goo blog サービス終了のお知らせ 

合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

江戸川区自然動物園

2005-04-30 23:34:18 | Weblog
 折りたたみ自転車を担いでJR新小岩駅で降り、江戸川区郷土資料室に行く。ここは平成12年に拡張されきれいになったようだが、残念ながらこちらにあまり響いてくるものがない。場所的には江戸川が流れていて東京湾にも面しており、明治期に活躍した蒸気船(江戸川から利根川や銚子まで運行した)とか、海苔養殖の展示、ベカ舟や舟の道具、体長1mの草魚の標本とかもある。さらに「見学のしおり」や特別展の資料なんかも豊富に手に入るのだけれど、何故か展示がおとなし過ぎてこちらに訴えかけてこないのだ。スペースはあるので工夫次第で改善できるのでは。クイズパネルを付けたり、映像を流したりとかはどうだろう。予算がなくても、旭山動物園の例もあるから頑張ってほしい。
 江戸川区自然動物園。行船公園にあって無料だが、なかなか面白い動物がいて楽しめる。入り口を入る。ペンギンの隣が羊や鶏・ハムスターなどに触れるふれあいコーナー。オタリアの次はカメや蛇。カメはミシシッピアカアミミガメ、俗にいうミドリガメで30センチ以上もの巨体。ワニガメもいる。クモザルが見てて面白い。何と彼らは木の枝にぶら下がりやすいよう、親指がないそうだ。プレーリードッグの隣はワラビー。どちらも赤ちゃんがいて可愛い。ワラビーの住まいには何故かカメもいて、その移動をワラビーがじっと見ているのも面白い。リスにしては巨大なハイイロリス、レッサーパンダに最後は人語を話すキュウカンチョウだ。何故鳥の癖に喋れるのか、本当に不思議だ。
 江東区に行って、旧大石家住宅に寄る。仙台掘川公園に移築された民家。その後、砂町文化センターに行き、石田波郷記念館を見る。石田波郷は江東区に住んだ俳人。終戦直後の砂町を「焦土俳句」として詠んだり、新聞に「江東歳時記」を連載したりした。また肋膜炎で生涯の大半を闘病と療養で過ごしたことから「療養俳句」なども詠んでいる。
 古石場文化センターにある小津安二郎紹介展示コーナーに行く。小さなスペースだが、小津と江東の係わり合い、彼の生涯、小津作品などを紹介している。ここでは月に1度ほどのペースで、邦画作品の上映も行っているようだ。映画ファン、とりわけ小津ファンには嬉しい場所だろう。
 この日は、新文芸座で始まったチャップリン映画祭を見ようと池袋に赴く。初日は「キッド」と「独裁者」。時間が合わなかったのでパチンコを打つと、「キカイダー」で当たってしまった。5連荘。しかし確変終了後、2箱半飲まれる。他の台を打つも出ず、収支はマイナスに。やけで適当に「吉幾三」を打ったところ、あっさり確変で当たり、それが7連荘。等価だったので昨日の負け分を取り戻せた。パチンコの勝ち負けは本当に紙一重だ。


隠し剣 鬼の爪

2005-04-29 23:32:11 | Weblog
 池袋新文芸座に行って「たそがれ清兵衛」と「隠し剣 鬼の爪」を見る。前者は劇場で1回、テレビで1回見ている。改めて見るとよく出来ている。後者は初見。粗筋など細かいところも「たそがれ」に似ている。何でこれを作ったのかと思いながら見ていた。途中から違ってくる。「鬼の爪」という技は、必殺仕事人みたいなもの。主人公が清兵衛みたいにつつましくなく、自己主張するところ。病気の妻や呆けた母、子供といった扶養家族、借金なんかと無縁で、さっさと武士の立場を捨てられるのが本作の違いだ。でもその分深みがなく話としては「たそがれ」に軍配が上がる。しかし後者の能天気さも好きだが。
 映画のあと、劇場下のパチンコ屋で打ってしまう。1回も当たらず。1万円以内のつもりが半端でなく負ける。パチンコの怖さは、実質的な損害云々より、自らが制御できなくなる恐ろしさであろうか。アルコールや麻薬と同じく中毒性があり、人間が変わってしまうのが恐ろしいようだ。なんて他人事みたいに言っている場合ではない。


パンフの整理

2005-04-28 23:30:32 | Weblog
 姉は今日から一週間旅行の予定。韓国とかも行くらしい。
 家で博物館のパンフを整理し、午後までかかってブログやHPの更新などをする。2週間で回った博物館は40数ヶ所。たくさん回ったようでも、都道府県別でいうと山梨がトータルで26、長野で30ヶ所しか回ってない。全体に比べると微々たる物だ。道は遠い。ちなみに一番多いのは東京で278。続いて北海道81、神奈川78、千葉76、埼玉59、静岡53……という順になっている。長野はこれ以降も通るのであと10ヶ所程度は増えるだろうが。
 これから一週間、家でどのように過ごしたものか。当初は短期でアルバイトをすることも考えたが、面倒くさいのでやめる。近場の博物館とか見て過ごすことになるんだろう。幸い食料は家にあるし。
 だらだらとテレビなど見て家で過ごす。世間はGWで盛り上がっているが、自分は全く逆。年中休み状態だ。収入がないでどうして生きていこうか、という不安ばかりである。まあ百も承知で踏み切ったわけだが。

