6時頃テントを出る。見回すと、周囲にもやがかかっていて全然見えない。勿論富士も。ベンチで米を炊き、カレーの朝食。水道があると水が豊富に使えてよい。富士吉田市の歴史民俗博物館は火曜日が休みだ。それもあって昨日は急がなかった。仮に急いでも間に合わなかったけど。9時半の開館時間に間にあうように行こうと思っていると、早くも雨が激しく降ってきた。
9時前に、隣にある道の駅で休憩。ブログなどを打つ。富士山レーダードーム館というのが隣接してあるのを知る。10時前に入館。料金は歴史民俗博物館との共通券で600円。富士山頂に作られたレーダードームは35年の役割を終えてここに据えられている。その富士山レーダーを取り付けた幾多の苦難の道のりが、久保純子ナレーションの映像(「プロジェクトX」で放送されたものらしい)でよく分かる。ともかく、富士の山頂という大変な場所に資材を上げて工事をすることの困難は想像を絶する。本当によくやったものだと思う。当時、気象庁の担当職員だった新田次郎のコーナーもある。風速13メートルの山頂の極寒体験をしたり、クイズに答えて「気象観測員認定書」が貰ったりする。映像が49分もあったので都合2時間近くもいてしまったのは計算外。
隣にある歴史民俗博物館に移動。特に面白いのは冒頭の富士講についての展示だ。室町時代にはすでに修行者以外にも、信仰の登山をする一般の人々がいたらしい。富士講は、長谷川角行が富士の人穴にこもって開いたという独自の富士信仰の教義。後に身禄の入定をきっかけに江戸で信者が急増した。御師と呼ばれる人々は関東一円を回って富士講を布教し、信者に対して祈祷をしたりお札を配ったりした。また信者の富士詣でに際しては自宅を宿泊場所として提供している。博物館の外には民家の他に御師の家も復元展示されている。
雨の中を進む。今回雨対策は万全を施したつもり。バッグの中の荷もビニール袋でくるんでいるが、バッグも外にもビニールを被せている。ゴム紐を付けて簡単に取り付けられるようにしたが、見た目は非常に悪い。吉野家で食事。ここも上りか、自転車が進まず。富士急ハイランドを過ぎたところに山梨県立富士ビジターセンターがあったので立ち寄る。
中国人と思われる団体客が中国語による大型映像を見ていた。やはり富士山には関心があるのだろう。確かに富士山は特別な山だ。普通高い山は○○連峰とか、幾つも峰が連なったりしているが、富士山は近くに高い山がない。何もない空にどーんと聳え立っている。しかも裾野を含めてかなりでかい。圧倒される。人々の信仰を集めたり、画題になるのもむべなるかな、という感じ。(ちなみにフジヤマミュージアムという富士山を画題とした絵を集めた美術館があるが、1500円と高いので見ないことにする。)
流石にビジターセンターはいろんなことが分かる。富士に最初に上ったのは聖徳太子という伝説もあるそうな。明治5年までは女人禁制だったが、その40年前に男装をした高山たつという女性が登っている。これが女性では初の登頂者とか。もっともたくさん登った人は強力の梶房吉という人で、50年間に1672回にも及ぶという。また最高齢者は五十嵐貞一さんで103才。1935年に山頂からスキーで滑降した学生もいる。富士登山のルートなどもよく分かる。お鉢巡りという富士の火口をぐるっと回るルートは約1時間30分。こうゆうのを見てると自分も富士に登りたくなってくるから不思議だ。火口の中は「大内院」と呼ばれている。お賽銭が投げ込まれる「日本一大きい賽銭箱」でもある。山頂には先の観測所以外にも浅間大社の建物とかも建ってるようだ。
ビジターセンターでこの先のトンネルについて聞いてみる。河口湖から甲府へ抜ける新御坂トンネル、精進湖から甲府へ抜ける精進湖トンネルと右左口トンネル、そのどれにも歩行者用専用の道路はないという。後者を行くつもりでいたが、アップダウンが激しそうだ。ならばいっそのこと前者でトンネルを迂回するルートを取ろうか。ここだと途中に野猿公園(1000円だが半額の割引が受けられる)や、太宰治記念室のある天下茶屋もある。上りは頑張って自転車を押していけばよい。いずれにしても、雨の上がった明日の話だが。
そう思って自転車を走らせていたのに、河口湖方面に行く道路をうっかり通り過ぎてしまった。こうなればやけで、まっすぐ進もう。鳴沢村にある富士山博物館を目指す。ところが、どうゆうわけか自転車が進まない。上りか、疲れているのか。昨日倒れた自転車を起こそうとして腰を少し痛めたがそのせいもあるのか。雨はさっきまで小止みだったがまた激しく降ってきた。峠越えは明日だし、もう今日はどっか宿にでも泊まりたい。何か頭もふらつくので、危険を感じ、ガストで休むことにした。もう4時半で、博物館は見れない。目の前に民宿があった。ここに泊まろう。
