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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

大晦日に今年一年を振り返る

2011-12-31 22:56:37 | Weblog
大晦日である。

今年一年を振り返ってみたい。

去年の11月に引っ越して、今年の頭はようやく新居に落ち着いてきた感じで、久々の一人暮らしということもあり、今と違って何かと希望に満ちたスタートであった。
そんな自分を象徴するかのように、今年は岡本太郎生誕100年というイベントがあり、自分も久々に岡本太郎記念館に行っては本を買って読み耽ったり、NHKドラマ「TAROの塔」を楽しみに見たりしていた。
そして、国立近代美術館に太郎の企画展を見に行って帰ってきたまさにその時、例の大地震に出くわした。
自宅のテレビで見る信じられない津波の映像とそれに続く原発事故――。
自分の中で何かが壊れるような衝撃。
とても岡本太郎芸術に引き続き浸るような雰囲気ではなかった。

それに続いて放送されたのが「JIN-仁-」の第二シーズン。

そして、愛猫ナナちゃんの病気と死――。
原発事故とそれに続く猫の死は、自分の人生観に確実にダメージを与えた。もう、何のために生きたらいいのか分からない……。

地デジに切り替わったが、ケーブルテレビに建物が加入していたためテレビからの脱却はできず。むしろ逆にケーブルテレビに加入して、映画とか、より下世話な麻雀や将棋などの番組を見るはめになってしまった。

唯一期待していたドラマ「南極大陸」は全くの期待外れで、ケーブルテレビで麻雀番組を見始めた影響でアーケードゲームの「麻雀格闘倶楽部」に手を出し始める始末。

パチンコの方は全く不調で、お金がないためホールにも長いこと通ってない状態だ。

そうそう。夏の暑さに閉口してエアコンを買ったのも特記せねばならない。猫の医療費、エアコン……ただでさえ苦しい家計がより苦しくなってしまった。


ナナを失った今、何を目的に生きればいいのか……。
つらい日々を克服して生きる原動力が得られないでいる。
ケーブルテレビで見る番組とか麻雀格闘倶楽部のゲームで得る楽しみなど、結局は空しさでしかない。

宝くじで大金でも当たれば別だが、そもそもお金がないので年末ジャンボさえ買えなかったクチだ。

年齢も49になった。49は四重苦とも読める。
昔、東京ぼん太は「夢もチボーもない」と言ったが、自分の人生と、放射能に汚染され消費税も10%に上がるお先真っ暗な日本がダブって見え、それこそどうして生きたらいいものか途方に暮れる。
とゆうか、自分はそもそも生きることに消極的だったではないか。
取り敢えず生きている。楽しいから生きている。それだけでは、苦しみが楽しみを上回った場合、生きる意味を失ってしまう。

今年一年を振り返ってたら暗い話ばかりになってしまった。あるいは今こそ原点に帰って、太郎の精神が必要なのかもしれない。
岡本太郎は何故生きようとしたのだろう? 生きて何をしようとしたのだろう?
それはまさに生命の謳歌。人間である前に生き物として生きる喜びを発現しようとしたのだ。

俺は相変わらず太郎教の信者である。
今度川崎の美術館にでも赴いて、もう一度太郎の声を聞いてきた方がいいのかもしれない。

太郎なら今の日本と日本人にどんな言葉を投げ掛けるだろうか?

「南極大陸」終了

2011-12-20 02:52:34 | Weblog
ドラマ「南極大陸」が終了しました。
自分は七話までは見たけどあとはついていけんかった。別に犬が可愛そうだ、というんではなく、大の男たちが犬の安否しか気にしなくなってしまい、話のテーマが矮小化されてついていけなくなったのだ。

最後まで見たけど何が言いたいのかさっぱり分からないドラマだった。要約すると、「置き去りにされたワンコたちは健気に頑張ってきたけど、結局タロジロしか生き残りませんでした」ということになる。
戦後の日本の復興だとか、南極越冬隊の頑張りとかはどうでもよくて、犬の命ばかり……。

そんなに犬の命が重要なら、今現在数万等単位で失われている保健所で殺処分されている犬猫たちをどうにかしろよ!と言いたい。
それらに目をつぶって、というか無視して、南極の犬たちだけ取り上げてもバランス感覚として明らかにおかしいだろう。

結局倉持って何がしたかったの? ボツンヌーテンに上りたかったの? 犬を助けたかったの? よく分かんない人物像に終わってしまった。綾瀬はるかの存在意義も薄いし、仲間由紀恵にいたっては全くいないに等しい。人間ドラマが全くかけてない。
号泣したとかブログで書かれてるけど、単に犬がかわいそうで泣いただけで、そうゆうのは感動で流す涙とは違う。