井戸尻考古館とオオムラサキ

2005-04-27 23:29:15 | Weblog
 朝飯を頂いて早めに出発する。新幹線で帰れば2時間だが、特急料金が勿体無いし、折角だから途中下車して博物館も見たいからだ。特急料金が勿体無いと言っても、普通乗車料金でそのまま帰れるわけではない。とゆうのは、新幹線を使わないで長野から東京に行くには、途中しなの鉄道やバスに乗り換えねばならぬからだ。料金も4350円かかる。(「駅すぱあと」で検索。) だったら途中下車して松本や大月経由で帰っても変わらない。
 茅野で野宿した場所を列車の走行中の車窓からデジカメに収めることができた。あの時は寒かったので特に印象がある。
 来る時見れなかった井戸尻考古館に行く。駅は信濃境。歩くこと十数分。荷物は、PCやその付属品、たまった博物館のパンフぐらいなのだが、これが結構重い。紙は結構重いのだ。
 井戸尻考古館は、井戸尻遺跡群の出土物が並んでいる。5000-4000年前に同じような住居・石器・土器・世界観・神話伝承・ことば・風俗習慣を有したと思われる、長野県犀川から多摩川や相模川流域までの富士眉月弧と呼ぶ地域の文化を「井戸尻文化」と総称するらしい。この博物館は他の似たような考古博物館と違ってユニークだ。普通の博物館は土器や土偶を並べて必要最低限の説明を加えているものだ。土器の形状についても、時代や地域による差異について言及したり、機能面の説明を加えているだけのことが多い。ところがここの説明は違う。土器や土偶に複雑に加えられた文様、奇怪な形状について、縄文人の世界観を推測しながら「おそらく……だろう」とか「……に違いない」と大胆な説明を加えているのだ。例えば有孔鍔付樽と器台については、「黒漆と赤色染料(ベンガラ)で彩られておりこれは神聖な器であることを意味している。酒造器として使われたもので、小孔にはヤマドリの羽を挿していた。」--といった具合である。染料のあとはともかく、酒造器であったとか羽を挿していたというのは推測でしかないと思うが、ここの説明はそれを恐れない。無論ただの主観ではなく、多くの学者による様々な他文化との比較研究などに基づいたものではあろうが。特に「月・水・不死・蛇」といった「太陰的な世界観」をそれらの形や文様に見出している。半人半蛙(あ)文深鉢や蛇文深鉢、くぼんだ眼を持つ深鉢、蛇を戴く土偶、人面香炉形土器など、そのような観点から見ると誠に不思議で、いつまで見ていても飽きず、あたかも縄文人の精神世界にシンクロできる気さえする。館内に流れている不思議な音楽も影響しているのだろうか。石棒についても、「男根を象った石の神」と明確に記している。
 隣にある富士見町歴史民俗資料館を見る。こちらは残念ながらよくある歴史民俗資料館の域を出ていない。ごくごく普通に、様々な民具や農具があったり、囲炉裏端が再現展示してある。養蚕道具や消防道具、刀や鎧・陶磁器などの美術品もあるが、逆にこれといったものはない。そこが民俗資料館の難しいところである。せめて映像による祭りや行事とかの紹介ぐらいほしかった。ものを並べてそこからどうするか、何を伝えたいか、が民俗資料館の課題だと思う。

 電車で3駅移動して日野春駅に。北杜市オオムラサキセンターを見るためだ。オオムラサキは日本の国蝶なので是非見たかった。客は自分一人。映像があるらしいがやってないし、展示中央の自然のジオラマの機器も電源が入っていない。一通り見た後、受付に告げると、映像をかけてくれた。後者の機器も電源を入れ忘れたみたいだったが、なんだかなあ。その後自然に興味のありそうな団体客が来たが、彼らは映像を見たんだろうか?
 国蝶の選出は昭和8年に案が出されたが戦争で話は立ち消えに。昭和30年に入って再びそのテーマが日本昆虫学会で再燃し、ミカドアゲハやアサキマダラ、ギフチョウなどの候補を抑えて昭和32年に指定された。オオムラサキはオスとメスで色が全然異なる。美しい青紫色はオスで、メスは茶色の地味な色だ。1頭のメスが数回に分けて400個の卵をエノキの葉に産み付ける。一週間で孵化し、落ち葉の下で越冬。春、エノキに戻り、6齢の後サナギに。6月下旬から7月上旬にかけて羽化する。日本全国に分布し、国外では中国・台湾・朝鮮に分布する。ちなみに、日本には237種の蝶が棲みついているらしい。200種以上見た人をチョウ屋、220種見た人をバリバリチョウ屋、230種見た人はチョウ大明神と呼ばれるらしい。昆虫のマニアの世界も奥が深い。
 隣には森林科学館と生態観察園がある。チョウが羽化した後に来ると楽しいんだろうなあ。北杜市誕生記念ということで「世界の甲虫展」もやっていた。展示には珍しい虫の説明もあり面白い。例えばナナフシは交尾しなくてもメスがメスを生んで増える(単為生殖)とか、脚が切れても生えてくるとか。ドルリーオオアゲハというアフリカ最大のチョウは象を殺すほどの猛毒を持つとか。エサキマダラは1500キロも移動するとか。