今日は昨日寝た場所から10キロくらいしか離れていない。3ヶ所、4時間も見学をしていたから実質走ったのは2時間半くらい。旅の疲れが出ているのかもしれない。明日からは天気も回復する予定。頑張って峠越え。ルートは当初の予定通り後者だ。
9時前に、隣にある道の駅で休憩。ブログなどを打つ。富士山レーダードーム館というのが隣接してあるのを知る。10時前に入館。料金は歴史民俗博物館との共通券で600円。富士山頂に作られたレーダードームは35年の役割を終えてここに据えられている。その富士山レーダーを取り付けた幾多の苦難の道のりが、久保純子ナレーションの映像(「プロジェクトX」で放送されたものらしい)でよく分かる。ともかく、富士の山頂という大変な場所に資材を上げて工事をすることの困難は想像を絶する。本当によくやったものだと思う。当時、気象庁の担当職員だった新田次郎のコーナーもある。風速13メートルの山頂の極寒体験をしたり、クイズに答えて「気象観測員認定書」が貰ったりする。映像が49分もあったので都合2時間近くもいてしまったのは計算外。
隣にある歴史民俗博物館に移動。特に面白いのは冒頭の富士講についての展示だ。室町時代にはすでに修行者以外にも、信仰の登山をする一般の人々がいたらしい。富士講は、長谷川角行が富士の人穴にこもって開いたという独自の富士信仰の教義。後に身禄の入定をきっかけに江戸で信者が急増した。御師と呼ばれる人々は関東一円を回って富士講を布教し、信者に対して祈祷をしたりお札を配ったりした。また信者の富士詣でに際しては自宅を宿泊場所として提供している。博物館の外には民家の他に御師の家も復元展示されている。
雨の中を進む。今回雨対策は万全を施したつもり。バッグの中の荷もビニール袋でくるんでいるが、バッグも外にもビニールを被せている。ゴム紐を付けて簡単に取り付けられるようにしたが、見た目は非常に悪い。吉野家で食事。ここも上りか、自転車が進まず。富士急ハイランドを過ぎたところに山梨県立富士ビジターセンターがあったので立ち寄る。
中国人と思われる団体客が中国語による大型映像を見ていた。やはり富士山には関心があるのだろう。確かに富士山は特別な山だ。普通高い山は○○連峰とか、幾つも峰が連なったりしているが、富士山は近くに高い山がない。何もない空にどーんと聳え立っている。しかも裾野を含めてかなりでかい。圧倒される。人々の信仰を集めたり、画題になるのもむべなるかな、という感じ。(ちなみにフジヤマミュージアムという富士山を画題とした絵を集めた美術館があるが、1500円と高いので見ないことにする。)
流石にビジターセンターはいろんなことが分かる。富士に最初に上ったのは聖徳太子という伝説もあるそうな。明治5年までは女人禁制だったが、その40年前に男装をした高山たつという女性が登っている。これが女性では初の登頂者とか。もっともたくさん登った人は強力の梶房吉という人で、50年間に1672回にも及ぶという。また最高齢者は五十嵐貞一さんで103才。1935年に山頂からスキーで滑降した学生もいる。富士登山のルートなどもよく分かる。お鉢巡りという富士の火口をぐるっと回るルートは約1時間30分。こうゆうのを見てると自分も富士に登りたくなってくるから不思議だ。火口の中は「大内院」と呼ばれている。お賽銭が投げ込まれる「日本一大きい賽銭箱」でもある。山頂には先の観測所以外にも浅間大社の建物とかも建ってるようだ。
ビジターセンターでこの先のトンネルについて聞いてみる。河口湖から甲府へ抜ける新御坂トンネル、精進湖から甲府へ抜ける精進湖トンネルと右左口トンネル、そのどれにも歩行者用専用の道路はないという。後者を行くつもりでいたが、アップダウンが激しそうだ。ならばいっそのこと前者でトンネルを迂回するルートを取ろうか。ここだと途中に野猿公園(1000円だが半額の割引が受けられる)や、太宰治記念室のある天下茶屋もある。上りは頑張って自転車を押していけばよい。いずれにしても、雨の上がった明日の話だが。
そう思って自転車を走らせていたのに、河口湖方面に行く道路をうっかり通り過ぎてしまった。こうなればやけで、まっすぐ進もう。鳴沢村にある富士山博物館を目指す。ところが、どうゆうわけか自転車が進まない。上りか、疲れているのか。昨日倒れた自転車を起こそうとして腰を少し痛めたがそのせいもあるのか。雨はさっきまで小止みだったがまた激しく降ってきた。峠越えは明日だし、もう今日はどっか宿にでも泊まりたい。何か頭もふらつくので、危険を感じ、ガストで休むことにした。もう4時半で、博物館は見れない。目の前に民宿があった。ここに泊まろう。
今日は昨日寝た場所から10キロくらいしか離れていない。3ヶ所、4時間も見学をしていたから実質走ったのは2時間半くらい。旅の疲れが出ているのかもしれない。明日からは天気も回復する予定。頑張って峠越え。ルートは当初の予定通り後者だ。