーをしていた。
当然、親たちの応援も気合いが入り加熱する。
特に小学校の大会では小学校のチーム(クラブを含めても)ではトップクラスでいつも優勝争いをするチームだった。
書き始めから少し横道にそれてしまったが、そのときのオヤジ仲間がグッチやヤスのオヤジ達なのだ。
今でもこうして交友が続いている。
そんなサッカーチーム仲間と野球チーム仲間に別れていた。
打越台団地に住み始めて10年くらいだったろうか、顔見知りではあったジローは野球仲間と連れ立っていた。
子供達が小学校を卒業した頃だったろうか、ジローに声をかけられた。

「ケンちゃん、町内会に入らんね?」

とひつこくも毎晩のように飲んでは言い寄られたのだ。
妻とも相談したが彼のひつこさに負けてしまった。
家が近かったので役員になってからもどちらかの家で飲んでは町内会の話で盛り上がった。
ある日、彼がいつものように来て飲んでいると

「ケンちゃん、沖縄に転勤で行く事になった」

とつぶやいた。
彼にとってはライフワークのような自治会活動を辞めなければならない。

「ジローちゃん、引越しはいつね、有休とって一緒に行く!」

と言って熊本から鹿児島まで高速に乗り、夕方にクルマ2台でフェリーに乗り込んだ。
そのフェリーは25時間かけて沖縄の那覇港に着いた、夜の9時を回っていた。
その晩は酒をを飲んで寝るだけだった。
しかし、その夜は神を感じてあまり寝ることは出来なかった。
朝起きて島の周りをブラブラしてみた。
沖縄本島から100mくらいの橋で繋がっている奥武島、綺麗な島でまるで沖縄と言う感じだった。
美しい海に、びっしりと家が並ぶ島、朝になると大音量で音楽が鳴り出しビックリした。
しかしそこには悠々と時間が流れていたっけ。

そんな奥武島に3年とちょっと住んで彼は仲間も出来た。
ところが突然、携帯にメールが飛び込んできた。

>熊本にヒトミと一緒に帰る事になりました。
>お袋も喜んでいる。

との内容だった。

帰熊してもう1ヶ月半くらい経つだろうか。
ジローを囲んで団地のオヤジ達と昼間から飲んでいる。





奥武島では久米仙、奄美大島の朝日、ノボルのオヤジが持って来た金霧島。



ケイのオヤジは北海道からの「氷下魚(コマイ)」をもって来た。
ワイワイ騒いでジローの帰熊を喜んだのだ。

ハイサイ!
奥武島の皆さん、今はこのくらいの報告しかできませんが・・・。
ジローもヒトミちゃんも元気ですよ。
しかし奥武島での3年間が強烈だったのだろう、まだ立ち直るには時間がかかるようです。
新しく「島への便り」を作りました。
こちらからも発信していきますので、「島からの便り」は奥武島のnoriさんとシンヤさんの担当にしましょうかね。
よろしくね~!

そして今度、妻とヒトミちゃんランチに行くそうです。