 料金を安く上げるため高尾で京王線に乗り換えて新宿から帰宅。2週間ぶりに我が家の猫に会う。


松代観光

2005-04-26 23:34:16 | Weblog
 起床。昨日はそれほど寒くなかったがそれでもホカロンを2つ使った。腰が冷えるんだよなあ。腰痛持ちにはつらい。
 テントを撤収してパンク修理。外見は異常がない。チューブを取り出す。そこで分かったのは、タイヤには強度を保つためワイヤが仕込んであるのだが、そのワイヤが何らかの原因で断線し、その切れた先がチューブに刺さって穴が開いたようなのだ。チューブのパンクを直すが、原因がタイヤ側にあるのでまたパンクする可能性もある。ガムテープを持参しているのでそれをタイヤの破損箇所に貼る。が、紙製のガムテなので、後で考えたら気休めにしかならないかも。
 朝マックして川中島の古戦場に向かう。途中、車の自損事故の現場を目撃する。
 川中島古戦場。昔、信玄と謙信が戦ったという場所で、早くも年寄りによる団体が見に来ていた。日本人は定年退職して暇とお金ができると集団で方々を観光するという風習があるようだ。
 古戦場にある長野市立博物館。プラネタリウムもあるが、土日しかやっていない。特に印象に残ったのは大室古墳群について。朝鮮半島にもある積石塚とか合掌型石室があるのがこの古墳の特徴。またかつては牧場があり馬具や馬型土製品も見つかっていることから、渡来人が多くいた可能性が指摘されている。他にユニークなのは地震(善光寺地震や松代群発地震)の展示に伴い地震計のコーナーがあること。善光寺参りや川中島の合戦についての展示もある。
 松代を観光することに。釜飯で有名なおぎのやがあったので、そこでちょっと早いランチバイキングを食べる。食べ終えて出発しようとすると激しい雨が降ってきた。しょうがない。全身に合羽を身にまとい、バッグにビニールカバーをかけて、さあ準備万端、出発と意気込んだところで雨が止んでしまった。おまけに日が射してきた。あれ?
 松代に到着。象山記念館(地元では「ショウザン」ではなく「ゾウザン」と読む。県歌「信濃の国」でも同じ。)は以前にも来たことがあるが、ついでに寄ろうとしたら火曜は休みだった。象山地下壕に行く。ここは終戦間際の昭和19年、大本営や政府機関、皇居なんかを移そうと秘密裏に彫られた地下施設。当時の金で2億円の巨費と延べ300万人の住民が動員された。特に強制連行された朝鮮人労働者が多かったという。地下壕はここの他に、舞鶴山と皆神山の二つがある。松代象山地下壕の総延長は5.8キロもある。見学できるのはそのうちの500mだ。たまたま見学者は僕一人。ヘルメットを被っていく。明かりはあるが、脇道は闇だ。怖い。霊感のある人なら何か見えてしまうだろう。僕が出る段になって団体客が次々にやってきた。
 地下壕を出ようとするとまたも激しく雨が降ってきた。変な天気だ。旧横田家住宅に行く。ここは富岡製糸工場で女工として働き、「富岡日記」などを表した和田英の出た家でもある。出るときにはまたも雨が止み、日が射してきた。再び合羽を脱ぐ。
 松代美術館はお休みだったので池田万寿夫美術館に行く。入館料700円。ここは長野出身の池田万寿夫の生前より建設されたが、本人が63歳で急逝したため開館時は追悼展になってしまったという。作品についてはよく分からないが、一貫して女性のエロチシズムを追及してきたようだ。作品に混じって、本人の人生を振り返る写真パネル、そして生前の特集番組であろうかビデオ映像が残っていて、池田万寿夫の生涯が分かる内容になっている。ミュージアムショップで個人美術館の本を購入する。
 真田宝物館は休みだったが、ついでなので真田邸と松代藩文武学校も見る。(各200円。共通券は300円)
 千曲川に沿って進み、小布施から橋を渡って豊野町へ。小布施もミュージアムが多いが、大抵回っている。しかし小布施の道の駅にも美術館ができていた。長野県は東京都、北海道に続いて博物館が多い。今回も行けないとこ、行かないとこはパンフのみ集めた。ほんと博物館が多すぎる。
 親戚の叔父さんの家に到着。明日から一週間ほど東京に戻ることになる。



