どうも福島で原発が大変なことになっている。
ちまた(主にネットだが)では原発是非の議論が盛んだ。
清志郎ばりに「何言ってんだー。冗談じゃねえ。核などいらねえ」と言う奴がいるかと思えば、いや一方で「電気は必要です。資源を持たない日本は、二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー、原子力発電を推進すべきです」と、未だに電力会社の回し者みたいな発言をする輩もいて、「おいおいそれは原発が安全という前提での話だろ。どんだけ地球温暖化のプロパガンダに洗脳されてるんだ」と突っ込みたくもなる。
こんな事態になると、「そうでしょう。だから私は原発に反対だったのです。だから言ったのです」と、隠れキリシタンならぬ隠れ反原発の人々が出て来る。まるであとだしジャンケンだが、実は自分もそんな一人だと打ち明けざるを得ない。
あれは今から二十年も前。私は趣味でミニコミ誌を出していた。
ミニコミといっても、コピー機を使って複製していたので、発行部数30部足らずの個人誌みたいなもんだった。
最初のうちは馬鹿みたいな、面白おかしい記事を書いていた。が、取材をしていくといろんな社会問題にぶちあたった。
例えば「食べ物」。「金のない時ゃこれを食え」という貧乏レシピや、「日本の生産量No.1は大根、世界ではトマト」みたいな野菜雑学を載せたりしたが、一方で食の安全性に触れぬわけにはいかなかった。
つまり残留農薬、食品添加物、放射能なんかだ。
「血液」について特集を組んだこともある。
献血に対する若者の意識調査や、白血球・赤血球の働きなど。ところが調べると、図書館で血液製剤の危険を告発する本を見つけた。薬害エイズ問題が表面化して、当時厚生大臣だった菅直人が謝罪するのはその数年後のことである。
私はこの時マスコミに強い不信感を抱いた。私のような一個人がちょっと図書館で調べただけで分かるようなことを、マスコミに従事する者が知らなかったとは言わせない。アメリカが危険だからと使用しなかった血液製剤を「安全です」と言って使い、結果多くの患者がHIVに感染した。
私は大学でマスコミのゼミにいた時、「マスコミは社会の木鐸」なる言葉を聞いたが、マスコミが薬害エイズの被害を看過した責任を詫びる記事は一片もなかった。そればかりか、悪の親玉一人に罪をなすりつけ、その事態を招いた医者・官僚・学者・製薬会社のだれもが責任を取らなかった。私は二重に失望した。
反原発・脱原発ブームが起きたのは、スリーマイル、チェルノブイリの事故のあとの、80年代から90年代にかけてではなかったか?
広瀬隆の「東京に原発を!」がベストセラーになり、「朝まで生テレビ」でも反対派・推進派が入り交じって激論を繰り広げた。タレントでも、いとうせいこう、景山民夫(まだ「幸福の科学」に入る前の)らが声高に反原発を主張した。アニメーターの高畑勲もそんな一人だ。アニメ雑誌の「ふーじょんぷろだくと」に至っては、誌名の由来が産業廃棄物だとカミングアウトして、明確に反原発の立場を打ち出した。
かくいう私も感化された一人で、「反原発新聞」や原子力資料情報室の機関誌を購読し、積極的に反原発・脱原発を主張した。ミニコミに署名入りで異例の記事も書いた。
しかしこのブームは、その後急速に勢いを失った。推進派は金を持っている。政府(政治家と官僚)、電力会社や建設業界などの関連企業。その金の出所は、何のことはない、国民の税金である。
日本には資源がない。化石燃料はいつかなくなる。地球温暖化の元である二酸化炭素を排出しない原子力発電は、こともあろうに「クリーンエネルギー」と規定されたのだ。
今、福島一帯の住民を避難させ、そのために数万人が職を失い、風評被害も併せ多くの農業・漁業従事者の生活基盤を破壊し、乳幼児を抱える若い夫婦に健康被害を心配させる放射能をまき散らしている原発が、よりによって国家に「クリーンエネルギー」と認定されるなど、笑うに笑えない冗談だ。21世紀最大の欺瞞と言ってもいい。
ちなみに、原発推進を加速させた地球温暖化の主張も、私には多分に政治的なものに見える。
ほんの数千年前の縄文時代には今より気温が高く、埼玉県内まで海があったのだ。人間の活動による温暖化は、実は地球寒冷化を緩和してるのだと言う主張もある。
原発により出される放射性廃棄物。その処理方法は20年を経た今でも決定されていない。仮に事故がなかったとしても、核のゴミの問題(安全性とコスト)は深刻である。プルトニウムの半減期に至っては二万四千年。日本という国家はほぼ間違いなくないだろうし、日本列島も形を変えているはずだ。
地中深く沈めて安全に管理できるというような時間的スパンなのか?
