起床。昨日はそれほど寒くなかったがそれでもホカロンを2つ使った。腰が冷えるんだよなあ。腰痛持ちにはつらい。
テントを撤収してパンク修理。外見は異常がない。チューブを取り出す。そこで分かったのは、タイヤには強度を保つためワイヤが仕込んであるのだが、そのワイヤが何らかの原因で断線し、その切れた先がチューブに刺さって穴が開いたようなのだ。チューブのパンクを直すが、原因がタイヤ側にあるのでまたパンクする可能性もある。ガムテープを持参しているのでそれをタイヤの破損箇所に貼る。が、紙製のガムテなので、後で考えたら気休めにしかならないかも。
朝マックして川中島の古戦場に向かう。途中、車の自損事故の現場を目撃する。
川中島古戦場。昔、信玄と謙信が戦ったという場所で、早くも年寄りによる団体が見に来ていた。日本人は定年退職して暇とお金ができると集団で方々を観光するという風習があるようだ。
古戦場にある長野市立博物館。プラネタリウムもあるが、土日しかやっていない。特に印象に残ったのは大室古墳群について。朝鮮半島にもある積石塚とか合掌型石室があるのがこの古墳の特徴。またかつては牧場があり馬具や馬型土製品も見つかっていることから、渡来人が多くいた可能性が指摘されている。他にユニークなのは地震(善光寺地震や松代群発地震)の展示に伴い地震計のコーナーがあること。善光寺参りや川中島の合戦についての展示もある。
松代を観光することに。釜飯で有名なおぎのやがあったので、そこでちょっと早いランチバイキングを食べる。食べ終えて出発しようとすると激しい雨が降ってきた。しょうがない。全身に合羽を身にまとい、バッグにビニールカバーをかけて、さあ準備万端、出発と意気込んだところで雨が止んでしまった。おまけに日が射してきた。あれ?
松代に到着。象山記念館(地元では「ショウザン」ではなく「ゾウザン」と読む。県歌「信濃の国」でも同じ。)は以前にも来たことがあるが、ついでに寄ろうとしたら火曜は休みだった。象山地下壕に行く。ここは終戦間際の昭和19年、大本営や政府機関、皇居なんかを移そうと秘密裏に彫られた地下施設。当時の金で2億円の巨費と延べ300万人の住民が動員された。特に強制連行された朝鮮人労働者が多かったという。地下壕はここの他に、舞鶴山と皆神山の二つがある。松代象山地下壕の総延長は5.8キロもある。見学できるのはそのうちの500mだ。たまたま見学者は僕一人。ヘルメットを被っていく。明かりはあるが、脇道は闇だ。怖い。霊感のある人なら何か見えてしまうだろう。僕が出る段になって団体客が次々にやってきた。
地下壕を出ようとするとまたも激しく雨が降ってきた。変な天気だ。旧横田家住宅に行く。ここは富岡製糸工場で女工として働き、「富岡日記」などを表した和田英の出た家でもある。出るときにはまたも雨が止み、日が射してきた。再び合羽を脱ぐ。
松代美術館はお休みだったので池田万寿夫美術館に行く。入館料700円。ここは長野出身の池田万寿夫の生前より建設されたが、本人が63歳で急逝したため開館時は追悼展になってしまったという。作品についてはよく分からないが、一貫して女性のエロチシズムを追及してきたようだ。作品に混じって、本人の人生を振り返る写真パネル、そして生前の特集番組であろうかビデオ映像が残っていて、池田万寿夫の生涯が分かる内容になっている。ミュージアムショップで個人美術館の本を購入する。
真田宝物館は休みだったが、ついでなので真田邸と松代藩文武学校も見る。(各200円。共通券は300円)
千曲川に沿って進み、小布施から橋を渡って豊野町へ。小布施もミュージアムが多いが、大抵回っている。しかし小布施の道の駅にも美術館ができていた。長野県は東京都、北海道に続いて博物館が多い。今回も行けないとこ、行かないとこはパンフのみ集めた。ほんと博物館が多すぎる。
親戚の叔父さんの家に到着。明日から一週間ほど東京に戻ることになる。