信州新町「母さんの歌」

2005-04-25 23:33:16 | Weblog
 起きるとすでに8時。ブログを売ったりしてチェックアウトぎりぎりの10時にホテルを出る。
 松本市内にはたくさんの博物館・美術館があるにはある。しかし今日は「魔の月曜日」だ。一応駅の観光案内所で確認したが、この日やっているのは松本城とそこにある市立博物館のみ。過去に2度訪れているところなので、この日は見学をやめて走ることを選択する。駅前食堂で朝食を取ったが高かった。失敗した。
 犀川に沿って下っていくはずなので走るのは楽だろう。長野市まで犀川に沿った国道19号を進むことに。甲州街道を走っていたときは「東京から150km」とかいう表示だったのが、「名古屋から290km」に変わった。
 犀川は流れていない。満々と水を湛えている。ダムなのだ。平ダムを過ぎると、ちょろちょろとした水溜りとなってしまった。それが再び流れを持つ川になり、また貯まってダム、というのを長野市まで3度繰り返した。流れてない川を見るのはつらい。
 途中昼飯。屋根のある休憩所でスパゲティを茹でる。何かここは金太郎が育ったという伝説があるらしいが、あれは足柄山ではなかったか?
 信州新町に入る。実はこのルートは今から10年ほど前、長野から松本に向けて自転車で走っている。その時印象に残ったのが、ここにある博物館・美術館と、その近くに「母さんの歌」の歌碑のある公園だった。前はそこに寝たのである。「母さんの歌」は信州新町が発祥で、羊の親子の像が並ぶ場所に歌碑があり、ボタンを押すと「母さんの歌」のカラオケが流れる、という仕組みだった。当時NHKラジオでやっていた「私の歌日記」という番組で「母さんの歌」を聞いたこともあり、それらが強く印象に残っている。
 信州新町は何故かジンギスカンの店が多い。こんなに名物だったのか? 10年前に走ったときは記憶にないが。
 道の駅に着いたので休む。おやき(130円)とジンギスカン(400円)を購入。うちの父親は信州の出身で、ナスのおやきが大好物だった。長野といえばおやきなのか、「おやき音頭」なる歌もあるようだ。おやきを食べながらテレビを見ると、何と兵庫県で電車が脱線し、死者50名負傷者250名という大惨事になっていた。私は国道沿いをトラックに抜かれながら走るというかなり危ないことをやっているが、電車に乗ってても間の悪い人は死んでしまうのだなあと思うと複雑な気持ちになる。それにしても、えらいこっちゃ。
 ようやく公園に着いた。懐かしい。本当にここで寝たのだろうか? ボタンを押してみるが、音楽は流れてこなかった。あの時は可愛らしい羊の親子像だと思ったが、ジンギスカンのことを思うと複雑だ。
 長野市に入る。今日は河原あたりで野宿の予定。明日、豊野町の親戚の家に行こう。犀川の河原になかなかいい寝場所がない。川の近くまで畑などの私有地があったりするためだ。少し下流に移動すると、野球のグランドやテニスコートのある場所があった。ここに決める。近くに車が停まったりして不気味だったが。
 テントを張り終え、念のため自転車を確認すると、あれ? 後輪がパンクしてるぞ。何故だ! いつパンクしたんだろう。仕方ない。明日朝一で修理だ。


諏訪湖周辺の博物館

2005-04-24 23:53:17 | Weblog
 寒かった。夜中に3回起きた。完全防寒で、テント内でストーブを焚いたがまるで効果なし。ようやく朝になってテントを畳んだら、シートの内と外にびっしり霜が付いていた。この時期野宿をするのはある意味無謀なのかもしれない。何しろ東京を出たときはすでに桜は散っていたのだが、こっちでは今満開なのだ。心身ともにダメージを受ける。
 今日は日曜日。塩尻峠を越えて松本へ入る予定だ。明日は月曜日。松本市内にある数多の博物館はほとんど月曜が休みでやっていない。だから明日は何も見ずに走ることになる。その分、今日諏訪湖あたりで博物館を見るか。
 自転車で休んでいると、よく地元の人に話しかけられる。「どこから来た?」「東京です。」と答えると、「今日出たの?」とか「12時間くらいかかった?」とか聞かれる。あのね、こっちはトライアスロンの選手じゃないんである。宮古島のトライアスロンではスイムとフルマラソンの合間に150キロもある島をバイクで一周するらしい。しかし彼らでも荷物満載のマウンテンバイクを駆って半日で東京から諏訪湖に来るのは無理だろう。
 諏訪湖湖畔に到着。河口湖も西湖も通過したから、湖らしい湖を見るのは今回初めて。湖畔の公園でラーメンをゆでる。
 諏訪湖博物館は以前にも来たことがあるが、ついでに見学。350円。諏訪湖の様々な漁法を紹介。下駄スケート発祥の地ということで、スケートに関する展示も若干ある。歌人・島木赤彦のコーナーもあるが、歌の世界はよく分からん。
 諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館と時の科学館儀象堂の共通券1200円を購入。実はあまり期待していなかったが、この両者は見ごたえがあった。オルゴールの歴史を詳しく紹介すると共に、その音色も聞ける。蓄音機、その後のレコードによってすっかり駆逐されてしまった感はあるが、その音色の美しさは古い楽器とは思えぬほど美しく、うっとりさせるものがある。特にこれといった共鳴装置を使わずにこれだけの音がするのは凄い。オートマタや自動楽器、日本のオルゴールなどもあって、入館料の高さを感じさせない。
 すぐ近くの儀象堂は時計ということで、こちらもオルゴールとは深い関わりがあるし、ご当地諏訪ともつながりがある。目玉は何といっても屋外にある水運儀象台という、11世紀中国の天文観測時計塔を実物大で復元したもの。望遠鏡やプラネタリウムのような機能も備えている。その製作過程は映像で紹介している。
 2階部分は展示で、時計の歴史や技術など。日本の和時計は不定時法(昼と夜とで時間が違う)に対応したすぐれもの。時計という身近にあるものながら、初めて知る用語や機構も多く、勉強になった。解説員の方が詰めていて、分からない事柄も丁寧に教えてくれる。
 
