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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

「明大節」について

2012-09-27 05:46:41 | Weblog
突然ですが私の母校は明治大学です。所属していた部活は将棋研究会でした。今回は話の都合上そのあたりをカミングアウトしてからでないと話がスムーズにいかないので……。まあこのブログを細かく読んでいけば私の本名もバレバレでしょうし……。

将棋研究会では年に何回か集まって飲む機会がありました。例えば新人歓迎会、卒業生の追い出しコンパ、公式戦である大学リーグ戦などの打ち上げ、あるいは夏冬に行なわれる合宿などの打ち上げとか。

私が学生の頃ですからもう30年も前の話。大学があった(勿論今もあるが)のが京王線の明大前。つまり和泉校舎です。勿論御茶の水にある駿河台校舎も明治ですが、部室があるのは和泉校舎。とゆうわけで明治は、3・4年になると部室へ行く回数が極端に減ります。よほど将棋好きでない限り、部室へは行かなくなってしまう。(遠いから)
1・2年が部の中心メンバーとして活躍し、私らのように将棋が弱い部員はほとんど参加しなくなってしまうという弱点があります。ま、それはそれとして、話を飲み会の方に戻します。

大学が近いのでコンパの場所は主に新宿の歌舞伎町の安い居酒屋チェーンということが多かった。なんせ学生ですから。
当時はカラオケもなく、飲みが始まってしばらくすると、先輩たちが余興で歌を歌い始めるんですね。今居酒屋でそんな風に歌ったら他のお客のいい迷惑でしょうが、当時は部の集団の飲み会に歌は必須だったので、あらかじめ襖で仕切られた部屋を借りてるわけです。
最初はもっぱら春歌、いわゆる猥歌ですね。「金太、負けるな」という歌詞の「金太の大冒険」やら、「リンゴのリの字をマに変えて」という合いの手の入る「リンゴの唄」。「一つ出たホイのよさホイノホイ」というやつは何と十二番まであります。「胸も出ました毛もはえた」で始まる「青い山脈」の替え歌。「吉田松陰が芯舐める」とか、いろいろな歌をここで学んだものです。

オリジナルの替え歌を作って歌う猛者もいました。自分の二年先輩のUさんはこの替え歌を作る天才で、沖田浩之の「E気持ち」やあみんの「待つわ」の替え歌などをよく歌ってました。特に前者は、当時明大将研三大手筋と呼ばれた「桂馬のふんどし」「香車の田楽」「銀の割り打ち」を指した時の気持ち良さを歌ったもの。ついでだから歌詞をちょっとご紹介しましょう。

そうさ、ふんどしは 王手飛車よりも厳しい
ふんどし かければ 誰でもヒーロー
定跡なんてぶっ飛ばせ
本筋なんて知らないぜ
ふんどしさえ かけられれば 駒損したって構わない
腕がうずく もう止まらない
ふんどし ふんどし アー
いい気持ち

どうです? 素晴らしい歌詞でしょう?
まあ当時は私も負けじといろいろな替え歌を作ったものです。

歌でなく特殊な芸を披露する先輩もいました。私の一年上のTさんのそれは何と裸踊り。素っ裸になって、しかし股間は道具を使って決して見せないのです。普段は扇子(これは将棋部員は大抵持ってますね)なのですが、ある時は制帽、またある時はチェスクロックを使ったこともありました。

で、宴会の最後に必ず歌われたのが、明大節と校歌です。これは円くなって肩を組み、左右に揺れながら歌います。
明大節は歌の前に前口上があり、これが難しい。自分の一年上には口上ができるSさんがいたのですが、自分の代でいなくなり、そのためか、ついに三年の時に明大節が、四年の時には校歌も歌われなくなりました。今の現役の学生は到底これらの歌を宴会の席で歌う習慣はないでしょうから、多分校歌自体が歌えないんじゃないかと思います。

