大晦日である。
今年一年を振り返ってみたい。
去年の11月に引っ越して、今年の頭はようやく新居に落ち着いてきた感じで、久々の一人暮らしということもあり、今と違って何かと希望に満ちたスタートであった。
そんな自分を象徴するかのように、今年は岡本太郎生誕100年というイベントがあり、自分も久々に岡本太郎記念館に行っては本を買って読み耽ったり、NHKドラマ「TAROの塔」を楽しみに見たりしていた。
そして、国立近代美術館に太郎の企画展を見に行って帰ってきたまさにその時、例の大地震に出くわした。
自宅のテレビで見る信じられない津波の映像とそれに続く原発事故――。
自分の中で何かが壊れるような衝撃。
とても岡本太郎芸術に引き続き浸るような雰囲気ではなかった。
それに続いて放送されたのが「JIN-仁-」の第二シーズン。
そして、愛猫ナナちゃんの病気と死――。
原発事故とそれに続く猫の死は、自分の人生観に確実にダメージを与えた。もう、何のために生きたらいいのか分からない……。
地デジに切り替わったが、ケーブルテレビに建物が加入していたためテレビからの脱却はできず。むしろ逆にケーブルテレビに加入して、映画とか、より下世話な麻雀や将棋などの番組を見るはめになってしまった。
唯一期待していたドラマ「南極大陸」は全くの期待外れで、ケーブルテレビで麻雀番組を見始めた影響でアーケードゲームの「麻雀格闘倶楽部」に手を出し始める始末。
パチンコの方は全く不調で、お金がないためホールにも長いこと通ってない状態だ。
そうそう。夏の暑さに閉口してエアコンを買ったのも特記せねばならない。猫の医療費、エアコン……ただでさえ苦しい家計がより苦しくなってしまった。
ナナを失った今、何を目的に生きればいいのか……。
つらい日々を克服して生きる原動力が得られないでいる。
ケーブルテレビで見る番組とか麻雀格闘倶楽部のゲームで得る楽しみなど、結局は空しさでしかない。
宝くじで大金でも当たれば別だが、そもそもお金がないので年末ジャンボさえ買えなかったクチだ。
年齢も49になった。49は四重苦とも読める。
昔、東京ぼん太は「夢もチボーもない」と言ったが、自分の人生と、放射能に汚染され消費税も10%に上がるお先真っ暗な日本がダブって見え、それこそどうして生きたらいいものか途方に暮れる。
とゆうか、自分はそもそも生きることに消極的だったではないか。
取り敢えず生きている。楽しいから生きている。それだけでは、苦しみが楽しみを上回った場合、生きる意味を失ってしまう。
今年一年を振り返ってたら暗い話ばかりになってしまった。あるいは今こそ原点に帰って、太郎の精神が必要なのかもしれない。
岡本太郎は何故生きようとしたのだろう? 生きて何をしようとしたのだろう?
それはまさに生命の謳歌。人間である前に生き物として生きる喜びを発現しようとしたのだ。
俺は相変わらず太郎教の信者である。
今度川崎の美術館にでも赴いて、もう一度太郎の声を聞いてきた方がいいのかもしれない。
太郎なら今の日本と日本人にどんな言葉を投げ掛けるだろうか?
今年一年を振り返ってみたい。
去年の11月に引っ越して、今年の頭はようやく新居に落ち着いてきた感じで、久々の一人暮らしということもあり、今と違って何かと希望に満ちたスタートであった。
そんな自分を象徴するかのように、今年は岡本太郎生誕100年というイベントがあり、自分も久々に岡本太郎記念館に行っては本を買って読み耽ったり、NHKドラマ「TAROの塔」を楽しみに見たりしていた。
そして、国立近代美術館に太郎の企画展を見に行って帰ってきたまさにその時、例の大地震に出くわした。
自宅のテレビで見る信じられない津波の映像とそれに続く原発事故――。
自分の中で何かが壊れるような衝撃。
とても岡本太郎芸術に引き続き浸るような雰囲気ではなかった。
それに続いて放送されたのが「JIN-仁-」の第二シーズン。
そして、愛猫ナナちゃんの病気と死――。
原発事故とそれに続く猫の死は、自分の人生観に確実にダメージを与えた。もう、何のために生きたらいいのか分からない……。
地デジに切り替わったが、ケーブルテレビに建物が加入していたためテレビからの脱却はできず。むしろ逆にケーブルテレビに加入して、映画とか、より下世話な麻雀や将棋などの番組を見るはめになってしまった。
唯一期待していたドラマ「南極大陸」は全くの期待外れで、ケーブルテレビで麻雀番組を見始めた影響でアーケードゲームの「麻雀格闘倶楽部」に手を出し始める始末。
パチンコの方は全く不調で、お金がないためホールにも長いこと通ってない状態だ。
そうそう。夏の暑さに閉口してエアコンを買ったのも特記せねばならない。猫の医療費、エアコン……ただでさえ苦しい家計がより苦しくなってしまった。
ナナを失った今、何を目的に生きればいいのか……。
つらい日々を克服して生きる原動力が得られないでいる。
ケーブルテレビで見る番組とか麻雀格闘倶楽部のゲームで得る楽しみなど、結局は空しさでしかない。
宝くじで大金でも当たれば別だが、そもそもお金がないので年末ジャンボさえ買えなかったクチだ。
年齢も49になった。49は四重苦とも読める。
昔、東京ぼん太は「夢もチボーもない」と言ったが、自分の人生と、放射能に汚染され消費税も10%に上がるお先真っ暗な日本がダブって見え、それこそどうして生きたらいいものか途方に暮れる。
とゆうか、自分はそもそも生きることに消極的だったではないか。
取り敢えず生きている。楽しいから生きている。それだけでは、苦しみが楽しみを上回った場合、生きる意味を失ってしまう。
今年一年を振り返ってたら暗い話ばかりになってしまった。あるいは今こそ原点に帰って、太郎の精神が必要なのかもしれない。
岡本太郎は何故生きようとしたのだろう? 生きて何をしようとしたのだろう?
それはまさに生命の謳歌。人間である前に生き物として生きる喜びを発現しようとしたのだ。
俺は相変わらず太郎教の信者である。
今度川崎の美術館にでも赴いて、もう一度太郎の声を聞いてきた方がいいのかもしれない。
太郎なら今の日本と日本人にどんな言葉を投げ掛けるだろうか?