 下諏訪町歴史民俗資料館。こちらは商家に江戸時代の資料などを展示したもの。「村八分」の意味や江戸の時刻などの豆知識が勉強になる。「飯売り下女奉公人請状」のコピーがあり、宿場町にいた飯盛り女の展示もある。また諏訪地方の歴史的な出来事として、和宮様の御下向、水戸の天狗党と高島・松本藩の和田嶺合戦、赤報隊の偽官軍事件などについて紹介している。
 島木赤彦と親交のあった諏訪出身の女流歌人・今井邦子の文学館も寄る。昭和11年の女流短歌誌「明日香」の創刊時には「女の世界を女がもっと掘り下げなければならない。私は背水の陣をしいた。それは私の生涯の為事であり、今日より私の進むべき、はっきりとした一本道なのである」と強い決意を述べている。写真を見ると、大変綺麗な人である。
 
 さて、これから塩尻峠を越えねばならないので、諏訪神社近くの蕎麦屋に入り、大ざるを頼む。5分程度で平らげ店を出る。客がみんな私みたいに早く食えば、回転率も上がってさぞかし店も助かるだろうと思う。
 塩尻峠は、実は恐れるほどでもなかった。確かにきつい上りだが、距離が短いのでものの1時間も自転車を押していれば峠に着いてしまう。あとは松本までほぼ一気の下りだ。ペダルをこぐ必要がほとんどない。時計では重力が立派な動力源となって時を刻んでいるが、自転車においてもこの重力の力で十数キロも走ってしまうのだから侮れない。
 この日は前日と違って暖かく野宿をしてもよさそうなものだが、昨日の今日であまり気が進まない。それに日差しが強すぎて熱射病にやられた感があり頭痛がする。とゆうわけで軟弱ながらビジネスホテルを予約。元々野宿する気なら松本駅なんかに寄る必要もないのだ。
 ホテルの部屋は4階。何故かエレベーターがなく、荷物を上まで運ばねばならない。コインランドリーの場所を教わり、旅初の選択。宿に泊まると夜が遅くなる。11時過ぎまで起きてしまった。