話を「明大節」に戻します。こんな歌詞です。

ここはお江戸か 神田の街か
神田の街なら大学は明治
大学明治の 学生さんは
度胸一つの 男立て

で、ちょっと気になったので「明大節」をネットで調べてみました。すると興味深いことが分かりました。実はこの歌、元は日本大学の日大節だったんですね。
さらに日大は、兄弟校である近畿大学の応援団だかOB会か知りませんが、「近大節」のパクリであるから、公式に歌わないように申し入れを受けているとのこと。
さらにこの歌は戦時中の学徒出陣の際に歌われた「報国節」が元になっていると。
なるほどそれで合点が行きました。実は歌詞の中に「可愛いあの娘は いつでも捨てる 母校のためなら命懸け」という件があり、いつもそこで引っ掛かっていたんです。別に学校のために命なんかかけないよと。
つまり元歌が「報国節」ですから、お国のために命を捨てるという歌詞だった。それが戦後大学の応援歌となった時に、「御国」→「母校」となった。歌詞はその名残だったんですね。

ちなみにこの歌の最後は

命捨てても その名は残る
大学明治の名は残る

となり、さらに

ついでに 将研の名も残る

となるのです。
これが四年生の追い出しコンパだと

ついでに○○さんの名も残る

と一人一人歌いあげてくれます。実はこれが嬉しいのです。

将棋研究会というのは、ある意味実力の世界。先輩だろうが何だろうが、将棋が強くないと役に立ちません。当然負けるのが嫌なので勉強しますが、そうは強くならない。負けるのが嫌で辞めて行く部員もいます。そんな中で取りあえず四年間やってきた。そして追い出される立場になり名前を呼ばれる。感無量なわけです。

ちなみに自分の将棋の実力は、大学時代、個人戦に七回出場した成績は1勝7敗。一年の時の初戦で一勝しただけであとは全敗です。まあ大したものではありません。一応道場では三段で指してましたが……。

映画のこと

2012-09-14 00:39:39 | Weblog
このまえCATVで「ショーシャンクの空に」というのをやってたので見た。
原作がスティーブン・キングで監督がフランク・ダラボン。この二人は「グリーンマイル」や「ミスト」でもコンビを組んでいる。感動の名作という触れ込みだが、残念ながら全く感動できなかった。

この話は、無実の罪で捕らわれた主人公が、刑務所を脱獄して夢を勝ち取る--そんな話である。刑務所内で知り合ったレッドという人物と親友になるが、彼は夢や希望を持つのは危ういと説く。どんなに模範囚としてふるまったところで仮釈放の許可も下りない。刑務所の中は囚人たちにとっては、全く絶望的な状況だった。それこそ、看守らが生殺与奪の権利を握っており、ささいな自由や権利を手にすることさえ難しかったからだ。しかし主人公はその大胆な行動で、少しずつ所内の環境を変えていく。
そしてついに、脱獄に成功し、彼を酷い目に合わせた所長に復讐し、念願の自由を手にする。どんなに絶望的な環境においても諦めない事が大切だ、と映画は教えてくれているかのようだ。

しかし、である。
ここに出てくる脱獄の成功が何ともお粗末なのだ。リアリティがない。19年間も壁を掘り続けたというが、持ち物検査や牢内の検査でそれがばれないのも不自然。夜中に壁を削っていたら音がするはずだ。よしんば見つからずに抜けられても、下水管がそんな簡単に穴が開くはずもないし、どこに続いてるかも分からない。仮に抜けられても、どうやって服や必要なものを調達し、怪しまれずに逃亡できるのか……。全てにリアリティがなく、説得力がない。
そしてやはり脱獄が実際のところ不可能だとしたら、映画が語る「夢や希望を持ち続けよ」というメッセージまでも空しくなってしまうのだ。


今日は同じくCATVで「ジェネラルルージュの凱旋」を見た。これは面白かった。よくできた映画だと思った。
邦画というと最近は軒並み駄目で、特にテレビドラマのシリーズの映画化は見れるものがほとんどない。駄作ばかりで見る気がおきない。
そんな中、本作はうまくできていると思った。
堺雅人という役者のうまさはいまさら言うまでもない。
期待しているのは今月15日に公開される「鍵泥棒のメソッド」。堺雅人と、私の好きな香川照之が共演。売れない役者と殺し屋が、ひょんなことから入れ替わるというコメディだ。ぜひ劇場に足を運んでみようと思う。
それにしても香川さんは、歌舞伎役者となったにもかかわらず、映画にも出まくっている。
恐ろしい役者さんである。