いずれにしても今回の件で国の原子力政策は大きな見直しを迫られるだろう。
結局事故が起きなければ国民(の大多数)は分からないのだ。重態にならなければ治療や養生を考えない病人のように。
だが、そのために日本人が払った代償はやはり大き過ぎた感がある。
国土が狭く、地震大国である日本に原発は適さなかったのだ。
ちまた(主にネットだが)では原発是非の議論が盛んだ。
清志郎ばりに「何言ってんだー。冗談じゃねえ。核などいらねえ」と言う奴がいるかと思えば、いや一方で「電気は必要です。資源を持たない日本は、二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー、原子力発電を推進すべきです」と、未だに電力会社の回し者みたいな発言をする輩もいて、「おいおいそれは原発が安全という前提での話だろ。どんだけ地球温暖化のプロパガンダに洗脳されてるんだ」と突っ込みたくもなる。
こんな事態になると、「そうでしょう。だから私は原発に反対だったのです。だから言ったのです」と、隠れキリシタンならぬ隠れ反原発の人々が出て来る。まるであとだしジャンケンだが、実は自分もそんな一人だと打ち明けざるを得ない。
あれは今から二十年も前。私は趣味でミニコミ誌を出していた。
ミニコミといっても、コピー機を使って複製していたので、発行部数30部足らずの個人誌みたいなもんだった。
最初のうちは馬鹿みたいな、面白おかしい記事を書いていた。が、取材をしていくといろんな社会問題にぶちあたった。
例えば「食べ物」。「金のない時ゃこれを食え」という貧乏レシピや、「日本の生産量No.1は大根、世界ではトマト」みたいな野菜雑学を載せたりしたが、一方で食の安全性に触れぬわけにはいかなかった。
つまり残留農薬、食品添加物、放射能なんかだ。
「血液」について特集を組んだこともある。
献血に対する若者の意識調査や、白血球・赤血球の働きなど。ところが調べると、図書館で血液製剤の危険を告発する本を見つけた。薬害エイズ問題が表面化して、当時厚生大臣だった菅直人が謝罪するのはその数年後のことである。
私はこの時マスコミに強い不信感を抱いた。私のような一個人がちょっと図書館で調べただけで分かるようなことを、マスコミに従事する者が知らなかったとは言わせない。アメリカが危険だからと使用しなかった血液製剤を「安全です」と言って使い、結果多くの患者がHIVに感染した。
私は大学でマスコミのゼミにいた時、「マスコミは社会の木鐸」なる言葉を聞いたが、マスコミが薬害エイズの被害を看過した責任を詫びる記事は一片もなかった。そればかりか、悪の親玉一人に罪をなすりつけ、その事態を招いた医者・官僚・学者・製薬会社のだれもが責任を取らなかった。私は二重に失望した。
反原発・脱原発ブームが起きたのは、スリーマイル、チェルノブイリの事故のあとの、80年代から90年代にかけてではなかったか?
広瀬隆の「東京に原発を!」がベストセラーになり、「朝まで生テレビ」でも反対派・推進派が入り交じって激論を繰り広げた。タレントでも、いとうせいこう、景山民夫(まだ「幸福の科学」に入る前の)らが声高に反原発を主張した。アニメーターの高畑勲もそんな一人だ。アニメ雑誌の「ふーじょんぷろだくと」に至っては、誌名の由来が産業廃棄物だとカミングアウトして、明確に反原発の立場を打ち出した。
かくいう私も感化された一人で、「反原発新聞」や原子力資料情報室の機関誌を購読し、積極的に反原発・脱原発を主張した。ミニコミに署名入りで異例の記事も書いた。
しかしこのブームは、その後急速に勢いを失った。推進派は金を持っている。政府(政治家と官僚)、電力会社や建設業界などの関連企業。その金の出所は、何のことはない、国民の税金である。
日本には資源がない。化石燃料はいつかなくなる。地球温暖化の元である二酸化炭素を排出しない原子力発電は、こともあろうに「クリーンエネルギー」と規定されたのだ。
今、福島一帯の住民を避難させ、そのために数万人が職を失い、風評被害も併せ多くの農業・漁業従事者の生活基盤を破壊し、乳幼児を抱える若い夫婦に健康被害を心配させる放射能をまき散らしている原発が、よりによって国家に「クリーンエネルギー」と認定されるなど、笑うに笑えない冗談だ。21世紀最大の欺瞞と言ってもいい。
ちなみに、原発推進を加速させた地球温暖化の主張も、私には多分に政治的なものに見える。
ほんの数千年前の縄文時代には今より気温が高く、埼玉県内まで海があったのだ。人間の活動による温暖化は、実は地球寒冷化を緩和してるのだと言う主張もある。
原発により出される放射性廃棄物。その処理方法は20年を経た今でも決定されていない。仮に事故がなかったとしても、核のゴミの問題(安全性とコスト)は深刻である。プルトニウムの半減期に至っては二万四千年。日本という国家はほぼ間違いなくないだろうし、日本列島も形を変えているはずだ。
地中深く沈めて安全に管理できるというような時間的スパンなのか?
いずれにしても今回の件で国の原子力政策は大きな見直しを迫られるだろう。
結局事故が起きなければ国民(の大多数)は分からないのだ。重態にならなければ治療や養生を考えない病人のように。
だが、そのために日本人が払った代償はやはり大き過ぎた感がある。
国土が狭く、地震大国である日本に原発は適さなかったのだ。