薮内正幸美術館

2005-04-23 23:52:08 | Weblog
 夜から朝にかけてかなり寒かった。テントを畳み、出発の準備をする。公園の反対側にテントの群れができていた。昨日の夜はなかったんだが。聞いてみると、バイクのイベントをやるとか。お店なんかも出すらしい。
 20号を北上。韮崎市を抜ける。道はずーっと上り。武川村に民俗資料館があったので行って見るが、土日は休みだった。
 「道の駅はくしゅう」、ここの水も名水のようで、ペットボトルやポリタンクを持って組む人の列ができている。すぐ隣にシャルマンワインがり見学できるという。チラシに「甲斐駒ケ岳資料館併設」という文字があったので行って見る。工場の方は特になんてこともないが、ワインセラーに資料館があった。恩田義雄コレクションとうたってあり、氏の甲斐駒ケ岳に関する覚書やたくさんの資料があった。駒ケ岳に関心のある人には大層興味深いことと思う。こんなところに人知れず山の資料館があるなんてユニークだ。
 白州町、サントリーの白州蒸留所のすぐ近くに薮内正幸美術館がある。この人は、図鑑や絵本などにずーっと動物の絵を描き続けてきた動物画の人だ。広辞苑に載っている動物のカットも描いているらしい。2000年に60歳で亡くなったが、彼の原画などを展示する目的で昨年開館した。美術はよく分からないと先に書いたが、動物は大変好きなので見入ってしまう。年に数回テーマを変えて展示替え。今回は鳥だ。NHKの「青春プレイバック」に出演した本人の貴重な映像も見る。ここでもポストカードを2枚、「ヤブさん」という本を買う。
 サントリーのウイスキー博物館を見に白州蒸留所へ。僕は運転手ということで赤いシールを胸に貼る。「ウィスキーの試飲はできません」シールだ。博物館の入り口でガイドツアーへの参加の手続き。天然水&ウィスキーのツアーを希望する。バスで天然水の工場に移動。その間もガイドの女性が説明をしてくれる。敷地の広さは25万坪、東京ドーム64個分もある。「南アルプスの天然水」は、甲斐駒ケ岳の雪解け水が花崗岩を通して有機物が取り除かれミネラルが含まれた状態のものを、外の空気にまったく触れない状態で「採水地ボトリング」を行うとか。1分間に330本ボトリングできる充填機が稼動している。室内は無菌状態で、クラス100というレベルらしい。これは30立方センチメートルの中に0.5ミクロン以上の粒子が100個以下ということ。普通の綺麗な部屋でもクラス100万であるとか。
 続いてウィスキーの貯蔵庫に移動する。中に入るとウィスキー臭。うずたかく詰まれた樽(足の下から頭上まで10段くらいある)は怖いくらい。ウィスキーは樽に詰める時点では無色透明、アルコール度数は70%。樽の種類や年数によりあの独特の色が付いてくるのだ。何年貯蔵するのかもあらかじめ決まっておらず、テイスティングしながら熟成の期間を決める。奥にはオーナーズ・カスクといって、自分だけの樽を貯蔵できるシステムがある。50万から3000万もするらしい。
 最後はお決まりの試飲だが、僕は飲めないので、なっちゃんオレンジと水のみ。周囲がうまそうなウィスキーで盛り上がっている中、飲めないというのはつらい。フラストレーションが貯まる一方だ。よっぽどシールを剥がして飲んじゃえとも思ったが、何かあるとまずいので我慢した。
 後回しにしたウィスキー博物館を見学する。ここは実に見ごたえがある。サントリーの創立者である鳥井信冶郎。彼は大阪修道町の薬問屋で丁稚奉公をした後、洋酒づくりのために独立。1907年、寿屋から赤玉ポートワインを発売し、これがヒットする。そこで設けた利益を元手に日本で初めてウィスキー作りに挑む。熟成・販売まで何年もかかるウィスキーを作ろうというのだから凄い。彼は初代のマスターブレンダー。日本人離れした鷲鼻が利き酒に適していたようで、「大阪の鼻」という題で長門裕之主演の舞台にもなっている。
 2階は「ウィスキーの科学」。錬金術の試行錯誤の中で西洋の蒸留酒は生まれたらしい。3階は「ウィスキーの歴史と酒場の文化」。昔の「サントリー白札」などの実物や、懐かしいCMが見れるコーナーなど。さらにその上は展望室になっている。降りてくるとビデオライブラリーもある。その後、セブンイレブンでカルビ弁当を食べ、人心地つく。
 長野県に入った。標高は888m。ここからは明日のためにも距離を稼いでおきたい。近くには井戸尻遺跡近くに博物館があるが、国道沿いでもないし時間の関係で見れない。道の駅には500円で入浴できる温泉もあった。しかしここで入るわけにはいかない。茅野市に入った。流石に今日中に諏訪へ入るのは無理か。とゆうより、もう寝場所を探すタイミングで、諏訪へ入る必要もない。道も順調に下っており諏訪は射程範囲だ。金鶏の湯という入浴施設があった。400円だから東京の銭湯と同じ値段である。裏手の空き地が寝場所によさそうである。とゆうわけで入浴。露天風呂はないがいいお湯だ。上がってから休憩場でPCを取り出しネットにつなげようとするがつながらない。故障か?
 金鶏の湯を出て狙っていた空き地に行こうとするが、事務所から丸見えで諦める。暗い中、別の空き地を探してテントを張る。