先日書いた「淋しいのはおまえだけじゃない」と比較すると、まさに「月とスッポン」。このドラマ(「南極大陸」)を書いたやつは、いっぺん市川森一のシナリオ本を読み返した方がいいね。


それはそうと金正日が死にました。だから何、というわけじゃないけど、時代の流れだね。あの名物女子アナウンサーが五十日ばかりテレビに出てこなかったのは今回のことと何か関係あるんか? たとえば本当の金正日は病院に入院していて、重篤な状態に陥ったのがその五十日前で、アナウンサーは情報を知ってしまったばっかりに軟禁されていたとか。各地を精力的に回っていた金氏は実は影武者で、本人が亡くなったらお役ごめん。顔と指紋を潰されて闇に葬られるとか……。権力譲渡がうまくいったことを確認してから死亡を発表したとか、いろいろ推測はできる。
テレビで哀号している北朝鮮国民。本心から悲しんでいる奴は何割程度なんだろう。人に見られてるしカメラが映ってるから悲しみを大袈裟に表すしかしょうがないよね。将来的に「偉大な指導者様」の銅像を引きずり倒し、足蹴にして罵るような時代が朝鮮にもくるのだろうか?

それにしても、いまさら従軍慰安婦問題を持ち出してくる南の大統領。竹島問題といい、いらないのにどんどんやってくるK-POPとか韓国ドラマとか、もういいよ。さすがにウザイ。日本人は焼肉は好きだけど韓国人や文化はそんなに好きじゃない。一方で「過去を謝罪しろ」「金よこせ」とか言ってる。で、音楽やドラマの押し売り。当人たちはおかしいと思わんのか? ってかそんな商売成り立つはずないだろ!


今年もそろそろ正月がやってくる。ま、自分の仕事には盆も正月もないんだが、今から4年前はエキストラの仕事をしていて、大晦日には紅白に出て、一月一日には「爆笑ヒットパレード」の人文字をやった。どっちも楽しかった。あの頃がむしょうに懐かしい。
エキストラの仕事は、内容的には非常に楽しい。ギャラさえ生活できるレベルならいつまでもやっていたかったくらいだ。

そうそう、昨日の「南極大陸」の最終回では久しぶりに知っているエキストラの人が映っていた。まだやっていたのかと懐かしく思った。
エキストラはもう一年半やってない。辞めたも同然だ。まだ事務所からメールは届いたりするが。
まあエキストラの話は、辞めても、過去のことでも守秘義務があるので細かくは書けない。読者が一番知りたいことではあるだろうけどね。

無難な内容(番組以外の部分)に関してはおいおい書いていきたいと思うが。



私の選ぶ名作漫画ベスト3

2011-12-18 13:25:31 | Weblog
20代の頃、趣味でミニコミ誌を出していた。その時に「漫画」を特集したことがある。読者をはじめいろんな人にアンケートを募って、漫画のベスト10を選んで貰った。当然自分も書いた。あれから二十年以上経つが、ベスト3はほとんど変わっていない。


まずは第三位。

村上もとか「六三四の剣」

村上もとかといえばご存じ「JIN-仁-」の作者であり、代表作には戦前の日本や中国を舞台にした壮大な大河ロマン「龍-RON-」がある。本来ならこのどちらかを挙げるべきだろうが、敢えて「六三四の剣」を選んでみた。それは、主人公が一番身近に感じられる現代の少年だからだ。
小学生までの子供編と、高校生時代の青年編とで成立っている。ファンとしては、読み切りでいいから大人になった六三四(嵐子と結婚して子供もいる)と修羅の試合とか見たいものだが、「SLUM DUNK」の続編と同じで、作者にその気がないから実現は無理かもしれない。
名シーンもいろいろあるが、しいて挙げれば六三四の母が風戸美奈と全日本選手権の決勝で闘ったあと。優勝した風戸が佳代のところに来て「本当の勝者は夏木さんです」と言うところ。佳代はそれに答えず、にっこり笑って「生きるということは、どんな剣道の試合よりも厳しい戦い」だと伝えるのだ。
ある意味、剣道漫画を根本から否定するようなセリフで、村上もとかが本当に描きたかったのは「生きること」そのものなのだと思った。
世にはびこる凡百のエロ漫画・暴力漫画に比べ、なんと志の高い漫画であることだろう。