テントを撤収してパンク修理。外見は異常がない。チューブを取り出す。そこで分かったのは、タイヤには強度を保つためワイヤが仕込んであるのだが、そのワイヤが何らかの原因で断線し、その切れた先がチューブに刺さって穴が開いたようなのだ。チューブのパンクを直すが、原因がタイヤ側にあるのでまたパンクする可能性もある。ガムテープを持参しているのでそれをタイヤの破損箇所に貼る。が、紙製のガムテなので、後で考えたら気休めにしかならないかも。
朝マックして川中島の古戦場に向かう。途中、車の自損事故の現場を目撃する。
川中島古戦場。昔、信玄と謙信が戦ったという場所で、早くも年寄りによる団体が見に来ていた。日本人は定年退職して暇とお金ができると集団で方々を観光するという風習があるようだ。
古戦場にある長野市立博物館。プラネタリウムもあるが、土日しかやっていない。特に印象に残ったのは大室古墳群について。朝鮮半島にもある積石塚とか合掌型石室があるのがこの古墳の特徴。またかつては牧場があり馬具や馬型土製品も見つかっていることから、渡来人が多くいた可能性が指摘されている。他にユニークなのは地震(善光寺地震や松代群発地震)の展示に伴い地震計のコーナーがあること。善光寺参りや川中島の合戦についての展示もある。
松代を観光することに。釜飯で有名なおぎのやがあったので、そこでちょっと早いランチバイキングを食べる。食べ終えて出発しようとすると激しい雨が降ってきた。しょうがない。全身に合羽を身にまとい、バッグにビニールカバーをかけて、さあ準備万端、出発と意気込んだところで雨が止んでしまった。おまけに日が射してきた。あれ?
松代に到着。象山記念館(地元では「ショウザン」ではなく「ゾウザン」と読む。県歌「信濃の国」でも同じ。)は以前にも来たことがあるが、ついでに寄ろうとしたら火曜は休みだった。象山地下壕に行く。ここは終戦間際の昭和19年、大本営や政府機関、皇居なんかを移そうと秘密裏に彫られた地下施設。当時の金で2億円の巨費と延べ300万人の住民が動員された。特に強制連行された朝鮮人労働者が多かったという。地下壕はここの他に、舞鶴山と皆神山の二つがある。松代象山地下壕の総延長は5.8キロもある。見学できるのはそのうちの500mだ。たまたま見学者は僕一人。ヘルメットを被っていく。明かりはあるが、脇道は闇だ。怖い。霊感のある人なら何か見えてしまうだろう。僕が出る段になって団体客が次々にやってきた。
地下壕を出ようとするとまたも激しく雨が降ってきた。変な天気だ。旧横田家住宅に行く。ここは富岡製糸工場で女工として働き、「富岡日記」などを表した和田英の出た家でもある。出るときにはまたも雨が止み、日が射してきた。再び合羽を脱ぐ。
松代美術館はお休みだったので池田万寿夫美術館に行く。入館料700円。ここは長野出身の池田万寿夫の生前より建設されたが、本人が63歳で急逝したため開館時は追悼展になってしまったという。作品についてはよく分からないが、一貫して女性のエロチシズムを追及してきたようだ。作品に混じって、本人の人生を振り返る写真パネル、そして生前の特集番組であろうかビデオ映像が残っていて、池田万寿夫の生涯が分かる内容になっている。ミュージアムショップで個人美術館の本を購入する。
真田宝物館は休みだったが、ついでなので真田邸と松代藩文武学校も見る。(各200円。共通券は300円)
千曲川に沿って進み、小布施から橋を渡って豊野町へ。小布施もミュージアムが多いが、大抵回っている。しかし小布施の道の駅にも美術館ができていた。長野県は東京都、北海道に続いて博物館が多い。今回も行けないとこ、行かないとこはパンフのみ集めた。ほんと博物館が多すぎる。
親戚の叔父さんの家に到着。明日から一週間ほど東京に戻ることになる。
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