信玄・宝石

2005-04-22 23:17:26 | Weblog
 いろいろな鳥の鳴き声で目が覚める。昨日、とゆうか今日の夜中は寒かった。完全防備でなお寒いのだ。トイレの入り口にシャッターが閉まってて使えない。便意を催すとことなので(こんな綺麗な公園内で野糞はできない)、朝飯を作ることもせず、慌ててテントを撤収し公園を脱出する。今日は甲府市内の博物館をいろいろと見る予定だ。まずは朝マック。
 甲府市民俗資料館に開館時間の9時に入館。さまざまな民具が並んではいるが、甲府市と名がつく割に規模は大きくはない。
 次にいったのは印傳博物館。甲州印傳とは鹿革に漆付けをする独特の技法。企業ミュージアムだが入館料200円。知らない世界なのでまあまあ面白かった。(入館無料)
 中銀金融資料館に行ったが、この日は休みとのこと。ネットで確認したのだが休日が変わったらしい。パンフのみ貰う。
 続いて武田神社宝物殿。甲府駅から北へ武田通りを進む。ずーっと上りだ。ここは予想外にいろいろと面白かった。武田勝頼夫人の願文とか金鉱石を磨り潰すための石臼、明治14年に三条家から武田神社の神宝にするよう寄託された太刀と送り状など、いろいろと興味深いものがある。甲州印傳製の超特大信玄袋、戦国時代の有名な孫子の兵法の旗(風林火山のやつ)もあった。旗はかなり大きい。入館料は300円。
 神社隣にある甲府市藤村記念館。あの藤村紫朗県令の記念館である。建物は偽洋風建築の旧睦沢小学校。懐かしい小学校の教室を再現している。昭和40年代の給食用具、下駄スケート、ストーブの前身である角火鉢とか。2階には藤村紫朗の年表や業績が細かい字でびっしり書かれている。これを全部読む人はよっぽど根気のある人だろう。なお、武田氏館跡から平成元年に発見された馬の全身骨格もある。入館無料。
 宝石博物館も見学する。巨大な白色水晶を初め、一体幾らするのだろうと思うような美しい宝石のオンパレードだ。恐らく僕の人生とは一生縁がないであろう宝石の数々。入館料400円だが、なかなか見ごたえがある。ただ、場所も建物の概観も地味で、あまり観光客は訪れないのではないか。出口付近に即売所があり。一生無縁かと思ったが、安いものは200円からある。つい300円の針入り水晶を買ってしまう。今回の初お土産。
 駅の反対側に出て国道52号を西へ進む。入ったのはクリスタルミュージアム。こちらは国道沿いでお洒落な雰囲気。団体客に混じってただで入れそうになったが、流石にきちんとお金を払う。入館500円。こっちも水晶を始め様々な石が並んでいるが、数で言うと圧倒的に宝石博物館の方が多い。こちらは雰囲気で見せ、かつパネルで解説を加えている。二階にはガレやラリック、モーゼルやドーム兄弟などのガラス製品が並ぶ。
 もう今日はここで打ち止めにしようと、山梨県立文学館と山梨県立美術館の共通券630円を買う。文学館では木々高太郎宛ての書簡の展示があった。海野十三や夢野久作、小栗虫太郎や松本清張らのもので、推理小説ファンには涎もの。常設展では山梨県と係わり合いのある文学者について、資料と映像で紹介している。山本周五郎や深沢七郎、中里介山、太宰治、樋口一葉や芥川龍之介など。特に芥川や飯田蛇笏については独立して詳しく展示している。芥川については「羅生門」の末尾の変遷や、第一高等学校時代の「富士山」の作文、スケッチブックなども。芥川は絵もうまかったのである。芥川の「水虎晩帰之図」のポストカードが売ってたので買ってしまう。
 続いて県立美術館。はっきり言って美術はよく分からん。大方のものは特に興味を示すことなく通り過ぎたが、中には惹かれるものもあった。例えば、石井精一の「畳の記憶(B)」や佐藤正明の絵など。開発好明の「ケンタウロス1.5倍」は既存の発泡スチロールを焼き鳥の串のようなもので組み合わせた迫力のあるオブジェだ。おかげでここでもポストカードを3枚も買ってしまった。ああ、お土産づいてるなあ。版画家・萩原英雄のコレクションの展示。縄文土器やアフリカの諸民族の仮面、大津絵など、形の面白いものや不思議なものが並んでいる。図録を見ると実際にはこの何倍もの量のコレクションを博物館に寄付したらしい。当人の作品も展示されていたが、そちらの方は僕にはよく分からなかった。

 国道20号を北上する。実は、27日頃までに長野市に着かねばならないのだ。理由は、姉がGWの一週間出掛ける予定なので。家には猫が4匹いるので、一週間不在だと飢え死にしてしまうのである。僕は弱い立場なので、「出かけるな」とは口が裂けても言えない。幸い長野に親戚がいるので、自転車と荷物を預けて列車で一時帰宅しようというわけ。当初は楽勝のつもりでいたが、思ったより距離が進まず、最近あせっているのである。
 国道20号沿いには釜無川が流れている。ここの公園を寝場所に決めた。夕食を取る。風が強い。