続いて第二位。

楳図かずお「漂流教室」

大和小学校の生徒全員が、校舎ごと人類が死滅し、砂漠化した未来の地球へタイムスリップするというSF作品である。
私は小学生の頃、ほぼリアルタイムで読んだ。
大人たちは早々にいなくなり、狂った挙げ句殺人鬼と化す若原先生や、暴力と略奪を繰り返す関谷など、子供の敵として登場する。
ただでさえ水や食糧が不足する上に、巨大な怪虫が現れたり、ペストが蔓延したり、未来人類が現れたり、挙げ句生徒同士が対立し殺し合いを始めたり……。作者は子供たちに過酷な環境を与え続ける。
それでも主人公たちは闘う。生きるために。その前向きさ、困難にあって協力し助け合う姿が素晴らしい。
さらには、現代に残された母の愛が奇跡を起こす。息子が死んでおらず未来に生きていると信ずる母親は、命をかけてわが子を救おうとするのだ。この漫画を見てこれに感動しない人間がいるだろいか!(それに比べて父親の愛情の何と希薄なことよ)

過去に何度か映画化・ドラマ化されているが、勿論原作の素晴らしさには遠く及ばない。
なお、アイドルのしょこたんこと中川翔子の芸名は、本作の主人公・高松翔に由来している。



いよいよ堂々の第一位は……。

飯森広一「ぼくの動物園日記」

70年代に週刊少年ジャンプに連載された。主人公はカバ園長として親しまれた西山としお。彼の上野動物園時代の飼育係の体験に基づいた作品である。基本的に一話完結だが、実話に基づいているせいか、感動的な物語に満ちている。

カバのザブ子が自分の命を犠牲にして子供を産むところ。初めて西山が担当したラクダのオヤジとの別れのシーン。ゾウのことを知ろうとして、ゾウに触れているうち、ゾウの背の上で眠ってしまった西山とそれを許したゾウ。わが子が死んだことが理解できず、いつまでも死んだ子猿を離さない母親。
人生を教えてくれる動物たちと、必死に頑張っている西山としおの両方がいい。

今の若者たちはその存在さえほとんど知らないだろう。実話化してほしい漫画でもあるが、大型の動物たちが多数必要なので、実際には難しいかもしれない。

喜劇駅前開運

2011-12-06 05:23:38 | Weblog
わたくし、生まれも育ちも東京赤羽です。赤羽台団地で産湯を使い、姓は合間、名は妹子。人呼んでフーレンのクマはタロジロの父親……。


えー、何だか分かりませんが、つい先日誕生日を迎えた私は、この世に生を受けて四十九年になりなんとしている。よくぞここまでおめおめと生き恥を晒してきたものだが、実はその大半を東京は赤羽という町で暮らしている。約半世紀に渡る町の変化を、実際に目にしてきたわけだ。
実際、赤羽の町は変わった。しかし、去るものは日々にうとしと言うけれど、過去の町並みの映像は記憶の底に放り込まれ、思い出そうとしても容易ではない。
そんな貴重な過去の赤羽を、映像として残してる映画があった。フランキー堺、森繁、伴淳三郎らが主演した「喜劇駅前開運」だ。1968年。実に私が6歳の頃の懐かしい赤羽の町並みだ。

映画の冒頭、赤羽駅周辺や団地群を俯瞰で撮っているのはかつて銀座アスターのあった西友の屋上からだろう。駅前に高い建物もなく、濃い青の京浜東北線が入線する様がよく見える。
映画の途中は全てスタジオのセットだが、森光子の働く鰻屋は今も残るまるますがモデルっぽい。映画のラストは再びロケに戻り、赤羽の馬鹿祭りの風景だ。まるますの前に櫓を組み盆踊り。ゴミ工場の煙突から出た煙のススで、出演者の顔が真っ黒になるというよく分からない落ちだ。
こうして今と当時を振り返っても、変わらないのはまるますくらいで、後のものは軒並み変わってしまった。赤羽台団地さえ今は一部しか残ってない。
残念だなあと思うのは荒川の映像もないことだ。岩淵水門とか土手の風景を撮影しても良さそうなものなのに……。
しかし何しろ40年以上も前の映画。出演者もことごとく鬼籍に入っている。例外は前述の森光子と、てんぷくトリオの伊東四郎ぐらいか。

今回ケーブルテレビから録画したわけだが、途中のドラマ部分はともかく、貴重な昔の映像は、明らかにかつてあった記憶を呼び起こすトリガーとなってくれた。
かつて赤羽にもこんなに素朴かつ活気にあふれた時代があったのだ。

時というものは往々にして残酷なものである。