甲府に

2005-04-21 23:15:07 | Weblog
 宿で起床。窓を開けると富士がどーんと見える。快晴。さあ今日は峠越えだ。
 といってもすぐには出発しない。500m先の「道の駅なるさわ」にある「なるさわ富士山博物館」を見るから。それまでテレビを見てブログを打つ。民宿の部屋はストーブとこたつがある。この時期まだ暖房器具が必要なほど寒い。8時に荷造りをして出発。目の前のコンビニで朝食を購入する。
 道の駅なるさわには富士の名水があった。さっそく飲み水に確保。博物館に開館と同時に入館。本来500円だが、民宿で割引券が手に入ったので350円。でかい恐竜(T-REX)が溶岩に飲み込まれている横を通って階下に。15分毎に流れているマウント・フジ・シアターでは富士の生い立ちや上空からの映像を見れる。隣が展示室。今現在の富士の姿を望遠カメラで見れたり、富士に関する様々な情報をモニター画面から入手できる。ここにもクイズがあり、むきになって挑戦した。
 富士山は誕生して8万年という若い火山。最初にできた小御岳火山の頂上は現在の富士五合目だ。その後、古富士火山、新富士火山ができて、7千年ぐらい前までには現在の形になった。周囲には愛鷹(あしたか)火山などの寄生火山群がある。また自殺の名所として名高い青木ヶ原樹海は、846年の噴火の際の溶岩の上に生い茂った原生林とのこと。
 溶岩についての詳しい展示がある。昭和新山や浅間山、雲仙岳や桜島などの溶岩を紹介。日本の多くの火山は安山岩質だが、富士は玄武岩だという。鳴沢一帯は特別天然記念物の溶岩樹型群がある。さまざまな形をした溶岩を観察できるよう、一周25分程度の自然探索路も博物館裏にあるが、これはパス。
 道の駅を出たら道が下り始める。周囲はどこでも寝れそうな場所。昨日は雨が降っていたので宿にしたが、野宿でよければ富士の周囲で寝場所に不自由はなさそうだ。ほどなくして富岳風穴に着いた。鳴沢氷穴は以前見たので富岳風穴に入る。しかしほどなくして、ここも以前来たことがあるように思った。中は寒い。何しろ一年中氷があるところ。天井も低いとこがあり、時折水がたれてくる。奥には、その昔、蚕の繭や木の種なんかを冷蔵保存していたところがある。どちらも冷蔵することで成長が止まるらしい。折り返しの奥にはヒカリゴケも光っていた。
 さあ、ここからだ。気合をこめてペダルを踏むが、道は下りで楽なことこの上ない。もっとも雨の日の下り坂ほど怖いものもないので、昨日通ることはできなかったが。
 しばらくすると精進湖に到着する。腹が減ったのでコンビニで弁当を買って食べる。この先に、歩道がない精進湖トンネルがある筈。実際に行ってみると、なるほど歩道はない。思い切って突入。暗い。ライトをつけるのを忘れたが仕方ない。隣をトラックが通る。トンネルの途中から下り坂になった。そしてこの下り坂が、下まで一気に続くのだ。正直怖い。
 右左口トンネルを抜けて甲府に向かうか、トンネルを避けて県道36号を行く遠回りの道を選ぶか。後者を選択。トンネルを抜ければ確かに早いが、工事か何かのせいで片側通行の信号が設置してある。こんなところをトラックと一緒に通りたくはない。後者は遠回りだが、川沿いなので明らかに下りなのだ。
 車も少なく、渓流の美しい風景を見ながらすいすいと進む。ペダルをこぐ必要もほとんどなし。ここ何日も苦しい日々が続いたが、今日のためのものか。テレビの星占いでさそり座は2番目に運勢が良かったのを思い出す。
 三珠町に歌舞伎文化公園という気になる名前の公園を見つける。ネットで調べてみると案の定博物館があるようなので行ってみる。初代市川団十郎の曽祖父が甲州武田家の家臣だったという関係で、今の市川団十郎(十二代)こと堀越夏雄氏が三珠町名誉市民になっている。そこで既設の歌舞伎資料館の他に、民俗資料館やふるさと会館などが作られ、公園として整備されたのだそうな。
 行ってみるとお城がある。これがふるさと会館で、展望台や考古資料室がある。三珠町民文化資料館では3D映像も見れる。歴代の市川団十郎の紹介。初代の団十郎は45才の時に共演中の生島半六に舞台上で刺殺されている。また八代目は32才の時、芝居初日の朝に自殺をしており、原因が分からず歴史上の謎となっているようだ。うーん、ミステリー。襲名披露時の挨拶状や配り物などの展示もある。考古資料展示室、民俗資料館も見る。特筆すべきものはないが、展示パネルの代わりに屏風を使ったのは面白い工夫だと思った。入館料は300円だが、民俗資料館は別途100円かかる。
 県立考古博物館に向かう。しかしあまりにも腹が減ったので、道の駅隣のラーメン屋で塩ラーメンの大盛りを食べる。
 山梨県立考古博物館には3時半に到着。入館料は210円。周囲に大丸山古墳や丸山塚古墳、県内最大の銚子塚古墳などがある公園の一角にある。名前のとおり考古資料がいろいろ。水田に残された弥生人の足跡とかもある。耳飾をつけた土偶が何とも愛嬌がある。土偶の顔というと人間離れしているものが多いが、ここの土偶には結構リアルな物もある。土器の内部が鏡で見えるようになっている展示手法には感心した。
 笛吹川の河原で寝ようかと思ったが、公園がいかにも寝易そうだったのでそこにした。夕方ラーメンを食べたせいで腹もすかない。暗くなってからテントを設営し、すぐに就寝。